2014年 05月 25日
今日、5月25日は、新宿二丁目振興会・初代会長だった川口昭美さん(享年50歳)の命日だ。2002年に亡くなったので、丸12年、13回忌となる。 川口さんは、僕が2000年に東京レズビアン&ゲイパレード(後の東京プライドパレード)を始めたときに、それを機に二丁目でも何か…という僕の提案を大きく展開してくださって、東京レインボー祭りを始めた方だ。また、二丁目を早い時間から楽しめる街にしたいと始めたのがカフェレストラン「CoCoLo cafe」を開店されたりした。 当時、僕は、レインボー祭りの実行委員会にも参加させていただき、一緒に警察への交渉にも赴いた。そのような付き合いの中で様々な話をし、いつも励まされていた。 それ以前の東京のパレードは二丁目との関係が薄かった。僕はそれを近づけたいと思って昭美さんや、ゲイビジネスを展開されていた方々に相談し、昭美さんがそのお一人として大きな力を発揮してくださった(ほかにも、バディさんやGメンさんといったゲイ雑誌の大きな後押しもあり、またお店として協力してくださった方々などたくさんの方がご協力くださったおかげで、パレード&レインボー祭りは大成功となった)。 そのときに、そのような結びつきが生まれなかったら、パレードはかなり違ったものになっただろうし、レインボー祭りのようなものが生まれるのもだいぶ後になったことだろう。今でこそあって当たり前のような祭りも、それを始めるのにはどんな苦労があったろうか。 明るく豪快に笑い、感情を率直に表現する昭美さんに魅了された人は多い。昭美さんが、所轄の警察で言われたひどい言葉に対して「そんな言い方ないんじゃないですか!」と怒っていたのを思い出す。ミーティングでも率直に自分の意見を言い、他のメンバーと激しく議論をすることもあった。でも、やはり、最終的にはその豪胆さで、人々を引っ張った。 …あ、今年の僕は、昭美さんがレインボー祭りをおこなった歳と同じ歳だ。でも、いつまでも昭美さんは、僕にとっての大先輩。とても親しく付き合わせていだだけるようになってから別れまで数年しかなかったけれど、出会えたことは本当に幸せなことだったと思う。 彼は、『パレード 〜東京レズビアン&ゲイパレード2000の記録〜』の座談会の中で、伏見憲明さんの語った「レインボー祭りもそうだと思うけれど、パレードもどう楽しむのかっていうのがベース」という言葉を受けて、このように語っている。「やっぱり思い出づくりよ。人生は旅行だと思うの、本当に。旅よ、ウン。」 昭美さん、僕は旅の途中にあなたと出会え、一緒に思い出をつくることができたことに感謝しています。そして、今もその思い出の中のあなたの笑顔と言葉に励まされています。ありがとうございます。 (『パレード 〜東京レズビアン&ゲイパレード2000の記録〜』ポット出版、より) ーーーーーーーーーーーー → ブログトップへ
by hideki_sunagawa
| 2014-05-25 11:05
| LGBT/gender
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