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2011年 09月 28日

おすそわけ

(お知らせ)今週末から来週にかけて、研究会の発表や講演が立て込んでいるので、1週間ほどブログ更新休みます。

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昨日、友人からもらった「ナーベーラー(へちま)」(実家でできたものらしい)をいただいたので、味噌煮にした。ナーベーラーの味噌煮を沖縄本島の方言では、「ナーベーラーンブシー」と言うとか。宮古島では、へちまは、「ナビャーラー」らしい。

宮子方言音声データベースというサイトを見てみると、「ナビャーラー」の並びに味噌煮を表す言葉はない。代わりに「ナビャーラアイムヌ(へちまの和え物)」が。宮古島では、味噌煮よりも和え物の方が主流なのだろうか。

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あ、今回は、方言の違いについての話が主題ではなく…おすそわけの話。


今日は、某センターの元気のいいMさん(と書けばわかる人はわかるw)と、街角で偶然遭遇。「これから仕事に行くとこ」という彼女は、「今、リーズナブルなワイン二本買ったからさ…、どっち持ってく?」と言って、「え?そんな、たまたま会っただけなのに…」と言う僕に、「こっちあげるねー」と。

そんなやりとりを見ていた、彼女と一緒にいた男性が、「本当は二本持ってくのが重いからだよー」と冗談を言って、僕が恐縮する気持ちを和らげてくれた。

彼女の持つ明るさは前から大好きなのだけれど、このやりとりは、なんだかほんわかして気持ちがほぐれた。


その後、亡くなった姉の仏壇に手を合わせに(ちょうど7回忌と東京での仕事がかぶってしまったので、前もって行ったのだった)。

すると、気のいい義兄は、なぜか部屋の中にケース単位で積まれている飲料の山から、あれこれピックアップして袋につめてくれた。「もういいよ、ありがとう」という声もおかまいなく、段ボール一つの飲料水と、大きなレジ袋二つ分&半ダースセットのジュースをいただくことに。


ナーベーラーをくれた彼女からは、前もトマトソースやら肉じゃかやらをいただいているし、この前具合が悪くなったときに来てくれた友人からは、遊びに行った帰りに、カレーやヨーグルトデザートをもらったり。

引っ越してすぐの頃、親戚がつくっている野菜がたくさんあるから…と持って来てくれた人も。姉も、僕が調子の悪いときなど、通勤前に遠回りしてドアノブに食べ物をかけていってくれたりする。

こういうおすそわけって、なんかいいなーと思う。あ、自分がもらってばっかりだから、じゃなくて(自分でつくったものではないけど、一応自分も時々はおすそわけ的な贈り物をしているつもり…明らかにもらう方が多いけど)。

おすそわけじゃないけど、引っ越したときに、友人たちがお金を出し合って買ってくれたガス台や炊飯器も、ほんとありがたかった(やっぱりもらう方が多い)。

こういう関係があるのって、ほんとほっとする。支えられている感があって。僕も、もっと色んな人に支えている感を与えられるようになりたいなー。やっぱり、そのためには生業をなんとかせねば…。


あ、余談だけど、ナーベーラーンブシーはとても美味しくできました(笑)
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by hideki_sunagawa | 2011-09-28 21:12 | Diary
2011年 09月 27日

オープンリーゲイなんですけど…

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この写真は、昨年、僕が代表として開催した「第7回東京プライドパレード」のもの。最後にボランティアスタッフが次々と壇上に上がっているところだ。真ん中で手を上げているのが僕(苦笑)。撮影は、僕のパートナー、くま絵師「悠」。


▼同窓生からの便り

最近、中高時代の友人/知人とのやりとりがちらほらある。そういう人で僕に連絡をくれる人は、このブログでアドレスを知ってメールをくれたりするのだが、不思議なほど、僕がゲイであることに触れることがない(明らかに読んでもいるのに)。

中学の同窓会に行きたくない理由の根底に自分がゲイであるということがあるということを書き(→)、それを読んだ上で同窓会に更に誘ってくれた人のメールでも、僕がゲイであるということについて(というか、それに関連することについて)一言も触れられていなかったりする。あくまで、「独身」であるということの問題に回収されてしまう。


▼オープンリーゲイのアクティビストです

そのように僕がゲイであることを知りつつ、それにからんでくる話題に触れない人たちは、たいてい「いい人」だし、「善意」で、「気を遣ってくれている」のはわかる。なので、感謝する気持ちもあるのだが、「なんだかなぁ…」という思いが生じるのも正直なところだ。

もちろん、性的マイノリティであることを知られたくない、と思っている人には、「そのことについて触れない」のは、ありがたい対応だろう。でも、僕は、オープンリーゲイのアクティビスト(活動家)として、その問題を重要なこととして掲げ、自分のあり方をアピールしているのだ。

「知られたくない」と思っている人には…と書いたが、そこには矛盾が生じる。なぜなら、その場合、基本的には、まわりの人は知らないわけで、そうなると、逆に、その人の前では「ホモネタ」という形で、そのことが話題にのぼったりすることもしばしば起こるのだ。

そして「ゲイです」ということをオープンにすると、逆に誰も何も触れなくなる。これって何なんだろう?


▼笑いネタか沈黙の二つに一つ?

もちろん、そんな僕の前で「ホモネタ」のような笑い話が出るのは最悪だが、世の中には、性的マイノリティについては、失礼な笑い話か、触れないか、のどちらかしかないのだろうか?…いや、あえて極端な言い方するならば、そのどちらかしないのかもしれない。

性的マイノリティについて、対等に語る言葉を、多くの人は持たない。せめて、そのことに気づいて、そこに潜む差別性/抑圧性に気づいて欲しいものだが…。

講義や講演で、「知らないので、失礼なことを言うかもしれないと思って」という声は良く聞く。でも、「失礼なこと言ったら、教えてね」ということをあらかじめ伝え、そして誠意をもって対応すれば、相手を傷つけることはほとんどないだろう。

いや、その前に、マイノリティ性を持った人が自分のその存在を伝えていることを知ったならば、「知らない」ままじゃなく、少しは学ぶ姿勢が欲しいと思う(このブログ見てくれたなら、LGBTカテゴリーの日記をいくつか読むだけで、だいぶ違うと思うのだが)。


▼「知らない」=無垢、ではない

「なんで、そこまでしなくちゃ?」と思うマジョリティもいるだろうが、常に、どのマイノリティ問題も、マジョリティの問題でもあるのだ(人によっては、マイノリティの問題はマイノリティ側の問題じゃなくマジョリティ側の問題だ!と言い切る人もいる)。

「知らない」ままでいれば、関係ないと思うのは間違いだ。構造的な力関係には常に巻き込まれているのだから(もちろん、僕もセクシュアリティやジェンダー以外の問題でも常に巻き込まれているし、それらの問題の中でマジョリティの立場に立っていることも多い)。

構造的に明らかな力関係がなければ、冗談も、沈黙もまったく違う意味になるのだけれど…。


だいたい、僕がこれまで長らくやってきた、僕にとって重要な活動や仕事は、自分がゲイであるということとは切り離せない(冒頭の写真は、そのアピール)。なのに、それに触れない交流っていったい!
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by Hideki_Sunagawa | 2011-09-27 12:12 | LGBT/gender
2011年 09月 26日

聖地の観光化

▼観光地化する斎場御嶽

沖縄本島南部にある斎場御嶽(せーふぁーうたき)は、2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして、ユネスコの世界遺産リストに登録され、一気に沖縄で最も有名な観光地の一つとなった。

世界遺産になる前にも後に何度か行ったことがあるが、明らかに、訪れる人の数は増え、また層も幅広くなっている。本島随一の聖地とも言われるだけに、この地に様々な人が訪れることに複雑な思いを抱いている人は少なくない。

もちろん自分も、その「様々な人」の一人であることは言うまでもない。もともと男性が入ることも禁じられていた場所であった。

そんな自分を棚に上げて…という話なのだが、僕も、「観光地に来てみました!」という雰囲気を漂わせている人を見ると、「これでいいのかな…」と思ってしまう。もちろん、他の御嶽などもそうだ。


▼もし観光地化されなかったら…

ここで、もしも御嶽が観光資源として位置づけられなかったら…と考えてみる。理想的な(?)イメージでは、地元の信心深い人だけがウガン(拝み)のために訪れ、その人たちにより守り続けられる…というものかもしれない。

しかし、おそらくそうはならない。いったい、どれだけの人が実際にウガンに来ているかを考えれば明らかだ。その地域の人口のごくごく一部の人だけだ(その地への思いは多くの人が共有しているとしても)。

しかも、だんだんとそういう人は減っている。今、パワースポットブームの中で若い人も訪れるようになっているが、それはおそらく一過性の流行の可能性は高いし、そうじゃないにしても、その地に根ざした人でないがゆえに、守る担い手とはなりにくい。

拝所(うがんじゅ)について書かれている本を読むと、実際に、小さな拝所で廃れている場所は少なくないようだ。


▼開発の波

また、街の開発の中で、小さな祠として維持されるのが精一杯というところもたくさんある。そのような新しくコンクリートでつくられた祠は、時代が過ぎるにつれ、次第に存在感と意味を失っていき、消失する可能性もある。

皮肉にも、拝所の一部は、観光資源として意識されていることで整備されている。さらに言うならば、地元の若い人たちが拝所を重要な場所として意識するようになったのは、もちろん、昔からそこで拝むオバーたちを見てきたということが大きいだろうが、観光の中で再発見した面も否定できない。

観光という営為の中で、地元の人が、「オリジナルな文化」というものを再発見し、強化し、自分たちのアイデンティティの拠り所とする…という仕組みは、観光人類学の中で繰り返し指摘されてきた。


▼観光客を育てる

となると、聖地の観光地化をめぐる「いい解決法」は限られて来る。僕は、一つは、観光客を育てることだと思っている。聖地を訪れるときの心構え、振る舞いのルールを徹底させること。よっぽど厳しいものでなければ、観光客もそのルールを楽しむことだろう。

もう一つは、本当に重要な土地であり、多くの観光客が来たら荒れてしまう可能性がある場所は、なんらかの制限を設けることである。時期を限る、人数を決める等。それはありがたみを増させることになり、これも観光戦略とは矛盾しない。

そうやって「観光客を育てる」という姿勢は、観光がもたらす、ゲスト(観光客)とホスト(迎える側)の微妙な力関係をも変えて行くのではないか、と思う。
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by hideki_sunagawa | 2011-09-26 20:21 | Okinawa
2011年 09月 26日

今も残る戦争の傷

先日の「なは女性センター」の懇親会で聞いた話を書こう思って忘れていた。最近おこなわれているらしい、沖縄戦によるトラウマの研究からの話。

6月頃から、沖縄では精神的に不安定になる人が増えるという。よく「季節の変わり目に調子を崩す人が多い」と言われているから、それも関係しているかもしれない。

しかし、明確に戦争の記憶と結びついている人も少なくないという。沖縄戦が終わりに近づくにつれ、戦闘が一層激しさを増し、蒸し暑い空気の中で目の当たりにした腐敗していく死体の記憶、それを踏んでしまった感触、激しい死臭…そのようなものを思い出す人たちがいる、と。

そして、幼い頃に経験しつつ忘れていたことが、70歳を過ぎてから思い出される、ということも少なくないらしい。自分の身代わりになるように亡くなった母親のこと、など。

戦後長らく、精神的に病む人たちの数が、本土に比較してはるかに多かったという話を以前テレビでやっていたことも思い出す。戦後に生まれた人の中にも、その様子を身近に見つつ、傷を抱えた人もいるだろう。

米兵による残忍な犯罪が起きた村(狭い共同体)では、そのことによる傷を、被害者だけでなくまわりの人も抱え、精神的な抑圧を生むという話を、以前、ある女性活動家から聴いたことがある。

そうだ。僕は、沖縄に帰るからには、そういう話も身に刻むように聴かねばと思っていたのだった。少しずつ、そうしていこう。


画像は、新都心のもの。激しい戦闘が続き、多くの米兵が亡くなり、またその苛烈さに精神的に病んだ者も多かったという。「シュガーローフの戦い」という名がついている。それゆえ、長らく「良くない土地」と言われていたが、最近はそういう語りも減っているようだ。
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by hideki_sunagawa | 2011-09-26 00:53 | Okinawa
2011年 09月 24日

金城町の石畳

どこの土地でも、そこに住んでいる人はその地の観光地に行かないもんだと言うけれど…。

今日初めて、首里金城町の石畳に行ってきた。実は、関心を持った物件(事業用の)が、その近くにあったので、ついでに…という感じだったのだが、思った以上に趣があって、良かった。
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これまで、「ちょっとしかない通りだよ」「意外とがっかりする」と聞いていたので、期待のハードルが低かったせいもあるかもしれない。けれど、僕にとっては、古に想像を馳せるに十分な場所だった。

今回のこの物件チェックとプチ観光の旅には、ある拝所(うがんじゅ)との偶然の出会いがあったのだけれど、それは胸にしまっておこう…

このために車を出してくれて、つきあってくれたお二人に心から感謝。二人と一緒だったから、その拝所にたどり着いたような気がします。

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今月、ほぼ毎日、この日記を更新してきたけれど、実は毎日更新すると、読む方も大変みたい…という事に気づいたので(苦笑)、週に3−4回にしようかな、と思ったりしています。月水金とかにしようかなー。って、別に定期にしなくてもいいんだろうけどね。

とりあえず、この土日はお休みしまーす。
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by hideki_sunagawa | 2011-09-24 00:02 | Okinawa
2011年 09月 23日

ある14歳の子の自死…

米国で、いじめを受けていた14歳の男の子が自死したというニュースを聞いた。

彼(Jamey Rodemeyer)は、「fag(ゲイなどに対する蔑称)」と言われいじめられていたという。

実は、彼は、ゲイのティーンを励ますための「It gets better(だんだん良くなるよ)」というキャンペーンに賛同してメッセージを発していた。

その映像→「It Gets Better, I promise!」(英語)


彼は、この映像の中で、「自分はバイセクシュアルであるとカミングアウトしてから、たくさんのサポートも受けるようになった」と語っている。

両親は学校にいじめへの対応を求めていたが、いじめはなくならなかったという。彼は、facebookには、今月の9日に、「どんなにいじめられていると言っても誰も聞いてくれない…」と書き残してあった。

そして、その書き込みに対して、「JAMIE IS STUPID, GAY, FAT ANND UGLY. HE MUST DIE!」(JAMIEは、バカで、ゲイで、太っていてみにくい。死んでしまえ)といったコメントが書き込まれたという。

ただただ胸が痛む。
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by hideki_sunagawa | 2011-09-23 01:30 | LGBT/gender
2011年 09月 22日

沖縄の「うない」たちに力をもらった日

▼久しぶりに講座へ

21日(水)は、なは女性センターの講座「立ち上がった“うない”たち 〜沖縄・政治とジェンダー〜」(講師:宮城晴美さん)に足を運んだ。帰って来てすぐに感想を書こうと思っていたけど、帰りに懇親会に声をかけてもらったので、ほいほいと着いて行って、帰って来たのは0時過ぎ。

宮城晴美さんは、沖縄女性史家。那覇市役所職員のときに、那覇女性史『女のあしあと』(琉球王国時代から現代まで。全3冊)を編集・刊行された方。

沖縄のジェンダー問題の大きな課題の一つ、トートーメー(長男が引き継ぐべきとされている代々継いで行く位牌)についても研究されていて、その習慣が、もともと士族のものであり、庶民は長らくそのような価値観は持っていなかったことを指摘されている。


▼日本本土より早くおこなわれた女性の政治参加

今日の話もおもしろかった! 恥ずかしながら、知らなかったことがいっぱいあった。

終戦直後、沖縄本島各地の収容所に12の「市」がつくられ、「市会議員」と「市長」が選挙で選ばれることになったこと。そして、1945年9月20日に投票がおこなわれ、そのときに女性も投票権があったということ(落選したけれど、議員への立候補者も二名いたとか)。

それは、米軍にいち早く占領されたということの結果ではあるけれど、日本で女性の投票が始まった1946年4月10日よりも半年以上も早い出来事だった(身元の証明ができなかったり、字の書けない人が多い中での選挙だったらしいけれど…)。


▼伊佐浜の土地闘争

その後の戦後の女性たちの闘いの歴史に鼓舞される思いがした。政治へ挑んだり、社会制度の改革に取り組む女性たちのこともさることながら、僕の印象に残ったのは、1955年の「伊佐浜の土地闘争」。

これは、1954年に、米軍が伊佐浜の住民に立ち退くことを要求。もともと稲の良く実る水田が広がる土地だったそうだが、最終的に地元の男性たちは最終的にとして同意することに(地代にからむ妥協があって?)。しかし、女性たちが猛烈に反発し、反対運動を展開したという。

だが、1955年3月11日、武力とブルドーザーをもって約3万坪は強制収用されてしまった…。


▼「うない」たちとの語らい
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懇親会も、基地問題や労働問題などの社会問題について(当然、ジェンダーの視点から)語り合いながらも楽しい時間だった。

以前も日記にも書いたけれど、こういう女性たちと出会ったことが、沖縄に帰っても大丈夫かも…という思いにさせてくれたのだった。

「こういう」というのには、もちろん、友人たちも含まれている。

ちなみに、「うない」というのは沖縄本島の(本島南部の?)方言で、「姉妹」という意味。

女性運動の中では、英語のsisterhoodに近い感覚で使われている印象だ。

そんな言葉がぴったりな彼女たちを見ていると、エンパワーされると同時に、いかにその運動に学び、つながりながら、性的マイノリティのことをやっていくかということを考えさせられる(前向きな気持ちで)。


その講座が始まる前、なは女性センターに入ろうと思って空を仰いだら、虹が出ていた。なんだか僕が、これから沖縄で活動や研究をしていく上で、大切にするべきものを指し示されたような、そんな気がした。
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by Hideki_Sunagawa | 2011-09-22 01:07 | Diary
2011年 09月 20日

Hometowns

なんだか沖縄で惹かれるところのことばかり書いていると、東京には未練がないみたいに聞こえるかもしれない。しかし、21年住んだところだし、新しい生き方を確立した場所なのだから、思い入れは深い。


やはり、東京の季節の変化は大好き(最近の、長く続く猛暑はうんざりだけど)。

桜は、色んな思いを駆り立てる。冬を越えて春を迎えた喜び。はかなく散る姿に重なる、今は亡き大切な人々のこと…。一年後の自分は…という想像。

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僕は、新宿の高層ビル街も好きだった。

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だから、お茶をするのも西新宿の高層ビルの谷間にある広場だったり。

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渋谷はずっと馴染めなかった街だったけど、よく前を通ったり、たまに待ち合わせ場所にした、岡本太郎の「明日の神話」は、とても好きだった。

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秋の紅葉も、やはり美しい。東大駒場キャンパスの銀杏並木も綺麗だったなぁ。

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でも、やっぱり、東京で一番恋しく思うのは、そこで関係を育んだ友人たち(相方はまた別格として)。今はまだ離れている実感はあまりないけれど、お互い、だんだんと思い出になっていく人が多いんだろうなぁ…と思うと、ちょっと切ない。

東京にいると沖縄が恋しく、沖縄にいると、東京の日々を思い出して少し切なくなる。しかし、好きな場所がいくつもあるということはとても幸せなこと。

僕にとって、東京は「『第二の』故郷」じゃなくて、やっぱり故郷なんだなと思う。
I love my hometowns!(笑)
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by Hideki_Sunagawa | 2011-09-20 20:39 | Diary
2011年 09月 19日

活動のエネルギーは…

ぼちぼちと沖縄でのLGBT関係の活動を準備している。その活動にも参加してくれそうなレズビアンの友達から、以前、「また復活して頑張ろうって思うモティベーション(動機)がどこからくるの?」と尋ねられたことがある。僕自身よくわからないところも多いので、「考えてみるねー」と返事したままに。

僕が2000年にパレードを復活させたときに、その動機を聞かれることがよくあった。自分でもはっきりしないその心情を無理矢理言葉にして、「『コミュニティ』への恩返し」と語っていた。自分がそれまで支えられて来た色々な関係性への「恩返し」…


今も、基本的には、自分が意識できるモティベーションの土台には、誰かから受けたサポートを返していくという思いがあるような気がする。そして、「恩返し」のつもりで始めた活動は、また他の人の協力や支えを招き、一層「恩」ができていく。そうやって、僕は、パレードの10年、HIV/AIDSの21年の活動を続けてきた。

しかし、「恩」という言葉は、「返す」義務感と一体となり、重い。時には、自分が受けて来たものを、その言葉でとらえて、その重みを実感するのも悪くないかもしれない。けれど、ずっとそれを背負い続けるのは、つらいことでもある。

その「恩」を「愛」という言葉でとらえなおしたら、随分と印象が変わった…という話を、以前もこのブログで書いた→2011年1月21日の日記


「愛」って日本語ではとても照れくさい言葉だけれど、時々自分の受けて来た/受けている「愛」を思い出すのは大事だなぁ…と思う。

先日書いた友人の助けもそうだし、もちろん、親きょうだいから長らく受けて来たものもそうだし。僕が、沖縄で再スタートができたのも、地元の友人の支えがあってのことだ(何を隠そう、友人の一人が家を借りるときの保証人になってくれたりもした)。東京で生きられたのも、何人もの人に、物心ともに支えられたおかげだ。それらは、全て愛なんだ、って思ったら、とても幸せな気分になる。


もちろん、そのサポートへの感謝の気持ちを常に持ちつつ、いつか自分ができる形でお礼をしていきたいと思っているけれど、それを「恩返し」と言っている間は、なんだか義務っぽくて、他人行儀な感じで、ある意味で狭い価値観のような気がする。

「恩」は「返す」ものだけど、「愛」へのお礼はどう表現するべきだろうか?「愛」を「返す」のはどう考えても変な表現だ。

きっと、受けた「愛」は「広げていく」ものなのだろう。あるいは、意識しなくても、自分が「愛」を受けていることを実感すれば、「広がっていく」ものなのかもしれない。


それが僕が活動に疲れ果てても、また始めようと思えるエネルギーとなっているのだろう。…なんて言うとなんだかキレイな話すぎる感じもするけれど、こういう前向きな気持ちについて語って行くことも重要だと思うので、あえて。


最後に、なんとなく、昨日届いた「くま絵師・悠」の作品を。雲の上にいるのは、僕の最愛の親友がんすけ(2007年逝去)と、そのパートナーだった相坂さん(2011年逝去)。僕は、そんな人たちからのバトンも受け継いでいる。

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by Hideki_Sunagawa | 2011-09-19 16:33 | Diary
2011年 09月 18日

昨日の日記の追記的に

昨日の日記に書いた内容に合う画像を、以前撮影したものからピックアップしてみようと思ったけれど、街中で勝手に繁茂している植物を写したものは少なかったので、とりあえず、沖縄の木々の元気な姿を写したものを。

最初のものは、僕が小さい頃よく一人で遊んでいた「波の上宮」まわりの公園で写したもの。このように石灰岩の岩石に根を張って育っている大きな木を良く見かける。人の手で作り上げたものではない、この形態が魅力的だ(盆栽のような人の手がかかったものも嫌いじゃないけど…)。

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国際通りからちょっと入ったところにあった樹木。通りから奥まったところにどっしりと生えていたが、その入り口付近が住宅地として開発されていたので、この樹は切られたかもしれない…。

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これは、相方の「くま絵師」こと悠が沖縄で写した写真。いろんな植物が一緒に生えているこういう風景がとても好き。ちなみに、この沖縄旅行の時に彼が持ち歩いていた、友人が作ったという玉型のオブジェ(?)がどこかに隠れています(笑)。

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以前もアップしたことのある若狭の樹木。住宅街の道にいきなりこんな木があったりするのは、やはり東京では考えられない。でも、この前の通り、大幅に拡張されたので、これも切られてしまったかも…

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おそらく、新しい道路をどんどんつくる中で、大きな樹々は切られてしまうのだろう。とても残念だ。しかし、それでも、また新しい木が新しい道路の隅から生えて来る。そこに力強さを感じる。そういうものがなくなった時は、沖縄は本当に変わった時なんだろうな、という気がする。
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by hideki_sunagawa | 2011-09-18 17:21 | Okinawa