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2014年 03月 18日

いい日

▼那覇市保健所のHIV関連の会議へ出席

今日は、HIV関連の会議で那覇市保健所へ足を運んだ。

実はこの会議、開催の約1週間前に連絡があり、この日に大事な用事を入れていた僕は、その時、出席しようかどうかだいぶ迷ったのだった。しかし、「会議」ながら、僕に30分ほどLGBTについて話して欲しいという依頼つき…むむむ。いろいろ悩んだが、「少しでも多くの人にLGBTについて伝える機会は大事」と思い、先の用事を調整し出席するという返事を。正直者(?)の僕は、気が進まない感をアピールしつつ(苦笑)。

けれど、出席してとても良かった。学校の養護教諭の役員や那覇市の教育庁の人にLGBTについての話ができたこともあるが、それ以上に、那覇市保健所のHIV検査の担当者たちの本気が伝わってきたからだ。

こういう場ではおざなりな情報共有で終わることも多い。特に、行政の異なるセクション間では、強く何かを提案することはしづらかったりもするもの。しかし、保健所のHIV担当の人は、教育委員会の方に、かなり強く「性の多様性について教育の中に入れていっては」と進言していた。そして、担当者たちのLGBTに関する問題意識には真摯さを感じて、それは感動を覚えるほどだった。

なので、もし「HIV検査を受けたいけど、どういう対応されるかわからないのが不安…」という人には、この保健所は自信を持って勧められると思った。というわけで、帰ってすぐに以下のツイートを。

ーーーー
那覇市保健所のHIV会議に出席。実は、那覇市のHIV検査体制の充実ぶりはすごいです。即日(その日に結果が出る)検査が週3回、通常検査も入れると月~金毎日。夜間即日も月一回有。そして担当スタッフたちがとてもいい! http://bit.ly/1on9j8w
ーーーー

この検査体制はスタッフの質も含め、那覇市が誇れるものだと思う。


▼偶然に…

会議終了後、「しぶってたけど、行って良かったなぁ…」と思いつつ、帰路へ。なんとなく「遠回りだけれどこっち方向に歩こう」と思い向かった先で、偶然、昨年、公民館の講座でお世話になった職員とばったり会った。彼女は、その講座以降、時々GRADiやピンクドット関連のものに顔を出してくれている。

「今まで近くで公民館の会議があったんですよー」と言う彼女。そして、「ちょうど砂川さんの話をしてました!ピンクドット7月20日にあるので、みんな来てね!って言ってきました!」と。行こう、ではなく、来てねという表現がうれしいなと思った。こちら側に一緒にいて呼びかけてくれているんだなぁ、と。


▼教え子からのメール

彼女とはそんな会話をしながら一緒に横断歩道を渡っただけで、すぐに別れた。「普段は通らない道なのに、不思議なもんだー」と思いながら、ふと見た携帯のメール。「砂川秀樹先生へ」というタイトル。最近講演に行った先の誰かかな?と思ったら、非常勤講師として行っていた東京にある大学の卒業生であることが冒頭に記されていた。

正直、とても驚いた。なぜなら、その大学の非常勤講師は、沖縄に来るときに辞めたわけで、メールをくれたその人も3-4年も前に僕の授業をとっていた学生だったからだ。長いメールはとても丁寧で、しっかりとした文章だった。

そこには、僕が授業で皆に語った言葉に励まされ、努力して、自分が思い焦がれていた先に就職できたと。そして、その言葉や授業への感謝の思いが書かれていた。

読みながら、あまりの嬉しさに泣けてきた。非常勤講師は、学生とのやりとりは基本的に授業だけのことが多い。そのぶん、何が伝わっているのか伝わっていないのか、何を考えているのかもわかりづらく、時に徒労感に苛まれることもある(特に僕がその大学で持っていた授業は100人を超えることの多いものだったので)。

また、僕はジェンダー論を教えていたこともあり、自分の価値観や考え、自分自身のあり方をオープンにしながら進める形になり消耗する事も多かった。しかし、その中で伝えてきた言葉が一人の学生の中に残って、それがその学生を励ましたなら、これほど教師冥利につきることはない。

そして、今は、彼女の言葉に励まされている自分がいる。ほんとうにありがとう、と、こちらが言う番だ。


▼姉からのメール

気持ちがいっぱい…と思いながら、「そういえば、姉からもメール届いてたなぁ」と、開いてみた。そして、そこに「山城さん帰ったよー」と書かれているそのメールを見て思い出した。『そうだ…今日はフリージャーナリストの山城紀子さんが、僕のカミングアウトについて、母親にインタビューをしに行ってたんだ…』。

母は、78歳。もうすっかり耳も遠くなり、脚の骨を折って以来、家に籠ることがほとんど。また、もともと難しい話ができる人でもない。なので、「どういうやりとりになるんだろう?」と正直、心配していた。

実は、姉経由でそのインタビューの打診を母親にした時に、オッケーが出たことすら意外な気がしていた。そして、今日、姉に同席してもらって、インタビューに答えてもらったのだった。

「今日どうだった?」とドキドキしながら送ったメールへの返事は意外だった。そこにはこういうことが書かれてあった。

「とてもスムーズに進行した。お母ちゃんって、こんなに話すんだ~って、びっくりした」

そして、こうも書かれていた。

「インタビューと言う事もあって、山城さんがお母ちゃんに聞く、お母ちゃんが答える。当たり前な事だけど、私はそんな会話をしてなかった。家族や周りに対しても、ついつい、自分の思う事だけを言ってた気がする。お母ちゃんの気持ちを聞いてなかったと、気が付いた・・ほんとに今日は『聞く』と言う事が大切だと、思った。」

母親がたくさん話をしたというのも感動したけれど(どういう内容だったはわからないけれど)、姉がそれを見ながら、こんな風に自分を振り返ったということにも心動かされた。


▼コミュニケーション

もしも、今日の一連のことに通じるものがあるとするなら(そういうものを発見する必要もないのだけれど…)、やはりコミュニケーションをめぐることかな…と思う。最初の会議には、「こうして欲しい」ということを、別の行政担当者に伝える保健所の人の姿勢への感動が僕にはあった。しかも、それには、LGBTの若者/生徒がどうすれば支えられるか、ということを考えての思いが込められいると僕は感じた。

そして、「ピンクドットに来てね」と会議で語ってくれたという公民館の方の言葉。そう呼びかけてくれたことへの喜びがあった。

元学生のメール。自分の言葉が何年もその人の胸に残っていたこと。その言葉に意味を見いだしていてくれたこと。さらには、そのことを報告してくれたこと。その報告とお礼にまた私が力づけられたこと。

姉のメールには、「聞く/聴く」ことの大事さが書かれていた。僕自身、様々な場面で「聞く/聴く」ことの意味や重要性を語って来たけれど、果たして身内にそれができていただろうかとも考えた。

伝えること、聞く/聴くこと…まさにコミュニケーションの基本。おそれず真摯に語り耳を傾ける。そのことが生み出す力を強く実感した一日だった。しかし、こんなことが立て続けに起きるなんて…そんな不思議な日もあるんだなぁ。
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# by hideki_sunagawa | 2014-03-18 22:33 | Diary
2014年 03月 11日

あの時、手をつなげたら / Holding Hands

あの時、手をつなげたら
(『誰もが誰かと一緒に歩けるように』所収)

Holding Hands
(English translation follows)

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 最近、講演で同性愛について話をするときに、必ず見せる絵がある。熊の姿に描かれた二人の男性が手をつないでいるもの。それには、こう書き添えられている。「あの日、一緒に歩いて帰りながら、不安なのに互いに遠慮して手をつないで歩けなかった僕らのために。誰もが誰かと一緒に歩くことがこれからもできるように、祈りを込めて。」

 実はそれは、僕のパートナーが描いたもので、そこに登場しているのは、2011年3月11日の僕と彼だ。

 言うまでもなく、それは東日本大震災が襲った日。僕らは、一緒の仕事で都心にいた。震源地付近や、津波の被害を受けたところに比べれば大したことはなかったとはいえ、震度5強を記録した東京も激しく揺れ、大混乱だった。僕らは、夜九時頃になりようやく家に向かって歩き始めた。

 たくさんの人がぞろぞろと歩いている不思議な光景。静かな緊張感と大きな不安、非日常的な状況へのハイテンションが交じった奇妙な雰囲気の中、僕らは3時間以上歩いた。その夜は、かなり寒かった。そのとき、異性カップルなら、普段手をつながない人でも、きっと手をつないだだろう。寒さと不安を和らげるために。でも、僕らはそうしなかった。そうしようか?と口にもしなかった。

 僕は、手をつなぐことのリスクをと考えていた。普段は笑われるくらいのことでも、社会的な緊張感が高まっているときには、何が起こるかわからない、と。

 後になり、二人とも同じように手をつなぎたいと思っていたと知ったとき、お互いをいたわり合えなかったことに僕らは胸を痛めた。そして彼は、そのときの僕らのためにその絵を描いてくれた。

 僕らは願っている。同性カップルが、手をつなぎたいと思ったとき、恐れや不安や気負いなく手をつなげる社会を。だから、僕らは、声をあげ、行動し続けていく。

(イラスト:加藤悠二)



Holding Hands

Whenever I give talks about gay/lesbian people these days,
there's a picture that I always show to my audience.
It’s a picture of two male teddy bears holding hands.

On it, there’s a message written:
"This is for the both of us.
For the day that we were walking home together,
full of unease but unable to let ourselves go and hold hands.
I made this in the hope that from now on,
anyone will be able to walk together like this
with another person, no matter who they are”.

To tell the truth, the artist behind the picture is
actually my partner. The two bears in the picture are
me and him, walking home on March 11th, 2011.

As we all know, March 11th, 2011 was
when the Great Tohoku Earthquake hit Japan.
That day, he and I were together at work
in the middle of downtown.

Though what we experienced was nothing in comparison to
what happened near the epicenter of the earthquake
or the places affected by tsunamis, Tokyo, too was shaken
by the biggest quake since the Great Kanto Earthquake of 1923.
Everything was in chaos. At around 9 pm or so,
we finally decided to walk back home.

What we encountered was really a mysterious sight to behold.
Countless people were walking outside,
looking for emergency shelters or listlessly heading home,
full of unspoken nervousness and great unease.

My partner and I walked for about three hours in this strange,
unusually tense atmosphere. That night was also quite frigid—so much
that I think that most straight couples would have held hands,
even if they didn't do that sort of thing normally,
just to try to melt away the worry and the cold.
But we didn’t do that. We didn’t even suggest it to each other.

Back then, I could only think about the risks of holding hands.
Normally, the worst we might have encountered was being laughed at.
But with anxiety at an all-time high throughout all levels of society,
I imagined that far worse was possible.

Sometime later, I found out that my partner had wanted to hold hands, too.
My heart became instantly full of pain and regret at the fact that
we weren't able to comfort each other in even the direst of situations.
And so, my partner drew that picture for us.
For the day that we weren't able to hold hands.

A society where same-sex couples can hold hands
whenever and wherever they want to without
fear, worry, embarrassment, or hesitation
—this is our wish.

And so, we continue to raise our voices
and engage in activism all to help one day make this dream a reality.

(Translation: Brent Lester Lue / Illustration: Yuji Kato)
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# by hideki_sunagawa | 2014-03-11 11:30 | LGBT/gender
2014年 03月 08日

とあるゲイの方の話/A story about a gay man

An essay by Hideki Sunagawa,
co-representative director of PInk Dot OK.
(English translation follows)

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昨年、ピンクドットが終わってしばらくして、とあるゲイの方からメールをいただきました。そこにはこう書かれていました。

-----
「ピンクドット! 70歳になる私たち世代には隔世の感です。ピンクを身につけるにはやや恥ずかしく、なにげなくテントの近くで皆さんの奮闘ぶりやライブのステージを見ておりました。しっかりと手をつなぎあった若いカップルがなんとも愛らしく、いじらしく、そしてうらやましくーー。

那覇市が協賛するという新聞記事に感動をいたしました。多くの地元の企業の参加も。那覇から息苦しく閉塞してしまった日本に風穴が開く!そんな予感がいたしました。大したことはできませんが、なんとかご支援をさせていただきたいと思います。」
-----

日本では、これくらいの年齢の方だと、ゲイ自身でもこういう活動を嫌う方が多いのに、うれしいなと思いとても励まされた気がしました。しばらくして、寄付をいただき、何度かメールを交換しました。

近いうちにお会いしましょう、というやりとりもして。しかし、いろいろあって、なかなかお会いできず。

そして先月頃から、サポーター向けに送っているメルマガが届かなくなったので、彼が経営しているとメールで聞いていたショップを探し、確認のメールを送りました。そのメールに対して、彼と長く一緒に人生を歩んで来られたパートナーが丁寧な返事をくださいました。

そしてそこには、昨年11月に末期がんであることがわかり一月に亡くなられたと書かれてありました。

なんで早く会わなかったのだろう、とひどく後悔しました。面と向かって「本当にありがとうございます」と言えないままになってしまいました。

彼の最初のメールの「追伸」にはこうありました。

「まだ幸いに体力はほどほどあるようです。カジマヤーまでがんばれるかと。ボランティアでお手伝いできることがございましたらなんなりと。」

私たち、ピンクドット沖縄の実行委員は、彼の言葉を胸に今年のピンクドット沖縄も成功させようと誓っています。

ありがとうございました、Tさん。どうぞ安らかに…でも、ピンクドット沖縄2014で私たちともにいてくださるだろうと信じています。

(この話を書くこと、Tさんのメールからの引用については、パートナーの方から許可をいただきました。)

砂川秀樹
(写真:加藤悠二)


A few days after Pink Dot Okinawa opened last year,
a gay man sent me an e-mail. I had no idea who he was.

It said, "Pink Dot Okinawa! Wow.
For someone like me in their 70s,
it's like we've entered a totally new age!
It was actually a little embarrassing for me
to wear pink, so I mostly spent my time
watching the staff members working
or performers on the stage from afar.

I even saw a young gay couple
with their hands held tight.
It was very adorable, quite touching,
and a little enviable. I
t was really encouraging to know that
the event was sponsored not only
by the city of Naha, but by many companies, too.

I feel as if the winds of change seem to be blowing
into Japan—which is fast becoming more closed
and oppressive—starting here from Naha!
I really felt that wind at Pink Dot Okinawa.
Though I can’t do much,
I’d love to be able to support you”.

I was very delighted to read this, as in Japan most elderly people
tend to dislike and avoid such pride events.
After a while we received a donation from him
and exchanged some letters, eventually making a promise to meet.
However, for one reason or another,
we weren’t able to see each other last year.

It was in February that the mail-magazine we sent out
to our supporters was returned to us from his address.
And another in March was returned, too.

I supposed that he might have been hospitalized
because he told me he was suffering from backache.
Out of worry, I searched for another way to contact him
and wrote to the e-mail address of the mom and pop shop he ran,
sending off a line or two inquiring about how he was doing.

His long-time partner kindly replied and told me that
he died of cancer in January.

He was diagnosed with terminal cancer in November.
It was only a few weeks after I exchanged the last mail with him.
I regretted very badly that I hadn't met sooner.
I wasn't able to say "thank you for your support" to his face.
I should have.

As "p.s" in his first letter he said,
"Thankfully, I'm still energetic.
I may end up living as old as Kajimayaa (97 years old).
Please let me know if there is something I can do as a volunteer."

We, staff members of the organizing committee,
will keep his words in our minds and try to make Pink Dot OK
as successful as it can be. Thank you very much, T-san.
May you rest in peace. But your spirit is with us in Pink Dot OK 2014.

(We've received permission from his partner
to write about T-san and to quote sentences from his e-mails.)

Hideki Sunagawa
(photo: Yuji Kato)
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# by hideki_sunagawa | 2014-03-08 20:49 | LGBT/gender
2014年 02月 19日

ピンクドット沖縄2014へ向けて

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ついにピンクドット沖縄2014に向けてスタートした。今年、開催するか迷いに迷っての決断。

昨年、イベントとしてはとても盛り上がったし、その影響が広く及んだことは今も実感できるので、目的の達成という意味では大成功だった。それにも関わらず、開催を迷ったのは、経済的には非常に厳しかったし、何より僕が無給専従状態で働く形になるので生活へのダメージが大きかったからだ。今年は、昨年の実績からスポンサーも集めやすいかもしれないが、後者の問題は基本的には変わらないだろう。

それでもやろうと決めた。それは、先に書いたように、ピンクドット沖縄の開催によって、LGBTという言葉も、それに関係する問題も広く周知されるようになったと感じているからだ。那覇市地域福祉補助金の審査のときもそうだったし、それの補助金でおこなっている出前講座でもそうだ。これほどの手応えは、大都会の東京では感じたことはなかった。

そして、もう一つ。昨年関わってくれた実行委員が、ほとんど皆、また関わりたいと思ってくれていることもある。誰一人バーンアウトすることなく、関係性に疲弊することもなく、昨年やった人がまたやりたいと思える状態は、それだけで意味があると感じている。

実際に関わった人たちがお互いに影響を与えつつ、またこの活動を通して、学んでいる様子も目の当たりにしている(自分の学びも含めて)。私が沖縄に帰るときに思っていたことに、自分が東京で得た経験が活かせるかも、伝えられることがあるかも、ということがあったが、それができているような気がする。

とても大変なイベントなので、常に、その次があるかどうかはわからない。けれど、この一回一回が確実に残すものがある。それだけで、私がまた宮城と共同代表として、その任を負う意味があると思っている。
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# by hideki_sunagawa | 2014-02-19 00:03 | LGBT/gender
2014年 02月 15日

誰もが誰かと一緒に歩けるように…

2月14日(金)、ジュンク堂書店那覇店さんで、「誰もが誰かと一緒にあるけるように」というトークイベントを開催させていただいた。「誰もが誰かと一緒にあるけるように」というのは、昨年末に出版した書籍(冊子という感じの厚さだけれど)のタイトル。

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その書籍の出版記念と、ピンクドット沖縄主催としておこなったレインボーバレンタイン・キャンペーンを合わせたイベントで、このキャンペーンのために製作したオリジナルパッケージのチロルチョコも配布。

正直、トークをおこなった会場で聞いていた人はかなり少なかった。けれど、いい雰囲気で開催できたし、チョコを配ったスタッフによると、何度も前を行き来する人や、さりがなく遠くで聞いてる様子の人たちがけっこういたという。その様子を見ていたスタッフは、トークイベント終了後、「だから…ピンクドット、やりましょう!!!」と力づよく言った。

「いや、もうやることになってるから!」と冗談めかして返答しつつも、そのスタッフが言いたいことは良くわかっていた。

僕も、2000年に東京レズビアン&ゲイパレードを発案者&実行委員長として開催したときに、沿道でパレードに背を向けて、たまたまいたかのようなふりをしながら座っている人が、涙をぬぐっている姿や、昨年、やはりジュンク堂書店那覇店さんでトークをやったときに、遠くの書棚の陰に立ち続けて、じっと観続けていた人の表情を忘れることができない。

こういう時に、少しずつでも色んな人に僕たちの声や思いが届いていけばいいな、と改めて思う。そして、沖縄に来て活動を始めて、それができていると感じてもいる。


トークは、パートナーとの初共演トーク(?)があったり、あまりそういう場で話し慣れていない共同代表にも出てもらったりで、どうなるかなぁ…と心配していたけれど、どちらもバレンタインデーらしく和やかで温かいものとなった(と思う)。

打ち合わせもなかったけれど、スムーズに僕の質問に答えてくださったお二人に感謝。去年は、拡大ミーティングでの挨拶もままならなかった共同代表の宮城がしっかりと話せるようになっている姿に感動もした。

そして、今日のトーク、ジュンク堂書店那覇店さんは、熱意をもって関わってくださった。プリントアウトしたポスターで会場を飾ってくれたり、プロジェクターが見えやすいようにと天井の蛍光灯も一部外してくれたり、ととても丁寧な準備。

先方は当たり前と思ってやっていることかもしれないけれど、それは僕たちをとても力づけてくれた。mた、きっと大書店がこのように同性カップルに関するイベントを一緒につくりあげてくれる姿勢は、社会を変えて行く力の一つとなるだろう。

また、昨年の5月と6月、ピンクドット前のトークをおこなったときと同じ店員さんが担当者として司会をしてくださったのだが、その頃は少し頼りなげな印象だったが、とてもしっかりとした雰囲気になっていて、その時よりも、話もよりスムーズに上手になっていて、なんだかこちらまでうれしくなった。

というわけで、そんな、感謝の思いや感動やうれしい思いが満ちたバレンタインデーとなった。ありがたい。


あ、16日(日)は午後5時〜9時までGRADiでピンクドット沖縄のキックオフイベントがあります。参加費2000円ですが、もし関心のある方は、gradi★me.comまでご連絡ください(★を@に変えて)。
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# by hideki_sunagawa | 2014-02-15 02:19 | LGBT/gender
2014年 01月 30日

REUNION 〜関係をつなぎ直す〜

東京訪問

ここしばらく、reunionという言葉が頭にある。「re- 再び、union つながる=再会、再結成」という意味だが、今、僕の頭の中にあるreunionは「関係をつなぎ直す」という説明的な表現の方がぴったりくる。

12月に、盛岡大学に講演に行き、帰りに東京でICU(国際基督教大学)で講演し、またシューレ大学で話をさせいただいた。そして、これまでも東京に行く時にそうしていたように、何人か東京でつながっていた人たちと再会。

このような再会と、そしてなにより、シューレ大学で語らせてもらったことが、僕の頭にreunionという言葉を思い浮かばせてくれたような気がする(シューレ大学で話している様子 <なんでこんなに笑ってるんだろう?w)

それから約一ヶ月後、年が明けて、早稲田大学で企画していただいた講演のために、また東京へ行くことに。このときは、急遽、東京で関係のあった人たちに声をかけて、「ピンクドット沖縄報告会」を開くことにした(アドレスがみつかる人たちに案内をおくったけれど、漏れてた人がいたらごめんなさい)。


後ろめたい気持ち…

急な声かけだったが、小さい会議室がいっぱいになるくらい集まってくれた。ずっと会えていなくて気になっていた人とも会うことができた。お互い、だいぶ前から顔を合わせつつ、あまりちゃんと話せていなかった人と改めて出会い直すことができたりもした。東京を離れてから出会った人だけれど、これからもやりとりをしていきたいと思う人たちもいた。

僕は、その場で、自分が東京を離れたことについて語りなおした。

僕は、沖縄に越してから、正直心のどこかで後ろめたい思いを抱えていた。それは、東京で支えてくれた人たちとの関係を一方的に切るかのようにその地を離れたような気がしていたからだ。

東京を去った理由は、これまでもいろんな表現で書いたり語ったりしてきた。どれも本当なのだけど、今ようやくその根底にあった感情が整理できるようになって気がする。そのことを、その集まりで語り、東京で知り合った大切な人たちともつながり続けて行きたい、ということを伝えた。


「どちらか」でなく

もちろん、沖縄でも一緒に活動する仲間がおり、支えてくれる人がいて、大切な関係が広がり深まっている。でも、エッセイ集の『誰もが誰か一緒に歩けるように』の「あとがきにかえて」にも書いたのだけれど、ある友人の言葉から、どちらかを選び、どちらかを捨てるというものではないのだと気づかされた。

そして、この集まりでは、僕のパートナーが、僕の東京ー沖縄の行き来の意味について、とてもわかりやすい表現で説明してくれた。このときの話も含めて、そして東京を去ったことの振り返りや、沖縄に越してから考えてきたことなどをまた文章をまとめられたらいいなぁ、と思っている。ちょっと大変な作業だけど…

(ちなみに…早稲田大学では、招いてくださった先生や、運営準備をしてくださった助教の方々、聞きに来てくれた人との素敵な出会いがありました。あらためて企画くださった先生に感謝。)


ーーー以下、宣伝ですーーー

沖縄タイムスで連載していたエッセイをまとめなおした拙著『誰もが誰かと一緒に歩けるように』、販売しています(表紙を入れて48pの薄い冊子ながら1000円+税と寄付込み値段で恐縮ですが…)。これからGRADiオンラインショップでも発売する予定ではあるのですが、とりあえず、メール&振り込みで送付しております。ご希望の方は、gradi☆me.comへご連絡ください(☆をアットマークに変えてください)。

店頭販売は、ジュンク堂書店那覇店さんと、BIG GYM上野店さん(ゲイ/バイセクシュアル男性向けのショップなのでそれ以外の方はご遠慮ください)で販売いただいています。

ジュンク堂書店那覇店さんでは、2階の沖縄関連本コーナーの教育の棚にあります。また、ジュンク堂書店那覇店さんで、2月14日(金)午後7時〜、この本をテーマにした(&バレンタイン記念?)のトークをおこなう予定です。


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# by hideki_sunagawa | 2014-01-30 15:48 | Diary
2014年 01月 13日

講演/講座のお知らせ

今年もよろしくお願いします。今年は、一月からあれこれフル回転しています。以下、いくつかお知らせです。

1月15日(木)15時〜19時 早稲田大学で講演です。自分のことを振り返りつつ、LGBTのおかれがちな状況について話ができればと思っています。

平日の昼ということで、都合の合う方は少ないと思いますが、もしお時間の調整がつく方はぜひいらしてください。

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1月24日(金)19時〜20時半 なは女性センターの講座で話をします。
こちらはピンクドットの報告と今年の予定について。

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1月25日(土)・26日(日)・2月8日(土)・9日(日) 15時〜17時 
「LGBT基礎講座」(どの日も同じ内容です) 場所:GRADi  参加費:無料 


2月14日(金)19時〜20時半 ジュンク堂書店那覇店さんでバレンタインデーに合わせたトークをする予定です。こちらもお楽しみに。


3月16日(日)には、大阪の民族学博物館で開催される、みんぱくワールドシネマ「人生はビギナーズ」に解説役で参加します。
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# by hideki_sunagawa | 2014-01-13 01:26 | notice
2013年 12月 28日

私の2013年 / My 2013

*私が共同代表を務めたピンクドット沖縄、7月14日に開催しました。当日の来場者は800人。関連イベントの参加者をあわせるとのべ2000人余りが参加した大イベントとなりました。また、地元の各メディアも大きくとりあげてくれて、大きな社会的なインパクトを与えられたと思います。

We held Pink Dot Okinawa on July 14th.
Approximately 800 people visited the gathering place
and more than 2000 participated in pre- and post- events.
The local news papers and TV news featured Pink Dot Okinawa
and I'm sure that it influenced Okinawan society positively
on LGBT issue.

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*2012年5月に開いたスペース GRADiも無事に1年を越えました。

In May we celebrated the first anniversary for GRADi,
my office which we use as a base for our activities
and where I/we have classes or gatherings.

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*12月にエッセイ集を出しました。今年の上半期に沖縄タイムスで連載したエッセイをまとめた冊子を出しました。ジュンク堂書店那覇店さん、BIGGYM上野店さん(ゲイ/バイ男性向けのショップです)で販売しています。

48ページというページ数の割に1000円と高いのですが、活動支援値段とご理解ください。年明けから、オンラインショップでも販売します(その前に郵送で買いたいという方は、メールで連絡ください。gradi☆me.com ☆をアットマークに変えてください)

I published a booklet of my essays (in Japanese)
which includes all essays I wrote in Okinawa Times,
a local newspaper in the first half.

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*私が代表を務めるレインボーアライアンス沖縄で、那覇市地域福祉補助金、LUSH Japan Charity Bankの助成金をいただけることになりました。レインボーアライアンス沖縄での活動もこれらの活動資金で充実させていきます。

Rainbow Alliance Okinawa has been granted funds by
Naha city and LUSH Japan.
We have started programs to improve situations
around LGBT in Okinawa by these funds.


*しかし、この一年間でもっとも大きかったのは、活動を通してさらに仲間の輪が広がったことや、パートナーの関係も7年を迎えることができたことことでしょう。そして、今年もたくさんの方々から、物心様々な形で支援をいただきました。こうして無事に一年を終えられそうなのは、本当に皆様のおかげです。心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

However the best things for me are that
I've got more comrades in LGBT activities in Okinawa
and that I could cerebrate 7 year anniversary of the relationship
with my partner.

Moreover, I received help and assistance from many people.
I really appreciate for those. Thank you, everyone!
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# by hideki_sunagawa | 2013-12-28 00:55 | Diary
2013年 11月 30日

文章を書くこと / To keep writing

(English summery is following)

デパートで気になる品物を物色していると、ふいに「あのー、失礼ですが、砂川さんですよね…」と女性から声をかけられた。なんとなく顔に見覚えがあったので、中学か高校の同級生かな?と思ったら、僕の二人の姉の共通の友人だった。近所に住んでいたし、姉と一緒のときに会ったことがあったので、名前を聞いてすぐに分かった。

その彼女が「前々から伝えたかったと」と真っ先にした話は、僕が昔、沖縄の新聞の読者欄に投稿した文章のことだった。

それは、僕のすぐ上の姉(8年前に逝去)が、ある行政機関に行った際にとてもひどい対応を受けたことについてのもの。姉が僕に語った「提出しなくてはいけない書類が難しくて、わからない中、バカにされ嫌みを言われてとても悔しい思いをした」という話について書いた。他にも老齢の女性が怒鳴られるような対応を受けていたという。

姉が「抗議したかったけれど、自分にはその力がなくて」と言うのを聞いて、僕が書こうと思い立って勝手に書いたのだった。彼女は中学卒業で、勉強も得意ではなかったため、言葉で(特に文章を書いて)表現することに苦手意識がある。それが、行政機関で萎縮する原因にもなっていただろうし、また、そのような職員の対応に一層傷つくことにつながっていただろう。

その投稿の内容に胸がすっとしたと、声をかけてきてくれた彼女は語った。彼女も(一緒に行っていたのか、別のときにかわからないが)、腹を立てていたので、と。


彼女がこの話を真っ先にしたことに僕は驚いた。というのも、実はこの投稿は、もう25年くらい前のもので、自分ではすっかり忘れていたものなのだ。

もちろん、身近な人が書いたから、ということもあるわけだが、そんな昔の投稿欄の内容を覚えてくれている人がいるなんて! 覚えておいてくださった彼女に感謝するとともに、文章を書いていくことの意味と重さを感じさせるやりとりとなった。

この日記にその話を書こうと振り返りながら、ふと、なんだか亡き姉から「書き続けてね」と励まされているようだと思った。

姉は、たくさんつらいことを経験した人だった。育った家庭(つまり僕が育った家庭)の問題にもっとも大きく影響を受けてしまったり、ちょうど一番学校での関係性が難しい頃(小学5年)に兵庫県から沖縄に引っ越したきたことで、学校でうまくいかなかったり。

そして、彼女自身はそのような言葉や枠では意識していなかったけれど、ジェンダーの問題に苦しまされていた。それも僕がジェンダーの問題にこだわり続ける理由の一つだ。彼女の人生には、個人の問題を超えた様々な問題が絡んでいる(どんな「個人の問題」も社会との相互作用の中にあるのだけれど)。

彼女の代弁をする権利が僕にあるとは思わないけれど、彼女を見ていた(よく相談も受けていた)僕が語らなくてはいけないことがあるような気がずっとしてきた。「そうだ。僕が語らなくてはいけないことが、まだたくさんある…」そんなことを思い出させてくれた偶然の出会いだった。


A woman talked to me in a department store. I recognized her
by her name she addressed. She was a friend of my two sisters.
It may be the first time seeing her since I graduated junior
high school.

Saying "I have wanted to tell you this," she mentioned one of
my writings in a reader's column of a local newspaper long
time ago. It was a protest over attitudes of staff of an
administrative office towards users, as my younger sister
experienced.

My sister told me how it was mortifying to be looked down on
and made sarcastic remarks by them during she was filling out
very complicated and difficult papers. There was also an old girl
who was being instructed like that she was scolded, she said.

My sister, who passed away 8 years ago, was low-educated
and not good at writing. She said sadly "if I knew how to protest,
I would do. But I'm not smart enough." So I wrote about that.

The friend of my sisters said "what you wrote really made me
feel good. I was also mad about them." Honestly speaking
I was very surprised at her talk, because it was about 25 years ago
that I wrote that. She have remembered that and wanted to
tell me how she felt so long time!

I was very thankful that. At the same time, I thought the meaning
of expressing my thoughts and feelings by writing. It's very
significant and going with responsibility.


Reflecting this encounter, I felt like that my dead sister
was encouraging me to keep writings to express publicly.

Her life was full of difficulties. She was influenced by problems
of our family directly. After she was married, she suffered from
child care and relationships with husband's family.

Those were gender problems, I think. Of course she didn't know
what gender was and think her hardship in such a frame.

Thought I don't think that I have a right to represent her,
I'm convinced that I should speak what I had thought in
conversations with my sister (she often called me living in
Tokyo and told her agony).

That coincident encounter with the women was like a present
that reminded me one of my missions.
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# by hideki_sunagawa | 2013-11-30 21:07 | Diary
2013年 11月 28日

『カミングアウト・レターズ』の書評

『カミングアウト・レターズ』の書評が天理大学発行の『Glocal Tenri』という冊子に載っていると、いつもお世話になっている宗教学の先生がわざわざ送ってくれた。

こうして、発刊されてから6年も経つのに書評を書いてもらえるなんて、なんとありがたいことか。9月にもオープンリーレズビアンのタレント、牧村朝子さんが、毎日小学生新聞に書いた記事の中で『カミングアウト・レターズ』を紹介してくれた。

まだまだもっと広く、長く読んで欲しい本。まだな方はぜひ。



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# by hideki_sunagawa | 2013-11-28 23:33 | LGBT/gender
2013年 11月 20日

レインボーアライアンス沖縄のブログ

最近、私が代表を務めるレインボーアライアンス沖縄のブログを充実させています。アーカイブ的な意味から、過去の活動記録も遡って加えています。

レインボーアライアンス沖縄は、ピンクドット沖縄開催の事務局としての役割を果たした団体です。団体については、このブログのカテゴリのAbout Usをご覧ください。

最近アップした情報は、冒頭の日付に来る形にしています(冒頭で書いた通り、最新の更新が過去の活動記録だったりします)。

ちょっと細々して見づらいかもしれませんが、時々ご覧いただけるとうれしいです。

http://allianceokinawa.seesaa.net
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# by hideki_sunagawa | 2013-11-20 00:41 | LGBT/gender
2013年 11月 07日

親友の命日に

11月7日は、東京にいたときの親友、がんすけ(春日亮二)の命日だった。今年(2013年)で丸6年、7回忌。もうそんなに経ったの?と何度も数え直した。

今も時々、「そういえば、もういないんだよね」と亡くなったことを確認しては、どこかに信じられない気持ちが残っていることに気づく。これだけ経っても、「何かの間違いであって欲しい」と思う。

何度も同じ話を書く。彼は、僕が2000年にパレードをやったときに精神的に最も支えてくれた人。というより、彼がいなかったら僕は死んでいたかもしれない。だから、僕は彼を命の恩人と思っている。2000年のパレードでバーンアウトした僕の代わりに、翌年、翌々年のパレードの目処をつけたのも彼だ。

その前に、彼はスタジオスタッグという会社の経営者で、ゲイ向けの、今で言うSNSをつくりあげた天才的エンジニアでもあった。彼がゲイでなかったら(いや、ゲイであることを大切にしてゲイ向けのビジネスをするのではなく、広く「一般向け」の事業に重きをおいていたら)、おそらく日本のIT業界で指折りの成功者になっただろう。

彼は、30歳になった頃から独学で曲づくりを勉強し、ゲイとしての思いを込めた曲をつくり、また、LGBTのインディーズミュージックシーンを盛り上げた。

そんな「功績」を書くと、彼のダークな部分を指摘して揶揄する人もいる。実際に色んな面があっただろうと想像するけれど、でも、それは僕にとってはどうでもいいこと。いや、すべてをひっくるめて彼は僕には大切な人だった。


僕が彼と出会ったのは1990年代半ば。HIV/AIDSに関するゲイ/バイセクシュアル男性向けの啓発活動や調査の協力の話がきっかけだった。最初に会ったときの眼光の鋭さ、忘れられない。しかし、すぐに「この人は信用できる」と思った。そして、不思議なことに、会った帰り道には、「何かあったら、あの人がいれば安心できる」と思っていた。

彼とはその後急速に仲良くなった。お互い性的に活発な時だったし、お互い色恋の対象になる相手でもあったけれど、なぜか(?)そういう関係にはならなかった。

僕はいつまでも「頼りになる人」というイメージばかりで、亡くなる前の数年間の大変な時期を十分に支えてあげることができなかった。病室で、「もうすっかり弱い人間になっちゃったよ」と言っていた言葉を忘れることができない。

先に亡くなった方の棺を残った方が先頭となって担ごうと言っていたのに、そんな葬儀も実現せず、僕が会ったときにはもう骨壺の中に入っていた。いまだに僕は、彼が火葬される場に立ち会えなかったこと、骨を拾えなかったことを悔しく思っている。いろんな複雑な背景があるのは確かだけれど、彼がゲイでなかったら、きっとそうはならなかったと思う。


命日になる度に、そして、くじけそうになるときに、彼が作詞作曲した「Everything for You」をいつも繰り返し聴く。「君がいつか 辛過ぎて その場にうずくまるような時に 思い出してごらん 僕に語ったあの大切な夢を」。2000年のパレードを終えて疲れ切って沖縄に帰った僕にもとに、「砂川のためにつくった歌だよ」というメールが彼から届いた。そのメールを読んだときのことを、まわりの情景も含めて、今もありありと思い出すことができる。

いつも何かを為す度に彼のことを思い出す。博論を完成させたときも、『カミングアウトレターズ』を出したときも、沖縄でピンクドットを開催したときも。彼とその経験をシェアしたかったと思う。

でも、彼が僕のことを見守ってくれていると僕は信じている。

そんなこと言う僕に、「もう、いつまでも頼ってばっかりなんだから!」という彼の声が聞こえるようだけれど(苦笑)


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写真は、『パレード 東京レズビアン&ゲイパレード2000の記録』
(砂川秀樹編著、2001、ポット出版)より
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# by hideki_sunagawa | 2013-11-07 23:59 | Diary
2013年 10月 20日

社会の変化を感じた日…

前回書いた、ゲイネタへの反応もLGBTあるいは同性愛に関連して「社会の変化を感じた」ことの一つだが、その出来事と同じ週にあった別のやりとりにも、同じような変化を感じることができた。

それは、レインボーアライアンス沖縄で申請した、那覇市の福祉系の助成金申請に伴うプレゼンテーションでの雰囲気だ。以前、沖縄県のNPO関連の事業委託のプレゼンテーションで、驚くほどひっどい対応を受けたことがあったので、「どうせ、またヤな感じなんでしょ…」と思いつつ向かった(「ヤな感じ」の対応を受ける、というのは、LGBT関係のものでは、ごくごくありふれたことなのだ)。

しかし、審査員の人たちの話を聞く態度、質問内容ともに真摯なもので、こちらの内容をちゃんと受けとめてくれているという印象を受けた。本来なら、関心の無い問題でもプレゼンテーションは真摯な態度を示すべきものなのだろうが、LGBT関連はそういう態度を示さなくてもいいかのような対応をこれまでさんざん受けきたものとしては、驚きだった。

そして、その後の発表でプレゼンテーションが通り、大きな額ではないが助成金をいただけることになった。これからおこなうLGBT講座のためのテキストづくりや、基本的な知識が得られるサイトづくり等のためのもの。

沖縄で福祉系の助成金でLGBT関係に下りたのは初めてだと思う。那覇市は、ピンクドットの共催ともなってくれたし(なは女性センター等の後押しのおかげなのだが)、本当に、素晴らしい。

もちろん、これは、社会全体が大きく変わったということではない。福祉系のものだったから、ということもあるかもしれない。今も、先に挙げたところの審査員はひどいままかもしれない。しかし、確実にそうではない人たちが増えているということだ。マイノリティ活動は社会をひっくり返すもの、というより、共感する人、協力する人を少しずつ増やしていくもの。その先に大きな制度的変化がある。

沖縄に帰って来るときの動機の一つに、沖縄なら(というくくりは大きいかもしれない、「那覇なら…」だろうか)、東京のような大規模な都市とは違い、変化が見えやすいはず、というものがあった。その予想はあたっていたと思う。しかし、まだまだやるべきことがあるような気がする。がんばらねば。
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# by hideki_sunagawa | 2013-10-20 21:25 | LGBT/gender
2013年 10月 13日

「ゲイネタ」がウケなくなる日

10月11日(金)、薬物依存症回復施設「沖縄ダルク」の、「19th感謝フォーラム〜終わりなき旅〜」に足を運んだ。準備していた椅子では全然足りなくなるほど、多くの人が集まっていた。各地方からも駆けつけていたようだ。会場へ向かうエレベーターでたまたま一緒になった人は、「三重のダルクから来ました」と言っていた。

沖縄ダルクの代表の森廣樹さんには、今年の2月にGRADiで開催した「コミュニティリーダーに話を聞く」(主催:レインボーアライアンス沖縄)に来ていただいて話をうかがった。また、ピンクドット沖縄でも、沖縄ダルクの方々にエイサーを演舞してもらったりした。

メンバーのうちの7人が10分ずつ自分について話をするのを聞きながら、森さんが2月に来られたときに、「人はいつからでもやり直せる」という言葉を思い出したりした。とても良い会だった(最初の方しかいられなかったけど…)。


そして、タイトルに関係する話…

会の最初の方で、登壇した二人のメンバーが、次々と映し出される沖縄ダルクの仲間一人一人のスライドを見ながら、その人それぞれについて語るコーナーがあった。仲間のつながりを感じさせる温かいものだった。

その中で、説明していた人が、若い「ハンサム」なメンバーの写真が出たときに、「一番のイケメンです。自分が女やったら惚れたと思います(苦笑)……あ、自分はゲイではないです」と、軽く冗談めかして言った。そんなにホモフォビック(同性愛嫌悪的)な印象を受ける言葉ではなかったが、「ゲイである/なし」が冗談化されていたのは確か(さらに深く突っ込むならば、男に惚れるのに、別に女である必要はないという指摘もできる)。

僕は、これを聞いて「あーあ…」と思った。しかし、僕が今回ブログに書こうと思ったのは、この言葉そのものに対してのあれこれではない。この冗談めかした言葉に対する会場の雰囲気についてだ。

実は、この冗談に対して、満員の会場からは、クスっとした小さい笑いすら聞こえなかった。その前と雰囲気も全く変わらなかった。これまでの経験上、このような冗談には、程度の差こそあれ必ず笑いが起きる。LGBT関連の集まりか、それに近い集まりでない限り。たとえ、別の社会問題をテーマにしたような集まりでも。

この時のこの無反応が、ある意味、彼の「微妙な冗談」に、差別的なニュアンスを帯びさせずにすんだ。もちろん、聞いている僕もほっとした。ここで笑いが起きていたら、とても傷ついただろう(いくつになっても、オープンリーゲイとして生きていても、そういう時には傷つく)。そして、彼の発言に怒りをもったかもしれない。

ここで笑いが起きなかったのは、全国各地のダルクにはLGBTが結構いて、顕在化していることも関係しているかもしれない。いずれにせよ、僕は、この場面に、「時代が変わってきた」ということを実感した。また、こういう冗談も、ウケなければ、その意味が変わるということもはっきりとわかった。

正直、社会全体では、このような冗談は笑いのネタとして機能することが圧倒的に多い。どんなにLGBTの存在が「当たり前」になっとしても、そういう冗談を言う人はいて、笑う人もいるだろう。しかし、これから、それに笑わない人(「笑えない」と思える人)が増えていけばいいのだ。その先に、さらに大きな変化が待っている。


***ちなみに、僕はゲイや他のマイノリティに関する冗談がすべて問題とは思っていない。詳細には論じないが、そうである/ない、ということそのものを冗談として使うこと(「お前、〜じゃないか? ははは」「おれ、〜じゃないから。ははは」といったもの)や、その社会の中で差別や抑圧の土台となっているステレオタイプを強化するようなものなどは問題を含み持っていると思う。もちろん、その意味は、「誰が、どこで、誰に向けて発しているか」という文脈にも大きく依存することは言うまでもない。
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# by hideki_sunagawa | 2013-10-13 19:47 | LGBT/gender
2013年 10月 05日

東京パレードを陰で支えた人

東京都職員だった飯田真美さんが亡くなったことをツイッターで知った。

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彼女は、LGBTフレンドリーで、東京プライドパレードを陰で支えてくれた人の一人だ。また、このツイートから、彼女が、他の問題にも精力的に取り組んでいたことを知った。

感謝の思いを込めて、安らかな眠りを、と祈りたい。

そして、この訃報を受けて、彼女のような人の力添えがあって東京のパレードがあったことを書き残さねばと思った。東京のLGBTのパレードは、3年おきくらいに中断したり、僕が東京プライドを去った後は「分裂」したりしたために、あれこれ言われるが、それでも回数を重ねる中で、着実に開催しやすい環境が出来、それまでとは違う形のデモを定着させたのは事実だ。

その陰には、彼女を含め、いろいろな人の協力や工夫があった。これは、過去の苦労話のためではなく、今後新しく何らかの活動をどこかで始める人のために書いておきたい(全部書くととてつもない長さになるので一部だけ)。


▼2000年のパレード

それ以前に開催されていた南定四郎さんのパレードが大規模な形で開催された最後は1996年。その後、僕は2000年に東京でパレードを改めてスタートさせることにした。南さんが1994年にパレードを始めなければ、日本でパレードが誕生するのはだいぶ後のことだったろう。

また、1996年から始まり、今年までほとんど毎年開催された札幌のマーチがなければ、僕も2000年に開催することを想像できなかったと思う。また、僕は、1999年に札幌のマーチに参加して、翌年の東京パレードの開催予定を発表したのだが、そのときに札幌の実行委員の方々からたくさんアドバイスをもらった。それはその後とても参考になったものだ。

2000年のパレードを支えてくださった方々の名をすべてあげることはできないが、『バディ』や『G−men』の盛り上げがなかったら、あそこまで大きくなることはなかっただろう。『バディ』には、僕がパレードにかかわった最後までご支援いただいた。いくら感謝してもしきれない。


そして、開催をめぐる様々な交渉とその結果についても、記録として書きとめておきたい。

当時、代々木公園は行政の後援がなければ利用できず、そのために東京都の衛生局から広場で開催したHIV啓発の催しへの後援をもらうという、かなりアクロバティックな方法で使用させてもらった。当時の都のエイズ担当者ががんばってくれたおかげだ。

警視庁とのやりとりは難航した。当時の警視庁のデモのイメージは、組織参加で、人がシュプレヒコールをあげて歩くというもの。各団体の前にフロートと呼ばれる車を置くことをめぐってはかなりの交渉が必要だった。開催直前に、「最後尾に車は並べてください」ということを求められたが、各集団を統率するためのものであると押し通し、かならずスピーカーを設置することになった。

また、個人参加が多いことから、登録して数を把握してください、そして登録した目印を、と言われたことから考えついたのがリボンという参加証だった。

今のLGBT系のパレード主催者も、他の個人参加デモの主催者も、警視庁の要求を飲み過ぎと言うかもしれない。しかし、最初の開催を実現する際には、どこまで押し引きが可能なのかはわからない。当時は、とりあえず開催にこぎつけるために、できる限り応じるということが重要だった。


▼その後の会場問題

その後、代々木公園の会場をパレード開催のために使うなら、パレードそのものに行政の後援が必要という条件がつきつけられた。そのときに尽力してくれたのが、OCCUR(動くゲイとレズビアンの会)だ。彼らは、人権の部門に働きかけて、行政の後援があるのと同じということで借りられるようにロビー活動してくれたのだ。

いつからだったか、行政の後援がなくても、倍の使用料を払えば広場を利用できるという条件になったりもしたが、行政後援ありと同じ条件で開催できた。それらは彼らのおかげだった。

そして、2005年か2006年あたりにそのOCCURが担ってくれていた行政交渉の役割の仲立ちを、彼らの代わりにしてくれたのが、冒頭に名前を挙げた飯田さんだ。会場を使用するのにも様々な工夫が必要な時だった(今も苦労があるかもしれない)。

その後、彼女の2007年にパレードの実行委員長を務めた中田さんと飯田さんが尽力して東京都からも後援が得られた。また、当時厚労省にいた方の努力もあり、厚生労働省からも後援がとれた。それにより会場確保がより安定したと思う。一旦、後援がとれるとその後の継続は比較的楽になる。また、行政の後援がとれるとそのイベントの存在感は変化する。このときの、この方々が成し遂げたことが、現在にまで影響を与えている大きな功績だと思う。

話はそれるが、僕が最後に東京プライドの代表を務めた頃、以前に代々木公園の管理事務所にいたことがあるという人から、「そのパレードが開催されるときには、じゃんじゃん苦情の電話がかかってくるんですよ、『なんであんなものの開催を許すのか』って」という話を聞いた。

僕はその話を聞いて驚いた。それは、苦情があったことよりも、そんな話を借りる際のやりとりで一度も管理事務所の人たちから聞いたことがなかったからだ。人によってはイヤミを込めて、そのことを言う人がいてもおかしくなかったと思う。もしそれを言われていたら、こちらは嫌な気持ちになっだろう。そのことをおくびにも出さず、当たり前のように手続きを進めてくれた彼らにも感謝したい。


▼フロート問題

もう一つ、何度も困難な交渉が必要になったのが、各団の先頭に置くフロートと呼ばれるトラックだ。2000年に、なんとか各団の先頭に置くことはできるようになったものの、上にパフォーマーが載ったり、DJが乗って演奏することに、警視庁や所轄の警察は難色を示した。それは、道路交通法違反になりえるからだ。

2000年代前半、半裸の男性やドラァグクィーンが載ることについて警察が「公序良俗的にどうか」ということを言ったときには、当時の実行委員だった、今は亡き春日亮二(がんすけ)が「それは、ゲイの『文化』です。私たちの『文化』を否定するのですか!?」と押し切ったと聞いた(がんすけは、2000年以降のパレード継続に尽力したこと立役者でもある)

その後、2000年代後半に入り、警察の対応が厳しくなったときに、パレードの途中でフロートからパフォーマーが下ろされたこともあったし、落下防止措置をとれば…と認められたこともあった。正直、その時々の社会のムードや、担当者によっても異なる面もあるのがやっかいなところだ。


▼少しずつ…

しかし、その交渉の少し様子が変わったな、と感じた時があった。それは、僕が最後にパレードをやった2010年だった。その年も、やはりフロートについて問題になった。所轄の警察署が強く難色を示した。しかし、それまでちゃんと落下防止措置をとり、事故も無くやってきたこと、パレードそのものもこれまでしっかりとやってきたこと、そのことは過去の担当者に聞けばわかるはず、と主張したら、先方は納得せざるを得なかった。

それまでおこなってきた実績が後押ししてくれたと思った(自分にもそれだけ言える自信がついたということもあると思う)。

また、その年に、いろいろな理由で、会場の最終申請書の提出が遅れ間に合うかとヒヤヒヤする場面があったのだが、担当者は「いつもやってるやつですね」と、融通を利かせてあっさりと進めてくれた。そしてまた、これは、そのパレードの前の年の「フェスティバル」の時のことだったが、会場の舞台の担当者は、「いつも楽しみにしていますよ」と、無理な舞台設営準備に協力してくれた。


もちろん、パレードは、たくさんの実行委員とスポンサーとボランティアがいてできたこと。そして、さらにその背後にもにいろんな人がいろんな形で支え、協力し、実現してきた。私自身、そのことを忘れないでいたいと思う。もちろん、代表や実行委員長という計り知れない重荷を知っている者としては、その荷を背負った仲間たちへの思いも。


そして、これらの経験が教えてくれたのは、新しいことを実現するのに行政等の許可や協力が必要な場合、時に最初は引きながら実現しなければいけないということ。そして、少しずつ枠を広げたり、押し引きしながら、自分たちが実現したいことを実現していくということだ。行政職員の中にも、協力的な人たちがいる。その人たちといかに協働できるかも重要だと思う(それは、今の沖縄の活動の中でも実感している)。

いかにただの同化主義に終わらず、入り込んで協働して、もともとあった枠を広げて行くか、そこの社会を変えて行く鍵があるのだと思う。
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# by hideki_sunagawa | 2013-10-05 11:54 | LGBT/gender
2013年 09月 30日

『音楽をひらく』(中村美亜)

最近、本を読むことがめっきり減ってしまい、学術書はなかなか読み通しづらくなっている。しかし、中村美亜さんの『音楽をひらく』は、読み始めてからは一気に読み通せた(病院の待ち合い時間に読み始めたのだが、おかげで長い長い待ち時間が苦じゃなかった)。

いやぁ、ほんとすばらしい。中村美亜さんは、東京時代からの知り合いで、彼女が所属する研究会で発表するきっかけをいただいたりもした。この本の中で重要なケースとして登場して来るプレリュードは、2010年のもので、僕がまだその主催団体の東京プライドの代表を務めていたときのものだ。

実はそのときのプレリュードの司会を彼女にお願いしたのは、僕だったのだが、僕も主催者の一人として経験したこのときの内容がこうして本に記され、そしてアカデミックに分析されているのは、とてもうれしい。

僕は以前から、東京などで活発におこなわれているLGBT関係の活動はもっと記述され残されるべきだと思っていたのだけれど、この分析は、それを成し遂げているだけでなく、その事例を、音楽を読み替えていく大きな論理構成の中に位置づけているところが、研究として卓越したものだと思う。

(以下は、この本の内容紹介というより、僕になりに受け取ったを僕の言葉に直しつつ書いたものです。なので、彼女自身のニュアンスとだいぶ異なるところもあるかもしれません…)


▼ミュージッキング (musicing)

音楽を、それぞれの曲に内在する「正しい意味」や「本質的な美しさやすばらしさ」を伝達するモノとしてとらえるのではなく、その演奏を取り巻く環境、演奏が実現するプロセス、演奏される文脈等も含めてコトとして考える(クリストファー・スモールは musicing という概念でそれを提唱している)…この本の基幹を形成しているこの音楽観の転換は、数年前に初めて中村美亜さんから聞いた。そのとき、「なるほど!」と納得したことを覚えている。

というのも、僕は、20代の頃から、巷にあふれる「演奏会」についてずっと不思議に思ってことがあって、この話を聞いて、ようやくその疑問が解けたと感じたからだ。

その疑問とは、学校の部活や市民サークル等のアマチュアの演奏会を聴きに行く意味ってなんだろう?ということだった。僕も高校時代は、合唱部の定期演奏会に歌う側として参加していたし、友人が演者として舞台に上がるのを楽しみに観に(聴きに)行った。東京の生活の中で、ゲイの合唱団や吹奏楽団、LGBTの管弦楽団の演奏会などに足を運ぶのは本当に楽しみだった。

しかし、音楽そのものを楽しむとして考えるなら、結局はプロの演奏を聴きに行ったほうがいいわけだよね…、とふと思うことがあった。ゲイやLGBTの楽団は総じてレベルが高いが、巷の趣味グループの中には、そうでもないグループもある。それでも、人々は聴きに行く。もちろん「付き合い」上行かないと、とか、知り合いのがんばっている姿を見たい、とか様々な動機や気持ちがあるからだがもあるが、その聴衆の個別の感情に還元するだけでは、何かをとらえそこねている、と感じていたのだ。

それが、音楽を、musicingとして、演奏がおこなわれる(あるいは生起すると言ってもいいのかもしれない)場やプロセス、文脈そのものに広げて考えると、腑に落ちるものとなった。


▼語りなおし

そして、その演奏そのものが、正しい意味や美を伝えるものではなく、語りなおしとして共有されるその様子が、「プレリュード」やHIV/AIDSの啓発イベント「Living Togher ラウンジ」を例に示されている。

合唱団が演奏するものは、がっちりとした合唱曲が多いが、ポップスが演奏されるときには、アンジェラ・アキの「手紙」や、いきものがかりの「YELL」、和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」という曲が選ばれている。それらの曲がこのプレリュードという場で演奏されることの意味を(ほかの演奏も含めつつだが)、「青春のやり直し」「語りなおし」という言葉で中村さんは表現している。

その意味が、僕には心に沁みるようにわかる。個々人の経験にはもちろん違いはあるし、そしてそれぞれの経験をどう意識するかもバラバラではあるけれど、LGBTは、「青春時代」に疎外を経験しがちであることは確かだと思う。一見うまくやり過ごしたり、溶け込んでいるように見えても…。

そのことをそこにいる皆の意識にのぼらせずとも、語りなおしとして、それを通したケアとして、この場の音楽は生成しているのだろう。


▼学問分野の枠を超えて

この本では、音楽観をめぐる近年のアカデミックな分野での転換についての紹介と、それに対する彼女の取り込みと批判を踏まえて、 musicing の現場の記述を簒奪的にならない形で(と僕は感じた)記述し、さらに、音楽の持つフェティシズム的仕組みの分析等、さらなる理論的な展開をはかっている。

それは軽々と学問分野を超えたものであり、その筆致は、そうすることの楽しさを歌っているかのようである(もちろん、書いた本人は苦しんで書き記したものと思うが)。久しぶりに研究の楽しさを思い出させてくれるような本だった。こういう本に巡りあうと、また研究をしたい、自分の書いたものを世に出したい(出さねば)とふと思ったりする。





中村美亜さんのこちらの本も素晴らしいです。




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# by hideki_sunagawa | 2013-09-30 16:33 | Books
2013年 09月 27日

Two Lectures on LGBT Activism in the U.S.

昨日の日本語を英語に直したものです(ちょっと違うところもありますが)。
I translated what I wrote yesterday into English, though there might be many mistakes...

---

In Naha city, Okinawa, earlier this month, there were two lectures on
LGBT activism in the U.S.

One was small one I coordinated and held in GRADi, the community
space & school I'm running. The title was "Recent trend of LGBT
Activism in the U.S," which Tomonori Sugimoto presented.

I taught him in a class when he was an undergraduate student in
University of Tokyo. And now he is a Ph.D. course student in Stanford
University, majoring in cultural anthropology.

Another one was held by the Consulate General of the United States
Okinawa, being cosponsored by Pink Dot Okinawa and nominal
supported by Naha city. It was "LGBT Rights are Human Rights:
Ensuring Equality for All Citizens Under the Obama Administration"
by Brian Moulton, Legal Director of Human Rights Campaign.

Though both are on almost same theme, the perspectives are very
different.  All the more, those were inspiring for us, members of
Pink Dot Okinawa who has started LGBT& Allies movement in Okinawa.


▼"Recent trend of LGBT Activism in the U.S"

Sugimoto pointed out that LGBT activism in 2000s shifted from
HIV/AIDS issues, and became mainstream. And now there is friction
between "mainstream organizations" and those which tackles other
issues like race, class and poverty. In addition to that, some people
object to making "marriage equality" the first agenda item or oppose
to being included in the army. There is also a gap between academic
theory and activism.

In such a state, a book "Terrorist Assemblages" by Jabir Puar impacted
LGBT activism, he said. She wrote about what happened in the process
of LGBT being included and adjusted in the nation system of the U.S.,
indicating a problem of LGBT supports for the Iraq war.

In the last of his presentation, Sugimoto said that marriage equality
should not be the goal of LGBT movements and there were many
problems left in LGBT circumstances.


▼"LGBT Rights are Human Rights"

a0137527_20313536.jpgHuman Rights Campaign (HRC) is one of the
"mainstream organizations" as it's the biggest LGBT
rights organization in the U.S., having 2 million
members (!).

Brian Moulton, Legal
Director of HRC, was
dispatched by the
Department of State
to give lectures about
LGBT rights in Japan. He were to visit in 5 prefectures, and Okinawa
was second in this tour.

As the movie of the lecture is uploaded in the YouTube page of the
Consulate General of the United States Okinawa, I don't write
the summary here, but some thoughts on it.



What I was impressed the most was the elaborateness of their strategy. How to involve various sectors, how to make use of celebrities and how to choose words for campaigns....

I thought they didn't waver on their missions, even if they were
criticized by other LGBT groups like that Sugimoto explained.
They have clear and firm missions.


▼What I thought after these lectures...

We, members of Pink Dot Okinawa, discuss the relationship between
doing activism and becoming mainstream. Though each of us had a
different standpoint, we came to conclusion like that...

To change societies and resolve problems, becoming mainstream is
essential. However, in order to do so, we need to in some extent to
adjust to the establishment, which often decay the activism and lose
its meanings. The balance is very difficult and crucial. We must be
always carefully strategic and reflexive. It's not so only in LGBT
activism, but in every minority movement.

And I think that oppressions in a society are complex and work in
various forms, which are full of inconsistency. It means that
movements/activism also should have various forms, which may
direct to different goals or have disparate ways of activism.

What is important for us is to admit that we cannot avoid such
imcompatiblility among us and to think it's an outcome of
responding to mixed and non-coherent societies. We should not
shoot arrows to eagerly among LGBT movements/activism,
though we always need discussion.

There are much bigger targets we should.
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# by hideki_sunagawa | 2013-09-27 20:31 | LGBT/gender
2013年 09月 26日

二つのLGBTに関する講演

もうだいぶ経ってしまったが、今月の上旬、二つのLGBTに関する講演会があった。

一つは、GRADiで9月4日にこじんまりと開催した、杉本智紀さん(スタンフォード大学博士課程:人類学専攻)の「近年の米国におけるLGBTアクティビズムの動向」。

もう一つは、9月10日、主催:在沖米国総領事館、共催:ピンクドット沖縄、後援:那覇市で開催した「HRC(ヒューマン・ライツ・キャンペーン)」の法務部長ブライアン・モールトンさんの「すべての市民を平等に~アメリカの社会変革活動とLGBTの権利向上~」だ。

たまたま約1週間のずれだ開催されたこの二つの講演会だったが、両方聴いたものとしては、不思議なほど良い組み合わせのものとなった。


▼「近年の米国におけるLGBTアクティビズムの動向」

杉本さんは、僕が東大でチラッと教えていた頃に授業を受けてくれていた教え子(「教え子」というほど教えてないのだけれど…)。カルフォルニア大学サンディエゴ校で人類学専攻で修士をとり、博士課程からスタンフォード大学に行くことにしたようだ。今回、沖縄に来るということだったので、講演をお願いしたのだった。

さて、彼の話をかいつまむと…まず、2000年代以降の米国のLGBTアクティビズムは、80年代以降長らく大きなテーマだったHIV/AIDSからシフトした(薬の開発が進んだので)、そして<良くも悪くも>運動がメインストリーム化したという。

そして、メインストリーム系の団体と、階級や人種の問題を合わせて考えようとする団体の間に対立があったり、同性婚を最大のテーマとすることや軍隊に対する評価について意見が分かれていたり、また、アカデミックな理論とアクティブズムが断絶しがちだったりするという状況があると。

そんな中、Jabir Puarさんというラドガース大学教授が書いたTerrorist Assemblages(2008)という本は大きなインパクトがあったとか。彼女は、LGBTが国家のシステムに組み込まれていく過程でどういうことが起こっているのか?を検証し、批判しているようだ。LGBT運動がイラク戦争を指示したり…。

そして、話の最後に、杉本さんは、同性婚をテーマとした運動が大きな成果をあげつつあるが、それが最終目標なのか?という問題についても語ってくれた。


▼「すべての市民を平等に~アメリカの社会変革活動とLGBTの権利向上~」

a0137527_22273556.jpgそして、先の話の「メインストリーム系」のトップがHRC。

なんと、会員数は200万人!(一人100円ずつ出しただけで2億円集まる!w)

全米最大のLGBT権利運動団体だ。

先に、このブログで書いた、米国の人気俳優Wentworth Millerさんも、会員であることをカミングアウトの手紙の署名のところに書き記している。

この講演会の動画を、在沖米国総領事館がアップしてくれているので、時間のあるときにご覧いただけましたら(ちなみにですが、この逐次通訳の人がすばらしく上手で、皆が、「この人からこの話を聞いているかのよう」と言っていました…なので、とても聞きやすいです)。

ブランアン・モールトン氏(HRC)講演会「全ての市民を平等に」

彼の話を聞いて思ったのは、わかってはいたけれど、やはり米国のこのような団体の戦略性の高さたるや!キャンペーンの言葉を吟味し、イメージを考え、あらゆるセクターと協働していくその徹底ぶり。戦略自体は様々検討しても、ミッションは明確でぶれない。それこそ、先の杉本さんの話にあったような、他の問題(特に他のマイノリティ性とからむ問題)との交差する点からLGBTの問題を見ようとする人たちからは大きな批判があるだろう。しかし、おそらくHRCは、その批判は始めから折り込み済みで、割り切って、到達目標に向かっているのだ。


▼二つの講演の後で

杉本さんの講演の後の座談会の中でも、モールトンさんの講演の後の交流会の後でも(交流会はGRADiで関係者でおこないました)、ピンクドットに関わった者たちで共通して確認したことは(それぞれ、どこに向かいたい気持ちが大きいかはさておき)、次のようなことだったような気がする。

メインストリーム化しなければ社会的な課題は解決しないし、かといってメインストリーム/エスタブリッシュメント(確立された体制的なもの)のあり方にそのまま全て取り込んでは、あるいは取り込まれては意味の無い部分もある。そのさじ加減がとても難しい。入り込んでいくなら、その危うさを自覚しながら。

これは、もちろんLGBTの問題だけではない。あらゆる社会運動が経験してきたこと。いずれにせよ、僕は、社会自体が複雑な多様な力と形でマイノリティを抑圧するのだから、マイノリティ側にも多様な運動が生まれるのは当然だと思っている。


▼最後に手前味噌的な一言…

この二つの講演会はとても素晴らしいものだったし、それをめぐってのピンクドット沖縄メンバーとの会話はとても充実したものだった。そして、モールトンさんの講演会は、主催の在沖米国総領事館の方はもちろん、県庁の方や那覇観光協会の方も尽力してくださり、また、沖縄観光コンベンションビューローさんも会議室を貸してくださるなど、いろいろな立場の方々が関わって実現されたものだった。

今年開催したピンクドット沖縄も含め、沖縄という地域で、面白い素晴らしい仲間たちととてもレベルの高い充実した活動ができていると思う。地域を動かしながら、世界ともつながっていく、そういう活動を創り出していけたらいいなぁ、と振り返りつつ思う。


★杉本さんが紹介してくださった本




★社会運動論についての本


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# by hideki_sunagawa | 2013-09-26 21:56 | LGBT/gender
2013年 08月 24日

ウェントワース・ミラーのカミングアウト

「プリズン・ブレイク」の主演で有名なウェントワース・ミラーが、ロシアで開催される映画祭からの招待を「ゲイとして、断らなければなりません」と辞退したというニュースが話題となっています。彼がゲイであることを公にしたのは初めてです。

彼の手紙は、glaadという、LGBTが平等に扱われる社会を目指して、特にメディアに働きかける取り組みをおこなっている団体のサイトで公開されています(→

日本語に訳してみました。

ーーーーー
2013年8月21日

Re: サンクトペテルブルク・フィルム・フェスティバル/"特別ゲスト"の招待

Averbakh様

ありがたいご招待に感謝します。過去にロシア訪問を楽しんだことがある者として、また、ロシア人の祖先の系譜を持つものとして、yesと言えたなら、幸せだったと思います。

しかし、ゲイとしては、断ざるを得ません。

私は、最近のロシア政府による同性愛者に対する態度、扱い方にとても心苦しく思っています。この状況は、決して認められるものではありません。よって、良心に基づき、私はこのような国で開催される祝典に参加することはできません。そこでは、私と同じような人たちが、オープンに愛し、生きるという基本的な権利を制度的に否定されているのです。

おそらく、状況が改善されることがあるなら、そのときには、私は違った選択をすることができるでしょう。

そのときまで。

Wentworth Miller

Member, HRC
Member, GLAAD
Member, The ManKind Project
ーーーーー


実は、「プリズン・ブレイク」観た事が無い…今度観てみようかな…



なんと、Amazonでブロマイドも売っている…


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# by hideki_sunagawa | 2013-08-24 14:13 | LGBT/gender
2013年 07月 06日

ピンクドット沖縄

超久しぶりのブログの更新。

▼ピンクドット沖縄開催へ向けて

今年に入ってから、GRADiを軌道に乗せるための新しい試み(カフェ、オンラインショップ)や、それとも関連した大きな生活の変化(東京から沖縄に越して来た友人との同居)、そして何より7月14日に開催する「ピンクドット沖縄」の準備の日々。

やるべきことの量が多いこともさることながら、やらなくてはいけないことの種類が多くて、頭が分裂しそうな毎日。しかし、ピンクドット沖縄は、初めての開催にしては上出来と言っていい雰囲気で進んでいる。

先々週だったか、実行委員会でその段階での振り返りをしたとき、何人かの口から「このイベントの目標はもう半分以上達成できたようなもの」という言葉が聞かれた。もちろん、本番の7月14日(日)にたくさんの人が集まってこそ、大成功と言えるのだけれど、このイベントに向けて実現してきたことはとても大きいと思う。


▼ピンクドット沖縄の特徴〜アライズの支援

このイベントの特徴は、アライズ(allies)と呼ばれるnon-LGBTの支援者がとても協力してくれていることだ。会社を経営している高校時代の友人や、その経営者仲間が、この趣旨をとても良く理解してくれ、いつも応援してくれている。また、イベント当日に向けて作成する冊子には、「一般」の会社の広告がたくさん入った。

また、ピンクドット沖縄は、なは女性センターの協力おおかげで、那覇市が共催(!)になっているし、(一財)沖縄観光コンベンションビューロー、沖縄タイムス社、琉球新報社も後援についてくれている。さらに、当日の案内を掲載しているパンフには那覇市保健所がHIV検査についての広告を出してくれた。


▼メディアでの取り上げ

沖縄では、新聞は地元の沖縄タイムスと琉球新報の二社がシェアのほとんどを占めるのだが、その二社が何度も、しかも大きなスペースを割いてピンクドット沖縄の活動を紹介してくれた。特に7月3日の沖縄タイムスの記事は丹念な取材をまとめたもので、すばらしい。また、7月5日の琉球新報の記事もイベントについて分かりやすく紹介してくれた。

2013年7月3日の沖縄タイムスの記事はこちらから

この後もまだ関連の記事が掲載される予定だ。

また、海外のLGBTサイトでも大きくとりあげてもらった。アジア最大のLGBTニュースサイトFridae、毎日ニュースを配信しているGAYSTARNEWSでの紹介のほか、韓国語やスペイン語でも紹介されている。

Fridaeの記事はこちらから

また、7月4日、5日と連続してRBCラジオで紹介する時間をいただいた。その前には(だいぶ前だけれど)タイフーンFMにも二回出演させてもっている(もう一度、イベント直前にも出させてもらう予定)。

3月1日に出演させていただいた時の様子は、ここから聴くことができます。13分間ほどの長さです。

bg
20130301性的マイノリティが生きやすい社会を 願う「Pink Dot Okinawa」の取組み/代表 砂川秀樹
2013年3月1日 更新
ダウンロード
タイフーンfm



▼最大の成果

しかし、もっとも大きな成果は、素晴らしい実行委員が15人も集まったことだ。これまでこういうイベントがなかった沖縄で、これだけの人数が参加しともに活動すること自体の意義を深く感じている。皆、とても個性的な人たちばかり。それぞれにできることを一生懸命にやっている。

それぞれのセクシュアリティに関係なく、同じ目的で集まった人たち。LGBTが生きやすい社会をつくることは、LGBTのためだけでなく、より豊かな社会にしていくために必要なことだと考えている人たちだ。そのための大きな一歩を僕たちは踏み出したと思っている。
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# by hideki_sunagawa | 2013-07-06 01:03 | Diary
2013年 05月 29日

情報あれこれ

超久しぶりのブログだけれど、宣伝で申し訳ないのですが…

最近GRADiオンラインショップというのを開設しています。

http://gradi.ocnk.net

僕のpdf版の電子書籍や現在、僕が代表を務めているPInk Dot Okinawaの応援グッズなどもあります。クレジットカードもご利用いただけます!

また、電子書籍は、Kindle版がAmazonでも買えます。




また、Pink Dot Okinawaについてはこちらをご覧ください。

http://www.pinkdotOK.jp

Facebookをご利用の方は、いいね!ボタンを押してくださーい。

http://www.facebook.com/pinkdotokinawa

twitterもありますよ

@pinkdotOK

どうぞよろしくお願いしまーす。
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# by hideki_sunagawa | 2013-05-29 01:58 | Diary
2013年 04月 20日

東京滞在記(2013.4.15-19)

沖縄に戻ってから丸二年、一年ぶりの東京だった。

4泊5日と長めの滞在だったが、ピンクドット沖縄の挨拶のためにいくつかのバーをまわり、関連イベントのオーガナイザーと打ち合わせをし、ゴールデンウィークから始める予定のカフェ用の什器を物色し…と、結局ばたばたしているうちに過ぎた。お会いしたい人はたくさんいたけれど、皆に声をかけられないままになってしまったのが心残り。

今回の東京滞在は、僕<が>つながりたい続けたい人たち、僕<と>つながり続けたいとと思ってくれている人たちが誰なのか、ということを考えさせられるものだった(もちろん、会えた人たちだけがそうという意味では決してなく)。

僕を「お帰り」と迎えてくださった方々。そうは口にしなくても、そういう雰囲気で会ってくれた人たち。皆、忙しい日々を過ごしているのに、僕と会うために時間をつくってくれたたり、声をかけたのに時間を空けてくれたり…本当に、感謝するばかり。

そんな中、僕の心を動かした再会の一つは、やはりシューレ大学の人たちとのものだった。行けるかどうかわからなかったので、到着してから連絡をとり、訪問したいと伝えた。急だったので、スタッフの朝倉さんと顔を合わせて、お土産を置いてくるだけのつもりだった。

しかし、学生さんも10人くらい集まってくれて、お話をする時間をもうけてくれた。皆が待っている教室に入ったときには、胸が熱くなった(心の中では、泣いていた)。

そして、GRADiやピンクドット沖縄について紹介しながら、沖縄に住んでから感じていること、考えていることについてお話した。二年前、東京を離れる直前にも同じようにお話をする時間をいただいたが、その後の私…という感じの話となった。

質疑応答も含めての1時間20分ほどだったが、この二年間で感じてきたこと、今感じていることを最も率直に語った時間だったような気がする。シューレ大学は、いつも正直な気持ちを安心して語られる雰囲気をつくってくれる。

東京を離れるときの会でも、核心をつく質問を受けたが、今回も。ここで受ける質問は、いつも僕に自分をしっかり振り返り、今後どうするのか、どうしたいのか考えるきっかけをくれる。

今回のやりとりを通して、僕にはまた一つの目標ができた。その目標を実現するためには、まずは、今やっていることをしっかり軌道に乗せなくてはいけない。そのためにがんばろう、と決心を固めた。

話が終わった後、朝倉さんは、日本国憲法に男女平等の文言を入れるのに尽力したベアテ・シロタ・ゴードンさんの「ふるさと観」を僕に教えてくれた。彼女は、ロシア出身の両親を持ち、オーストリアの国籍を持ち、幼い頃から日本に滞在し、その後米国へ(そして米国籍へ)という背景を持っているが、彼女は、ふるさととは大切な人たちのいる場所のことと語っていたという。

僕は、「沖縄も東京もふるさと」と場所のくくりだけで語っていたけれど、実は、シューレ大学などのように、「おかえりなさい」と言って迎えてくれる場や関係性こそが、ふるさとなのかもしれないなぁ、と思った。







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# by hideki_sunagawa | 2013-04-20 15:02 | Diary
2013年 04月 01日

誰かのためのコーヒーを買うということ

「Suspended Coffee」と呼ばれるコーヒーサービスがあることをで知った。Suspendedというのは、「保留にしておく」という意味だ。

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フェイスブックのページでの説明には、こうある。

ーーー
Suspended Coffeeとは、イタリアの善意の伝統に基づいたもので、(この方針に参加している)カフェで前もって買うことで、誰かそれを買えない人のために暖かいコーヒーを提供することができます。

<Suspended Coffeeって何?>
客が、コーヒーを買うことが難しい人のために、自分のものに追加して注文(&支払い)をしておくことです。

<どのような仕組み?>
例えば、二杯のコーヒーを買います。一つは自分のために、もう一つは、「Supended Coffee」としてとっておかれるもののために。その後、誰かコーヒーを必要とする人が入店して、「Suspended Coffee」がありますか?と求めることが歓迎されるのです。

ーーー

もちろん、貧困の問題は社会全体の仕組みとして解決していかなければ、根本的な解決にならないし、自立支援の活動(東京で言えば「特定非営利活動法人 自立生活サポートセンター・もやい」がやっているような)が重要だし、栄養のあるものを提供する「炊き出し」の方がベターかもしれない。

しかし、こうして、それぞれが誰かのためにと考えられることがとても大切なのだと思う。様々な場面、様々な形で、貧困の問題を自分の関わりのあることとしてとらえて、自分のできることをやれることが重要なのだと思った。


<貧困について考える上で良い本の紹介>










<実はコーヒーには、国際的には不公平な取引の問題が…>


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# by hideki_sunagawa | 2013-04-01 10:59 | labor/poverty
2013年 03月 02日

FM「タイフーンFM」に出演しました

FM「タイフーンFM」の「ヒトワク」という番組に出演し、ピンクドット沖縄の告知をさせてもらいました。ここから聴くことができます。13分間ほどの長さです。

bg
20130301性的マイノリティが生きやすい社会を 願う「Pink Dot Okinawa」の取組み/代表 砂川秀樹
2013年3月1日 更新
ダウンロード
タイフーンfm

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# by hideki_sunagawa | 2013-03-02 01:02 | notice
2013年 02月 28日

イベントのお知らせ>シューレ大学集会

ぜひご参加くださーい。

ーーー
シューレ大学集会「閉塞感のある社会で生きたいように生きる~当事者の若者に聞く」
(主催:シューレ大学 共催:GRADi)
スピーカー:朝倉景樹さん(スタッフ)&長井岳さん(学生)

3月2日(土)午後5時〜午後7時半 参加費: 1000 円(茶菓付き) シューレ大学紹介&交流会

3月3日(日)午後3時〜午後5時半 参加費: 500 円 トークセッション

シューレ大学…シューレ大学は、自分とは何者か、如何に生きるかを知る・表現することを通して模索する学びの場である。学生は不登校やひきこもりを経験していたり、就職後生きづらさを感じたりしてシューレ大学に来ていることが多い。直面する生き難さに向き合う研究や表現に取り組み、そこから自分の生き方を創り出している。学生の模索をサポートする様々な分野の専門家がおり、その一人にGRADi 代表の砂川秀樹さんもいる。シューレ大学について学生・スタッフが書いた本に『閉塞感のある社会で生きたいように生きる』がある。

GRADi…「GRADi(グラディ)」という名前は、「多様性のための草の根アクション(GrassRoots Action for Diversity)」の頭文字をとったものです。GRADiは、人々の多様性が積極的に肯定されること、それにより社会的マイノリティが生きやすい領域を広げていくこと、その実現のために必要な社会・人文学的な知と想像力を広げて行くこと、を「ミッション(mission)」としています。那覇市牧志 1-1-37 仲村ビル 2F http://gradi.jp
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# by hideki_sunagawa | 2013-02-28 20:41 | notice
2013年 02月 07日

新イベント「PInk Dot」へ向けて

僕が代表を務める「レインボーアライアンス沖縄」が中心となって、今年、新しいイベント「Pink Dot Okinawa」を開催します! 

Facebookをされている方は、「Pink Dot Okinawa」ページの「いいね!(like!)」を押してください。新しい情報がご自身のタイムラインに反映されるようになります。

http://www.facebook.com/pinkdotokinawa

また、ツイッターは、@pinkdotok です。

ーーFacebookの説明文の転載ーー

Pink Dot Okinawaは、「性的マイノリティが生きやすい社会を」と願う人たちが、その思いをあらわすためにピンク色のものを身につけて集まるイベントです。

Pink Dot Okinawaは、「性的マイノリティが生きやすい社会を」と願う人たちが、その思いをあらわすためにピンク色のものを身につけて集まるイベントです。
Pink Dotは、2009年にシンガポールに始まり、現在では米国や中国の都市でも開催されています。

ピンクは、平和と愛を象徴する色です。私たちは、人々を包み込み、つないでいく色と考えています。

また、ピンクのシャツを着て、学校でのいじめをなくすことを呼びかける「ピンクシャツ・デー」という国際的な活動もあります。この活動は、男の子がピンクのシャツを着て登校したことをきっかけにいじめられるようになり、そのいじめをなくそうと立ち上がった生徒が、ピンクのTシャツをたくさん配り、それを着て登校することを呼びかけ、その子に対するいじめ無くしたということが発端となっています。

私たちは、このような活動に敬意を表しながら、同じ志を持っている人たちとつながり、沖縄に/沖縄から「性的マイノリティが生きやすい社会」を広げていきます。

日本中、世界の様々な地域から多くの人たちが沖縄を訪問し、このPink Dot Okinawaに参加いただけることを願っています。

Pink Dot Okinawaは、7月14日(日)、那覇市内の広場での予定です。詳細は随時報告していきます。

なお、この活動は、準備段階からいろいろな人に参加して欲しいと考えています。関心のある方ならどなたでも参加できるオープンミーティングがあります。ご参加をお待ちしています。

<第1回 オープンミーティング>
日時:2月11日(月/祝日)午後2時~3時半
場所:「コミュニティ・スペース&スクール GRADi」(http://gradi.jp/


<参考動画(ぜひ観てください!)>

ピンクドットシンガポール2012年の様子
http://www.youtube.com/watch?v=aVo6U6BdB6g

ピンクドットシンガポール2011の時のネット用CM
(とても素晴らしいCMです)
http://www.youtube.com/watch?v=FrIB5Ojbqns
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# by hideki_sunagawa | 2013-02-07 01:17 | LGBT/gender
2013年 01月 19日

GRADiでの催し

直前のお知らせですみません。下記の通り予定しています。近くにお住まいの関心のある方は、ぜひいらしてくださいませ。

▼辛淑玉さん/朝倉景樹さんの講演記録を観る会

11月に開催した講演会「多様な生き方の実現とコミュニティ活性化へ向
けて〜」のビデオを観て、参加者と感想を共有します。
日時:1月20日(日)15時〜18時(開場:14時半)
参加費:1000円(11月の講演に参加された方は茶菓代300円のみ)

▼連続講座:コミュニティリーダーに話を聞く

第2回「ジェンダーについて私が考えてきたこと」
講師:糸数貴子(おきなわCAPセンター事務局長)
日時:1月27日(日)15時〜17時(開場:14時半)
参加費:無料

いずれも場所はGRADiで、参加申込みは、gradi★me.comへ(★をアットマークに変えてください)。(定員に余裕があれば飛び込み参加可能です)

http://gradi.jp
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# by hideki_sunagawa | 2013-01-19 00:10 | notice
2013年 01月 13日

同性愛と「好み」(2)

前回、「同性愛と『好み』」を書いた翌日、琉球大学の授業でゲストスピーカーとして話す機会があったので、この話題についても触れた。

ここに書いたことと同じようなことを、いろいろな例を挙げながら話をして、ほとんどの学生は理解してくれたのだが、終わってから、「『熟女好き』とかと並べられることの問題がわからない…」と質問に来た学生もいた(わからないままにせずに質問に来てくれたことに感謝!)。


そのとき、同じような説明を繰り返したのだけれど、後で、その学生がひっかかってるのは違うポイントだったかも、と思った。それは、例えば悩んでいる人がいたとしたら、その理由が同性愛だろうと、「熟女好き」だろうと、その悩みに順位をつけることはできず、同じようにサポートされるべきではないか、と思っているがゆえの「わからなさ」だったのではないかと。

理由に関係なく「悩み」というのはその人にとっては重大なことで、サポートを必要とする、ということには、僕ももちろん異論はない。どんな悩みに対してもサポートできるシステムは必要だし、そのために様々な電話相談、相談機関があるの。しかし…この問題はそういう話ではないのだ。


まず、件の教員の発言は、実際にそのような、様々な性を持つ人たちへの支援が必要と思っているわけではなく、むしろ揶揄しつつ、それと同性愛を並べることで、全てを揶揄している(と受け取られておかしくない)内容だ。実際にそういうことで悩んでいる人たちの悩める声を紹介しているわけでもないわけで。

そして何より根本的な問題は、そのような言い方で、社会構造的な問題を完全に相対化してしまうことだ。

この授業でも強調したのだが、ゲイやレズビアンの当事者の間では、「別にそのことは悩んでいないし、抑圧されていると感じない」という人は多い。しかし、臨床の現場にいる人や他のソーシャルワークにかかわる人からは、そうではない現実が見えてくるし、ネット上の調査でも、やはり精神的にダメージを受ける人の割合は多いと推測せざるを得ない。その矛盾は何を語っているか。

往々にして、社会的な構造の中で抑圧を受ける人たちは、その抑圧に慣れているため(その状態が当たり前と感じているため)、そのことを意識しない。しかし、気づかないうちに、少しずつそのことが負担になったり、小さな傷をたくさん受けていることがあるということだ。僕は、それを金属疲労に喩えている。

金属疲労は次のように説明される。「強度よりかなり小さい応力でも繰返し加えると破壊することがある。このような強度より小さい繰返し応力による破壊を疲労という」(引用元)。

それでも、仲間を見つけられたり、他のこと(家族関係、仕事のこと、経済的な問題等)が順調なら、そのことが下支えになって問題は起きないかもしれない。けれど、多くの人の人生はそんなにすべてが順調ではないわけで、他の問題が起きたときに、もともと気づかないうちに疲労していた心がポキっと折れることはあるだろう。そのとき、折れた直接的な原因は、他の問題なわけだが、マイノリティであるということが見えない理由として存在していたりする。


話は戻るが、確かに、色んな人がいろんな理由で悩み、場合によっては、その根本的な原因は大きな社会構造の問題にあると考えることもあると思う。そうならば(そして、もし余力があるなら)、そのことを社会に伝えたり、まわりに伝えて一緒に問題化していくことをする方法をとることが重要になってくる。そうやって、多くの人が様々な問題に取り組んでいるわけだ。

個々人の気持ちの問題は重要だが、それとともに、社会について、社会の問題について考え、それをふまえて自分がどのように社会にコミットしていくか思考し実践していく、という姿勢がもっとひろがっていくといいな…と今回のことから強く感じた。そして、今自分がやっていること/やりたいことは、そういう姿勢を広げていくことなんだなと改めて思った。
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# by hideki_sunagawa | 2013-01-13 14:40 | LGBT/gender
2013年 01月 10日

同性愛と「好み」

ある大学で心理学を教えている教員が、神奈川県が同性愛者向けのサポート活動を民間団体と一緒にやっていることに対して、「次はロリコンか熟女マニアをサポートしなくちゃな」とツイートし、批判を受けて謝罪するということが起きた。

この議論の中で、謝罪した本人も批判した一部の人も、「指向と嗜好を混同」という表現だけで語ってしまったために、逆に「指向と嗜好は分けられるのか?」という疑問を経由して、やはり同性愛を「好み」全般とをごっちゃにした話に落ちつくということが起きているようだ。

この論の展開は、正直言って、あまりにもくだらない。

もともと、同性愛と「ロリコン」と「熟女マニア」が同じカテゴリーとして並列的に成立しないことがどうして理解できないのだろうか。同性愛は異性愛と並ぶカテゴリーだ。「ロリコン」「熟女マニア」(男性が対象となる場合は「中年男性orおやじマニア」?)は、ある意味では、その下にあるサブカテゴリーになる。

逆に言うと、同性愛/異性愛は、もっと大きなカテゴリーの話だ。そして、異性愛が制度化されていて、中心化され、圧倒的な規範として成立している構造を問題化するようになったのが、同性愛者のアクティビズムである(そのような問題化がおこなわれるようになったのは、もちろん社会の変化によるものであり「普遍的」なものではない、しかし、だからと言ってその動きを否定する理由にはならない)。

もし「熟女マニア」(中年男性マニア?)を認めよ、という運動が、<同性愛者のアクティビズムと同じレベルで>起こるとするなら、若者との恋愛や結婚しか世の中にはないかのように制度化され、中心となり、規範となっているような社会が想定されなければならない。

しかし、「熟女」「中年男性」でも異性であれば(そしてお互い独身であるか等の条件を満たせば)結婚はできる。しかし、どのような条件でも同性同士へ結婚できない。

ちなみに、「ロリコン」は性行為をめぐる同意という、さらに別の問題が生じるため、ここでは詳細には議論しない。しかし、異性の組み合わせでも同性の組み合わせでもあるのだから、やはりサブカテゴリーだ。


そして、現在私たちが生活している社会の中で、まず性別が極めて重要な属性となっている(その現実の善し悪しは別として)ということも重要だ。生まれるとすぐに性別が分類され登録される。その後、ずっと性別で区分され続ける。よって、どの性別を好きになるかが最も基本的な重要な問題になる。

それは幼いときから起こりがちだ。幼稚園生に「好きな子いるの?」と聞いたとき、同性の名前を挙げたとしたら、どういう反応が起こるだろうか。きっと、そのような発言に対し、「それっておかしい」と言う友達もいるだろう(実際にそういうことが起きたという話をよく聞く)。同性愛を肯定できない親は「この子大丈夫かしら…」と思うかもしれない。少なくとも、ドキッとする人は多いはずだ。

では、その子が、とても「熟女」「中年男性」と言えるような年齢の人の名前を挙げたとして、同性の子の名前があげられたときと同じくらいに、まわりの人はドキっとしたり、不安になったりするだろうか。ちょと変ね、と思うくらいだろう。そのことからわかるのは、「好き」という感情において、性別の組み合わせが第一の規範基準になっているということだ。


「同性愛と年齢軸の好みを区別するのは、同性愛者の運動による差異化」という主張で、いろんな「好み」をごっちゃにする結論に至る人の思考枠組みは、結局は、[まともな好み]対[変な好み(=同性愛・「ロリコン」・「熟女好き」etc...)]というものだ。

しかし、「まともな好み」というものは定義できず、それに対する[変な好み]も限定できない(正確に言うと、「変な好み」を名指しすることでしか「まともな好み」は成立しないが、その名指し対象は網羅されることはありえなく、また個々人によって大きく異なるため、このような対立軸は成立しない)。よって、この図式はおかしいのだが、そのことに気づかずに、その図式に基づいた議論(?)に悦に入ってる人が奇妙に見えてならない。

ーーーー
ちなみに、私は、<もともとは>「指向」というのは、どういう対象に恋愛や性行為の対象が向くかということと考えているが、その中で性別のみを「指向」と表現するのは、ここで書いたように、性別をめぐる問題が社会的に圧倒的な力を持っており、その状況が折り込まれているから、と解釈して肯定している。しかし、「指向だから」という説明だけで同性愛者への理解を求めることは素朴すぎる主張とも感じている。



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# by hideki_sunagawa | 2013-01-10 01:21 | LGBT/gender
2013年 01月 02日

同性愛と笑い

昨年も多くの人に支えられて、こうして無事に年を越すことができました。今年もどうぞよろしくお願いします。今年は、本格的に沖縄でも大きなイベントを開催したいなぁ、と思っています。

さてさて、元旦にツイートしたものが大反響があったので、言葉を足して説明したほうがいいかな、と思い、このブログを書いています。

発端は、「芸能人 格付けチェック」という朝日放送系列で放送された番組。様々な、「一級品」「一流品」と呼ばれるものとそうではないものを見分けられるかを芸能人を対象にクイズ形式でおこなうもの。「お笑い」番組であり、いろんな意味で「馬鹿馬鹿しさ」を楽しむ番組だろう。

普段は観ない番組だが、ふとつけたらやっていたので、しばらくみていた。すると、ミニドラマをプロが演出したものと、芸人が演出したものを見分けるというものが始まった。内容は、男性芸人二人と男性役者一人が、同性愛の三角関係を演じている内容だった。

多少コミカルなストーリであるとしても、ある意味で、内容は「フツー」の三角関係。もし、異性愛を前提にした物語ならば、ステレオタイプ化した部分にクスっと笑うことがあっても、大して面白おかしいくないストーリーであった。

その二つの演出を見比べているシーンが映されたのは、最初にトライした4人と司会の3人だけだったが、その大部分の反応は、男性同士のラブシーンを気持ち悪がり、おかしがるものだった。しかし、小池徹平さんは、もし男女ものだったら大方の人はこういう反応をするだろうというニュートラルな、演出を見極めようとする姿勢を見せる態度だった。

僕は、他の人の笑う姿を攻撃つもりはなかったので(間接的に批判していことにはなるのだが)、次のようにツイートした。

ーーー
「格付け」なるTV番組で、演出を見分けるかという題材に、同性愛を扱ったミニドラマ。プロと素人の演出が見分けられるかというものだが、多くの芸能人が男同士のラブシーンに笑う。小池徹平さんは真剣な顔。仮に「一流か否か」という判断をするなら、こういう姿勢をとれるか否かだろう。
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こういうことを書くと、よくある反応の一つに、コミカルなものとしてお笑い芸人も出ているのだから、笑うものだし、そうしないと、ある意味で芸人には失礼ではないか、というものだ。

よく、お笑い芸人が、家族にその道に進むことを「人に笑われる仕事なんて!」と言われたという苦労話があるが、それへの反論して耳にするのは「人に笑われる仕事ではなく、笑わせる仕事」というものだ。確かに。

では、先のドラマはどうだろか。実際に、「笑わせた」のは出演した人だろう、しかし、そこに「笑われた」ものも存在している。それは同性愛(者)であり、同性間のラブシーンだ。

同性愛者であること、同性間のラブシーンが、<それだけで>笑われるものになるという、よくあるパターンだ。<それだけで>が重要だ。ストーリーによっては、同性愛者/関係が登場しても、そのことそのものが笑いにならないものが考えられうるだろう。

もちろん、このことと、自分をゲイと意識している人が笑って楽しむということは別の問題だ(よく、この当事者性を議論の根拠にする人がいるけれど、「当事者」にいろいろな人がいるのは当たり前のことで、僕はその個々人の態度や捉え方と、社会の中での位置づけの問題を区別している)。


こういうことを言うとき、もう一つよく言われることがある。それは、こういうものを笑いにする方が、マイノリティの社会的受容にもいいのではないか、というものだ。そして、その例として、身体に「障がい」がある(とされる)人が、自分のその「障がい」を笑いに変えるというものが挙げられる。これ自体も当事者間でも議論があるし、僕も好むものではないけれど、それを肯定する論理もわかる(実践している人がそのような論理を意識しているかどうかさておき)。

なぜなら、「障がい」のある人は、おうおうにして「不幸」「かわいそう」「かなしい」というイメージがつけられることが圧倒的に多いからだ、それに抵抗する形の一つが笑いになる。そして、それをやっているのが、「当事者」であるということにも意味がある。


しかし、先のミニドラマは、演じているのはお笑いの芸人(と、バラエティにもよく出る役者)であり、とりあえず「当事者」として意識されている人ではない。そして、同性愛をめぐる社会の支配的な位置づけは、もともと「笑い」「嘲笑」である。その中で、「笑い」の対象として再生産することとと、「障がい」を笑いの中に折り込んでいくこととは、全く構造も意味も違う。


また、これを女性のお笑い芸人がやることでもコミカルにすることもできただろう。だいたいそういう場合も、女性の見た目を基準にしたものなので、僕は好まないし、それもジェンダーの社会構造的に考えることができるが、女性のお笑い芸人が演じてコミカルにすることと、先のドラマには決定的な違いがある。

それは、女性の芸人が演じた場合には、異性愛関係における一つのあり方、あるいはその人そのもののキャラが笑いにされるのに対して、このミニドラマでは(そして、テレビではよくあることだが)「同性愛」「同性のラブシーン」そのものが笑われていたということだ。


それと似た意味で、「オネェキャラ」と呼ばれる人たちが、基本的にお笑いの文脈で登場してくることと、先のドラマの意味も違う。その人たちは、そういうカテゴリーで見られながらも、基本的にはそれぞれのキャラクターで登場しているのだから。僕は、そのようなタイプの人しかゲイが顕在化しないマスメディア自体には批判的だけれど(あと、時にその「使い方」にも)、その一人一人に対してはそうではないし、応援したいと思っている人も少なからずいる。


最後に、先のツイートでは、「そんなふうにお笑いにして」とか「気持ち悪がって笑ってたいた芸人、最悪」のような言い方をしていないことは強調したい。もちろん、そういう風に言う人がいてもいいと思うし、僕も我慢ならないと思ったときはそのような言い方をするだろう。

けれど、できるだけ、自分が、こういうあり方、態度、人いいな、ということを広めることを優先していきたいと思っている。今回は、あまりにも反響が大きかったので、その言葉の意味について説明を足した。
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# by hideki_sunagawa | 2013-01-02 13:28 | LGBT/gender