<   2012年 04月 ( 8 )   > この月の画像一覧


2012年 04月 17日

一周年

4月15日、沖縄に帰って来てまる一年となった。あっという間だったなぁ。この一年間、なんとか無事に過ごせたことに感謝。東京での日々と同じように、いろいろな人に支えられつつ…の一年でした。

でも、無事に過ごせた、とはいえ、これまでの一年間はほんとど休養していたようなもので、これからの一年間が勝負。この先を考えると、プレッシャーに押しつぶされそうだけど、「2000年にパレードをやったときの苦労に比べれば…」と感じたりもする(振り返ると、本当にあのときは命を削ってたんだなぁ、と)。


沖縄に帰って来てからの変化と言えば、一つに、「アイデンティティ」や「文化」をめぐっての考えがある。でもそれは、それまでと考え方が変わったというのではなく、以前から考えてきたことを実感し、深めることができたという感じ。

その土台には、僕が文化人類学という学問分野の中で学んできたことがある。おそらく、その時のアカデミックなトレーニングがなければ、今感じている「もやもや」を整理できなかっただろう(まぁ、いまだに研究者にしては言語化が下手なんだけど)。


そう考えると、東京で経験したこと、学んだことが、ちゃんと今につながっていることがはっきりわかる。でも、それは先々のことまで見通して計画して進んできたのではなく、むしろ、僕の中に色々なものが入り込んできて、それらが次の何かを取り込んで、だんだんと僕の中で生成していくような感じ。もちろん、折々に、何かの決断を「自分」がするわけだけれど。


一年後も、これまでやってきたことを発展させられたなぁ、と思えるといいな。とりあえず、これからしばらくはがんばり期。やれるだけやってみよう。
[PR]

by hideki_sunagawa | 2012-04-17 14:45 | Okinawa
2012年 04月 16日

LGBTニュース紹介 04/16

ニュースを翻訳したりまとめたりする気力がなく、約一ヶ月休んでしまいましたが、久々に。

ーーー

▼サンクトペテルブルクで「反同性愛プロパガンダ法」により逮捕者

4月8日(日)、ロシアのサンクトペテルブルクで、「反同性愛プロパガンダ法」に違反したとして、Sergey Kondrashov氏が逮捕された。

彼は、「家族の親愛なる友人の一人はレズビアンだ。私の妻も私も、彼女のことを愛しているし尊敬もしている。そして、彼女の家族も、私たちと同様に。」というプラカードを掲げたことを理由に逮捕された。

サンクトペテルブルクでは、(このニュース紹介でも何度も紹介したように)、同性愛を「推進する」ような言動を公にとることを違法とする法律が制定された。

現在、この逮捕への抗議とSergey氏への支援のための署名が呼び掛けられている。

*署名のページ(英語)*


▼ハンガリーでも反同性愛法案が上程される

ロシアで施行され広がりを見せている「反同性愛プロパガンダ法」と同様な法律が、ハンガリーの極右政党によって、国会に提出された。

これは、「反秩序的性行動、特に同性間での性的関係」を肯定的に表出することを禁止するための三つの法案で、そのうちの一つは、憲法修正だという。この法案が通れば、「反秩序的」と判断されるイベントや発言が禁止される。

罰則としては、罰金刑の他、3年までの(ケースによっては8年前での)禁固刑が科せられる内容。。なお、この法案の策定をもくろむ極右政党、Jobbik党は、ハンガリー国会の386議席中47議席を持っている。

また、首都ブタペストの警察は、今年の6月に予定されているLGBTプライドマーチの開催許可を却下している。

*このニュースを伝えるPink Newsの記事(英語)*


▼ガンビアで三人の同性愛者が逮捕される

二人のガンビア出身の女性と、一人のナイジェリア人の男性が同性愛行為を理由に逮捕されたと、ガンビアの新聞が報じた。

ガンビアのYahyeh Jammeh大統領は、今年のはじめに、同性愛は外国の文化的現象であると言い、「私たちは、人権とはどういうものか知っている。同性の人間は結婚できないし、デートもできない。私たちの文化を壊すことが人権と考えるならば、それは大きな間違いを犯している。もしそうならば、ガンビアにいることが間違っている」と明言していた。

同国では、同性間の性行為は、最高で14年の禁固刑に処せられる犯罪と位置づけられている。ガンビアはイスラム教が中心の共和国である。

*このニュースを伝えるPink Newsの記事(英語)*


▼米国でカミングアウトと健康の関する調査結果が発表される

両親にゲイ、レズビアン、バイセクシュアルであるということをカミングアウトしている場合、特にその親が支援的ならば、精神的健康状態がより良好であるという、研究結果が報告された。

この研究は、ボストン大学の研究チームによるもので、薬物濫用の傾向性などが低くなるという結果などが示されている。

例えば、ゲイやバイセクシュアル男性では、両親が支援的でない場合、深刻な鬱やアルコール濫用で苦しむ傾向が6倍〜7倍高かった。レズビアンやバイセクシュアル女性では、鬱が5倍、薬物濫用が7倍高かった。

この調査は、18歳〜64歳の5658人を対象としたもの。うち75%が親にカミングアウトしており、その平均年齢は25歳だった。

調査からは、カミングアウトによる健康への好影響は、女性の方が高いことも明らかになった。これについて、調査者のRothman博士は、「一般論として、ゲイやバイセクシュアル男性の方が、セクシュアリティにかかわる生活を両親から切り離すことに関して、よりストレスが少ないのではないか」と語っている。

*この調査結果を伝えるPink Newsの記事(英語)*
[PR]

by hideki_sunagawa | 2012-04-16 06:00 | LGBT/gender
2012年 04月 13日

引き継ぎながら

東京滞在記を書いた後、力つきたように(?)ブログを更新するエネルギーも起きず、またブルー期間に入りつつあるのを感じていた。気分はどんどん低下し、昨日は、鬱々とした気分だったので、早く寝よう…と思ってベッドへ。

そのときなぜか、普段はしないのだが、書庫の扉を開けて「寝る前に何か英語の本を読もう…でも簡単なものがいいな」と一冊の本を手にした(ちなみに…「書庫」と読んではいるが、本棚を並べて本を詰めたただのクローゼット<苦笑)。


その本は、'The Gifts of the Body'(by Rebecca Brown)。だいぶ前に、何かでチラッと文章を読んで、とても読みやすいシンプルな英語を気に入って買った短編小説集。どういうものだったか思い出さないまま読み進めた。


最初は、流し読みしていたのだが、途中で「ん?これは?もしかして…」と思い、また最初に戻ってじっくり読み始めた。こういうストーリーだった。

ーーー

「私」は、毎週の火曜日と木曜日にRickの家を訪問している。行く前にいつも、「何か必要なものある?」と聞くけれど、頼まれることは一度もなかった。ある日、朝食を食べ損ねた自分のために、ある店でシナモンロールとカフェオレを買い、特に訊くこともなくRickのぶんも買った。

そのシナモンロールを見たRickはとても喜んだ。そこのシナモンロールは彼の大のお気に入りで、日曜日の朝に、焼き上がる早い時間に行き、一番おいしい、オーブンの鉄板の真ん中のシナモンロールを買っていたという。それはシナモンシュガーが絶妙にとけて、中がふわふわなのだ。

それからというもの、「いつものやつ」と言って、それを買って行くようになった。しかしある日、Rickは「今日はいらないよ」と電話口で明るく言った。

けれど、家に着くと、彼はリビングに布団を敷いて具合い悪そうに寝ていた。「主治医を呼ぶ?」と聞いたら、すでに、UCSのMargaretに連絡をしたという。「電話したときは元気だったのに、急にこうなって…」。

彼は背中にびっしょり汗をかきながらも「寒い」と言って、毛布を握りしめている。その手の震えはだんだん大きくなっていく。「毛布をもう一枚持って来ようか?」と尋ねると、「行かないで!」と。「私」は、毛布にもぐりこみ、背中に体をくっつけ、手を彼が痛がっているお腹に乗せて彼を温めた。彼はその手を強く握りしめた。


Margaretとともに車で移動するRickに、「戻って来るときのためにきれいにしておくからね」と「私」。彼は笑みを浮かべようとした。「後で連絡するから!」。彼は、何も言葉を発する事もできないまま去っていった。

「私」は、部屋をきれいにしようと台所に一旦入るが、あることに気づき、そこは最後にすることに。そして全てを忘れ、彼がすぐに戻って来るかのように、他の部屋やシャワーを掃除する。そして、台所に戻った。

そこには、Rickのお気に入りのコーヒーカップが二つ、彼自身のものとパートナーだったBarryのものが。コーヒーもすぐに入れられるようにしてあった。

そして、デザート皿に、二人分のあのシナモンロールが。絶妙な解け具合のシナモンロール。「私」は、思いを馳せる。彼にとってとても長いはずの道のりを歩いた彼のことを。天板の真ん中の美味しいシナモンロールを買うために、いったいどんな早くに家を出たのだろう…。


Rickは、Barryと一緒に、リビングに引っ張り出して来た布団で、日曜日の朝食を「bed-and-breakfast」スタイルのようにして食べていたことが恋しいと、いつか語っていた。しかし、Barryが亡くなってからは、日曜日の朝には、あのシナモンロールの店まででかけるようにしていた。彼の体調が許すまでは。


「私」は目を閉じ机に突っ伏し、RickやBarryに思いを馳せた。しかし、しばらくして、目を開けて、彼が自分のために用意してくれたものを食べた。

ーーー

「ああ、これは、HIVの治療が今ほど進んでいなかった時代のゲイの物語なんだ」と僕はすぐにわかった(買うときもそれと知って買ったのだろうけど、すっかり忘れていた)。

実際に、このストーリーを読み終わって、著者のプロフィールと紹介文を見ると、ホームケアワーカーとしてAIDS患者の支援をしていたと書かれてあった。出版は、1994年。HIVの治療の方法が革新的に発展する直前だ。


僕は、1990年からHIVの活動にかかわっているので、その頃までのこの病気の状況を良く知っている。そして、実際に闘っていた人たちのことを思い出した。Rickと何人かの人が重なった。

そして、HIVだけでなく、他の病気と闘いながらも亡くなっていった僕の大切な人たちのことも思い出した。僕はその人たちから、何かを託されたり、引き継いだりしている…そのことを思い出して、少し自分を奮い立たせることができた。完全に、というわけにはいかないけど。

まだまだ僕にはできること、やらなければらならいことがあるはず…
[PR]

by hideki_sunagawa | 2012-04-13 01:25 | Diary
2012年 04月 07日

東京滞在記5(完)

東京に住んでいる間は、沖縄に長期滞在すると、東京に住んでいるのが幻のよう…といつも感じていたが、沖縄に住むようになると、全く逆の感覚になる。

幼い頃に4年間ほど尼崎市に住んでいたので、沖縄を一旦離れる前の沖縄居住歴は16年間。山梨の大学に入ったことで、3年間山梨県都留市に住むことになり、大学4年生の頃に東京へ引っ越し。そして、東京に21年間住んだ。そう考えると、長さで言えば、東京に住んでいた期間が一番長いことになる。

もちろん、幼い頃の方が周りからの影響を受けやすいので、単純に年数では比較できないけれど、ゲイとして自己受容をし、関係性を築いたのは沖縄を離れてからなので、東京の影響も大きい。

そういう自分は、山梨や東京にいる間、まわりの景観だけでなく、コミュニケーションの取り方や関係性の築き方もだいぶ違うなぁ、と感じていた。でも、沖縄の中にいても、自分が内面化した異なるあり方を強く感じる(両親が宮古島出身ということも関係しているだろう)。

どこにいても、異なりを感じる、その感覚は、文化人類学という学問分野に身を置いて以降、一層意識するようになった。それは、往々にして、寂しさや痛みのようなものを感じさせるが、観察したり、思考を深める上では重要なものとなっている。


東京にいる間も、改めて、人々の表情、振る舞い、コミュニケーションの取り方が、自分が馴染み戻りつつある那覇のそれとは違うなぁ、と感じた。もちろん、すぐに東京の雰囲気にも馴染むのだけれど。

引っ越してから、東京に滞在するのは三度目だった。最初は、移行期間みたいなもので、「のりしろ」だな、と思っていたけれど、それともまた違うのかもしれない。二つの位置を行き来する往復運動のような感じ…うまい喩えは見つからないけど。

いずれにせよ、この二つの故郷を持つことができたことは、僕にとって豊かな思考的な実りをもたらすものであることは言うまでもない。最近は、どん欲さを増して、海外にも出たいなと思ったりする(あまりにも色々な障壁があって、難しいけれど)。

って、あまり東京滞在記的な文章ではなかったけれど、なんとなくまとめとして。
[PR]

by hideki_sunagawa | 2012-04-07 12:43 | Diary
2012年 04月 06日

東京滞在記4

帰る前日、東京プライド主催の「ウェルカムデー」という、パレードに向けての説明会&ワークショップがあったので、最初の30分だけ参加した。

僕の後に代表になった門戸大輔(もんこだいすけ)さんから、「挨拶しますか?」と言われたけれど、僕がしゃしゃり出る場でもないな、と思って断った。

参加者は20名くらい。門戸さんが、最初の挨拶で、「震災後、パレードをやる意味について悩みましたが、僕たちに出来ることが二つあると考えました。一つは、人と人をつなぐこと、もう一つは、未来を見せること」と語ったとき、僕は涙しそうになった。


僕が任期を終える頃から、東京プライドは混乱した。僕のやってきたこと、やり方に反発した人たちが、僕の後の東京プライドを自分たちのものにしようと、あれこれ動いたからだ(「自分のものたちに」というのは、もちろん、僕の立場からはそのようなモティベーションで動いているとしか見えなかったということ)。結果、その人たちが推した代表候補者が総会での選挙に負け、その人たちが東京プライドを出て新しい団体をつくることになった。

正直言って、この過程自体は様々な団体の中で(企業の中でも)よくあること。しかし、LGBTのコミュニティは、こういうことを面白おかしく語ったり、過剰にネガティブに見たりするきらいがある。二つの団体ができたという、それだけのことなのに、パレードそのもの、活動そのものを避けるようになる。


そして、新しい団体をつくった人たちは、東京プライドについてネガティブキャンペーン的な噂を流してダメージをあたえた。「LGBTコミュニティー」(?)は、そういうネガティブキャンペーンが好きらしい。これまで東京プライドが築いてきたことを全く見ずに、すぐにそういう言葉に飛びつく。そんな中、門戸さんはがんばってここまでやってきたのだ。

ちなみに、東京プライドを出て新しい団体をつくった人たちは、パレード開催(今月末頃にあるらしい)の前に辞めてしまい、今は、その後を継いだ人がやっているという。しかし、そうやって騒いで出て行って、しかし結局最後までやり切らずに辞めるような人たちの言葉を信じて、それまで活動を積み重ねて来た東京プライドを応援しなくなる人たちも少なくなかった。そういう中、東京プライドを継続させながらがんばり続けるのは実に大変なことだ。

その中で、文字通り身を削って奮闘している彼が語る言葉だからこそ、胸に響く。

正直、そういう背景を経て開催する今年のパレード(8月11日開催予定)は、まだいくつもの困難を乗り越えなくてはならない。でも、彼ならやってくれるだろうと信じてる。しかし、もしも開催を前に、断念することがあったとしても、僕はここまでがんばってきた彼に拍手を送りたい。


今は、彼が彼自身の言葉で、東京プライドパレードに向けて旗を振り呼び掛けている。僕は、自分が東京でがんばったものが一つ継がれたのを見て、ほっとした。


a0137527_22162655.jpg

[PR]

by hideki_sunagawa | 2012-04-06 21:40 | Diary
2012年 04月 05日

東京滞在記3

a0137527_1319029.jpg


憧れの田辺繁治先生との握手に力づけられた翌日、東大で非常勤で教えているときの「教え子」でもあるゲイの学生とお茶を。

彼は大学院への進学が決まっているので、その研究テーマについての話など。また、彼が米国に留学しているときの体験を聞くのも面白かった。

一応、立場的には「(元)教え子」なのだが、僕自身、彼から学ぶことも多い。

進む分野が僕とはだいぶ違うし、同じく自身を「ゲイ」と意識する者とはいえ、きっと立ち位置はかなり異なるだろう。

でも、理論先行型ではないところに強い共感を覚え、関心を持った。今後に期待。

僕は、なにかにつけ勉強&研究不足なので、若く有望な研究者と話しをすると恥ずかしくなるのだが、大きな刺激も受ける。おかげで、少しずつでも勉強も研究も続けよう、と思った。

別れ際に握手。前日には、文化人類学者として大先輩となる田辺先生と握手し、翌日には、若いゲイの研究者(の卵)と握手。僕は、学問の分野では、まだまだ十分に何もできていないけれど、ちょっとは何かを継ぐ者として存在しているのかな、と感じた。

そんな風に、沖縄に引っ越して以降の東京滞在は、自分を振り返り、確認する旅になるなぁ…と思いつつ過ごす東京滞在となった。(たぶん、まだ続く…苦笑)
[PR]

by hideki_sunagawa | 2012-04-05 13:19 | Diary
2012年 04月 04日

東京滞在記2

3月30日に、今回の投稿滞在の主要な目的である指導教官の退職記念セミナー&パーティーに出席(セミナーの方は、パートナーも一緒に)。

セミナーのタイトルは「人類学を学ぶ」。

a0137527_2021228.jpg


船曳先生がアカデミックなキャリアを積む中で交流のあった人たち(フランスの神話学者であるジョルジュ・デュメジルや、哲学者ミッシェル・フーコーも含まれる)の話や、若き頃のフィールドワークの話をされた。

そしてその後、現在執筆されている、制度を巡る人類学的な考察の論文の一部を発表され、ゲストのコメントと質問に応答するという形だった。


制度を巡る論文は、三者関係というものを一つの軸としていて、これは僕の博論とテーマが重なっているのだが、抽象化し、論理として突き詰めるレベルが、僕とは比べようもないくらい高く(当然なのだけれど)、大きな知的刺激を受けた。

この論文は、だいぶ「理論的」な印象を受けるが、船曳先生は、基本的に「理論には興味ない(論理には興味があるが)」とおっしゃっていて、フィールドワークによるfactsは強いし、いつまでも残ると強調されていたことが印象に残った(もちろん、記述の質によるわけだが)。僕は、その学問的志向を先生と共有してきたなぁ…と実感。


また、セミナーやパーティーで、大学院時代をともに過ごした「学友」や先生方と会えて、一気に院時代に戻ったような感覚に包まれたことが、とても印象に残った。今、沖縄に住んでいるのが幻のようにも感じる、不思議な時間の流れ…。

文化人類学界のビッグネームな方々もたくさんいらしていて、緊張した。特に、僕が以前より尊敬し、その書かれたものに影響を受けてきた(しかし、お会いしたことがなかった)田辺繁治先生にご挨拶する時は、超緊張。でも、握手していただけたことは、大きな励みとなった。


このセミナー&パーティーへの出席と、その翌日会った若いゲイの研究者(の卵)との歓談は、最近すっかり失いかけていた研究へのモティベーションを高めてくれた。その話は、また次回に(というわけで、続く)。
[PR]

by hideki_sunagawa | 2012-04-04 20:21 | Diary
2012年 04月 03日

東京滞在記1

3月29日〜4月2日まで、東京に滞在していました。3月30日に、大学院時代の指導教官、船曳建夫先生の退官記念セミナー&パーティーがあったので、参加せねば、ということで上京。せっかく上京するなら…ということで、相方や友人たちと会ってきました。


a0137527_20543677.jpg東京に住んでいる間、頻繁に行っていた新宿御苑へ。

例年ならソメイヨシノが満開の時期。

なので、上京スケジュールが決まったときは、「花見ができるかな?」と思っていたけれど…残念ながら、今年は花の季節がだいぶ遅い感じ。

新宿御苑では、早咲きの桜がようやく咲いているという程度。いつもなら2月がピークの梅がまだ残っていてびっくり、でした。とりあえず、東海桜とパチリ。


a0137527_21194293.jpgセミナーとパーティーが開かれる東大の駒場キャンパスへ。

ここには、結構古い建物が残っていて(本郷キャンパスほどではないけれど)、久しぶりに訪れると、この雰囲気いいなぁ…と思う。

よく考えたら、大学院にいる間と、博論終了後の二年間非常勤講師として勤めたので、実は、かなり長い期間お世話になったキャンパスだ。

でも、学部は違う大学(都留文科大)だったので、ずっと東大に対して帰属感覚がなかった。けれど、遠く離れると懐かしく感じるせいか、自分の一部になっていることを感じる。

船曳先生の退官記念セミナー&パーティーに出席して、一層そのことを強く感じた。その辺りの話は、次回に。


駒場キャンパスは意外と緑も多く、人が少ないときに歩くとほっとします。大きな山椿の木が花をつけていました(いまいち大きさが分かりにくい画像だけれど…苦笑)。

a0137527_21313143.jpg

[PR]

by hideki_sunagawa | 2012-04-03 21:33 | Diary