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2011年 12月 06日

青空

先月から今月にかけて、雨が多い。昨日、一昨日は、久しぶりに気持ちのいい青空が広がった(昨日からまた雨が降っているけれど…)。

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夏とはまた違う空模様に、しばし心を奪われる。

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沖縄での生活にまだまだ不安がいっぱいで、でも、東京に帰りたいわけでもなく、どこかへ外国へ行ってしまいたい(できるならば)と思ったりもするけれど、こういう空を見てほっとできるうちは、なんとかなるような気もする。

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by hideki_sunagawa | 2011-12-06 06:08 | Diary
2011年 12月 05日

LGBTニュース紹介12/05

▼ロシアの反ホモフォビア法案へ反対する動画

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サンクトペテルブルクで、同性愛やトランスジェンダーなどの情報を未成年者に伝わる形で提示することを「プロバガンダ」と位置づけ、違法とし、罰金を科す法律が通りそうになっているが、この法律に反対する動画が作成された。

ロシアは、1993年に同性愛を非犯罪化(合法化)したが、近年また社会的差別が強まっており、欧米諸国から批判が高まっている。

Stop the Homophobic Bill Together!(英語字幕付き)


▼ナイジェリアで反同性愛法案が上院を通過

29日、ナイジェリアの上院で、同性愛を禁じる法案を可決された。この法案は、同性愛者を14年の禁錮刑に処すことができる。また、同性愛をサポートした者に対しても、10年の禁錮刑が科せられる可能性がある。下院での採決、ジョナサン大統領の署名をもって成立する。

この問題に関して、キャメロン英首相が、「英国の援助は、性的指向を理由に国民が訴追されるかどうかを鑑みて条件を厳しくすべきだ」との談話を発表したため、アフリカ各国の指導者は、植民地政策的だとして強く反発している。

アフリカで同性愛に対し厳しい国が多いことの大きな理由の一つとして、英国の植民地時代に持ち込まれた法律の影響がある。アフリカの問題にかかわるNGO関係者からは、まずこのことを英国は謝罪すべきではないかという意見も聞かれる。

この法律が最終的に成立しないように、署名が呼び掛けられている。

ALL OUTの署名サイト


▼マニラでプライドマーチ

12月3日(土)、1000人以上のLGBTが参加して、フィリピンのマニラでプライドマーチが開催された。現在、フィリピンのゲイ団体では、反差別法を通すべく議会に働きかけているという。このパレードでも反差別や、HIV対策費の増加などが呼び掛けられたようだ。

実は、アジアで最初にパレードが開催されたのはマニラで、1994年の6月。日本より2ヶ月早い開催だった。その最初のパレードの映像もYouTube上にアップされている(画質はかなり悪いが…)。 → First Gay Pride Parade in Asia

→ 今年のパレードについて伝える記事


▼欧州議会、クロアチアに同性愛者の権利保護を再通告

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欧州議会は、クロアチアに対し、2013年のEU加盟の前に、同性愛者の市民をホモフォビアやホモフォビックな暴力から守るための義務があることを、再通告する決議をおこなった。

昨年、欧州議会は、クロアチア、マケドニア、トルコに対して、EUに加盟するためには、実際に同性愛者らの権利を守るための保護措置をおこなうようにと通達していた。

しかし、今年の夏、クロアチアでおこなわれたプライドパレードは、反対派の投石などの暴力により中断させられており、警察の警備が不十分だったと批判されている。

→ Pink Newsの記事
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by hideki_sunagawa | 2011-12-05 06:18 | LGBT/gender
2011年 12月 04日

つながるカミングアウト

昨日、沖縄を訪れているFtM(Female to Male:もともと体は女性だが、男性の性自認を持っている人)のお子さんを持つご両親二組と食事をする機会があった。

一組の方々には、東京で大変お世話になり、大変なときに支えていただいた。もう一組のご両親には今回初めてお会いした。このお二組の結びつきの経緯をうかがって、カミングアウトをめぐって、いろいろ考えるところがあった。


二組の関係は、今回僕が初めてお会いしたお母さん(Aさん)が、自分のお子さんがFtMであるということをある会で話をし、その会に属していたもう一方のお母さん(Bさん)が、それからしばらくして、自分のお子さんからやはりFtMであるということを聞くことになり…という興味深い偶然のつながりから始まったという。

そして、BさんはAさんに相談するようになり、その中でずいぶんと支えられたと。

もしも、Aさんがその会で自分の子の話をしなければ、Bさんはすぐには相談相手を見つけられなかったかもしれない。さらに元をたどれば、Aさんのお子さんがご両親に話をしなければ、そういうつながりもうまれなかった(性同一性障がいの場合、言わずにい続けることは難しいが…)。


それは、ゲイやレズビアンでも同じことが起こりえるだろう。よく、「カミングアウトは、自己満足」という言い方がある。そういう面は確かにある(しかし、自己が満足することはいけないことだろうか?また、多くのことはつきつめれば自己満足ではないのか?)。

また、それぞれ自分が置かれている状況を冷静に判断しつつカミングアウトしなければ困難な状況に追いやられることもある以上、するかどうかはそれぞれにしか決められない。しかし一つ言えることは、カミングアウトが、つながっていって、誰かの支えになるかもしれないということ。もちろん、そのためには、カミングアウトを受けた側も話せるような環境が必要だ。

僕がわざわざ公にゲイであることをオープンにするのは、そういう環境をつくれる一助になればと思ってのことだ。結果どうなるかはわからないけど、沖縄で、これから自分自身のあり方に気づく若いLGBTが「そういえば、自分のことを公にして堂々と生きててる人がいたなぁ」と思って、少しはほっとするような、そんな風になるといいのだけれど。
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by hideki_sunagawa | 2011-12-04 06:14 | LGBT/gender
2011年 12月 03日

知られざる歴史〜沖縄戦の「朝鮮人軍夫」〜

先日、NHK沖縄放送局の夕方のニュース番組で、読谷にある「特攻艇秘匿壕群」という戦跡を紹介していた。特攻艇というのは、言うなれば特攻隊の船版で、爆弾を積んで敵の大きな戦艦にぶつかっていくというもの。実際には、ほとんど「成果」はなかったらしい。

その秘匿壕を堀ったのが、「朝鮮人軍夫」だったという。沖縄でも知っている人は少ないが(僕も、恥ずかしながら、このことを知るようになったのは実は比較的最近のこと)、沖縄へも万単位の人数の「朝鮮人軍夫」が連れて来られたと言われている。もちろん、それに加え、「日本軍慰安婦」にされた女性たちも(宮古島では地元の人が中心となって、「慰安婦」の人のための碑ができている)。


この番組では、この秘匿壕で強制労働させられていた「軍夫」たちについて、その20人くらいが滞在していたという民家の息子が証言していた。現在75歳になる彼は、「軍夫」たちの苦しみに思いを馳せ、彼らの苦しみを伝えたいと口を開いてくれたようだ。

彼は、その作業場である壕から彼の家は20-30メートル離れたところにあるが、兵士に激しく暴力を受け泣き叫ぶ声が聞こえてきたと語っていた。そして、「人間という扱いじゃなかった」と。


そのような扱いを受けていた「軍夫」の一人が、ある時、近くにあった木をつかって、彼の母親に印鑑を掘ってくれたという。彼の母親が、印鑑を持っていなかったのを知って。その印鑑を、彼は母親から譲り受け今も大切にしまっている。そして、「きっと、母に、自分の故郷にいる家族を重ね合わせていたのでしょうね」と語った。

この取材映像の後のアナウンサーの「印鑑を堀ったのは、自分が存在の証を残したいという思いもあったのかもしれませんね…」というコメントが印象に残った。


読谷村だけで、数百人の「朝鮮人軍夫」が連れて来られたが、その多くは戦闘に巻き込まれ亡くなったという。また、慶良間諸島の一つ、阿嘉島では、空腹のあまり畑から稲や芋を盗んだ「朝鮮人軍夫」が処刑されるということも起こっている

実は、このような沖縄戦の「朝鮮人軍夫」に関して、NHKのアーカイブにアップされていて、誰でも観られるようになっている(このアーカイブはすごいと思う)。もっと、平和教育の中で、このような事実を伝えて行きたいものだ。

そして、その後、沖縄でそのことを語らずに生活していた元「朝鮮人軍夫」もいるであろう(いたであろう)ことも考えたい。

[証言記録 市民たちの戦争]“朝鮮人軍夫”の沖縄戦
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by hideki_sunagawa | 2011-12-03 06:14 | Okinawa
2011年 12月 02日

HIV教育

昨日のNHK沖縄の夕方のニュースで、那覇高校(僕の母校!)で、HIVに関する講演会がおこなわれたと紹介されていた。

ほんの一部しか流れていなかったが、放送されたシーンは、性的ネットワークの図を示して、この中の一人でも感染していれば、みな感染する可能性がある、とか、不特定多数の人と性行為をしている友人がいたら、助言してあげてください、という話だった。

そして、講師は、「男性は自分の欲望を優先しないで、相手の女性を思いやってください。女性のことを考えるのが男女交際の原則です」と語っていた。


「誰にでも感染の可能性はある」ということを伝えたかったのだろう。しかし、90年代にそのようなメッセージばかりが流される中で、どんどん男性同性間での感染拡大が進んだことを考えると、今、このように異性愛的関係を強調する説明は、あまりいい方法に思えない。

放送の映像の中には入らなかった部分で、男性同性間での性行為についても触れられていたと信じたい。現在、日本のHIV感染の6割以上は男性同性間で起きているのだから。


しかし、男性同性間について触れられていたとしても、また、誰にでも感染の可能性があることを強調することを目的にしても、「交際の原則」についての説明は、男女の性別役割で語るのではなく、「お互い相手をいたわる、思いやる」という言い方の方がいいではないだろうか。

確かに既存の支配的な枠組みに乗った方が、メッセージは届きやすい。しかし、ジェンダーの役割イメージを強化する効率の良さを選んでしまうと、男女関係における根本的な問題を置き去りにしてしまう。それは、女性が主体的に行動を選択できないがゆえに、自分が予防したいと思ったときに、それを言えない、男性任せになるという問題である。

おそらく、先の「交際の原則」も、男女関係には力関係が生じることが多いことを意識してのことなrのだろう。ならば、その力関係を使って、男性にベターなリーダーシップを求めるより、その力関係を問題にし、お互いコミュニケーションをとり、女性自身も意思を表明できるお互いが満足する性行為を、と言うべきではなかったか。


また、今なお「不特定多数」を強調していることにも、疑問を感じずにはいられない。世界的にみれば、女性の多くは「特定」の相手から感染しているし、日本でも(異性間、同性間にともに)「特定」の相手から感染する人は少なくない。

「不特定多数」を強調することは、誰でも感染しうる、と言いながら、結局は、「遊んでいる」人が感染するものというイメージを広めているような気がしてならない。
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by hideki_sunagawa | 2011-12-02 05:49 | HIV/AIDS
2011年 12月 01日

HIV啓発活動の歴史(のほんの一部)

▼「ハートをつなごう HIV特集」

今日は世界エイズデー。この日に向けて、昨日までの三日間、NHK教育テレビ「ハートをつなごう HIV特集」が放送されていた。最後の二日間は、男性同性間のHIV感染の問題、新宿二丁目での啓発活動について取り上げていた(昨年撮影された映像も使われいたので、僕も密かにミーティングシーンに、チラっと映り込んでいた…笑)。

このような番組が作られていることは、本当にすごいと思う。「ハートをつなごう」が「ゲイ/レズビアン特集」を組んで以来、当たり前のように感じる人が増えているが、今も、こういう番組をつくるのはとても大変なことだ。実現した人たちには、心から敬意を表したいし、感謝する気持ちを伝えたい。

この番組は、「一般」向けに発信されたものとしては、分かりやすく、HIVや新宿二丁目の様子がゲイの視点から描かれてもいて、実に画期的な内容だ。でも、東京の(というより日本の)HIV活動黎明期から今までの様子を内部から見て来たものとして、足しておきたいなぁ、と思うことも色々あった。


▼資金の問題

とりあえず、その中から一つ。現在の新宿二丁目での活動が実現した背景について。

この番組は分析することが目的ではないし、見ている人に共感を呼ぶことが大事なのだから、「活動内容」という見えやすいところにフォーカスするのは当然だ。けれど、この活動が実現されるまでの背景とそこに至る流れは、重要なので書き記しておきたいと思う。

それは、ゲイ向けの啓発活動が大きく変化するきっかけとなった公的資金の投入、そして、それが実現した流れだ。コンドーム配布やコミュニティセンターは、ボランティアの動機や志だけで成り立っているわけではない。いや、過去においてもそのような試みはかなりされてきたわけで、それが持続しなかったり、規模が小さかったのは、(比較的)安定した資金があったかどうかの差につきると思う。

安定した資金による活動の下支えが実現したのは、厚生省(現:厚生労働省)から、当初は、研究費という形で、後には事業費という形で(財団を通して流れるものも含めて)資金が提供されたことによる。「ゲイコミュニティ」へにおけるHIV啓発活動の分岐点は明らかにこの時点にある。


▼それは国際エイズ会議から

その流れを生んだきっかけは、1994年に横浜で開催された国際エイズ会議だ。このとき、「ぷれいす東京」の代表の池上千寿子さんが、世界のHIVのNGO/CBO(community based oragnization)の統括役となった。

国際エイズ会議では、NGO/CBOの影響力が大きい。厚生省と池上さんが統括するNGO/CBOコミュニティが恊働する中で、当時の厚生省の担当官はNGO/CBOと恊働することの大事さを知り、また池上さんも厚生省と信頼関係を築くことができたのだと思う。

その後、厚生省科研費のHIV研究班に、ぷれいす東京が研究の一部に加わる形で参加。それに少し遅れて、ぷれいす東京のゲイグループ「Gay Friends for AIDS」が、ゲイグループとして初めて、男性同性間のHIV研究班に、研究協力者として参加した。

それは、男性同性間の啓発活動や研究を牽引することになる市川誠一さんらが中心となっていた疫学研究グループがゲイサウナでおこなっていた調査方法をめぐっての意見交換や、その調査がおこなわれているゲイサウナへの啓発介入への参加という形だった。


▼批判の矢面に…

その調査方法に関してはゲイグループからの反発が強かった。そのため、当時「Gay Friends for AIDS」の代表だった僕は、その調査とセットとなっていた啓発介入に参加するかどうかという決断をめぐって、悩み、苦しんだ。苦しみの末に決断し参加したが、結局、ゲイのHIV関係団体で、その研究班に参加したのは僕たちのグループだけだった。それどころか、参加した後、他のグループからの激しい批判の矢面に立つことになり、眠れない夜が続き、泣いた夜もあった。

しかしその後、次第にHIV研究班にゲイのグループが参加することが当然のこととなり、市川さんが分担研究者から、主任研究者として啓発活動を含んだ研究班を持つようになり…。そんな風に、次第に大きな(とは言っても、状況を考えると不十分だと思うが)資金が「ゲイコミュニティ」に流れるようになった。

当然、その流れは自然にできたものではなく、市川さんや、ぷれいすの生島さんや池上さん、JaNP+の長谷川さんらが厚労省にその必要性を認めさせる努力をし、また、厚労省の中でもその実現へ向けて動く人たちがいたことによってできたものであることはいくら強調してもし過ぎることはないだろう。


▼歴史を書き記すこと

こういう変化が、活動の質と規模に大きな影響を与えていっことを書き記しておかなければ、今度、何かを実現していくための参考にはならないだろうと思う。

もちろん、はっきり言って、「あのときの僕の死にそうだった苦しい経験を忘れないでちょだーい!」と言いたい思いもある。あのとき、一つ間違っていれば、僕はその苦しみの中、精神的に病んだかもしれない。でも、そんな苦労も、誰も覚えちゃいないもんだねー(苦笑)

もちろん、エイズ会議の約10年前から、南定四郎さんがいち早く、自身が編集する雑誌『アドン』を通じてHIVの情報を流し、エイズアクションという団体を率いて活動していたし、電話相談もおこなっていた。『アドン』の影響力は本当に大きかったと思う。

また、アカー(動くゲイとレズビアンの会)は、ゲイとエイズが結びつけられることに強く抗議をしていた。それをどう評価するかは色々な意見があるが、ゲイがHIV問題に取り組んできた歴史として重要なことは確かだろう。

もはや、ゲイのエイズ問題への取り組みは、一つの歴史となっている。やはりこのことをちゃんと書き記さねば…と改めて思う。それは別に自分の苦労を覚えておいて欲しいからではなく(いや、もしかしたら、少しはそんな思いもあるかもしれない)、そうやって具体的にしっかりと書き記しておかなければ、ゲイの重要な歴史自体なかったことになってしまうし、他の分野に役立つこともないだろうからだ。

ということを前々から言いつつ、全然実現できそうな目処はたっていないけれど…。
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by hideki_sunagawa | 2011-12-01 06:34 | HIV/AIDS