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2014年 12月 02日

オープンリーゲイの文化人類学者への道(笑)

博論出版のためのクラウドファンディングに取り組む中で思い出したことなど…


▼院試でのカミングアウト

僕は、自分の研究との関係もあり、大学院入試(院試)の面接試験の時に、自分がゲイであることをカミングアウトした。それまでも、知り合いが教えている大学の授業に招かれて、ゲイとしての経験を話したことがあったが、院試の時の方が、はるかに正式感の伴うカミングアウトだった。

面接試験は、そのコースの大学教員がずらりとコの字型で取り囲むように座っている中、事前に提出した論文と院に入ってからの研究計画についての質問に答える形。提出していた論文は、HIV啓発活動と関係したものだったが、研究計画について説明する中で「ゲイとして『ゲイ・コミュニティ』の調査をするつもりです』と伝えた。

ここでゲイであることを伝えたのは、フィールドワークでは、どういうポジションでどういう関わり方で調査をするかということがとても重要なことだからだ。

その話をする時に、「(文化人類学という学問分野的には)奇異な研究と思われるかもしれませんが…」と前置きをしたことを覚えている。そして、研究計画について一通り説明したあと、間髪入れず「私は奇異な研究だと思いません」と言ってくださったのが、のちに指導教官として長い間励まし続けてくださった船曳建夫先生だった。

そして、その先生のコメントに続いて「私も奇異な研究と思いません」と発言してくださったのが、やはり、その後、ことあるたびに励ましてくださり、私が歴史学にも興味を持つきっかけになった、フランス史を専門とする長谷川まゆ帆先生だった。

こう書くと、そういう場でのカミングアウトが何の問題もなかったかのように思われるかもしれない。僕も正直、当時は、「あれ、全然大丈夫みたい…?」と思ったものだった。その後も、予想していたほどの大変さはなかったのだが、ないもないわけではなかった。


▼「ああいう学生を入れていいんですか…?」

とは言っても、直接的に攻撃を受けたわけではない。しかし、授業の中で、あからさまに僕への苛立ちを感じていて、それをぶつけてきているとしか思えない先生がいた。その先生は、しばらくは、廊下などでお会いしたときに僕が挨拶しても、無視していた(しつこく挨拶し、ちゃんと?年賀状も書いたりしたら1年ほどして変わったけれど)。

また、当時人気のあった先生だが、ある海外の有名研究者の悪口を冗談まじりに言う中で、「それにホモだし」と口走って、それにつられて皆が笑うということがあった。その直後に、「あっ!」と気づき、僕の顔をみてバツの悪そうな顔をした。さすがにその先生には、後で抗議をしたが、「日本の大学でゲイであることをオープンにしている学生と初めて会ったので、逆にそれが無意識にそのような冗談につながったのかもしれない」という返事だった。

僕の研究をどうしても文化人類学のものと認めたくないのだろうという態度で接し続けた先生もいたし、修士論文の中間発表で、明らかに性的指向について誤解した上での、研究の本質は関係のない批判めいた質問を受けたこともあった。

また、実は、院試のあと、退官間近だった大先生が、ゲイであることをカミングアウトした僕のことについて、「ああいう学生を入れていいのか…?」と発言していたと知ったのは、博士課程に入ってからのことだった。


▼変化したセクシュアリティの定義

今から考えると、「結構、嫌な思いもしたなぁ…」と思うが、当時は研究で精一杯だったし、院生仲間との関係では嫌な思いをしたことはなかったおかげで、そのようなことで折れることはなかった。

当時は、どの大学でも院でゲイであることをオープンにするような学生は極めて稀なことで、その頃、日本の文化人類学の学問分野でオープンにしていたのは僕一人だったし、「ま、しょうがない…」という気持ちだったかもしれない。

僕が大学院に入った頃、日本の文化人類学で書かれていた論文でのセクシュアリティの定義は、「男女の間」に限られてたもので、僕は、それに対して、「なんじゃこりゃ!」と憤っていた。しかし、僕がオープンにして論文を書いたり、研究会などで発表するうちに、それはあっという間に変わっていった。

そんな風に直接的、間接的なやりとりの中で、修正していく先生方の様子を見て、僕は、率直に(全く嫌味ではなく)「すごいなぁ、優秀な研究者は修正能力が高いなぁ…」思った。そして、自分がゲイであることをオープンしてセクシュアリティ研究をしてきた意味があったかもしれないと思った。


▼交差点としての「私」

嫌な経験をあれこれ書いてしまったけれど、応援し支えてくれる先生方もいたし、そのことの方が僕の、学徒時代(?)の思い出の多くを占めている。もちろん、面接時に援護射撃的なコメントしてくださった先生方もそうだし(間髪入れずにそのような発言をしてくださったのは、否定的な反応があり得ることを見越してのことだったと思う)、その後、特にジェンダーを意識して研究している女性の先生方にとても支えられた。今も、変わらずに、応援してくださっている先生もいる。

博論を提出し審査が終わった後、博論完成お礼パーティーを開いたとき、ずっと励まし続けてくださった指導教官の船曳先生が、僕がこの研究で博論を書き、口頭試問でも高い評価を得たことについて、「誰に対してというわけではないが、ざまぁみろという気持ち」と表現してくださったのが印象的だった。実は、僕以上に、僕の研究に対する冷たい視線を先生は感じていたのかもしれない。


今回のクラウドファンディングでも、大学院にいる間に知り合った人たちからも支援いただいている。あの頃、直接的なやりとりは少なくても、同じところで、それぞれの研究に四苦八苦したり、授業の準備に大変な思いをしたりしていたことが、つながりをつくってくれた。

こうして、博論が出来上がってきた自分の過程を振り返ると、あらためて、自分は、関係性の交差点のような存在だな実感する。そして、まさに、僕にとって、博論は、その交差点の表象だなー、と。さらにそこに、クラウドファンディングを通じて、新たな交通ができて、新しい交差点として、自分が更新されていく。この貴重な経験もまたなんらかの方法で現していけたらいいなぁ、と思いながら、まずは、今の交通を楽しみつつ。







by hideki_sunagawa | 2014-12-02 00:19 | Diary


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