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2011年 12月 28日

一年を振り返りつつ

今日は誕生日。年の瀬なので、この日に、この年/歳を振り返ることが多い。一年前の日記を読むと、春に沖縄へ引っ越すことを念頭に次のように書いてあった。

「44歳は、大きな変わり目の年になる。ローカルなもの、リージョナルなもの、グローバルなものを意識しつつ、活動していきたいなぁ、と思っている。不安も大きいけれど、楽しみでもある。」

いつも「一年後はどうなっているだろうか」という思いがある。そういう意味では、本当は不安の方が大きい。でも、「何がどうなるか、わからない」は、「とても素敵な日々を送っているかもしれない」ということでもある。

誰と出会って、どういう関係を築いているのか、どういう生活をしているのか、どういう役割を社会の中で果たしているのか…、これからも、それを敢えて「楽しみ」と意識していきたい。

活動は、ようやくローカルなところに根付きつつ始まったところ。少しずつ無理せず広げていければいいなぁ、と思っている。


東京で3月11日の経験をした後に沖縄へ引っ越し…という経験には、今も言葉にできない複雑な気持ちを抱えている。でも、奇妙な表現だけれど、あの時、東京にいたことは良かったと思っている(もちろん、あの震災はなかったほうが良かったわけだけれど)。その後の東京には、まるで大きな裂け目が入ったような印象を受けた。物理的な意味じゃなく。そしてどんよりしていた。今は、もう「戻った」ように見えるけれど、それはシートのようなもので覆われているだけだ。

その後の、原発をめぐる問題を代表的なものとして、日本の様々な領域の制度がどうしようもないほどに腐敗し崩壊していたのだ、ということを目の当たりにし、そして今、社会の進んでいる方向を考えるととても憂鬱になる。

僕自身の生活は、「裕福」と言えるものではないし、いつ喰えなくなるわ分からないような生活だけれど、たくさんの人の支え(=愛)を受けて幸せだ。しかし、だからこそ、社会がどんどん弱い立場にいる人を切り捨て、その中で文字通り命を失っていく人たちがいることに胸が痛む。

社会のこの流れを変えるのは非常に困難に見える。でも、やはり少しずつ、自分のできることをやっていくしかない。最近出会ってこのブログでも触れた、「木ぃんかいささがす゜ばーんかい、かたてぃしささがりよ」(木にぶら下がる時は、片手でぶら下がりなさい)という言葉を胸にしつつ。


…と、一年を振り返ってしまったので(笑)、次回は年明けにでも。ということで、皆さん、良いお年を!
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by hideki_sunagawa | 2011-12-28 16:20 | Diary
2011年 12月 27日

復活(?)

予告した通り、今日から復活(遅くなったけれど)。でも、これからどれくらいの頻度で書くかは未定です…。

で、肝心な原稿…。一応出すには出したけれど、「終わりました!」と自信を持って宣言できるほどの仕上がりじゃなく、年明けからまたしばらくとりかかることになりそう…。

途中で、あまりの大変さに、「うー、もうやめるー」とか「無理だー」とか思ったりもしたけれど、こうして文章を書く時間があるのは、とても贅沢なことだよな…と思ったら、この大変さを満喫しながら、できる限りやろう、と思えるようになって、なんとか乗り切りました。

とかなんとか言っているうちに、今年ももうすぐ終わり…。明日あたり、今年一年を振り返った日記を書こうかな。
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by hideki_sunagawa | 2011-12-27 21:04 | Diary
2011年 12月 14日

しばしお休み

10週間連続で(つまり70日連続<僕にしてはすごい!w)書いてきたブログですが、これから2週間ほど休みます。

実は、26日締め切りの大きな仕事(?)があるのです…。もう2週間を切ってしまったので、ちょっと気合い入れねば、ということで。

この執筆をどれだけのレベルで仕上げられるかは、僕にとって一つの大きな分かれ目のような気がする。がんばらねば。

力つきていなければ、27日に再開する予定です。「無事に終わりました!」と報告できますように。年末年始、お忙しくなる方もたくさんいらっしゃると思いますが、くれぐれもお体にお気をつけて〜。
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by hideki_sunagawa | 2011-12-14 06:17 | Diary
2011年 12月 13日

こだまでしょうか、いいえ、誰でも。

昨日、あるゼミに招かれて、セクシュアルマイノリティに関連して話をしてきた。講演とか講義というより、「お話してきた」という感じ。とてもいい雰囲気のゼミだった。皆、真摯で真面目で温かくて。

今回招いてくださった、このゼミの先生に初めてお会いしたとき(先月の上映会&トークに来てくれた)、「わ、なんて柔らかい、包み込むような雰囲気の人なんだろう?」と思って驚いたのだが、今回、ゼミ生たちに会って、まさにこの先生のゼミだなぁ…と感じた。

こういう場に来ると、話す方も熱が入るし、安心して自分自身の経験を語れるので、より深い思いを伝えられるような気がする。


終わってから、ふと、大震災の後に、テレビでひっきりなしに流れていた公共広告で使われていた、金子みすずの詩を思い出した。

「『遊ぼう』っていうと『遊ぼう』っていう。『馬鹿』っていうと『馬鹿』っていう。……『ごめんね』っていうと『ごめんね』っていう。こだまでしょうか、いいえ、誰でも。」

毎日毎日、うんざりするほど繰り返されていた当時のCMは、あの頃の大震災の映像や、東京のどんよりした雰囲気を思い出すので、好きではないのだが、ここで言われていることは、わかる気がする。

ある態度が、それに触れた人に影響して、またそれが自分に返って来たり、あるいは他に伝播したりということはあるよなぁ…と。


全ての問題に対して「人間関係における問題の解決は、自分が変わること」というアドバイスをするのは違うと、僕は思っているのだが、コミュニケーションの一つの心得として、「自分の態度が相手の態度に影響する(ことが多い)」ということは、頭においておくのは悪くないだろう。

もちろん、そう分かりつつも、摩擦や衝突の経験や「馬が合わない」的な感覚から、柔らかい態度で接するのは無理!って思うことも少なからずあるけれど…。


もともと、カッとなりやすいタイプだけれど、こうして色んな出会いの中から学び、自分を成長させていけるといいなぁ、と思った。人は常に成長できるものだから。
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by hideki_sunagawa | 2011-12-13 06:10 | Diary
2011年 12月 12日

LGBTニュース紹介12/12

▼米国オバマ政権がLGBTの人権をグローバルに推進することを宣言

LGBTの人権を前進させるために国際的に取り組んで行くことを明言したオバマ大統領のメモランダムが発表された。

メモランダムでは、世界各地でのLGBTに対する暴力や差別に対する懸念が表明され、LGBTへの差別を終わらせることは、国際的な挑戦であり、米国にとって人権を推進していく上で、中心的な課題としている。

そして、おこなっていくこととして、海外でのLGBTの犯罪化と闘うこと、LGBTの避難者を守ること、人権を守り、差別を無くすために他の国々を支援すること、LGBTの人たちの人権侵害に対して迅速に対応すること、LGBT差別と闘う国際的な組織と連携すること、今後、進展をレポートすることを挙げている。

オバマ大統領のメモランダム


▼クリントン国務長官、国連でLGBTの人権を訴える

オバマ政権の宣言に引き続く形で、米国のクリントン国務長官が、国連人権理事会で、世界各国に向けてLGBTの人権保護の推進を訴える演説をおこない、「同性愛者の権利は人権であり、人権は同性愛者の権利だ」と述べた。

クリントン長官はまた、300万ドルの基金を創設し、同性愛者の人権保護活動を行っている市民団体や非政府組織の支援に充てると発表し、各国からの寄付も呼びかけた。

また、この歴史的な演説のために、世界各地からLGBTの活動家が集まり、その内容を高く評価している。

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これは、12月10日の人権デーに向けての動きだが、他にも、国連で「性的指向や性自認に関する暴力や差別に集結を」と呼び掛けられたシンポジウムが開催され、世界各地の活動家も参加して、LGBTの人権保護の国際的な実現を求めた。

国連のシンポジウムの映像

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この一連のニュースから、LGBTを取り巻く環境がグローバルに大きく動くことが予感を感じた。オバマ大統領の選挙戦略という説もある(それが選挙に有利に動くと考えられる状況がすごいのだが…)、また、諸外国への覇権を強める手段として考えている可能性もある。

後者に関しては注意が必要ではあるが、その可能性も見つつ、しかし、LGBT関係の活動をしているものとしては、この動きは高く評価したい。そして、この流れの中で、日本のLGBT活動をしている者たちも、グローバルな視点を持ちながら行動していくことが求められるだろう。
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by hideki_sunagawa | 2011-12-12 06:00 | LGBT/gender
2011年 12月 11日

今週の写真

これから日曜日は、この1週間内にとった画像をアップしてみようかな…とふと思ったり。写真うまく撮れないけど。たくさん撮っているうちに少しは上手になるかも、とも思うので、積極的に撮るようになるためにもいいかも。ま、iPhoneで撮ることが多いし、大した写真はないと思うけど。

昨日、友人と食事をした後、サイオンスクエアをぶらついてたら、つがいらしきアヒル(?)が…。なんだかずっと寄り添っていてかわいらしかった。じっと様子を見ていると、色のついた方が、「もう行こう」と白い方に言っているようにも見えた。

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しばらくすると、白い方が腰をあげて、なんだか重そうなお尻を振りながら、やはり連れ添って去って行った。動物のコミュニケーションって不思議。

このアヒルに出会う直前には、その近くの川で、二匹の亀が至近距離で顔を向かい合わせて、その距離を保ちながら泳いでいる(というか、半ば流されている)のを見た。その二匹の間にも、なんらかのコミュニケーションのようなものが図られているようだった。同時に二匹とも水の中へ潜って行って、見ている間ずっと浮上して来ることはなかった。やはり、こちらもつがいだったのだろうか。

その後、友人とお茶。僕と相方へのプレゼントとして、クリスマスバージョンのベアーブリックをくれた。よく考えたら、これもペア(つがい?w)だ。

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昨日は、なぜか、そんな「対」に出会う不思議な一日だったなぁ…。
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by hideki_sunagawa | 2011-12-11 06:06 | Diary
2011年 12月 10日

ぜいたく

お気に入りの皿に乗せた天然酵母のフランスパン。ちょっと変わったものをペーストに…。このペーストがおいしいこと! まさに、美味。さて、このペーストは…?

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実は、友人からもらった「豆腐よう(豆腐餻)」。豆腐ようは、島豆腐を米麹、紅麹、泡盛によって発酵・熟成させたもの。店頭で売られていたり、居酒屋などで出て来る豆腐ようの多くは、四角い形を保ち、周りが鮮やかな朱色。少しクセがあるので、ほんのちょっとずつ、爪楊枝などで食べるのが通常だ。

でも、この豆腐ようは、形が完全に崩れていて、色は均一じゃなく薄い桜色〜紅色(後ろに写り込んでいる瓶に、その豆腐ようが入っている)。これまで食べて来た豆腐ようも基本的には好きだったのだが、この豆腐ようを食べて、全く別物と言っていい美味しさに驚いた。味噌とチーズを合せたような風味。まろやかさだが、やはり豆腐ようの独特な「くせ」も適度にある。

友人によると、自宅で個人でつくって売っている人から知人づてに購入したという。

こういう、大量生産じゃないもの、手塩にかけられたもの、長い時間によって磨かれたもの、一つ一つに思いがこもっているもの等を食べられることを贅沢って言うんだよなぁ…としみじみと思う。外で豪華なもの、おいしいものを食べるのもいいけれど、節約生活が基本の僕には、これくらいがちょうどいい。

アルコールと一緒もいいが、最近は、引っ越す前に、東京でお茶屋さんをやっている友人からいただいた烏龍茶と。これまた質のいいもので、甘みと優しい豊かな香りが印象的。

どちらも友人からの贈り物というのが、僕の人生そのものを表しているようだ(笑) そして、そのような友人の気持ちも含めて、幸せなこと。

最近、なんだかまた寂しさや不安が募ってローな感じだけど、こうした幸せな気持ちを時々味わいながら、日々を乗り越えて行こう。
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by hideki_sunagawa | 2011-12-10 06:23 | Diary
2011年 12月 09日

元真珠湾攻撃隊長の証し

昨日、12月8日は真珠湾攻撃の日だった。このとき攻撃隊長だった淵田美津雄氏が、その後、キリスト教徒となったことは、ほとんど知られてない。彼の著書から抜粋、編集された文章がネット上に掲載されている(「淵田美津雄(ふちだ・みつお) 元真珠湾攻撃隊長の証し」)。

初めて読んだとき、彼がこうして悔恨していたことを、もっと多くの人が知るべきではないかと思った。彼は冒頭にこう書いている。

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いま私の胸に去来することは、私は祖国日本を愛し、火のような敵愾心(てきがいしん)を抱いて戦ってきたが、それはいわれなき憎悪(ぞうお)ではなかったか。

祖国愛と見たなかに偏狭にして独善なものがなかったか。人類を、そして世界を理解することを忘れていたのではなかったのか。

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その後に出て来るエピソードなど、全体として、キリスト教徒としての信仰が前面に出ているので、違和感を感じる人もいるかもしれないけれど、真珠湾攻撃隊長が、このように考えるようになったことはもっと多くの人が知ってもいいのではないか、と思う。
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by hideki_sunagawa | 2011-12-09 06:10 | Diary
2011年 12月 08日

木にぶら下がる時は…

▼懐かしのみゃーくふつ

このブログでも何度も紹介している、みゃーくふつ(宮古島の言葉)で歌をつくり自ら歌っている下地勇さんが、みゃーくふつで語っている動画をYouTubeで発見(リンクは一番下に)。

僕も、昔は、宮古島出身の僕の両親や親戚がこのような言葉で会話をしているのを耳にしていたので、とても懐かしい(とはいえ、字幕がないと20%ほどしか理解できないけど…&母親に言わせれば、彼の出身集落の言葉と、僕の両親の出身集落の言葉はちょっと異なるらしい)。


▼「島くとぅば」を学校で教えることについて

この中で、彼は、「島くとぅば」(島の言葉)がなくなっていくことへの危機感についても語っているが、最近の「うちなーぐち復興運動」と少し違う見方を提示している。学校で教えることは大事だけれど、教育の中に組み込まれて行くと、結局は、覚えることに義務感とか負担感を背負わされるのではないか、それはどうなんだろう?と疑問を呈しているのだ。

そして、自分は「島くとぅば」を残そうとして歌っているわけではなく、その言葉でしか表現できない世界を歌っているのだ、とも言う。彼自身が、みゃーくふつという島くとぅばの世界で生きてきたからこそ、そして、それを今も生活の一部としているからこそ出て来る語りだと思った。


▼「木にぶら下がる時は…」ということわざ

全体としてとても興味深いが、特に、いったん収録が終わってから録画を再開したと思われる、6分頃からの黄金言葉(言い伝えられていることわざ)をめぐる話が心に残った。

そこで紹介されている言葉は、「木ぃんかいささがす゜ばーんかい、かたてぃしささがりよ」(木にぶら下がる時は、片手でぶら下がりなさい)というもの。

それは、こういう意味だそうだ。

両手を離すと地面に落ちて痛い思いをするわけだけれど、それは、自分が何かから逃げるか、何かを放棄するかして自ら痛みを被るということを表現したもの。かと言って、両手でぶら下がっていると、その場所から動くことが出来ないし、上へ上へと登って行くこともできない。また、誰かを助けようと思っても、手を差し伸べることもできない。一番いいのは、片手で自分の大切なものをしっかりと掴むといこと。それは、とても力が必要でしんどいけれど、そうすれば、離している手を人のために差し伸べることができる。

面白い表現! まさに、その地域で生きている言葉の世界という感じがする。そして、ここで言われていることは、僕がこれまで活動をやってきた中で痛感していることとも合致しているし、これからも活動を続けて行く上で、肝に銘じなければと思う人生訓だ。


▼動画案内

というわけで、この動画は、みゃーくふつの言葉の世界を垣間見せてくれていて、一見の価値あり。
ただし、外国語の字幕と同じで、分かりやすいように言葉が足されたり、逆に削られたりする部分がどうしてもあり、そのため、語られてる内容と字幕のタイミングも少しずれている部分があるので、そのことは念頭におきつつ、観ていただけたら。「木に…」の話は、六分頃〜。

(YouTube)Shimoji Isamu: MIyako Language

僕にとっては、なじみ深いから当然と言えば当然なのだが、僕は、「うちなーぐち」(本島の言葉)よりも、「みゃーくふつ」の方が好きだなぁ、と改めて思った。
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by hideki_sunagawa | 2011-12-08 10:55 | Okinawa
2011年 12月 07日

助けを求める大切さ

昨日、母親の胆のう摘出の手術があり、3時間以上病院で待つ事に。その間、姉と色々な世間話をしたのだが、その中で、様々な問題を抱えている人たちの話を聞いた。

そして、どれも問題が現在進行形ながら、家族内の問題、個人の問題として考えられているようで、他者の力を借りての解決の模索、あるいは、その大変な状況を生き抜くための下支えが得られてない状況が気になった。

家族内の問題として意識され、その中でなんとかしようと思っていることの多くは、同じような問題を抱えている人がたくさんいて、自助グループや支援グループがあったり、その問題に関する専門家がいたりする。

そのようなリソースにアクセスできるかどうか、あるいは、それ以前に、そういうものがあるということを知っているかどうか(あるかもしれないと思えるかどうか)によって、その問題の生き方が全然違って来るものだ。


例えば、子に、何らかの「障がい」と呼ばれるような特徴があった場合、その子の「問題」だからしょうがないと考えてしまうか、社会やコミュニティ、ネットワークが整えば、その特徴があっても安心して、安全に生活できたり、活き活きと生きられるようになるのであって、それができないのは、その周りの環境が不十分だからと考えるかによって、その子の生活の質や、人生は大きく異なるだろう。

それは、他の問題にも言えることだ。パートナーからの暴力を、個人関係と考えるのか、社会的な問題と考えるのか、依存症を解決するために本人の意志が全てと考えるのか、専門家や当事者グループのサポートを得るのか。

家族の一員がHIVに感染したことを知ることになったときに(本人の同意なく本人に知らせることはしてはいけないことだが、いまだに、家族に勝手に伝える医師もいなくはないとか)、「本人の責任」と考えて、家族が支援せずに離れたり、理解する努力をせずに一切関与しないという態度をとるのか、それとも、支援グループなどにアクセスするのか。


いずれも、後者の発想をしたからといって、「解決」できるとは限らない。しかし、後者の方が、少なくとも、その状況をなんとか悪化させずに、やり過ごして行けるようになったり、そうこうしているうちに少しずつ好転したりする事もある。

だが、そのことを知っている人は少なく、そのせいで、問題が余計に複雑になったり、複雑になったり、別の問題を招いたりする。最悪の場合、命の問題にもかかわってくる。


だから、家族内やパートナー間、あるいは一人で抱え込まずに、外に助けやサポートを求めることは、重要だ。もちろん、助けを求めた先が、うまく対応できるところとは限らない。たまに、支援しているはずのところなのに、サポーティブな態度を示さないこともある。

そうなると、絶望したくなるが、それでもあきらめずに探すこと。少なくとも、ただひたすら抱え込んでしまうより、その方がより良い状況になる(より悪い状況にはならない)可能性は遥かに高い。

とりあえず、姉の知人の問題の一つに関しては、自助グループを調べて伝えてみた。少しは役に立つといいのだが。
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by hideki_sunagawa | 2011-12-07 06:20 | Diary