2011年 10月 25日
日曜日に、「沖縄の産業まつり」の会場、奥武山公園に行った時に、「みなと村役場跡」の説明があるのを見つけた。 それには次のように書かれてあった。 ーーー 沖縄戦の後、特別に設置された行政区みなと村の役場跡。 1945年の沖縄戦の後、米軍専用となった那覇港での米軍需物資や民間の食料品等の荷役作業は、当初日本軍捕虜によって行われていたが、捕虜の解放、本土への引揚げにより、沖縄県民約2千人の那覇港湾作業隊が組織された。 この作業隊及びその家族を含めて約1万人の生活・労務管理等を円滑に行うため、1947年5月1日、当時の沖縄民政府によりみなと村が設置された。初代村長には港湾作業隊の指揮を執っていた国場幸太郎氏が就任。役場庁舎には奥武山の世持神社の建物が使用された。(略) 1950年、港湾作業が民間の業者による請負制になったため、村存続の意義がなくなり、同年8月1日那覇市に合併し、みなと村は解消した。 ーーー 国場幸太郎氏(1900-1988)と言えば、沖縄では、ある一定の年齢以上の人ならほとんどの人が知っていると言っても過言ではない実業家だ(この村長が同姓同名の別人でなければ…)。彼が、創設した國場組は、沖縄で最も有名な土建・土木会社の一つ。その彼が、「みなと村」という村の村長をしていたとは、知らなかった。 最初、「これをきっかけに國場組ができたのかな?」と思ったが、ネットで調べてみたら、國場組は1931年の創業。戦前に既にかなりの成功をおさめていたようだが、沖縄戦が始まって一旦解散したようなので、やはり戦後の基盤は、この「みなと村」をきっかけに築かれたのかもしれない。 それにしても、三年しか存在しなかったこの村はどういうものだったのだろうか?国場幸太郎氏のその後の沖縄での影響力を考えると、彼がこの村の村長を務めていたという歴史は軽視できないかも…と想像を膨らませたつつ思ったりする(意外とそんなに決定的な影響はなかったのかもしれない可能性もあるけれど…)。
by hideki_sunagawa
| 2011-10-25 06:15
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