2023年 07月 31日
せっかく再開したブログも続かず… 7月は、大きな出来事があったのだけど書けていなかったので、代わりに、私が個人で発行しているメルマガの8月号に書いた文章を再掲。 ーーーー 7月は大変な月だった。 各SNSで公表し、個人的に伝えたりもしたのでご存知の方も多いと思うが、あらためて詳細の報告を。 7月6日(木)に狭心症で、CCU(冠疾患集中治療室というICUの心疾患版)に緊急入院し、翌日7日(金)七夕の日に緊急手術を受けた。手術と言っても、腕の動脈からカテーテルを入れ、詰まっている心臓の冠動脈でステント(金属の極小の網)を膨らませて固定する、ステント治療というもの。 このことをSNSで公表したら、「私も入れました」「●回ステント治療受けて、〇個入っています」という人がたくさんいて、こんなにいるんだと驚いた(高校の同期生で、今月だけで二人もステント治療を受けた人がいた)。 ▼じっと我慢の3時間 詰まってる場所の関係からバイパス手術になる可能性も、と言われていたので、ステント治療で終わったことに心から感謝したけれど、ステント治療は、カテーテルを入れる部分だけに麻酔をする部分麻酔なので、意識はずっとあり体も普通に動く状況で、3時間じっと動かずにいることのがつらかった。 ずっと目を閉じ、「修行と思おう、いやいや苦行…」とインドで自分を痛めつけたりしながら苦行する人たちの姿を思い浮かべたり、「お地蔵さんになったつもりで」と近所にある大きな地蔵の姿を思い浮かべたりして我慢。 手術した若い医師二人の会話も聞こえるのだが、最初に、もともとステント入れるところと違う問題が見つかったらしく、「あ、これは見なかったことにしよう」とか、術部が難しかったせいでステントがぴったりはまらないのか、「ちょっと浮いてるよね」と言いつ、「もうこれはしょうがないよね」とかなんとか言っていて、「えー?」と不安な気持ちに(浮いてるというところは、何度もバルーンを膨らませたのでできるだけ調整して、問題ないレベルだったと思っているけれど) 心筋梗塞を起こしていたり、術中に異変があった場合には、太ももからカテーテルを入れるらしい。そうなると、術後、退院まで2週間ほどかかるのだそう。幸い腕からで済んだ私は四日後には退院。一般病棟の医師はもう1ー2日入院させつもりだったみたいだが、CCUの医師は早ければ日曜日に退院できると言っていたし、水曜日にとても重要そうな上司との面談があったので、ちょっと強引に退院したのだった(しかし、その面談は蓋を開けてみれば、私には直接関係ない内容で「…」となった) ▼異変の始まり さかのぼると、私が心臓の異変に気づいたのは、入院の3-4週間ほど前のこと。いつもの駅までの道を歩いただけで、息苦しくなったり胸の圧迫感を感じたり。そして、母の一周忌のため沖縄に帰省する日(6/22)、バタバタと準備して空港に向かうとかなり苦しくなり胸バクバク。そのときに、これまで友人から聞いた話と重ね合わせ、「これは…心臓の血管のつまりだ」と確信していた。 しかし、沖縄にいる間に病院に行くのも大変だし…ということで、東京に戻ってから、仕事の入っていなかった日、6/30(金)に東京医科大学病院(以下、東医)に予約外で、もともと別の病気でかかってる科に受診。「もともと」と言っても、沖縄へ帰る3日前に長らくかかっていた病院から転院したばかりだったが、その担当科の医師が迅速に動いてくれ、その日のうちに循環器科を受診することができた。 そのときの循環器の医師は、とても熱心で対応の良い若い女性の医師だった。緊急でその日にCT検査の予約を入れようと担当部署に掛け合ってくれたのだが、造影剤を入れるため今飲んでいる糖尿病の薬を二日ほど止めないといけないということで、7/4(火)に検査することになった。 そして、検査。検査後、緊急の問題があったらその日の夕方までに連絡しますと言われたが連絡がなかったので、「あー、よかった、違ったんだ」と思って安心していた。しかし… ▼出勤後、電話が 翌日朝9時半に病院から携帯に電話があった。診察した医師とは違う男性の医師(あとで予約表を見直したら、検査後は彼が診察する予定になっていた)、「できるだけ早く入院して治療を受けてください、ベッドが空いていれば今日にでも」と言う。 私は、もう戸塚キャンパスに出勤していたので、東医(@新宿)まで、2時間近くかかる。それに、職場で翌々日の7/7、私が担当している「ボランティアフェア」という大きなイベントがある…。かなりの部分を私が担っているので、引継ぎをしないとやばい。 結局、電話口では、もともと診察の予定になっていた翌日に相談しましょう、ということになった。私は激しく動揺しながら、引継ぎの書類づくりにとりかかった。おそらく、その動揺と、仕事を急がなければという焦りが悪かったのだろう(狭心症にはストレスで悪くなったりする)。座って事務作業しているだけで胸が苦しい…。 そして、一通り引継ぎの書類をつくり終わったのが14頃半頃。早退して病院に行こうと思い、東医に電話した。先の医師に症状を説明すると「すぐに来てください」と言う。「でも、戸塚なので2時間後くらいになります」と私。 「それなら救急車呼んで、すぐに近くの病院に行ってください!心筋梗塞起こし始めてます!」 「え…」 「命にかかわります!」 私は一層焦り、心臓バクバク。そして、職場に救急車を呼ぶことになった。 ▼救急搬送 そりゃあ、もうてんやわんや。いざ救急車を予防とすると、どういうプロセスを経るのかその場の誰もわからず、白金キャンパスにいた主任に電話で確認、その指示で保健センターに電話、保健センターからは「直接119に電話してください」と言われ、直接自分でかけるという流れに。 心筋梗塞は、起こした人の3割が亡くなるという。助かっても、遅くなればなるほどダメージが大きいので、焦ってイライラ。救急車が来る10分あまりが長く感じた。しかし、痛がってるわけでもなく自力で歩けるし、心電図とってみたら「とてもきれい」なので、救急隊員はすっごい冷たかった。検査からの流れを説明しても、なんで救急車を呼んだんですか?みたいな。あまりにも感じ悪いので、途中で降りようかと思ったくらい。 そして、近くの病院の救急外来へ。幸い、心電図や血液検の結果、心筋梗塞は起こしていないことがわかった。全然知らない、住まいから遠いところ入院するのは嫌だと思っていたので、ホッとした。医師は、カテーテルを入れて検査したいところだけど…と言っていたが、私はかかっている東医に行きたいと強く希望。他の医師も「家に近いところがいいもんねぇ」と理解してくれ、重々注意しながら帰ってくださいと帰らせてもらえた。 ▼そして入院&手術 心筋梗塞を起こしていないと安心したせいか症状も収まったので、もともと診察を受ける予定だった翌日まで待って東医へ。そのまま入院することになるだろうと予想していたのだ、何枚かの下着や普段飲んでる薬などを持って向かった。そして案の定、即入院。 CCUでは絶対安静だったので、入院した日、術後の二晩の合わせて三晩、ずっとベッドの上。排尿はベッドの上で尿瓶へ。排便はベッドの上で便器を差し込む形でと言われたが、さすがに出なかった…(入院中ほとんど出なかった)。 そんな入院中に考えていたこと、ありがたい友人たちの支え、若い医師二人によるステント治療中の会話が不安にさせるものだったこと、そもそも症状が気になって病院に行ったの背景には偶然のできごとがあったことなど、他にもいろいろ書きたいことががあるが、ここまででずいぶんと長くなったので、それはまた今度!(と言いつつ書かないかもしれないけど) あ、今は元気に復活しているのでご安心を! #
by hideki_sunagawa
| 2023-07-31 18:00
| Diary
2023年 05月 14日
長いです。まだ推敲不足なので、誤字脱字たくさんあるやも ▼30年来の友人と食事 さて、「のど自慢」終了後、その前に一緒に御苑に行ったHさん、「のど自慢」に後から来た友人のTちゃんと二丁目で食事(あと、Hさんの友人で、私もTwitterで繋がってるKさんも含め四人) Tちゃんは、実は30年来(!)の友人。彼女は、ぷれいす東京の最初の専従スタッフだったのだが、働き始めて数ヶ月して起きた阪神淡路大震災被災地でボランティアするために抜け、その代わりに働き始めたのが私…。 出会いは、ぷれいす東京が始まる前、私がHIVと人権・情報センターに関わっていた頃だ。出会った頃の印象は、陽気で元気で、英語が堪能で優秀な人。 その印象は今も変わらない…というより、さらに、NGOの事務局長として、大学教員として活躍している彼女に対して、一層尊敬の念を抱いている。ぷれいす東京などのイベントで、通訳などもこなしていて、急な依頼も快く引き受けているのもすごいなぁ、と。 長い付き合いの友人とはたいていそういう関係だったりするが、彼女にも物心ともに助けられてきた。 30年くらい前のぷれいす東京での思い出話も含め、あれこれ話せてとても楽しかった。そんな楽しい会食を終え、ほんとうは一緒に飲みに行きたいところだったけれど、翌朝が早いし(他の人にはフツーな時間だが、私にとっては…)ということで、解散。 ▼二丁目で救急車を呼ぶことに 高揚した気分だったこともあり、ちょっと二丁目の中を遠回りして帰ろうと、仲通りから横道に入った時のこと。 少し先で、お尻を地面についた状態の70代と思しき男性(以下、男性 )がおり、その人の目の前で少し腰を屈めている若い男性(以下、若者)がいる。近づくと、若者は「大丈夫ですか?」と 私も近寄り、どうされましたか?と声をかける。「尻もちついたようで…」と言う若者。男性は、リュックを背負い、杖を持っている。1人では立ち上がれないようだ。 「立ち上がるのを手伝ってもらえたら」と男性が言うので、二人で立ち上がるのを手伝った。それでも、大変そうだったが、なんとか立ち上がることができた。 しかし、少し歩こうとすると、「痛たたた…」ととてもつらそうで、私に完全に体重を預けるように寄りかかってきた。酔ってるせいかな?と思ったが、最近、足を骨折して治ったばかりだと言うので、「これはまた骨折したかも…」と思った。本人もそう感じてるようだった。 「タクシーを」と言うのだが、仲通りへは一方通行でこちらには入って来れないし(ぐるっと遠回りして来てもらう手はあるが)、タクシーに乗せたとしても、これでは降りた時に歩けないだろう。 若者とも相談しつつ、本人に「救急車を呼びますね」と。私は男性に体重をかけられたままだたので、若者に電話してもらった。 本人も立った状態ではとても辛そうだし、ずっとその状態のわけにもいかないので、数歩先にある、ある店の外に出してあったスツールまでなんとか歩いてもらい、座ってもらった。雨で濡れていたスツールを拭くこともできず、そのまま座ってもらうのも申し訳なく思い、そう伝えたが、それどころではない様子。かなり痛そうだった。 彼が座ったあと、スツールを出している店に顔だして状況を説明し、「椅子借りてます」と言い、救急車に伝える住所がわからないので、尋ねたり。救急車とのやりとりは若者がしてくれて、仲通りで救急車を待ち構えたりしてくれてたので、私は、男性の背中に手を当てながら話しかけた。 救急車が車で10分くらいだったろうか。しかし、待ってる間がとても長く感じられた。男性はしきりに「すみません」と言う。以前折ったのは大腿骨らしく、話からするとボルトが入ってるようでもあった。 救急車から、若者の電話に確認の折り返しがあったり、なんだり…。そうこうしているうちにようやくサイレンが聞こえ、若者が仲通りに出て合図してくれた。ほっ。 ▼流れで若者の勤めるバーへ 救急車といえば、昔、沖縄に住んでる頃に、母親が倒れたときに付き添ったり、自分が激しいめまいで動けなくなったときに呼んだことがあり、いずれも、救急隊員は、「惚れるぅ」と思うくらいとても優しかったので、そのイメージでいた。 しかし、降りてきた三人の救急隊、心配する声もあまりかけず、サバサバした印象。台車上の担架をそばによせ、スツールに座ってる男性に、「持ち上げますよよ」と大腿の下に手を持ち上げようとする。しかし、当然、むちゃくちゃ痛がる。 すると救急隊員は、「持ち上げないとしょうがないですよ」とちょっと冷たいトーンで。私は、「えっ?こんな言い方?」と思った。そのあとも、あまり温かみはなく、サバサバとこなして担架に乗せていった。 私と若者は、状況を説明し、荷物と杖を隊員に渡し、お礼を言う男性と握手をして見送った。 若者(以下、彼)に、彼の行動がすばらしかったと話し、用事がある様子だったのに用事先に連絡して一緒に対応してくれたことのお礼を言った。彼も、「ひとりじゃ無理だった」と。 帰らなくてはいけない用事があるのかな?と思ったら、これから店に出勤と言う。彼の労を労うことができたらと思い、どういう店か聞いたら、FTMバーと。そして誰でも入れるミックスバーなこと、値段も二丁目のゲイバーと同等なことを確認できたので、行くことにした。 彼はあらかじめ、マスターに簡単な状況説明と遅れそうとラインを送ってあったので、店に入り、二人で詳細を話した(もちろん、注文してから)。 すると、びっくりする話が。 先客のカップルが、「あれ、その人、茶色のリュック背負っていませんでした?」と言う。「そうそう!」と話したら、この店に来る前に、その男性に路上で声かけられ、通りに面したお店で二人ともいっぱいずつおごってもらったというのだ。 その後、別れたあとに滑って尻餅をついたのだろう。 えーーー!?そんな偶然が?と、皆、驚いた。 男性がたまたま路上で声かけておごった二人は、男性が尻餅ついたときにたまたま通りかかった店のお客。まぁ、私も含めて言えば、たまたま通りかかり、そして、FTMと聞いてもすぐにわかる(ゲイにはわからない人もいる)人間で。 なんだか不思議なことがあるもんだなぁ、と思った。 それにしても、その後、その男性はどうだったろう? 「治ったと思って、久しぶりに出た」と語っていた。またどこかで元気な姿を拝見できたらいいな。 #
by hideki_sunagawa
| 2023-05-14 23:00
| Diary
2023年 05月 14日
▼久しぶりの新宿御苑、ユリノキの花! 「そういえば、最近、行ってないなぁ…」と思い、、新宿御苑に足を運んだ。 また、妙に下草が刈られてさっぱりしてしまった様子を複雑な気持ちで眺めつつ(→ 2023.03.02「刈り取られていくもの」)、御苑のシンボルのような巨木ユリノキへ向かって歩いてみる。 近づくにつれ、花が咲いてるのがわかった。初めてユリノキの花を見たときの驚きを思い出し、ワクワクした。樹に似つかわしくない印象を受ける大きな花。ユリというより、チューリップのようだ。ちなみに、wikipediaによると↓らしい 学名の種小名 tulipifera は「チューリップ(のような花)をつける」の意味である。本種が日本に渡来した明治時代にはチューリップがまだポピュラーではなかったため、ギリシア語由来の属名である Liriodendron(lirion ユリ + dendron 木)を「ユリノキ」と訳し、これが標準和名となった。 数年ぶりに見た開花したユリノキは、やっぱりなんだか不思議。いつ頃が開花時期か覚えておらず、なかなか目にすることがないので、久しぶりに見ることができて気持ちが高揚した。 そして、遠目に花が咲いているのが見えたバラ園へ。こちらも美しい。たくさんの種類のバラがあって、名前もそれぞれユニークで、何度見に来ても飽きない。 また、御苑の魅力はなんといっても、こうした整備から盛れる植物の美しさ。 すっかり御苑を満喫して、その前に洗濯も済ませたし、休むの日はぼーっと過ごすことの多い私にしては、上出来な始まりだなぁ、と思った。 そんな前向きな気持ちがよかったのか、この日はとても楽しい、感動する、不思議な一日となった。 ▼友人と二度目の御苑 家に帰り、「今日はもうこれで十分…」と思いつつ、ふと、1ヶ月ほど前に「また食事かお茶でも」と言ってそのままになっている友人をお茶に誘ってみようかな…と思い立った(別の話題で午前中にやりとりしていたこともあり) 急だし、ダメ元で…と誘ったら、オッケーだった! わーい。甘いもの食べたいと思ってたらというので、新宿で甘いもの食べられる喫茶店を調べてみたのだが、なかなか決まらない。 「そうだ、甘いものをデパ地下で買って、また御苑に行けはいいんじゃいい?」と思い、提案したら乗ってくれたので、そうすることに。 伊勢丹のアンリシャルパンティエの「10種のフルーツを使ったタルト」を買い、本日二度めの御苑へ(写真を撮るののを忘れたので、↓の写真は公式サイトから)。私がカツカツな生活を知っている彼の奢りとなった。ありがたや… 雨が降ってきそうだったので、芝生の上は断念して東屋へ。美味しいタルトを食べつつ、あれやこれや。パートナーシップに関すること、最近の出来事、共通する知り合いのこと、etc. 私が気づかなかった視点での指摘などに感嘆したりしながら、あっという間に時は流れた。 話をしているうちに、5時から始まる「Living Together のど自慢」へ一緒に行こう、その前にまたバラ園へ、と向かうと、雨が降りだした。雨の中のバラもまた美しかった。 ▼のど自慢 「Living Together のど自慢」は、「HIVをもっているひとも、そうじゃないひとも、まだよくわからないひとも、わたしたちはもうすでに、いっしょに生きている We’re already Living Together.」をコンセプトとするイベント。 「Living Together」というのは、他の様々なイベントも含めて使われてきたキャッチフレーズで、「のど自慢」はその一つ。出演者が、HIV陽性者 or 周囲の人の手記を読み、感想を言って、歌を歌う。2006年から開催されてきた。数ヶ月に一度、開催されている。私も一度、コメンテーターを務めたことがある。 参加するのは久しぶりかな。今回は、4月22-23日に開催された東京レインボープライドへ(TRP)の「Update HIV」のフロート出展(=そのテーマでのブロック構成)の振り返りも兼ねていた。 出演者が読んだ手記が、たまたま当日会場にいたある方の手記で驚いたり、私の古巣「ぷれいす東京」で今活動している福正大輔さんの手記に涙をして(薬物使用や「依存症」をめぐる考え方は私と全然違うが)、TRPのスタッフとして参加した若い二人(二人とも那覇市出身)の話に心動かされたりした時間だった。 そんな時間の中で、私にとって一番印象に残った(というより、心に刻まれた)のは、TRPへのフロート出展振り返りの中で、「JaNP+」(日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラス)の代表、古くからの知り合いでもある高久陽介さんが語った言葉。 彼は、話の途中で、「今日、砂川さんがここにいてくれて嬉しい、(2000年代に)パレード続けてくれてありがとう」と(正確な表現は覚えていないけど)。あまりにも意外な言葉に、私は驚き、涙がぐんだ。 その後の休憩のときに、彼の元に寄り、「You are so sweet heart」と言ったら(なんて、優しい人なの、の意味で使ったつもりだが、英語とかなり間違っている感<You are so sweetでよかったはず<「女性的」な表現とされるが)、こらえ切れず、涙が流れてしまった。私は、自分のやってきたことが評価されていない(どころか、嘘で棄損されている)ことに深い傷を持っているだけに、彼の言葉はほんとうにありがたかった。ありがとう、よーこちゃん。 全体を通して良い雰囲気のイベントでした(↓出演者等の集合写真) 私自身、知人、友人に会えて、パレードのときに引き続きHIVコミュニティに参加できた感じに力をもらった日でした。 はっ! この日の話はまだまだ続くのだが、ここまでですでに長くなってしまった、不思議な(?)出来事はこれから。これを(前半)として、(後半)は後日、アップします! よかったらまた読んでね。 #
by hideki_sunagawa
| 2023-05-14 21:00
| Diary
2023年 05月 13日
遡って記録(執筆は5/13) 東京レインボープライド(TRP)、二日目。パレード開催日。 この日は、そんなにウロウロせず、パレードで参加するHIVテーマのフロート/ブロック(連)「#Update HIV」を運営している団体akta、ぷれいす東京、ジャンププラスのブースあたりに主にいる感じで。 (「#Update HIV」は、特定非営利活動法人 akta、認定特定非営利活動法人 ぷれいす東京、特定非営利活動法人日本HIV陽性者ネットワークジャンププラス、公益財団法人 エイズ予防財団による企画・運営) パレードは、200-250人くらい一単位のブロックに分かれるのだが、今回は、なんと39ブロックもあるという。その中で、「#Update HIV」は19番目。出発まですごい待つだろうなぁ、と思ったけれど、案の定。1時間以上待ったと思う(ちゃんと時間は測っていなかったが体感では1時間半くらい)。そんなに暑くもなく、雨が降ることもなかったのが幸いだった。 私は、ここ数年、パレードは福島光生さん(東京レズビアン&ゲイ・パレード2001 実行委員長)と一緒に参加している(というより、声をかけていただいてご一緒させてもらってる感じ)のだが、福島さんや、その他知ってる人とおしゃべりしながら待つ感じで。 また、ぷれいす東京のスタッフでもある福正大輔さんが、いろいろ声をかけながら、場を和ませてくれた(そのように待ってる間、パレードのボランティアスタッフなどが盛り上げたり交流するきっかけをつくるといいよなぁ、と東京プライドパレードをやっていたときに思いつつできなかったので、それをやってる姿に感動した)。 HIVテーマのブロック、どれだけ人が集まるかなぁ、と思っていたけど、いっぱいで、歩いてるときの「Update HIV」「We are positive」というシュプレヒコールも盛り上がった。 また、沿道にはずっと人がいて、手を振ってくれる人がたくさんいて、嬉しかった(2000年代の最初の頃は、沿道から応援する人が少なかったので、2001年には、友人だった高田良実さんの発案で「沿道応援隊」というものをやったりしたもんだ) (パレード中は、実はほとんど写真をとらなかったという) #
by hideki_sunagawa
| 2023-05-13 16:30
| Diary
2023年 04月 22日
遡って記録(執筆は5/13) 東京レインボープライド(TRP)へ行ってきた。パレードは二日目なので、初日、4/22(土)は会場を散策。 昨年もそうだったが、職場(明治学院大学ボランティアセンター)に、資料を展示しようと思い、最初はまめにブース回って、資料をとっていたのだが、あまりのブースの多さに少しすると断念するという… (出店は企業が大部分だが、以下、主に公的なところ<ごくごく一部) 今回、一番気になっていたのが、全国日蓮宗青年会(略称は全日青らしい)のブース。事前に、いつもお世話になっている宗教学者の先生から教えていただいて、仏教タイムスの記事で出展などの取り組みについて読んでいたのだ。TRP直前には、東京新聞も記事(2023.04.20)も記事を書いている。 全日青のブースが気になっていたのは、私自身は特に宗派に属しているわけではないが、仏教に関心を持っているのと、日本では、「無宗教」という回答をする人が多いとはいえ、社会全体として仏教の影響は強いので(意識するかしないかさておき)、今後、仏教がどれだけLGBTQの問題に取り組んでいくかが、社会全体にも大きく影響するだろうと考えているからだ。 これまで、二度、それぞれ違う宗派に講演でうかがったことがあったが、自身勉強になる部分もあり、さらに仏教について知識を深めて、またうかがえる機会があればいいなぁ、と思っている。 その後、途中で、友人の小田さんと合流し、ひとりだとなかなか撮れない写真を撮ってもらったり。 その後、二人と別れて、韓国から来ている文化人類学者、Cho Sumiさんと合流。彼女とは大学院時代に出会って以来の仲良し。ここ数年、韓国のクィアフェスティバルなどLGBTQ関係のことを調査していて、今回、韓国と日本の交流について調べるために来ていた。 前夜に、新宿で合流し、一緒にタックスノットへ行ったばかりだったが、この日も会って、彼女の研究と関係しそうな人たちを紹介した。 TRPは、懐かしい顔とたくさん会えるのも楽しい。今回、例の本の問題で心配して声をかけてくださる方が多く、力づけられた。ほんと、ありがたい。という感じで、翌日は、二日目のパレード参加! #
by hideki_sunagawa
| 2023-04-22 18:00
| Diary
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