2011年 12月 03日
先日、NHK沖縄放送局の夕方のニュース番組で、読谷にある「特攻艇秘匿壕群」という戦跡を紹介していた。特攻艇というのは、言うなれば特攻隊の船版で、爆弾を積んで敵の大きな戦艦にぶつかっていくというもの。実際には、ほとんど「成果」はなかったらしい。 その秘匿壕を堀ったのが、「朝鮮人軍夫」だったという。沖縄でも知っている人は少ないが(僕も、恥ずかしながら、このことを知るようになったのは実は比較的最近のこと)、沖縄へも万単位の人数の「朝鮮人軍夫」が連れて来られたと言われている。もちろん、それに加え、「日本軍慰安婦」にされた女性たちも(宮古島では地元の人が中心となって、「慰安婦」の人のための碑ができている)。 この番組では、この秘匿壕で強制労働させられていた「軍夫」たちについて、その20人くらいが滞在していたという民家の息子が証言していた。現在75歳になる彼は、「軍夫」たちの苦しみに思いを馳せ、彼らの苦しみを伝えたいと口を開いてくれたようだ。 彼は、その作業場である壕から彼の家は20-30メートル離れたところにあるが、兵士に激しく暴力を受け泣き叫ぶ声が聞こえてきたと語っていた。そして、「人間という扱いじゃなかった」と。 そのような扱いを受けていた「軍夫」の一人が、ある時、近くにあった木をつかって、彼の母親に印鑑を掘ってくれたという。彼の母親が、印鑑を持っていなかったのを知って。その印鑑を、彼は母親から譲り受け今も大切にしまっている。そして、「きっと、母に、自分の故郷にいる家族を重ね合わせていたのでしょうね」と語った。 この取材映像の後のアナウンサーの「印鑑を堀ったのは、自分が存在の証を残したいという思いもあったのかもしれませんね…」というコメントが印象に残った。 読谷村だけで、数百人の「朝鮮人軍夫」が連れて来られたが、その多くは戦闘に巻き込まれ亡くなったという。また、慶良間諸島の一つ、阿嘉島では、空腹のあまり畑から稲や芋を盗んだ「朝鮮人軍夫」が処刑されるということも起こっている 実は、このような沖縄戦の「朝鮮人軍夫」に関して、NHKのアーカイブにアップされていて、誰でも観られるようになっている(このアーカイブはすごいと思う)。もっと、平和教育の中で、このような事実を伝えて行きたいものだ。 そして、その後、沖縄でそのことを語らずに生活していた元「朝鮮人軍夫」もいるであろう(いたであろう)ことも考えたい。 [証言記録 市民たちの戦争]“朝鮮人軍夫”の沖縄戦
by hideki_sunagawa
| 2011-12-03 06:14
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