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2011年 10月 31日

LGBTニュース紹介 10/31

これから余裕があるときは、週明けに、気になったLGBTニュースをとりあげてみようかなぁ…と思ったり。続くかどうかわからないけど…。

*****

▼台湾パレードに5万人!

今やアジア最大のLGBTパレードとなった、台湾のプライドパレードが、11月29日に開催された。今年の参加者は、主催者発表で5万人。日本からも多くのゲイたちが参加したようだ(あまりレズビアンやトランスの人で参加したという声は聞かない…)

今回は、このパレードに合わせて、東京でゲイに大人気のゲイナイト「ガチムチディスコ」が、初の海外遠征。前夜に開催されたこのイベントだけでも1600名が参加したという(2000年の「東京レズビアン&ゲイパレード」の参加者と同じくらい!)。

日本から参加したゲイの中には、台湾のパレードを「リブ色が薄くて良い」と言う人がいるが、実はオーガナイザーは明確に、「差別反対」を打ち出している。もともと台北市はこのパレードにサポーティブで、市庁舎にレインボーフラッグを掲げたりもするのだが、オーガナイザーは、まだまだ不十分と。

何より、当局側による規制(歩き方とか、色々)が厳しくないところがうらやましー。おそらく台湾のこのパレードは、今後更に大きな観光資源にもなることだろう。

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↑時事通信

▼ロシアパレードのゲイ権利活動家引退

ロシア、モスクワのプライドパレードを牽引してきたNikolai Alekseev氏が、代表を務めて来たモスクワプライド組織委員会と、GayRussia.ruを辞めることを、11月26日にFacebook上で表明した。僕も彼とFacebookでつながっているのだが、その表明を読んだときに「冗談?」と思った。しかし、海外のニュースサイトも取り上げているところを見ると本当らしい。

モスクワプライドパレードは、当局から実施が許可されずに迫害される中、パレードを強行し、彼は逮捕されたりもした(上の記事の写真はそのときのもの)。そして彼らは、その状況を世界に向けて訴え、ヨーロッパ人権裁判所が、昨年、パレードの禁止は不当であるとの判断を下している。

そのように果敢に政府に挑戦する彼は、世界的に有名な闘士だったので、今回の「引退」のニュースは世界のLGBTアクティビストに衝撃を与えたと思う。しかも、その理由については多くは語られていない。後を継いだ新代表は個人的な理由と述べている。

彼と比べれば(って比べられないくらい差があるけど)、僕なんかは、はるかに楽な社会状況の中でやってきた、それでも挫けることが何度もあったのだから、彼などは、その何倍も大変な思いをしてきたのだろう。でも、きっと、しばらく休んだら、また何か活動を始めるのではないか…と勝手に想像している。

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↑PinkNews

▼ヨーロッパ議会、トランスジェンダーの人々の亡命を認める

ヨーロッパ議会は、亡命を認める条件に、性自認による迫害を入れることを11月27日に決議した。これまでは、命の受入を判断する際に、ジェンダーに関連する事を考慮されたい、と書かれていたものが、新しい決議文では、「性自認を含め、ジェンダーに関連する事を考慮されるべきである」とより明確に強い表現に変わったようだ。

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↑ヨーロッパ議会LGBT権利グループの公式サイト

*****

ほか、英国のキャメロン首相が、アフリカで反同性愛的な国には援助をしないとコメントを発表したというニュースも流れた。これには、すばらしいという声とともに、もともと英国が植民地だったときに持ち込んだ法律が反同性愛的だったことが大きな原因なんだから、その反省の弁は必要じゃないか、それもなしに、上からの立場で言うのは傲慢じゃないか、という意見もあった。まさに。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-31 06:10 | LGBT/gender
2011年 10月 30日

超人はどこにいる?(ちょっと長文)

▼ツイートで…

ツイッターは、議論に向かない割に、逆に議論になりやすいという不思議なツール。なので、議論にならないように、誰かのツイートに反発めいたことは書かないように…と心がけている。…が、ついつい「ムキっ」となって書いてしまうことがしばしば。

昨日も、とても盛り上がった台湾パレードに触れつつ、東京でもこんな風にできたらいいのにと、東京でのパレードを批判しつつ書いているツイートが目についた。

僕はこう書いた。

「自分の欲しい活動や『コミュニティ』や社会を誰かがつくってくれるのを待っている人の多いこと…。その欲しいもののために動かないで、つぶやき、リツイートするだけで(嘆息) 難しい問題を全て乗り越えて、理想像を実現してくれる超人がいるとでも思っているのだろうか。」

今回、反射的に書きはしたが、前々から感じて来たことだ。


▼東京のパレード

長らく主催者側としてかかわった人間がこういうことを言うのは憚れる面があったので、あまり言って来なかったが、僕は、東京でおこなわれてきた「東京レズビアン&ゲイパレード」(2007年からは「東京プライドパレード」)は、十分に良くできたものだったと思う。

もちろん、更により良くするための反省点をあげればきりがない。しかし、他の地域以上に要求の厳しい警視庁側の条件と、みんながパレードとしてやりたい形を最大限調整し、デモとパレードを融合させてきたこと。2000人〜2500人もの人が歩き、それぞれのブロックをフロートが必ず先導するという難しいスタイルを、事故を起こすことなく継続してきたこと、それだけでも評価されるべきではないか。

広場には、たくさんの企業さんや団体さんのブースを出展していただいて、ステージでも午前中からシンポジウムをおこなったり、パフォーマンスしていただいたり…あの規模で<野外で>おこなっているLGBTイベントは、日本では他にはないはずだ。


▼2009年、2010年

2009年は東京プライドフェスティバルという、パレードなしのイベントだったが、NHK「ハートをつなごう LGBT特集」の公開録画がイベントを華やかにし、また、内容の濃いものにしてくれた。最後のオオヤユウスケさんのパフォーマンスと、背景の大きなモニターに映し出された映像の感動は忘れられない(それを見たのは、放送でだったけれど)。

しかし、その番組に来てもらったことを「他力本願」と評した人もいた。確かに。でも、そのための交渉と調整がどんなに大変だったことか。それは、こちら側だけでなく、先方もそうだった。「ハートをつなごう」初の公開録画は、ディレクターたちも、それこそ首をかけた企画だったと思う。

2010年のパレードの時には、RENTのスタッフに来てもらったり、中西圭三さんにミニライブをしてもらったり…。中西さんは、こういうことに関わると「本当はゲイなんでしょ?」と言われることを知りつつ(実際にはそうではないのに)、出演してくださった。彼が舞台上で「砂川さんと話す中で、アライ(ally 支援者)という言葉があるのを知り、出演を決めました」と言ってくれたことは忘れられない。

ここでは、自分が最後にかかわった二年間について書いたが、もちろん、他の人が代表を務めたときのパレードは、それ以上に素晴らしかったし、収支的には僕が責任を負った二年間とは比較にならないほどの成功をおさめている。


▼言葉の紡ぎ方

にもかかわらず、これだけのことをやってきた東京のパレードに、<安易に>思いつきのように批判する人の多いこと…。しかも、そういう人には、パレードをよりよくしようと積極的に関わったり、参加したりする人はほとんどいない。あるいは、自分で自分のイメージするパレードやイベントをつくるために動いたりもしない。

様々なものを求めて色々なポジションの人が参加する、この大規模なイベントを、更に誰もが納得できるような形で実現し、それが継続できる、そんな超人はいるのだろうか? しかも、もちろんノンペイで…(それどころか、僕は最後の二年間、間接的な出費も含めると150万円以上はその活動に費やした<それは、恥ずかしいことだと思っているが、この活動をやる中で儲けている人物がいると勘違いしている人もいるらしいので、書いておく)。

もちろん、活動に参加していないから何も言うなと言うのは間違った言い方だ。しかし、その活動に(あるいはそれに変わる自分が理想とする活動に)向けて、自分は何かできないだろうか、また自分の発言は、これまで生活を削ってやってきた人にどう届くだろうか、という視点を少しは持って欲しい。そうすれば、おそらく発せられる言葉はだいぶ異なった形で紡がれるだろう。


▼忘れられない作業

パレードの難しさは様々な調整にあるが、当日の肉体労働もかなりのものだ。会場設営と撤去の作業は忘れられない(常に、代表も実行委員も会場設営や撤収の作業には参加する)。猛暑の季節に、あれだけのテントを建て、それぞれに机と椅子を運ぶ大変さ。特に、パレードが終わってヘトヘトに疲れている中、それを片付けるつらさ。テントの足を固定する重しのその重さ…たいてい一度に一個しか運べない。それがテントの数×6もある。

いつも、その作業をがんばってくれたボランティアの人たちの事を思い出すと、今でも涙がにじんでくる。

毎年、150名〜200名のボランティアが参加して文字通り汗水たらしながら一生懸命につくり、実行委員も8ヶ月間大変な準備を続け、代表は命を削るように重責に耐え、そしてようやく完成される東京プライドパレード/フェスティバル。

もちろん、がんばればすべてがオッケーなわけではない。でも、先に書いた通りちゃんと素晴らしいイベントとして、それらの努力が実ってきたはずだ。最近、自分が直接見聞きしたり、体験したわけでもないネガティブな語りにすっかり影響を受けて、東京プライドパレードが、実際につくりあげてきたものを忘れてしまっている人が多いのは、本当に残念でならない。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-30 06:05 | Diary
2011年 10月 29日

8割でいい、と考えてみる

▼8割仕上がるのに時間の半分

以前、何かで、仕事を8割仕上げるのと残りの2割を仕上げる時間は同じくらい、と読んだことがある。つまり、ある仕事を8割のレベルまで進めるまでに5時間かかったとしたら、残りの2割を仕上げようと思ったらやはり5時間かかるということだ。

「仕事」と言ってもいろんな種類があるし、この大雑把な語りは十分に怪しいのだが(苦笑)、実際に、「そろそろ完成!」と思ったことがなかなか終わらないという経験は嫌というほど積み重ねているので、言わんとしていることはなんとなくわかる。

それどころか、最後の2割を仕上げるということを「完璧にする」という意味だとするなら、もっと時間がかかることもあるだろう。いや、明確な「完璧」の基準がないものは、「完璧」にしようと思いが強すぎると最終的に仕上がらないこともある。僕は、大学でも大学院でも、「完璧主義」であるがゆえに、制作しているものを出せないままになる人を何人も見て来た。

仕事などでは、やむを得ない背景があることが多いので、仕上がり度に関係なく最終的には出すことになるのだろうが(完成度に基準がある仕事は別として)、論文などは、出さなくてもその影響を受けるのは自分だけということも多いので、出さないままになることもあり得るのだ。それがゆえに、ある程度の段階で「えいやっ!」と出す踏ん切りが必要になる(と偉そうに言いつつ、僕は論文の生産量は少ないのだが…あくまで、論文は例として…)。


▼8割×1.5倍
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さて、先の8割の話で言うと、8割で見切りを付けるということをすれば、とりかかれる仕事は同じ時間で2倍になるという話だったと思う。まぁ、生産量を求める思考だとそうなるわけで。

でも、僕は、そういう話を聞くと、「え?じゃあ、働く時間の長さは一緒じゃん!」と思ってしまう。「8割で仕上げて半分の時間で終わるなら、残り半分、のんびりすればいいじゃないの?」って。

でも、そう言うと、いかにも怠け者過ぎるので(それでもいいのだろうけど)、一応、8割で1.5倍のことをやって、余った1/4の時間をのんびりと…と言うのはどうだろう? まぁ、もともと大雑把な論なので、厳密に計算しても意味ないけど。


▼楽な気分で

実際、大方の仕事はどこまでが8割かわからないし、論文で言うと、8割の量で終わらすわけにはいかないし、正確さも8割というわけにはいかない。けれど、表現の言葉をどう選ぶかといった最後の調整は切りがないので、ある程度のところでオッケーとしなければならない。そのときに、本当に8割かどうかさておき(<ここが結構重要)、「8割でいいや」と思うと、少し気が楽になる。

もちろん、仕事の内容によっては、完璧に仕上げることが求められることもあるだろう。また、完璧を求めることが喜びになることもあるだろう。前者ならそうせざるを得ないし、後者なら、楽しみつつ完璧を求めればいい話。

しかし、仕事(僕の場合は収入のない活動も含む)によっては、最近よく使われる表現で言えば、「持続可能(sustainable)」な形でおこなうことの方がより意義深いことも多い。それを目指すなら、「8割で」というのは重要なイメージだ。

僕自身、細かく厳密さや仕上がり具合いにこだわる時/場面もあるし、「緩くていいやー」と思う時もある。「常に全力で」というのは一瞬美しく聞こえるけれど、自分が活き活きとできる範囲でやって(とは言っても、多くの仕事はそんな風に調整できないものだけれど)、残りの力は、自分の大切な人たちのために使ったり、社会へ還元したりしていければ、もっと豊かな社会になるのに、と思う。

あ、そう考えると、8割で終えて、残った時間の半分は社会に還元して、残り半分をゆっくり過ごすというのがいいイメージかもしれない。

これを読んで、組織に勤めている人は、「そんな風にはいかないよー」と思うのだろうし、毎日ため息つきつつ、体壊しそうなくらい働かされている人がまわりにもたくさんいるので、こんなノンキなことを言うのは心苦しい気持ちもあるが、あえて。


…と書き上げてからふと思った。よく考えたら、8割まで完成させるのって結構大変だよね…(苦笑)
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by hideki_sunagawa | 2011-10-29 06:05 | Diary
2011年 10月 28日

ファイト!

▼戦わない奴らが笑う

ツイッターで触れられていたのをきっかけに、久しぶりに中島みゆきさんの「ファイト!」をYouTubeで観た。

好き嫌いが分かれるのだろうけど、やっぱりすごいなぁ…。

初めて聞いたのはいつだったんだろう?アルバムに収録されて出たのは1983年だとか…僕が17歳の頃か。たぶん、出て間もなく聞いたんだろうな。胸に突き刺さった記憶がある。

でも、その頃は、「戦う君の歌を戦わない奴らが笑うだろう」という歌詞の意味をどれだけ分かっていたのだろうか。想像はできていたかもしれない。でも、いつからか、その言葉が表している通りのことを少なからず経験してきた。

笑われるだけでなく、反発の声も受ける。まぁ、大部分は陰口なので、見聞きしないようにすればいいだけの話だけど。

…って別に何かあったわけではなく、ふとこの曲を聞いて感じた気持ちを吐露したかっただけ。


▼傷を負いながら

ブログはみんなに向けて発信するものだから、基本的には前向きに書くようにしているが、常に生傷を抱えて血を流しているのだ。まぁ、戦うのだから、そりゃあ怪我もするわな。

それならやめればいいのに、とまた笑われたりもするのだろうが、自分にとって「不正義」と思うことを見逃すことができない性格。もちろん、すべてのことに関わることはできないけれど、だからと言って、何にも取り組まないなんてこと僕にはできない。

僕自身は、たくさんの素敵な仲間に囲まれ、良いパートナーがいて、家族もそれなりにゲイであることを受けとめてくれる関係の中で幸せを感じることが多いのだけれど、自分がそうならそれでオッケーとはどうしても思えない。まぁ、それだけと言えばそれだけのこと。


▼シンプルな動機

小学2年か3年のときのこと。テレビで、学生運動の古い映像が流れていた。それを観た親が、「大きくなって、こんなことするようになったらダメだよ」という感じのことを僕に言った。すると僕は、「なんで?正しいと思うことをすることは悪いことじゃないでしょ?」と返答したのだった(細かい言い回しはあやふや)。

なぜその時そういう言葉が口から出て来たのか、今も謎だけれど、その時まるで何かが降りて来たかのように(笑)発した言葉は、今に続いているような気がする(ちなみに、「学生運動」と一口に言っても、時期によってだいぶ違うし、多面的なものなので、それをひっくるめて「正しかった/間違っていた」とは言えないだろう)。

ま、これからも、僕は、そんなシンプルな動機に突き動かされてやっていくのだろう。もちろん、具体的に何をどうやっていくのかは、丹念に考えつつ。

あ、もちろん、応援してくれる人もたくさんいる。僕がこうして今生きていられるのも、活動を続けて来られたのも、応援してくれた人のおかげだ。

ちょうど、そのことを象徴するような写真があったので、また最後にアップ。真ん中の二人はパレードのときに沿道から応援してくれた友人。このお二人にも本当に助けられてきた。撮影は悠によるもの。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-28 06:08 | Diary
2011年 10月 27日

仲間は誰ですか?

▼ゲイが病気になるとき

それなりに「仲間」のネットワークを持っているゲイが重篤な病気になったり、亡くなったりすると、必ずと言っていい程、それを聞きつけた一部の人が、その原因はHIV感染によるものであるとささやく。しかも、時に、それを言うことで、その人を貶めることができるかのように。

なんてバカバカしいことだろう。誰かが病気で苦しんでいるときに、本人から語られている以外の原因を詮索することに何の意味があるというのか。そして、仮にHIV感染だったとしても、それがどうしたというのだろう? その頭の中身は、1980年代のままか?(もちろん、AIDSが報告された間もない当時だって批判されるべき行為だったけど)。

それに、その言葉を耳にした相手こそが、HIVに感染していて、そのことに色んな思いを抱えているかもしれないのに。


▼「仲間なのに…」という思い

何人ものゲイの友人、知人を亡くして来た僕は、そんなくだらないことを言う人がいることに慣れてしまったので(悲しいことに)、そんな噂を言う人がいた…という話を聞いても、ため息をつき、「バカバカしい」とつぶやくだけで終わる。

しかし、そういう言葉に接して、「仲間なのに、なぜ…」と、虚しい思いを抱く人もいるようだ。亡くなった人だけでなく、ネガティブな噂を口にする人も近しい人の場合には、なおさらそうだろう。こういう場合に限らず、「仲間」と思ってきた人に、仲間らしからぬことをされると傷は深いものだ。


▼共通項ゆえに

けれど、ゲイの場合(おそらく多くのマイノリティがそうなりがちな構造の中にいるのだが)、「ゲイである」という共通項だけで「仲間」と思えてしまうということが、少し事情をややこしくしている。

その共通項で「仲間」と思える関係性に安住して(?)、より深い絆をつくらないままにつながっているということが多いのではないか。それゆえ、何かあると、一層「仲間なのに…」と思わざるを得ない結果を生むのではないか…

別に、ここでは、そのような関係性を悪いこととして批判しようとしているのではない。

比較的容易に「仲間」と思えるおかげで、様々な背景を持つ人と知り合い、コミュニケーションをとる機会が増える。また、往々にして、いきなり近い人間関係に入ることもできる…そして、ある程度近いけれど深い絆ではない、その関係性が楽な人がたくさんいる。特に、人が孤立しがちが都市においては、そのような関係性の存在は重要だし、それに救われている人も多いことだろう。

けれど、ゲイであるという共通項だけで、実際の関係以上に、深くお互いを理解し合えている仲間だと思ってしまうと、「仲間とは思えない」ということがあったときに落胆し、厭世的な気持ちになることも少なからず起きてしまう。場合によっては、ゲイの関係性全てを否定したい気持ちになる。


▼ある方の逝去から

しかしもちろん、深い絆をゲイネットワークの中でつくり、お互いを支え合うこともある。最近亡くなったある方の逝去をめぐる話からは、その絆を感じさせる思いも伝わってきたし、やはり共通項だけで「仲間」となっていたのかもしれない、心ない人の振る舞いについての落胆も耳にした。

ある人の話から、その人が病気と闘っているときに「みんなに優しくしてもらって幸せ」と語っていたと知った。彼も、ネガティブな噂を語る人たちがいることは想像ついたかもしれない。でも、それ以上に、彼の本当の仲間が彼の気持ちを包み込んでいたのだと思う。

僕は、彼とは、数回顔を合わせて二言三言会話したことがある程度の関係だったが、彼の親しい友人たちのその後のつらそうな様子を見聞きして、単にゲイという共通項だけでつながっていたのではなく、多くの仲間との関係を深めていたんだなぁ、と思った。


▼「コミュニティ」を考える

僕は、以前から、誰かの死をいかに扱うか/扱えるか、で、その「コミュニティ」の強度がわかると考えて来た。その人と関係のあった人が、その死を共有し、悼む気持ちを語り合えるかどうか。その人に極めて近しかった人が、その関係性が認められた上で、葬儀に参加できるかどうか…等々。

何年も前になるが、オープンリーゲイとして活躍していたある人が亡くなったとき、最期までパートナーだった人が、友人席で葬儀に参列している様子を見たとき、胸が押しつぶされそうになった。出棺のときに「親族の方どうぞ前へ」と言われたときに、パートナーでありつつも「親族」ではない彼が、近づけないままどうしていいかわかない表情を浮かべていたことを、僕は、今も忘れられない。

僕は、そんな状況は嫌だと思うし、その状況が少しでもなくなるように、社会を変えていきたい。「葬儀は親族のものだから、しょうがないよ」と言う人が、「仲間」の中にたくさんいたとしても。

そのためには、社会に向けて訴えていくだけでなく、お互い支い合い、メンバーの病気や死を包み込める絆の深い仲間関係があちこちに存在しているようなコミュニティをつくっていく必要があるのだろう。

あちこちに…というのは重要だ。みんながまとまって一つに、という意味ではなく、それぞれにそういう関係をつくりあげるという意味だからだ。それは、時に傷つく経験を伴うだろうが、トライし続ける価値があるもののような気がする。



この画像は、くま絵師・悠の作品。ちょっと季節は合わないけど、内容的に近いのでアップ。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-27 06:02 | LGBT/gender
2011年 10月 26日

アメリカ風イタリアンレストラン in 北中城村

a0137527_2155173.jpg先日、友人カップルが、北中城村(きたなかぐすくそん)屋宜原(やぎばる)にあるイタリアンレストラン「The Rose Garden」に連れて行ってくれた。

米軍基地が近いこともあって、客には米国人らしき人も多い。

しかし、結構高齢の女性たちの集団や、スーツ&ネクタイを着用している(沖縄では珍しい!)会社員もいたりして、とても雑多な雰囲気に満ちている。それがまた魅力の一つとなっているようだ。

食事のメニューもバラエティに富んでいる。イタリアンということで、ラザニア等もあったりするが(ラザニア大好き!<しかも友人によると美味しいらしい)、ステーキやハンバーグなどもあって、いわばアメリカ風イタリアンレストランという感じ。


a0137527_2155219.jpg僕は、ラザニアにも惹かれつつ、色々食べてみたかったので、ハンバーグと海老フライの乗ったプレートを注文した。

海老フライは、大きく立派なエビではないが、開かれたエビがカリッと仕上がっていて美味しい。尻尾も香ばしくあがっていた。

ハンバーグもきっちり作っている印象。高級な味とか、とても特色のある味とかではないのだけれど、僕の口にすごく馴染む好きなハンバーグだった。

このボリュームなので(最初にトマトスープも出て来たし)、食べ終わったら結構お腹いっぱいになって、「若い頃に比べると食べる量は格段に減ったよねぇ…」と友人と語り合ったりしていたのだが、友人が注文した別メニューについてきたデザート「ブレッドプディング」を味見させてもらったらおいしいもので、ついつい単品で追加注文してしまった。

a0137527_21554143.jpg食事についてきた「ブレッドプディング」は冷やされたものだったけれど、店員が「食事について来るものとは、ちょっと違うんですよ」と言いながら出した単品注文のものは、温かかった。

どちらも美味。見た時、「生クリームはよけいじゃない?」と思ったけれど、甘すぎず重すぎずいい感じ。マグカップに入ったコーヒーは、食事についてきたもので、おかわり自由。「アメリカン」な薄めを、たっぷり飲むという感じ。


店内の雰囲気も素敵だった。そして、フロアーで働いている女性たちに年配(年長の人は50代後半くらい?)の人がいるのが、僕は気に入った。沖縄で古くからあるレストランにはそういう店が多い(食堂は言わずもがな)。

チェーン店のファミリーレストランなどでは、男性スタッフもいるにしても、全体的に「若い女の子がいいでしょ」という異性愛男性中心の価値観が垣間見えて、「気持ち悪いななぁ…」(その価値観が)と思っているので、そういう色んな年代の様々な雰囲気の人が働いている感じにほっとする。



こういう地元のレストランや食堂などの場の持つ雰囲気は体に染み込み、感覚の一部となっていく。「沖縄文化を守ろう」という話が声高に言われるとき、この雰囲気や場のあり方は、その「文化」と呼ばれるものの中に含まれることは基本的にないけれど(つまり、集団の中で象徴的に意識化される「文化」ではないけれど)、ある意味、それこそ文化なんだよね、と思ったりする。

ま、結局、どちらも変化は免れ得ないけれど、僕は、やはり後者に愛着を持つタイプなので、なんとか長く続いて欲しいなぁ、と思うのであった。早くペーパードライバー脱出して、自分でも時々行けるようにしなくちゃ(と、またペーパードライバーネタで、了)。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-26 06:08 | Okinawa
2011年 10月 25日

知られざる歴史〜「みなと村」

日曜日に、「沖縄の産業まつり」の会場、奥武山公園に行った時に、「みなと村役場跡」の説明があるのを見つけた。

それには次のように書かれてあった。

ーーー
a0137527_19492111.jpg沖縄戦の後、特別に設置された行政区みなと村の役場跡。

1945年の沖縄戦の後、米軍専用となった那覇港での米軍需物資や民間の食料品等の荷役作業は、当初日本軍捕虜によって行われていたが、捕虜の解放、本土への引揚げにより、沖縄県民約2千人の那覇港湾作業隊が組織された。

この作業隊及びその家族を含めて約1万人の生活・労務管理等を円滑に行うため、1947年5月1日、当時の沖縄民政府によりみなと村が設置された。初代村長には港湾作業隊の指揮を執っていた国場幸太郎氏が就任。役場庁舎には奥武山の世持神社の建物が使用された。(略)

1950年、港湾作業が民間の業者による請負制になったため、村存続の意義がなくなり、同年8月1日那覇市に合併し、みなと村は解消した。
ーーー

国場幸太郎氏(1900-1988)と言えば、沖縄では、ある一定の年齢以上の人ならほとんどの人が知っていると言っても過言ではない実業家だ(この村長が同姓同名の別人でなければ…)。彼が、創設した國場組は、沖縄で最も有名な土建・土木会社の一つ。その彼が、「みなと村」という村の村長をしていたとは、知らなかった。

最初、「これをきっかけに國場組ができたのかな?」と思ったが、ネットで調べてみたら、國場組は1931年の創業。戦前に既にかなりの成功をおさめていたようだが、沖縄戦が始まって一旦解散したようなので、やはり戦後の基盤は、この「みなと村」をきっかけに築かれたのかもしれない。

それにしても、三年しか存在しなかったこの村はどういうものだったのだろうか?国場幸太郎氏のその後の沖縄での影響力を考えると、彼がこの村の村長を務めていたという歴史は軽視できないかも…と想像を膨らませたつつ思ったりする(意外とそんなに決定的な影響はなかったのかもしれない可能性もあるけれど…)。

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by hideki_sunagawa | 2011-10-25 06:15 | Okinawa
2011年 10月 24日

沖縄の産業まつり

昨日、一人でぶらりと「第35回 沖縄の産業まつり」に行ってきた。年に一回の開催のはずなので、僕が10歳頃からやっていることになる。最初の頃とは、比較にならないほど規模は大きくなっている様子。

a0137527_14274859.jpg様々な飲食物のブースが出ているし、陶器や、工芸品、新しい技術を使った製品等などが出品され、とても充実していた。

植木が売られているコーナーで15万円のブーゲンビリアを発見。とても太い幹なので、樹齢はかなりなのだろう。

しかし、高さは175センチくらいで、広がって育つブーゲンビリアなのに、あまり枝葉は広げられていない。

こういう風に育てるのが難しい&年月がかかる=高価、と予想。

他にも、45万円もするソテツとかも。ソテツは、どうやら幹からたくさん子株が出ているのが高いようだ(たぶん、その形のバランスとかもあるのだけれど)。


沖縄の在来柑橘類「カーブチー」(見た目は、少しシークワサーに似ている)の100%ジュースもあった。カーブチーは、ライムのような風味があって、僕は好き。小さいのに種が結構あったりするせいか、あまり商品化されていない。でも、やはりジュースにして売っている会社もあるんだなぁ…。


a0137527_14301860.jpgその後、伊江島のラム酒を売っているブースで、やはり伊江島で栽培されたミントを使った「モヒート」を。

ラム酒だけど、気のせいか、少し泡盛のような風味がするような…。あと、ラム酒と言っても甘いわけではないんだ?と思ったり(アルコールに詳しくない)。

でも、青空の下でモヒートを飲むのはいい気分。


そして、持ち帰り用に、生姜ジャムと、田いもチーズケーキ、城(ぐすく)まんじゅうを購入(なんだか甘いものばかり)。

a0137527_14285810.jpgチーズケーキとまんじゅうは、帰りに母親のところに寄って食べたけれど、どちらもとてもおいしかった。

田いもチーズケーキは、以前友達と行ったことのある「田いも工房 きん田」(那覇新都心)のもの。そのときは、田いもパイを買って帰ったのだが、チーズケーキの方もおいしかった。でも、僕は、田芋の味が一層感じられるパイの方が好きかな。

城まんじゅうは、それをつくっている会社の名前も「城まんじゅう」と言うようだ。北中城のお店。ブースでも売っていながら買わなかったおいなりさんも気になる…。いつか食べてみよう。

ちなみに、まだ開けていないが、生姜ジャムは、「SU-SU-SOON」というごはん屋さんのオリジナル商品のようだ。こちらも楽しみ。


沖縄は(たぶん、ある程度の大きさまでの地方は)、こうして地元でつくっているものが身近な感じがするのがいい感じ。来年は、もっと時間をとって行くことにしよう。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-24 06:08 | Okinawa
2011年 10月 23日

学歴って…

みゃーくふつ(宮古島の言葉)で歌詞をつくり、歌っている下地勇さん。2007年にNHKの「トップランナー」で観て以来、ずっと気になる存在なのだが、沖縄に戻ってからいっそう彼への関心が高まっている。

そんな彼のPodCast「ある日の宮古」というものを見つけた。FM沖縄で放送されていたものらしく、2009年3月が最後の配信となっている(その後、「二者択一」というタイトルの番組が放送/配信されているようだ)。


▼あるエピソード

その「ある日の宮古」の中で、面白い話が語られていた。彼の友人の話。貧しい家で育った友人Tさんは、高校卒業後東京に就職。平日は運送会社で働き、土日はレストランでアルバイト。それは、病気の母親の入院費を払い、見舞うため年に何回か宮古島に帰省するためだった(飛行機代も今よりかなり高かった時代、しかも最初の頃は直行便もなかった)。

東京に戻る飛行機の中でのこと。隣で寝ている男性が寒そうにしていたので、乗務員から毛布をもらいかけてあげようとした。すると、その男性が目を覚まし、会話が始まり、Tさんの身の上話に。彼は、苦労を顔に出さない明るい人、と下地さんは言う(だからきっと明るく話したんだろう、という意味に僕はとった)。

話を聞いた男性は、Tさんに「うちの会社に就職しないか」と。実は、証券会社の人(社長?)だったという。Tさんは当時、証券会社というのがどういう会社か、株の売り買いというのがどういうものであるかも知らなかった。また、その会社は大卒しか採用しない会社だった。

その男性は、「もし君がやる気があるなら、三ヶ月後に採用するから、これから三ヶ月間、大手の新聞四紙(日経、朝日、毎日、読売)を毎日読むように、特に経済欄は」とT君に言ったという。ただ、彼が高卒であることはここだけの話に、と。

Tさんは、その後、本当に毎日その四紙を読み続けたという。わからない言葉もたくさんあるから、経済用語の辞典も買って。そして、入社して1年後、彼はセールスで2番目の成績に。今は独立して更に経済的な成功をおさめているという。


▼学歴差別って…

この話を聞いて、T君の人柄が垣間見えるようで、その努力と誠実さに心を動かされた。と同時に、もともと採用の条件を「大卒以上」に限定することって…?いうことについて、改めて疑問に思った。職種によっては、大学で学んだ専門的な知識が必要な場合もあるだろう。しかし、現在の会社業務の多くは、そうではない場合の方が断然多い。

また、専門知識を問われる場合も、独学ではマスターするのが難しい実験などを伴う理工系が主で、多くの知識は独学でも得られる可能性がある。もしかしたら、人文・社会系の知識も、アカデミックな議論を誰かと交わしたり、誰かを通してしか得られないものもあるだろう。だが、そのようにして得られるものは、会社務めではむしろ嫌われるものの気がする。

大学受験というある種の「試練」を超えた人だから…という考え方をたまに聞くが、とりあえず「大卒」という資格を得るというレベルで言うと、今や「試練」らしい「試練」を経なくても入れるところも増えているし、逆に、その「試練」を乗り越えられるだけの技量や学力を持っていても、経済的理由で断念する人も少なくない。また、それなりに入るのが難しいと言われるところの学生でも、教えていて「?」と思う学生もいる。

そして、どのような知識や技量が必要かは、会社によって違うのだから、必要ならばそれぞれに試験や面接を経て決めればいい話だ。学歴によって、スタートラインにさえ立てないのはおかしな話だと思う。


また、更に話を進めると、どのような手続きを経て入ったかによって雇用の基本条件(継続の保障や賃金など)が違うのもおかしな話だと思う。入ってからは、勤務の内容によって判断されるべきだろう。この辺りは、正規雇用と非正規雇用の間にある差別の問題になってくる。

本当は、労働組合は、まさにこのような差別性についても考えていかなければならないはずだが、労働組合の「上層部」のほとんどがそのことを考えていない様子を、労働組合で非正規雇用者の労働条件改善のために闘っている友人から聞く。

問題化されていかなければならない社会問題はまだまだたくさんあるし、その中で、「当たり前」と思われているものでもう一度疑問を投げかけるべき制度や体制は数知れない。あきらめず、一つずつ問いなおすことからだな、と思う。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-23 06:08 | labor/poverty
2011年 10月 22日

ばたふさり!(「腹が立つ」の意 in みゃーくふつ)

昨日、沖縄で新しく始めるLGBT&Allies団体設立に向けて口座を開設しようと琉球銀行本店へ。まだ法人格があるわけじゃないし、とりあえず「レインボーアライアンス沖縄 代表 砂川秀樹」という個人名で開設することにしよう…と思って。まぁ、ということは、結局は個人口座になるわけだけど…(これまでもそういう形で任意団体で使う口座をつくってきた)。

「口座開設したいのですが、任意団体の名前を個人名の前につけることできますか?」「模合(もあい)ですか?」「いいえ」「規約を確認できますか?」「今つくっているところなんですけど…」

そんなやりとりの中で先方が言うには、団体名をつける場合、規約の確認が必要とだ言う…。うーん、任意団体の名前を頭につけるとはいえ、結局は個人名の口座なのに? ということは最終的には個人の財産なのでは?

そんなこんな話をあーだこーだとやりとしたのだが、団体の預金の保証に関する文書を出してきて、団体の種類の説明されたので、「じゃあ、個人名でつくります」ということにした。まぁ、団体関係のやりとり専用で使えばいいだけの話だし…(対外的にはあまり印象良くないけど、いつか改めてつくるとして)

実は、今も若干「それは、団体として口座をつくる場合じゃない?『◯◯◯代表+個人名』は違うんじゃない?混同してないか?」と疑っているのだけれど(僕の方が間違ってるのかもしれないが)、『最近は、犯罪などに口座が使われるということもあるので、厳しくなっているのだろう、しょうがない…』と思わなくもない。


で、通帳ができあがるまで待っている間、つらつらと考えていた。最初に「模合(もあい)ですか?」って聞かれたよなぁ。模合の場合はどうなんだろう…? 

ちなみに、模合とは、個人などでグループをつくって、一定の金額を月に一回くらいのペースで出し合って順番に受け取るというもの。まぁ、利子のつかない預金みたいなもの(最初に受け取るなら、利子のつかないキャッシングサービスみたいなもの?)。沖縄では結構盛んで、仲間と月に一回集まることを楽しみに入っている人も多いようだ。

で、通帳を受け取るときに聞いてみた。「模合のときは、通帳はどうやってつくるんですか?『模合名+代表者名』でつくれるんですか?」「はい、できます」「…???」「模合の集まりであるということはどうやって確認するんですか?」「模合は規約がないものなので、聞き取りで」「じゃあ、模合です、って言えば、『グループ名+代表者名』で口座がつくれるってことですか?」「そうですね…」


えーーーー??? なんか、おかしくなーい? じゃあ、「団体名+代表者名」の口座をつくりたい場合、「模合です」って言えば済んでしまうってことじゃん! 模合が沖縄で重要なもので定着しているのはわかるけどさー。せめて、「模合用の口座である、その目的以外で使わない」という誓約書くらい書かせればー?いやいや、それでも、なんか納得できないぞ。

はぁ?と思ったので、ついつい、「じゃあ、団体名をつけて口座をつくりたい場合は、『模合です』って言いはればいいってことですね!」と、プリプリしながら言ってしまった。さすがに声を荒げるほどはしなかったけど。後で、なんか、怒ってもあまり意味がないことで怒ってしまった、と微妙な気持ちに。はぁ…。でもどうもすっきりしないんだけどー。


あ、ということで(?)、「レインボーアライアンス沖縄」という団体の発足に向けて、準備しています。どういう形が団体を運営するのがいいか慎重に考えている部分もあるので、形が完全にできあがるのは、もう少し先になりますが、どうぞ長い目で見守ってやってくださいませ。しばらくしたら、改めてお知らせします。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-22 06:14 | Diary