カテゴリ:Okinawa( 56 )


2011年 09月 18日

昨日の日記の追記的に

昨日の日記に書いた内容に合う画像を、以前撮影したものからピックアップしてみようと思ったけれど、街中で勝手に繁茂している植物を写したものは少なかったので、とりあえず、沖縄の木々の元気な姿を写したものを。

最初のものは、僕が小さい頃よく一人で遊んでいた「波の上宮」まわりの公園で写したもの。このように石灰岩の岩石に根を張って育っている大きな木を良く見かける。人の手で作り上げたものではない、この形態が魅力的だ(盆栽のような人の手がかかったものも嫌いじゃないけど…)。

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国際通りからちょっと入ったところにあった樹木。通りから奥まったところにどっしりと生えていたが、その入り口付近が住宅地として開発されていたので、この樹は切られたかもしれない…。

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これは、相方の「くま絵師」こと悠が沖縄で写した写真。いろんな植物が一緒に生えているこういう風景がとても好き。ちなみに、この沖縄旅行の時に彼が持ち歩いていた、友人が作ったという玉型のオブジェ(?)がどこかに隠れています(笑)。

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以前もアップしたことのある若狭の樹木。住宅街の道にいきなりこんな木があったりするのは、やはり東京では考えられない。でも、この前の通り、大幅に拡張されたので、これも切られてしまったかも…

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おそらく、新しい道路をどんどんつくる中で、大きな樹々は切られてしまうのだろう。とても残念だ。しかし、それでも、また新しい木が新しい道路の隅から生えて来る。そこに力強さを感じる。そういうものがなくなった時は、沖縄は本当に変わった時なんだろうな、という気がする。
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by hideki_sunagawa | 2011-09-18 17:21 | Okinawa
2011年 09月 17日

東京の街、沖縄の街

昨日の日記を書いたあと、つらつらと東京での生活を思い出していた。最後に住んだアパートから駅へ向かう道とか、その前に住んでいたあたりのこととか。

その、思い出される風景と、今自分が住んでいるあたり、あるいは時々でかける住宅街と比べてみて、一見大して変わらないようで、でもやはり雰囲気がだいぶ違うなぁ…とあらためて思った。この違いは、わかる人はわかるし、わからない人はわからない、という類いのものだろう。


簡単に言えば、東京の住宅街はとてもかっちりとつくられ、きれいに整われている。僕が東京で住んでいたところが、比較的富裕層が住んでいる街だったということもあるかもしれない。しかし、独特なカラーがあるところを除いて、全般的に東京の住宅街の雰囲気はさほど変わらない。

一方、沖縄では、住宅街は東京ほどはきれいに整備されていない印象がある。おそらくこれは、自治体が裕福かどうかとも関係がある(公共空間を整備するお金があるかどうか…)。だがやはり、この手のことをあまり気にしない人が多いということもあるだろう。

那覇の市街地を歩いていて目にとまるのは、道路の隅や、建物の角などに、結構繁茂した植物が目につくこと。ガジュマルも頻繁に目にする。街路樹のまわりにも、勝手に生えた(あるいは誰かが勝手に植えた)植物が、茂っていたりする。

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歩行者の(特に、視覚や歩行にしょうがいのある人)の便を考え、手をいれなくてはいけないところは少なからずあるだろうが、この、勝手に生えている植物が放置されている感じに、僕はほっとするのだ。

その風景に慣れた感覚で、東京の街を思い出すと、住んでいるときは当たり前だった風景が窮屈に感じたりするのが不思議だ(と言いつつ、そこに戻ればそれにまたすぐに慣れるのだけれど)。


僕の住んでいたアパートのまわりの一戸建ての家々は、ガーデニングに凝っている人が多くて、本当にきれいに手入れされていた。庭木がある家は、年に1、2回庭木屋さんが来て、剪定をしたりする。それはそれで美しく、気持ちよく眺めていたけれど、沖縄の、住宅の前に置かれた植物がやたら茂って大変なことになっているのも面白い。


思い返すと、そんな東京の街には、「もっとがんばりなさい」と励まされていた気がする。今、沖縄の街には、「いいんじゃない?それでー」と言われているような…。単に今の僕の心境の反映なのかしれないけれど。

そういう東京で、僕はだいぶ鍛えられなぁ…と、最近、しみじみ思う。それは、僕にとって必要な時期だったと改めて思う。そして今は、沖縄でゆっくりと熟成させつつ、新しいことを考えていく時期なのだ。その後は、またどこかの地に呼ばれるかもしれないし、もうずっと沖縄に腰を据えるかもしれないし。

半分はやりたいことを考えて計画し、半分は成り行き任せ。それぐらいが自分にはちょうどいいのかもしれない。
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by Hideki_Sunagawa | 2011-09-17 19:59 | Okinawa
2011年 09月 16日

支え合う関係のために

昨夜、調子が悪くなり、『このまま死ぬかも!』という不安に襲われ(オーバーなタイプ)、歩いて10分ほどの距離にいるゲイの友人にメールを送ったら、真夜中にも関わらず来てくれ、一時間そばにいてくれた。おかげで落ち着き、寝つくことができた。(あ、ちなみに、調子が悪くなった原因は解決)

この前は、激しい痛風発作で苦しんでいるとき、近いわけでもないのに、レズビアンカップルの友人が車で湿布薬と食べ物の差し入れを持って来てくれた(姉も、職場に出勤する前に遠回りして食べ物を届けてくれた)。

そんな友人たちに心から感謝(もちろん、家族にも)。

昨日助けてもらった友人に感謝のメールを送ったら、「ゆいまーる」だよねー、って。「ゆいまーる」とは、沖縄の地縁的共同体の相互扶助関係を言う。本土から沖縄に移り住んできた彼からその言葉を思い出させてもらったのが、なんだか面白い。


僕は東京でも、それとはまた違うような形でたくさん助けられ、支えられて来た。あのときの、あの支えがなければ…と思うことは、数知れず。自分のまわりの友人関係では、助け合う<気持ち>は、東京も沖縄も変わらない。

東京と沖縄で一番違うのは、たぶん物理的距離感。東京では電車で移動する人が多く、誰かのところへ向かうのは/自分のところに来てもらうには、電車に乗り(乗り継ぎ)、駅から歩いて…ということが大部分になる。


そうすると、来てくれると言ってくれても、その経路を考えると、遠慮したい気持ちになる(僕が最後に住んでいたアパートは駅から歩いて15分かかるところだった)。ましてや、電車が終わる真夜中は…。

僕は、博論で、空間の物理的なあり方がもたらすコミュニティ感についても触れたが、心理的なものと物理的なものは別ものではない。

東京にいる間、大変な思いをしていたときの友人を訪れることが少なかった自分が嫌になった(その背景あるのは、「物理的」な問題だけではないのだけれど…)。それも、東京を離れる理由の一つだった。

もちろん東京でも、もっとがんばれば、距離感を乗り越え、お互いを助けられるようになったんだろうけど…。


とりあえず、そんな東京での反省ももとにしつつ、沖縄で「ゆいまーる」的関係性づくりをスタート。冒頭の友人は近所なので、何かあったら自分も助けに行くことができるけど、離れたところに住んでいる友人の元へすぐに駆けつけられるようになるためには、移動手段をなんとかしなくちゃなー(目指せ、脱ペーパードライバー)。
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by Hideki_Sunagawa | 2011-09-16 20:56 | Okinawa
2011年 09月 12日

中秋の宴

昨日ブログ書くの忘れてたー。せっかく連日更新記録だったのになぁ。ま、あまりがんばりすぎないほうがいいだろうからいいけど…。

昨夜は、首里城でおこなわれていた中秋の宴に行ってきました。月は、僕らが帰る頃にようやく出て来た感じだったけれど、着いた頃の夕焼けそらや、ライトアップされた首里城がきれいでした。とりあえず画像をアップ。

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by Hideki_Sunagawa | 2011-09-12 11:12 | Okinawa
2011年 09月 10日

土地の名

先日、散歩をしている時に、小さな公園で碑らしきものを見つけた。「西暦1700年頃の那覇」と書かれている。そこには、那覇の河口地域が埋め立てられていく前の地図があった。

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慣れ親しんだ土地の名前がある(もしかしたら、一部は「今の地名でいうところのここあたり」という意味で書かれているかもしれないので、確認が必要だけれど)。

僕が育った「波の上」は、まさに波の上って感じの場所だったんだ…と実感。浮島も、名前通りに島だ。泉崎も、やはり「崎」だったのか…。そんな歴史を知るのと、土地の見え方が変わってきて面白い。

この地図の元となっている史料や、他の歴史的史料を見てみると、さらに自分の知らない那覇、沖縄の姿が見えてくるのだろう。


僕は、東京を離れるときに、もっともっと東京を知れば良かったな…と後悔した。研究のテーマが新宿二丁目だったので、新宿の歴史や、東京の概史は勉強したけれど。

もちろん、土地を離れても知ることはできるし、東京についてはそうしていくつもりだけれど、生活している土地について知ることは、また違った感覚を得られる気がする。

これから、少しずつ、楽しみつつ、那覇や沖縄について知っていくことにしよう…。
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by Hideki_Sunagawa | 2011-09-10 18:37 | Okinawa
2011年 09月 08日

沖縄再発見(植物編)

沖縄がらみの話、訪問者数からみると、あまり興味をもたられていないようだが、何人の方からはメールをいただいたりして、関心を持ってくれる人は持ってくれるんだなぁ…という印象。


▼沖縄再発見

僕が沖縄を見る感覚は、半分はそこに育った者としてのもの(自分が幼い頃にあったものがそのままあるのを見たときに、当時のことを思い出す感覚とか、街の雰囲気がなじむ感じとか)だけれど、半分は、東京の生活に慣れた者のものだ。a0137527_19141827.jpg

思い返せば、沖縄を離れて年数が経てば経つほど、沖縄にいたときには気づかなかったものに気づくようになった自分がいる。

空の色の違い。夏の雲の低さ。夏でも、風が吹けば気持ち良く、すごしやすいこと。どれも、東京で経験したものと比較するからこそ、気づき、印象深く感じるものだ。

そして、毎年1〜2回帰って来る間に、少しずつ興味を持つようになったものに、沖縄の植物がある。

これは、東京にいる間に植物に興味を持つようになったことが土台としてあって、やはり、東京などの他の地域との違いをはっきりと認識する中で生じてきたもの。


▼街の木々

もちろん、沖縄らしい植物といえば、「ガジュマル」や「フクギ」、「デイゴ」等の自生している樹a0137527_19144027.jpg木を思い浮かべるが、街路樹として植えられている「外来植物」も、東京などとはだいぶ違い、目をひく。

最初の二つの写真は、近所の駅の近くに植えられているゴールデンシャワーとホウオウボク(たぶん)。

ゴールデンシャワーはインド原産でタイ王国の国花、ホウオウボクの原産はマダガスカル島らしい。


▼地元の人による再評価

しかし、僕が引っ越して来て、一番関心を惹かれたのは、まさに、沖縄で昔から使われていた植物、サンニン(=月桃:げっとう)だ。

サンニンの葉は、ムーチーと呼ばれる餅を包む葉として有名だが、最近は、その独特な香りと殺菌力a0137527_1938162.jpgにより、石けんやオイルなどに加工されて使われるようになった。月桃紙もつくられている。

おそらく、そのように製品化されることで、地元の人のサンニンへの関心も高まったのだろう。

以前よりも庭先などで見かける頻度が高くなった(右の写真は、5月〜6月頃に咲くサンニンの花)。

けれど、そのように「役に立つ」植物でなくても、沖縄の植物を再評価する動きが盛んになるといいなぁ、と思う。ガジュマルは今でもあちこちでみかけるが、県花であるデイゴは以前よりめっきり減ったような気がする。


▼ヤシの木よりも

しかし、沖縄の街路樹(特に大きな道路の中央分離帯などに)使われがちなのは、ヤシの木だ。もしかしたら、メンテナンスが楽などの関係もあるかもしれない。しかし、ヤシの木は背が高くなり過ぎて、存在感があるようなないような感じだし、どうも「どっかのマネ?」感がぬぐい去れない。

観光を基幹産業と呼ぶ(そして実体もそう)な沖縄なのだから、街路樹などには工夫が欲しいなぁ、と思う。もともとあった植物も、南からやってきた植物もうまく使いつつ。


▼ワイルドな植物たち

とはいえ、実は、僕が一番沖縄の植物で驚いたのは、そのワイルドさかもしれない。思いがけないとから生えて茂っていたり、庭先の木がこれでもかというほど繁茂していたり。東京では、品良く「観葉植物」として室内にあるような植物が、沖縄では、街中で違う植物のように大きくなっている。

もちろん、細やかに手を入れているような庭木もあるが、半ばなすがままになって、元気に枝葉を伸ばしている木々を見るのも心地良い。東京とは違う、植物との付き合い方が見れるような気がする。

ちなみに、最後の写真は、我が母校の校舎を覆うブーゲンビリア。すごい…(笑)

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by hideki_sunagawa | 2011-09-08 19:15 | Okinawa
2011年 09月 07日

みゃーくふつ(宮古島のことば)2

珍しく、つづきもの。宮古島の言葉に関心を持ち始め、母親との没コミュニケーション解消のためにも、母親に習おうと思ったのだが…


▼母親とのやりとり

というわけで、母親に宮古島の言葉を習ってみることに。しかし、人に何かを「教える」ということからほど遠い生活をしてきた母親なので、いきなり「教えて」と言っても困るだろうと思った。それに、以前、「最近は全然宮古の言葉を話さないので、親戚と話をしていても、とっさに出なくなっている…」と言っていたし。

そこで、みゃーくふつで様々な曲をつくっている宮古島出身の歌手、下地勇さんの歌の話題から入ることに。僕は、彼の言語表現、音楽表現は、本当に素晴らしい。みゃーくふつを使って、今の私たちの心性に合った歌をつくり、様々なメロディーに載せて曲をつくっている。それは、これまで誰もなしえなかった、現代の表現方法とみゃーこふつの接合だ。

参考:
「おばぁ」(YouTube) …宮古島で農業を営んできた人たちの生活がありありと思い浮かぶ。
「民衆の躍動」(YouTube) …PVもむちゃくちゃかっこいい(字幕ないので意味は把握できないけど…)


▼発音への挑戦

前々から、この下地勇さんの歌っている歌を少し歌えるようになりたいと思っていて、CDを買って、歌詞カードを見ながら覚えようとするのだが、どうしても、発音がわからない表記が出て来る。それは、「す」や「き」などに半濁音を表す印(ぱの右上についているマルね)がついているものだ。

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いろいろ調べると、宮古島出身の人は、「ちなみに「す゜」の場合は、『す』と『つ』を同時に言うような発音になります…」(引用元)と書いていたりする。ほか、音声学的に、「中舌母音」や「無声破裂音」云々の説明が見られるけれど、どうもピンとこない(学部生の頃、音声学を履修していて、成績良かったんだけどなー)。

ということで、とりあえず、上の表記をみせて母親に同発音するか聞いてみた。しかし…


▼説明できないもの

母親は、その表記をみて、「これなんね?」と言う。よく考えたらそりゃそうだ。宮古島の言葉が文字化されたものなんて見た事ないのだから。なので、「魚(いす゜)」と書かれているのを指差して、「魚って、なんて言うの?」と尋ね直した。

すると「い、さぁ」と言う。「うーん…」と思う僕、僕は、「でも、普通の『』とは違うんだよね?」と確かめる。すると、「ず、さぁ。これ(書かれたもの)が間違ってるんじゃないの」と。

そんなやりとりが何度か繰り返され、僕はあきらめ、「咲き゜」は?と字を見せながら聞いた。すると、やはり(?)、「咲」と言う。むむむ。

もちろん、宮古島の言葉といっても、地域によって発音が違ったりするので、それも関係してるかもしれない。しかし、根本問題は、おそらくそれではない。

母親は言った。「訊かれるとわからんくなるさ」。


▼無意識に身に付いているもの

そうだった。まさに、文化人類学でも入門的なところでよく出て来る話。言葉に限らず、振る舞いなど、無意識に「自然に」身に付けられたものは、多くの場合、その使い手が分析的に意識化するという行為を経ない限り、説明することは非常に難しいのだ。

例えば、誰かの指導を受けることなく早く泳げる人は、おそらく早く泳げるコツを言葉で人に伝えることはできない。英語のネイティブスピーカーでも、ある程度の言語学的な知識(あるいは教える方法の知識)がなくては、英語を知らない人に英語のつくりや、相手が知らない発音を説明的に教えることはできない。母親にとって、宮古のことばも同じなのだ。

おそらく、その言語を使っている生活の中に入っていって、その生活の中で、ものを指して「これは、なんて言うの?」と聞いて、その発音をまねたり、相手が言ったことの意味を確認したりしながら修得していくなら、相手が言葉を教えることに慣れていなくても、伝達できるのだろう。

しかし、そういう文脈から離れて、言語として分析的に振り返って教えることは、簡単にできることではない。


▼隔たり

それに、明らかに母親は、『なんで、急に興味を持ち出したのか?』と感じているような表情をしていた。普段使いもしない言葉をわざわざ「学ぶ」ということの意味が理解できないようにも見えた。

昨日今日と書いたようなことをわかりやすくでも説明できればいいのだが、いかんせん、いろんな意味で、僕は母親と「言葉が通じない」ということを痛感していて(それは、みゃーくふつ/共通語、という問題よりも、抽象的な思考とか、世界観/価値観とかの問題として)、説明するできる自信がない(なんて言っていてはいけないのだろうけど…)。

内心、宮古島の言葉に興味を持ち始めたことを示すことでうれしく感じてくれるかも…と思っていたところもあったので、その怪訝そうな、理解できないというような表情が、ちょっと胸に刺さった。そういえば、沖縄を離れるまでずっと、色んな面での「理解されない」感に胸を痛めていたな、とふと思い出した。

と、ちょっと暗い(?)結果になってしまったが、宮古島の言葉への関心は失っていない。とはいえ、やはり、日常生活で使っていない言語を「学ぶ」というのは難しいなぁ…とも、改めて思うのだった…。
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by hideki_sunagawa | 2011-09-07 15:46 | Okinawa
2011年 09月 06日

みゃーくふつ(宮古島のことば)

先週はLGBTをテーマにした話ばかりだったので、今週はなんとなく沖縄関連の話題を…。

下は、宇宙飛行士の野口聡一さんが撮影してツイッターで流した宮古島の写真。多良間島や水納島は、だいぶ離れているので写ってないけど…


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▼「宮古系なーふぁんちゅ」

タイトルの「みゃーこふつ」というのは、宮古島の言葉のこと。僕自身は那覇で生まれ育ったけれど(幼い頃、兵庫県尼崎市にいたこともあったが)、両親はもともと宮古島出身。「砂川」という名字は、沖縄では宮古島を代表する姓の一つだ。

自分は那覇で育ったので、「なーふぁんちゅ(那覇人)」という意識が強いが、やはり「宮古系」の人間であるという意識もある。というのも、父親が生きていた時は、母親と父親は宮古島の言葉で会話をすることが多かったし、親戚と両親がその「みゃーくふつ」で話すのをしばしば耳にしていたからだ。

知らない人も多いようだが、宮古島や八重山の「方言」は、本島の「方言」と全く異なり、全然通じない(ユネスコでは、別個の言語として扱うことにしたようだ→記事)。昔、僕が小さかった頃、母親が、沖縄方言で話され全然分からなかったときに、馬鹿にされたように「どこの人か?」と聞かれ、「みやこんちゅ!!」と怒って答えたという話をしていたのをよく覚えている。

ちなみに、両親とも僕らとの会話は「共通語」だったので、僕は話すことはできないし、聞いてもあまり理解できない。もちろん、僕自身、ずっと興味を持たなかったというのが聞いたり話したりできない最大の理由だろう。


▼「みゃーくふつ」への関心

そんな僕が、最近、「みゃーくふつ」を少し勉強しようかな…と思い始めている。もちろん、いわゆる「ルーツ」への関心もあり、また、文化人類学者として宮古島の文化に興味を持つようになった、という理由が大きい。しかし、もう一つ。最近、沖縄の知識人の間で強くなりつつある、「うちなーぐち復興」への、半ば抵抗的な実践という意味あいもあるのだ。

6月20日に、このブログへ「沖縄ネイティビズムへの違和感」という文章を書いた。

それは、「うちなーんちゅ」を本質的に狭くとらえる傾向への疑問を書いたものだ。その流れとあいまって、最近、「うちなーぐち復興」を呼び掛ける流れがある。

僕も、それぞれの地域にもともとある言葉が残るのはいいことだと思う。しかし、「うちなーぐち復興」のための講座や取り組みが使う言葉は、結局は、「首里言葉」を中心とした「うちなーぐち標準語」だ。しかも、日常では使わない古い言葉(かつ、上流階級で使われていた言葉)こそが、「正当な方言」と位置づけられる。

「日本化」の中で失ったものを取り戻したい、地域に根ざしていた言葉を残し、できる限り復興させたい、という心情はわかるのだが、単純に応援する気にもならない。それは、やはり、自分が「宮古系なーふぁんちゅ」だからだろう。


▼「一石二鳥」のはず…が…

実は、「そんな、もはや日常的に使われない『正統な首里言葉』よりも、『うちなーやまとぐち』の、ちょっと『ピジン言語』*的(?)なものの方が、文化の生成を考える上でも面白いさ」と思うのだが、なんか、そう言うだけなのも、なんか芸がない(?)なぁ…ということで、自分のルーツにつながる言葉(しかも、昔耳にはしていたので、僕の記憶の一部でもある)をある程度解するようにはなりたいものだと考えるようになった。

[*ピジン言語(pidgin language)…二つ以上の言語が混ざって使われるようになった言葉。基本的には、「母語」として使われないものを指すようだ。まぁ、「うちなーやまとぐち」は、二つの「言語」が混じってというのはちょっと違うかもしれない。]

それに、共通の話題がなく、没コミュニケーション的な関係になりがちな母親と、少しはやりとりするきっかけにもなるかも…とも思い。ということで、「これは、一石二鳥(?)だ」と、早速、昨日母親に少し習おうとトライしたのだが…実は、この言葉を母親から教わるのは難しいことを実感することになるのだった。(続くw)
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by Hideki_Sunagawa | 2011-09-06 14:06 | Okinawa
2011年 09月 05日

久茂地川の生き物

▼久茂地川にカニやトビハゼが!

この前、散歩に出かけたとき、干潮で水の引いたの久茂地川の泥の上で動めくものを発見! 川に下りれる階段があったので、降りてみたら、カニやトビハゼが驚くほどたくさんいた。

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那覇市街地を流れる川は、僕が住んでいた頃に比べるとだいぶ水質が改善されたとは聞いていたが、一見見たところ、決して「きれい」ではないので、びっくり。時々覗き込んで、「あ、意外と魚がたくさんいる…」とは思っていたけれど。


▼那覇市内の川

昔から、那覇市内を流れる川をなんとかきれいにできないものかなぁ…と思ってきた。観光が「基幹産業」の沖縄で、「自然の美しさ」が売りの一つなのに、いくら市街地とはいえ、この見た目は…。

仙台に行った際に、友達に「那覇市内の川、汚いんだよねぇ…道路つくるより、川をきれいにすればいいのに」と言ったら、「え?那覇に川ってあったっけ…………。ああ、あれね、あれって用水路でしょ?w」と、冗談まじりに言われた。確かに…。

川の汚れの最大の原因は、下水道が完全には普及しておらず、生活用水等がそのまま流れ込むことらしい(もちろん、ゴミの投げ捨ても見た目的にはわかりやすい川の汚れの原因だが…)。しかしそれでも、少しずつ下水道も整備され、那覇市内の川は浄化が数値的にはだいぶ進んでいるようだ。

以下、沖縄県環境保全課が発表している水質測定結果で、うちの近所の久茂地川・安里川のBOD値(河川の汚れの指標とされ、数値が低いほどきれいということになる。5以下だと、フナや鯉も棲むことができ、川の自浄作用も維持されるとか)。平成12年度からの経年変化を表している(各測定ポイントで上下に数値が書かれているが、この上下に分かれている意味は、表からはわからない…)。
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数値的には改善されているとはいえ、先の友人のコメントが示すように、「河川」としての景観の工夫も含め、まだまだやるべきことはあるのではないだろうか。せっかく、生き物も戻ってきているのだから。


▼大きな道路を建設するよりも…

8月28日、那覇空港と那覇市若狭を結ぶ那覇西道路が開通した。その一部が、沖縄初の海底トンネルを含むことから大きな話題になっている(→琉球新報の記事)。これで、那覇空港からこの付近への移動時間は、27分から12分に短縮されるらしい…。

まぁ、だいぶ便利になるのだろうが、この事業費の1680億円と、これから維持するためにかかるお金を考えるとどうなんだろう?と僕は思ってしまう。なければないでも済んだような…。

国の予算でつくられる関係もあって道路建設に重きが置かれているのかもしれない。また、このような大規模な工事は、わかりやすい雇用対策ともなる。しかし、長い目で見れば、沖縄の(市街地も含めた)自然環境を充実させることが、大きな財産となることは明らかだ。

沖縄県は、国に対して、使途の自由度の高い「沖縄振興一括交付金」の創設を要求している。それが実現した際に、どこにどういう形で使って行くのか、注意深く見つつ、意見を言っていかねばと思う(もちろん、それが実現しなくても意見は言っていかねば!)
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by Hideki_Sunagawa | 2011-09-05 11:31 | Okinawa
2011年 08月 17日

エイサーをめぐる議論 onTwitter

昨日、沖縄を中心に活躍されているミュージシャン、知花竜海さんのツイッターへの僕のレスを皮切りに、二人の友人と、エイサーをめぐって熱い議論になった。面白い、いい議論ができたと思うので、こちらに記録。

☆(追記)最初は、そのまま掲載していたのだけれど、やりとりに参加された方が「恥ずかしい…」というので、その方の発言は要約を(ブルーで()に入れて表記)。

ツイッターのやりとりなので、レスの順番が入り組むので、ツイッターに慣れていない人は読みづらいかもしれない。レスが、直前に流れたツイートのレスとは限らず、いくつか前のツイート(つぶやき)へのレスだったりもするので、その辺を念頭に置いて読んでみてください。

もともと最初に僕のツイートにレスをくれた方は、ゲイを中心としたエイサーグループで(以下、仮名としてSNとしておく)ここ2年くらい踊っている。

このエイサーグループは、関東、関西、沖縄それぞれに支部があり、新宿二丁目で毎年開催される「東京レインボー祭り」にはなくてはならない存在になっている。また、各地の性的マイノリティのパレードでも華を添える存在に。

途中からやりとりに参加するSさんは、このグループを立ち上げた一人。彼は、もともと東京のエイサーシンカでエイサーをやっていた(その中でもゲイであることをオープンにしていた)。エイサーについてかなり詳しい。二人とも、沖縄出身ではないが、エイサーに対する思いは熱い。

「Hideki」が僕のツイートです。



<以下、やりとり(注は、ここにアップするためにつけたもの)>

Chibanaさんのツイート:青年会がEXILEのI wishでエイサー踊ってる笑。ちゃんと地方が三線で弾いて歌ってるよ。しにうける。そこからの唐船ドーイ! 


Hideki:青年会にもこういう流れが。EXILEの曲を使うところがヘテロ男子文化だなぁ(苦笑) RT @Chibana 青年会がEXILEのI wishでエイサー踊ってる笑。ちゃんと地方が三線で弾いて歌ってるよ。しにうける。そこからの唐船ドーイ!

(嘆かわしく感じるという内容のレス)

Hideki:ま、その時々において変化するものだし、僕は、面白いと思うけど。たぶん、一部だけ遊び要素としてやってるんだろうし。SNがMAXとかやるのと同じかと。

(注:SNは、ゲイのエイサーグループの仮名。MAXというのは、ゲイナイトなどで踊る用に、MAXの「ニライカナイ」を踊ったりすることを意味している。)

Hidek:僕もあまり創作には惹かれないけど、そういう個々の好みはさておき、もともと共同体のものなので、「余所者」があれこれ言うのも…って感じかな。

(余所者だからこそ、伝統的なものへ憧れが…)

S:ま、ぶっちゃけ好みの問題だからねー(笑)なんだかんだ言って、創作エイサーの方がやってる人の数が多いって事からも、そういうの好きな人は多いってことだよね~。ま、マイノリティ~好きなあたしはやっぱり民謡系が好きだけど(笑)天の邪鬼だしー

(民謡系が廃れそうで寂しい)

Hideki:わかるー。でも、それって、やっぱり、都会で生きてる人の勝手な憧れだと思うんだよね(自分も含め)。もともと、エイサーって、伝統を守り受け継ぐ、というより共同体の関係性の強化が重要だからねー。 若者が集まる方法を模索してるんじゃないかな。

S:まーでも、何でもそうだけど、伝統を守るのも、伝統をぶち破るのもどっちも意味のあることだよねー(●´ω`●) ゲイだけのエイサーなんて、ある意味型破りなんだし(笑)

S:大丈夫、廃れないから(笑)マジョリティーが強くなればなるほど、マイノリティーに惹かれる人ののめり込み具合がひどくなるのは何でもだし。そんなときは平敷屋のエイサー見て!ずーーーっと伝統エイサーを守り続けてる事のすごさがわかるから

Hideki:天邪鬼ってことは、その土地に育って青年会に入ってやってたら、逆に、「創作やりたーい」って思ったかもねw

S:そう(笑)なにが目的かで選択肢は変わるからー。目的に対する手段として合ってれば何でもいいと思います~。大体、今の形のエイサーなんて、そんなにすごく古いものじゃないし

S:言ってる自信ある(笑)天の邪鬼ってより、可能性を熟慮したり、試さないで捨てるってことのデメリットの方が大きいと思っちゃうタイプなのでー(笑)

S:ううん、違うの。伝統を守るのもすごく大事。守るものと、変えるもの、両方があって初めて文化というものが成熟していくんじゃないかなぁと思うよー。だから、守って!(*・ω・)ノ

Hideki:「伝統」と言われるものについて、文化人類学的では色々議論があるけど、ここでは語り切れないw でも、このテーマ、面白いんだよね。そう、新しいものが出て来ると、そうではない流れへの執着も生まれるのです!

S:ですよねー。どんだけ続いてれば伝統になるのかなんて言い始めたら終わらない(笑)みんな違ってみんないいです(*´▽`*)

Hideki:実は「伝統」と思ってるものも、そんなに昔からあるものじゃなかったりするけどねぇ。僕は、「伝統」と呼ぶかどうかさておき、いいと思うものは、そう思う人が継続すればいいかと(というか、そうしかなり得ないような)。

S:今の形のエイサーなんて、せいぜい戦後の話ですもんね(笑)

(変えるエネルギーより守るエネルギーの方が僕には合う気がします…。だから、守りたい。)

S:いいのよ、守って!M(注:SN創設メンバーの一人)と話合うと思うよ(*・ω・)ノ かく言う僕も、なんだかんだ言って守る派だから(笑) 守って、繋いで、育てましょ

S:ただ、正確には僕はバランス派なの(´д`) 目的は多くの人にエイサーを知ってもらいたい!だから、もしかしたら、場合によってはより多くにアピールできる方法を取るかもしれない。衣装も実は沖縄伝統にアレンジ入れてるし

Hideki:さすが!よくご存知で。特に、大きな振り、大太鼓が目立つ構成は、1970年代(だったかな?)の本土遠征のときに、「なめられないように」ということでつくられたと、沖縄芸能研究者の久万田先生がおっしゃってました。この辺の話、おもしろい! 

(ヒヤミカチを例に取ったって戦後の話ですもんね)

S:ね、僕も一時期エイサーの成り立ちとか、より古い念仏踊りだったり、大宜味の辺りでまだやってる、手踊りだけの昔の形のエイサー見に行ったりと結構色々教えてもらいました(*´▽`*)

Hideki:そうそう、そういう色んな意識や方向性をもった人がせめぎ合って(いい意味で)、こういう文化は充実していくのだと思います!「頑固」な人の存在、大事。

S:ポイントは、それぞれの立場、考え方で、きちんとした「議論」する事ですよね(*・ω・)ノ 全部を否定した文化に未来はないと思います

Hideki:面白い議論だったー。今度、会ったときにそれぞれから改めて話聞きたいわ。Sさんにも色々教えてもらお。おやすみーw

(みんなの色んな意識が文化を形成していくんだね。どんな流れになるかは、みんな次第。当たり前の事だけど気付かなかった。お二方共色々とありがとうございます。)

S:こういうの話すの楽しいねー(*´▽`*)今度ゆっくり話しましょ
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by hideki_sunagawa | 2011-08-17 12:26 | Okinawa