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2011年 03月 23日

原発に思う2

原発の問題がなかったら、社会全体の意識や資源をもっと被災者のサポートに集中できたのに…と思う。

どれくらいの時間をかけるか、どのようなプロセスを経るかは考えるところがたくさんあるとはいえ、もはや、脱原発は必然のように思える。

だが……なんと、東京新聞の意識調査では、「国内にある原発は今後、どうすべきだと思うか」という問いに対して、「運転しながら安全対策を強化していく」が56・2%と半数を超えたという。「いったん止め、対応を検討する」は25・2%、「やめて、別の発電方法をとる」は14・1%だった、とか。

まぁ、選択肢自体がかなりトリッキーな感じもするが、それでも、この期に及んでこういう結果なのだから、今のこの原発の問題も、多数の人の選択によってつくりあげられてきた社会の結果と言わざるを得ないだろう。


首都圏の人たちが主に使う電力のために地方に押し付けられた原子力発電所、という構図は、沖縄の基地問題に通じるものである。それゆえに、特に沖縄に住んでいる友人たちからは、その原発ゆえにあたふたする東京の人たちを冷ややかに見る声もちらほら聞こえてくる。

僕も、自分たちが押し付けてきたものについて考えるいい機会だと思っているし、慌てふためく人たちの姿に、正直「なんだかなぁ…」と思う。


しかし、それは、果たして首都圏や大都市の人たちだけの問題だろうか? 原子力発電所を過疎地域に押し付けることで、利益を得てきたのは大都市だけなのだろうか? 

もちろん、直接的にわかりやすい形ではそうかもしれない。だが、大都市は日本の地方の生産物の大消費地である。大都市でつくられる娯楽が、地方でも享受されている。都市から地方へ観光に行く人も多く、また、地方から都市へ遊びに来て都市性を楽しむ人もたくさんいる。

モノやサービスがどんどん拡大していくことや、夜から闇が消えて行くことを望む欲望が集積された結果としてあるのが、都市の過剰な消費なのであり、その欲望は都市に住む人たちだけが持っているわけではない。

いやもちろん、だから地方も「同罪」と言うわけではない。そう言うことによって、すべてを相対化するつもりもない。ただ、大量生産、大量消費、大量廃棄の社会の中にいる私たちを、住んでいる地域で単純に加害者/被害者のように分けることはできないということなのだ。

さらに、グローバルの視点から、日本そのものが自らの経済発展のために途上国に様々な犠牲を強いてきたことも指摘できるだろう。自分がそのような構造に反対していようといまいと、組み込まれているという事実は消せない。その中で、自分はどのような形でどれだけそのような構図に抵抗できるかということが重要だ。

それは、原発の問題や、途上国で日本がおこしている公害の問題、フェアトレードへの取り組みという形だけでなく、貧困の問題への関わりという形でもありえるだろう。もちろん、基地の問題も。あるいは、一見それらとは関係ない問題でも、根がつながっている問題は山ほどある。

僕は、どこにいても、自分の社会問題意識に基づいてできることをやっていく。やはり、どんなに揺らいでも、その立場に戻るしかないのだと実感している。

by Hideki_Sunagawa | 2011-03-23 23:10 | Diary


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