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2011年 11月 21日

LGBTニュース紹介 11/21

▼サッカー選手、カムアウト

モントリオール・インパクトやバンクーバー・ホワイトキャップでプレーしてきたDavid Testo選手が、ゲイであることをカミングアウトした。

「ゲイで、プロのアスリートとしての生活を生きるのは、本当につらかった、信じられないくらいに」と語っている。また、「いつも秘密を持ち歩いているようで、そして、それは大きな荷物のようなもので。自分自身であることが許されていないような感じだった」と。

彼の両親やチームメートは前から知っていたが、2009年に、最優秀選手に選ばれたときに、スピーチでパートナーに感謝する言葉を言えなかったことで、気持ちが混乱し、カミングアウトを決意したという。

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edge on the Netの記事


▼香港プライドパレード開催

11月13日(日)に香港パレードが開催され、2000人が参加したと報告されている。

パレードのテーマは、「For queer, for love, for equality(クィアのために、愛のために、平等のために)」だったとのことで、パレードでは、LGBTへの差別を禁止する法律の制定を求めるという趣旨も掲げられていたようだ。

パレードの様子がYouTubeにアップされている…YouTube

Fridaeの記事


▼サンクトペテルブルグで…

土曜日にも書いたが、サンクトペテルブルクで、性的指向を公にするゲイやレズビアンなどに対して罰金を科す法律が仮決定(?)されたようだ。

具体的には、未成年者が見るかもしれない、プライドパレードや、LGBTに関して公に展示したり議論したりすること等を違法とする法律だ。

個人に対して 100ドル〜160ドル(約7700円〜12000円)、団体に対して約12万円の罰金が設定されている。

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The Moscow Timesの記事


▼マサチューセッツ州でトランスジェンダー権利保護法

マサチューセッツ州で、トランスジェンダーの人たちの権利を保護する法律が通りそうだ。
上院を95対58で通り、両院での投票を経て知事のサインを待つことになる。知事が支持を表明していることから通る見込みが高いと見られている。

edge on the Netの記事
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# by hideki_sunagawa | 2011-11-21 06:18 | LGBT/gender
2011年 11月 20日

うないフェスティバル開始

さてさて、本日(20日)は、12時40分〜、さいおんスクエア前広場で「うないフェスティバル」の開会式があります。お近くの方は、ぜひのぞいてみてくださーい。

レインボーアライアンス沖縄と、「くま絵師・悠」は、モノレール牧志駅そばのサイオンスクエアの3Fにある、ほしぞら公民館のエスカレーターまわりの展示スペースに展示をしてあります。まぁ、展示はちょとだけだけど、もしもお近くにお寄りの方は、足を運んでいただけましたら。

26日午後3時まで開催です。閲覧時間は、午前9時半〜午後八時まで(但し、最終日は午後3時終了)。23日は休みです。
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# by hideki_sunagawa | 2011-11-20 06:43 | Diary
2011年 11月 19日

日本全体がDADT

DADT(Don't Ask, Don't Tell=聞かない、言わない)というのは、クリントン政権下で1993年に成立して以来、今年まで、米軍の中での同性愛に対する扱いの基本とされてきたポリシーだ。それは、当初、同性愛者の権利を認める方向でいたクリントン政権が、保守派との妥協として生み出したものだ(同性愛を認めない、ではなく、聞かない言わないならオッケーと)。

しかし結局、同性愛者であるということを明らかにする(あるいは、明らかになる)と軍から追放されるというポリシーとしても機能したようだ。

さて、一昨日、ゲイの漫画家として世界的にも有名な田亀源五郎さんが、日本の同性愛者をめぐる状況をこのDADTに例えて説明されていた。納得!その話が出た流れにも色々と大切なことを書かれてたので、その一連のツイートをここで紹介。

ーーー田亀さんのツイートーーー

The Moscow Times:ロシア、サンクトペテルブルグの立法機関が、LGBTがセクシュアリティをオープンにすることに罰金を科す法案を仮受理…という、ちょっと信じられないようなニュース (´・ω・`)  ニュースのリンク

サンクトペテルブルグの法案の件、ざっと読んだだけだけど、最初の審議は既に賛成37、反対1、棄権1で通過、正式可決まではあと2回の審議が必要だが、まだその日程は公表されず、可決すればプライドパレード等の公的な場での行動や提言が違法となる…ってな感じみたいですね (´・ω・`)

法案作成者の言だという「性的逸脱者の増加が子どもたちに悪影響を与える」というロジックに激しく既視感。性的少数者の存在や行為そのものを禁じるのではなく、そういった性的指向をプロモートすることを禁じる法案なので、仮に日本でも同様の提案があれば、あんがい通りかねない気もする…

正直なところ日本では、性的少数者がオープンな存在になる(可視化する)意味とか、そういった諸事が人権に関わる問題なのだという意識が、当事者を含めて希薄な気がするし(私見ですけどね)、don't ask, don't tellポリシーを是とする層も多いような気がするので。

つまりどういうことかというと、「パレード禁止になるよ」と言われても「別にどうでもいいよ、そんなこと」ってゲイも多いだろうし、ゲイ差別には反対の人でも、学校教育でLGBTについて教えるとか公立図書館にそういう書籍を入れるのにはネガティブだという人も多いんじゃないか、ってことです。

則ちこういった法案は「個人の自由だから、見えない所でなら自己責任で何をしてもいいよ、でも人前や公の場ではやめてくれ(もしくは『そういったことは公にすべきものではない』)」といった考えの層には、見事に合致してしまうわけですよ。イヤな意味で、上手い手口だ (´・ω・`)

ーーーーーー

最近、やはりあるゲイの漫画家さんとも、日本の中でも同性愛を弾圧していく流れができるのではないかと話していて(彼は、ナチスが台頭してく直前のドイツの状況を詳細に調べて、そういう実感を持っている)、その話とも合致する田亀さんのツイートだった。

そう、最近何度か書いているように、社会は、人々が生きやすいよう方向にだけ変化していくわけではない。一旦、自由や平等を価値とした(それが必ずしも実現していなくても価値として認めることが重要だ)社会が、それらを放棄していくことは珍しくないということを歴史が示している。

それに抗することができるのか、これまた、色々な歴史をひもとく必要があるかもしれない。
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# by hideki_sunagawa | 2011-11-19 06:16 | LGBT/gender
2011年 11月 18日

沖縄タイムスで紹介いただきました

連日、うないフェスティバルがらみの話となるけれど、一昨日、沖縄タイムスで紹介いただいたので、その記事をアップしておきます。同フェスティバルの参加団体を紹介する連載記事で取り上げてくれました。

昨日は、25日のトークにお招きする高里鈴代さん(元那覇市議会議員)と事前打ち合わせ。打ち合わせと言っても、彼女のこれまでについて改めてうかがうという形で。素朴な言葉になってしまうけれど、やっぱりすごい人だ…。最初のイベントに彼女を招くことができるのは、とても光栄なこと。

彼女のライフヒストリーはぜひまとめられるべきだと思う…って、誰かがやることを期待せずに、自分でやるべきだろうか…。

トークセッションも充実した内容になると思うので、来られそうな人にはぜひ来て欲しいなー。

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# by hideki_sunagawa | 2011-11-18 06:00 | LGBT/gender
2011年 11月 17日

イベントのお知らせ

いよいよ今度の日曜日から、「うないフェスティバル」が始まり、来週の金曜日には上映会&トークセッションの開催となる。

改めて宣伝を。今年のフェスティバル、展示とワークショップがあるのだが、レインボーアライアンス沖縄と、僕の相方の悠は、展示の参加。どちらも、牧志駅近くのほしぞら公民館でやってます。展示の案内は以下の通り。

ーーー
うないミュージアム@牧志ほしぞら公民館会場
期間:11月20日(日)14:00開始~11月26日(土)15時まで、(期間中は、9:30~20:00まで(但し、最終日は15:00終了)

展示団体;NPO法人エイブルサポートつばさ(事務局)・住基ネットに反対する市民ネットワーク沖縄(反住基ネット沖縄)・オキナワ・ドリーム・ヘルス・くま絵師 悠・レインボーアライアンス沖縄・オキナワ原爆展を成功させる会
那覇市母子保健推進員協議会・基地・軍隊を許さない行動する女たちの会・The Hemp Island麻妃・医療法人天仁会天久ヒルトップ


うないミュージアム@なは女性センター会場
期間:11月21日(月)9:30開始~11月26日(土)17:00まで(期間中は、9時半~18:00まで観覧可能、但し最終日は17時終了)

展示団体:オキスタ107(事務局)・比嘉座(パフォーマンスのみ)・金城芳子基金貝碧月夜(シェルリアン・ムーン・ナイト)・グループ・リソース・表現フォーラム・ふるさとプロジェクト・星槎国際高校沖縄学習センター・21世紀同人会・ワッタールーチュー(Wattaa Loochoo)・カマドゥー小たちの集い・知念ウシカフーワークス(ワークショップのみ)・沖縄県骨髄バンクを支援する会、
ーーー

ワークショップも含め、詳細は、こちらに掲示されているチラシをご覧ください。


そして、レインボーアライアンス沖縄のオリジナル企画、「ハーヴェイミルク」上映会&トークセッション「社会を変えるために」(高里鈴代さん&砂川秀樹)の内容は、こちらのチラシをご覧ください。皆様のご来場をお待ちしております。どうぞよろしくお願いします!

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# by hideki_sunagawa | 2011-11-17 06:04 | notice
2011年 11月 16日

「ゴーヤー」が「正しいウチナーグチ」か?

▼「ゴーヤあらん」?

この前、テレビを観ていたら、沖縄県内でしか流れてないCMのような番組で、「ゴーヤあらん。ゴーヤーくとぅ、棒線つきてぃぬばすんかいうちなーぐちどー」みたいなことを言っている人がいた。

ま、この引用は、記憶を頼りにかなり適当に書いたので間違っているかと思うが(「うちなーぐち」としても)、つまり「(にがうりを)ゴーヤ、ではなく、ゴーヤーと、伸ばして発音するのがうちなーぐちです」ということを言っていたのだ。

最近、沖縄では、「うちなーぐち復興」の気運が高まっていて、色々と考えるところがあるのだが、とりあえず一つ言うならば、このように細かい発音を取り上げて、正しいとか正しくないとか主張されることには、強い抵抗感を感じる。


▼県内言語のバリエーション

「うちなーぐち」を、現在、沖縄県としてくくられている地域の言語として解釈するならば、その中に大きな差異がある言語がたくさんあることは言うまでもない。八重山、宮古と本島の言語がまったく通じないことは有名だ。また、本島内でも北部と南部とでは異なる。さらに、それぞれ、基本的には同じ言語の範囲でも、語彙や発音等の細かいバリエーションをあげると切りがない。

ちなみに、この「ゴーヤー」に関してだが、八重山毎日新聞のコラムにこう書かれてある。

ーーー
「『ゴーヤー』(ニガウリ)は、石垣島の方言では『ゴーヤ』と言う」と石老連が訴えた。定例の品評会の名称で「ゴーヤーと伸ばさないで」と注文をつける。本島方言が、「島言葉」として伝えられていくことに危機感を示したものだ。確かに、若い世代はサトウキビを「ウージ」と呼び、八重山方言の「スッツア」という人は少数になっている。(後略)
ーーー

まぁ、最初に引用した説明をした人は、「ここで言う『うちなーぐち』とは、本島の言葉のことです」という立場なのかもしれないが、それでも、「この発音が正しいのです!」みたいに言われるとなぁ…と僕は感じる。

先日、この話を友人としたときに、友人も「個々の場面で、その発音に出会ったときに、『いや、(自分たちは)ゴーヤーっていう言い方をするんだよー』という程度のコメントをするならいいけど」と言っていたけど、僕も同じように思う。また、「ゴーヤって言ってもいいんじゃない?」とも。


▼「正しい」/「正しくない」

だいたい、「正しい発音」という話になったら、「共通語」の語彙で、沖縄で広く使われている発音やイントネーションが「正しくない」ものもあるだろうよ…。言葉ってそういうものだ。様々な発音、イントネーション、使用方法等が混じり合っているもので、そのバリエーションが言語を活き活きとさせているのではないだろうか?

まぁ、それでも、「共通語」のような基準を、うちなーぐちにもつくるというのもありなのかもしれないが、今のところ、とりあえずそんな基準はないわけで…僕としては、そういうものは作って欲しくないが、遠くないうちに、うちなーぐちの共通語(というよりこの場合まさしく標準語)を作ろうということを主張する人が出て来るだろう。

そうやって、日本語の共通語の完成によって、地方の差異、あるいは個人の差異が「正しくない日本語」に位置づけられていったように、うちなーぐちもバリエーションを「正しくないうちなーぐち」としていくのだろうか。
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# by hideki_sunagawa | 2011-11-16 06:17 | Okinawa
2011年 11月 15日

「勝利者史観」

体調は昨晩より良くなったものの、なんだか少し低空飛行気味…なんだろうなー。やっぱり風邪かな。

さて、本題。12日の日記として書いた、「社会は『進化』しない」という話。昨日読んだ文章にそれと似たような話が書いてあった。あまりにもタイムリーでびっくり。それは次のような文章。

ーーー
さまざまな実証研究において、歴史には一定の方向で進化するような根拠はどこにもなく、また変化があっても、歴史は具体的な何かを成就するかのように—これを目的論という—必然を生むわけではないことを明らかにしている。つまり勝利者史観*は、現代のトンデモ学説のひとつである。(中略)

歴史とは多くの先達の新しい着眼点による発見の集積と、それらを受け入れた社会の複雑な組み合わせの関係の可能なあり方(可能態)の一つに過ぎないことを断っておこう。

[*引用者注:この前の文章で、筆者は、勝利者史観について、「偽りのものはいつか歴史の舞台から退場し、正しい真理は最後まで生き残るはずだ」と考え「最後に残ったものが正しい」(=絶対的価値をもつ)と判断する史観として説明している。]

池田光穂2007「医療人類学の可能性」in 池田光穂・奥野克巳共編『医療人類学のレッスン』
ーーー

これは、西洋近代医学を優越した絶対的なものとして見る見方への懐疑として書かれているものなので、だいぶ違う文脈ではあるが、先に自分が書いたことの前半部分と通じる話だと思う。自分が考えていることと似たような話が全く違う話の中で出て来るのは面白い。

にしても…(話は変わるが)…やはり、医療人類学も面白い。実は、一時期、医療人類学系の研究会にもちょっと顔を出していたこともあるんだよなー。自分がかかわってきたHIVのことも、ちゃんと医療人類学的な議論の中に位置づけたいとずっと思ってるけど、思っているまま。

やりたいこと、やれることを見極めて、やるための計画をちゃんと立てなくちゃな。でも、その前にとりあえず、体調を回復させよう…
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# by hideki_sunagawa | 2011-11-15 05:46 | Diary
2011年 11月 14日

LGBTニュース紹介 11/14

毎週月曜日掲載(予定)のLGBTニュース紹介…

のはずが、急激に体調が悪化…(たぶん風邪)。それでもがんばって二つのニュース紹介の原稿を書いたが、間違って消してしまった…ああ。というわけで、その二つを簡単にだけ紹介。

ーーーーー

▼マレーシアで…

一つは、マレーシアの二つの州で、同性愛に対してより厳しい法律を制定しようという動きについて。国の罰則(鞭打ちと禁錮20年を科すことができる)に加え、その州独自に罰則を与えられるという法律の提出が計画されているようだ。これらは、イスラムの勢力によるもの。

先週、マレーシアでゲイアートフェスティバルが中止に追い込まれた話を書いたが、現在、インドネシアやマレーシアで、イスラム教原理主義の動きが強くなっており、これまで現実的には黙認されてきた性的マイノリティの活動が妨害されたりするようになっている。

この動きを報じるPink Newsの記事(英語)


▼韓国で…

一方、韓国では、ゲイタウンとして有名な仁寺洞で、ゲイをターゲットとしたものと思われる暴力事件が頻発しているという。

最近5件連続して起きているという。いずれも犯人は複数の男性。激しい暴力を受けたという男性は、「外でパートナーと恋人らしく振舞っていたせいだと思う」と語っている。一件警察に届けられ、監視カメラの映像が分析されているようだ。

最近、この地区ではいやがらせや暴力がしばしば起きているが、被害者は同性愛者と知られたくないがゆえに、ほとんど警察に届け出ないという。


この事件を報じるasiancorrespondent.com
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# by hideki_sunagawa | 2011-11-14 06:15 | LGBT/gender
2011年 11月 13日

講演を終えて…

昨日は、日本病院ライブラリー協会の研修会で講演をさせてもらった。タイトルは、「性にかかわる問題と医療 ~HIVとLGBT~」。病院ライブラリーというのは、主に病院スタッフ向けに病院内に開設されている図書室で、この研修会には、その司書さんなどが参加している。

これまで講演したこと事が無い職業の人たちだったので、どういう内容で話をしようか…とだいぶ悩んだ。そして、次のような話を。

ーーーーー
病院は、病気をきっかけに患者の人生が現れる場所。そして、それがゆえに、マイノリティが抑圧されやすい。LGBTで言うならば、同性パートナーが家族として扱われないこととか、性同一性障害だけれど性別変更していない人の性別の扱いとか…。HIVも、治療は進歩しているが、対応が昔と(自分が活動を始めた21年前と)変わらない酷い対応をする医師もいる。

という話から、セクシュアリティの基本的な話と、セクシュアリティの持つ社会性について一通り説明。

そして、病院が人生が現れる場であると言ったが、人生を理解するためには、人文、社会科学的な知が必要だ。その知を提供できる可能性が病院ライブラリーにはあるのではないか、と。

また、医師と患者は時に異文化みたいなもの。患者にとっての悩みや苦しみは、病気そのものによる痛みとかだけではない。生活のこと、先々の不安など…。医療従事者は、患者とは違う枠組みで病気を見たりする。その異文化の間の翻訳的役割をライブラリーが担えると理想的…。
ーーーーー

整理して短く書くといい話をしたような気もするのだが、どうもうまく話すことができなかった。この場(病院ライブラリーの研修会)でこういう話をされても…と思われているのではないか(実際そんな雰囲気があった気がする)、と途中で思い始めてしまったことが一番の原因だった。

セクシュアリティやジェンダーに少しでも関係する講演をする場合、こういう機会だからセクシュアリティの基本的な知識を伝えたいと思い、その話を丹念にしてしまうのだが、講演によっては不自然になってしまう(けれど、前提となる知識が間違っていることが少なくないし…)。

時には、基本的な知識をあまり詳しく話さずすませたほうがいいのかもしれないな、と改めて思った。そして、先の医療スタッフと患者の間のギャップなどについては、医療人類学でも研究の蓄積があるのだから、改めて勉強しようとも。


それにしても…この病院ライブラリー協会、ほとんどが女性で、会長も顧問も女性なのだけれど、全体的に和気あいあいとしていて、活き活きとしているのがとても印象的だった!そして、僕もとても心地よかった。

男性が多い集まりでは、社会的なポジションからしかコミュニケーションをとらない感じの人とか、微妙なヘゲモニー争いみたいなものをかいま見せる人が多くて(もちろん、女性にもそういう人はいるのだが、男性の方が圧倒的に意識せずにそういう雰囲気を醸し出す人が多い気がする)、僕は、辟易としてしまう。

僕自身の講演に関しては、考えるところがいっぱいあったが、これまで出会うことのなかった業種の人たちと知り合えて、とてもいい経験となった。呼んでくださった日本病院ライブラリーの皆さん、企画運営をされた沖縄メディカルライブラリー研究会の方々、そして、僕を紹介してくれた友人に改めて感謝。
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# by hideki_sunagawa | 2011-11-13 05:25 | Diary
2011年 11月 12日

社会は「進化」しない

あえて誤解を招くタイトルを。このタイトルには二つの意味が込められている。

一つは、もしも仮に、社会の「進化」というのが、一人一人にとって生きやすい社会になることを言うならば(これはかなり勝手な定義づけだけど)、社会の変化は、「進化」の一方向に向かうわけではない。つまり、<必ずしも>「進化」するわけではない、という意味。

そして、社会は<勝手に>「進化」(あるいは変化)するわけでもない、という意味。もちろん、個々人のわかりやすいコントロールの元にもないし、行動がすぐに反映されるわけでもないけれど、人々の動きが社会を変えて行くことは確かだ(けれど、人々は社会によっても形づくられるので、この関係をどう考えるかは難しい…社会科学でも立場によっても解釈は違う)。


そんなことを改めて書こうと思ったのは、ある友人から、20世紀初頭のドイツの性的マイノリティのことを調べているという話を聞いたことから。彼は、その頃の性的マイノリティの権利主張や顕在化の資料を集めているという。そう、知っている人は知っている話なのだが、ナチスドイツの流れの前に、セクソロジー(性科学)が盛んになり、その流れで、性的マイノリティの権利主張もなされるようになっていた。

彼の話から、後々ナチスドイツが同性愛者を強制収容所送りにする理由となった刑法175条に対抗する映画が1919年につくられていたことを初めて知った。

ちなみに、同じ時代に、ニューヨークでもゲイカルチャーが華々しかったことがChauncyのGay New Yorkという本に書かれている。

しかし、20世紀の後半になるまで、ずっと性的マイノリティは抑圧され続けてきたというイメージがある。それほど、その頃の様子が忘れられているからだ。


このことを考えるならば、冒頭で僕が言ったことの意味が分かるだろう。たとえば、今の日本のゲイで言うならば、ゲイバーやゲイサークルなどもあり、ネットで知り合うこともでき、自己肯定できて、そういうものにアクセスできるなら、楽しい生活を送ることができるだろう(もちろん、地域差はあるし、その他の性的マイノリティは、またそれぞれに違う状況にあるけど)。

しかし、そんな生活も認められない社会が来る可能性もある、わけだ。ナチスドイツ下では、同性愛者は、ユダヤ人と同じように強制収容所に送られた。米国では、1950年代に起こった「赤狩り」の中で、同性愛者がに公職から対用される嵐が起きたこともある。


今ある社会のあり方は、常に様々な力のせめぎ合いの中で成立しているのであって、じっとしているわけではない。ちょっとしたバランスの変化で、ある方向に流れて行く。「まだ大丈夫」と思っているうちに、どうしようもなくなっていく…最近その流れを感じている。できることはとても少ないかれど、私は私のいる場でその流れに抗して行かねば。
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# by hideki_sunagawa | 2011-11-12 05:43 | Diary
2011年 11月 11日

いろんなかたち

今日、島カボチャというものを食べてみた。煮物の味付けをうまくできる自信がなかったので、簡単に、フライパンで焼きつけた後に蒸す感じで。あまり期待せずに口に運んでみたら、その甘さにびっくり! 何も調味料をつけずにそのまま美味しく食べられた。

a0137527_18362358.jpg実は、このカボチャ、しばらく前に、よく行っているスーパーで見かけて、その色や形が様々であることに驚きつつ購入したもの。

まるで、たまに花屋でみかける飾り用のカボチャのよう…

このように、いろいろなかたちがある様子の楽しいこと! なんだか見ているだけでわくわくしてくる。やっぱり、多様なのはいいなー、と思った。同じ色や形のものが並んでいるもののすっきり感というのもわかるけど、僕はやっぱりこっちに魅力を感じるなぁ、と思った。

本土で秋になり見られる色づく山の美しさも、様々な樹々のそれぞれ微妙に異なる紅葉の色合いがもたらしているものだと思う。多様である、ということは美しさも作り出す。


そんなことを考えながら、島カボチャをパクパク…ちょっと食べ過ぎたかな…。
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# by hideki_sunagawa | 2011-11-11 05:55 | Diary
2011年 11月 10日

いろんなひとたちとの出会い

昨日は、いろんな人と会った濃密な一日だった。

豪雨の中、首里にある「vegi cafe SHANTI」へ。そこで、以前、講演した先で知り合った大学生の卒論の相談相手に。LGBTをテーマにしているということなので。

SHANTIは、こじんまりとた落ち着ける素敵な空間。今月25日に開催する上映会&トークセッションのチラシも置かせてもらいました。


その後、「NPO法人 まちなか研究所わくわく」へ、ここの理事長を務めている小阪亘さんに会いに。彼は、まだ30代前半(たぶん)だけれど、「公益財団法人みらいファンド沖縄」の代表理事もされている方。

2008年に東京でのNPOの集まりでお会いして名刺交換したことがあり、何度かメールのやりとりをしたことがあるというだけで、ずうずうしくもお会いして、やはりイベントの宣伝をさせていただいたのだった。

もともと「まちづくり」にも興味を持っていたので、いろいろお話できて楽しかった。


その後、nankrという地元のHIV関連団体での用事をすませ、夜は、「Bar土/Gallery土」というスペースでおこなわれていた「チーズパーティー」へ。色々なチーズが少しずつ盛り合わせになったプレート(1500円)をいただきつつ、ワインを少し。

とてもおいしかった。最近は、ほとんど外で飲食しないのだけれど、たまにはこういう贅沢もいいものだ。

この店でも、当然イベントの宣伝をし、チラシを置かせてもらった。「ゲイなんですか?」と聞かれたので、「そうですよー」と答えたら、ゲイ関連の話に。彼は、堂山や桜坂でも店をやられていたことがあるらしく、ゲイとの接点も多かったようだ。

だんだんと、沖縄でも色んな人と出会い、そうやって根付いていくんだなぁ…。今は、比較的エネルギーがあるのので、今のうちに色んな人と会って話をしてみよう。イベントは、そういう意味でもいい機会だな。
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# by hideki_sunagawa | 2011-11-10 05:47 | Diary
2011年 11月 09日

伝える、伝わる

昨日、今後沖縄で開催される、ゲイ/バイセクシュアル向けHIVおよびSTI(性感染症)検査に向けて、その作業にかかわる検査技師さんたちに、セクシュアリティの話をした。

最初に『カミングアウト・レターズ』の一部を抜粋して読んで説明を加え、その上で、セクシュアリティの多様性に関する基本的な話を。最近、知識的な話よりも、『カミングアウト・レターズ』に現れているような情緒的な話から入ったほうが伝わりやすいなぁ…と感じている。

去年、辛淑玉さんにインタビューをしたときも、怒りは伝わりにくいが悲しみは伝わりやすい、という話をされていた。


よく、差別にからむ問題の中で、「知識が大事」と言われる。確かに、そういう面もあるし、問題によっては知識で解決されることもたくさんある。けれど、実は、感情的な共感をどう持てるか持てないかによって、知識が入るか入らないかの差が生じることも多い。

しかし、それが、悲しい、かわいそうなマイノリティ像を強固にしてしまう結果に終わると、またそれは問題を別の形に変形したに過ぎなくなってしまう。その隘路をどう縫って伝えて行くか、を模索せねばと思う。


で、そのような入りだったから、というわけではないのだが、今日は、とてもいい反応をもらい、話した甲斐があるなぁ…という感じだった。

終わった後に、僕よりも年上の男性が、「世間では異常と見られがちだけれど、『自然』ということですよね」と言ってくれた。往々にして、セクシュアリティやジェンダーの話の中では、「自然」という言葉は問題化されるけれど、そのトーンには、自分の話が受け入れられたという印象を受けて、とてもほっとした。

また、別の、やはりその会で一番年齢が上の(と自称していた)女性は、「何かがパカっと外れた。自分の子どもがそうだったら、どうだろうと考えた」と語ってくれた。その言葉にも励まされるような思いがした。

もちろん、黙っていた人の中には、「うーん、どうもなぁ…」という人もいたかもしれない(僕の経験では、沖縄の人には、賛成しないときには黙る人が多いという印象がある)。けれど、その二人の言葉を聞けただけで力づけられたし、その後の別のやりとりでも、僕のメッセージを受け取ってくれた人が多かったのではないか、という感じだった。


自分をさらけ出してぶつかれば、受けとめてくれる人は少なからずいる。それは、これまで様々なところで話をしてきて実感していることだ。もちろん、批判する人、嫌がる人、陰口を言う人、いろんなネガティブな反応をしている人もいるだろうが。

けれど、自分にとって重要なことを伝えないまま、そういう後者の人たちとつきあってもしょうがないな、と思う。いつ終わるかわからない人生、なるべく、楽しい付き合いを増やして行きたいな、と改めて思った日だった。
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# by hideki_sunagawa | 2011-11-09 06:12 | LGBT/gender
2011年 11月 08日

がんすけのこと

日曜日にも触れたが、昨日は、僕の東京での生活を支えてくれた親友、がんすけ(春日亮二)の命日だった。

彼は、インターネットが普及する前のパソコン通信の時代に、ゲイ向けパソコン通信を始め、その後も、今で言うSNS(ソーシャルネットワークサービス)が普及する前に、その仕組みをつくった天才的なエンジニアだった。

二十歳で起業し、ゲイビジネスを成功させた優れた企業家でもあったし、2000年前後頃から作詞作曲を始め、ゲイミュージックシーンを立ち上げた一人だった。僕が2000年にパレードを始めたときに、支えになってくれ、その後、僕がバーンアウトして投げ出そうとしていたパレードを引き継ぐ人を見つけるために奔走しもした。彼がいなければ、2000年の後、当分パレードは開催されなかっただろう。

彼は、極めて強い個性と激しい気質を持っていたため、多くの仲間と多くの敵のいる人だった。僕も、彼の行動に「それはどうだろう?」と思うこともしばしばあったし、大喧嘩もした。でも、なぜか、僕の価値観に全く合わない面を持っていても、親友であるという気持ちはゆるがなかった。おそらく、彼は、僕の知らないダークな面も持っていたと思う。でも、たぶん、どんな話を聞いても、僕の彼への思いは変わらない。


最初に会ったのは1994年か95年だったと思う。そのときの、彼の鋭い眼光が脳裏に焼き付いている。その頃は、彼は、まだゲイアクティビズムにかかわっておらず、シビアなビジネス観を持った若き「起業家」だった。自分の利益を求めずに動く僕を、「自分と正反対」で、だから惹かれると、彼から聞いたことがあったが、彼もビジネスを通して、ゲイの社会的地位を上げようという志を持っている人だった。

僕と彼は最初の数年間は、そんなに親密な関係だったわけではない。けれど、最初に会ったときから、僕は、「自分が本当につらくて、苦しくてしょうがないとき、彼に相談してみよう」と思っていた。そして、だんだんと、彼がいる間は大丈夫…と思えるような、そんな大きな支えになっていた。


亡くなるまでの数年間、彼は鬱病で苦しんでいた。その間、僕は、彼を十分にサポートできなかった。そんな自分なのに、彼の親友だったことを自称するのはおこがましいかもしれない…。でも、そんな僕でも親友と思ってくれていたと、僕は確信している。

彼自身が調子を悪くて入院していたときに、「僕に何かあったときの一番の連絡先として、がんすけの名前を書いてあるからね!(だから、回復してね!)」と言ったときに、しばらく考えつつ、「そうだよね…」といつになく神妙な顔をして答えてくれた彼だった。

彼がもう少し元気だった頃、お互い、先に亡くなった方の棺を担ぐ先頭に立とう、という話をしたことがある。彼が亡くなったとき、様々な事情からその約束が果たせなかったことが今も悔しい。

たぶん、過去にも書いたことのある話だし、また書く話…。でも、僕は、彼のことをこうして抱き続けていくだろう。
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# by hideki_sunagawa | 2011-11-08 06:13 | Diary
2011年 11月 07日

LGBTニュース紹介 11/07

毎週月曜日掲載(予定)のLGBTニュース紹介。

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▼マレーシアでゲイアートフェスティバル中止に追い込まれる

マレーシアの首都クアラルンプールで2008年から開催されてきた「The Sexual Independence festival」が、警察の命令により、中止に追い込まれた。このイベントの認知が広がる中で、政治家や宗教指導者からの批判が強まっていたことが背景にあるようだ。

この5日間の日程のフェスティバルでは、ドラァグクィーンによるパフォーマンスなども企画されていたようだ。このフェスティバルのオーガナイザーは、「今こそ、全ての憎悪そして無理解、迫害を止めなければ」と訴えている。

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↑Pink Newsの記事
☆オーガナイザーのインタビュー


▼スコットランドでオープンリーレズビアンの党首誕生

スコットランド保守党の党首に、レズビアンであることをオープンにしているRuth Davidsonさんが、党首に選出された。イギリスの大政党の党首に同性愛者であることを明らかにしている政治家が選出されるのは初めて。

Davidsonさんは、今年、スコットランド議会の議員に選ばれたばかりだが、同国会で三番目に大きな党を率いることになった。スコットランドは、サッチャー政権時代に保守党への不信感が根深くなっているが、彼女は、自分がスコットランドの有権者にアピールできる唯一の保守党候補者と主張していた。

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↑Pink Newsの記事


▼「同性愛は治せる」と主張してきた団体の設立者、ウソを告白

「同性愛は治せる」と主張する団体の設立者の一人で、自らも「ex-gay(元ゲイ)」を自称していたリオデジャネイロに住むSergio Viula氏が、インタビューに答えて、「誰もゲイであることをやめることはできない、そのグループ内ですら関係があった」と告白し、波紋を広げている。

彼が設立したグループは、the Healthy Sexuality (MOSES)という、キリスト教の福音派のグループで、「同性愛をやめる」ことを手伝っていた。自身も、結婚し、二人の子どもをもうけている。

インタビューに答え、教会に行くようになる中で、元ゲイと名乗り、その団体を設立する流れになったことを語り、自分自身を偽っていたと認めている。

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↑インタビューが掲載されている「the FLYING TEAPOT PROJECT」のサイト

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もちろん、日本のゲイ関係としては、ハッテン場に警察が入り、公然わいせつで客三人が逮捕され(すぐに解放)、公然わいせつほう助で店の経営者が逮捕されるという出来事が、大きなニュースとなったが、このブログでは、そのことについて三日にわたって文章を書いたので、ニュースからは外しました。

一つ加えておくと…警察が入ったハッテン場は、ドラッグや暴力団との関係が指摘されていて、それが最大の理由だろうと言われている。しかし、こうした動きは、動いた側(警察)の思惑とは違う方向で、「一般市民」の意識を動かしてしまうことが往々にしてあることがこわい。

長い目でみると、こういう「被害者がいない犯罪」と言われる、しかし、一部の人が「道徳的退廃」とみるものが事件化され、逮捕とその報道が積み重ねられることが、人々の社会統制への欲望をつくりあげてしまう。

また、その欲望と、「強い政治的リーダー」を求める欲望が合致した先にファシズムが待っていることは言うまでもない。
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# by hideki_sunagawa | 2011-11-07 05:54 | LGBT/gender
2011年 11月 06日

親友の命日を前に

明日は、2007年に亡くなってしまった無二の親友、がんすけの命日だ。彼のパートナーも、今年この世を去ってしまった…。

別の記録を探していて、偶然、がんすけが亡くなった直後の自分が書いた日記を見つけた。この日記に書いている通り、がんすけの逝去は、僕が沖縄に帰る決意を深めた出来事だった。


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2007.11.26 Mon.の日記

土曜日に、がんすけの「お別れ会」が二丁目で開かれた。たくさんの人が来て賑やかだった。 その後、日記をアップしなかったのは、打ちひしがれていたからではなかった。ただ忙しかった…(というか、今もだけど)。

講演の準備、今日あった博論ライティングアップセミナーでの発表、今週の金曜日にあるエイズ学会での発表、1日には14000字の講演原稿の〆切りが待っている。もちろん、授業の準備もしなくちゃいけないし、かかわっているHIV関係の研究もだいぶ遅れてしまっている。こちらも進めなければ…。だから、打ちひしがれている余裕がなかった(ない)。

しばらくは夜毎に泣いていたけれど、それでも懸命に自分をコントロールして、やるべきことができなくなってしまわないように努力してきた。でも、無二の親友が亡くなったのに、しばらく呆然としていられない生活って一体何なんだろう?

がんすけが大変な思いをしているとき、もっと彼に会いにいかなくちゃと思いつつ、忙しいことを理由にして、十分にそうすることができなかった。そうやって友達をケアする余裕もない生き方って?

僕は金銭的に余裕のある状態になって、沖縄で大きめの家に住んで、東京で疲れた友人たちを迎え入れられる場所となれたら、と思ってきた。でも結局、最も休ませてあげたかったがんすけにその機会を与えることもできなかった。

そんな叶うどうかわからないことを夢想する前に、すぐにできることをしてあげるべきだった…。でも、そんな風に、何かあった場合に後悔することも実はわかっていた。わかっていながらも、余裕の無い中で、自分の抱えていることを優先しなければいけなかった。

沖縄に住んでいたら少しは違ったかな、と思う。沖縄にいるときと東京にいるときとでは、外に出てどこかに行くという行動をとる時にかかる負荷が全然違う。また、沖縄では、友達に会うときのフットワークが軽い。東京では、なかなかそうはいかない。

そんなこともあって、やっぱり沖縄へ…という思いがますます強くなっている。沖縄に帰ったら帰ったで、大変なことがたくさんあるのはわかっているけど。でも、大切な、人と会うということをもう少し大事にできるような気がする。あまりにも今の生活はその余裕がなさすぎる。
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# by hideki_sunagawa | 2011-11-06 06:05 | Diary
2011年 11月 05日

過去と今と

▼人は過去を見るもの?

自分よりもかなり年下(高校生〜大学生くらい)の相手だと、ついつい「人生の先輩」的なアドバイスをしがちなのだが、いつも、「その言葉は自分自身の反省でもあり、自戒の念が込められいるものだな」と実感している。

先日、ある高校生(現在留学中)とのメッセージのやりとりの中で、過去のことにばかり目がいってしまうと、今、目の前にある大事なものを見逃してしまうこともある、という話を書いた。実は僕自身が、「思い出」をとても大事にしたいタイプだし、いまだに、今や遥か遠い時代になってしまった高校時代を思い返して「あの時は良かった」と思いがち…。、

もしかしたら、それは、たいていの人が多かれ少なかれ持っている感情なのかもしれない。昔読んだ本で、「人は過去を見ているか、将来を見ているか…。それは過去である。だから、過去を『〜日/月/年<前>』という将来を『〜<後>』と言う」という内容のことが書かれてあるのを読んで、「なるほど」と思ったことがある(記憶に基づいて引用したので、詳細な文章は不正確)。


▼今、はよく見えないけれど

本当に過去を見るような認識のつくりかどうかさておき、将来のことは当然見えないし(それを見えるように描くことが、何かを実現する上で大事とよく言われつつも)、今立っている時点のこともよく見えないのは確かだろう。

少し時が過ぎて、全体像が視野に入るようになってから、「あ、あのときのことは、こういうことだったのか」と気づくことがたくさんある。そういう意味では、常に、今何をどうすることが「いいこと」なのかなんてわからないもんだ。

だからこそ、過去のことを見ることで今の自分の立ち位置を確認できることもあるし、今に活かせることを学び直すこともできる。特に社会全体としては、過去をしっかり見つめ、学ぶことはとても大事だ。だから、単純に、「過去のことに『とらわれずに』」という言葉は、僕は好きではないし、先ほど書いた「今、目の前にある大事なものを見逃してしまう」という話もそういうことではない。

過去を見つめることは大切だということを前提としつつ、しかし、個人的な生き方の場合は、それ以上に、過ぎ去る今、つまり立っている足下を確認して、今やりたいこと&今できること、今しかできないことをやっていくことが肝要なのではないかと。

過去と比較して、今ある関係性や環境を嘆いて、「あの時の方がよかったなー」と思っていても過去には戻れないのだから、今あるそれらを変えていくために動くか、その中で自分ができる限り楽しめるものを探していくか、あるいはその両方か、だ。


▼紡ぎ直す関係

その中で、きっと、過去になってしまったこと、関係性、過去から継続していること、関係性も新しく紡ぎ直されたり、構築されたりするだろう。

もちろん、知り合う人全ての人との関係をつなぎ続けることはできないけれど…切れてしまったと思っていた人と、またやりとりが始まることも、ほんの少しすれ違っただけと思っていた出会いが、ふとしたきっかけで深くなっていくこともある。今現在起こっている新しい経験が、それらの再開/再会や深化をもたらすこともある。

きっと、過去の(過去からの)関係も、今の関係も、この関係はこうで、こうあらねばならない、と決めつけないことが、人の関係性の変化を楽しみ、自分がその中で生き生き生きられるコツなのだ。

もちろん、これは、自分が生きたいあり方のイメージで、自分がそれができているわけではない。でも(だからこそ)、こうして時々、自分の目指すあり方を言葉にすることは大事なことのような気がする。
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# by hideki_sunagawa | 2011-11-05 06:08 | Diary
2011年 11月 04日

上映会&トークセッションのお知らせ

今年で27回目を迎える「うないフェスティバル」に、「レインボーアライアンス沖縄」という団体で参加します。「レインボーアライアンス沖縄」は、このフェスティバルへの参加を機に立ち上げました。

フェスティバルの開催中(11月20日〜11月26日)は、牧志駅そばに新しくできた「さいおんスクエア」内にある「ほしぞら公民館」でパネル展示をします。

また、独自企画イベントとして、映画上映とトークセッションを開催します。どなたでも参加できます。是非お越しください!

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ドキュメンタリー「ハーヴェイ・ミルク」上映会&トークセッション「社会を変えるために」

*「ハーヴェイ・ミルク」*
ゲイであることをオープンにして、サンフランシスコ市の市政執行委員となったハーヴェイ・ミルクを追ったドキュメンタリー映画。制作された1984年にアカデミー最優秀長編記録映画賞に輝いており、その他にも多くの映画賞を受賞。今なお世界中で繰り返し上映されている。

*トーク出演者*
高里鈴代(元那覇市議会議員)・砂川秀樹(レインボーアライアンス代表)

高里さんは、長らく沖縄の女性運動・平和運動で活躍されてきた方で、「うないフェスティバル」を立ち上げた一人でもあります。彼女の経験に学び、今後のLGBTAの運動を考えたい、と出演をお願いしました。

*日時* 2011年11月25日(金)18:30〜21:15(18:00 開場)

*会場* てんぶすホール ←パネル展示場所と異なります。ご注意を!

*料金* 1000 円(小中高校生500 円)

*主催* レインボーアライアンス沖縄

*共催* うないフェスティバル実行委員会・那覇市

*後援* サンフランシスコ観光協会

高里鈴代(たかさと すずよ) 
東京都女性相談センター電話相談員、那覇市婦人相談員を経て、那覇市議会議員4期15 年を務める。北京会議、国連女性の地位向上委員会、ハーグ世界平和会議などの国際舞台で日本からの発信を続け、沖縄では、1995 年10月「強姦救援センター・沖縄レイコ」を、1995 年11 月「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」を設立し共同代表を務める。また、1997年には「軍事基地に反対する東アジア・アメリカ・女性ネットワーク」を設立し、ネットワークを広げている。著書に『沖縄の女たち』(明石書店/ 1996 年)などがある。

砂川秀樹(すながわひでき)
那覇市出身。東京大学大学院で文化人類学を学び、博士号取得。実践女子大学、東京大学、筑波大学、東北大学等で非常勤講師を務め、現在、東京大学大学院総合文化研究科学術研究員/早稲田大学琉球沖縄文化研究所招聘研究員。また、東京で21 年間HIV/AIDS の民間活動に従事、厚労省研究班の調査に関わる。ゲイライツアクティビストでもあり、2000 年以降、東京レズビアン&ゲイパレード(現・東京プライドパレード)を牽引してきた一人。

レインボーアライアンス沖縄
LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)などの性的少数者が生きやすい社会を広げて行くために、「当事者」だけでなく支援者(アライズ)も共に活動する非営利団体です。
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# by hideki_sunagawa | 2011-11-04 05:57 | LGBT/gender
2011年 11月 02日

統制化される社会(2)

▼拡大される逮捕対象

昨日の「統制化される社会」の話の中で、ごく最近起きた、重要な(しかし看過されている)家宅捜査、逮捕について触れるのを忘れていた。

それは、「日刊ゲンダイ」というメディアに、「無届け風俗」の広告が乗っていたとして、日刊ゲンダイに家宅捜査が入り、そしてその広告を扱っていた代理店業者が逮捕されたというものだ。

罪状(?)は、具体的には、「逮捕容疑は今年8月1日から9月30日まで、東京都足立区千住旭町の個室マッサージ店が営業禁止区域で無届け営業していると知りながら、日刊ゲンダイに同店の広告を掲載し、営業をほう助した疑い」だ(日本経済新聞10月27日の記事より)。

昨日書いた通り、実は、クラブ(踊る方の)の大部分や、一部のバー/スナックは、「風俗店」としての許可が必要と判断されてもおかしくないが、基本的にはとっていない。ということは、風営法違反の範囲に入る。ハッテン場も、公然わいさつの罪に問われることが、今回明らかになった。

そして、これらの店の広告を掲載しているところは、数え切れないほどある。ネットとなると、想像できないくらいだ。「日刊ゲンダイ」の事例は、つまりそれらも摘発される可能性を示している。


▼社会の問題として

このような問題に対して、「自分は関係ないし」と言う人は多い。ハッテン場にも行かないし…と。僕自身ハッテン場には行かないし、ハッテン場が無くなっても全然困らないのだが、しかし、社会の問題として考えるとき、「だから別いいや」という話にはならない。

まず、これがあらゆるところで起きている社会統制化の氷山の一角であるということ。それぞれが、自分が関係ないと思っているところで起きることの一つ一つが積み重なった先には、息苦しい社会が待っているという意識があるからだ。

特に、マイノリティは、その中で一層生きづらくなることだろう。

昨日も書いたが、これをきっかけに、次々とあちこちの店が摘発され、完全になくなるということは起きないと思っている(とりあえず、すぐには。長期的にはわからないけど)。あくまで、このような逮捕は「見せしめ」である。

いつでも摘発できるということを顕示しつつ、人々へその規範を内面化したり、強化したり、流通させたりしていくためのものだ。そういう意味で、ゲイの間から、「そういうところに行く人が悪い」「そういう場所はなくなった方が良い」という声が少なからず聞こえて来る状態は、残念ながら、その方策(?)が成功していると言わざるを得ない。
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# by hideki_sunagawa | 2011-11-02 06:32 | LGBT/gender
2011年 11月 01日

統制化される社会

▼ハッテン場のがさ入れ?

東京で、ハッテン場として経営されている商業施設に「がさ入れ」があったという噂が、昨日からゲイの間で話題になっている。ハッテン場というのは、男性が男性との性行為を主な目的として集まる場所のこと。今回の「がさ入れ」が騒ぎになっているのは、その理由が、薬物関係ではなく公然わいせつ容疑らしい、と言われているからだ。

<追記:この日記をアップした後に、新聞でもこのニュースがとりあげられていた。本当だったようだ→「同性愛者の公然わいせつほう助=場所提供容疑、店経営者ら逮捕-警視庁」

もしそれが理由になるなら、「ハッテン場」はすべからくダメということになる。今のところこの「がさ入れ」の話は、ネット上で流れているだけなので、嘘という説もあるが、仮に嘘だったとしても、ハッテン場が摘発の対象となるのは時間の問題だろうと僕は考えている。

というのも、昨年あたりから、ホテルの一室や個人所有の別荘などで、自発的に集まった男女の(異性愛者の)「乱交パーティー」が、やはり公然わいせつを理由に摘発され、逮捕者が出ているからだ。こういう話を書くと、そのような性のあり方が嫌いな人は、「そりゃあ、厳しく扱われても仕方ない」と思うことだろう。

しかし、これは、あらゆる領域で広がりつつある、社会統制の一つの具体例であって、この流れはどんどん広範囲にわたり、かつ厳罰化しているし、それがますます大きくなる可能性もある。そして、「ハッテン場」や「乱交パーティー」のような、その自分に価値観に合わないものは「しかたない」と思う気持ちが、その流れを大きなものにしていく。


▼クラブやバーも摘発対象に

最近、クラブ(踊る方の)も各地で摘発されている。というのも、客が踊るような場所は、風営法によると、風俗店としての認可が必要なのだが、その認可を得ると夜0時以降は営業ができなくなる。そのため、基本的に、踊るためのクラブは風俗店としての許可を得ていない。

よって、現在クラブとして営業しているところは、いつでも警察が摘発できる状況にある。これまで、このことはほとんど黙認されてきたが、最近は摘発される事例が増えているのだ。このことに危機感を抱いている人たちが、風営法の改正を訴えている。

また、「接待」を伴いつつ、客に飲食物を提供する店も風俗店としての許可が必要になる。だが、この「接待」の定義は非常に曖昧で(風営法では「歓楽的雰囲気を醸し出す方法により客をもてなすこと」)、現在の「ゲイバー」のようなバー/スナックは<基本的には>、接待を伴う場所としては位置づけられていない(よって、風俗店の許可もとっていない)。

しかし、店のスタッフが面白おかしく場所を盛り上げたりすることは接待になるため、「接待」をおこなっていると判断される店舗も少なくないだろう。そのような店は、無許可営業をおこなっていたとして摘発、逮捕することが可能である。実際に、「ニューハーフ・バー」などと呼ばれる店が、ここ数年内に摘発を受け、経営者が逮捕されている。


▼野宿者排除ともつながる問題

この統制強化の流れが、「健全化」を求め、それからはみ出すものをコントロールしようとする流れであることは言うまでもない。そういう意味で、これは、野宿者が街の公共空間からどんどん追い出されていること、街のあちこちに監視カメラが設置されること、といったこととつながっている。

そして、重要なのは、その流れは、多くの人の欲望を土台にしていることだ。自分の価値観(道徳)に合わないことをする人、自分が理解できない「他者」は厳しく取り締まってもらいたい、という欲望。

社会統制というものを、権力をもつ当局が一方的に市民を抑圧し管理するものと思っている人がいるが、多くの人が指摘してきたように、そんなわかりやすいものではない。統制する欲望を市民が内面化するということによって成立するのだ。また、権力を執行する人間も、もともとは一人の市民であるということも理解せねばならないだろう。

そして、まずは、犯罪の厳罰化、解放的な「性」の統制、「オーバーステイ外国人」の暴力的排斥、野宿者の追放(あるいは管理下への移行)といった、多くの人が賛同しやすい領域から、その統制強化は始まることも忘れてはならない。どんどん強まるこの統制化の流れをどうすればいいのか、残念ながら、今の私には答えはない。

けれど、すべてはつながっている!あなたが不寛容になる先には、誰もが不寛容の中でがんじがらめになる社会が!と訴えて行くことは無駄ではないはず(と信じたい)。

ちなみに、最初のハッテン場に関して言えば、すぐに摘発が続出するということにはならないだろう。また、全ての性的に奔放な(?)集まりが統制されるなんてこともあり得ない。

しかし、いくつかを摘発する中で、そういうことがあることを世間にさらし、罰せられるものだと見せることは、人々の不寛容な心を拡大させ、深化させる。そして、おそらく、それこそが狙いである。すべてを直接統制するよりも、それを内面化させた人々に自主的に統制させる方がはるかに効率的だからだ。

そのような統制化、厳罰化が内面化された人々が知らず知らずのうちに増えて行く社会はおそろしい。そして、自分も知らない影響を受けて行く。自分自身を振り返り続けることも重要だ。
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# by hideki_sunagawa | 2011-11-01 06:15 | Diary
2011年 10月 31日

LGBTニュース紹介 10/31

これから余裕があるときは、週明けに、気になったLGBTニュースをとりあげてみようかなぁ…と思ったり。続くかどうかわからないけど…。

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▼台湾パレードに5万人!

今やアジア最大のLGBTパレードとなった、台湾のプライドパレードが、11月29日に開催された。今年の参加者は、主催者発表で5万人。日本からも多くのゲイたちが参加したようだ(あまりレズビアンやトランスの人で参加したという声は聞かない…)

今回は、このパレードに合わせて、東京でゲイに大人気のゲイナイト「ガチムチディスコ」が、初の海外遠征。前夜に開催されたこのイベントだけでも1600名が参加したという(2000年の「東京レズビアン&ゲイパレード」の参加者と同じくらい!)。

日本から参加したゲイの中には、台湾のパレードを「リブ色が薄くて良い」と言う人がいるが、実はオーガナイザーは明確に、「差別反対」を打ち出している。もともと台北市はこのパレードにサポーティブで、市庁舎にレインボーフラッグを掲げたりもするのだが、オーガナイザーは、まだまだ不十分と。

何より、当局側による規制(歩き方とか、色々)が厳しくないところがうらやましー。おそらく台湾のこのパレードは、今後更に大きな観光資源にもなることだろう。

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↑時事通信

▼ロシアパレードのゲイ権利活動家引退

ロシア、モスクワのプライドパレードを牽引してきたNikolai Alekseev氏が、代表を務めて来たモスクワプライド組織委員会と、GayRussia.ruを辞めることを、11月26日にFacebook上で表明した。僕も彼とFacebookでつながっているのだが、その表明を読んだときに「冗談?」と思った。しかし、海外のニュースサイトも取り上げているところを見ると本当らしい。

モスクワプライドパレードは、当局から実施が許可されずに迫害される中、パレードを強行し、彼は逮捕されたりもした(上の記事の写真はそのときのもの)。そして彼らは、その状況を世界に向けて訴え、ヨーロッパ人権裁判所が、昨年、パレードの禁止は不当であるとの判断を下している。

そのように果敢に政府に挑戦する彼は、世界的に有名な闘士だったので、今回の「引退」のニュースは世界のLGBTアクティビストに衝撃を与えたと思う。しかも、その理由については多くは語られていない。後を継いだ新代表は個人的な理由と述べている。

彼と比べれば(って比べられないくらい差があるけど)、僕なんかは、はるかに楽な社会状況の中でやってきた、それでも挫けることが何度もあったのだから、彼などは、その何倍も大変な思いをしてきたのだろう。でも、きっと、しばらく休んだら、また何か活動を始めるのではないか…と勝手に想像している。

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↑PinkNews

▼ヨーロッパ議会、トランスジェンダーの人々の亡命を認める

ヨーロッパ議会は、亡命を認める条件に、性自認による迫害を入れることを11月27日に決議した。これまでは、命の受入を判断する際に、ジェンダーに関連する事を考慮されたい、と書かれていたものが、新しい決議文では、「性自認を含め、ジェンダーに関連する事を考慮されるべきである」とより明確に強い表現に変わったようだ。

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↑ヨーロッパ議会LGBT権利グループの公式サイト

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ほか、英国のキャメロン首相が、アフリカで反同性愛的な国には援助をしないとコメントを発表したというニュースも流れた。これには、すばらしいという声とともに、もともと英国が植民地だったときに持ち込んだ法律が反同性愛的だったことが大きな原因なんだから、その反省の弁は必要じゃないか、それもなしに、上からの立場で言うのは傲慢じゃないか、という意見もあった。まさに。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-31 06:10 | LGBT/gender
2011年 10月 30日

超人はどこにいる?(ちょっと長文)

▼ツイートで…

ツイッターは、議論に向かない割に、逆に議論になりやすいという不思議なツール。なので、議論にならないように、誰かのツイートに反発めいたことは書かないように…と心がけている。…が、ついつい「ムキっ」となって書いてしまうことがしばしば。

昨日も、とても盛り上がった台湾パレードに触れつつ、東京でもこんな風にできたらいいのにと、東京でのパレードを批判しつつ書いているツイートが目についた。

僕はこう書いた。

「自分の欲しい活動や『コミュニティ』や社会を誰かがつくってくれるのを待っている人の多いこと…。その欲しいもののために動かないで、つぶやき、リツイートするだけで(嘆息) 難しい問題を全て乗り越えて、理想像を実現してくれる超人がいるとでも思っているのだろうか。」

今回、反射的に書きはしたが、前々から感じて来たことだ。


▼東京のパレード

長らく主催者側としてかかわった人間がこういうことを言うのは憚れる面があったので、あまり言って来なかったが、僕は、東京でおこなわれてきた「東京レズビアン&ゲイパレード」(2007年からは「東京プライドパレード」)は、十分に良くできたものだったと思う。

もちろん、更により良くするための反省点をあげればきりがない。しかし、他の地域以上に要求の厳しい警視庁側の条件と、みんながパレードとしてやりたい形を最大限調整し、デモとパレードを融合させてきたこと。2000人〜2500人もの人が歩き、それぞれのブロックをフロートが必ず先導するという難しいスタイルを、事故を起こすことなく継続してきたこと、それだけでも評価されるべきではないか。

広場には、たくさんの企業さんや団体さんのブースを出展していただいて、ステージでも午前中からシンポジウムをおこなったり、パフォーマンスしていただいたり…あの規模で<野外で>おこなっているLGBTイベントは、日本では他にはないはずだ。


▼2009年、2010年

2009年は東京プライドフェスティバルという、パレードなしのイベントだったが、NHK「ハートをつなごう LGBT特集」の公開録画がイベントを華やかにし、また、内容の濃いものにしてくれた。最後のオオヤユウスケさんのパフォーマンスと、背景の大きなモニターに映し出された映像の感動は忘れられない(それを見たのは、放送でだったけれど)。

しかし、その番組に来てもらったことを「他力本願」と評した人もいた。確かに。でも、そのための交渉と調整がどんなに大変だったことか。それは、こちら側だけでなく、先方もそうだった。「ハートをつなごう」初の公開録画は、ディレクターたちも、それこそ首をかけた企画だったと思う。

2010年のパレードの時には、RENTのスタッフに来てもらったり、中西圭三さんにミニライブをしてもらったり…。中西さんは、こういうことに関わると「本当はゲイなんでしょ?」と言われることを知りつつ(実際にはそうではないのに)、出演してくださった。彼が舞台上で「砂川さんと話す中で、アライ(ally 支援者)という言葉があるのを知り、出演を決めました」と言ってくれたことは忘れられない。

ここでは、自分が最後にかかわった二年間について書いたが、もちろん、他の人が代表を務めたときのパレードは、それ以上に素晴らしかったし、収支的には僕が責任を負った二年間とは比較にならないほどの成功をおさめている。


▼言葉の紡ぎ方

にもかかわらず、これだけのことをやってきた東京のパレードに、<安易に>思いつきのように批判する人の多いこと…。しかも、そういう人には、パレードをよりよくしようと積極的に関わったり、参加したりする人はほとんどいない。あるいは、自分で自分のイメージするパレードやイベントをつくるために動いたりもしない。

様々なものを求めて色々なポジションの人が参加する、この大規模なイベントを、更に誰もが納得できるような形で実現し、それが継続できる、そんな超人はいるのだろうか? しかも、もちろんノンペイで…(それどころか、僕は最後の二年間、間接的な出費も含めると150万円以上はその活動に費やした<それは、恥ずかしいことだと思っているが、この活動をやる中で儲けている人物がいると勘違いしている人もいるらしいので、書いておく)。

もちろん、活動に参加していないから何も言うなと言うのは間違った言い方だ。しかし、その活動に(あるいはそれに変わる自分が理想とする活動に)向けて、自分は何かできないだろうか、また自分の発言は、これまで生活を削ってやってきた人にどう届くだろうか、という視点を少しは持って欲しい。そうすれば、おそらく発せられる言葉はだいぶ異なった形で紡がれるだろう。


▼忘れられない作業

パレードの難しさは様々な調整にあるが、当日の肉体労働もかなりのものだ。会場設営と撤去の作業は忘れられない(常に、代表も実行委員も会場設営や撤収の作業には参加する)。猛暑の季節に、あれだけのテントを建て、それぞれに机と椅子を運ぶ大変さ。特に、パレードが終わってヘトヘトに疲れている中、それを片付けるつらさ。テントの足を固定する重しのその重さ…たいてい一度に一個しか運べない。それがテントの数×6もある。

いつも、その作業をがんばってくれたボランティアの人たちの事を思い出すと、今でも涙がにじんでくる。

毎年、150名〜200名のボランティアが参加して文字通り汗水たらしながら一生懸命につくり、実行委員も8ヶ月間大変な準備を続け、代表は命を削るように重責に耐え、そしてようやく完成される東京プライドパレード/フェスティバル。

もちろん、がんばればすべてがオッケーなわけではない。でも、先に書いた通りちゃんと素晴らしいイベントとして、それらの努力が実ってきたはずだ。最近、自分が直接見聞きしたり、体験したわけでもないネガティブな語りにすっかり影響を受けて、東京プライドパレードが、実際につくりあげてきたものを忘れてしまっている人が多いのは、本当に残念でならない。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-30 06:05 | Diary
2011年 10月 29日

8割でいい、と考えてみる

▼8割仕上がるのに時間の半分

以前、何かで、仕事を8割仕上げるのと残りの2割を仕上げる時間は同じくらい、と読んだことがある。つまり、ある仕事を8割のレベルまで進めるまでに5時間かかったとしたら、残りの2割を仕上げようと思ったらやはり5時間かかるということだ。

「仕事」と言ってもいろんな種類があるし、この大雑把な語りは十分に怪しいのだが(苦笑)、実際に、「そろそろ完成!」と思ったことがなかなか終わらないという経験は嫌というほど積み重ねているので、言わんとしていることはなんとなくわかる。

それどころか、最後の2割を仕上げるということを「完璧にする」という意味だとするなら、もっと時間がかかることもあるだろう。いや、明確な「完璧」の基準がないものは、「完璧」にしようと思いが強すぎると最終的に仕上がらないこともある。僕は、大学でも大学院でも、「完璧主義」であるがゆえに、制作しているものを出せないままになる人を何人も見て来た。

仕事などでは、やむを得ない背景があることが多いので、仕上がり度に関係なく最終的には出すことになるのだろうが(完成度に基準がある仕事は別として)、論文などは、出さなくてもその影響を受けるのは自分だけということも多いので、出さないままになることもあり得るのだ。それがゆえに、ある程度の段階で「えいやっ!」と出す踏ん切りが必要になる(と偉そうに言いつつ、僕は論文の生産量は少ないのだが…あくまで、論文は例として…)。


▼8割×1.5倍
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さて、先の8割の話で言うと、8割で見切りを付けるということをすれば、とりかかれる仕事は同じ時間で2倍になるという話だったと思う。まぁ、生産量を求める思考だとそうなるわけで。

でも、僕は、そういう話を聞くと、「え?じゃあ、働く時間の長さは一緒じゃん!」と思ってしまう。「8割で仕上げて半分の時間で終わるなら、残り半分、のんびりすればいいじゃないの?」って。

でも、そう言うと、いかにも怠け者過ぎるので(それでもいいのだろうけど)、一応、8割で1.5倍のことをやって、余った1/4の時間をのんびりと…と言うのはどうだろう? まぁ、もともと大雑把な論なので、厳密に計算しても意味ないけど。


▼楽な気分で

実際、大方の仕事はどこまでが8割かわからないし、論文で言うと、8割の量で終わらすわけにはいかないし、正確さも8割というわけにはいかない。けれど、表現の言葉をどう選ぶかといった最後の調整は切りがないので、ある程度のところでオッケーとしなければならない。そのときに、本当に8割かどうかさておき(<ここが結構重要)、「8割でいいや」と思うと、少し気が楽になる。

もちろん、仕事の内容によっては、完璧に仕上げることが求められることもあるだろう。また、完璧を求めることが喜びになることもあるだろう。前者ならそうせざるを得ないし、後者なら、楽しみつつ完璧を求めればいい話。

しかし、仕事(僕の場合は収入のない活動も含む)によっては、最近よく使われる表現で言えば、「持続可能(sustainable)」な形でおこなうことの方がより意義深いことも多い。それを目指すなら、「8割で」というのは重要なイメージだ。

僕自身、細かく厳密さや仕上がり具合いにこだわる時/場面もあるし、「緩くていいやー」と思う時もある。「常に全力で」というのは一瞬美しく聞こえるけれど、自分が活き活きとできる範囲でやって(とは言っても、多くの仕事はそんな風に調整できないものだけれど)、残りの力は、自分の大切な人たちのために使ったり、社会へ還元したりしていければ、もっと豊かな社会になるのに、と思う。

あ、そう考えると、8割で終えて、残った時間の半分は社会に還元して、残り半分をゆっくり過ごすというのがいいイメージかもしれない。

これを読んで、組織に勤めている人は、「そんな風にはいかないよー」と思うのだろうし、毎日ため息つきつつ、体壊しそうなくらい働かされている人がまわりにもたくさんいるので、こんなノンキなことを言うのは心苦しい気持ちもあるが、あえて。


…と書き上げてからふと思った。よく考えたら、8割まで完成させるのって結構大変だよね…(苦笑)
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-29 06:05 | Diary
2011年 10月 28日

ファイト!

▼戦わない奴らが笑う

ツイッターで触れられていたのをきっかけに、久しぶりに中島みゆきさんの「ファイト!」をYouTubeで観た。

好き嫌いが分かれるのだろうけど、やっぱりすごいなぁ…。

初めて聞いたのはいつだったんだろう?アルバムに収録されて出たのは1983年だとか…僕が17歳の頃か。たぶん、出て間もなく聞いたんだろうな。胸に突き刺さった記憶がある。

でも、その頃は、「戦う君の歌を戦わない奴らが笑うだろう」という歌詞の意味をどれだけ分かっていたのだろうか。想像はできていたかもしれない。でも、いつからか、その言葉が表している通りのことを少なからず経験してきた。

笑われるだけでなく、反発の声も受ける。まぁ、大部分は陰口なので、見聞きしないようにすればいいだけの話だけど。

…って別に何かあったわけではなく、ふとこの曲を聞いて感じた気持ちを吐露したかっただけ。


▼傷を負いながら

ブログはみんなに向けて発信するものだから、基本的には前向きに書くようにしているが、常に生傷を抱えて血を流しているのだ。まぁ、戦うのだから、そりゃあ怪我もするわな。

それならやめればいいのに、とまた笑われたりもするのだろうが、自分にとって「不正義」と思うことを見逃すことができない性格。もちろん、すべてのことに関わることはできないけれど、だからと言って、何にも取り組まないなんてこと僕にはできない。

僕自身は、たくさんの素敵な仲間に囲まれ、良いパートナーがいて、家族もそれなりにゲイであることを受けとめてくれる関係の中で幸せを感じることが多いのだけれど、自分がそうならそれでオッケーとはどうしても思えない。まぁ、それだけと言えばそれだけのこと。


▼シンプルな動機

小学2年か3年のときのこと。テレビで、学生運動の古い映像が流れていた。それを観た親が、「大きくなって、こんなことするようになったらダメだよ」という感じのことを僕に言った。すると僕は、「なんで?正しいと思うことをすることは悪いことじゃないでしょ?」と返答したのだった(細かい言い回しはあやふや)。

なぜその時そういう言葉が口から出て来たのか、今も謎だけれど、その時まるで何かが降りて来たかのように(笑)発した言葉は、今に続いているような気がする(ちなみに、「学生運動」と一口に言っても、時期によってだいぶ違うし、多面的なものなので、それをひっくるめて「正しかった/間違っていた」とは言えないだろう)。

ま、これからも、僕は、そんなシンプルな動機に突き動かされてやっていくのだろう。もちろん、具体的に何をどうやっていくのかは、丹念に考えつつ。

あ、もちろん、応援してくれる人もたくさんいる。僕がこうして今生きていられるのも、活動を続けて来られたのも、応援してくれた人のおかげだ。

ちょうど、そのことを象徴するような写真があったので、また最後にアップ。真ん中の二人はパレードのときに沿道から応援してくれた友人。このお二人にも本当に助けられてきた。撮影は悠によるもの。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-28 06:08 | Diary
2011年 10月 27日

仲間は誰ですか?

▼ゲイが病気になるとき

それなりに「仲間」のネットワークを持っているゲイが重篤な病気になったり、亡くなったりすると、必ずと言っていい程、それを聞きつけた一部の人が、その原因はHIV感染によるものであるとささやく。しかも、時に、それを言うことで、その人を貶めることができるかのように。

なんてバカバカしいことだろう。誰かが病気で苦しんでいるときに、本人から語られている以外の原因を詮索することに何の意味があるというのか。そして、仮にHIV感染だったとしても、それがどうしたというのだろう? その頭の中身は、1980年代のままか?(もちろん、AIDSが報告された間もない当時だって批判されるべき行為だったけど)。

それに、その言葉を耳にした相手こそが、HIVに感染していて、そのことに色んな思いを抱えているかもしれないのに。


▼「仲間なのに…」という思い

何人ものゲイの友人、知人を亡くして来た僕は、そんなくだらないことを言う人がいることに慣れてしまったので(悲しいことに)、そんな噂を言う人がいた…という話を聞いても、ため息をつき、「バカバカしい」とつぶやくだけで終わる。

しかし、そういう言葉に接して、「仲間なのに、なぜ…」と、虚しい思いを抱く人もいるようだ。亡くなった人だけでなく、ネガティブな噂を口にする人も近しい人の場合には、なおさらそうだろう。こういう場合に限らず、「仲間」と思ってきた人に、仲間らしからぬことをされると傷は深いものだ。


▼共通項ゆえに

けれど、ゲイの場合(おそらく多くのマイノリティがそうなりがちな構造の中にいるのだが)、「ゲイである」という共通項だけで「仲間」と思えてしまうということが、少し事情をややこしくしている。

その共通項で「仲間」と思える関係性に安住して(?)、より深い絆をつくらないままにつながっているということが多いのではないか。それゆえ、何かあると、一層「仲間なのに…」と思わざるを得ない結果を生むのではないか…

別に、ここでは、そのような関係性を悪いこととして批判しようとしているのではない。

比較的容易に「仲間」と思えるおかげで、様々な背景を持つ人と知り合い、コミュニケーションをとる機会が増える。また、往々にして、いきなり近い人間関係に入ることもできる…そして、ある程度近いけれど深い絆ではない、その関係性が楽な人がたくさんいる。特に、人が孤立しがちが都市においては、そのような関係性の存在は重要だし、それに救われている人も多いことだろう。

けれど、ゲイであるという共通項だけで、実際の関係以上に、深くお互いを理解し合えている仲間だと思ってしまうと、「仲間とは思えない」ということがあったときに落胆し、厭世的な気持ちになることも少なからず起きてしまう。場合によっては、ゲイの関係性全てを否定したい気持ちになる。


▼ある方の逝去から

しかしもちろん、深い絆をゲイネットワークの中でつくり、お互いを支え合うこともある。最近亡くなったある方の逝去をめぐる話からは、その絆を感じさせる思いも伝わってきたし、やはり共通項だけで「仲間」となっていたのかもしれない、心ない人の振る舞いについての落胆も耳にした。

ある人の話から、その人が病気と闘っているときに「みんなに優しくしてもらって幸せ」と語っていたと知った。彼も、ネガティブな噂を語る人たちがいることは想像ついたかもしれない。でも、それ以上に、彼の本当の仲間が彼の気持ちを包み込んでいたのだと思う。

僕は、彼とは、数回顔を合わせて二言三言会話したことがある程度の関係だったが、彼の親しい友人たちのその後のつらそうな様子を見聞きして、単にゲイという共通項だけでつながっていたのではなく、多くの仲間との関係を深めていたんだなぁ、と思った。


▼「コミュニティ」を考える

僕は、以前から、誰かの死をいかに扱うか/扱えるか、で、その「コミュニティ」の強度がわかると考えて来た。その人と関係のあった人が、その死を共有し、悼む気持ちを語り合えるかどうか。その人に極めて近しかった人が、その関係性が認められた上で、葬儀に参加できるかどうか…等々。

何年も前になるが、オープンリーゲイとして活躍していたある人が亡くなったとき、最期までパートナーだった人が、友人席で葬儀に参列している様子を見たとき、胸が押しつぶされそうになった。出棺のときに「親族の方どうぞ前へ」と言われたときに、パートナーでありつつも「親族」ではない彼が、近づけないままどうしていいかわかない表情を浮かべていたことを、僕は、今も忘れられない。

僕は、そんな状況は嫌だと思うし、その状況が少しでもなくなるように、社会を変えていきたい。「葬儀は親族のものだから、しょうがないよ」と言う人が、「仲間」の中にたくさんいたとしても。

そのためには、社会に向けて訴えていくだけでなく、お互い支い合い、メンバーの病気や死を包み込める絆の深い仲間関係があちこちに存在しているようなコミュニティをつくっていく必要があるのだろう。

あちこちに…というのは重要だ。みんながまとまって一つに、という意味ではなく、それぞれにそういう関係をつくりあげるという意味だからだ。それは、時に傷つく経験を伴うだろうが、トライし続ける価値があるもののような気がする。



この画像は、くま絵師・悠の作品。ちょっと季節は合わないけど、内容的に近いのでアップ。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-27 06:02 | LGBT/gender
2011年 10月 26日

アメリカ風イタリアンレストラン in 北中城村

a0137527_2155173.jpg先日、友人カップルが、北中城村(きたなかぐすくそん)屋宜原(やぎばる)にあるイタリアンレストラン「The Rose Garden」に連れて行ってくれた。

米軍基地が近いこともあって、客には米国人らしき人も多い。

しかし、結構高齢の女性たちの集団や、スーツ&ネクタイを着用している(沖縄では珍しい!)会社員もいたりして、とても雑多な雰囲気に満ちている。それがまた魅力の一つとなっているようだ。

食事のメニューもバラエティに富んでいる。イタリアンということで、ラザニア等もあったりするが(ラザニア大好き!<しかも友人によると美味しいらしい)、ステーキやハンバーグなどもあって、いわばアメリカ風イタリアンレストランという感じ。


a0137527_2155219.jpg僕は、ラザニアにも惹かれつつ、色々食べてみたかったので、ハンバーグと海老フライの乗ったプレートを注文した。

海老フライは、大きく立派なエビではないが、開かれたエビがカリッと仕上がっていて美味しい。尻尾も香ばしくあがっていた。

ハンバーグもきっちり作っている印象。高級な味とか、とても特色のある味とかではないのだけれど、僕の口にすごく馴染む好きなハンバーグだった。

このボリュームなので(最初にトマトスープも出て来たし)、食べ終わったら結構お腹いっぱいになって、「若い頃に比べると食べる量は格段に減ったよねぇ…」と友人と語り合ったりしていたのだが、友人が注文した別メニューについてきたデザート「ブレッドプディング」を味見させてもらったらおいしいもので、ついつい単品で追加注文してしまった。

a0137527_21554143.jpg食事についてきた「ブレッドプディング」は冷やされたものだったけれど、店員が「食事について来るものとは、ちょっと違うんですよ」と言いながら出した単品注文のものは、温かかった。

どちらも美味。見た時、「生クリームはよけいじゃない?」と思ったけれど、甘すぎず重すぎずいい感じ。マグカップに入ったコーヒーは、食事についてきたもので、おかわり自由。「アメリカン」な薄めを、たっぷり飲むという感じ。


店内の雰囲気も素敵だった。そして、フロアーで働いている女性たちに年配(年長の人は50代後半くらい?)の人がいるのが、僕は気に入った。沖縄で古くからあるレストランにはそういう店が多い(食堂は言わずもがな)。

チェーン店のファミリーレストランなどでは、男性スタッフもいるにしても、全体的に「若い女の子がいいでしょ」という異性愛男性中心の価値観が垣間見えて、「気持ち悪いななぁ…」(その価値観が)と思っているので、そういう色んな年代の様々な雰囲気の人が働いている感じにほっとする。



こういう地元のレストランや食堂などの場の持つ雰囲気は体に染み込み、感覚の一部となっていく。「沖縄文化を守ろう」という話が声高に言われるとき、この雰囲気や場のあり方は、その「文化」と呼ばれるものの中に含まれることは基本的にないけれど(つまり、集団の中で象徴的に意識化される「文化」ではないけれど)、ある意味、それこそ文化なんだよね、と思ったりする。

ま、結局、どちらも変化は免れ得ないけれど、僕は、やはり後者に愛着を持つタイプなので、なんとか長く続いて欲しいなぁ、と思うのであった。早くペーパードライバー脱出して、自分でも時々行けるようにしなくちゃ(と、またペーパードライバーネタで、了)。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-26 06:08 | Okinawa
2011年 10月 25日

知られざる歴史〜「みなと村」

日曜日に、「沖縄の産業まつり」の会場、奥武山公園に行った時に、「みなと村役場跡」の説明があるのを見つけた。

それには次のように書かれてあった。

ーーー
a0137527_19492111.jpg沖縄戦の後、特別に設置された行政区みなと村の役場跡。

1945年の沖縄戦の後、米軍専用となった那覇港での米軍需物資や民間の食料品等の荷役作業は、当初日本軍捕虜によって行われていたが、捕虜の解放、本土への引揚げにより、沖縄県民約2千人の那覇港湾作業隊が組織された。

この作業隊及びその家族を含めて約1万人の生活・労務管理等を円滑に行うため、1947年5月1日、当時の沖縄民政府によりみなと村が設置された。初代村長には港湾作業隊の指揮を執っていた国場幸太郎氏が就任。役場庁舎には奥武山の世持神社の建物が使用された。(略)

1950年、港湾作業が民間の業者による請負制になったため、村存続の意義がなくなり、同年8月1日那覇市に合併し、みなと村は解消した。
ーーー

国場幸太郎氏(1900-1988)と言えば、沖縄では、ある一定の年齢以上の人ならほとんどの人が知っていると言っても過言ではない実業家だ(この村長が同姓同名の別人でなければ…)。彼が、創設した國場組は、沖縄で最も有名な土建・土木会社の一つ。その彼が、「みなと村」という村の村長をしていたとは、知らなかった。

最初、「これをきっかけに國場組ができたのかな?」と思ったが、ネットで調べてみたら、國場組は1931年の創業。戦前に既にかなりの成功をおさめていたようだが、沖縄戦が始まって一旦解散したようなので、やはり戦後の基盤は、この「みなと村」をきっかけに築かれたのかもしれない。

それにしても、三年しか存在しなかったこの村はどういうものだったのだろうか?国場幸太郎氏のその後の沖縄での影響力を考えると、彼がこの村の村長を務めていたという歴史は軽視できないかも…と想像を膨らませたつつ思ったりする(意外とそんなに決定的な影響はなかったのかもしれない可能性もあるけれど…)。

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# by hideki_sunagawa | 2011-10-25 06:15 | Okinawa
2011年 10月 24日

沖縄の産業まつり

昨日、一人でぶらりと「第35回 沖縄の産業まつり」に行ってきた。年に一回の開催のはずなので、僕が10歳頃からやっていることになる。最初の頃とは、比較にならないほど規模は大きくなっている様子。

a0137527_14274859.jpg様々な飲食物のブースが出ているし、陶器や、工芸品、新しい技術を使った製品等などが出品され、とても充実していた。

植木が売られているコーナーで15万円のブーゲンビリアを発見。とても太い幹なので、樹齢はかなりなのだろう。

しかし、高さは175センチくらいで、広がって育つブーゲンビリアなのに、あまり枝葉は広げられていない。

こういう風に育てるのが難しい&年月がかかる=高価、と予想。

他にも、45万円もするソテツとかも。ソテツは、どうやら幹からたくさん子株が出ているのが高いようだ(たぶん、その形のバランスとかもあるのだけれど)。


沖縄の在来柑橘類「カーブチー」(見た目は、少しシークワサーに似ている)の100%ジュースもあった。カーブチーは、ライムのような風味があって、僕は好き。小さいのに種が結構あったりするせいか、あまり商品化されていない。でも、やはりジュースにして売っている会社もあるんだなぁ…。


a0137527_14301860.jpgその後、伊江島のラム酒を売っているブースで、やはり伊江島で栽培されたミントを使った「モヒート」を。

ラム酒だけど、気のせいか、少し泡盛のような風味がするような…。あと、ラム酒と言っても甘いわけではないんだ?と思ったり(アルコールに詳しくない)。

でも、青空の下でモヒートを飲むのはいい気分。


そして、持ち帰り用に、生姜ジャムと、田いもチーズケーキ、城(ぐすく)まんじゅうを購入(なんだか甘いものばかり)。

a0137527_14285810.jpgチーズケーキとまんじゅうは、帰りに母親のところに寄って食べたけれど、どちらもとてもおいしかった。

田いもチーズケーキは、以前友達と行ったことのある「田いも工房 きん田」(那覇新都心)のもの。そのときは、田いもパイを買って帰ったのだが、チーズケーキの方もおいしかった。でも、僕は、田芋の味が一層感じられるパイの方が好きかな。

城まんじゅうは、それをつくっている会社の名前も「城まんじゅう」と言うようだ。北中城のお店。ブースでも売っていながら買わなかったおいなりさんも気になる…。いつか食べてみよう。

ちなみに、まだ開けていないが、生姜ジャムは、「SU-SU-SOON」というごはん屋さんのオリジナル商品のようだ。こちらも楽しみ。


沖縄は(たぶん、ある程度の大きさまでの地方は)、こうして地元でつくっているものが身近な感じがするのがいい感じ。来年は、もっと時間をとって行くことにしよう。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-24 06:08 | Okinawa
2011年 10月 23日

学歴って…

みゃーくふつ(宮古島の言葉)で歌詞をつくり、歌っている下地勇さん。2007年にNHKの「トップランナー」で観て以来、ずっと気になる存在なのだが、沖縄に戻ってからいっそう彼への関心が高まっている。

そんな彼のPodCast「ある日の宮古」というものを見つけた。FM沖縄で放送されていたものらしく、2009年3月が最後の配信となっている(その後、「二者択一」というタイトルの番組が放送/配信されているようだ)。


▼あるエピソード

その「ある日の宮古」の中で、面白い話が語られていた。彼の友人の話。貧しい家で育った友人Tさんは、高校卒業後東京に就職。平日は運送会社で働き、土日はレストランでアルバイト。それは、病気の母親の入院費を払い、見舞うため年に何回か宮古島に帰省するためだった(飛行機代も今よりかなり高かった時代、しかも最初の頃は直行便もなかった)。

東京に戻る飛行機の中でのこと。隣で寝ている男性が寒そうにしていたので、乗務員から毛布をもらいかけてあげようとした。すると、その男性が目を覚まし、会話が始まり、Tさんの身の上話に。彼は、苦労を顔に出さない明るい人、と下地さんは言う(だからきっと明るく話したんだろう、という意味に僕はとった)。

話を聞いた男性は、Tさんに「うちの会社に就職しないか」と。実は、証券会社の人(社長?)だったという。Tさんは当時、証券会社というのがどういう会社か、株の売り買いというのがどういうものであるかも知らなかった。また、その会社は大卒しか採用しない会社だった。

その男性は、「もし君がやる気があるなら、三ヶ月後に採用するから、これから三ヶ月間、大手の新聞四紙(日経、朝日、毎日、読売)を毎日読むように、特に経済欄は」とT君に言ったという。ただ、彼が高卒であることはここだけの話に、と。

Tさんは、その後、本当に毎日その四紙を読み続けたという。わからない言葉もたくさんあるから、経済用語の辞典も買って。そして、入社して1年後、彼はセールスで2番目の成績に。今は独立して更に経済的な成功をおさめているという。


▼学歴差別って…

この話を聞いて、T君の人柄が垣間見えるようで、その努力と誠実さに心を動かされた。と同時に、もともと採用の条件を「大卒以上」に限定することって…?いうことについて、改めて疑問に思った。職種によっては、大学で学んだ専門的な知識が必要な場合もあるだろう。しかし、現在の会社業務の多くは、そうではない場合の方が断然多い。

また、専門知識を問われる場合も、独学ではマスターするのが難しい実験などを伴う理工系が主で、多くの知識は独学でも得られる可能性がある。もしかしたら、人文・社会系の知識も、アカデミックな議論を誰かと交わしたり、誰かを通してしか得られないものもあるだろう。だが、そのようにして得られるものは、会社務めではむしろ嫌われるものの気がする。

大学受験というある種の「試練」を超えた人だから…という考え方をたまに聞くが、とりあえず「大卒」という資格を得るというレベルで言うと、今や「試練」らしい「試練」を経なくても入れるところも増えているし、逆に、その「試練」を乗り越えられるだけの技量や学力を持っていても、経済的理由で断念する人も少なくない。また、それなりに入るのが難しいと言われるところの学生でも、教えていて「?」と思う学生もいる。

そして、どのような知識や技量が必要かは、会社によって違うのだから、必要ならばそれぞれに試験や面接を経て決めればいい話だ。学歴によって、スタートラインにさえ立てないのはおかしな話だと思う。


また、更に話を進めると、どのような手続きを経て入ったかによって雇用の基本条件(継続の保障や賃金など)が違うのもおかしな話だと思う。入ってからは、勤務の内容によって判断されるべきだろう。この辺りは、正規雇用と非正規雇用の間にある差別の問題になってくる。

本当は、労働組合は、まさにこのような差別性についても考えていかなければならないはずだが、労働組合の「上層部」のほとんどがそのことを考えていない様子を、労働組合で非正規雇用者の労働条件改善のために闘っている友人から聞く。

問題化されていかなければならない社会問題はまだまだたくさんあるし、その中で、「当たり前」と思われているものでもう一度疑問を投げかけるべき制度や体制は数知れない。あきらめず、一つずつ問いなおすことからだな、と思う。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-23 06:08 | labor/poverty
2011年 10月 22日

ばたふさり!(「腹が立つ」の意 in みゃーくふつ)

昨日、沖縄で新しく始めるLGBT&Allies団体設立に向けて口座を開設しようと琉球銀行本店へ。まだ法人格があるわけじゃないし、とりあえず「レインボーアライアンス沖縄 代表 砂川秀樹」という個人名で開設することにしよう…と思って。まぁ、ということは、結局は個人口座になるわけだけど…(これまでもそういう形で任意団体で使う口座をつくってきた)。

「口座開設したいのですが、任意団体の名前を個人名の前につけることできますか?」「模合(もあい)ですか?」「いいえ」「規約を確認できますか?」「今つくっているところなんですけど…」

そんなやりとりの中で先方が言うには、団体名をつける場合、規約の確認が必要とだ言う…。うーん、任意団体の名前を頭につけるとはいえ、結局は個人名の口座なのに? ということは最終的には個人の財産なのでは?

そんなこんな話をあーだこーだとやりとしたのだが、団体の預金の保証に関する文書を出してきて、団体の種類の説明されたので、「じゃあ、個人名でつくります」ということにした。まぁ、団体関係のやりとり専用で使えばいいだけの話だし…(対外的にはあまり印象良くないけど、いつか改めてつくるとして)

実は、今も若干「それは、団体として口座をつくる場合じゃない?『◯◯◯代表+個人名』は違うんじゃない?混同してないか?」と疑っているのだけれど(僕の方が間違ってるのかもしれないが)、『最近は、犯罪などに口座が使われるということもあるので、厳しくなっているのだろう、しょうがない…』と思わなくもない。


で、通帳ができあがるまで待っている間、つらつらと考えていた。最初に「模合(もあい)ですか?」って聞かれたよなぁ。模合の場合はどうなんだろう…? 

ちなみに、模合とは、個人などでグループをつくって、一定の金額を月に一回くらいのペースで出し合って順番に受け取るというもの。まぁ、利子のつかない預金みたいなもの(最初に受け取るなら、利子のつかないキャッシングサービスみたいなもの?)。沖縄では結構盛んで、仲間と月に一回集まることを楽しみに入っている人も多いようだ。

で、通帳を受け取るときに聞いてみた。「模合のときは、通帳はどうやってつくるんですか?『模合名+代表者名』でつくれるんですか?」「はい、できます」「…???」「模合の集まりであるということはどうやって確認するんですか?」「模合は規約がないものなので、聞き取りで」「じゃあ、模合です、って言えば、『グループ名+代表者名』で口座がつくれるってことですか?」「そうですね…」


えーーーー??? なんか、おかしくなーい? じゃあ、「団体名+代表者名」の口座をつくりたい場合、「模合です」って言えば済んでしまうってことじゃん! 模合が沖縄で重要なもので定着しているのはわかるけどさー。せめて、「模合用の口座である、その目的以外で使わない」という誓約書くらい書かせればー?いやいや、それでも、なんか納得できないぞ。

はぁ?と思ったので、ついつい、「じゃあ、団体名をつけて口座をつくりたい場合は、『模合です』って言いはればいいってことですね!」と、プリプリしながら言ってしまった。さすがに声を荒げるほどはしなかったけど。後で、なんか、怒ってもあまり意味がないことで怒ってしまった、と微妙な気持ちに。はぁ…。でもどうもすっきりしないんだけどー。


あ、ということで(?)、「レインボーアライアンス沖縄」という団体の発足に向けて、準備しています。どういう形が団体を運営するのがいいか慎重に考えている部分もあるので、形が完全にできあがるのは、もう少し先になりますが、どうぞ長い目で見守ってやってくださいませ。しばらくしたら、改めてお知らせします。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-22 06:14 | Diary