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2010年 12月 29日

たんじょうび

昨日、44歳の誕生日を迎えた。

誕生日は、この一年また生き延びられたことを感謝しつつ、振り返る日。またたくさんの出会いがあり、たくさんの友人たちに励まされ、支えられた一年だった。

8月に東京プライドパレードを3年ぶりに開催することができた。僕が東京プライドの代表に戻ったのは、2年前、東京プライドがパレードの中止を発表した後に、団体自体が機能不全状態に陥ったときだった。そういう意味で、パレードを開催しなければ、僕の任務は終わらないと思っていた。それができてほっとしている。

2000年に今の流れのパレードを始め、2005年に東京プライドの代表となって三年ぶりのパレード開催の下支えをしながら団体づくりに従事して、2008年再建に取り組んで、また三年ぶりのパレードを開催して…。これだけ力を尽くしたなら、もういいだろう。

残念ながら、僕が好んで東京プライドのトップに立ち、その役割に固執していると思い込んでいる人も少なくないらしい。僕が関わらないでもうまくいくなら、僕はそうしたかった。こうして何度も東京プライドの運営に中心的にかかわることが、一体どれだけ僕の生活を不安定にし、本業に影響を与えたことか…。

きっと、自分が得るものがなくても(というより失うものが多くても)、社会を少しでも変えて行くために、たくさんの時間や労力、そしてお金を費やすという行為が理解できない人がたくさんいるのだろう。

テレビドラマや小説など、自分を犠牲にして(僕は、それが美しいことやいいこととは思っていないけど)、社会をより良くするために尽力する「物語」に、人々は感動する。けれど、現実世界では、そういう行為に対して「偽善」とか「自己顕示」とかいう目を向ける人が多いのは不思議なものだ。

…なんだか、愚痴っぽくなってしまった(苦笑)

でも、今年も、僕がやりたいと思っていることを理解し仲間になってくれた人がたくさんいた。そして、これまで僕を支えて来てくれた人たちも、また力を貸してくれた。僕が、社会的責任感で東京プライドを背負ったがゆえに、まわりの人たちをやきもきさせたのは申し訳なかったなぁ、と思う。でも、温かく見守り、サポートしてくれた仲間たちに心から感謝したい。みんな、ありがとう。


来年3月から沖縄に越す予定なので、44歳は、大きな変わり目の年になる。ローカルなもの、リージョナルなもの、グローバルなものを意識しつつ、活動していきたいなぁ、と思っている。不安も大きいけれど、楽しみでもある。これからも、どうぞよろしくお願いします。
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by Hideki_Sunagawa | 2010-12-29 09:38 | Diary
2010年 12月 21日

つながり

12月16日から20日まで沖縄に帰省していた。17日(金)には、なは女性センターで「ジェンダーとセクシュアリティを考える~文化人類学の視点から」という講座を開催させてもらった。

なは女性センターは、来年で開設15周年を迎えるという。僕が講師として訪れるようになったのは、2000年からだから、開設してからの年月の三分の二を共有していることになる。

ここで講師をする前は、正直、「女性センターと言っても、そこにいる人は、ヘテロが前提の問題意識で、セクシュアリティのことには関心がないだろうな」という偏見を持っていた。「どうせ勤めている人も、行政の仕事として、たまたまそこにいるだけだろう」とも。

けれど、声をかけていただいて、センターのスタッフとの交流が深まるにつれ、そこにいる人々がとても魅力あふれる人たちで、そしてセクシュアリティの話にも関心を持ってもらえるということがよくわかった。

さらに、その講座を通じて、ジェンダーやセクシュアリティについて問題意識を共有できる仲間たちとも出会った。彼女たちと絆を結ぶことができたことが、「沖縄に帰ってもいいかも」と思うようになった土台をつくってくれたことは間違いない。


実は、ここにつながる流れは、大学の学部時代にさかのぼる。もう何年生のときのことだったかも忘れてしまったが、長期の休みに帰省していた僕は、たまたま新聞で、アジアの文学を読む会という感じの名前のサークルがあることを知り、足を運んだ。そしてその後、その会の中心的な役割を果たしていた女性と、やりとりをするようになった。

しばらくして、彼女に自分がゲイであることをカミングアウトしたことで、さらにやりとりは深まった。それから何年か経って、彼女が紹介してくれたのが、琉球新報での「窓をあければ」というリレーエッセイの企画だった。それは、四人の執筆者が交代でジェンダーをテーマにエッセイを書くというもので、もともと彼女が参加するはずだったのだが、違うタイプの人がいたほうがいいということで、自分の代わりに僕を入れることを他の人たちに勧めてくれたのだ。

その後、その連載は、ボーダーインクから本にもなり、その出版を記念して「てぃるる」(沖縄県男女共同参画センター)でトークセッションが開かれたのが、確か1999年の頃。僕は大学院生だった。またその頃、地元に掲載された、とてもくだらないフェミニスト批判に対する反論を書いたりしたこともあり、なは女性センターに声をかけてもらった(と思う)。


そして、素敵なスタッフや、ジェンダーやセクシュアリティの問題に関心のある人たちと出会い…という最初の話につながっていく。

その時々は、もちろん、こんな風にいろんなことがつながっていくなんて思いもしなかった。改めて振り返ると、とても不思議な気がする。たくさんの素敵な出会いに感謝するばかりだ。


僕は、それは基本的に「運」で、自分の「力」だとは思っていないが、自分にそのような流れをつくりだす主体的な要因があったとするなら、それは、自分の感じたこと、考えたことをできるだけ率直に正直に、社会に伝えてきたことなのだろうと思う。

「自分はこう考えています。こう感じています。こういう社会は嫌で、こういう社会にしていきたいと思っています」ということを発信していけば、あるいは社会に向けて言わなくても、誰かに伝えていけば、それに何かを感じた人が仲間になっていくのだと思う。


けれど、そういうことができるのは、やはりいろいろと恵まれた背景がある(=「運」がいい)ということだ。とはいえ、今自分のできる範囲で、形で、人とつながることを少しでもやっていくということは、多くの人にできることではないだろうか。そしてそれは、いろんな社会問題を考えていく上でも、とても大切な気がする。


長らく休んでいたこのブログ。比較的最近知り合った人の言葉に触発されて書くことができた(その人と知り合えたのも、このブログの感想を彼がたびたびメールでくれたことがきっかけだ)。

ちょっとした言葉が人を動かし、それがまた伝播していく。
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by Hideki_Sunagawa | 2010-12-21 17:33 | Diary
2010年 12月 10日

賞をいただきました

Tokyo SuperStar Awardsという賞の「コミュニティ賞」を私個人が、また、「特別賞」を東京プライドパレードがいただきました。同賞は、「レズビアン&ゲイ・カルチャー、LGBTコミュニティのために貢献された人々を讃えます」というコンセプトで今年始まったものです。

活動20周年を迎え、東京生活に一区切りをつけるこの年に、こうした賞をいただけて本当にうれしく感じています。活動を続けられたのは、多くの人に支えられたおかげ。本当に感謝、感謝です。

Tokyo SuperStar Awardsの授賞式のあった日、昼には、「砂川秀樹・ゲイアクティビスト20周年の感謝パーティー」という集まりを、シューレ大学をお借りして開催しました。シューレ大学の学生さんで料理教室などもされている方の手料理は、体にも心にも優しい感じのもので、心が動かされました。

そして、多くの方々に集まっていただき、いい雰囲気のパーティーとなりました。司会の門戸さん(東京プライド事務局長)の案で、僕が詩の朗読を。このブログでも何度か書いたことのある、3年前に亡くなった親友のがんすけがつくった歌「Everything for You」の歌詞を朗読しましたが、泣き過ぎて、ちゃんと読めず…せっかく練習したのだけれど。

東京生活もあと数ヶ月。時々、複雑な心境の夢を見て、泣きそうな気分で目を覚ますけれど、沖縄での生活もきっと充実したものになるはず!25周年、30周年を目指してがんばります。
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by hideki_sunagawa | 2010-12-10 01:37 | LGBT/gender