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カテゴリ:HIV/AIDS( 8 )


2011年 12月 02日

HIV教育

昨日のNHK沖縄の夕方のニュースで、那覇高校(僕の母校!)で、HIVに関する講演会がおこなわれたと紹介されていた。

ほんの一部しか流れていなかったが、放送されたシーンは、性的ネットワークの図を示して、この中の一人でも感染していれば、みな感染する可能性がある、とか、不特定多数の人と性行為をしている友人がいたら、助言してあげてください、という話だった。

そして、講師は、「男性は自分の欲望を優先しないで、相手の女性を思いやってください。女性のことを考えるのが男女交際の原則です」と語っていた。


「誰にでも感染の可能性はある」ということを伝えたかったのだろう。しかし、90年代にそのようなメッセージばかりが流される中で、どんどん男性同性間での感染拡大が進んだことを考えると、今、このように異性愛的関係を強調する説明は、あまりいい方法に思えない。

放送の映像の中には入らなかった部分で、男性同性間での性行為についても触れられていたと信じたい。現在、日本のHIV感染の6割以上は男性同性間で起きているのだから。


しかし、男性同性間について触れられていたとしても、また、誰にでも感染の可能性があることを強調することを目的にしても、「交際の原則」についての説明は、男女の性別役割で語るのではなく、「お互い相手をいたわる、思いやる」という言い方の方がいいではないだろうか。

確かに既存の支配的な枠組みに乗った方が、メッセージは届きやすい。しかし、ジェンダーの役割イメージを強化する効率の良さを選んでしまうと、男女関係における根本的な問題を置き去りにしてしまう。それは、女性が主体的に行動を選択できないがゆえに、自分が予防したいと思ったときに、それを言えない、男性任せになるという問題である。

おそらく、先の「交際の原則」も、男女関係には力関係が生じることが多いことを意識してのことなrのだろう。ならば、その力関係を使って、男性にベターなリーダーシップを求めるより、その力関係を問題にし、お互いコミュニケーションをとり、女性自身も意思を表明できるお互いが満足する性行為を、と言うべきではなかったか。


また、今なお「不特定多数」を強調していることにも、疑問を感じずにはいられない。世界的にみれば、女性の多くは「特定」の相手から感染しているし、日本でも(異性間、同性間にともに)「特定」の相手から感染する人は少なくない。

「不特定多数」を強調することは、誰でも感染しうる、と言いながら、結局は、「遊んでいる」人が感染するものというイメージを広めているような気がしてならない。
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by hideki_sunagawa | 2011-12-02 05:49 | HIV/AIDS
2011年 12月 01日

HIV啓発活動の歴史(のほんの一部)

▼「ハートをつなごう HIV特集」

今日は世界エイズデー。この日に向けて、昨日までの三日間、NHK教育テレビ「ハートをつなごう HIV特集」が放送されていた。最後の二日間は、男性同性間のHIV感染の問題、新宿二丁目での啓発活動について取り上げていた(昨年撮影された映像も使われいたので、僕も密かにミーティングシーンに、チラっと映り込んでいた…笑)。

このような番組が作られていることは、本当にすごいと思う。「ハートをつなごう」が「ゲイ/レズビアン特集」を組んで以来、当たり前のように感じる人が増えているが、今も、こういう番組をつくるのはとても大変なことだ。実現した人たちには、心から敬意を表したいし、感謝する気持ちを伝えたい。

この番組は、「一般」向けに発信されたものとしては、分かりやすく、HIVや新宿二丁目の様子がゲイの視点から描かれてもいて、実に画期的な内容だ。でも、東京の(というより日本の)HIV活動黎明期から今までの様子を内部から見て来たものとして、足しておきたいなぁ、と思うことも色々あった。


▼資金の問題

とりあえず、その中から一つ。現在の新宿二丁目での活動が実現した背景について。

この番組は分析することが目的ではないし、見ている人に共感を呼ぶことが大事なのだから、「活動内容」という見えやすいところにフォーカスするのは当然だ。けれど、この活動が実現されるまでの背景とそこに至る流れは、重要なので書き記しておきたいと思う。

それは、ゲイ向けの啓発活動が大きく変化するきっかけとなった公的資金の投入、そして、それが実現した流れだ。コンドーム配布やコミュニティセンターは、ボランティアの動機や志だけで成り立っているわけではない。いや、過去においてもそのような試みはかなりされてきたわけで、それが持続しなかったり、規模が小さかったのは、(比較的)安定した資金があったかどうかの差につきると思う。

安定した資金による活動の下支えが実現したのは、厚生省(現:厚生労働省)から、当初は、研究費という形で、後には事業費という形で(財団を通して流れるものも含めて)資金が提供されたことによる。「ゲイコミュニティ」へにおけるHIV啓発活動の分岐点は明らかにこの時点にある。


▼それは国際エイズ会議から

その流れを生んだきっかけは、1994年に横浜で開催された国際エイズ会議だ。このとき、「ぷれいす東京」の代表の池上千寿子さんが、世界のHIVのNGO/CBO(community based oragnization)の統括役となった。

国際エイズ会議では、NGO/CBOの影響力が大きい。厚生省と池上さんが統括するNGO/CBOコミュニティが恊働する中で、当時の厚生省の担当官はNGO/CBOと恊働することの大事さを知り、また池上さんも厚生省と信頼関係を築くことができたのだと思う。

その後、厚生省科研費のHIV研究班に、ぷれいす東京が研究の一部に加わる形で参加。それに少し遅れて、ぷれいす東京のゲイグループ「Gay Friends for AIDS」が、ゲイグループとして初めて、男性同性間のHIV研究班に、研究協力者として参加した。

それは、男性同性間の啓発活動や研究を牽引することになる市川誠一さんらが中心となっていた疫学研究グループがゲイサウナでおこなっていた調査方法をめぐっての意見交換や、その調査がおこなわれているゲイサウナへの啓発介入への参加という形だった。


▼批判の矢面に…

その調査方法に関してはゲイグループからの反発が強かった。そのため、当時「Gay Friends for AIDS」の代表だった僕は、その調査とセットとなっていた啓発介入に参加するかどうかという決断をめぐって、悩み、苦しんだ。苦しみの末に決断し参加したが、結局、ゲイのHIV関係団体で、その研究班に参加したのは僕たちのグループだけだった。それどころか、参加した後、他のグループからの激しい批判の矢面に立つことになり、眠れない夜が続き、泣いた夜もあった。

しかしその後、次第にHIV研究班にゲイのグループが参加することが当然のこととなり、市川さんが分担研究者から、主任研究者として啓発活動を含んだ研究班を持つようになり…。そんな風に、次第に大きな(とは言っても、状況を考えると不十分だと思うが)資金が「ゲイコミュニティ」に流れるようになった。

当然、その流れは自然にできたものではなく、市川さんや、ぷれいすの生島さんや池上さん、JaNP+の長谷川さんらが厚労省にその必要性を認めさせる努力をし、また、厚労省の中でもその実現へ向けて動く人たちがいたことによってできたものであることはいくら強調してもし過ぎることはないだろう。


▼歴史を書き記すこと

こういう変化が、活動の質と規模に大きな影響を与えていっことを書き記しておかなければ、今度、何かを実現していくための参考にはならないだろうと思う。

もちろん、はっきり言って、「あのときの僕の死にそうだった苦しい経験を忘れないでちょだーい!」と言いたい思いもある。あのとき、一つ間違っていれば、僕はその苦しみの中、精神的に病んだかもしれない。でも、そんな苦労も、誰も覚えちゃいないもんだねー(苦笑)

もちろん、エイズ会議の約10年前から、南定四郎さんがいち早く、自身が編集する雑誌『アドン』を通じてHIVの情報を流し、エイズアクションという団体を率いて活動していたし、電話相談もおこなっていた。『アドン』の影響力は本当に大きかったと思う。

また、アカー(動くゲイとレズビアンの会)は、ゲイとエイズが結びつけられることに強く抗議をしていた。それをどう評価するかは色々な意見があるが、ゲイがHIV問題に取り組んできた歴史として重要なことは確かだろう。

もはや、ゲイのエイズ問題への取り組みは、一つの歴史となっている。やはりこのことをちゃんと書き記さねば…と改めて思う。それは別に自分の苦労を覚えておいて欲しいからではなく(いや、もしかしたら、少しはそんな思いもあるかもしれない)、そうやって具体的にしっかりと書き記しておかなければ、ゲイの重要な歴史自体なかったことになってしまうし、他の分野に役立つこともないだろうからだ。

ということを前々から言いつつ、全然実現できそうな目処はたっていないけれど…。
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by hideki_sunagawa | 2011-12-01 06:34 | HIV/AIDS
2011年 11月 29日

HIVの活動を始めた頃の話の話

昨日から始まったNHK教育テレビ「ハートをつなごう HIV第4弾」(午後8時〜8時半)、今回のテーマは「HIV/AIDS 30年の歴史」。水曜日まで三日連続の放送らしい。

イベント後のローな気分のせいか、何もやる気が起きず、この番組のことをすっかり忘れていたが、ふとつけたらやっていて、最後の十数分だけ観ることができた。

今日は、血友病の人の血液製剤によるHIV感染をめぐる話が中心だったようだ。


▼1990年に活動に参加した頃

僕がHIVの活動に参加し始めたのは、1990年。HIVと人権・情報センター(JHC)の東京支部の勉強会に参加し、あっという間に電話相談やらロビー活動やらを手伝うようになっていた。

当時、JHC東京で活動している人の数は、4−5人ほどしかいなかった。そのせいもあり、血友病の人たちもゲイも完全に混じって一緒に活動をしていた。おかげで、僕にとって血友病の人たちは身近な存在だったし、HIVの問題に共に取り組む仲間だった。彼らからいろんな話を聞き学んだ。

医師と血友病の人の関係、その中での告知の有無の問題、感染している子が思春期に差しかかるときに、どう伝えるかという問題、等々。今のように、薬でHIVを抑え込めるような時代でなかったから、問題は極めて深刻だった。

すべての政党をまわるロビー活動にも、補償を求める行政交渉にも何度も同行した。AIDSの発症に苦しむ我が子を病院が受け入れてくれない、と泣きながら語る母親の話には、胸がつぶれそうだった。しかし、厚生省(当時)の官僚は、ただ黙って聞くばかりで、とても何かの進展が期待できるようなやりとりではなかった。


▼ある血友病の青年

僕がJHC東京に入った頃に、中心メンバーの一人に血友病の青年がいた。彼もHIV感染していて、深く苦しんでいた。しかし、20代前半だった当時の僕は、その苦しみの意味も、彼が抱えていた精神的問題も全く理解していなかった。

僕は、すぐに会の中で発言力のある立場になっていったのだが、問題行動があった彼に対して、冷たい態度をとってしまい、とても傷つけてしまった。その後、僕は会を離れ、彼とやりとりすることは無くなり、そうこうしているうちに訃報を聞くことになった。

今、当時のことを思い出すと、自分の幼さがただ恥ずかしい。


▼婚約破棄の話

彼は、右手の薬指に指輪をしていて、それを意識しているような仕草が印象的だったのだが、その指輪が、彼がHIVに感染していることを告げた結果去ってしまった恋人との婚約指輪だったことを、会に入ってすぐの頃、会話をする中で知った。

その婚約者と別れた話を聞いたときに、心のどこかで、ほんの少しながら「そりゃそうかもなぁ…」と思っていたことは否めない。当然ながら、一緒に鍋をつつき、飲み物を回し飲みすることにもためらいを感じたことは一度もなかったけれど(当時は、それをためらう人がたくさんいた時代なのだ!)、当時はまだ、HIV陽性者のセックスはタブーだと思っていたのだ。

今や、薬の開発が進み、25歳くらいで感染した人のその後の平均余命は52.7年という推計が出るようになり、また、多くのHIV陽性者やそのパートナーの経験から、セーファーセックスを十分に気をつければ移ることがないということがはっきりしている。

僕自身も、彼と知り合って2年ほどしたときには、HIV陽性者のセックスに対する見方もだいぶ変わっていた。しかし、今もなお、当時の僕のように考えている人はまだ多いのかもしれない。


▼不思議なエピソード

ある日、彼が事務所の中で必死に何かを探していた。指輪が無くなったという。いつも肌身離さずつけていたのに。ソファーの間や下を一緒にだいぶ探したが、結局見つからなかった。そして後日、その日の夜に、元婚約者から電話がかかってきたこと、結婚することになったと告げられたことを、彼から聞いた。

彼は、「そういうこともあるんだねー、不思議だねー」と、思ったよりサバサバとした表情で語った。今となっては彼のそのときの思いは聞けないけれど。

1990年代前半に知り合ったHIV陽性者の多くは、この世を去ってしまった。彼らのことを思い出す度に、胸がしめつけられる。そして、今ならもっと寄り添いつつ話が聞けたかもしれないと、当時の自分の未熟さが悔しく、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

けれど、彼らの姿は、僕に何かを確実に残してくれた。そして、実はそれが、今もHIV/AIDSの問題に関わり続けている動機の一つになっているのかもしれないとも思う。
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by hideki_sunagawa | 2011-11-29 06:14 | HIV/AIDS
2010年 11月 08日

ラヴズ・ボディ@東京都写真美術館

東京都写真美術館で開催されている、「ラヴズ・ボディ」を見て来た。

やはり、オーストラリアの写真家ウィリアム・ヤン氏の一連の作品が、強く印象に残った。友人の見舞いに行った「AIDS病棟」でたまたま再会したという元彼「アラン」を撮った写真に、ヤン氏の言葉が書き添えられているというものだ。

亡くなるまでの一年間を写したものだけに、最後の写真は正視するのがつらいという人も少なくないだろう。僕も、言葉を失った。

しかし、意外な心境だった。もともとどういう作品か聞いていたので、「あまりにもつらくて重い気持ちになるのでは」と予想していたのだが、そこにあったのはそういう感情ではなかった。

ふと思い浮かんだ言葉は、「尊厳」(尊厳死、ではなく)。

おそらく、その最後の写真だけ見たら、ただただショッキングで、どう処理していいかわからない暗い気持ちになったかもしれない。

けれど、既に病床にいるところから始まっているとはいえ、19枚の写真は「生きている」記録であって、決して「死んでいく」記録ではないという印象を僕は受けた。「死」は「生」の一部なんだと改めて思った。

いや、極端な言い方をすると、「死」は「生」のクライマックスなのかもしれない。まるで、肉体が苛酷に変化していく中で、逆にその人の精神性が浮かび上がっていくかのようにも見えるからだ。

だから、その人を見つめ続けて、寄り添い続けていれば、その人の肉体がいくら変わってしまっても、その人らしさを感じとることができるし、その人への愛も変わらない。


僕は、その作品を見ながら、今の僕とほぼ同じ年で亡くなった姉のことを思い出していた。亡くなる数ヶ月前から容姿の変化が激しく、見舞いに帰省して、その状態を目の当たりにしたときのショックは本当に大きかった。今でも、そのときの気持ちが、自分の人生観に大きな影響を与えているくらいだ

しかし、手をさすったりしながらそばに居るうちに、やはり僕の良く知っている姉であることを実感するようになった(彼女は、意識も混濁しがちだったので、言葉のやりとりも十分にできたわけではないのに)。そして、僕が帰るときに見せてくれた笑顔は、昔と同じ笑顔に見えた。


ここ数年、何人もの友人、知人を見送ってきたせいか、あるいは自分も病気がちなせいか、最近、自分の死を強く意識することがある。正直怖いと思う。そのときの、自分の容姿の変化に不安も覚える(多くの病気は、死が近づくと肉体は大きく変わって行く)。でもこの写真を見て、不思議なことに、ちょっとだけだけど、「大丈夫かも」と思えた。

きっと、まわりの人たちは、去って行く僕を、それまでと同じように変わらずに愛してくれるだろう。そして、日々の生活を懸命に生きれば、肉体がどんな風に変化していっても、消えて行く肉体の中から浮かび上がる僕らしさは、決してみじめなものではないはずだ。

…と言いながらも、実際に病床に伏すことがあったら、不安に押しつぶされそうになれるに違いない。でも、そのときは、今日書いたことの言葉を思い出し、自分に言い聞かせることにしよう。
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by Hideki_Sunagawa | 2010-11-08 23:44 | HIV/AIDS
2010年 09月 20日

排除しない社会

財団法人日本性教育協会の月報に掲載されている、池上千寿子さん(ぷれいす東京代表)の文章が印象深く、感動的だ。隔月掲載「21世紀の課題=今こそ、エイズを考える」の第9回目となる「排除しない社会にむけて(1)」。

1982年、池上さんがハワイ大学の性科学者、ミルトン・ダイアモンド氏の元を訪れた頃の話。その前年に、米国本土ではAIDSが報告されていた(もちろん、当時はその名前すら付けられておらず、HIVも発見されていなかったのだが)。

当時、多くの患者がゲイであったため、米国ではゲイへの差別、AIDSの診療拒否などが相次いでいたという。その様子については、ホノルルでも報道されていたわけだが、その頃、まだ患者が出ていなかった。そんな状況でどういう動きがあったか…。

==(以下、引用)==
 ならばハワイは水際作戦でくいとめる? とんでもない、その逆でした。「(この奇病は)どうやら血液と性行為で感染するらしい」、CDCからの情報を逐一入手していたハワイ大学やゲイ・コミュニティは冷静に感染源にあたりをつけていました。

「血液と性行為が感染経路であるならば、診療拒否は不当であるし、予防も可能になる。しかも太平洋を越えてハワイで患者がでるのは時間の問題にすぎない」という認識を共有したのです。そして、「ハワイではアメリカ本土の失態を繰り返すな!」というスローガンにみごとな官民の恊働が始まったのです。「失態」とは、医療による忌避、社会のパニック、少数者への偏見による排除・差別のことです。(略)

州立病院のベテラン看護師長を中心に「ハワイでは第一号の患者から排除せず開放病棟で受け入れよう」を合言葉に医療従事者の勉強会、行政との連携がすすみました。(略)

ホノルルの開業医デヴィッド・マッキュアンが中心となりLife Foundation (NGO)を立ち上げました。(略)Life Foundationは最初から医療、行政、ハワイ大学の専門家たちに支えられました。活動の場はワイキキの古い一軒家、ゲイ・コミュニティで成功していたビジネスマンが無料で提供してくれたのです。

わたしは1988年にLife Foundationの理事になったのですが、理事の席のひとつは当事者であるエイズ患者のために確保されていました。(略)80年代後半すでに当事者をケアの対象としてではなく活動の重要な仲間として位置づけていたのです。(略)
======

1988年と言えば、日本では、前年から始まった各地のエイズパニッックを受け、非常に社会防衛的なエイズ予防法案が提出され、NGOがその法案反対の運動を展開していた頃。初期の対応の違いを痛感せざるを得ない。

その当時の動きが違っていたら、今の状況もだいぶ変わっていたかもしれない…
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by Hideki_Sunagawa | 2010-09-20 12:22 | HIV/AIDS
2010年 07月 04日

「HIVと生きる」を観て

NHK教育テレビ「HIVと生きる」を観て、いろいろな思い出や思いや感情がわきおこってきた。言語化するのが難しい…(もともと言語化が下手なんだけど<研究者のなのに)。

なぜか、いろんなシーンで涙が出てくる。

HAARTという新しい治療法が日本に入ってくる少し前に亡くなっていった人のことや、HIVを抱えて様々な症状を抱えてつらい思いをしながら亡くなった親友のことを思い出した。

また、何人ものHIV陽性者が顔を出して語っていたが、その勇気に胸を打たれた(その人たちは、またゲイであることもオープンにしていたりもする)。その中には、僕にとって大切な友人もいた。パートナーとの素敵な姿に胸が温かくなった。

また、顔を出さなくても取材を受けるというのも決して簡単なことではなかったはず。様々な思いや不安を乗り越えて言葉を紡いでくれた人たちに感謝の思いがわきおこってくる。

そして、一緒に仕事をしたり、活動をしたりしてきた人たちが語っているの観て、「ああ、素敵な人たちと知り合えたなぁ」とも思った。来年、沖縄に帰ろうと決意している僕だけど(色々な条件がそれを許すか微妙な面もあるけど…)、東京で暮らして色んな人たちと出会えて、仲間になれたことは幸せだったなぁ、と。

そんな、胸がしめつけられたり、温かくなったり、感動したり、考え込んだりする思いが涙になった。

HIV/AIDSの多面的な、複雑な現実をとても丁寧に扱った、とてもすばらしい番組だと思った。この番組をつくった方々は、「ハートをつなごう」がらみでお世話になって知っているので、その顔も思い浮んだ。僕は、「素敵な番組ありがとう」と心の中でお礼を言った。いや、落ち着いたら、直接メールを書くことにしよう。
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by Hideki_Sunagawa | 2010-07-04 23:31 | HIV/AIDS
2010年 02月 20日

A Concept Shift from MSM to SBM

English version is following...

今日、JICAのエイズ対策研修で受けた質問から、改めて考えたことがある。それは、HIV対策や研究の世界ではすっかり定着したMSM(男性と性行為をおこなう男性)という表現について考え直さなければいけないのではないかということ。

MSMという言葉は、ゲイやバイセクシュアルというアイデンティティがなくても男性同性間の性行為をおこなう人がいることから登場した言葉なので、もともとは、行動にフォーカスした言葉だ。

しかし、なぜかいつの間にかMSMという「属性」や「集団」が実体としてあるかのように語られるようになった。あくまで便宜的な総称に過ぎないにもかかわらず。

おそらく「異性と結婚していてゲイの友人もいない、でも男性と性行為をする」という男性は、ゲイというアイデンティティを強く持つ人に仲間意識は持たないだろう。むしろ、既婚者という属性を共有できる異性愛者の方にシンパシーを持つかもしれない。

そして、MSMという言葉の持つもう一つの問題は、男性と性行為をする男性と、そうではない男性がきっちり分かれているかのようなニュアンスを与えてしまうということだ。

もちろん、性/恋愛対象が、もっぱら同性に惹かれる人と異性に惹かれる人は、ある意味「分かれて」いるかもしれない(誤解のないように、好きになる性別を意識的に選ぶことはできないと強調しておきたい)。しかしそれと、同性との行為や異性との行為があるなしは別の問題だ。

今まで男性と性行為をしてこなかった男性が、何かをきっかけに男性と性行為をすることもあるだろう。それは一回切りかもしれないし、実は自分がこれまで欲望を抑圧していたことに気づき、その行為を繰り返すかもしれない。

だから、同性間の性行為におけるHIV予防方法は、異性間のそれと同様、すべての男性に提供されるべきではないか(もちろん、女性も同様だけれど、今のところ、日本では男性の感染者が多いので、男性を例に挙げた)。

実は、日本でMSMという言葉を論文で初めて使ったのは僕なのだけれど(その当時はその言葉を使うことを厳しく批判したアクティビストたちも、後にその言葉を受け入れた)、上記のような、言葉の受け止められ方の変化もあって、今は、その概念の有効性に懐疑的になっている。

もちろん、自分が関わっている仕事で使われている以上、僕も使用するのだけれど、本当は「男性同性間性行為」(SBM:Sex Between Men)という行為に注目をした語り方をもっとしていくべきなんだろうと思っている。

そして、人を対象として考えていく時には、ゲイ/バイセクシュアル、ヘテロセクシュアル(というより、本人の意識に沿うなら「既婚者」とか「普通」とか?)というアイデンティティを軸にして語られるべきなのではないだろうか。

MSMという言葉は、人に焦点があるのか行為に焦点があるのかわからない、中途半端な言葉になってしまっているような気がする。


I may be one of the first HIV activist-researchers
who introduced a concept "MSM" (Men who have sex with Men)
into Japan mid 1990s.

Then some gay activists criticized me on using the term,
saying that it was a slight on gay identity and
that the term was useful only in areas where gay people were
so oppressed that they couldn't develop their gay identity.
In later 1990s they changed their attitude
and accepted the term.

However I've come to question the term
and think that we should use a word "SBM" (Sex between Men)
more than MSM, which means a focus shift
from a imagined group to actual behaviors.

The term "MSM" should only be used for convenience,
not as a substantial group or a target for researches.
We should pay more attention to contexts and environments
in which SBM occur.
We need to ask how risk behaviors happen in SBM in cruising areas,
private rooms, anonymous relations and long-partnerships.

It seems that the concept "MSM" divides men into two distinct groups,
those who have sex with men and those who don't do,
though they are not fixed.

Information about prevention in SBM ought to be given to
every men, because a man who have never had sex with men
may do someday (the younger he is, the higher the possibility is).
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by hideki_sunagawa | 2010-02-20 23:03 | HIV/AIDS
2009年 08月 07日

AIDS Forum in Yokohama

横浜で開催されている「AIDS文化フォーラム」で、「AIDS予防のための戦略研究 MSM首都圏グループ」のシンポジウムがあったので、足を運びました(実は、僕はそのグループの一員なのです)。a0137527_22583.jpg

同グループの活動の紹介や、その中でおこなわれているアンケート調査の報告だけでなく、日本におけるMSM(男性と性行為をおこなう男性)の置かれている状況についての説明もありました。

画像は、展示会場に貼られていた、同グループで作成したパンフを大きく引き伸ばしたもの。キース・ヘリングのイラストが素敵(そのパンフをつくるにあたって、キース・ヘリング財団の協力を受けています)。


''AIDS Forum in Yokohama'' is being
held till Sunday.
I attended a symposium by a reseach group
which is working for HIV prevention among MSM
(Men who have Sex with Men)
in the Tokyo Metoropolitan area.
I'm working in the group as a researcher.

In Japan about 70% of the reported HIV cases
are among MSM. The situation is very serious.
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by hideki_sunagawa | 2009-08-07 22:42 | HIV/AIDS