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2014年 03月 18日

いい日

▼那覇市保健所のHIV関連の会議へ出席

今日は、HIV関連の会議で那覇市保健所へ足を運んだ。

実はこの会議、開催の約1週間前に連絡があり、この日に大事な用事を入れていた僕は、その時、出席しようかどうかだいぶ迷ったのだった。しかし、「会議」ながら、僕に30分ほどLGBTについて話して欲しいという依頼つき…むむむ。いろいろ悩んだが、「少しでも多くの人にLGBTについて伝える機会は大事」と思い、先の用事を調整し出席するという返事を。正直者(?)の僕は、気が進まない感をアピールしつつ(苦笑)。

けれど、出席してとても良かった。学校の養護教諭の役員や那覇市の教育庁の人にLGBTについての話ができたこともあるが、それ以上に、那覇市保健所のHIV検査の担当者たちの本気が伝わってきたからだ。

こういう場ではおざなりな情報共有で終わることも多い。特に、行政の異なるセクション間では、強く何かを提案することはしづらかったりもするもの。しかし、保健所のHIV担当の人は、教育委員会の方に、かなり強く「性の多様性について教育の中に入れていっては」と進言していた。そして、担当者たちのLGBTに関する問題意識には真摯さを感じて、それは感動を覚えるほどだった。

なので、もし「HIV検査を受けたいけど、どういう対応されるかわからないのが不安…」という人には、この保健所は自信を持って勧められると思った。というわけで、帰ってすぐに以下のツイートを。

ーーーー
那覇市保健所のHIV会議に出席。実は、那覇市のHIV検査体制の充実ぶりはすごいです。即日(その日に結果が出る)検査が週3回、通常検査も入れると月~金毎日。夜間即日も月一回有。そして担当スタッフたちがとてもいい! http://bit.ly/1on9j8w
ーーーー

この検査体制はスタッフの質も含め、那覇市が誇れるものだと思う。


▼偶然に…

会議終了後、「しぶってたけど、行って良かったなぁ…」と思いつつ、帰路へ。なんとなく「遠回りだけれどこっち方向に歩こう」と思い向かった先で、偶然、昨年、公民館の講座でお世話になった職員とばったり会った。彼女は、その講座以降、時々GRADiやピンクドット関連のものに顔を出してくれている。

「今まで近くで公民館の会議があったんですよー」と言う彼女。そして、「ちょうど砂川さんの話をしてました!ピンクドット7月20日にあるので、みんな来てね!って言ってきました!」と。行こう、ではなく、来てねという表現がうれしいなと思った。こちら側に一緒にいて呼びかけてくれているんだなぁ、と。


▼教え子からのメール

彼女とはそんな会話をしながら一緒に横断歩道を渡っただけで、すぐに別れた。「普段は通らない道なのに、不思議なもんだー」と思いながら、ふと見た携帯のメール。「砂川秀樹先生へ」というタイトル。最近講演に行った先の誰かかな?と思ったら、非常勤講師として行っていた東京にある大学の卒業生であることが冒頭に記されていた。

正直、とても驚いた。なぜなら、その大学の非常勤講師は、沖縄に来るときに辞めたわけで、メールをくれたその人も3-4年も前に僕の授業をとっていた学生だったからだ。長いメールはとても丁寧で、しっかりとした文章だった。

そこには、僕が授業で皆に語った言葉に励まされ、努力して、自分が思い焦がれていた先に就職できたと。そして、その言葉や授業への感謝の思いが書かれていた。

読みながら、あまりの嬉しさに泣けてきた。非常勤講師は、学生とのやりとりは基本的に授業だけのことが多い。そのぶん、何が伝わっているのか伝わっていないのか、何を考えているのかもわかりづらく、時に徒労感に苛まれることもある(特に僕がその大学で持っていた授業は100人を超えることの多いものだったので)。

また、僕はジェンダー論を教えていたこともあり、自分の価値観や考え、自分自身のあり方をオープンにしながら進める形になり消耗する事も多かった。しかし、その中で伝えてきた言葉が一人の学生の中に残って、それがその学生を励ましたなら、これほど教師冥利につきることはない。

そして、今は、彼女の言葉に励まされている自分がいる。ほんとうにありがとう、と、こちらが言う番だ。


▼姉からのメール

気持ちがいっぱい…と思いながら、「そういえば、姉からもメール届いてたなぁ」と、開いてみた。そして、そこに「山城さん帰ったよー」と書かれているそのメールを見て思い出した。『そうだ…今日はフリージャーナリストの山城紀子さんが、僕のカミングアウトについて、母親にインタビューをしに行ってたんだ…』。

母は、78歳。もうすっかり耳も遠くなり、脚の骨を折って以来、家に籠ることがほとんど。また、もともと難しい話ができる人でもない。なので、「どういうやりとりになるんだろう?」と正直、心配していた。

実は、姉経由でそのインタビューの打診を母親にした時に、オッケーが出たことすら意外な気がしていた。そして、今日、姉に同席してもらって、インタビューに答えてもらったのだった。

「今日どうだった?」とドキドキしながら送ったメールへの返事は意外だった。そこにはこういうことが書かれてあった。

「とてもスムーズに進行した。お母ちゃんって、こんなに話すんだ~って、びっくりした」

そして、こうも書かれていた。

「インタビューと言う事もあって、山城さんがお母ちゃんに聞く、お母ちゃんが答える。当たり前な事だけど、私はそんな会話をしてなかった。家族や周りに対しても、ついつい、自分の思う事だけを言ってた気がする。お母ちゃんの気持ちを聞いてなかったと、気が付いた・・ほんとに今日は『聞く』と言う事が大切だと、思った。」

母親がたくさん話をしたというのも感動したけれど(どういう内容だったはわからないけれど)、姉がそれを見ながら、こんな風に自分を振り返ったということにも心動かされた。


▼コミュニケーション

もしも、今日の一連のことに通じるものがあるとするなら(そういうものを発見する必要もないのだけれど…)、やはりコミュニケーションをめぐることかな…と思う。最初の会議には、「こうして欲しい」ということを、別の行政担当者に伝える保健所の人の姿勢への感動が僕にはあった。しかも、それには、LGBTの若者/生徒がどうすれば支えられるか、ということを考えての思いが込められいると僕は感じた。

そして、「ピンクドットに来てね」と会議で語ってくれたという公民館の方の言葉。そう呼びかけてくれたことへの喜びがあった。

元学生のメール。自分の言葉が何年もその人の胸に残っていたこと。その言葉に意味を見いだしていてくれたこと。さらには、そのことを報告してくれたこと。その報告とお礼にまた私が力づけられたこと。

姉のメールには、「聞く/聴く」ことの大事さが書かれていた。僕自身、様々な場面で「聞く/聴く」ことの意味や重要性を語って来たけれど、果たして身内にそれができていただろうかとも考えた。

伝えること、聞く/聴くこと…まさにコミュニケーションの基本。おそれず真摯に語り耳を傾ける。そのことが生み出す力を強く実感した一日だった。しかし、こんなことが立て続けに起きるなんて…そんな不思議な日もあるんだなぁ。
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by hideki_sunagawa | 2014-03-18 22:33 | Diary
2014年 03月 11日

あの時、手をつなげたら / Holding Hands

あの時、手をつなげたら
(『誰もが誰かと一緒に歩けるように』所収)

Holding Hands
(English translation follows)

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 最近、講演で同性愛について話をするときに、必ず見せる絵がある。熊の姿に描かれた二人の男性が手をつないでいるもの。それには、こう書き添えられている。「あの日、一緒に歩いて帰りながら、不安なのに互いに遠慮して手をつないで歩けなかった僕らのために。誰もが誰かと一緒に歩くことがこれからもできるように、祈りを込めて。」

 実はそれは、僕のパートナーが描いたもので、そこに登場しているのは、2011年3月11日の僕と彼だ。

 言うまでもなく、それは東日本大震災が襲った日。僕らは、一緒の仕事で都心にいた。震源地付近や、津波の被害を受けたところに比べれば大したことはなかったとはいえ、震度5強を記録した東京も激しく揺れ、大混乱だった。僕らは、夜九時頃になりようやく家に向かって歩き始めた。

 たくさんの人がぞろぞろと歩いている不思議な光景。静かな緊張感と大きな不安、非日常的な状況へのハイテンションが交じった奇妙な雰囲気の中、僕らは3時間以上歩いた。その夜は、かなり寒かった。そのとき、異性カップルなら、普段手をつながない人でも、きっと手をつないだだろう。寒さと不安を和らげるために。でも、僕らはそうしなかった。そうしようか?と口にもしなかった。

 僕は、手をつなぐことのリスクをと考えていた。普段は笑われるくらいのことでも、社会的な緊張感が高まっているときには、何が起こるかわからない、と。

 後になり、二人とも同じように手をつなぎたいと思っていたと知ったとき、お互いをいたわり合えなかったことに僕らは胸を痛めた。そして彼は、そのときの僕らのためにその絵を描いてくれた。

 僕らは願っている。同性カップルが、手をつなぎたいと思ったとき、恐れや不安や気負いなく手をつなげる社会を。だから、僕らは、声をあげ、行動し続けていく。

(イラスト:加藤悠二)



Holding Hands

Whenever I give talks about gay/lesbian people these days,
there's a picture that I always show to my audience.
It’s a picture of two male teddy bears holding hands.

On it, there’s a message written:
"This is for the both of us.
For the day that we were walking home together,
full of unease but unable to let ourselves go and hold hands.
I made this in the hope that from now on,
anyone will be able to walk together like this
with another person, no matter who they are”.

To tell the truth, the artist behind the picture is
actually my partner. The two bears in the picture are
me and him, walking home on March 11th, 2011.

As we all know, March 11th, 2011 was
when the Great Tohoku Earthquake hit Japan.
That day, he and I were together at work
in the middle of downtown.

Though what we experienced was nothing in comparison to
what happened near the epicenter of the earthquake
or the places affected by tsunamis, Tokyo, too was shaken
by the biggest quake since the Great Kanto Earthquake of 1923.
Everything was in chaos. At around 9 pm or so,
we finally decided to walk back home.

What we encountered was really a mysterious sight to behold.
Countless people were walking outside,
looking for emergency shelters or listlessly heading home,
full of unspoken nervousness and great unease.

My partner and I walked for about three hours in this strange,
unusually tense atmosphere. That night was also quite frigid—so much
that I think that most straight couples would have held hands,
even if they didn't do that sort of thing normally,
just to try to melt away the worry and the cold.
But we didn’t do that. We didn’t even suggest it to each other.

Back then, I could only think about the risks of holding hands.
Normally, the worst we might have encountered was being laughed at.
But with anxiety at an all-time high throughout all levels of society,
I imagined that far worse was possible.

Sometime later, I found out that my partner had wanted to hold hands, too.
My heart became instantly full of pain and regret at the fact that
we weren't able to comfort each other in even the direst of situations.
And so, my partner drew that picture for us.
For the day that we weren't able to hold hands.

A society where same-sex couples can hold hands
whenever and wherever they want to without
fear, worry, embarrassment, or hesitation
—this is our wish.

And so, we continue to raise our voices
and engage in activism all to help one day make this dream a reality.

(Translation: Brent Lester Lue / Illustration: Yuji Kato)
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by hideki_sunagawa | 2014-03-11 11:30 | LGBT/gender
2014年 03月 08日

とあるゲイの方の話/A story about a gay man

An essay by Hideki Sunagawa,
co-representative director of PInk Dot OK.
(English translation follows)

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昨年、ピンクドットが終わってしばらくして、とあるゲイの方からメールをいただきました。そこにはこう書かれていました。

-----
「ピンクドット! 70歳になる私たち世代には隔世の感です。ピンクを身につけるにはやや恥ずかしく、なにげなくテントの近くで皆さんの奮闘ぶりやライブのステージを見ておりました。しっかりと手をつなぎあった若いカップルがなんとも愛らしく、いじらしく、そしてうらやましくーー。

那覇市が協賛するという新聞記事に感動をいたしました。多くの地元の企業の参加も。那覇から息苦しく閉塞してしまった日本に風穴が開く!そんな予感がいたしました。大したことはできませんが、なんとかご支援をさせていただきたいと思います。」
-----

日本では、これくらいの年齢の方だと、ゲイ自身でもこういう活動を嫌う方が多いのに、うれしいなと思いとても励まされた気がしました。しばらくして、寄付をいただき、何度かメールを交換しました。

近いうちにお会いしましょう、というやりとりもして。しかし、いろいろあって、なかなかお会いできず。

そして先月頃から、サポーター向けに送っているメルマガが届かなくなったので、彼が経営しているとメールで聞いていたショップを探し、確認のメールを送りました。そのメールに対して、彼と長く一緒に人生を歩んで来られたパートナーが丁寧な返事をくださいました。

そしてそこには、昨年11月に末期がんであることがわかり一月に亡くなられたと書かれてありました。

なんで早く会わなかったのだろう、とひどく後悔しました。面と向かって「本当にありがとうございます」と言えないままになってしまいました。

彼の最初のメールの「追伸」にはこうありました。

「まだ幸いに体力はほどほどあるようです。カジマヤーまでがんばれるかと。ボランティアでお手伝いできることがございましたらなんなりと。」

私たち、ピンクドット沖縄の実行委員は、彼の言葉を胸に今年のピンクドット沖縄も成功させようと誓っています。

ありがとうございました、Tさん。どうぞ安らかに…でも、ピンクドット沖縄2014で私たちともにいてくださるだろうと信じています。

(この話を書くこと、Tさんのメールからの引用については、パートナーの方から許可をいただきました。)

砂川秀樹
(写真:加藤悠二)


A few days after Pink Dot Okinawa opened last year,
a gay man sent me an e-mail. I had no idea who he was.

It said, "Pink Dot Okinawa! Wow.
For someone like me in their 70s,
it's like we've entered a totally new age!
It was actually a little embarrassing for me
to wear pink, so I mostly spent my time
watching the staff members working
or performers on the stage from afar.

I even saw a young gay couple
with their hands held tight.
It was very adorable, quite touching,
and a little enviable. I
t was really encouraging to know that
the event was sponsored not only
by the city of Naha, but by many companies, too.

I feel as if the winds of change seem to be blowing
into Japan—which is fast becoming more closed
and oppressive—starting here from Naha!
I really felt that wind at Pink Dot Okinawa.
Though I can’t do much,
I’d love to be able to support you”.

I was very delighted to read this, as in Japan most elderly people
tend to dislike and avoid such pride events.
After a while we received a donation from him
and exchanged some letters, eventually making a promise to meet.
However, for one reason or another,
we weren’t able to see each other last year.

It was in February that the mail-magazine we sent out
to our supporters was returned to us from his address.
And another in March was returned, too.

I supposed that he might have been hospitalized
because he told me he was suffering from backache.
Out of worry, I searched for another way to contact him
and wrote to the e-mail address of the mom and pop shop he ran,
sending off a line or two inquiring about how he was doing.

His long-time partner kindly replied and told me that
he died of cancer in January.

He was diagnosed with terminal cancer in November.
It was only a few weeks after I exchanged the last mail with him.
I regretted very badly that I hadn't met sooner.
I wasn't able to say "thank you for your support" to his face.
I should have.

As "p.s" in his first letter he said,
"Thankfully, I'm still energetic.
I may end up living as old as Kajimayaa (97 years old).
Please let me know if there is something I can do as a volunteer."

We, staff members of the organizing committee,
will keep his words in our minds and try to make Pink Dot OK
as successful as it can be. Thank you very much, T-san.
May you rest in peace. But your spirit is with us in Pink Dot OK 2014.

(We've received permission from his partner
to write about T-san and to quote sentences from his e-mails.)

Hideki Sunagawa
(photo: Yuji Kato)
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by hideki_sunagawa | 2014-03-08 20:49 | LGBT/gender