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2011年 10月 21日

沖縄に引っ越して変わったこと

沖縄に越して半年+6日。東京にいた時とインターネットによるつながりが変わらないせいか、あるいは、この間に二回、東京に5日〜6日滞在したせいか、今も東京から離れているという実感はあまりない。でも、色んなことが少しずつ変化している。
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▼痩せた!!

沖縄に来たら太るんじゃないかなぁ…と思っていたけれど、なんと、東京にいた頃より6−7キロ痩せた。別に「痩せよう」と意識したわけではないので、びっくり。

要因はいくつかあると思うが、一つは、近所のJAおきなわ直売所で売っている野菜が安いので、野菜を前より頻繁に食べるようになったことか。あと、外で友人とカフェに入るということが減ったことも関係しているかもしれない。

カフェに入るとついつい甘いものを食べてしまうし(家にいても食べるんだけど…)、カフェではコーヒーを飲みたくなるのだが、コーヒーを飲むと、どうやら僕の場合かなり食欲が促進されるようなのだ(これは沖縄に来てから気づいた)。あと、ストレスによるヤケ食いが減ったかも。

また、今のところ、自動車も原付も自転車もないので、徒歩で移動することが多く、それもいい運動になっているだろう(なので、車を運転し始めたら、どうなるかわからない…)。しかし、元が元なので、まだまだ肥満体型ではある…。


▼テレビを観る時間が減った!

これは、沖縄に引っ越したからというより、大震災後にテレビのニュースがいかに馬鹿馬鹿しくヒドいものかということを、これまで以上にはっきりと認識するようになったことがあるかもしれない。

しかし、それに加え、やはり大メディアの発信するものの大部分が、東京圏で(あるいは東京圏に住んでいる人によって)制作されている以上、東京の空気感を内包していて、沖縄から見ているとリアリティを感じなくなってしまったことがあるような気がする。

沖縄を離れるまでは別に意識しなかったが、東京で生活していると、テレビの中の世界が東京の街を反映していることに気がつく。いや、僕は、ポップスといった音楽でさえも、東京の(あるいは本土の)雰囲気を含んでいるかのような印象を受ける。もちろん、それを前提として楽しむことはできるわけで、拒否する必要はないのだけれど。

その反面、地元のテレビ番組を観るとほっとする。沖縄のニュースは、大都市のニュースより実a0137527_21201930.pngに堅実だし、自分たちのポジションを明確にしている。

エンターメントでも、子ども向けの戦隊ヒーロー「琉神マブヤー」(RBC)は、評判通り実に面白い。

沖縄を舞台にしているだけでなく、会話も沖縄の雰囲気をしっかり反映して作られていると思う。

僕は、バラエティ番組の「ゆがふぅふぅ」(OTV)が大好き。特に、その中のコーナーの一つ、「つぶやぎシルー」がツボにはまっている(笑) 

つぶされそうになるヤギが、毎回、沖縄のことわざを飼い主の島袋さんに教えて難を逃れるのだが、初めて聞く沖縄のことわざばかりで勉強にもなる。


以下、YouTubeにアップされている「つぶやぎシルー」
(直接画面を撮影しているようなので画質は良くないけど…)

「くみちゅちぶん てぃんからぁ ちゅたーらなてぃみゆん」の回
…ちなみに、この中に出てくる、沖縄で祝いの席で踊られる「かぎやで風」は「かじゃでぃ風」と読むのが正しいらしい(歴史的仮名遣いで「かぎやで風」と書かれるとか<この前、友人に教えてもらった)

「しめーしっち むのーしらん」の回

「ちむさーに かーぎこいん」の回


この中で使われている言葉は、「うちなーぐち(沖縄の言葉)」というより「うちなーやまとぐち(沖縄風の大和言葉)」だ。よって、おそらく「『本当の』うちなーぐち」を復興させようとしている人には、ここで使われている言葉に疑問を持つ人も多いだろう。でも、僕は、この混淆的な感じが好きだし、これくらいの「うちなーやまとぐち」を場面によって楽しむ、というのが「うちなーぐち」復興としては、現実的だろうと思っている。

実は、「うちなーぐち」復興運動(?)には色々疑問に思うところもあるのだが、それはまたいつか改めて。


▼なぜかクロトンに興味が…

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(店先におかれた立派なクロトンの鉢植え)

末吉公園に行ったときの日記にも触れたが、沖縄に帰って来てから、なぜか「クロトン」という観葉植物(常緑低木)に興味を持つようになった…。観葉植物と言っても、沖縄では庭先に植えられていたり、街路樹として使われていたりする。

種類が多く、葉の形、色も様々なので面白い。昔は、「地味な植物なのに、いろんなところに植えられているなぁ…」としか思っていなかったのだが、この地味さを愛でられるようになったのは、年齢のせいか。

たぶん、あちこちで見かけるということが、関心を持つきっかけになったのだと思う。今ふと、ネットで沖縄とクロトンの関係について調べたら、こんなTシャツを発見!かっこいい!(って、勝手に写真持って来ちゃったけど…宣伝するからいいかしら…?)

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(「琉球ぴらす」さんのクロトン模様のTシャツ → ここから購入できる)。

また、先日、ジュンク堂に行ったときに『沖縄の美しいクロトン』という書籍があるのを見て驚いたが、この本、実は「国内では実に38年ぶりのクロトン本」らしい。その著者を紹介する記事によると、この本はクロトンに惚れ込んだ人の自費出版だったようだ。

沖縄タイムス記事「研究50年 専門書出版 クロトン愛好家 野国昌慶さん(64)」

こういう人が沖縄にいることを考えると、僕がクロトンに惹かれ始めたのは、やはり沖縄への居住があってこそのことなんだなぁ、と思う。


▼理由不明の変化

そして、最後に…冗談まじりながら、本当の、沖縄に帰ってからの不思議な変化。それは、蚊に刺されなくなったこと。なんと、この半年に蚊に刺されたのはたった一回!「もしかしたら那覇に蚊はほとんどいなんじゃないか…」と思ったくらいだ。

でも、東京から遊びに来ていた友人が、夜に崇元寺(近所にある)に行ったらひどく刺されて帰って来たので、いないわけではなさそう。でも僕も、夜にではないが、崇元寺に何度も行っているのだけれど…。

ちなみに、今住んでいるマンションでは、小さいクモやショウジョウバエは時々みかけるが、蚊も蝿もゴキブリも越して来てから一度も見たことはない(逆に大丈夫か?という気もするけど…)。

東京にいるときは、それなりに(?)刺されていたんだけどなぁ…ほんとに、謎だ。沖縄に馴染んだら刺されるようになるのだろうか…(刺されたくないけど)。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-21 06:01 | Okinawa
2011年 10月 20日

カミングアウトをめぐって2

最近、「カミングアウトできる社会より、性的マイノリティがカミングアウトをしなくてもいい、多様性が認められる社会を…」という内容のフレーズを時々目にする。ある意味では「そりゃそうだろうが…」という話なのだが、僕は、それはおかしな言葉だし、現実的には無理な話だと思っている。その理由は主に二つ。


▼リアリティがないものに人は動かされない

一つは、カミングアウトをする当事者が増えない限り、多様性を認められる社会はやってこない、ということ。いくら、「身近にいますよ」と呼び掛けても、実際に身近にいることを実感する機会もないまま想像しろとマジョリティに言っても、そうできる人は現実には少ない。

これまでも多くのマイノリティが、自分をさらして闘って来たのは(そうせざるを得なかったのは)、そうしなければ、状況が改善されなかったからだ。

在日コリアンや在日中国人(華僑)の人たちの中には、実に激しいバッシングが吹き荒れ、差別にさらされる中でも朝鮮名や中国名を使い続けてきた人が少なくない。その人たちの存在がどれだけ、私たちに、身近に在日コリアンや在日中国人(華僑)がいることを教えてきてくれたことか。

また、様々な「障がい」を持つ人たちが、街に出るようになり、街中に様々なバリアー(障壁)があることを指摘し改善を要求し続けることで、わずかずつながらも改良されてきている。性的マイノリティにとっての「カミングアウト」は、「障がい」を持つ人たちの街に出るという行為と重なる(まさに、外に出るという意味なのだし)。
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そして、いくら知識が広がったとしても、社会全体がクルリンパ!と変わることはないのであって、カミングアウトするかしないのかが問われる場面(つまり、性的マイノリティではないという前提によるコミュニケーションの中で、やり過ごしたりウソをつくのか、あるいはいっそ言うのかの選択が迫られる場面)は完全に消えはしないのだ。

そんな場面がある限り、性的マイノリティのカミングアウトをめぐる葛藤の問題は消えはしない。

[右上の写真は、『カミングアウト・レターズ』の表紙…性的マイノリティの本にしては珍しく、今年、五刷目に入り、ロングセラーとなっている。それは、ここで交わされているやりとりが人の心を動かすからだと思う。
まだな人はぜひご購入ください!w]


▼先達が拓いて来た道

むろん、前回も「カミングアウトをめぐって」で書いたように、それぞれ置かれている状況/情況によってカミングアウトの持つ意味は違うのだから、個々人にとってのカミングアウトの是非を語ることはできないし、ここではそんなことは議論していない。このことは強調しておく必要があるだろう。

しかし、<運動論としては>、「カミングアウトをする当事者が増えない限り、理解される領域、多様性が認められる領域は広がらない」ということは、確信を持って言える。

ゆえに、性的マイノリティの活動に深くかかわる人の中で、カミングアウトの意義を積極的に肯定しない人がいるのは、僕にとっては実に驚くべきことだ(その人がカミングアウトするかどうかは、また別の話)。

まさに現在、様々な性的マイノリティの運動が広がり、定着しているのは、様々な団体や個人のがカミングアウトしながら(もちろん、団体に所属する人全員がするわけではないし、カミングアウト=オープンになるということでもないが)、道を切り開いて来た結果だ。

僕は、東京にいたので、活動初期には、OCCURやILGA日本といった団体に強く直接的に影響を受けたし、南定四郎さん、大塚隆史さん、伏見憲明さんといった、ゲイとして素顔を出している人に力をもらってきた(もちろん、掛札悠子さんのようなレズビアンにも)。その流れの中で、HIV/AIDSの活動にエネルギーを注ぎ続け、東京のパレードという重責を担うという決断をし、社会に働きかけてきたのだ。

果たして、当事者が当事者としての自己を提示し、社会に向かって訴えることなく前に進んだマイノリティ差別/抑圧の問題なんてあるのだろうか。


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[写真は、昨年の「第7回東京プライドパレード」の様子。来年は8月11日開催予定!]


▼もう一つの理由

また、「カミングアウトをしなくてもいい多様性が認められる社会」の実現についてだが、もし、カミングアウトの定義を、言語表現によってアイデンティティを伝えること…という狭い意味にとるなら、確かに、それはあり得なくはない(ただし、それも、当事者が、まさにその狭い意味でのカミングアウトかなりするようになった後に訪れる話)。

しかし(とりあえずゲイやレズビアンについて例にとって説明すると)、自分が同性とパートナー関係にあるということ、恋人関係にあるということを誰かに知らせる/伝える、といったこともカミングアウトに入れるなら、カミングアウトをしなくて済む社会は現実的にあり得ない(個人の経験として、そういう場面にでくわさないことがあるというのは別の話)。

異性愛関係にいる人が、恋愛や結婚、子どもがいることをとても重要なテーマとして話し、その話を共有することがとても重要なこととしてある以上、そして、制度的にもパートナーシップが重要な意味を持つ以上、カミングアウトが不要になることはないのだ。

もしも、不要な社会があり得るとしたら、基本的に誰も恋愛や結婚について詳しく語らない社会ということになる。それが、「多様性が認められる社会」というものとはずれていることは明らかだし、何より現実的ではない(ただし、制度に関しては、すべての保障を個人単位に移行させることによって、パートナーシップの意味が軽減し、よって相手の性別も意味が薄らぐ可能性はある…それは確実に多様性が認められる社会への大きな一歩とも言えるが、僕には、そのあり方が本当にいいのか正直わからない)。


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[写真は、昨年、東京プライドで開催した「公共性」について考えるシンポジウム…セクシュアリティは親密性の問題であると同時に公共性の問題でもある。 右手から齋藤純一さん(早稲田大学)、僕、宮地尚子さん(一橋大学)、稲場雅紀さん(NGO ネットワーク「動く→動かす」)、稲見隆洋さん(東京プライド)]


▼カミングアウトという言葉がなくなる日

誰かに自分の性的指向や性自認を誰かに伝えることに、わざわざ「カミングアウト」という言葉をあてはめない社会は十分にありえるだろう。でもそれは、何も言わない社会ではなく、「恋人ができたんだ」という話をするときに、その相手が異性でも同性でもTGでも同じように伝えられる社会のことだ。

そういう意味での「カミングアウトが不要な社会」というなら、確かに僕もそこを目指している。しかし、しつこく繰り返すが、当事者がカミングアウトしないままでは、そんな社会はやってこない。そして更にしつこく同じ事を言うと、この運動としての議論と、各個々人のカミングアウトの判断は別の問題。それぞれに生きやすいあり方を選べばいいことだ。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-20 06:23 | LGBT/gender
2011年 10月 19日

関心を持たれるということ

一昨日、ふとNHK総合をつけたら、深夜に放送されている「ドキュメンタリー20min.」の再放送をやっていた。この番組、新人ディレクターがカメラを携えてドキュメンタリーを撮るという企画。取材している側が透明な存在としてではなく、撮影の中で垣間見えるところがいい。

この回のタイトルは「ここから、もう一度始めよう~シェアハウスのひと夏~」。サイトのあらすじは…

ーーー
人生の再出発を目指し、若者たちが集う札幌市郊外のシェアハウス。ある日、20歳の「りょう」が入居してきた。りょうは初めて心を許せる仲間に出会い、打ち解けていく。しかし、次第に甘えるようになり、仕事も真面目にせずに住人に借金を重ねてしまう。シェアハウスには、りょうを追い出すべきだという声も出てくる。果たして、りょうは再出発を図れるのか? りょうと同世代のディレクターが自らカメラを回し、ひと夏に密着。
ーーー

「りょう」が、寮長的な存在の人に話しかけられる中で馴染んでいき、「よかった」と思っていたら、問題を抱えるようになり、「どうなるんだろう?」とヒヤヒヤ。

ある夜、彼は、そのダラケた生活を仲間にこっぴどく叱られる。シェアハウスを出て外に出た「りょう」をカメラは追う。「叱られちゃったね」と声をかけるディレクター。

僕は、「りょう」がスネたことを言うのではないかと思ったが、彼の口から出た言葉は、「自分が悪いのだから叱られて当然」と。「これまで親でも学校でも叱られたことなかった。むしろ叱られたい」。

後日、彼を気遣って来た若い寮長が(そこでの呼び名は寮長ではなかったが…)、その場所を経営する会社の社員から怒られたとかで落ち込む。「りょう」が「どうした?」と声をかけるが、彼は、仕事もできないほど参っている。その姿を見た「りょう」は、寮長が普段やっている共有スペースの掃除などを自主的に始める…

ディレクターの「どうしたの?急に掃除始めて」という質問に、彼は、「何もしないと暇だし」と笑う。そして、「自分をかばってくれるみたいだし…」とポツリ。その姿を見て、僕は目頭が熱くなった。彼は彼なりに考えた恩返しをしてるのだ。

その後、バイトの面接に挑む「りょう」。しかし、手応えがあったと思った面接に落ち凹む。そんな彼に夜通しつき合う仲間たち。

それから随分経ったある日、寮長はディレクターをラーメン屋に連れて行く。そこには、正社員として採用され、凛々しい顔でしっかりと働く「りょう」がいた。そして、「すごいなぁ…」と言いながら、そのラーメンをうれしそうに食べる寮長。

〆は、ディレクターのナレーション。「人は支えてくれる人がいる限り、何度でもやり直せる。私は、私を支えてくれている人たちのことを思い出した…」。


たった20分のドキュメンタリーながら、胸が熱くなった。そして、ほっとした。ああ、まだこういう関係が築ける場所が大都市にもあるんだな、と。

「りょう」がしっかり立ち直れたのは、まわりの人が関心を持ち、時に「おせっかい」なまでに関わったからだ。また、ディレクターが彼を追ったことも、下支えになったかもしれない。

自分を見ていてくれる人がいるということ、関わってくれる人がいるということは、人が自分の存在を確認するため大切なことだ。もちろん、時にその関わりは「面倒さ」や「息苦しさ」を感じさせることがあるだろうけれど。


僕は、これまで、いつも、ある程度の関係性ができた相手に対して、「君の人生は君のものなのだから、僕は介入しないよ。自分の人生なんだから」という距離感を保とうとする態度と、「最終的に決めるのは確かに君だけど、僕は、僕の考えをぶつける!君と僕は関係ができた以上、お互いの人生に影響を与え合うのだから!」と強く踏み込む態度の間で揺れてきた。

やはり後者の態度でぶつかって行ったときの方が、強い絆ができ、その関係の中で自分が成長でき、そして時に支え合うことができた。もちろん、前者のような距離のある関係性の中で楽になったこともたくさんあったけれど…。

改めて、人と関係を築くこととは…?と考えさせられた20分だった。結局、生きている間は、その問いをめぐって考え続けるのかもしない。


「20min.」の公式サイト
この取材をおこなったディレクターの「裏話」(というか、感想)ブログ
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-19 06:17 | Diary
2011年 10月 18日

琉球近代史に思いをはせつつ

▼琉球王国の解体

昨日、那覇歴史博物館へ足を運んだ。現在開催されている「琉球国王尚家の人々〜生みを渡った宝物〜」という企画展が明日(10月19日)までなのだ。

「タマンチャーブイ」と呼ばれる王冠や、古い衣裳を見たいなぁ…と思って向かったのだが、色々な資料を見つつ、昔どこかで読んですっかり忘れていた琉球の近代史を思い出すことができた。

1872年 尚家第19代の尚泰が、詔(みことのり)を受け藩王に。
1879年 琉球藩が廃止され沖縄県が設置される(いわゆる琉球処分)。それにともない、尚泰は、政府の命令により東京に移り住むことに。

ちなみに、1854年(日米修好通商条約の4年前)には琉米(修好)条約が締結されるなど、琉球藩設置や琉球処分までは、薩摩藩の支配下にありつつも、王国としての独立性も保たれていた。東京に移り住まわされた後、尚泰は侯爵を授けられるが、それを彼やその周りの人たちはどのように受けとめたのだろうか…。


▼東京に渡った宝物

しかし、尚家の人たちが東京に強制移住させらる中で運ばれた宝物の多くが、そのおかげで戦火を免れたというのはなんとも皮肉な話だ。

金、銀、碧玉、水晶、珊瑚など7種類の玉が24個ずつ288個施されているという王冠は、冠としては一見地味に見えるが、迫力を感じさせるものがあった。

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国王の冬用の礼服で、唐御衣裳などと呼ばれる衣裳も重厚さを感じさせるものだった。

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▼那覇市歴史博物館

しかし、それにしても…平日ということもあるだろうが、この日の那覇市歴史博物館はとても閑散としていた(まぁ、おかげでゆっくり見れたけれど)。「パレットくもじ」の中にあるので、交通の便もいいし、大人300円と安いんだけどなぁ(障害者手帳を持っている人は、引率者一人も含め無料らしい)。まぁ、とてもこじんまりとしてるけれど、そのぶん逆に気軽に足を運べると思う。

過去の企画展のパンフレットもたくさんあって、どれも興味深いので、おもわずたくさん買ってしまった…ああ、お金が…(汗)。

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ま、その時々の企画によって、関心持たれやすいものそうでないものいろいろあると思うけれど、地元の人も観光客もぜひ一度足を運んでみてください。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-18 06:55 | Okinawa
2011年 10月 17日

否応無きつきあい

Yahoo Japan! 辞書によると、「否応無し(いやおうなし)」とは、「承知も不承知もないようす。有無を言わせないようす」という定義らしい。世の中、自分がオッケーしようとしまいと、受け入れざるを得ないことがたくさんある(いや、もしかしたら大部分はそうなのかもしれない)。

…と書くと重い話を書きそうだが、実はそうじゃない話(苦笑)。


▼「はっさ、◯◯さんよ…」

「はっさ、◯◯さんよ…」という表現は、誰かに呆れたとき、腹が立ったときなど、よく口にされるウチナーグチ(ウチナーヤマトグチ?)だ。その言葉が出される文脈によって、重みやニュアンスは異なるのだろうが、なんとなく、その言葉には「あー、しょうがないなー、もう」という、受け入れる雰囲気を感じることが多い。

そんなことをふと思ったのは、10月5日に開催された、由井晶子さんの本の出版記念の会に参加したときのこと。

由井晶子さんは、1933年生まれのフリージャーナリスト。沖縄タイムス社に勤務し、日本で女性初の編集局長になった方だ。「うないフェスティバル」にも長らく関わっていて、僕は、今年の「うないフェスティバル」の実行員会で初めてお会いした。年齢を感じさせない若々しさに驚いた。今年、『沖縄 蟻は像に挑む』(七つ森書館)を上梓された。この本は、『労働情報』に1998年12月〜2011年5月までに連載されていた文章をまとめたもの。

その出版の会の「第二部 由井晶子を語ろう」では、由井さんと縁のある人が登壇して彼女のことを語ったのだが、沖縄タイムス社の後輩にあたるフリージャーナリスト、山城紀子さんは、同社にいるときに、由井さんとたくさん衝突したという話を具体例を交えつつ話されていた。冗談っぽく面白く語ってはいたが、きっとその時々には、本当に腹が立ったりもしたのだろうと想像し、先の言葉が頭に浮かんだのだった。

また、沖縄女性史家の宮城晴美さんは、「この本に、女性の話が登場しないことに、仲間からの批判もある」とサバサバと指摘し、「でも、それは、この本の編集にかかわった真喜志好一が悪いという話になりつつある」と、その前の第一部に登壇した彼が会場にいることを知りつつ、冗談なのか本気なのかわからない雰囲気でコメントを。

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[左から、山城紀子さん、由井晶子さん、宮城晴美さん、今郁義さん(北谷町生涯学習プラザ館長)]


▼つながり

このような忌憚ない事が言えるのは、彼女/彼らの間に信頼関係があり、互いに尊敬しているからであることは言うまでもない。山城紀子さんは、後輩とは言っても由井さんよりかなり年下で、由井さんが女性として切り開いて来た道のすごさを体感してきただろう。

真喜志さんは、建築家だが反基地運動の活動家として有名な方。反基地運動を共有する言論人として、彼女/彼らはつながっている。その信頼感とつながりの中で、率直に言える関係っていいなぁ…と思いながら、僕は客席からその様子を眺めていた。

そこには、自分と考えが合わない面があったり、性格の違いから腹が立つ事があっても、そのことに「はっさ…」と言いつつつき合い続けて行くイメージだ。もちろん、もともとある種の「考え方」の共有でつながっているので、そこで決定的な意見の違いが出なければという条件付きなのだろうが…。

その背景には、昨日書いた「狭い」社会ということもあるだろう。関心テーマが共通するならば、つき合わざるを得ない。もちろん、東京でもそういうことは山ほどあるのだが、人口が多く活動する団体もたくさんあるがゆえに、ある程度距離を保ちやすい。また、活動自体から離れれば、その他でつながることはほとんどなかったりする。

沖縄では、関係をたどるとすぐにつながりを見いだせたり、出身地での結びつきがあったりということもあり、活動で知り合った相手と他のことで結びついていたりすることもある。そうなると否応無さが増す結果となるのだろう。その否応無さをどう処理していくのか、それが狭い地域社会での生き方のような気がする。

全てを「しょうがない」と受け入れるのは、時に自分を押し殺して行くことになるし、かといって、人と人は違う以上、違いばかりを見つけて人との間に壁をつくり、ごくごく意見の近い人とだけつき合うのも寂しい気がする。

僕も様々な社会問題に関心があるものとして、いろいろな人と出会いつながっていくに違いない。そうしてつながりが広がり、深まる中で、今回得た印象とだいぶ違うものが見えてくるかもしれない。どれだけ違うのか、あるいは「やはりそうだった」と思うのか…。後々、その確認ができるようにと、この文章を書いてみた。さてさて、結果はどうなるだろうか…。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-17 08:26 | Okinawa
2011年 10月 16日

那覇生活半年

▼蒲鉾屋前で…

金曜日、友人と用事に出た帰りに、パレットくもじに入っている地元デパート「リウボウ」に。北海道物産展をやっていて、美味しそうだった蒲鉾(かまぼこ)を買おうと並んでいたら、同じく蒲鉾に惹かれてやってきたらしい男子高校生と目が合った。

『あっ!』という顔をして会釈してくれたので、会釈し直したら、「◯◯高校に来てましたよねー」と。何ヶ月か前に友人が持っている総合学習の授業に話をしに行った高校だ。「あ、◯◯高校の子なんだー?」とやりとり。

蒲鉾屋の前で会ったのが、なんだか恥ずかしくて、僕は、「おいしーよー」(試食させてもらった後だった)と言って、購入してその場を後に。というわけで、別に話らしい話をしたわけじゃないけど、声をかけてもらってうれしかった。


▼狭い社会

実は、こうして講演に行った先の学生と偶然会うのは、沖縄に来て二度目。最初の経験は、近所のジュンク堂で「起業」の本を立ち読みしているとき(なんか微妙に恥ずかしいときに声をかけられることが多いような…)。その少し前に講演した大学の男子学生から、「◯◯大学で話聞きました。良かったです!」と爽やかに言われたのだった。

東京でもそういう経験が全くないわけではないが、講演をし始めて20年の間に、2回くらいしかなかったような気がする。やはり、那覇は地方都市だが、都市としての性質よりも地方としての性質の方が大きい、いわゆる「狭い社会」ということだろう。

しかし、今のところ、僕はこの「狭さ」が気に入っている。長く住んでいると、そのうち嫌になるかもしれないけれど、自分が語りかけた相手が同じ社会にいるという実感が持てて、砂漠に水をまいている感じがぬぐえない東京とはだいぶ印象が違う。


▼スーパーで会う友人

また、頻繁に行くスーパーに友人が働いていて度々顔を合わす…という経験も、僕にとっては面白い。東京でもそういうつながりのある人は少なからずいるのだろうが、僕の場合は、沖縄に来て始めての経験するようになった。

最近は、そこで顔を合わせるのが当たり前になってきたので、行ったときにいなかったりすると、ちょっと寂しい気になったりする。忙しそうな時は声をかけないが、それでも姿を見れると、なんだかほっとする。

まぁ、それはたまたま会うのが楽しみな相手だからそう思うのであって、会いたくない相手とそういう関係になって、「うー、狭い社会面倒くさーい」と感じる可能性もあるのだろうけど。


▼表裏一体

当然、このような社会は、往々にして、少数者にとっては生きづらい社会でもある。

昨日書いた話につながるが、性的マイノリティにとっては(特に、自分の有り様を「隠す」ことが難しいトランスジェンダーにとっては)、どこで誰と会うかわからない、また、人との距離感が近い社会は、面倒でやっかいだ。

けれど、もし自分の身近な人々に受け入れられたり、支えてくれる仲間をつくることができたりするならば、そして、他人にどうこう言われることを気にしないようにすることができるなら、より多くの人が、この狭い社会のポジティブな面を感じることができるだろう。

と言いつつも、まだ僕も沖縄にUターンしてまだ半年(あ、昨日でちょうど半年だったんだ!)。もしかしたら、すぐに「あー、もう嫌」と言うのかもしれない。でも、ま、そのときはそのときで、また考えればいいことだ。とりあえず、今は、少しずつ、自分がつながれる仲間をどんどん見つけて、その仲間が身近にいることを実感できることを楽しみたいと思っている。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-16 06:47 | Okinawa
2011年 10月 15日

沖縄出身の彼女のことを思う

数日前、長野県の別荘で死後だいぶ経った遺体が見つかったというニュースが流れた。その遺体は、解剖学的には「男性」だが「豊胸手術」をした跡があること、亡くなったときに女性用と思われる衣服を身につけていたことから、メディアでは、興味本位な書き方が目立ち、「嫌だなぁ…」と思っていた。

男性から女性へのトランスジェンダーの人だと思われる、と言えばいいだけの話なのに、まるでそれらが「謎」であるかのように書き、下世話な関心を惹くようなひどい報道だ。

そして実は、その彼女が沖縄出身であることが明らかになった(その人の生前の性自認はわからないが、上記のことを考えると女性だった可能性が極めて高いだろう、だから僕は、その人を彼女と呼ぶ)。

沖縄を離れ東京で働いていたらしい。お父さんが米国人でお母さんが日本人だったという。37歳というから僕より7−8歳下か。半周り下だが、同時代を生きた人とも言えるだろう。


彼女が沖縄出身のトランスジェンダーでだったことで、この死が一気に自分に近いものとなり、いろんなことを考えた。あえて、極めて大雑把にくくれば、彼女と僕は「沖縄を離れ東京で暮らしていた性的マイノリティ」という点で同じだ。

もちろん、彼女がトランスジェンダーで、僕はゲイだったというのは非常に大きな違いだ、彼女の父親が米国人という点も全く違う。でも、共通することがある。きっと沖縄ではとても生きづらかっただったろう、だから沖縄を離れたのだろう、ということだ。

地元の新聞には、彼女の家族は、ずっと連絡がとれてなかったと語っている、と記されていた。


もしも、彼女が沖縄で自分のありのままで受け入れられていて、そのままで色々な仕事に就ける可能性があったら…と思う。僕のように、多くの仲間に恵まれ支えられていたら…、沖縄に帰っても大丈夫と思えられるようになっていたら…とも。

いや、長らく経った遺体で見つかったからといって(また、死体遺棄事件として調査されているのだが)、必ずしも亡くなるまでに至る日々が大変なものだったりしたとは限らない。幸せな日々を送っていたかもしれない…

けれど、このマスコミの取り上げ方がひどいことは確かだ。彼女を「男性」としてしかみない。そして、その人生を下品な興味の目で暴き立てようとしている。


だから、僕は、彼女を彼女と呼び、もしかしたら、いつかどこかで会えた「仲間」なのだと思いたい。勝手な思い込みであることを知りつつも。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-15 06:17 | LGBT/gender
2011年 10月 14日

カミングアウトをめぐって

米国では、10月11日は「ナショナル・カミングアウトデー」と言われているらしく、ツイッター上でもその話題がのぼっていた。

その中で、僕は、カミングアウトの「強制」をめぐって知人とツイッター上で議論に。彼とは基本的に、性的マイノリティのおかれている状況についての意見は一致する点が多い。今回も意見が分かれたものの面白い議論ができたと思っている。


▼カミングアウトを強く押すアクティビストの存在?

発端は、カミングアウトをめぐっての話題がでる時に、「活動家などは、カミングアウトを強く押すけれど強制されるべきものではない」というような言い方が頻出することについて、僕が疑問を呈したこと。

僕などは、「できる人ができる範囲でやったほうがいい」「やりたいと思った人があまりためらないなくできるような社会にしたい」といった言い方で、カミングアウトを語ることが多い。ちなみに、『カミングアウトレターズ』の解説では、次のように、より慎重な書き方をしている(特に家族へのカミングアウトについて)。

「家族と同居していて、まだ自活していない場合、これまでの家族関係との関係のあり方をより慎重に振り返りつつ、カミングアウトをしても大丈夫かという判断をしなければいけないかもしれない。というのも、場合によっては、それをきっかけに家族との関係が悪化して、家にいづらくなってしまう場合があるからだ。」


そして僕は、自分以外でも、単純にカミングアウトを強く押すような言い方をしている「アクティビスト」を知らない。自分の経験をもとに「してみたら大したことなかったよ」と言う人は少なからずいるけれど。

なので、「そんな、留保もつけずに、単純にカミングアウトを強く押す人なんていないんじゃない?」と書いたのだった。そして、そういう仮構(実際にはないのに、あるという前提すること)が、そういうプレッシャーをかける人がいるようなイメージをつくりあげている、よって、まわりまわってプレッシャーをかけてしまう結果になるのではないか、と。


▼個人の経験と社会的な言説

それに対して、「いや、実際にある」と主張する知人と議論になったわけだが、何度かやりとりしているうちに、彼が個人としてカミングアウトを強く勧められたことと、社会に向けてそういう言い方をしている人がいるかいないか、ということの話でのすれ違いがあることに気づいた。僕は、後者はいない、ということを言っていたのだ。

もちろん、個人的な対面関係で、「カミングアウトすればいいのに!」と言う人はいるだろう。僕も相手によってそう言うことはある。じゃあ、そう言う人が誰にでも同じように勧めるかというとそれは違うはずだ。

例えば、僕は、ある程度の年齢に達していて、自活していて、活発に活動に参加していて、仲間もいて、精神的に不安定でない人が相手に対しては、そう言うことがある。しかし、そうではない人には基本的にそんなことは言わない。また、相手のことをよく知らない場合にも言わない。

個人関係において「〜すればいいのに」と言うということは、他のことに関して、「〜すればいいのに」というものと感覚的には近い。例えば、「体調悪かったら病院行けばいいのに」「転職活動してみればいいのに」等。

もちろん、それも「おせっかい」であることかもしれない。でも、そのような「おせっかい」に対しては、本来ならばその対面関係において異議申し立てをすればいいことだ。


▼苛立つ背景は?

しかし、カミングアウトについては、「体調悪かったら病院へ」という「おせっかい」とは違う背景があることは確かだ。それが、対面関係でも異議申し立てをしにくかったり、「強く押すアクティビストがいる」という広いイメージを作り上げることになったり、カミングアウトをめぐる話題が出るだけである「当事者」たちに苛立ちを感じさせたりしている。

その背景にあるのは、常に、性的マイノリティは、日々カミングアウトの選択を迫られているという事実だ。とりあえず、ゲイやレズビアンに関して言うと、「結婚しているの?」「結婚しないの?」「いい人(異性)を紹介しようか?」「彼氏いるの?彼女いないの?」という質問は、ある意味で、カミングアウトするかしないかの選択を迫られていることになる。

もちろん、ほとんどの人は迫られていると意識せずに、受け流したりごまかしたりしている。しかし、そのように日々の(ほとんど意識しない)選択があるがゆえに、カミングアウトをめぐる対面関係における「おせっかい」や、「カミングアウトできる人が増えたら社会は変わるのに」として社会的に語られるカミングアウト論に苛立ちを感じるのだ。

またカミングアウトをして「生きやすくなった」と語る人を見ると(僕みたいに?)、「それができたらいいけど、みんなそれができるわけじゃないんだよ」という言い方をする。もちろん、「なんでわざわざカミングアウトするの?」と反発する人も(僕は、その反発の根底には「本当は、できたら楽だ」という前提があると思っている)。


▼続くプレッシャー

しかし、こうして日々迫られる選択はなくならないし、まわりにカミングアウトする人も少しずつだが増えて行くだろう。とすると、カミングアウトしない人は、ますますプレッシャーを感じることになる。

結局は、カミングアウトをすることの負担とリスクと、日々細かいプレッシャーを感じる負担のどちらをとるかということな。もちろん、それの選択の結果は、その人の置かれている状況によってだいぶ違う。

だから、当然、他人が「すべき」と言えるものではない。そんなの当たり前のことなのに、そして、基本的にそういう前提でカミングアウトは話されているのに、「強制されるべきではない」という言葉が枕詞のようにつけられるのだ。


▼進んでみたら…

ま、僕はとりあえず、自分が生きやすいと思う社会の実現に向けて動くだけだ。それは、「身近にゲイがいると知られると、自分に疑いの目が向けられるから迷惑だ」という人からは反発を受けるだろうけれど…。

こういう話をするとき、僕は、中国で纏足(てんそく)という女性の足の成長をとめるという習慣が廃止になるときに、当の女性たちからも大きな反対があったという逸話(真実かどうか確かめていないけれど)を思い出す。

それが当たり前の習慣であり、女性としての「アイデンティティ」の一つだったのだから、ある意味で当然の反応だろう。しかし、纏足が無くなったら、それが生きやすい社会であるということを、当事者の女性たちはわかり、戻ろうとはしなかった(長らく抵抗した人もいた/いるかもしれないが)

同じように、性的マイノリティが顕在化することに対して、また、カミングアウトがどんどんされるということに対して反発する「当事者」は多いけれど、それが広く当たり前の社会になっていけば、そうではない時代に戻りたいと思う人はほとんどいないはずだ、と僕は考えている。

だから、僕はその信念に基づいて邁進する。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-14 17:08 | LGBT/gender
2011年 10月 13日

世界のうちなーんちゅ

「第5回世界のウチナーンチュ大会」が、昨日始まった。その皮切りとなる国際通りのパレードを見に、友人と行ってみた。すごい参加者数。国別に歩いていたが、ブラジルの参加者数がすごかった…(にぎやかさも)。

何世かどうか、どこに住んでいるかどうか関係なく「ウチナーンチュ」とするのは、血統主義なわけで、それに疑問を抱かないわけではないが、国家の枠を越えてつながる契機が存在していることにポジティブな意味を見いだすことも可能かもしれない。

しかし、そのことと、沖縄で広がりつつある感のあるネイティビズムへの疑問はまた違う問題…。ま、その話はまたいつかするとして…。

今回のパレードを見つつ、目標ができたので、書いておくことにしよう。

それは、次回の「世界のウチナーンチュ大会」では、「LGBTミーティング」を開催したい!ということ。5年に一回の開催らしいので、2016年だけど。その頃は、自分の生活がどうなっているかわからないけど…。でも、楽しみな目標ができた。

では、写真で様子を。


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最後におまけ、自分たちの向かいのビルから見ている男性がすごかった…

こんなに高いところなのに、しゃがんで見ていたり。
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立ち上がって撮影したり…落ちるんじゃないかとヒヤヒヤ(苦笑)
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あと、パレードで歩いてはいなかったけれど、今回の大会で来たんじゃないかと思われる沖縄系らしき男性と白人男性のカップルらしき二人も見かけた。5年後の「LGBTミーティング」に来てもらわねば!(すっかり開催するつもり)。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-13 06:57 | Okinawa
2011年 10月 12日

末吉公園へ

昨日、天気もすごく良かったので、でかけたついでに、ゆいレールの市立病院前と儀保駅の間、北側に広がる末吉公園へふと寄ってみた。十代の頃に来たことがあるが、当時は、まだまだ広大な領域が森のままで入れなかった記憶がある。

今も、森の中に道を通してるような感じ。あまりの広さに迷子になるのでは…と思った。まだちゃんと道がつくられていないところもあり、入っていいのかダメなのか、と迷うところも。

でも、手つかずな部分も含め、沖縄の植生を感じられて面白い。那覇の市街地では昆虫はあまり見られないが、いろいろな蝶やトンボ、バッタなどが目についた。今回、末吉公園散策で撮った写真をいくつかアップ。


末吉公園は、山の側面にある公園という感じで、高台からは那覇の街が一望できる。
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入ってすぐ発見したきのこ。
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だいぶ前に整備されたと思われる階段。苔むしていて趣がある。
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以前は「地味の割によく植えられているなぁ」という感じで全然興味がなかったのに、最近、なぜか気になっているクロトンという種類の木。このクロトン、葉がとてもきれいだったので撮ったが、いまいちその色合いを表現できず…残念。
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岩と樹木が一体化。思わず手を合わせたくなる迫力。
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奥の方には水辺も。
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途中、あまり街中では見ないトンボを発見。ねばって撮影したら、ちゃんと撮れた。
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山頂近く、道なき道をのぼって行ったら、古いお墓に通じる道らしきものが。だいぶ手前に設置されていた説明には、「宜野湾御殿(ウドゥン)の墓および墓域」とあった。あまり入っちゃいけないのかなぁ…と思い、ここまでに。
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ちなみに、市立病院駅から写したこの画像の、奥のこんもりとした森が末吉公園の一部。さらに右手に広がっています。
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本当は、山頂付近にあるはずの「末吉宮跡」に行きたかったのだが、案内もなかったので、見つけられなかった。かなり高低差のある公園なので、いつか、着替えも持って本格的に散策してみよう…。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-12 06:25 | Okinawa
2011年 10月 11日

その後もろもろ

母親の緊急入院の日記を読んだ多くの方からご心配のお言葉をいただきました。ありがとうございました!とりあえず、昨日はだいぶ元気になっていました。ほっ。

ま、この先いろいろあると思うけど、とりあえずは。

昨日会った、ベテランの域に入りつつある(入っている?)看護師の友人によると、痛みを10段階の尺度で尋ねる方法は、彼女が知っているものでは、ガンなどで入院している患者に継続的な変化を把握するものとして使われるという。それなら理解できる気がする。

また、彼女によると、顔の表情が書かれた10段階スケールがあるとか。「それを示してくれたら答えられるよねぇ」という話になった。断片的な(中途半端な)使われ方をすると、全く意味をなさなくなるという典型だろうか。


母親の具合が落ちついてほっとしたが、その影響があるのかないのか、自分は明らかに気分が沈みつつある。別に、意識上では、そんなに憂慮しているつもりはないんだけど(先々のこと不安がってもしょうがないので、棚上げにしているつもり…)。

そんなわけで、もしかしたら、このブログの更新も滞るかも…。


写真は、昨日、その看護師の友人に連れて行ってもらった、コース料理の一部として沖縄そばが楽しめる、ちょっと高級なお店の沖縄そば。上品なお味でおいしゅうございました。

外に出てから入り口の注意書きを見たら、「撮影お断り」と書いてあったので、お店の名前は伏せておきますです(撮ってごめんなさい…)。

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# by hideki_sunagawa | 2011-10-11 05:52 | Diary
2011年 10月 10日

那覇大綱引き祭り

この連休は、「那覇大綱挽まつり」。もともとは、「那覇まつり」という名称だったが、今年から、メインイベントである大綱挽の名前を使うようになったようだ…ちなみに、普段使っている字の意味を考えると「大綱引き」っぽいのだが、どうやら「大綱挽」らしい。

結局、大綱挽には行けなかったが、母親の病院の見舞いに行く途中、かろうじて「旗頭」を見ることができた。「旗頭」は、綱挽の前に各地域の旗を掲げる演舞。すごい重さと高さがあるため、とても難しいものだらしい。

自分が見ることができたのは、面白いことに、自分が育った辻町と、義理の兄が深くかかわっていた久米西門の旗頭だった。a0137527_105862.jpg


写真は、76年ぶりに復活させたという久米西門の一番旗「サーフンユーチ」。昔の絵を参考につくっらしい。実は、義兄が設計図を描いたとか…(すごいなー)。

制作は現役の旗頭たちが自分たちでつくるものと聞いた。竜の頭がモチーフだが、ぽってりしているのがかわいい(本題とは関係ないけど、写真にローソンの看板が写り込んでいるのはご愛嬌として許して…)。


母のお見舞いに行って、その後、友人と食事して帰って来たら、郵便受けに綱が…。

「えっ?何これ?なんかのまじない?」と一瞬思ったこの綱は、大綱挽に参加して来た友人からのおすそわけだった。この綱にはご利益があると言われている。ちょうど母親の入院もあったので、一層心配して分けてくれたのだろう。ありがたい(感涙)

ちなみに、綱挽の綱は全長200mもあり、非常に太いものだが、その綱からたくさん出ている細い綱を皆で引く。その綱を切り取って持ち帰るのだ。

とりあえず、今日、母親のお見舞いに持って行くことに。そのままだと、なんだか変な感じなので、友達のアドバイスを受けて、丸めてみた。この感じだと一層ご利益があるっぽく見える(笑)。
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この祭りと今週ある「世界のうちなーんちゅ大会」のせいで、那覇は「インターナショナル」な雰囲気が漂っていた。こういう雰囲気が維持されると、また違う魅力が那覇に出て来るんじゃないかなーと思った。そんな話は、またいつか改めて。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-10 10:53 | Okinawa
2011年 10月 09日

初めての救急車

初めて救急車に乗った。

とは言っても、自分が搬送されたのではなく、体調を悪くしていた母の付き添い。最初は、姉の車でという感じだったのだが、いざ立ち上がってみると歩くのも困難な状況で、だいぶ具合いも悪そうだったので、救急車で搬送してもらうことにした(普段別の病気で診てもらっている病院に)。

搬送のために来てくれた三人の男性救急隊員は、とても優しく丁寧で、気遣いも細やかで、感動するほどだった。

隊員が救急車から病院に電話して、名前、住所、生年月日等の情報を送っているときに、横になっていた母は自分に言われていると思って、「はい」とか「〜年〜月…」とか答えてたので、僕が「病院に伝えてるんだよ」と言ったら、救急隊員は、僕に対して『そのままに(母の誤解に注意を与えないように)』ということをジェスチャーで伝えた。

これは、母が自分の誤解を恥じたり、動揺している母に混乱を与えないためだろうと思った。

隊員が最後の食事の時間を尋ねたときも、なかなか母に意味が通らなかったが(今日は食べていない、昨日一回という回答が繰り返された)、忍耐強く答えを待ち、無理にその答えを引き出そうとはしなかった。


一方、到着した病院側は…。救急診療だったせいではあるのだろう(とはいえ、そんなに混雑している様子や危機的な人が運ばれている様子ではなかったが…)、若い女性医師は矢継ぎ早の質問で、その声のトーンや態度からケアする気持ちは感じられなかった(よく、女性の方がソフトというが、先の男性隊員と比較すると、性別よりもその人のおかれているポジションや受けた訓練の方が、やはり影響が大きいと思った)。

また、近所の病院で胆石という診断を受けて紹介状も持って行ったのにもかかわらず、「検査しますので、待合室でお待ちください」と言われて延々と待たされるはめに。3時間以上経っても誰も何も言って来ないので、姉が確認しに行ったら「胆石で入院します」と言われた。

なんちゅう話じゃ。まぁ、病院が医師不足で困っているという話は聞くのだが…工夫のしようはあると思う(てか、尋ねに行かなかったら一体何時間待たせたんだ…?)


もう一つ、病院で印象に残ったこと。搬入されてすぐの矢継ぎ早の質問の中に、「痛みは、10点満点中何点くらいですか?」というものがあった。この質問に、僕は、「出たよ!」と思った。

というのも、自分が大腸の手術したときに、手術から数日後に麻酔を外してしばらくして、痛みがひどくなったので、そのことを看護師に告げたら同じ質問を受けて、「はぁ?」と思った記憶があるからだ。

退院後だいぶ経ってから友人の看護師にこの話をしたら、「あー、その言い方するね」と言う。医療現場では決まり文句らしい。でも、この質問を受けて、「はぁ?意味わからん」と思うのは僕だけではないだろう。

主観で答えればいいらしいが、10の痛みってどれくらいのことよ?と思わずにはいられない。僕の場合、痛みでだいぶイライラしていたこともあり、この質問をめぐって看護師と口論になったのだが(苦笑)、母親は、やはり意味が理解できなかったようなのだが、ただ沈黙していた。

おそらく彼女は、意味を聞く元気もなく、むしろ、その意味が理解できない自分の方がダメなんだと思ったことだろう。


この痛みを10の尺度で答えさせようとする発想は、医療従事者側の感覚に基づいたもので、それは、患者側の感覚と乖離している。この質問の仕方は絶対に変えるべきだと僕は思う。

だいたい、超激痛(それが10?)の場合は、質問に答えられないだろうに(ということは、質問に応答できる最大が10なのか?)。せめて、「『ちょっとだけ痛い』のを『1』、『死にそうなくらい痛い』を『10』とすると、どれくらいですか」等の言葉でイメージを与えて欲しい(だいたい、もともと主観でしか答えられないものを、数字の尺度を使うという「客観的」「科学的」なイメージで測ろうとするところが嫌いだ)。



さて、母親の入院。ここ数年病気を患っていてのことだし、今回は胆石なので急にどうこうということはないと思うのだが、一層彼女の体力も落ちるだろうし、先行きを考えて少しブルーに…。最近、だいぶ気力も充実して、いろいろやる気が出てきてたのになぁ。調子のいい時期って長く続かないのねん。


<追記>もちろん、医療従事者が患者のことをすごく考えてがんばっている(むしろ、がんばりすぎなければいけないような状況に置かれている)ことはわかっているし、対応のいい医療従事者もたくさんいることは知っている。

けれど、時に、医療従事者側と患者側の持っている枠組みや感覚があまりにも違って、患者との隔たりができてしまうこともある。医療従事者の「思い」がうまく患者に伝わる仕組みとか、言葉使いとか、改善できるところは改善していったほうがいいよなぁ…と思う。もちろん、医療従事者の労働条件の改善も必須よね…
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-09 06:25 | Diary
2011年 10月 08日

東京滞在記(番外編?)

「番外編」と名付けるのも変な気もするが、講義や研究会とは違ったプライベートな話を(ちなみに、写真は今回東京で写したものだけど、内容とは直接は関係ありません…)。


▼不思議なできごと

今回の東京滞在中、少し不思議なことがあった。それは、偶然に会った知り合いが3人もいたこと(大都市、東京では珍しいと思う)。詳細は割愛するが、3人は、気まずいまま連絡がとれなくなったり、「もう連絡しなーい」と僕が思ったり、急に連絡がとれなくなった相手だった。
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それぞれの間にあったわだかまりが完全に氷解したわけではないけれど、心のどこかに残っていた気がかりはだいぶ小さくなった気がする。

その偶然の出会いに影響を受けて、同じように「もう会うこともないだろうな…」と思っていた友人に連絡をとって会ったりもした。どこかぎこちなさもあったけれど、昔、親しくつき合っていた頃を思い出しつつ、食事をしお茶を…

東京に残して来た宿題を少し片付けたような、そんな気分になった。


▼変わらない(?)関係

もちろん、沖縄へ引っ越してからも同じように関係が続いている友人ともたくさん会った。そういう人と会っていると、自分が東京を離れたのがウソのように思えてきて、頭が一生懸命情報を整理しているのを感じる。

東京生活最後の約6年間住んでいたところから近いところに住んでいる友人のところへ食事をいただきに向かったときは、毎日のように使っていた井の頭線に乗ったので、一気に時間が巻き戻ったようだった。

帰りは、そのまま歩いて、今年の4月まで住んでいたアパートに帰れそうな気がして、なぜかとても切なくなった。


▼のりしろみたいな…

今は、東京から沖縄へ生活が移行する「のりしろ」みたいな期間なんだな、と思った。そんな中、いろいろな気がかりなことを解消しているような。
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関係性が続く続かないに関係なく、これまでの東京でつくってきた関係性が変わりつつあることを実感した。関係性を結び直したり、わだかまりを解消したり、それとともに区切りをつけたり…。

でも、これまで何度も、「もう会わないだろうな」と思った相手と、だいぶ時間が経って再会し、新しい関係が始まることを経験しているので、今回「会うのは最後になるのかな?」と思った相手ともいつどこで会って、どうなるかなんてわからない。

偶然の再会は、出会いや関係性の「わからなさ」を教えてくれているのかもしれない…と、今、東京滞在を振り返りつつ思ったりもする。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-08 08:33 | Diary
2011年 10月 07日

東京滞在記(後編)

▼ICUとの縁

10月3日には、ICU(国際基督教大学)で、「セクシュアル・マイノリティをめぐるエスノグラフィ」、「セクシュアリティ再考」という二つの講義をおこなう機会をいただいた。

もともとICUとは不思議なくらい縁がある。学生数は多くない(3000人くらい?)大学なのに、この学校の出身者との出会いがこれまでたくさんあった。HIV/AIDSの活動で知ったICU出身者は数知れず。それ以外でも、現在のパートナーの「くま絵師・悠」を含め、多くのICU出身者の知り合いがいる。

これは、単なる「偶然」ではなく、ICUの学生/出身者に社会問題意識が高い人が多く、かつ中でもマイノリティについての問題に関わる人が多い(よって、HIV/AIDSの問題やセクシュアルマイノリティの問題にかかわる人がそれなりにいる)ということによるのだろう。

そんな学生たちなので、ここでの講義は、ちょっと緊張感を持ちつつも楽しみでもあった。やはり、どちらの授業も学生たちはとても真剣に聞いてくれた。聴きに来てくれていた別の大学出身の知人は、その真面目な態度にただただ驚いていた。


▼つながる話

この講義の準備をしている間は、前日の文化人類学会関東地区懇談会で話す内容と全然違うものだな…と思っていたけれど、実際に懇談会を経て、この講義に臨むと、いろいろなつながっているような気がした。

「セクシュアル・マイノリティをめぐるエスノグラフィ」は、僕が日本の文化人類学の世界で、あるいはもっと広い領域での表象に対しておこなってきた「抵抗的実践」についての話だったし(「抵抗的実践」という言葉は使わなかったけど)。

「セクシュアリティ再考」は、僕が研究を始める/続ける動機の土台にある、「セクシュアリティはプライベートなものか?」という問いをめぐってのものになったし。

あらためて、自分がやってきた研究と活動と、そしてこうやって人に伝えるということが深くつながっていることを感じた二日間となった。


▼学生との語らい

講義終了後は、ICUのCGS(ジェンダー研究センター)に残り、学生たちと色々な話を。ゲイの学生二人ともたくさん話すことができた。彼らは、二人とも、AO入試で提出するアピール文にゲイであることを書いたとか。

不利になるかもしれないそういうことを書くことを、「なぜわざわざ?」と言う人もいるかもしれないが、それは、彼らがやってきた活動内容や考えてきたことと深く結びついているからだ。本当は、そういうアイデンティティを書きたいと思ったら逡巡なく書ける社会でなければならない。

他にも、マジョリティとして、性的マイノリティの人からカミングアウトを受けたときにどう向き合うか、ということを真剣に考えている学生と会えたのも良かった。


▼希望をもらって

そんなやりとりや出会いを通じて、明るく充実した気持ちを得られた二日間だった。正直、相変わらず、経済的な状況は厳しいし、先の目処も立ってないけれど、でもまだなんとなってはいるし(これがもっと困窮したら、また「もう生きていけない…」と落ち込むのだろうけど)、こうして話す場をいただいて、いろんな人と出会えるのは、実に幸せなことだ。

この前も書いたけれど、沖縄での活動も本格的に始めようと思っているので、その希望をエネルギーにして、ぼちぼちとやっていこうかな、と。ま、東京で経験した大変な状況はできれば繰り返したくないので、ゆるゆると。

でも、それよりも生業をなんとか確立しないとなー
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-07 09:29 | Anthropology
2011年 10月 06日

東京滞在記(前編)

先週から今週にかけて、東京に滞在しておりました。

10月2日(日)に「日本文化人類学会関東地区研究懇談会」で「性に関する社会問題と文化人類学~HIV/AIDS、性的マイノリティの活動を続けて~」という発表を、10月3日にICU(国際基督教大学)で、「セクシュアル・マイノリティをめぐるエスノグラフィ」、「セクシュアリティ再考」という二つの講義をおこなう機会をいただきました。

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写真は、懇談会があった立教大学のキャンパス。


▼自由奔放な人類学者(笑)

「懇談会」は、「協働するフィールド:文化人類学の何をどう活かすのか?」というシリーズの第二回目。今回は、大学の外での活動おこなっている人類学者を招くということで、猪瀬浩平さん(明治学院大学教養教育センター准教授)と僕にお声がかかった。

猪瀬さんは大学院の後輩。院時代は全然やりとりはなかったけれど、ボランティア学会でお会いしてから、明治学院大学の授業に僕を呼んでくれたり、僕が二丁目を案内したりというおつきあいが始まった。

彼は、「見沼田んぼ福祉農園(さいたま市)を拠点に活動する、ボランティア・グループ『見沼・風の学校』の実践」をおこないつつ、その実践を人類学者として論文にもしている(その一つ→ …こうして、ちゃんと論文にするところが僕と違う…我が身を振り返ると凹む)

彼は一見、ごく真面目で堅い優等生的な研究者なのだけれど(優秀な研究者であることは間違いない)、大学教育でやっていることは、かなり自由奔放。学校側から注意されることも時々あるようだ(ま、研究室でご飯炊いて学生と食べたとか、参加型建築〜インクルーシブ・アーキテクチャー〜の実践でつくったものを学校内の教会にかけて…という程度のものだけれど)。

活動と教育、研究の領域を越え、いろんな人とつながり、学生たちに様々な経験をさせることを重視している。改めて、不思議な、面白い人類学者だなぁ、と改めて思った。


▼逡巡する人類学者(笑2)

彼に比べると、僕は、自分がおこなってきた活動をちゃんと論文にもしていないので、活動と人類学を十分に結びつけられていない。

論文にしてこれなかったのは、僕の怠惰さが一番の原因だけれど、懇談会で意見交換する中で、自分のテーマが「ゲイ・コミュニティ」や「性的マイノリティの活動」という、人類学で一層周縁的なテーマであるがゆえに、より正統的なスタイルで提示しなくてはいけないという気持ちがあるのではないか、と思った。

また、終わってから、その会に参加してくれたパートナーと少し話したが、彼が指摘した、僕が常に「コミュニティ」の代表性を付与されてしまうポジショニングの問題もあるかもしれない。

しかし、ためらいを見せずに(本当はいろいろな葛藤や逡巡もあるのだろうけれど)、自信を持って自分のかかわっていることを省察して論文にしている彼の姿を見て、僕も、できる限り文章にしていこうと思った。


▼「在野」の研究者として

と言いつつも、僕は恐らく大学での常勤職には就かないだろう。「就けない」という面があることも否定しないが、正直、そんなに大学の常勤職に魅力を感じてもいない。忙殺されている友人たちをみると、一層そう感じる(就くことを完全に放棄しているわけでもないけど)。

けれど、研究は続けていきたい。そうなると、いわゆる「在野」の研究者になる。最近その覚悟をしつつも、僕は「でも、なんだかなぁ…」と思っていた。何かそれでは足りないものがあるような気がしていて。

その「何か」を今回の懇談会でわかった気がした。問題は、「在野」であるかどうかよりも、研究者仲間との意見交換が議論があるかないか、なのだ。それがなければ、視野が狭くなりがちで、自分の気づかないところを放置したままにしてしまうことになる。

僕は、基本的に研究会や学会が好きじゃないのだけれど、こういう意味があるんだな、と今さらながら痛感した(しかし、学会は深い意見交換があまりできないので、やはり微妙だったりするけど)。ま、そういう場じゃなくても、意見を交換したり議論をする機会をつくっていくということが重要なのかもしれない。


▼研究者としての自信

正直これまで僕は研究者としての自分にあまり自信がなかった。研究よりも活動にエネルギーを投入せざるを得なかったし、やはり、文化人類学の世界では周縁的なポジションにいるし…

けれど、この懇談会と4日の講義に向けて準備し、発表する中で、自分のやってきたこと(活動をするということも含め)は、日本の文化人類学界にも大きな意味があったんじゃないか、と思えるようになったきた。

僕が大学院に入った頃は、日本の文化人類学の世界では、セクシュアリティの定義は「性器結合」を中心したもので、男女しか念頭にないものだった。しかし、最近はだいぶ変化していて、性的マイノリティの存在が前提となっている。

傲慢に聞こえるかもしれないが、僕は自分が、ゲイ当事者として「ゲイコミュニティ」のことを研究し、それを発表して来たことが、その変化の一因をつくったと考えている(もちろん、そんな僕を理解し、支援し、発表する場をくださった先輩研究者たちの存在があったから可能になったことは言っておかねば!)。

この懇談会に参加されていた方が、「自分は、文化人類学は周縁的な世界から中心世界を相対化するものだと思う」と語られていた。素晴らしい位置づけ方だと思った。そう考えると、僕もこれまで以上に自信を持って「文化人類学者です」と言える(でも、もっと勉強せねば…)。

何より、今回、こうして懇談会に呼んでもらえ、いい反応をたくさんもらえたことが何よりうれしかった。この企画をたてて声をかけてくれた院の後輩に心から感謝したい。

僕は、院生時代には、ほとんど仲間たちとの交流がなかった人間だった。それは、心のどこかに「どうせ、自分は異端者としてしか見られていないし、誰も関心を持ってないのだろう」という思いがあったからだ。けれど、実は、僕のことを見ていてくれた人たちがいた…そのことに気づき、今、心動かされている。
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# by hideki_sunagawa | 2011-10-06 08:14 | Anthropology
2011年 09月 28日

おすそわけ

(お知らせ)今週末から来週にかけて、研究会の発表や講演が立て込んでいるので、1週間ほどブログ更新休みます。

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昨日、友人からもらった「ナーベーラー(へちま)」(実家でできたものらしい)をいただいたので、味噌煮にした。ナーベーラーの味噌煮を沖縄本島の方言では、「ナーベーラーンブシー」と言うとか。宮古島では、へちまは、「ナビャーラー」らしい。

宮子方言音声データベースというサイトを見てみると、「ナビャーラー」の並びに味噌煮を表す言葉はない。代わりに「ナビャーラアイムヌ(へちまの和え物)」が。宮古島では、味噌煮よりも和え物の方が主流なのだろうか。

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あ、今回は、方言の違いについての話が主題ではなく…おすそわけの話。


今日は、某センターの元気のいいMさん(と書けばわかる人はわかるw)と、街角で偶然遭遇。「これから仕事に行くとこ」という彼女は、「今、リーズナブルなワイン二本買ったからさ…、どっち持ってく?」と言って、「え?そんな、たまたま会っただけなのに…」と言う僕に、「こっちあげるねー」と。

そんなやりとりを見ていた、彼女と一緒にいた男性が、「本当は二本持ってくのが重いからだよー」と冗談を言って、僕が恐縮する気持ちを和らげてくれた。

彼女の持つ明るさは前から大好きなのだけれど、このやりとりは、なんだかほんわかして気持ちがほぐれた。


その後、亡くなった姉の仏壇に手を合わせに(ちょうど7回忌と東京での仕事がかぶってしまったので、前もって行ったのだった)。

すると、気のいい義兄は、なぜか部屋の中にケース単位で積まれている飲料の山から、あれこれピックアップして袋につめてくれた。「もういいよ、ありがとう」という声もおかまいなく、段ボール一つの飲料水と、大きなレジ袋二つ分&半ダースセットのジュースをいただくことに。


ナーベーラーをくれた彼女からは、前もトマトソースやら肉じゃかやらをいただいているし、この前具合が悪くなったときに来てくれた友人からは、遊びに行った帰りに、カレーやヨーグルトデザートをもらったり。

引っ越してすぐの頃、親戚がつくっている野菜がたくさんあるから…と持って来てくれた人も。姉も、僕が調子の悪いときなど、通勤前に遠回りしてドアノブに食べ物をかけていってくれたりする。

こういうおすそわけって、なんかいいなーと思う。あ、自分がもらってばっかりだから、じゃなくて(自分でつくったものではないけど、一応自分も時々はおすそわけ的な贈り物をしているつもり…明らかにもらう方が多いけど)。

おすそわけじゃないけど、引っ越したときに、友人たちがお金を出し合って買ってくれたガス台や炊飯器も、ほんとありがたかった(やっぱりもらう方が多い)。

こういう関係があるのって、ほんとほっとする。支えられている感があって。僕も、もっと色んな人に支えている感を与えられるようになりたいなー。やっぱり、そのためには生業をなんとかせねば…。


あ、余談だけど、ナーベーラーンブシーはとても美味しくできました(笑)
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# by hideki_sunagawa | 2011-09-28 21:12 | Diary
2011年 09月 27日

オープンリーゲイなんですけど…

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この写真は、昨年、僕が代表として開催した「第7回東京プライドパレード」のもの。最後にボランティアスタッフが次々と壇上に上がっているところだ。真ん中で手を上げているのが僕(苦笑)。撮影は、僕のパートナー、くま絵師「悠」。


▼同窓生からの便り

最近、中高時代の友人/知人とのやりとりがちらほらある。そういう人で僕に連絡をくれる人は、このブログでアドレスを知ってメールをくれたりするのだが、不思議なほど、僕がゲイであることに触れることがない(明らかに読んでもいるのに)。

中学の同窓会に行きたくない理由の根底に自分がゲイであるということがあるということを書き(→)、それを読んだ上で同窓会に更に誘ってくれた人のメールでも、僕がゲイであるということについて(というか、それに関連することについて)一言も触れられていなかったりする。あくまで、「独身」であるということの問題に回収されてしまう。


▼オープンリーゲイのアクティビストです

そのように僕がゲイであることを知りつつ、それにからんでくる話題に触れない人たちは、たいてい「いい人」だし、「善意」で、「気を遣ってくれている」のはわかる。なので、感謝する気持ちもあるのだが、「なんだかなぁ…」という思いが生じるのも正直なところだ。

もちろん、性的マイノリティであることを知られたくない、と思っている人には、「そのことについて触れない」のは、ありがたい対応だろう。でも、僕は、オープンリーゲイのアクティビスト(活動家)として、その問題を重要なこととして掲げ、自分のあり方をアピールしているのだ。

「知られたくない」と思っている人には…と書いたが、そこには矛盾が生じる。なぜなら、その場合、基本的には、まわりの人は知らないわけで、そうなると、逆に、その人の前では「ホモネタ」という形で、そのことが話題にのぼったりすることもしばしば起こるのだ。

そして「ゲイです」ということをオープンにすると、逆に誰も何も触れなくなる。これって何なんだろう?


▼笑いネタか沈黙の二つに一つ?

もちろん、そんな僕の前で「ホモネタ」のような笑い話が出るのは最悪だが、世の中には、性的マイノリティについては、失礼な笑い話か、触れないか、のどちらかしかないのだろうか?…いや、あえて極端な言い方するならば、そのどちらかしないのかもしれない。

性的マイノリティについて、対等に語る言葉を、多くの人は持たない。せめて、そのことに気づいて、そこに潜む差別性/抑圧性に気づいて欲しいものだが…。

講義や講演で、「知らないので、失礼なことを言うかもしれないと思って」という声は良く聞く。でも、「失礼なこと言ったら、教えてね」ということをあらかじめ伝え、そして誠意をもって対応すれば、相手を傷つけることはほとんどないだろう。

いや、その前に、マイノリティ性を持った人が自分のその存在を伝えていることを知ったならば、「知らない」ままじゃなく、少しは学ぶ姿勢が欲しいと思う(このブログ見てくれたなら、LGBTカテゴリーの日記をいくつか読むだけで、だいぶ違うと思うのだが)。


▼「知らない」=無垢、ではない

「なんで、そこまでしなくちゃ?」と思うマジョリティもいるだろうが、常に、どのマイノリティ問題も、マジョリティの問題でもあるのだ(人によっては、マイノリティの問題はマイノリティ側の問題じゃなくマジョリティ側の問題だ!と言い切る人もいる)。

「知らない」ままでいれば、関係ないと思うのは間違いだ。構造的な力関係には常に巻き込まれているのだから(もちろん、僕もセクシュアリティやジェンダー以外の問題でも常に巻き込まれているし、それらの問題の中でマジョリティの立場に立っていることも多い)。

構造的に明らかな力関係がなければ、冗談も、沈黙もまったく違う意味になるのだけれど…。


だいたい、僕がこれまで長らくやってきた、僕にとって重要な活動や仕事は、自分がゲイであるということとは切り離せない(冒頭の写真は、そのアピール)。なのに、それに触れない交流っていったい!
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# by Hideki_Sunagawa | 2011-09-27 12:12 | LGBT/gender
2011年 09月 26日

聖地の観光化

▼観光地化する斎場御嶽

沖縄本島南部にある斎場御嶽(せーふぁーうたき)は、2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして、ユネスコの世界遺産リストに登録され、一気に沖縄で最も有名な観光地の一つとなった。

世界遺産になる前にも後に何度か行ったことがあるが、明らかに、訪れる人の数は増え、また層も幅広くなっている。本島随一の聖地とも言われるだけに、この地に様々な人が訪れることに複雑な思いを抱いている人は少なくない。

もちろん自分も、その「様々な人」の一人であることは言うまでもない。もともと男性が入ることも禁じられていた場所であった。

そんな自分を棚に上げて…という話なのだが、僕も、「観光地に来てみました!」という雰囲気を漂わせている人を見ると、「これでいいのかな…」と思ってしまう。もちろん、他の御嶽などもそうだ。


▼もし観光地化されなかったら…

ここで、もしも御嶽が観光資源として位置づけられなかったら…と考えてみる。理想的な(?)イメージでは、地元の信心深い人だけがウガン(拝み)のために訪れ、その人たちにより守り続けられる…というものかもしれない。

しかし、おそらくそうはならない。いったい、どれだけの人が実際にウガンに来ているかを考えれば明らかだ。その地域の人口のごくごく一部の人だけだ(その地への思いは多くの人が共有しているとしても)。

しかも、だんだんとそういう人は減っている。今、パワースポットブームの中で若い人も訪れるようになっているが、それはおそらく一過性の流行の可能性は高いし、そうじゃないにしても、その地に根ざした人でないがゆえに、守る担い手とはなりにくい。

拝所(うがんじゅ)について書かれている本を読むと、実際に、小さな拝所で廃れている場所は少なくないようだ。


▼開発の波

また、街の開発の中で、小さな祠として維持されるのが精一杯というところもたくさんある。そのような新しくコンクリートでつくられた祠は、時代が過ぎるにつれ、次第に存在感と意味を失っていき、消失する可能性もある。

皮肉にも、拝所の一部は、観光資源として意識されていることで整備されている。さらに言うならば、地元の若い人たちが拝所を重要な場所として意識するようになったのは、もちろん、昔からそこで拝むオバーたちを見てきたということが大きいだろうが、観光の中で再発見した面も否定できない。

観光という営為の中で、地元の人が、「オリジナルな文化」というものを再発見し、強化し、自分たちのアイデンティティの拠り所とする…という仕組みは、観光人類学の中で繰り返し指摘されてきた。


▼観光客を育てる

となると、聖地の観光地化をめぐる「いい解決法」は限られて来る。僕は、一つは、観光客を育てることだと思っている。聖地を訪れるときの心構え、振る舞いのルールを徹底させること。よっぽど厳しいものでなければ、観光客もそのルールを楽しむことだろう。

もう一つは、本当に重要な土地であり、多くの観光客が来たら荒れてしまう可能性がある場所は、なんらかの制限を設けることである。時期を限る、人数を決める等。それはありがたみを増させることになり、これも観光戦略とは矛盾しない。

そうやって「観光客を育てる」という姿勢は、観光がもたらす、ゲスト(観光客)とホスト(迎える側)の微妙な力関係をも変えて行くのではないか、と思う。
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# by hideki_sunagawa | 2011-09-26 20:21 | Okinawa
2011年 09月 26日

今も残る戦争の傷

先日の「なは女性センター」の懇親会で聞いた話を書こう思って忘れていた。最近おこなわれているらしい、沖縄戦によるトラウマの研究からの話。

6月頃から、沖縄では精神的に不安定になる人が増えるという。よく「季節の変わり目に調子を崩す人が多い」と言われているから、それも関係しているかもしれない。

しかし、明確に戦争の記憶と結びついている人も少なくないという。沖縄戦が終わりに近づくにつれ、戦闘が一層激しさを増し、蒸し暑い空気の中で目の当たりにした腐敗していく死体の記憶、それを踏んでしまった感触、激しい死臭…そのようなものを思い出す人たちがいる、と。

そして、幼い頃に経験しつつ忘れていたことが、70歳を過ぎてから思い出される、ということも少なくないらしい。自分の身代わりになるように亡くなった母親のこと、など。

戦後長らく、精神的に病む人たちの数が、本土に比較してはるかに多かったという話を以前テレビでやっていたことも思い出す。戦後に生まれた人の中にも、その様子を身近に見つつ、傷を抱えた人もいるだろう。

米兵による残忍な犯罪が起きた村(狭い共同体)では、そのことによる傷を、被害者だけでなくまわりの人も抱え、精神的な抑圧を生むという話を、以前、ある女性活動家から聴いたことがある。

そうだ。僕は、沖縄に帰るからには、そういう話も身に刻むように聴かねばと思っていたのだった。少しずつ、そうしていこう。


画像は、新都心のもの。激しい戦闘が続き、多くの米兵が亡くなり、またその苛烈さに精神的に病んだ者も多かったという。「シュガーローフの戦い」という名がついている。それゆえ、長らく「良くない土地」と言われていたが、最近はそういう語りも減っているようだ。
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# by hideki_sunagawa | 2011-09-26 00:53 | Okinawa
2011年 09月 24日

金城町の石畳

どこの土地でも、そこに住んでいる人はその地の観光地に行かないもんだと言うけれど…。

今日初めて、首里金城町の石畳に行ってきた。実は、関心を持った物件(事業用の)が、その近くにあったので、ついでに…という感じだったのだが、思った以上に趣があって、良かった。
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これまで、「ちょっとしかない通りだよ」「意外とがっかりする」と聞いていたので、期待のハードルが低かったせいもあるかもしれない。けれど、僕にとっては、古に想像を馳せるに十分な場所だった。

今回のこの物件チェックとプチ観光の旅には、ある拝所(うがんじゅ)との偶然の出会いがあったのだけれど、それは胸にしまっておこう…

このために車を出してくれて、つきあってくれたお二人に心から感謝。二人と一緒だったから、その拝所にたどり着いたような気がします。

====

今月、ほぼ毎日、この日記を更新してきたけれど、実は毎日更新すると、読む方も大変みたい…という事に気づいたので(苦笑)、週に3−4回にしようかな、と思ったりしています。月水金とかにしようかなー。って、別に定期にしなくてもいいんだろうけどね。

とりあえず、この土日はお休みしまーす。
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# by hideki_sunagawa | 2011-09-24 00:02 | Okinawa
2011年 09月 23日

ある14歳の子の自死…

米国で、いじめを受けていた14歳の男の子が自死したというニュースを聞いた。

彼(Jamey Rodemeyer)は、「fag(ゲイなどに対する蔑称)」と言われいじめられていたという。

実は、彼は、ゲイのティーンを励ますための「It gets better(だんだん良くなるよ)」というキャンペーンに賛同してメッセージを発していた。

その映像→「It Gets Better, I promise!」(英語)


彼は、この映像の中で、「自分はバイセクシュアルであるとカミングアウトしてから、たくさんのサポートも受けるようになった」と語っている。

両親は学校にいじめへの対応を求めていたが、いじめはなくならなかったという。彼は、facebookには、今月の9日に、「どんなにいじめられていると言っても誰も聞いてくれない…」と書き残してあった。

そして、その書き込みに対して、「JAMIE IS STUPID, GAY, FAT ANND UGLY. HE MUST DIE!」(JAMIEは、バカで、ゲイで、太っていてみにくい。死んでしまえ)といったコメントが書き込まれたという。

ただただ胸が痛む。
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# by hideki_sunagawa | 2011-09-23 01:30 | LGBT/gender
2011年 09月 22日

沖縄の「うない」たちに力をもらった日

▼久しぶりに講座へ

21日(水)は、なは女性センターの講座「立ち上がった“うない”たち 〜沖縄・政治とジェンダー〜」(講師:宮城晴美さん)に足を運んだ。帰って来てすぐに感想を書こうと思っていたけど、帰りに懇親会に声をかけてもらったので、ほいほいと着いて行って、帰って来たのは0時過ぎ。

宮城晴美さんは、沖縄女性史家。那覇市役所職員のときに、那覇女性史『女のあしあと』(琉球王国時代から現代まで。全3冊)を編集・刊行された方。

沖縄のジェンダー問題の大きな課題の一つ、トートーメー(長男が引き継ぐべきとされている代々継いで行く位牌)についても研究されていて、その習慣が、もともと士族のものであり、庶民は長らくそのような価値観は持っていなかったことを指摘されている。


▼日本本土より早くおこなわれた女性の政治参加

今日の話もおもしろかった! 恥ずかしながら、知らなかったことがいっぱいあった。

終戦直後、沖縄本島各地の収容所に12の「市」がつくられ、「市会議員」と「市長」が選挙で選ばれることになったこと。そして、1945年9月20日に投票がおこなわれ、そのときに女性も投票権があったということ(落選したけれど、議員への立候補者も二名いたとか)。

それは、米軍にいち早く占領されたということの結果ではあるけれど、日本で女性の投票が始まった1946年4月10日よりも半年以上も早い出来事だった(身元の証明ができなかったり、字の書けない人が多い中での選挙だったらしいけれど…)。


▼伊佐浜の土地闘争

その後の戦後の女性たちの闘いの歴史に鼓舞される思いがした。政治へ挑んだり、社会制度の改革に取り組む女性たちのこともさることながら、僕の印象に残ったのは、1955年の「伊佐浜の土地闘争」。

これは、1954年に、米軍が伊佐浜の住民に立ち退くことを要求。もともと稲の良く実る水田が広がる土地だったそうだが、最終的に地元の男性たちは最終的にとして同意することに(地代にからむ妥協があって?)。しかし、女性たちが猛烈に反発し、反対運動を展開したという。

だが、1955年3月11日、武力とブルドーザーをもって約3万坪は強制収用されてしまった…。


▼「うない」たちとの語らい
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懇親会も、基地問題や労働問題などの社会問題について(当然、ジェンダーの視点から)語り合いながらも楽しい時間だった。

以前も日記にも書いたけれど、こういう女性たちと出会ったことが、沖縄に帰っても大丈夫かも…という思いにさせてくれたのだった。

「こういう」というのには、もちろん、友人たちも含まれている。

ちなみに、「うない」というのは沖縄本島の(本島南部の?)方言で、「姉妹」という意味。

女性運動の中では、英語のsisterhoodに近い感覚で使われている印象だ。

そんな言葉がぴったりな彼女たちを見ていると、エンパワーされると同時に、いかにその運動に学び、つながりながら、性的マイノリティのことをやっていくかということを考えさせられる(前向きな気持ちで)。


その講座が始まる前、なは女性センターに入ろうと思って空を仰いだら、虹が出ていた。なんだか僕が、これから沖縄で活動や研究をしていく上で、大切にするべきものを指し示されたような、そんな気がした。
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# by Hideki_Sunagawa | 2011-09-22 01:07 | Diary
2011年 09月 20日

Hometowns

なんだか沖縄で惹かれるところのことばかり書いていると、東京には未練がないみたいに聞こえるかもしれない。しかし、21年住んだところだし、新しい生き方を確立した場所なのだから、思い入れは深い。


やはり、東京の季節の変化は大好き(最近の、長く続く猛暑はうんざりだけど)。

桜は、色んな思いを駆り立てる。冬を越えて春を迎えた喜び。はかなく散る姿に重なる、今は亡き大切な人々のこと…。一年後の自分は…という想像。

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僕は、新宿の高層ビル街も好きだった。

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だから、お茶をするのも西新宿の高層ビルの谷間にある広場だったり。

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渋谷はずっと馴染めなかった街だったけど、よく前を通ったり、たまに待ち合わせ場所にした、岡本太郎の「明日の神話」は、とても好きだった。

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秋の紅葉も、やはり美しい。東大駒場キャンパスの銀杏並木も綺麗だったなぁ。

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でも、やっぱり、東京で一番恋しく思うのは、そこで関係を育んだ友人たち(相方はまた別格として)。今はまだ離れている実感はあまりないけれど、お互い、だんだんと思い出になっていく人が多いんだろうなぁ…と思うと、ちょっと切ない。

東京にいると沖縄が恋しく、沖縄にいると、東京の日々を思い出して少し切なくなる。しかし、好きな場所がいくつもあるということはとても幸せなこと。

僕にとって、東京は「『第二の』故郷」じゃなくて、やっぱり故郷なんだなと思う。
I love my hometowns!(笑)
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# by Hideki_Sunagawa | 2011-09-20 20:39 | Diary
2011年 09月 19日

活動のエネルギーは…

ぼちぼちと沖縄でのLGBT関係の活動を準備している。その活動にも参加してくれそうなレズビアンの友達から、以前、「また復活して頑張ろうって思うモティベーション(動機)がどこからくるの?」と尋ねられたことがある。僕自身よくわからないところも多いので、「考えてみるねー」と返事したままに。

僕が2000年にパレードを復活させたときに、その動機を聞かれることがよくあった。自分でもはっきりしないその心情を無理矢理言葉にして、「『コミュニティ』への恩返し」と語っていた。自分がそれまで支えられて来た色々な関係性への「恩返し」…


今も、基本的には、自分が意識できるモティベーションの土台には、誰かから受けたサポートを返していくという思いがあるような気がする。そして、「恩返し」のつもりで始めた活動は、また他の人の協力や支えを招き、一層「恩」ができていく。そうやって、僕は、パレードの10年、HIV/AIDSの21年の活動を続けてきた。

しかし、「恩」という言葉は、「返す」義務感と一体となり、重い。時には、自分が受けて来たものを、その言葉でとらえて、その重みを実感するのも悪くないかもしれない。けれど、ずっとそれを背負い続けるのは、つらいことでもある。

その「恩」を「愛」という言葉でとらえなおしたら、随分と印象が変わった…という話を、以前もこのブログで書いた→2011年1月21日の日記


「愛」って日本語ではとても照れくさい言葉だけれど、時々自分の受けて来た/受けている「愛」を思い出すのは大事だなぁ…と思う。

先日書いた友人の助けもそうだし、もちろん、親きょうだいから長らく受けて来たものもそうだし。僕が、沖縄で再スタートができたのも、地元の友人の支えがあってのことだ(何を隠そう、友人の一人が家を借りるときの保証人になってくれたりもした)。東京で生きられたのも、何人もの人に、物心ともに支えられたおかげだ。それらは、全て愛なんだ、って思ったら、とても幸せな気分になる。


もちろん、そのサポートへの感謝の気持ちを常に持ちつつ、いつか自分ができる形でお礼をしていきたいと思っているけれど、それを「恩返し」と言っている間は、なんだか義務っぽくて、他人行儀な感じで、ある意味で狭い価値観のような気がする。

「恩」は「返す」ものだけど、「愛」へのお礼はどう表現するべきだろうか?「愛」を「返す」のはどう考えても変な表現だ。

きっと、受けた「愛」は「広げていく」ものなのだろう。あるいは、意識しなくても、自分が「愛」を受けていることを実感すれば、「広がっていく」ものなのかもしれない。


それが僕が活動に疲れ果てても、また始めようと思えるエネルギーとなっているのだろう。…なんて言うとなんだかキレイな話すぎる感じもするけれど、こういう前向きな気持ちについて語って行くことも重要だと思うので、あえて。


最後に、なんとなく、昨日届いた「くま絵師・悠」の作品を。雲の上にいるのは、僕の最愛の親友がんすけ(2007年逝去)と、そのパートナーだった相坂さん(2011年逝去)。僕は、そんな人たちからのバトンも受け継いでいる。

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# by Hideki_Sunagawa | 2011-09-19 16:33 | Diary
2011年 09月 18日

昨日の日記の追記的に

昨日の日記に書いた内容に合う画像を、以前撮影したものからピックアップしてみようと思ったけれど、街中で勝手に繁茂している植物を写したものは少なかったので、とりあえず、沖縄の木々の元気な姿を写したものを。

最初のものは、僕が小さい頃よく一人で遊んでいた「波の上宮」まわりの公園で写したもの。このように石灰岩の岩石に根を張って育っている大きな木を良く見かける。人の手で作り上げたものではない、この形態が魅力的だ(盆栽のような人の手がかかったものも嫌いじゃないけど…)。

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国際通りからちょっと入ったところにあった樹木。通りから奥まったところにどっしりと生えていたが、その入り口付近が住宅地として開発されていたので、この樹は切られたかもしれない…。

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これは、相方の「くま絵師」こと悠が沖縄で写した写真。いろんな植物が一緒に生えているこういう風景がとても好き。ちなみに、この沖縄旅行の時に彼が持ち歩いていた、友人が作ったという玉型のオブジェ(?)がどこかに隠れています(笑)。

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以前もアップしたことのある若狭の樹木。住宅街の道にいきなりこんな木があったりするのは、やはり東京では考えられない。でも、この前の通り、大幅に拡張されたので、これも切られてしまったかも…

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おそらく、新しい道路をどんどんつくる中で、大きな樹々は切られてしまうのだろう。とても残念だ。しかし、それでも、また新しい木が新しい道路の隅から生えて来る。そこに力強さを感じる。そういうものがなくなった時は、沖縄は本当に変わった時なんだろうな、という気がする。
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# by hideki_sunagawa | 2011-09-18 17:21 | Okinawa
2011年 09月 17日

東京の街、沖縄の街

昨日の日記を書いたあと、つらつらと東京での生活を思い出していた。最後に住んだアパートから駅へ向かう道とか、その前に住んでいたあたりのこととか。

その、思い出される風景と、今自分が住んでいるあたり、あるいは時々でかける住宅街と比べてみて、一見大して変わらないようで、でもやはり雰囲気がだいぶ違うなぁ…とあらためて思った。この違いは、わかる人はわかるし、わからない人はわからない、という類いのものだろう。


簡単に言えば、東京の住宅街はとてもかっちりとつくられ、きれいに整われている。僕が東京で住んでいたところが、比較的富裕層が住んでいる街だったということもあるかもしれない。しかし、独特なカラーがあるところを除いて、全般的に東京の住宅街の雰囲気はさほど変わらない。

一方、沖縄では、住宅街は東京ほどはきれいに整備されていない印象がある。おそらくこれは、自治体が裕福かどうかとも関係がある(公共空間を整備するお金があるかどうか…)。だがやはり、この手のことをあまり気にしない人が多いということもあるだろう。

那覇の市街地を歩いていて目にとまるのは、道路の隅や、建物の角などに、結構繁茂した植物が目につくこと。ガジュマルも頻繁に目にする。街路樹のまわりにも、勝手に生えた(あるいは誰かが勝手に植えた)植物が、茂っていたりする。

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歩行者の(特に、視覚や歩行にしょうがいのある人)の便を考え、手をいれなくてはいけないところは少なからずあるだろうが、この、勝手に生えている植物が放置されている感じに、僕はほっとするのだ。

その風景に慣れた感覚で、東京の街を思い出すと、住んでいるときは当たり前だった風景が窮屈に感じたりするのが不思議だ(と言いつつ、そこに戻ればそれにまたすぐに慣れるのだけれど)。


僕の住んでいたアパートのまわりの一戸建ての家々は、ガーデニングに凝っている人が多くて、本当にきれいに手入れされていた。庭木がある家は、年に1、2回庭木屋さんが来て、剪定をしたりする。それはそれで美しく、気持ちよく眺めていたけれど、沖縄の、住宅の前に置かれた植物がやたら茂って大変なことになっているのも面白い。


思い返すと、そんな東京の街には、「もっとがんばりなさい」と励まされていた気がする。今、沖縄の街には、「いいんじゃない?それでー」と言われているような…。単に今の僕の心境の反映なのかしれないけれど。

そういう東京で、僕はだいぶ鍛えられなぁ…と、最近、しみじみ思う。それは、僕にとって必要な時期だったと改めて思う。そして今は、沖縄でゆっくりと熟成させつつ、新しいことを考えていく時期なのだ。その後は、またどこかの地に呼ばれるかもしれないし、もうずっと沖縄に腰を据えるかもしれないし。

半分はやりたいことを考えて計画し、半分は成り行き任せ。それぐらいが自分にはちょうどいいのかもしれない。
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# by Hideki_Sunagawa | 2011-09-17 19:59 | Okinawa
2011年 09月 16日

支え合う関係のために

昨夜、調子が悪くなり、『このまま死ぬかも!』という不安に襲われ(オーバーなタイプ)、歩いて10分ほどの距離にいるゲイの友人にメールを送ったら、真夜中にも関わらず来てくれ、一時間そばにいてくれた。おかげで落ち着き、寝つくことができた。(あ、ちなみに、調子が悪くなった原因は解決)

この前は、激しい痛風発作で苦しんでいるとき、近いわけでもないのに、レズビアンカップルの友人が車で湿布薬と食べ物の差し入れを持って来てくれた(姉も、職場に出勤する前に遠回りして食べ物を届けてくれた)。

そんな友人たちに心から感謝(もちろん、家族にも)。

昨日助けてもらった友人に感謝のメールを送ったら、「ゆいまーる」だよねー、って。「ゆいまーる」とは、沖縄の地縁的共同体の相互扶助関係を言う。本土から沖縄に移り住んできた彼からその言葉を思い出させてもらったのが、なんだか面白い。


僕は東京でも、それとはまた違うような形でたくさん助けられ、支えられて来た。あのときの、あの支えがなければ…と思うことは、数知れず。自分のまわりの友人関係では、助け合う<気持ち>は、東京も沖縄も変わらない。

東京と沖縄で一番違うのは、たぶん物理的距離感。東京では電車で移動する人が多く、誰かのところへ向かうのは/自分のところに来てもらうには、電車に乗り(乗り継ぎ)、駅から歩いて…ということが大部分になる。


そうすると、来てくれると言ってくれても、その経路を考えると、遠慮したい気持ちになる(僕が最後に住んでいたアパートは駅から歩いて15分かかるところだった)。ましてや、電車が終わる真夜中は…。

僕は、博論で、空間の物理的なあり方がもたらすコミュニティ感についても触れたが、心理的なものと物理的なものは別ものではない。

東京にいる間、大変な思いをしていたときの友人を訪れることが少なかった自分が嫌になった(その背景あるのは、「物理的」な問題だけではないのだけれど…)。それも、東京を離れる理由の一つだった。

もちろん東京でも、もっとがんばれば、距離感を乗り越え、お互いを助けられるようになったんだろうけど…。


とりあえず、そんな東京での反省ももとにしつつ、沖縄で「ゆいまーる」的関係性づくりをスタート。冒頭の友人は近所なので、何かあったら自分も助けに行くことができるけど、離れたところに住んでいる友人の元へすぐに駆けつけられるようになるためには、移動手段をなんとかしなくちゃなー(目指せ、脱ペーパードライバー)。
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# by Hideki_Sunagawa | 2011-09-16 20:56 | Okinawa
2011年 09月 15日

先達に学ぶ

▼南定四郎さん

5月17日の日記にも書いたが、日本で初めて性的マイノリティのパレードを開催し、今年で20回になる「東京レズビアン&ゲイ映画祭」を始めたりと、日本のゲイアクティビズムを語る上で最も重要な人物の一人、南定四郎(みなみ・ていしろう)さん。

昨年から沖縄にお住まいで、僕も帰って来てから既に二度お会いし、いろいろなお話をうかがった。今日、三回目の懇談の時間をいただいた。

相変わらず、79歳の年齢とは思えない若々しさ、お元気さ。いつもきっちりとおしゃれな格好をされている(シャツ&ジャケット&帽子)。たいていTシャツと短パンの僕は、恥ずかしくなる(前回お会いしたときもそう思ったのに、家を出るときに慌てていて、すっかりそのことを忘れて、やはり同じ様な格好で出かけてしまったのだ)。


▼映画祭の始まり

話の流れから、映画祭のスタート時のことを少しうかがった。いくつかの国のLGBT団体などに上映の映像の提供を募集し、始まったという。最初に開催した時は、会場にクレームの電話がたくさんかかったため、会場スタッフがどいう映画を上映しているのかと確認に来たとか。

今でこそ、あちこちの地域で性的マイノリティの映画祭をやっているし、パレードも増えた。そういうものをイメージすらするのが難しかった時代に、それを始めたのは本当にすごいなぁ、と思う。


▼歴史に学ぶ

残念ながら、日本のアクティビズムでは、そのように先達が開拓して来た道のりが忘却されがちだ。レスペクトするという意味だけでなく、次の段階へステップアップしていくためには、そういう歴史をちゃんと継いで行くことが重要なのだけれど…。

若いアクティビストが始めた活動は、何年も見ていると、いろんな団体やグループがつまづいたところにつまづいて、自然消滅していく、あるいは縮小していくことが多い。僕は、コンタクトとれる人がいればアドバイスするし、スタート時に「注意したほうがいいこと」などを経験に基づいて語るのだが、それをちゃんと受けとめたり、自ら学ぼうという意志を持って連絡してくる人は少ない。


▼乗り越え、発展させるために

それは、「若い私たちが新しい流れをつくっていく」と思って始める人が多いからなのだろう。もちろん、社会が変化すれば活動の展開も変わるし、先達を乗り越えなければならないこともある。しかし、ちゃんと知らなければ乗り越えることもできない。

僕は、南さんのようなゲイアクティビストの先輩だけでなく、ウーマンリブと呼ばれていた時代からジェンダー問題に取り組んできた人たちや、苛烈な差別の中で闘って来た「在日」の人、被差別部落出身者、アイヌ、しょうがい者などの運動の歴史にも学びたい。もちろん、労働運動、貧困問題などにも。

日本の性的マイノリティの運動の歴史は浅いし、層は薄いのだから、そのような様々な運動に学ばなければ、発展していかないだろう。海外にも学ぼう。

その学びには、楽しい出会いがたくさんあるに違いない。
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# by Hideki_Sunagawa | 2011-09-15 18:29 | LGBT/gender
2011年 09月 14日

ゆるゆると始動

▼うないフェスティバル2011に参加します

2011年11月20日(日)〜26日(金)開催される「うないフェスティバル」に参加することにしました。「参加」と言っても、基本的に参加者/団体は、掲示物を出すだけなのだけれど…。LGBTに関する基本的な話などを掲示する予定です。

うないフェスティバルは、もともと女性団体が中心になって開催してきたイベント。今年で開催27回目になるが、2009年の25回目でだいぶ形式が変わったようだ。残念ながら、すっかり小規模になってしまったが、声をかけていただいたこともあり、参加することに。

うないフェスティバル2011ブログ


▼組織づくり

ということで、これへの参加に向けてLGBT問題に取り組む団体をつくる準備を進めています。どういう組織形態にするかはまだ決まっていないけれど、「当事者」だけでなく、支援者(ally)も一緒に活動していく団体にするつもり。

でも、もう、NPO/NGO活動では消耗したくないので、ゆるゆると。また詳細が決まったら、こちらでもお知らせしていきます!
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# by hideki_sunagawa | 2011-09-14 13:34 | LGBT/gender