2011年 05月 17日
アクティビストの大先輩 南定四郎(みなみ・ていしろう)さん。日本で初めての性的マイノリティのパレード「東京レズビアン・ゲイ・パレード」を1994年に実現した人だ。彼が編集長を務めていたゲイ雑誌『ADON』は、1980年代の後半からゲイリブに関する情報を積極的に掲載するようになり、現在の40代以上のゲイで影響を受けた人はとても多い。 実は、現在の「東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」ももとはと言えば、彼が始めたもの。ILGA日本というリベレーションの団体をつくり、「AIDS ACTION」という団体も率いていた。日本のゲイリブの歴史で忘れてはならない一人であることは間違いない。 その彼が昨年から沖縄に住んでいるということは聞いていたので、自分が引っ越す前から連絡をとっていた。そして、今日お茶をすることに。 共有する歴史 南さんとお会いしたのは1990年のこと。ILGA日本の中で、「虹工房」という勉強会があり、それに参加したときだった。そこで読んだ文章について書いた感想文が、ILGA日本の機関誌「Wing」に掲載されたりもした。 その後、僕はHIVと人権・情報センターに(そして1994年からぷれいす東京に)関わるようになったので、彼と同じ組織で活動することはなかったが、当然ながら色々な場面で顔を合わせたりすることは多く、年齢はかなり離れているにも関わらず、1990年代の活動の歴史を共有しているという感覚が強い。 パレード 彼は、1994年に日本で初めての性的マイノリティのパレードを実現し、1996年まで大規模な形で開催。しかし三回目に、運営側とそのやり方に反発するグループとの間で、当日もめ事が起き、その後、事実上消失したような形になる(「ような」というのは、実際にはその後も、周知される形ではなかったが、数十人規模で毎年おこなっていたからだ)。 そして、僕が2000年に東京レズビアン&ゲイパレード(現在の東京プライドパレード)を始めるのだが、僕は彼のパレードには全く関わっていなかったし、パレードの開催方法について教えてもらったことがあるわけでもないので(「パレードをやります」という挨拶の電話はしたが…)、直接何かを引き継いでだわけではない。 しかしもちろん、彼があのパレードを開催していたからこそ、パレードのイメージが抱け、そして「東京でまたパレードを!」という声が聞こえてきたわけで、やはり彼のパレードと僕が始めたパレードはつながっているのだ。 Empowered 南さんとお会いするのは何年ぶりだったろう?もしかしたら十数年ぶりだったかもしれない。しかし、不思議とその空白をあまり感じなかった。80歳手前の年齢ながら(という言い方は失礼かもしれないが)、変わらずお元気で、エネルギッシュで、そのお姿を拝見しているだけで力づけられた。 そして、いろいろ話す中で、彼が『ADON』の編集長を始めたのが43歳のときだったと知り、驚くとともに更に勇気が湧いてきた。それは、ちょうど今の僕と同じくらいの年齢だからだ(そして、彼がゲイリブを始めたのは、なんと50歳の半ばに差しかかる頃)。 そんな経歴を持つ彼だからこそ、僕に「まだまだ若いから大丈夫」と言ってくれた。なんて力強いお言葉。僕も数十年後に若い人に同じことが言えるようにがんばろう。
by Hideki_Sunagawa
| 2011-05-17 22:19
| LGBT/gender
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