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2014年 04月 23日

祝福を

調査と実感の間にあるギャップ

最近、LGBTに関する講演で話をするとき、LGBTに関する社会調査の結果と、当事者の実感のギャップについて話すことが多い。

そのギャップとは、LGBTが自殺傾向が高かったり、メンタル的な問題を抱えがちという研究や臨床の現場の実感がある一方で、多くの当事者は「日本では差別はない。自分は悩んでないし、このままでいい」と口にするというものだ。その実感は「ウソ」ではないと思う。

では、そのギャップの間に何があるのだろうか。僕は、大き分けて、次の三つをあげる。

まず最初に、より恵まれている条件(心身のタフさや、経済状況、人間関係の良好さ等)を持っている人は、社会的な抑圧があっても大きな問題が起きにくく、それを感じにくいこと。二つめは、抑圧状況に慣れていて、それが当たり前だと思っているということ。そして、三つめに、心理的否認が働いていること、だ。

だが、感じていないからといって、社会的な抑圧による問題が生じないということではないのだと思う。継続して負荷がかかり続けたり、小さな傷(小さ過ぎて気づかない程度のものでも)が日々つき続けると、何かの問題(失業や、大きな失恋や、大事な人の死、仕事上の大きな問題、病気など)が起きたときに、金属疲労のようにポキッと折れてしまうのだと思う。

そして、それらの直接的原因は、LGBTとしての問題ではないことが多いがゆえに、その問題とは関係ないかのように見えることだろう。しかし、その土台には、属性と関連した負荷がかかり続けたこと、傷を負い続けたことがあるがゆえに、調査すると属性と関連した形で、先のような調査結果がでるのではないだろうか。


思い出す仲間たち…

僕は、悲しいことに、これまで多くのゲイの友人たちが様々な問題に苦しんでいるのを目の当たりにしてきた(もちろん、自分も色んな問題に煩悶することも多い)。彼らは、基本的に、それぞれの時点ではゲイであることを「悩んで」いたわけではない。

しかし、何かの話の中で時折出て来るのは、幼少期に女っぽくて揶揄されたこと、いじめられたこと、家族の中で疎外感を感じて来たことといったことだったりする。あるいは、本人は、自分がゲイであることと結びつけて考えていないが、外から見ると、どうしてもゲイであることと、その人が抱えてる問題がリンクしていると思わざるを得ないこともたくさんあった。

「LGBTがより生きやすい社会だったら、あの人は、あんな亡くなり方をしなかったのではなかっただろうか…」と思う人は一人や二人ではない。また、後に残されたパートナーが、社会的に正式に認知されていないがゆえに、辛い経験をしているのも何度も見てきた。


希望を

「このままでいい」と自分のことに関して思う人でも、「愛する人や大切な人にはできるだけつらい思いをさせたくない」とか、「これからの若い人たちにはできるだけ夢や希望を持って生きていって欲しい」と思う人も少なくないはず、と僕は信じている。

僕が、クラウドファンディング「READYFOR?」で、「沖縄で同性カップルの里帰り結婚式をあげ、日本でもっとLGBTや同性カップルが認められるようにしたい!」というプロジェクトを出したことも、そのような思いとつながっている。

[クラウドファンディングとは、ネット上で寄付を募るもの。「READYFOR?」は、設定金額に達するとその寄付金が受け取れ、到達しないと受け取れないという仕組み(支援者はクレジットカードで支払い手続きをし、設定金額に達した場合には課金され、達しない場合には、課金されない)]

もちろん、一樹さんとハロルドさんという素敵なカップルを祝いたい!というシンプルな願いも強い。

けれど、土台には、「彼らの結婚式を皆の前で挙げられたら、どんなに多くの人に希望を与えるだろう?」という思いがある。

もちろん、幸せの形は、パートナーがいることだけではない。しかし、同性カップルを応援するために全国の(そして海外からも)多くの人が資金を出し合い、皆の前で祝福されることは、とても大きな象徴的な意味があると思う。

ある意味、そのときに祝福されるのは、彼らだけではないと思う。そこで祝福されるのは、同性に恋をした経験がある者であり、同性に性的な思いを抱く者であり、同性の恋人/パートナーを持つ者であり、同性のパートナー/相方と共に生きている人、生きた人、そして、そういうことがこれからあるかもしれない人なのだ(つまり、私自身も含まれる)。そして、性的指向や性自認をめぐりマイノリティである者たち皆、さらには、そのような人たちのそばにいる仲間たちも。

この挙式が実現するときに、私は、先に書いた、苦しんだゲイの友人たちのことも思い出し、彼らが生まれ生きたこと/生きていることへ、感謝の思いを込めた祝福の言葉をかけるだろう。ありがとう、一緒に生きてくれて、と。


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by hideki_sunagawa | 2014-04-23 21:45 | LGBT/gender
2014年 04月 11日

お守りを届けたい

ふと、ブログに移行する前の、自分でhtmlで書いていた頃の過去の日記の4月を読み返してみた。

12年前(2002年)の4月は、新宿2丁目のフィールドワークをしながら、なんとなく後ろめたいものを感じて、調査そのもののあり方に迷っていた。

10年前(2004年)には、イラクで起きた日本人人質事件をめぐって、世の中の「自己責任論」に怒っていた。そして、500人を越える登録者のあった大学の授業の対処におわれていた。

そして、8年前(2006年)の4月6日の日記には、HIV/AIDSの問題にかかわる人たちが入っているメーリングリストJ-AIDSで、男性同性間のHIV感染をめぐるやりとりに関する話を書き記していた。

それは、僕も参加しつつ男性同性間のHIV感染についての議論を重ねる中で、自尊感情や孤独感とリスキーな行為の関連に話が至り、その流れである人が以下のように書き綴ってくれたということについて。

ーーー
ぷれいす東京の「SAFER SEX GUIDE BOOK」のことで砂川さんを存じ上げている、と書きました。 当時(十数年前でしょうか)、私は地方で家族と同居していて、全く偶然にそれを偶然知り、郵送をお願いしたのです。 中にワープロの案内文が入っていて、丸っこい字で「砂川秀樹」とサインがありました。

ゲイのための雑誌を買うにも、バスで一時間もかかるような田舎に住んでいた私には、どれだけ心強いものだったことか。 初めてゲイコミュニティからのシグナルと接触した証が、それだったんです。「お守り」でした。

知りたかったのはHIV/AIDSのことだけではなく、自分が一人ではないこと、この世の中には叡智のようなものがちゃんと息づいていること、だったんだと思います。あなた方が発信していたのがそういうものなら、ちゃんと受け取ってましたよ。

未だにその封筒ごと、大事に持っています。当時の、田舎のガキに過ぎなかった自分が抱いていた切望まで鮮明に思い出すので、捨てられない。ある時期を確実に支えてくれた、冊子でした。
ーーー

ぷれいす東京が始まって間もなく、イギリスの基金に申請していただいたお金で、ゲイ/バイセクシュアル男性を対象とした、セーファーセックスの冊子を作った。男性同士の性行為を表現した写真を大胆に使ったものだった(おそらくそれ以降もそのよれに匹敵する明確な性表現の写真を使ったHIV啓発冊子はなかったように思う)。その冊子について彼が語ってくれた言葉だ。

それをそんな風に受け取ってくれて大事にしてくれてたんだなぁ、と、当時、その文章を読んだ僕は胸を熱くし励まされたのだった。


今ではネットなどを通じて肯定的な情報を得やすくはなっているだろう、同性を好きな仲間や恋人との出会いも簡単になっている。それでもなお、自分が同性が好きだと気づいた時、悩む子は多いと思う。そういう子たちに(「子」じゃなくてもいいのだけれど)、何か、お守りになるようなものを届けていきたい、と、この日記を読んで改めて思った。

それは、ネットを経由した言葉や情報という形かもしれない。しかし、やはり何か手元に形として残るモノをつくっていきたい気もする。昨年、ピンクドットに参加してくれた人に渡したリボンのような、簡単なものでもいいかもしれない。

いずれにせよ、性的指向や性自認にまつわることで悩んでいる人たちへ、お守りを配り届けるような気持ちで活動していくというイメージは、私たち(ピンクドット沖縄で一緒に活動している仲間たち)にはとてもしっくりくるような気がする。


[追記…実は、2006年4月は今のパートナーと出会った月。なので、その月の日記には、そんな話もちらりと登場しているという(笑)]

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by hideki_sunagawa | 2014-04-11 01:29 | Diary
2014年 04月 10日

寄り添う言葉

前回に引き続き、言葉をめぐって。

今日、琉球新報で新しく始まる「私の鑑(かがみ) ぬくもり便」というコーナーのためのインタビューを受けた。「人生の転機となった場面で受けた温かい助言や指導を振り返ってもらう」というものらしい。

事前に電話で取材依頼を受けたときに「人生を変えた、とか、大きな影響のあった言葉ってありますか?」というようなことを聞かれ、「考えればあると思います」と言って受けた。しかし、取材の前日に改めて考えをめぐらしてみると、記事化するのにふさわしいものがあまり思い浮かばないことに気づき、焦った。

一つ思い出したのは、中学生のときに親友に初めてカムアウトしたときのこと。自分が男性が好きであるということを伝えたとき、彼は「いいんじゃないかなー」と言った。その言葉は淡々としていたけれど、いつも淡々としている人だったので、同じ調子で言われたことにほっとした記憶がある。

それがもし否定的な言葉だったらどうだっただろうか?と思う。最初のカムアウトにつらい言葉を返されていたとしたら、僕の自己受容はもっと時間がかかったかもしれない。

しかし、この言葉はちょっと紙面化しづらいこともあり、記事には、大学院に入る面接試験のときに、後に指導教官になる先生から言われたときのことが掲載されることになった(これは、掲載されてからまた報告を)。


そして、この取材のために自分のこれまでを振り返って、自分がつらいとき、悲しいとき、苦しいときの時のことを思い出してみた。一人で煩悶し泣き叫んだこともたくさんあったし、夜に、大きな国道にかかる歩道橋から行き交う車をしばらく見つめていたときもあった。

しかし、それ以上に、つらいときに誰かがいてくれたことをたくさん思い出した。実際にそばにいて、手を握ってくれた人もいたし、ただそこにいてくれた人もいるし、電話ごしに話を聞いてくれた人もいる。そのときの言葉は、「そうか…」「そうなんだ…」「それはつらいね…」というシンプルなものだったりする。

意外と人生を大きく支えてくれたり、変えてくれたりするものはそういう言葉が多いのかもしれない。そのような言葉は、そばにいるということを伝えるもののような気がする。感情的に一致することはできないけれど、その気持ちに寄り添っているということを伝える言葉。

だから、逆に、音声として口に出さなくてもそばにいるだけで支えられるときがあるのだろう。寄り添ってくれていると感じられるあり方で側にいてくれたら、それは十分に寄り添いの「言葉」だ。ここで「言葉」という表現を使うのは、やはり、ただそこにいるのではなく、寄り添っていると伝えようとすることに大きな意味があると思うから。


そうやって、いろんな場面でいろんな形で寄り添いを伝えてくれた人が自分の人生の様々な場面にいたことを思い出す。だから、こうしてこの年まで生きて来られた。ほんとうに自分の生には、いろんな人が溶け込んでいるんだなぁ、と改めて思う。
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by hideki_sunagawa | 2014-04-10 18:15 | Diary
2014年 04月 05日

ある/ない、ではなく、つくる

▼恩師の言葉

大学院に入ってすぐ、僕の指導教官でもあった先生が授業でおっしゃった言葉がずっと頭に残っている。「意見をたずねられて、『ありません』と言う人がいるけれど、意見は、あるかないかではなく、つくるもんなんです」。

そのときの僕には思いも寄らぬ表現だったけれど、とても納得するものでもあった。だから、自分も大学等で教えるときには、「大学院の時に言われた言葉だけど…」と必ずこの言葉を伝えている。

僕は、幼い頃から、自分の意見を言うことが多いタイプの子ではあった。意識することなく意見が言語化されることが多かったので、そこに「あった」ように感じてきた。しかし、それでもやはりそれらの意見は、つくられたものだ。

つくる/つくられた、というのは、もちろん捏造という意味ではない。自分の中にある埋もれているものを見つけ出したり、曖昧なものに形を与えたりするということだ。あるいは、対象(モノや事象)と自分を結びつける作業と言えるかもしれない。


▼意見を求められること

面白いもので、意見を言うようになると、人々は意見を求めるようになる。だから、いっそうそういう人は意見をつくる機会が増える。それを繰り返しているうちに、「意見がある」人のようになっていくのだろう。

僕は、もともと意見を言うタイプだったと書いたけれど、振り返り、「あの頃に意見をつくるレベルが高められたなぁ」と思う時期がいくつかある。大学院時代はその一つだが、その時よりも鍛えられたと感じているのが、大学院に入る前にあった。

20代の中頃、HIV/AIDSの活動を一緒する中で親しくなった大学院生が何人かいた。彼女たちは(そのほとんどは女性だった)、会う度に、何かに関連して自分の意見を述べた上で「秀樹はどう思う?」と尋ねてくれた。それは、僕にとって自分の意見をつくるいい訓練となった。


▼ほかのことも…

そして、最近、ほかにも、「ある/ない」で表現されやすいけれど、実はつくるものってあるんじゃないか、と思うようになってきた。例えば、動機とか、希望や願望とか、将来像とか。

つくるためにはエネルギーが必要なので、体調やら心調(?)やらに左右されることは前提ではある(そして、生育過程において方向付けられた態度や心性も大きく影響することも否めない)。しかし、ある/ない、という問題ではないのではないかと…。

動機は往々にして衝動と混同されがちだけだが、衝動と違い、理由づけられるもの、何かに関連づけられるものだと思う。僕は、時に辛い経験しながらもLGBTの活動を続けて来た動機を尋ねられることがしばしばあるし、自ら自分自身に問うこともある(後者の方が多いかもしれない)。

そのときに、誰かの存在や、何らかの社会的状況、自分の経験に結びつけていく。そうやって、動機をつくり続けてきたのだと思う。


▼希望をつくる…

希望も、私たちは「ある/ない」と語りがちだ。特に自分自身に関することは。もちろん、先に書いたように心身の調子の悪いときには、希望をつくり切れず、その状態を「希望がない」と表現するとすることはあるだろう。その言葉でしか表せない気持ちがあることは、自分自身のことを考えてもわかる。

しかし、希望がある/ない、という言葉だけで考えることと、それは希望をつくり切れない状態だと意識することの間には大きな開きがあるような気がする。回復の程度に応じて希望をつくろうと意識していると、少しでも調子が回復したとき、小さな希望をつくりだすことがしやすくなるかもしれない。

そして、希望と将来像はとても近い関係にある。実は、僕が今回、この「つくる」について書こうと思ったのは、このことについて書きたかったからだ。


▼同性愛者としての将来像

日本では、長らく同性を主に好きな人も異性と結婚をすることが主流だったために、同性愛者として歳を重ねて来た人の姿が見えづらい。本当は、長い間パートナーシップを続けてきたり、独り身でも仲間たちと楽しく過ごして高齢期を迎えて来た(いる)人たちがいるはずだが、なかなかその生き方が見えてこなかった。

それもあって、現在、異性との結婚という選択をしない同性愛者たちで、ある程度の年齢(中年期以降?)に差し掛かっている者たちの中に、漠然とした将来への不安を抱いている人たちが増えている。自分もそれが全くないと言ったら嘘になる。

そのとき、僕らは、将来像がない(あるいは、思い浮かばない)と言いがちだ。しかし、もともと将来像もつくるものではないか? たとえ、それが今の段階ではリアリティーを感じないものだったとしても(リアリティーもつくりあげていくものだと思う)。


▼同性婚やコミュニティ…

その将来像とは、同性婚を含む同性間のパートナーシップかもしれないし、困難を抱えたときに支えあうコミュニティかもしれない。単身者としての生き方かもしれない。

まさに、「私はこう生きたい」という希望は、ある/ないものではなく、つくるものだろう。…と、このフレーズを書いて、「こう生きたい」は、意見でもあるということに気づく。意見と希望と将来像はつながっている。

そして、「私はこう生きたい」という、希望でもあり意見でもある将来像のためには、社会に働きかけて実現していくべきことも出て来るだろう。そう、社会も、ある状態に「ある/ない」というより、常に、ある状態をつくっていくものだ。

当然、希望通りにならないこともある(希望通りにならないことの方が圧倒的に多いかもしれない)。自分の希望や意見、将来像も調整しなくてはいけないことがたくさん出て来る。しかしその調整も含めての「つくる」なんだと思う。

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by hideki_sunagawa | 2014-04-05 09:21 | Diary