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2011年 08月 31日

TwitterとブログとFacebookと

すごく久しぶりに連日のブログ更新。先日沖縄に帰省していた友人と会った際に、毎日書き続けることの大切さを何度も言われたことをきっかけに…。まぁ、たぶんすぐにまた中断しそうな気はするのだけれど、最近ずっとやってきたTwitterにちょっと消耗感を感じるようになってきたこともあり。


Twitterは細切れの言葉や情報を流すことになるので、誤解も生じやすいし、インパクトのある言葉や情報を選びがちだ。丁寧に自分の考えを説明したり、整理したりするツールではない。

また、英語の140文字はとても少ない文字数なので、ほんとうに「つぶやき」や単純な情報提供で終わるのだが、日本語の140字は意外と量があるので、変な議論になることも少なくない(たまに、面白いやりとりになることもあるけれど<この前、このブログに再録したエイサーの議論のように)。

しかし、人々がだんだんと文字数の多いものを敬遠するようになっているので、Twitterのような文字の少ない情報ツールは(いろんな形をとりつつ)重要度を増していくことも確かだと思う。僕も、情報伝達&収集、自分と考えが近い人とのネットワーク構築のツールとして、今後とも活用していくつもりだ。


Facebookは、いつまで経ってもうまく使いこなせないのだが、世界の色んな地域の人とつながるのが魅力的だ。今のところ、僕は、英語を使いつつ、また画像をアップしてつながりを広げていくツールとして使っている。


そして、このブログでは、まとまった文章を書いていこうと。他愛もないことも、がっつり考えたことも。まぁ、人というのはいつまで生きているかなんてわからないわけだし、自分が生きた証(というにはオーバーだけど)ということで。


ちなみに、Twitterは、(日本語)@H_Sunagawa (英語)@SUNAGAWAinE です。英語は最近全然使っていないけど…。

Facebookは、 http://www.facebook.com/hideki.sunagawa です。さっき書いた通り、使いこなせていません(汗)
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by hideki_sunagawa | 2011-08-31 13:21 | Diary
2011年 08月 30日

同性間パートナーシップの保障

昨日の文章だけだと、僕が同性間パートナーシップの法的な保障は必要ないと考えているという印象を与えるかもしれない。しかし実は全く逆で、僕は、異性カップルの権利と同じ権利が認められるべきだと考えている。

どういうファンタジーを抱くかどうかさておき、パートナーシップは、現実には権利や義務という問題に直面する関係性だ。婚姻は、どの社会でも、様々な権利や義務の確認のためにあるものであって、それに「恋愛」と重ね合わされるようになった社会でも基本的には変わらない。

米国の映画「If These Walls Could Talk 2」(日本語タイトル:ウーマン・ラブ・ウーマン)は、三つの時代のレズビアンたちの物語だが、第一話は、1960年代の高齢のレズビアンカップルの話。一方が脚立から落ち病院に運ばれるが、ずっと一緒に暮らして来たパートナーは、「友人」としてしか扱われないが故に面会もできず、待合室で夜を過ごしつつ待っていたにも関わらず、夜中に亡くなったことも知らされない。家も、亡くなった方の名義であったがために、出て行くことに…

実際に、米国で同性婚を求める動きの背景にたくさんの悲劇があったことが、George Chauncey (2004) “Why Marriage?: The History Shaping Today's Debate Over Gay Equality”(=上杉富之・村上隆則訳2006年『同性婚』明石書店)にも記されている。

まさに、現実を生き抜いていくための一つの重要な方法として、同性間パートナーシップの法的保護を求める運動が生じて来たわけだ。その運動の流れに対しての当事者からの批判もある。社会が「まともなあり方」として押し付ける「結婚」スタイルへ迎合し、そのあり方こそが「まとも」であるとする社会の価値観を強化するのか、というのがその一つだ。

その批判もわからなくもないのだが、僕は、多様なカップルのあり方が「結婚」あるいは結婚の準じたものとして認められるようになればなるほど、逆説的に結婚の意味が軽減されていくのだろうと思っている。

そして、現実問題として、誰もが最期のときを迎えるわけで、パートナーがいる人はその関係性が法的に保障されなければ、その最期のときを安心して満足して過ごせないと考えている。

もちろん、法的に認められていなくても、親やきょうだいなどが二人の関係を理解し尊重してくれるなら、臨む通りの最後の時を過ごしやすいだろう。逆に言えば、法的に認められていても、まわりの人が認めてくれなければ、すんなりといかないこともある。そう考えると、法的に通れば全て解決するというわけでもない。ただ、法律ができれば、同性間パートナーシップというものが社会的に認知される後押しになることは確かだ。

Chauncey“Why Marriage?”には、同性間パートナーシップが法的に認められていいく力となったことの一つとして、ゲイやレズビアンがカミングアウトをすることが増える中で、異性愛者の中にも、「自分の友人や家族であるかれらに、自分たちと同じ権利がないのはおかしい」と思うようになったということが書かれてあった。

同性間のパートナーシップだけの問題でなく、ゲイやレズビアンが、よりのびのびと生きられる社会を実現するためには、やはり、まわりにカミングアウトする人が増えて行くことが重要なんだろうな、と思う。

もちろん、そのことにより難しい問題に直面することもあるので、時に慎重さも必要だけれど…。また、このブログでも何度も書いてきたけれど、カミングアウトをすべきとかすべきではないとかは、他の人が言えることではない。けれど、一人ずつが一歩ずつ踏み出すことで、変わって行くことがあると思う。よくカミングアウトを「自己満足」という人がいるけれど、僕は、社会的に意味のある行動だと思っている(仮に「自己満足」だったとしても悪いと思わないけど)


カミングアウトと言えば…ということで、最後に宣伝。『カミングアウト・レターズ』(RYOJI&砂川秀樹編著、太郎次郎社エディタス)、今年5刷目が出ました。まだまだ色んな人に読んで欲しいので、まだな人はぜひ。カミングアウトを考えている人、カミングアウトを受けた人への「解説」もあります。
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by hideki_sunagawa | 2011-08-30 20:40 | LGBT/gender
2011年 08月 29日

幸せ…って?

最近やりとりした二人の若い(20代前半の)ゲイ男子。二人とも切に「幸せになりたい」と願っている。そして、そのための一番の条件として(というより、必要十分条件のように)考えていることは、二人とも「素敵な、ずっと一緒にいられる彼氏が見つかること」だ。

僕も、彼らと同じ年の頃、ただひたすら寂しかったことを覚えている。自分がゲイであることを今のようにオープンにしていなかったせいか、「仲間」としてのつながりを感じられる人は学校内にはいなかった。それゆえか、少しでも好きになった相手には過剰に気持ちを傾けて、相手に引かれることがしばしばあった。

親密な関係性から得られる安心感をすべて色恋の相手に求めていたのかもしれない。もちろん、「素敵な恋人ができて結婚すれば幸せになれる」と思っている若い異性愛の子もたくさんいることを考えると、必ずしも問題は好きな相手が同性だから…が理由ではない。

でも、意識しているかどうかさておき、自分の性的指向に関係する話をまわりとシェアしづらい関係では、うっすらとした疎外感に包まれがちだ。その中で、その気持ちを好きな相手に一層集中させてしまう子はいるだろう。

更に、ゲイであろうとなかろうと、世の中に流通する恋愛イメージは内面化するわけで、その中で最も支配的な「結婚こそが幸せ」というイメージを内面化する人も当然出て来るわけだ。

女子大で教えているときも、「『結婚=幸せ』だなんて…」と、その幻想のくだらなさについて散々言ってきたし、今でもそう考えているが、それでも、異性愛者ならば、そのイメージに乗ってもなんとかやっていける人もいる。

けれど、日本では同性間の結婚はできないし、できたとしても、「それだけで」幸せになれるわけではない。もちろん、結婚すれば幸せが保証されるわけではないことは、異性愛カップルも同じだが、より強固に社会的なイデオロギーとして確立している異性愛の結婚より、同性間のそれは一層大きなもろさを含み持つ(もちろん、異性愛の結婚ももろくなりつつあるし、強力なイデオロギーになるより、もろいほうがいい気がする<しかし、僕は同性間パートナーシップが異性間のカップルと同じように法的に保証されることは必要だと思っている)。

だからこそ、結婚のイメージに近い恋愛に幸せを託す若いゲイの子たちを見ていると切なくなる。

もちろん、日本のゲイでも長期のパートナーシップを築き幸せを満喫している人は少なからずいるが、彼らは、それだけで幸せを実現しているわけではない。

僕は、その頃の寂しさは、HIVの活動に参加する中で「仲間」ができる中で解消されていった(もともと、若い頃はパートナーシップ志向があまりなかったせいもあるのだが)。だから、そういう子には、より広い関係を築くことをすすめる。

きっと彼らも、「あきらめ」という形ではなく、成熟した人生観という形で、そういうことに気づいてくれることだろう。そのためには、年齢を重ねたものが様々な幸せのあり方を見せて行く必要があるんだろうな、と思う。
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by hideki_sunagawa | 2011-08-29 22:56 | LGBT/gender
2011年 08月 17日

エイサーをめぐる議論 onTwitter

昨日、沖縄を中心に活躍されているミュージシャン、知花竜海さんのツイッターへの僕のレスを皮切りに、二人の友人と、エイサーをめぐって熱い議論になった。面白い、いい議論ができたと思うので、こちらに記録。

☆(追記)最初は、そのまま掲載していたのだけれど、やりとりに参加された方が「恥ずかしい…」というので、その方の発言は要約を(ブルーで()に入れて表記)。

ツイッターのやりとりなので、レスの順番が入り組むので、ツイッターに慣れていない人は読みづらいかもしれない。レスが、直前に流れたツイートのレスとは限らず、いくつか前のツイート(つぶやき)へのレスだったりもするので、その辺を念頭に置いて読んでみてください。

もともと最初に僕のツイートにレスをくれた方は、ゲイを中心としたエイサーグループで(以下、仮名としてSNとしておく)ここ2年くらい踊っている。

このエイサーグループは、関東、関西、沖縄それぞれに支部があり、新宿二丁目で毎年開催される「東京レインボー祭り」にはなくてはならない存在になっている。また、各地の性的マイノリティのパレードでも華を添える存在に。

途中からやりとりに参加するSさんは、このグループを立ち上げた一人。彼は、もともと東京のエイサーシンカでエイサーをやっていた(その中でもゲイであることをオープンにしていた)。エイサーについてかなり詳しい。二人とも、沖縄出身ではないが、エイサーに対する思いは熱い。

「Hideki」が僕のツイートです。



<以下、やりとり(注は、ここにアップするためにつけたもの)>

Chibanaさんのツイート:青年会がEXILEのI wishでエイサー踊ってる笑。ちゃんと地方が三線で弾いて歌ってるよ。しにうける。そこからの唐船ドーイ! 


Hideki:青年会にもこういう流れが。EXILEの曲を使うところがヘテロ男子文化だなぁ(苦笑) RT @Chibana 青年会がEXILEのI wishでエイサー踊ってる笑。ちゃんと地方が三線で弾いて歌ってるよ。しにうける。そこからの唐船ドーイ!

(嘆かわしく感じるという内容のレス)

Hideki:ま、その時々において変化するものだし、僕は、面白いと思うけど。たぶん、一部だけ遊び要素としてやってるんだろうし。SNがMAXとかやるのと同じかと。

(注:SNは、ゲイのエイサーグループの仮名。MAXというのは、ゲイナイトなどで踊る用に、MAXの「ニライカナイ」を踊ったりすることを意味している。)

Hidek:僕もあまり創作には惹かれないけど、そういう個々の好みはさておき、もともと共同体のものなので、「余所者」があれこれ言うのも…って感じかな。

(余所者だからこそ、伝統的なものへ憧れが…)

S:ま、ぶっちゃけ好みの問題だからねー(笑)なんだかんだ言って、創作エイサーの方がやってる人の数が多いって事からも、そういうの好きな人は多いってことだよね~。ま、マイノリティ~好きなあたしはやっぱり民謡系が好きだけど(笑)天の邪鬼だしー

(民謡系が廃れそうで寂しい)

Hideki:わかるー。でも、それって、やっぱり、都会で生きてる人の勝手な憧れだと思うんだよね(自分も含め)。もともと、エイサーって、伝統を守り受け継ぐ、というより共同体の関係性の強化が重要だからねー。 若者が集まる方法を模索してるんじゃないかな。

S:まーでも、何でもそうだけど、伝統を守るのも、伝統をぶち破るのもどっちも意味のあることだよねー(●´ω`●) ゲイだけのエイサーなんて、ある意味型破りなんだし(笑)

S:大丈夫、廃れないから(笑)マジョリティーが強くなればなるほど、マイノリティーに惹かれる人ののめり込み具合がひどくなるのは何でもだし。そんなときは平敷屋のエイサー見て!ずーーーっと伝統エイサーを守り続けてる事のすごさがわかるから

Hideki:天邪鬼ってことは、その土地に育って青年会に入ってやってたら、逆に、「創作やりたーい」って思ったかもねw

S:そう(笑)なにが目的かで選択肢は変わるからー。目的に対する手段として合ってれば何でもいいと思います~。大体、今の形のエイサーなんて、そんなにすごく古いものじゃないし

S:言ってる自信ある(笑)天の邪鬼ってより、可能性を熟慮したり、試さないで捨てるってことのデメリットの方が大きいと思っちゃうタイプなのでー(笑)

S:ううん、違うの。伝統を守るのもすごく大事。守るものと、変えるもの、両方があって初めて文化というものが成熟していくんじゃないかなぁと思うよー。だから、守って!(*・ω・)ノ

Hideki:「伝統」と言われるものについて、文化人類学的では色々議論があるけど、ここでは語り切れないw でも、このテーマ、面白いんだよね。そう、新しいものが出て来ると、そうではない流れへの執着も生まれるのです!

S:ですよねー。どんだけ続いてれば伝統になるのかなんて言い始めたら終わらない(笑)みんな違ってみんないいです(*´▽`*)

Hideki:実は「伝統」と思ってるものも、そんなに昔からあるものじゃなかったりするけどねぇ。僕は、「伝統」と呼ぶかどうかさておき、いいと思うものは、そう思う人が継続すればいいかと(というか、そうしかなり得ないような)。

S:今の形のエイサーなんて、せいぜい戦後の話ですもんね(笑)

(変えるエネルギーより守るエネルギーの方が僕には合う気がします…。だから、守りたい。)

S:いいのよ、守って!M(注:SN創設メンバーの一人)と話合うと思うよ(*・ω・)ノ かく言う僕も、なんだかんだ言って守る派だから(笑) 守って、繋いで、育てましょ

S:ただ、正確には僕はバランス派なの(´д`) 目的は多くの人にエイサーを知ってもらいたい!だから、もしかしたら、場合によってはより多くにアピールできる方法を取るかもしれない。衣装も実は沖縄伝統にアレンジ入れてるし

Hideki:さすが!よくご存知で。特に、大きな振り、大太鼓が目立つ構成は、1970年代(だったかな?)の本土遠征のときに、「なめられないように」ということでつくられたと、沖縄芸能研究者の久万田先生がおっしゃってました。この辺の話、おもしろい! 

(ヒヤミカチを例に取ったって戦後の話ですもんね)

S:ね、僕も一時期エイサーの成り立ちとか、より古い念仏踊りだったり、大宜味の辺りでまだやってる、手踊りだけの昔の形のエイサー見に行ったりと結構色々教えてもらいました(*´▽`*)

Hideki:そうそう、そういう色んな意識や方向性をもった人がせめぎ合って(いい意味で)、こういう文化は充実していくのだと思います!「頑固」な人の存在、大事。

S:ポイントは、それぞれの立場、考え方で、きちんとした「議論」する事ですよね(*・ω・)ノ 全部を否定した文化に未来はないと思います

Hideki:面白い議論だったー。今度、会ったときにそれぞれから改めて話聞きたいわ。Sさんにも色々教えてもらお。おやすみーw

(みんなの色んな意識が文化を形成していくんだね。どんな流れになるかは、みんな次第。当たり前の事だけど気付かなかった。お二方共色々とありがとうございます。)

S:こういうの話すの楽しいねー(*´▽`*)今度ゆっくり話しましょ
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by hideki_sunagawa | 2011-08-17 12:26 | Okinawa