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2011年 01月 28日

最後の講義

7年間教えた実践女子大学での最後の講義が、今週の水曜日あった。

とはいっても、この最後の回は補講で、ゲストスピーカーをお呼びしてのもの(友人にゲイのHIV陽性者として話をしてもらった)だったので、実質的には、先週の試験の前週の講義を最後と言うべきなのかもしれない。

いずれにせよ、まだ成績をつける作業はあるが、講義は終了。恐らく、もう学校に行くこともないだろう。ずっと、6年勤めたつもりでいたが、日記を確認したら、2004年に始めているので7年間だった。

このとき、関東学院大学の授業も同時に始まっていて、その登録人数の多さにめげそうになっていた。大変な年だった…。日記には、授業の話と、イラクでの人質事件の話が書かれている。そんなこんなで、なんだか荒んだ気持ちになっていたことを思い出す。

さて、それから7年…。当たり前だが、とりあえず、大学の授業で話をすることにはだいぶ慣れた。ここ2年の間には、筑波大学や東京大学でも非常勤講師として教える機会にも恵まれた。やはり大学によって、学生の雰囲気はだいぶ違うので、それもとてもいい経験になった。

一番長く勤めた実践女子大学は、大人数のクラスだったにもかかわらず、教えやすかった。全般的に授業態度は真面目で、とても優秀な学生もいた。僕は、おしゃべりにとても厳しく、試験も難しめだったが、毎年多くの学生が履修してくれた。


今年も、僕がだいたい毎年最後に言ってきたことを、伝えた(先々週の講義で)。

「これから先、つらいことや困難にぶつかることもあるでしょう。でも、必ずどこかに助けてくれる人はいるので、つらい、苦しいという声を上げてください。あきらめずに、助けてくれる人を探してください。」

二コマ合わせて毎年160〜180人くらいの学生が登録していたので、この大学で教えた学生は、7年間で1200人くらいか。みんなどうしているだろうか。

ちなみに、来年度は、他県の大学で集中講義で教える予定があるので、一応、非常勤講師としての経歴は継続。沖縄の大学では、今のところ特に予定はないけど、教える機会が今後できるといいなぁ、と思っている。

さて最後に…7年間、教える機会をくれた実践女子大学に感謝を。どうもありがとうございました。お世話になりました。……って、まだ業務残っているけれど(苦笑)
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by Hideki_Sunagawa | 2011-01-28 02:32 | Diary
2011年 01月 21日

恩と愛と

改めて書くと恥ずかしいが、最近、「愛」について考えている。僕は、「愛」というものが実体を持っていたり、普遍的に存在していたりするものとは思わない。しかし、いや、だからこそ、それぞれが自分にとっての愛を考えることは大切なことなのだと思う。

このことを久しぶりに考え始めきっかけは、一つには、「これまで、僕は自分が受けて来たサポートを『恩』だと思ってきたけれど、それを『愛』としてとらえなおすと、ずいぶんと印象が違うな」と思ったことがある。

「恩」には、返すべきもの、というイメージがつきまとう。もちろん、「恩」は、とてもありがたいものだが、多くの「恩」を受けると重荷になることもある。一方、「愛」は、返すとか返さないというものではない。むしろ、自分が受けた「愛」は、今度は自分が他の人に分けることの方が重要で、そうすることで、ようやくその「愛」に応えることになるような気がする。


そして「愛」について考えるようになったもう一つのきっかけは、最近、「『愛』を受けていても、それに気づかない人がいるんだな」と思うことがあったこと。

自分のことを心配してくれる人がいて、「大丈夫?」と声をかけてもらえること、「何かあったら言ってね」と言ってもらえること、大変な状況や弱った気持ちに寄り添うような態度を示してもらえること、もちろん、具体的な形で支えてもらえること…そういった行為こそが「愛」なのに、それに気づかずに、どこかに「これが『愛』だ」と実感できるものがあると思い、探し求めてしまう。

「愛」が実体として存在しているというイメージを持つがゆえに、今ここにあるものではない何かだろうと思い、を求めてさまようのかもしれない。まさに、「青い鳥」の話そのものだ。

しかし、そんな風に言う自分も、自分がもらってきた「愛」に気づかずにやり過ごしてしまったことが少なからずあるだろう。また、気づきつつも、うまく受け取れなかったり、素直に感謝できないこともあった。

約20年間の東京生活に終止符をつけようとしている今、その日々を振り返り、自分がいかに多くの人から「愛」を受け、支えられてきたかを改めて実感し、感謝の念を深めている。それが、これからの僕がどう生きていくか、生きていきたいかということの土台となることだろう。
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by Hideki_Sunagawa | 2011-01-21 01:47 | Diary
2011年 01月 17日

成人式

昨日、セクシュアルマイノリティも自分らしく参加できる(そういう言葉は使ってなかったけど、そういうことだと思う)という趣旨の「成人式」で短い祝辞を述べさせてもらった。

自身が成人になったFtM(女性→男性)トランスのHさんが、一般の成人式に出るとなると親に振り袖を着せられるということで、同じような思いをしている人も参加できるような、今回の式を考えたらしい。

ごく少人数の参加で、成人を迎えたばかりの人は主催者だけかな?という感じだったけど、とても意味のある会だなぁ、と思った。そして、自分自身で自分の求める場をつくろうとする、その志に触れて、胸が熱くなった(目頭も)。

その祝辞でも触れたのだが、こういう節目をともに祝い共有することは、「コミュニティ」の強度を増す上でとても重要なことだと思う。この「強度」とは、支え合い、生きていくエネルギーを与える力のことだ。


一般的な成人式は、女性と男性で明確に服装が異なるのが当たり前とされているため、家族など周囲の人に理解を得られていないトランスの人は、とても参加しづらいだろう。そしておそらく、そのようなハードルの高い経験をしているトランスの人だけでなく、ゲイやレズビアンにも、見えない壁のようなものを感じる人、感じた人は少なくないのではないかと思う。

もちろん、ゲイやレズビアンの人の中にも参加して楽しかったという人がはたくさんいるだろう(それが大部分かもしれない)、また、トランスの人でも自分の性自認に合った服装で参加できて思い出をつくったという人もいるに違いない。

だけど、自分がその理由に気づいているかどうかさておき、セクシュアルマイノリティということが根本にあって、参加する気持ちが起きなかった人、場合によっては、参加したい気持ちがなくはないけど参加できなかった人も少なからずいることも間違いない。

実際にtwitterでも、そのような声が聞かれた。もちろん、気が向かない経験をしたのはゲイやレズビアンだけではないだろうし、それ以前に、大前提として、成人式に意味を感じないので別に行かないでもいいしと思っている人、行かなかったこと自体どうでもいいと思っている人も多い。


実は僕も、成人式は行かなかった。当時は、全然行きたいとは思わなかったし、行かなかったこと自体、その後もずっとどうでもいいことだった…昨日の成人式に参加するまでは。

昨日の成人式に参加して強く思った。今回の成人式のように、本当に自分がゲイであることをわかってくれる仲間たちがそこにいて、セクシュアルマイノリティということで生きづらい思いを経験をしている仲間たちが自分らしく参加できて、同じような経験を経た先輩が祝ってくれるような成人式なら出たかった!と。

そして、二十歳当時は、他のいろいろ理由をつけて成人式に出席しなかったけど、もし自分がゲイじゃなかったら行っていたかもしれないとも思った。

さらに言うならば、成人式というのは、もともとその人が一員として感じてる「コミュニティ」で先輩や後輩に祝われることに意味があるはずだ。だから、別にセクシュアルマイノリティに限らず、いろんな「コミュニティ」でも自分らしく参加できる成人式があるといいと思う。

そんな風に「あるといい」と思うことを自ら始めた人たち(僕よりも約25歳も年下の人たち…)は、すごい! 僕は、今回とても元気をもらった。呼んでくれた主催者には、感謝の思いでいっぱいだ。ありがとう!!!


僕も、沖縄に帰ったら、祝う側として性的マイノリティ向けの成人式をやりたいいなぁ、と思った。

きっと、成人式を迎えた頃から多くの年月を経た人も、祝う側として参加してみると感じるものがあると思う。僕らは、ないことが当たり前、自分のあり方が前提とされていないことが当たり前であるがゆえに、気づかないうちにあきらめていたものがたくさんあるんじゃないか、最近あらためてそう感じている。
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by Hideki_Sunagawa | 2011-01-17 10:31 | LGBT/gender
2011年 01月 11日

20年前、20年後

約20年ほど前にHIVの活動の中で知り合った、ひとつ下の友人と、2年ぶりにお茶をしながら話をした。知り合った当時、彼は、米国留学から帰って間もなかったと思う。日本で大学院の修士課程に入り、心理学を学んでいた。

知り合ってから2年くらい経った頃だったか、彼から「医学部に入る」という話を聞いて、とても驚いたのを覚えている。そのときの僕の印象は、「え?こんな年から医学部に入るの?」というものだった。

よくよく計算したら当然なのだが、そのとき彼が25歳だったという話になり、またまた驚いた。「えっ?そんなに若かったの?」と。そう、その頃の僕は20代半ばは、医学部に入るには歳をとりすぎているという印象を持ったが、約20年経た今からみると、「十分に若いじゃん!」という感覚なのだ。

自分を振り返っても、30歳で大学院に挑戦するとき、「この年齢で…」と、まさに清水の舞台から飛び降りる気持ちでチャレンジしたが、今は、やっぱり「30歳なんて、まだまだ若かったのに!」と思う。

きっと、10年後、20年後に今を見たら、やっぱり同じように思うのだろう。だから、やはり年齢を言い訳にせず、やりたいことはやっていくことにしよう。
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by Hideki_Sunagawa | 2011-01-11 21:00 | Diary
2011年 01月 07日

再会

11月14日の日記に書いた、23年前に知り合ったものの、ずーっとやりとりのなかった人と会って食事をした。

当時直接会ったのは一回か二回だったので、先方の当時の顔や振る舞いは覚えていなかったので、どれだけ変わったのか変わっていないのか、正直よくわからなかったけど、素敵な年の取り方をしているなぁ、と思った。

45歳で海外へ移住し、それから2年ほどして、新しいクラフトをつくるようになったという。ちょうど今の僕と同じような年齢で、そのように大きく人生の舵を切りかえたその人生に、とても力づけられた。まさに今、会うべくして会ったような気がする。

果たして、僕が今の彼の年齢になったときに、誰と会い、何を話しているだろうか…。楽しみだ。
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by Hideki_Sunagawa | 2011-01-07 00:49 | Diary
2011年 01月 03日

東京

沖縄へ戻り住むときが近づくにつれ(まだ具体的な日にちが決まっているわけではないけど)、とても複雑な心境になる夢を見るようになってきた。

沖縄に戻って寂しい思いをし、後悔している夢もよく見る。これは、「本当は戻りたくない」ということではなく、自分の不安が現れたものと思っている。普段は、不安よりも、「沖縄に戻ったら、こういうことをしたいな」と前向きな気持ちの方が大きいので、やはり、「深層心理」というは不思議なものだなぁ、と思う。

昨夜は、「東京にいる間に、もっと東京のことを知ろうとするべきだった」と思う夢だった。起きて、「そうだなぁ…」と思った。

僕は、新宿二丁目を中心として新宿を研究したし、その研究の中で東京の歴史も学んだが、もっと具体的に色んな場所に足を運び、そこの生活について知ろうとすれば、また違う楽しみが得られただろうなと。

しかしまぁ、残念ながら、失うときにしか気づかないものはあるのだろう(もちろん、沖縄に行ってからも、東京を訪れることは少なからずあるのだけれど、「住んでいる」ところを知るというのと、訪問して知るというのは、意味が違う気がする…)。

肝心なのは、そのときに気づいたことを、いかにその後に活かしていくかということだ。今は、「沖縄に戻ったら、もっと沖縄のことを知ろう」と思っている。日々の生活に追われて、その気持ちを忘れがちになることもあるかもしれないけど…


最近、10代の頃までメディアを通して見ていた東京に、自分が20年以上も住んだことがなんだか不思議に感じるときがある。去年だったか、渋谷のセンター街を歩いているとき(滅多に行かないけど)、誰かがカバーしたピンクレディーの曲が流れていた(ペッパー警部だったかな?)。

それを聴きながら、人がひしめくセンター街を歩いていると、その曲が流行っていた当時にテレビで見ていた東京と、自分が歩いている東京の重なり、目眩に似た感覚を覚えた。

たまにテレビで放送される、当時の流行った歌が流れながら昔の街の様子が映し出される、その映像の中に自分が入り込んでしまったかのような。

東京に受験で来た頃、沖縄でも見ていた全国ニュースを見ながら、近いところでつくられ放送されていることを肌で感じて、何か違う感覚で見ているときに気づいたときのことと重なる出来事だった。

また、「桜田門」という地名に、「『桜田門外の変』の桜田門?」と思ったときの不思議な思い、とか。新幹線に乗って遠くまで行くときに経験する、「本州という広大な土地の一部にいる」感覚とか。


それらは、実際には自分が遠いものと感じているのに、共通の枠組みの中の出来事として、歴史として共有していたものを、身近なものとして実感したときに感じた感覚ということなのだろう。

逆に言えば、自分から感覚的には遠かったにもかかわらず、ナショナル(国民国家)という枠で提供されていたから、自分のものとしていたのだということの再発見でもある。

その再発見を経た後に、沖縄に住みながら眺める(そして時折訪れる)東京、そして経験するナショナルなものは、一体どう感じられるのだろうか。それはまた楽しみでもある。
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by Hideki_Sunagawa | 2011-01-03 09:41 | Diary
2011年 01月 02日

「普通」って…

家族とのメールのやりとりで「〜するのが普通でしょ」と書かれ、それに対して、かなり憤った返事を返してしまった…。「普通」というのは、文脈によっては、僕が最も怒る言葉の一つだ。

昔は「普通」という言葉を聞く度に、「普通ってなに?」といちいち反発していたものだ。「普通」って、人によって異なるのだから。

けれど、最近は、そこまでその言葉を否定的にはとらえていない。「お互いの価値観や生活のあり方をよく知っている関係性の中で、その人が『普通』と口にしたときにどういうもの(あるいはレベル)を指しているのか、想像がつく場合には問題ないのかも」とか、あるいは「それが必ずしも共有されないけど…という前提で口にされる場合には、問題ないかも」と考えている。だから、僕もそういう関係性や文脈で使ったりする。

しかし、それは逆に言うと、価値観や生活を共有していない人が「普通」と口にすると、「えっ?」と思うということでもある。ましてや、「普通」というものは人によって違うのだ、ということが念頭に置かれること無く、その言葉が使われると、苛立ちは大きくなる。

さらに、ある行為を促すために、あるいはある行為を批判するために、「普通」という言葉が使われると、かなり頭に来る。そのような文脈では、今も僕が激怒しがちな言葉だ。そのような中で使われる「普通」という言葉は、時に誰かを深く傷つけることもある。

そのようなことを考えるときには、やはり、「同性を好きになることは『普通』ではない、異性を好きになるのが『普通』と言われ、傷ついてきた(いる)人がいったいどれだけいることだろう?」という思いが頭をよぎる。もちろん、他のマイノリティのことも…

そういうことに傷つくことに対して、「『普通』じゃなくてもいいじゃない?」「普通じゃない方がかっこいいと思えばいいじゃない?」といった言い方もある。確かにその通りだ。

しかし、そのような言葉で傷つくとき、「普通」に価値を置いているからというだけでなく、その言葉によって、それを口にした人と自分が分断されて世界にいると感じさせられたり、関係性の埒外に置かれていると思わされたりするからでもある。

人間関係が広がったり、物事をより大きな視点で見られるようになれば、それも大したことではなくなるだろう。しかし、若い子たちは、なかなかそういう位置には立てない。大人でも、必ずしもそれが得られるとは限らない。

やはり、「普通」は、注意が必要な言葉だ。

にしても…沖縄に帰ったら、僕は、「普通は人によって違うから!」「自分の価値観を普通という言葉で押し付けないでください」と言うことが、今より多くなるのかもしれない(特に家族関係の中で)。先のメールのやりとりでは、「僕は沖縄に帰っても、そんな『普通』に縛られるつもりはないから」と書いたけど、そんなやりとりが増えることは覚悟せねば。
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by Hideki_Sunagawa | 2011-01-02 23:29 | Diary
2011年 01月 01日

謹賀新年

あけましておめでとうございます。今年は僕にとって、大きな変化の年となります(春から、沖縄に移り住む予定)。20年以上の東京生活で築かれた絆を大切に、沖縄での新しい出会いを楽しみつつ、研究も活動もがんばりたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。


一応、新年の抱負をと思ったけれど、なにはともあれ沖縄での生活を安定させることが大きな課題。それ以外で言うと、やっぱりせっかく出した博論を出版したいかなぁ。この2年間、東京プライドの活動に自分のエネルギーの大部分をとられてきたので、これからは自分自身のことにもっと時間をかけていきたいと思う。

あと、大変な時期ではあるけれど、友人との時間を楽しむことを大事にしたい。ゆっくり一緒に美味しいものを飲み食いできるといいな。

いったい、一年後にはどういう時間を過ごしているのか…全く予想がつかないけれど、とりあえず、こうして日記を書く元気はあるといいな。それでは、みなさまの一年が幸多いことを祈りつつ。
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by Hideki_Sunagawa | 2011-01-01 11:05 | Diary