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カテゴリ:Okinawa( 56 )


2011年 06月 23日

24年ぶりに沖縄で迎えた慰霊の日

24年ぶりに沖縄で慰霊の日を迎えた。

高校時代には毎年参加していた「二中健児の塔」での追悼式に行こうかとも思ったが、よく考えたら、そういう式に参加するのにふさわしそうな服もない…。しかも今朝から痛風発作が起こり、足の痛みで移動がきつかったので、近くの街中で過ごすことにした。

また、僕にとって最も印象深い慰霊の日は、街中でサイレンが鳴り、そこで立ち止まり黙祷する、そんなあり方だったから、ということもある。その雰囲気をまた感じたいと思ったのだ。

「近くで何かやっていないかな?」という思いもあったので、小さな催し物がよく開催されている「パレットくもじ」前へ行ってみた。しかし、何もやっていない…。学生運動の活動家たちが菅首相の退任要求の演説をし、ビラを配っているだけだ。

心無しか、いつもの休日よりも人が少なく静かな印象だった。多くの人が家で過ごしたり、追悼式へ行ったりしているのだろうか。


正午が近づき、サイレンを待った。「海は少し遠いけど、汽笛も聞こえるかな?」と考えたりしながら…。しかし、何の音も聞こえてこない…。正午を少し過ぎたことに気づき、すこしあせって(別に正午にこだわることはないのだろうが)、僕は頭を垂れて黙祷した。

ショックだった。あのサイレンや汽笛やそんな音を象徴の一つとして、沖縄の人々は、戦争の記憶を共有して来たと僕は思っている。追悼式や慰霊の塔の前だけでなく、街中でも頭を垂れること、それこそ、この地のどこででも人々が亡くなって行ったことを想起させる行為だと僕は感じていた。

そして、遠く離れた過去のこととして、ではなく、今私たちの問題として呼び起こす行為でもある。

その後、Twitter上で、今もサイレンが鳴る地域があることを知った(鳴る地域の方が多いかもしれない)。もう、那覇のど真ん中では、それはいらないということなのだろうか。


今日、摩文仁が丘の平和祈念公園では、「沖縄全戦没者追悼式」がおこなわれた。各慰霊の塔の前でも慰霊祭/追悼式があったことだろう。しかし僕は、街中でも、慰霊の日を考える集いや催しを、もっとおこなうべきだと思う。あるいは、それぞれに小さな集まりを持つというのもいいだろう。友達で集まって語るという機会でもいい気がする。

今は、「来年の今日、まだ沖縄での生活を踏ん張れていたら、どういう風に過ごそうか」と考えている。どこかで小さな集まりでも持ちたい。


それにしても…パレット前で、菅首相を批判し、辺野古での基地建設を批判する演説をしていた人たちは、黙祷を呼び掛けるどころか、正午の前後も演説を止めることはなかった。なんだか、不思議な気がした(「今日は慰霊の日です」と言っていたので、この日を慰霊の日と定めることに批判的な立場でもないようだったのだが)。
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by Hideki_Sunagawa | 2011-06-23 20:07 | Okinawa
2011年 06月 20日

沖縄ネイティビズムへの違和感

「沖縄好き」とネイティビズム

21年東京で暮らしても、沖縄に帰って来ようと思うくらいなのだから、僕も「沖縄好き」であることは間違いないだろう(もちろん、いろんな面があり、さまざまな人が暮らす「沖縄」をひとくくりにしていいのか?という疑問を持ちつつも…)。

しかし、そんな「沖縄好き」な僕ながら、最近の沖縄の(および沖縄出身の)「知識人」の間で、「沖縄ネイティビズム」のような愛郷心と政治意識が強くなっていることに、少し違和感を感じている。「nativism」というのは、その地に新しく来るものへの反発心を中心としつつ、その地の「伝統」や「文化」を強化していこうとする、心性や思想と言えるだろう。

僕自身、「本土資本」が多く入り利益が吸い上げられる形になること、基地が押し付けられていること、力関係が生じる観光の中で<一部>傲慢に見える振る舞いをする観光客がいること、等には反発を感じるし、多くの「うちなーんちゅ」がそう感じていることだろう…。

また、「こんな、どこの地方都市にもある街づくりしちゃって」とか、「沖縄の郷土芸能や、昔からある遺跡、建物へもっと目を向けてもいいんじゃないか」とも思う。つまり、「うちなー文化」への関心も高い(詳しくはないが…)。


「うちなーんちゅ」?「うちなー文化」?

けれど…まさに、誰を「うちなーんちゅ」と呼び、何を「うちなー文化」と考えるかというところで、僕は「ネイティビズム」(と勝手に呼んですみません)に疑問を感じているのだ。

「うちなーんちゅ」を、沖縄に何代も(?)住んでいる者に限定する考え方はもちろん、生まれ育ったことを条件にする考え方にもなじめない。いや、「うちなーんちゅ」の定義はそれでもいいとしても、その「うちなーんちゅ」と、沖縄に居住する「沖縄以外の出身者」との間に、一義的に線引きする心性や思想に疑問を感じずにいられない。

その地に住み、根ざしている人を、「血筋」的なものや、生まれで分けることって何なのだろう?


東京(など)で教育受けたものは?

でも、そう言いつつも、「そこに生まれずーっと生活し続けた人が、そのようなこだわりを見せるのは、まだわからなくもない」とも思う。僕が違和感を感じるのは、それこそ、東京などの沖縄の外で高等教育を受け、戻って来た人が、そのようなこだわりを見せ、線引きをしようとすることなのだ。

僕などは21年東京に住んでいたから、冗談まじりにしか「うちなーんちゅ、です」とは言えない(まぁ、滅多に「うちなーんちゅ」とも言わないのだけれど…言うならば「(宮古系の)なーふぁんちゅ」か…)。「うちなーんちゅ」と自称して、政治的なポジションを確保することは、とてもおこがましい気がしてできない。

東京のカルチャーの中で教育を受け、知識と経験を積み重ねた自分は、そうではない人と「同じ」とは思えない。僕ほど長く住んでいなくても、特に知識の吸収の多い学生時代に過ごした人は、そうだと思う。

それは、方言を使えるか否か、しゃべり方がどうかということではないと思う(自分が「ないちゃーむにー」する人間だからそう思うのかもしれない)。確かに言葉は非常に大きな要素だが、その言葉の土台にあるコミュニケーションの取り方の違い(議論への態度やその方法、異議の唱え方)が、もっと大きな違いを生むと僕は感じている。


構築/再構築されるものとしての「文化」

そして、「文化」自体が常に混淆し、人々の交流の中で構築/再構築され、意識され、変容して行くという視点なしに、「文化とは、その地の中だけで存在し受け継がれてきたものである」と見る見方も、自分が学び共感してきた文化観と大きく異なる。

常に、「外」からの来訪者との関係の中で、「文化」と意識されるものは形成されるし、変容もする。むしろ、「外」からの来訪者やその視線への意識の中で、「自らの文化」という意識は強化されていく。

そして、どの範囲でくくっても、その中には多様性があり多層性があることへも指摘しておく必要があるだろう。「うちなー文化」とくくっても、本島と宮古、石垣とではだいぶ違う(というか、宮古や石垣の人の中には、「みやこんちゅ」「いしがきんちゅ」という意識を持っている人も少なくない)。また、本島の中でも地域差は大きい。

ただ、ここで誤解のないように言っておきたいのは、「文化」という語りをマイノリティが大きな力への抵抗の術として使うことを否定しているのではない。その「文化」を構成する者を限定的に位置づけたり、他者がその「文化」を語るときに、そこにつねに一方的な力関係が発生していると固定的にとらえたり、そう言って相手を封じようとすることに疑問を感じるのだ。


同じ「当事者」か?

しかし実は、このことに関して、僕の中で整理つかない問題点が一つある。

それは、その土地にずっと住み続け、その土地を離れることが想像的にも実際的にも難しい人と、そこに新しく来ていつでも出て行けるような人、あるいは、その地の出身だけど他での生活の経験もあるがゆえに、比較的出ていくことが難しくない人、は、その土地において同じ「当事者」か? ということだ。

また、ある土地に新しく移り住んで来た人が、その土地のありようを急激に大きく変化させる力を持つことがある。そのことにもともと住んで来た人が反発を感じる…その気持ちはわかるのだ。

このことと、上で書いてきた違和感をどう合わせるのかが、今の僕の課題だ。でも、一つ言えることは、他の土地で長らく住み、そこで高い教育を受けた者は、単純には、その土地から出ることなく生活し続けて来たものと単純に同一視できないということだ。

いや、教育というのは、常により大きな集団における共通知識、共通言語、共通コミュニケーション作法を修得する仕組みになっている以上、高次教育であればあるほど、その場所に関係なく、それを受けた人とそうではない人の間に差異を作り出しているかもしれない(もちろん、それはどちらかが優越しているという話では決してない。)。

そのような差異を無視して、出身だけで<単純に>「同じです」というポジションをとるのは奇妙なことではないか。そう思うのだ。

特に他の地域に身を置き、その空気とともに教育を受けてきた者は、マージナル(境界的)な存在としてのポジションを引き受けて、その地で起こる、「文化」をめぐる問題に向き合って行くべきなのではないか…そんな気がしている。
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by Hideki_Sunagawa | 2011-06-20 11:20 | Okinawa
2011年 05月 16日

引っ越して一ヶ月

ピンと来ないながらも…

沖縄に引っ越してちょうど一ヶ月。

ピンと来ないのは相変わらずだが、ゴールデンウィークにまるまる1週間滞在した相方が帰るときに(前夜や見送ったあと帰宅してから)号泣してしまったりして、東京との距離を実感することもちらほら。

そして今日、引っ越し後初めての仕事(とは言っても、四回の講義のうちの一回だけど…)。学生の雰囲気は、東京で教えていたときと特に変わるものではなかったので、こちらはこれまで自分がやってきたことが引き続いているという感覚。それでも、沖縄での生活が本格的に始動してきたなぁと感じている。


「なんぎだったはずねー」

先週、地元のレズビアンの友人と話していて、結局自分(僕)は東京にいても沖縄にいても完全には「ここが自分の居場所」と実感できることはないのかもしれない…という話になった(ちょっと表現は違うけど)。

でも、彼女と、本土に移る前の自分の話をする中で、「砂川さん、とっても『なんぎ(難儀)』したでしょ?」と言われたときに、その言葉が自分にすっと染み込み、とても理解されたと感じて、やっぱり二十歳までほとんど沖縄にいて馴染んだものが、自分の土台を形成しているんだなと実感した。

それは単に、その単語やアクセント、イントネーションに慣れ親しんでいるからというだけではなく、その背後に、当時の沖縄にありがちだった「労働者階級」の家庭の雰囲気やジェンダー観を共有しているという実感があることが重要だ(なので、同じ沖縄でも、「上流階級」に育った人とは共有はできないだろう)。

彼女の「なんぎしたでしょ?」「なんぎだったはずよー」という言葉は、そんないろんなものを共有しているだということを感じさせるものだった。しかし、共有しているということは、同じであるということではない。そこを誤解しないことが、人とつながっていくときに重要なことなのだろうと思っている。


「どっちつかずな感じ」

彼女とそんな話をした翌々日だったか、今度はゲイの友人と、また似たような話をする機会があった。そのときは、小学生のときに「本土」から引っ越して来た彼が、「ウチナーンチュでもない、ヤマトンチュでもない、どっちつかずな感じ」という感覚を持っているということを語ってくれた。詳しくは語らなかったが、沖縄に越して来て長い間つらい思いをしたようだ。

米国留学の中で解決された部分もだいぶありつつも、今もどこか他者感は拭えないようなところがあるらしい。

僕自身は、やはり二十歳まで過ごしたこともあり、沖縄に(正確に言うと那覇に、なんだろうけど)深い愛着もあり、馴染んでいる感もある(だから帰ってきたのだが)。先ほど書いたように、土台はここで形づけられたんだな、と実感する。けれど、やはり本土生活24年(うち東京生活21年)はやはり大きい。そういう意味で、彼の「どっちつかずな感じ」もわかる気がする。


狭間にいるということ

正直、自分はどこで何をやっていくべきなのか(それ以前に、どうすれば生活が成り立つのかという大問題もあり)、迷い悩んでいる面があるせいで、その狭間にいるということが苦しくなることもある。しかし、人文・社会系の学問に関わる身であり、またいろんなアクティビズムにかかわる僕にとって、そのような経験や感覚は大事なんだろうな、とも思う。

でも、やっぱり、まずは生活か…
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by Hideki_Sunagawa | 2011-05-16 16:21 | Okinawa
2011年 05月 06日

がじゅまる

小さい頃からよく知りつつも、あまり気に留めていなかった崇元寺石門。昔は、門はずっと閉まっていたと思うのだが、約10年前、帰省した際にその辺を歩いていると開いているのに気づいた。ふらっと入って驚愕。こんな立派ながじゅまるの樹があったなんて…。a0137527_15392294.jpg

夕暮れ時だったせいもあるだろうが、近寄りがたい神々しい雰囲気に圧倒された記憶がある。その後も、帰省して時間のあるときは寄ったりしていた。

実は、新居はここから歩いて10分足らずのところ。引っ越してから、毎日のように寄っている。時々、観光客らしき人が一人二人、写真を撮っているが、あまり知られた場所ではないので、いつも静かだ。
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石門も独特の雰囲気がある。崇元寺は、1527年に創建されたと言われている。尚氏系統を祀る寺だったが、沖縄戦で消失してしまった。このがじゅまるは戦後のものかと思うが、まるでここを守っているかのよう。写真を撮るときは、「撮らせてください」と手を合わせてから撮る。そんな気持ちにさせるがじゅまるだ。

(上の写真は引っ越し後間もなく自分で撮ったもの。下の写真は、相方が撮ったもの。)
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by Hideki_Sunagawa | 2011-05-06 15:42 | Okinawa
2011年 03月 01日

引っ越しへ向けて

住む部屋を決めるため、数日那覇に滞在していました。部屋探しが難しいのは、東京でも経験しているけど、やはり、なかなか決められず、結局決断したのは出発日。まぁ、これから審査があり、正式契約なので、どうなるかまだわからないけど…。

最近、沖縄で賃貸物件を借りるときには、連帯保証人の他、家賃保証会社への加入も必要とされているらしい。後者は、もともとは連帯保証人の代わりのはずだが、沖縄では両方必要だとか(他の地域でもそうなりつつあるのかもしれないけど)。

で、後者が連帯保証人の審査をすることになっていて、「この保証人ではダメです」と言って来る。当然、後者にも契約時にお金を払う(家賃の8割)。何か変だ。どうも腑に落ちない。


色んな人が指摘していることではあるが、単身者や高齢者、貧困層が(それらは往々にして重複しているわけだが)増えている状態で、日本の住宅問題はますます大きな問題となっていくだろう。ちなみに、住宅問題に関してよく指摘されることだが、ヨーロッパでは、住宅は社会保障の基本と考えられるようになり、賃貸における公営住宅の占める割合が高いという(半数以上という国も少なくないようだ)。

生活保護も含めた社会保障費が増大する中、さらに社会保障を拡充するのは財政的に無理という考え方もあるだろうが、公営住宅を拡大したほうが長期的な視点では財政上もよさそうなのだが…。


そんなこんなことを考えた部屋探しだったが、個人的な話としては、不動産屋さんの印象がとても良く、それだけで、これまでの東京での部屋探しよりだいぶ気分は楽だった。

しかし、「本当に引っ越すんだなぁ」と思ったら、色んな思いが去来。特に、物件まわりで、かつてずっと住んでた近くを歩いたとき、懐かしさとともに、暗い感情も沸き起こってきた。その付近は、沖縄を離れた後も何度も訪れている場所だけど、沖縄に戻るという前提で身をおくと、複雑な心境になっていた。

故郷は、もちろんたくさんの楽しい思い出を重ねた地でもあるが、自分がゲイであることをめぐる葛藤や、DV家庭としての問題、家の経済的な困難さがあったことで、その地で、暗い思いをつねにくすぶらせていたのも事実。それも、沖縄を離れた一つの理由だろう。

そして、それらの問題もだいぶ解決したので(とはいえ、他の新しい問題も含め色々あるけれど…)、戻る気持ちになったのだが、場所というのは、そのときの気持ちを呼び覚ますんだなぁ、と思った。そう、記憶や感情というのは、自分の中で籠っているものではなくて、人や場所やいろんなものとの間の中で生起するものだ。

僕はこれから、東京で培った力と、両方の土地でできた新しい人間関係をもって、過去のネガティブな思い出を塗り替えて行くのだろう。本当に、新しいステージが始まるんだなぁ。
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by Hideki_Sunagawa | 2011-03-01 10:52 | Okinawa
2010年 03月 09日

Diary in Okinawa7

English version is following...

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今回の沖縄滞在日記のラスト。

食べたものシリーズの最後は、僕の好きな沖縄のお菓子「天妃前(てんぴぬめー)まんじゅう」。

僕の通った小学校の名前が天妃小学校というので、名前にも愛着が。

はったい粉でつくられたまんじゅう(と言っても餡は入っていない)が、さんにん(月桃)の葉に包まれている。さんにんの香りがとてもいい。

最初はデパートの地下で売っているのを買って食べたのだが、なは女性センターのスタッフの方から「ダメよー。平和通りで売っているのじゃなきゃ」と言われ、それ以来、機会がある度に平和通りで売っているものを買うようになった。

平和通りと桜坂が交差するあたりに、店舗を構えず、ガラスケースに入れてお菓子を売っている。昔は何人かの年配の女性が並んで売っていたけど、今は一人だけ。こういうスタイルで売る人がずっといて欲しいなぁ。

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そして、帰京。僕の心境を代弁するかのような空模様。

この二つの場所を行き来するときのしんどさはどう考えたらいいのだろう…? 

もし沖縄に拠点を置いて、東京にたまに来るとしたら、やっぱり沖縄に戻るときは同じようにしんどくなるのかな?

羽田空港に着き、すぐに家に戻る気分ではなかったので、空港でグラスワインを傾けた。東京生活に戻るための気持ちの準備。
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I love this "Tenpi-nu-me manjuu"
which is one of traditional "manjuu" in Okinawa
(manjyuu is one type of Japanese confectionary).

It's made of barly and wrapped with "Sannin"
(leaves of a kind of gingers)
which have a scent all its own.

A woman sells the manjuu
in Heiwa street, not in store,
but on the street with these in a glass case.

When I was a high school student,
I used to passed through this street after school.
At that time, some elderly women
was selling traditional confectionary in that style.
However only one women does now.
I hope this style will remain.


It was rainy today like my state of mind.
When I go back to Tokyo, I always feel sad and confused.
I don't know what it will be
if I move to Okinawa and visit Tokyo from Okinawa.

Arriving at Haneda airport,
I drunk a glass of wine to calm myself and
get ready to come back my Tokyo life.
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by hideki_sunagawa | 2010-03-09 23:59 | Okinawa
2010年 03月 08日

Diary in Okinawa6

English version is following...

a0137527_2222695.jpg最近は沖縄に来る度に食べる大東そば。

店名もそのまま「大東そば」。

国際通りから近いこともあって、観光客も結構来ているみたい。

酢と醤油に漬けられた刺身(つまり「漬け」)が乗っている大東寿司もおいしい(好き嫌い分かれそうだけど)。

この滞在中も、よく沖縄そばを食べたなぁ…。すっかり僕も「そばじょーぐー」?(「そばじょーぐー」とはそば好き人のことを言うらしい)。


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昼食後は友人とおしゃべり。

彼女は3月23日から28日まで個展を開く予定。

実は、彼女の作品は、まだこの案内ハガキでしか見ていないけれど、曼荼羅と紅型を融合させたような模様と個性的な色使いが素敵だなぁ、と思う。

見に来れたら良かったんだけど。

今晩が、この沖縄滞在最後の夜。
しんみり。




I had Daito-soba and daito-zushi(sushi) for lunch.
Daito is one of islands of Okinawa Prefecture.
People in some islands name soba
which they make and eat locally
after the names of their islands
(ex. Miyako-soba, Yaeyama-soba).

They make daito-zushi with sashimi gotten
into vinegar and soy source for hours.
It's a little different from sushi in Tokyo.

After lunch, I talked with a fiend of mine.
She is now paintings pictures for
her first one person exhibition
which will be held from 23rd.
Her works give me a image of
a fusion of mandala and Bingata
(Okinawan dyed cloth).
I wish I could come to see her exhibition.


Well, tonight will be the last night of
this staying...
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by hideki_sunagawa | 2010-03-08 23:59 | Okinawa
2010年 03月 07日

Diary in Okinawa5

English version is following...

a0137527_1233998.jpg沖縄県立博物館に寄ったら、本音楽著作権協会主催の「日本の音フェスティバル2010in沖縄」というのをやっていた。

ちょうど、奄美の島唄の若き担い手である、前山真吾さんが唄っていて、その澄んだ、美しい繊細な歌声に心奪われた。沖縄の島唄とはまた違う魅力。

彼は、唄い終わった後もずっと会場にいたので、いくらでも話すチャンスはあったのだけれど、シャイな僕は結局声をかけられず。

a0137527_1253898.jpg「日本の音」というタイトルだが、朝鮮の民族芸能パンソリなどもやっていた。迫力のある語りに圧倒された。


ランチは、またまた「いしぐふー」で。今日は、卵焼きがのっている「いしぐふーそば」を食べた。

同店のサイトによると、昔は、沖縄そばには卵焼きがのっていたとか。ついでに(?)餃子も頼んでしまいました。
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Entering into the Okinawa Prefectural Museum,
I noticed that many people were gathering and
listening a young handsome man singing.

It was one of a music play in "Japan Sound Festival 2010
in Okinawa" that JASRAC(*1) promoted.

The man was Shingo Mayama,
a famous singer of Shimauta
(traditional songs in southern islands of Japan)
in Amami-oshima

Shimauta in Amami is a little different from
that in Okinawa (Amami belongs to Kagoshima
Prefecture though the culture is much closer to Okinawa).

I was fascinated with his beautiful feathery(?) voices.
As he was staying there after his play,
I had chance to say "I was moved !",
but I was too shy to do so...

Outside the building, Korean traditional folk song,
Pan Sori, was being played
(though it's not "Japanese Sound").
It was lyrical, powerful and heart grabbing.
The singer said "I play a digest version because
the complete version of this song takes 6 hours" !

For Lunch, I had Okinawa-soba again in "Ishigufu".
I wish I could have this soba whenever I want to!


*1 Japanese Society for Rights of Authors,
Composers and Publishers
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by hideki_sunagawa | 2010-03-07 23:59 | Okinawa
2010年 03月 06日

Diary in Okinawa4

English version is following...

a0137527_184547.jpg沖縄に新しくできたゲイ/バイセクシュアル男性向けのコミュニティセンターのオープニングに行ってきた。

男性同性間でのHIV感染拡大が深刻なことから、啓発の拠点として開設されたもの。

現在、全国にこのようなセンターが6施設あるが(近々7つになる予定)、たぶん、ここが一番広いんじゃないかな。ゆっくりできるカフェスペースと、会議スペースとがある。

このようなセンターができることで、啓発活動をしやすくなるし、「コミュニティ」の発達につながり、HIV/AIDSの問題に取り組んで行く土台ができていく。しかし、センターのオープンは始まり。これからが大変なんだろうなと思う。

僕もできる限り応援していくつもり。

I attended at the opening party for "mabui",
a Community Center for Gay/Bisexual men,
which is opened to inform them with HIV/AIDS.

It's bigger than any other community centers
in other prefectures
(there are 6 centers like this in Japan now)
and sophisticated furnitures are impressive.
I felt very comfortable there.

Opening of such centers are not a goal,
but a start.
Effective programs to prevent HIV infections
are needed.
I'd like to support them as much as I can.
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by hideki_sunagawa | 2010-03-06 23:59 | Okinawa
2010年 03月 05日

Diary in Okinawa3

English version is following...

a0137527_15224897.jpg「そばcafe いしぐふー」という沖縄そば屋の新都心公園内店で昼食。

「手打ちそば定食」を食べる。おいしかった。

ソーキは、そばに乗っている形ではなく、別でからしやわさびをつけて食べる。そういう食べ方をするのは初めてだったが、とてもおいしかった。

入院している母親の見舞いのため病院へ。近くの駅から見える風景をぼんやりと見つめていると、なんだかリラックスしているような、空っぽになってしまうような、不思議な感覚を覚える。
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I had a Okinawa Soba (Okinawan noodle) in "Ishi-GuFuu"
for lunch. Very delicious.
Usually, in Okinawa Sobas with Spareribs,
cooked Spareribs are on Soba.
But here, Spareribs are served on another dish
and we are suggested to eat them separately
with wasabi or japanese mustard.

Afternoon, I went to see my mother in a hospital.
After that, being on the platform of a station near hospital,
I stared the views.
I felt relaxed, but at the same time,
something like vacant feelings in myself.
It was strange feelings.
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by hideki_sunagawa | 2010-03-05 23:59 | Okinawa