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2023年 02月 17日

ドキュメンタリー映画「二十歳の息子」

久しぶりにポレポレ東中野に足を運んだ。

ポレポレ東中野は、ドキュメンタリーを上映している小さな映画館。一階に素敵なカフェがあり、東京の文化的拠点の一つとなっている。

ここでドキュメンタリーを観るたびに、「また近いうちに何かを観に来よう」と思うのだが、なにかにつけ腰の重い私はなかなか…。そんな私が今回重い腰を上げたのは、「二十歳の息子」(監督:島田隆一)を観るため。Twitterで案内を観て以来気になっていたのだ。

「ゲイの私が、父親になった」というキャッチコピーのついたこの映画の内容は次のとおり(公式サイトより)。

児童養護施設等の子どもたちの自立支援団体で働く網谷勇気(40)。自身がゲイである彼は、様々なマイノリティのための団体を立ち上げ、講演会なども行っていた。ある日、彼は小さなアパートに引っ越し、一人の青年・渉(20)を迎え入れる。
渉は、勇気がこれまで支援してきた子どもたちのうちの一人であったが、あるとき、事件を起こし拘置所に入れられてしまう。身の置き場を失った渉に対し、勇気は養子縁組をすることで、自らが父親となって共に暮らすことを申し出たのであった。
幼少期より児童養護施設に預けられ、両親の顔も知らずに育った渉と、それまで家族をつくることを想定していなかった勇気。照れ臭さと緊張をにじませながら、二人の新たな共同生活が始まった。複雑な生い立ちを抱え、多感な年頃である渉との関わり方に勇気が戸惑うなか、生まれて初めて帰るべき家を手に入れた渉は、アルバイト生活を送りながら自身の夢へと動きだしたのだが…

以下、評論等の形式通り、登場される方の名前を敬称なしで失礼をば。

公式サイトには、「緊張をにじませながら」とあるが、それは撮影者が肌で感じたことなのだろう。画面を通すと、養父となった勇樹と同居生活を始めた、拘置所を出たばかりの渉は、不思議なほど落ち着いて見えた。そして、最後まで、映像で示された中では、渉が最後まで剥き出しの感情を見せることはなかった。

その一方で、勇気の語りの中から、渉が大きく感情を乱したり荒れたりすることがあることがわかる。

そのように感情を見せない面と荒れる面の両極を持つことは、困難な生育環境にあった人にはよくあることで、それは、渉のような大変な環境にいたわけではないが、問題のある家庭で育った私自身に照らし合わせても理解できる。

もちろん、勇気は、仕事柄、そうしたことがあることを十分に知っているのであって、その上で、彼を迎えている。その動機の土台を形成している彼の社会観、その社会の中でのひとりひとりの持つ責任、罪については、彼が始めたグループのミーティングの中で語られている。

しかし、行動は動機だけでは成立しない。「どうしてこういう行動がとれたのだろう?」という思いで観始めた私だが、「あ、なるほど」と思ったのは、はじめの方で映し出される、勇気が渉を両親に紹介するシーンだ。

渉が何度も「すごいですね」というマンションに住む両親。二人は、渉の過酷な生育環境や、「少年院の手前の」自動自立支援施設に入ったり、その後、拘置所に入ったりした経験を大きく受け止める。ベランダに出てひとりタバコを吸う渉のところへ父親が来て、彼の過去を気にしないこと、勇気を信じていること、などを語る。

それに対して、すごいですね…という渉に、信じないとダメでしょ、と(言葉はうろおぼえだが)。そう語る父親に頬を涙が伝う。

この様子を見ながら、私の頭には「家族資本」という言葉が浮かんだ。ここで私が意味しいてるのは、経済力だけではない。受けた愛情、それが表現される言葉、知性(学歴だけでなく)、信頼、絆。しかし、やはり経済的な面も大きい、親が安定して裕福な生活をしてるのと、貧しくて、この先どうしたらいいかわからないという生活とでは、子の気持ちや将来像、生活も変わってくる。

勇気の行動は、ある意味でそうした「家族資本」の共有の挑戦でもあるのかもしれないとも思った。

だが、そうした環境からあまりにも遠かった人が、その恵まれて見える家族に触れるとき、ときに苦しみを生じることがある。渉がどう感じたかはわからない。ただ、家族のパーティーに参加したとき、勇気の姉(妹?)が執拗に、渉に養子縁組をした理由とこれから何をしていきたいのかを問うシーンは象徴的に思えた(その場面で、渉はよく耐えたなぁ、と思う…私だったら切れてた)。

この作品の最後は、正直、少し意外な感じがしたけれど、見終わったときに思ったのは、「プロローグを観た」というものだった。まだまだ続く、長い家族の歴史の始まりなんだなと。これからいろいろなことがあるのだろうし、さまざまな可能性に開かれているし。それが映像になるのかどうかはわからないけれど。

それにしても…Twitterでも書いたけれど、勇気、渉というお二人の名前、この映像で見た二人の印象そのままだなぁ、と思った。




# by hideki_sunagawa | 2023-02-17 18:00 | Diary
2023年 02月 15日

昔の日記を読みながら…

一昨日このブログを再開してから、昔ここに書いた記事(日記)を読み返している。

もともと過去ばかり振り返りがちな性格なのに、一層レトロスペクティブ(retrospective =回顧的)。

なんて、英語でごまかしてみたけれど、ま、結局、後ろ向きってことだ。でも、人間はもともと後ろを向いているという話もある。なぜなら、過去を「前」、未来を「後」と表現するからだ。すなわち、一年過去は一年<前>、一年未来は一年<後>と。日本語だけでなく、英語も同じく。

言語によっては逆の表現もあるのだろうか(ありそう)。


いやいや、そんな話を書きたかったわけではない。昔の記事を読んで、最初は、「わー、良いこと言ってるー」と思っていたのだが、読み進めるうちにだんだんと落ち込んできたことを書き記しておこうと。

ホームページの「日記」からこのエキサイトブログに移ったのは、2009年7月、本格的には8月。

その年、私は、人生で最も長く付き合ったパートナーと付き合い初めて四年目に入っていた。前年には博士号を取得し、その後、東京の性的マイノリティのパレードの三度目の再建にとりかかっていた。

そして、この年に、なんとか「東京プライドフェスティバル」を開催。同フェスティバルでは、NHK Eテレ「ハートをつなごう」初の公開収録を実現した(当時のディレクターにむちゃくちゃ無理をさせてしまったことを、今は反省している)。

翌年、2010年には、東京プライド代表&東京プライドパレード実行委員長を兼ねて、パレードを開催し、東日本大震災の後(それが起きる前から決めていたのだが)、2011年4月に故郷の沖縄にUターン。

その後、沖縄でLGBTの活動を始め、2013年にピンクドット沖縄という沖縄初のプライドイベントを開催したり、GRADiというコミュニティセンターを自費で運営したりした。

そんなこんな記録がこのブログには残っていた。

それを読み返すと、自分がどんなにがんばっていたか、そして、自画自賛と笑われることを承知で言えば、なんと画期的なことをやっていたかを痛感するのだ。

もちろん、順調だったわけではない。ここに記していない苦労がたくさんあった。その苦労は苦悩となり、その苦悩は、その活動の中でできた借金とともにその後の私の人生の足かせとなった。

でも、こんなにいろんなことにチャレンジしていたことを振り返ると、今ただ生きるのに精一杯な自分の生活が情けなく感じられてしまう。しかも、昔のほうが、そのときどきに見聞きしたものの表現が優れているようにも見える。いつの間にこんなに、表現力が乏しくなったのだろう。


パートナーシップに関しても、当時付き合っていたパートナーと2015年に別れたときに、自分のダメさ加減を痛感して、もう誰とも付き合わないと決め、その通りの月日を生きてきた。

ピンクドット沖縄の共同代表を2016年まで続けて、2018年に『カミングアウト』(朝日新書)を出したけれど、それ以降、私はいったい何をしてきたのだろう。もちろん、大学の非常勤講師として教えたり、講演であちこち行ったり、文章を書いたりしてきたけれど(あ、宜野湾市の「男女平等、多様性尊重条例」案否決に対する抗議署名活動もやったけど…)、このブログに書いてる昔に様子に比べると…

でも、失われたような年月を嘆いてもしょうがない。また、これから、当時のようなエネルギーで何かをできるとは思えない。それに、今は、当時と違って、たくさんの優秀な活動家たちが活躍してる時代、私がわざわざ出る必要もないだろう

私は、私のやりたいことを、やれる熱量でやればいい…。それにもうじゅうぶんどころから、じゅうにぶんに(いや、それ以上に)社会に貢献したじゃないか。


そう思うのだけれど、「でも、やっぱり」とついつい昔の自分と比べてしまう。そんなふうに思いはぐるぐる回る。

そしてまた、制限したほうがいいアルコールをかっくらう。ふう。


# by hideki_sunagawa | 2023-02-15 23:00 | Old diary
2023年 02月 14日

映画「エゴイスト」〜物語の内外のこと〜

2月12日(日)16:00-、吉祥寺プラザで映画「エゴイスト」を観た。尊敬するKさんからお声かけいただき、ご一緒に(ありがたや)。吉祥寺プラザは、ふらっと入りやすい、地元の中規模な映画館という感じで、ちょっと懐かしい雰囲気だった。

(注意:以下、映画の話は具体的にストーリーは書いていないけれど、私の感想にある種のネタバレ感はあります)


▼定型の先の物語

「エゴイスト」は、「数々の名コラムを世に送り出してきた高山真の自伝的小説」(公式サイトより)とか。

公式サイトでのあらすじは次の通り
14 歳で⺟を失い、⽥舎町でゲイである⾃分を隠して鬱屈とした思春期を過ごした浩輔。今は東京の出版社でファッション誌の編集者として働き、仕事が終われば気の置けない友人たちと気ままな時間を過ごしている。そんな彼が出会ったのは、シングルマザーである⺟を⽀えながら暮らす、パーソナルトレーナーの龍太。
自分を守る鎧のようにハイブランドの服に身を包み、気ままながらもどこか虚勢を張って生きている浩輔と、最初は戸惑いながらも浩輔から差し伸べられた救いの手をとった、自分の美しさに無頓着で健気な龍太。惹かれ合った2人は、時に龍太の⺟も交えながら満ち⾜りた時間を重ねていく。亡き⺟への想いを抱えた浩輔にとって、⺟に寄り添う龍太をサポートし、愛し合う時間は幸せなものだった。しかし彼らの前に突然、思いもよらない運命が押し寄せる――。
観る前に、試写でみた何人かの感想を聞いたり、読んだり。どれも「ネタバレ」の内容ではなかったけれど、「思いもよらぬ運命」はなんとなく予想がついた。ゲイの物語の一つの定型(という表現で、もうネタバレかもしれない)。

それだと批判する人もいるよなぁ…、と思いながら観た。

そして、その展開はやはり予想通りだった。まさに定型…。しかし、物語はそこで終わらなかった。その先に至る物語。二人の恋の物語も愛おしかったけれど、クライマックスと思った「突然」のあとに続く生活にまた、違う情感を伴った人生の愛おしさがあった。

ゲイについて幸せな物語が観たいという人もいる。まったくその通り。でも、この映画には、悲しみ中にも「幸せ」が織り込まれている話だと思った。

細かいところで言えば、ゲイカルチャーネタに「ちょっとtoo muchじゃない?」という印象もあった。だが、よく考えてみれば、reflexive(自己省察的)かつ演出的にネタを楽しむ様子は、ゲイコミュニティの中ではリアルではある。

また、現実的な視点から、龍太と母親の生活に対して「いや、こういう風にすればよかったのでは…」と無粋なことを考えたりもしたが(それを、一緒に観たKさんと食事しながら話したら、「ファンタジーなんだから」と軽くたしなめられた)、その不器用さも含めた人物像だし、現実的にもそうした選択はできないもんだよな(実際にできなくて苦しんでいる人もたくさんいるし)と、今思い出しながら思った。

こうして、そんな職業病的な小うるさい見方を消化した(昇華した?)ところで、もう一回、没入して観ようかなとも思っている。それでも、自分と階層やら何やら違いすぎるがゆえの、浩輔の生活の異世界感が気になりそうだけど…(それこそファンタジーだからと思えばいい話)


▼物語の外のできごと

さて、この映画と関連した画期的なことについても記録しておいたほうがいいだろう。この映画が社会的に大きな話題となっているのは、内容だけが理由だけではない。

私が、この映画に最初に興味を持ったきかっけは、2022年9月17-18日に開催された「さっぽろレインボープライド」に、主演の鈴木亮平さんと、やはり同映画に出演すると同時にゲイとしてアドバイザーも務めたというドリアン・ロロブリジーダさんとトークをしたと知ったときだった(その様子についての記事:PRIDE JAPAN)。

ゲイを描いた映画は、何本もあるけれど、出演した人がこうしてプライドイベントに出るのは珍しい。そして、さらに鈴木亮平さんの数々のLGBTに関する発言が素晴らしく、SNSでも話題になってきた。




また、宮沢氷魚さんと松永大司監督の、外国特派員協会記者会見もすばらしい(2/16に追記)。


特に、ここ最近の、首相の同性婚に関する発言(→ 共同通信の記事)や、首相秘書官のLGBTQや同性婚に関する差別発言(→ 毎日新聞の記事)の流れの中で、差別の存在を問題化し、同性婚をはっきりと肯定する彼らの言葉は注目を浴びるようになった。

これまでゲイ役を演じた俳優で、これほど自分の立ち位置と、LGBTQをめぐる問題を理解して発言した人たちはいないだろう。これは、記録しておくべき画期的な出来事だ。

作品は作品で、出演した俳優のこうした発言と切り離すべきと考える向きもあるが、この映画に関しては、私はあえて重ねて記憶にとどめておきたい。





# by hideki_sunagawa | 2023-02-14 17:00 | LGBT/gender
2023年 02月 13日

ここでの再開は5年ぶり!

3年前からやっているツイキャス「すなひでラジオ」で、ときどき、昔(20年前とか10数年前とか!)ホームページに書いていた日記を読むことがある。

どの日記を読もうかと読み返していて、「そうそう、こんなことがあったの、忘れていた」とか、読んでも「あれ、こんなことあったっけ?」ということがあって、そこに詳細に書かれているイニシャルで登場する人のことを思い出せないということすら(しかも、こんなにかわいい子と出会ってハッピーみたいな話だったりするのに!)、やっぱり記録しておくことが大事だなぁ、と。

忘れ流していくのが人生、という考え方もあるのが、今の私は、残していきたいという思いが強い。昔は、そのときどきに自分の考えたこと、感じたことを世に伝えたいという動機で書いていたけれど、次第に、あとどれぐらい生きられるかわからないという思いが強くなっているし(若い頃からそういう思いがある人間ではあったのだけれど)、また、もとより忘れっぽいけれど、一層忘れることが多くなってもいるので。

と言いつつ、なんでもすぐに飽きるので、再開しても続くかわからないけれど。

日記的なものを再開するにあたって、公式サイトの中のブログに入れようとしたのだけれど(なので、今、公式サイトの「再録」というタイトルにしているところにも日記っぽいのが残っている)、うまく日記ページをつくれなかったのと、ちょっとは書き残したものがあるここを放棄するのも…ということで、ここで再開してみることにしました。

SNSが中心の時代、こうしたブログを読む人どれだけいるかなぁ。あ、プロフ画像のイラスト、十数年前に友人のあんどん丸さんが描いてくれたもので、年を重ねだいぶ変わったので買えなくちゃ(このイラストが似てると言われた時代もありました)。

日記的に記録しておくと、昨日(2月12日)、話題の映画「エゴイスト」を観ました。簡単な感想は、昨日ツイート↓

「エゴイスト」を観た。古い定型をなぞるのかと思いきや、その先に至る物語。浩輔の「僕は愛がなんなのかよくわからないです」という言葉への応答が胸に沁みた。もう恋人はつくらないと決めて長いけれど、その思いがほどけた。

小うるさい視点で見た面もあるのですが、基本、LGBTQ関係の作品は、「映画って本当にいいもんですねー」といつも言っていた淀川長治さん的スタンスで。でも、小うるさい視点も含めた詳細は後日あらためて(たぶん)。




# by hideki_sunagawa | 2023-02-13 18:00 | Diary
2017年 12月 21日

人生の価値とは?

なんと、ここに書くのは、ほぼ一年ぶり! 一年に一回更新(苦笑)。久しぶりにアクセスしてみたら、いろいろ仕様が変わっていてどぎまぎ。

さて、長らく更新していなかったのは、ちゃんとしたブログを新しくつくろうと思っていたからなのです。なので、もうここに記事をアップする予定はなかったのですが、結局新しいブログは作れないままで、そんな中、紹介したい動画を昨夜観たもので。それを紹介するために、久しぶりに書くことにしました。

PRICELESS STONESという話。自分の人生の価値をどう考えるかという話です。


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視聴数も多い動画なので、観たことのある人も多いかもしれないですし、日本語訳もすでにしている人もいるかもしれませんが。下に、自分なりの日本語訳も入れておきました。


ここのところずっと、僕は、「どうやって生きて行けばいいのだろう」と考える日々が続いている(まぁ、ずっとそんな人生といえば、そんな人生なのだけれど)。そんな僕にとって、とても響いた動画だったので。

英語ですが、字幕がついていることもあり(動画を作っているSean Buranahiranさんがタイの人らしくタイ語の字幕もあります)、わかりやすいかと思います。でも、英語が苦手な人は、日本語訳を参考にしてください。

話だけでなく、このロケーションと、Sean Buranahiranさんの声と英語の響きもなかなかいいなぁ、と思います。


視聴はこちらからどうぞ↓


▼日本語訳(by 砂川秀樹)

ある日、少年が父親に尋ねた。自分の人生の価値とは何か、と。父は、それに答えるかわりに少年に、「この石を市場に持って行きなさい。もし誰かが値段を尋ねたら、指を二本立て、何も言わないように」と言った。

少年は、市場へ行った。すると、女性が尋ねた。「この石はいくら? 庭に置きたくて」。少年は、何も言わずに指を二本立てた。すると、その女性は、「2ドル?  じゃあ、買いましょう」と。

少年は家に帰り、父親にその報告をした。「父さん、ある女性が、これを2ドルで買いたいと言っていたよ」。

すると父親は、「それを博物館に持って行ってくれないか。もしそこの人が買いたがったら、一言も言わずに、指を二本立てなさい」と。

少年が、博物館へ行くと、そこの男性がそれを買いたがった。そこで、少年が何も言わずに二本の指を立てると「200ドル?買いますよ」と行った。少年は、とても驚き、走って帰り、「父さん、男の人が、この石を200ドルで買いたいって」と父親に話した。

父親は、今度はこう言った。「最後にこの石を持って行って欲しい場所がある。宝石屋だ。オーナーに見せて何も言わずに、値段を尋ねられたら、ただ指を二本立てなさい」と。

少年はある宝石店に行き、オーナーにそれを見せた。すると彼はこう言った。「どこでこの石を手にいれたんですか! これは世界でもっとも希少な石の一つですよ。これは手に入れなければ。いくらで売りますか?」。少年は同じように二本の指を立てた。すると、男性は「200,000ドル。買います」と言った。

少年はなんと言ったらいいかわからず、走って家に帰り、「父さん、この石を200,000ドルで買いたいという男性がいたよ」と言った。すると父親は言った。

「さあ、自分の人生の価値がわかっただろう?自分がどこ出身か、どこで生まれたのか、どんな皮膚の色か、貧しい家に生まれたのか豊かな家に生まれたかなんて関係ない。自分がどこに身を置くと決めるか、どういう人たちに囲まれるか、どのように自分を持っていくかを選ぶかで決まるのだ。

お前は、自分を2ドルの石なんだと思いながら、一生を過ごしてしまったかもしれない。お前の価値がたった2ドルの価値しかないと思う人たちに囲まれて、一生を過ごしてしまったかもしれない。しかし、誰もが自分の中にダイヤモンドを持っている。そして、私たちは、私たちの価値を見つけ、私たちの中にあるダイヤモンドを見つける人たちに囲まれて生きることを選ぶことができる。

私たちは、自分を市場に置くことを選ぶこともできるし、宝石店に置くことも選ぶことができる。そしてまた、他の人の中にある価値を見つけることもできるし、他の人が自分の中にあるダイアモンドを見つけることを助けることもできる。どういう人たちに囲まれて生きるのか、賢く選びなさい。それがお前の人生を大きく変える。」

ーーー
皆さんを愛しています。お幸せに。私は、 Sean Buranahiran です。ありがとうございます。

あなたは、あなたに2ドルの価値しか見ない人たちに囲まれて暮らすこともできる、また、あなたを200,000ドルの価値を持って見る人に囲まれて暮らすこともできる。そして、ある人たちは、あなたをpriceless(計り知れない価値をもった)人であると見ることでしょう。



# by hideki_sunagawa | 2017-12-21 21:44 | Diary