カテゴリ:Okinawa( 56 )


2011年 10月 21日

沖縄に引っ越して変わったこと

沖縄に越して半年+6日。東京にいた時とインターネットによるつながりが変わらないせいか、あるいは、この間に二回、東京に5日〜6日滞在したせいか、今も東京から離れているという実感はあまりない。でも、色んなことが少しずつ変化している。
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▼痩せた!!

沖縄に来たら太るんじゃないかなぁ…と思っていたけれど、なんと、東京にいた頃より6−7キロ痩せた。別に「痩せよう」と意識したわけではないので、びっくり。

要因はいくつかあると思うが、一つは、近所のJAおきなわ直売所で売っている野菜が安いので、野菜を前より頻繁に食べるようになったことか。あと、外で友人とカフェに入るということが減ったことも関係しているかもしれない。

カフェに入るとついつい甘いものを食べてしまうし(家にいても食べるんだけど…)、カフェではコーヒーを飲みたくなるのだが、コーヒーを飲むと、どうやら僕の場合かなり食欲が促進されるようなのだ(これは沖縄に来てから気づいた)。あと、ストレスによるヤケ食いが減ったかも。

また、今のところ、自動車も原付も自転車もないので、徒歩で移動することが多く、それもいい運動になっているだろう(なので、車を運転し始めたら、どうなるかわからない…)。しかし、元が元なので、まだまだ肥満体型ではある…。


▼テレビを観る時間が減った!

これは、沖縄に引っ越したからというより、大震災後にテレビのニュースがいかに馬鹿馬鹿しくヒドいものかということを、これまで以上にはっきりと認識するようになったことがあるかもしれない。

しかし、それに加え、やはり大メディアの発信するものの大部分が、東京圏で(あるいは東京圏に住んでいる人によって)制作されている以上、東京の空気感を内包していて、沖縄から見ているとリアリティを感じなくなってしまったことがあるような気がする。

沖縄を離れるまでは別に意識しなかったが、東京で生活していると、テレビの中の世界が東京の街を反映していることに気がつく。いや、僕は、ポップスといった音楽でさえも、東京の(あるいは本土の)雰囲気を含んでいるかのような印象を受ける。もちろん、それを前提として楽しむことはできるわけで、拒否する必要はないのだけれど。

その反面、地元のテレビ番組を観るとほっとする。沖縄のニュースは、大都市のニュースより実a0137527_21201930.pngに堅実だし、自分たちのポジションを明確にしている。

エンターメントでも、子ども向けの戦隊ヒーロー「琉神マブヤー」(RBC)は、評判通り実に面白い。

沖縄を舞台にしているだけでなく、会話も沖縄の雰囲気をしっかり反映して作られていると思う。

僕は、バラエティ番組の「ゆがふぅふぅ」(OTV)が大好き。特に、その中のコーナーの一つ、「つぶやぎシルー」がツボにはまっている(笑) 

つぶされそうになるヤギが、毎回、沖縄のことわざを飼い主の島袋さんに教えて難を逃れるのだが、初めて聞く沖縄のことわざばかりで勉強にもなる。


以下、YouTubeにアップされている「つぶやぎシルー」
(直接画面を撮影しているようなので画質は良くないけど…)

「くみちゅちぶん てぃんからぁ ちゅたーらなてぃみゆん」の回
…ちなみに、この中に出てくる、沖縄で祝いの席で踊られる「かぎやで風」は「かじゃでぃ風」と読むのが正しいらしい(歴史的仮名遣いで「かぎやで風」と書かれるとか<この前、友人に教えてもらった)

「しめーしっち むのーしらん」の回

「ちむさーに かーぎこいん」の回


この中で使われている言葉は、「うちなーぐち(沖縄の言葉)」というより「うちなーやまとぐち(沖縄風の大和言葉)」だ。よって、おそらく「『本当の』うちなーぐち」を復興させようとしている人には、ここで使われている言葉に疑問を持つ人も多いだろう。でも、僕は、この混淆的な感じが好きだし、これくらいの「うちなーやまとぐち」を場面によって楽しむ、というのが「うちなーぐち」復興としては、現実的だろうと思っている。

実は、「うちなーぐち」復興運動(?)には色々疑問に思うところもあるのだが、それはまたいつか改めて。


▼なぜかクロトンに興味が…

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(店先におかれた立派なクロトンの鉢植え)

末吉公園に行ったときの日記にも触れたが、沖縄に帰って来てから、なぜか「クロトン」という観葉植物(常緑低木)に興味を持つようになった…。観葉植物と言っても、沖縄では庭先に植えられていたり、街路樹として使われていたりする。

種類が多く、葉の形、色も様々なので面白い。昔は、「地味な植物なのに、いろんなところに植えられているなぁ…」としか思っていなかったのだが、この地味さを愛でられるようになったのは、年齢のせいか。

たぶん、あちこちで見かけるということが、関心を持つきっかけになったのだと思う。今ふと、ネットで沖縄とクロトンの関係について調べたら、こんなTシャツを発見!かっこいい!(って、勝手に写真持って来ちゃったけど…宣伝するからいいかしら…?)

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(「琉球ぴらす」さんのクロトン模様のTシャツ → ここから購入できる)。

また、先日、ジュンク堂に行ったときに『沖縄の美しいクロトン』という書籍があるのを見て驚いたが、この本、実は「国内では実に38年ぶりのクロトン本」らしい。その著者を紹介する記事によると、この本はクロトンに惚れ込んだ人の自費出版だったようだ。

沖縄タイムス記事「研究50年 専門書出版 クロトン愛好家 野国昌慶さん(64)」

こういう人が沖縄にいることを考えると、僕がクロトンに惹かれ始めたのは、やはり沖縄への居住があってこそのことなんだなぁ、と思う。


▼理由不明の変化

そして、最後に…冗談まじりながら、本当の、沖縄に帰ってからの不思議な変化。それは、蚊に刺されなくなったこと。なんと、この半年に蚊に刺されたのはたった一回!「もしかしたら那覇に蚊はほとんどいなんじゃないか…」と思ったくらいだ。

でも、東京から遊びに来ていた友人が、夜に崇元寺(近所にある)に行ったらひどく刺されて帰って来たので、いないわけではなさそう。でも僕も、夜にではないが、崇元寺に何度も行っているのだけれど…。

ちなみに、今住んでいるマンションでは、小さいクモやショウジョウバエは時々みかけるが、蚊も蝿もゴキブリも越して来てから一度も見たことはない(逆に大丈夫か?という気もするけど…)。

東京にいるときは、それなりに(?)刺されていたんだけどなぁ…ほんとに、謎だ。沖縄に馴染んだら刺されるようになるのだろうか…(刺されたくないけど)。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-21 06:01 | Okinawa
2011年 10月 18日

琉球近代史に思いをはせつつ

▼琉球王国の解体

昨日、那覇歴史博物館へ足を運んだ。現在開催されている「琉球国王尚家の人々〜生みを渡った宝物〜」という企画展が明日(10月19日)までなのだ。

「タマンチャーブイ」と呼ばれる王冠や、古い衣裳を見たいなぁ…と思って向かったのだが、色々な資料を見つつ、昔どこかで読んですっかり忘れていた琉球の近代史を思い出すことができた。

1872年 尚家第19代の尚泰が、詔(みことのり)を受け藩王に。
1879年 琉球藩が廃止され沖縄県が設置される(いわゆる琉球処分)。それにともない、尚泰は、政府の命令により東京に移り住むことに。

ちなみに、1854年(日米修好通商条約の4年前)には琉米(修好)条約が締結されるなど、琉球藩設置や琉球処分までは、薩摩藩の支配下にありつつも、王国としての独立性も保たれていた。東京に移り住まわされた後、尚泰は侯爵を授けられるが、それを彼やその周りの人たちはどのように受けとめたのだろうか…。


▼東京に渡った宝物

しかし、尚家の人たちが東京に強制移住させらる中で運ばれた宝物の多くが、そのおかげで戦火を免れたというのはなんとも皮肉な話だ。

金、銀、碧玉、水晶、珊瑚など7種類の玉が24個ずつ288個施されているという王冠は、冠としては一見地味に見えるが、迫力を感じさせるものがあった。

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国王の冬用の礼服で、唐御衣裳などと呼ばれる衣裳も重厚さを感じさせるものだった。

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▼那覇市歴史博物館

しかし、それにしても…平日ということもあるだろうが、この日の那覇市歴史博物館はとても閑散としていた(まぁ、おかげでゆっくり見れたけれど)。「パレットくもじ」の中にあるので、交通の便もいいし、大人300円と安いんだけどなぁ(障害者手帳を持っている人は、引率者一人も含め無料らしい)。まぁ、とてもこじんまりとしてるけれど、そのぶん逆に気軽に足を運べると思う。

過去の企画展のパンフレットもたくさんあって、どれも興味深いので、おもわずたくさん買ってしまった…ああ、お金が…(汗)。

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ま、その時々の企画によって、関心持たれやすいものそうでないものいろいろあると思うけれど、地元の人も観光客もぜひ一度足を運んでみてください。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-18 06:55 | Okinawa
2011年 10月 17日

否応無きつきあい

Yahoo Japan! 辞書によると、「否応無し(いやおうなし)」とは、「承知も不承知もないようす。有無を言わせないようす」という定義らしい。世の中、自分がオッケーしようとしまいと、受け入れざるを得ないことがたくさんある(いや、もしかしたら大部分はそうなのかもしれない)。

…と書くと重い話を書きそうだが、実はそうじゃない話(苦笑)。


▼「はっさ、◯◯さんよ…」

「はっさ、◯◯さんよ…」という表現は、誰かに呆れたとき、腹が立ったときなど、よく口にされるウチナーグチ(ウチナーヤマトグチ?)だ。その言葉が出される文脈によって、重みやニュアンスは異なるのだろうが、なんとなく、その言葉には「あー、しょうがないなー、もう」という、受け入れる雰囲気を感じることが多い。

そんなことをふと思ったのは、10月5日に開催された、由井晶子さんの本の出版記念の会に参加したときのこと。

由井晶子さんは、1933年生まれのフリージャーナリスト。沖縄タイムス社に勤務し、日本で女性初の編集局長になった方だ。「うないフェスティバル」にも長らく関わっていて、僕は、今年の「うないフェスティバル」の実行員会で初めてお会いした。年齢を感じさせない若々しさに驚いた。今年、『沖縄 蟻は像に挑む』(七つ森書館)を上梓された。この本は、『労働情報』に1998年12月〜2011年5月までに連載されていた文章をまとめたもの。

その出版の会の「第二部 由井晶子を語ろう」では、由井さんと縁のある人が登壇して彼女のことを語ったのだが、沖縄タイムス社の後輩にあたるフリージャーナリスト、山城紀子さんは、同社にいるときに、由井さんとたくさん衝突したという話を具体例を交えつつ話されていた。冗談っぽく面白く語ってはいたが、きっとその時々には、本当に腹が立ったりもしたのだろうと想像し、先の言葉が頭に浮かんだのだった。

また、沖縄女性史家の宮城晴美さんは、「この本に、女性の話が登場しないことに、仲間からの批判もある」とサバサバと指摘し、「でも、それは、この本の編集にかかわった真喜志好一が悪いという話になりつつある」と、その前の第一部に登壇した彼が会場にいることを知りつつ、冗談なのか本気なのかわからない雰囲気でコメントを。

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[左から、山城紀子さん、由井晶子さん、宮城晴美さん、今郁義さん(北谷町生涯学習プラザ館長)]


▼つながり

このような忌憚ない事が言えるのは、彼女/彼らの間に信頼関係があり、互いに尊敬しているからであることは言うまでもない。山城紀子さんは、後輩とは言っても由井さんよりかなり年下で、由井さんが女性として切り開いて来た道のすごさを体感してきただろう。

真喜志さんは、建築家だが反基地運動の活動家として有名な方。反基地運動を共有する言論人として、彼女/彼らはつながっている。その信頼感とつながりの中で、率直に言える関係っていいなぁ…と思いながら、僕は客席からその様子を眺めていた。

そこには、自分と考えが合わない面があったり、性格の違いから腹が立つ事があっても、そのことに「はっさ…」と言いつつつき合い続けて行くイメージだ。もちろん、もともとある種の「考え方」の共有でつながっているので、そこで決定的な意見の違いが出なければという条件付きなのだろうが…。

その背景には、昨日書いた「狭い」社会ということもあるだろう。関心テーマが共通するならば、つき合わざるを得ない。もちろん、東京でもそういうことは山ほどあるのだが、人口が多く活動する団体もたくさんあるがゆえに、ある程度距離を保ちやすい。また、活動自体から離れれば、その他でつながることはほとんどなかったりする。

沖縄では、関係をたどるとすぐにつながりを見いだせたり、出身地での結びつきがあったりということもあり、活動で知り合った相手と他のことで結びついていたりすることもある。そうなると否応無さが増す結果となるのだろう。その否応無さをどう処理していくのか、それが狭い地域社会での生き方のような気がする。

全てを「しょうがない」と受け入れるのは、時に自分を押し殺して行くことになるし、かといって、人と人は違う以上、違いばかりを見つけて人との間に壁をつくり、ごくごく意見の近い人とだけつき合うのも寂しい気がする。

僕も様々な社会問題に関心があるものとして、いろいろな人と出会いつながっていくに違いない。そうしてつながりが広がり、深まる中で、今回得た印象とだいぶ違うものが見えてくるかもしれない。どれだけ違うのか、あるいは「やはりそうだった」と思うのか…。後々、その確認ができるようにと、この文章を書いてみた。さてさて、結果はどうなるだろうか…。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-17 08:26 | Okinawa
2011年 10月 16日

那覇生活半年

▼蒲鉾屋前で…

金曜日、友人と用事に出た帰りに、パレットくもじに入っている地元デパート「リウボウ」に。北海道物産展をやっていて、美味しそうだった蒲鉾(かまぼこ)を買おうと並んでいたら、同じく蒲鉾に惹かれてやってきたらしい男子高校生と目が合った。

『あっ!』という顔をして会釈してくれたので、会釈し直したら、「◯◯高校に来てましたよねー」と。何ヶ月か前に友人が持っている総合学習の授業に話をしに行った高校だ。「あ、◯◯高校の子なんだー?」とやりとり。

蒲鉾屋の前で会ったのが、なんだか恥ずかしくて、僕は、「おいしーよー」(試食させてもらった後だった)と言って、購入してその場を後に。というわけで、別に話らしい話をしたわけじゃないけど、声をかけてもらってうれしかった。


▼狭い社会

実は、こうして講演に行った先の学生と偶然会うのは、沖縄に来て二度目。最初の経験は、近所のジュンク堂で「起業」の本を立ち読みしているとき(なんか微妙に恥ずかしいときに声をかけられることが多いような…)。その少し前に講演した大学の男子学生から、「◯◯大学で話聞きました。良かったです!」と爽やかに言われたのだった。

東京でもそういう経験が全くないわけではないが、講演をし始めて20年の間に、2回くらいしかなかったような気がする。やはり、那覇は地方都市だが、都市としての性質よりも地方としての性質の方が大きい、いわゆる「狭い社会」ということだろう。

しかし、今のところ、僕はこの「狭さ」が気に入っている。長く住んでいると、そのうち嫌になるかもしれないけれど、自分が語りかけた相手が同じ社会にいるという実感が持てて、砂漠に水をまいている感じがぬぐえない東京とはだいぶ印象が違う。


▼スーパーで会う友人

また、頻繁に行くスーパーに友人が働いていて度々顔を合わす…という経験も、僕にとっては面白い。東京でもそういうつながりのある人は少なからずいるのだろうが、僕の場合は、沖縄に来て始めての経験するようになった。

最近は、そこで顔を合わせるのが当たり前になってきたので、行ったときにいなかったりすると、ちょっと寂しい気になったりする。忙しそうな時は声をかけないが、それでも姿を見れると、なんだかほっとする。

まぁ、それはたまたま会うのが楽しみな相手だからそう思うのであって、会いたくない相手とそういう関係になって、「うー、狭い社会面倒くさーい」と感じる可能性もあるのだろうけど。


▼表裏一体

当然、このような社会は、往々にして、少数者にとっては生きづらい社会でもある。

昨日書いた話につながるが、性的マイノリティにとっては(特に、自分の有り様を「隠す」ことが難しいトランスジェンダーにとっては)、どこで誰と会うかわからない、また、人との距離感が近い社会は、面倒でやっかいだ。

けれど、もし自分の身近な人々に受け入れられたり、支えてくれる仲間をつくることができたりするならば、そして、他人にどうこう言われることを気にしないようにすることができるなら、より多くの人が、この狭い社会のポジティブな面を感じることができるだろう。

と言いつつも、まだ僕も沖縄にUターンしてまだ半年(あ、昨日でちょうど半年だったんだ!)。もしかしたら、すぐに「あー、もう嫌」と言うのかもしれない。でも、ま、そのときはそのときで、また考えればいいことだ。とりあえず、今は、少しずつ、自分がつながれる仲間をどんどん見つけて、その仲間が身近にいることを実感できることを楽しみたいと思っている。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-16 06:47 | Okinawa
2011年 10月 13日

世界のうちなーんちゅ

「第5回世界のウチナーンチュ大会」が、昨日始まった。その皮切りとなる国際通りのパレードを見に、友人と行ってみた。すごい参加者数。国別に歩いていたが、ブラジルの参加者数がすごかった…(にぎやかさも)。

何世かどうか、どこに住んでいるかどうか関係なく「ウチナーンチュ」とするのは、血統主義なわけで、それに疑問を抱かないわけではないが、国家の枠を越えてつながる契機が存在していることにポジティブな意味を見いだすことも可能かもしれない。

しかし、そのことと、沖縄で広がりつつある感のあるネイティビズムへの疑問はまた違う問題…。ま、その話はまたいつかするとして…。

今回のパレードを見つつ、目標ができたので、書いておくことにしよう。

それは、次回の「世界のウチナーンチュ大会」では、「LGBTミーティング」を開催したい!ということ。5年に一回の開催らしいので、2016年だけど。その頃は、自分の生活がどうなっているかわからないけど…。でも、楽しみな目標ができた。

では、写真で様子を。


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最後におまけ、自分たちの向かいのビルから見ている男性がすごかった…

こんなに高いところなのに、しゃがんで見ていたり。
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立ち上がって撮影したり…落ちるんじゃないかとヒヤヒヤ(苦笑)
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あと、パレードで歩いてはいなかったけれど、今回の大会で来たんじゃないかと思われる沖縄系らしき男性と白人男性のカップルらしき二人も見かけた。5年後の「LGBTミーティング」に来てもらわねば!(すっかり開催するつもり)。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-13 06:57 | Okinawa
2011年 10月 12日

末吉公園へ

昨日、天気もすごく良かったので、でかけたついでに、ゆいレールの市立病院前と儀保駅の間、北側に広がる末吉公園へふと寄ってみた。十代の頃に来たことがあるが、当時は、まだまだ広大な領域が森のままで入れなかった記憶がある。

今も、森の中に道を通してるような感じ。あまりの広さに迷子になるのでは…と思った。まだちゃんと道がつくられていないところもあり、入っていいのかダメなのか、と迷うところも。

でも、手つかずな部分も含め、沖縄の植生を感じられて面白い。那覇の市街地では昆虫はあまり見られないが、いろいろな蝶やトンボ、バッタなどが目についた。今回、末吉公園散策で撮った写真をいくつかアップ。


末吉公園は、山の側面にある公園という感じで、高台からは那覇の街が一望できる。
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入ってすぐ発見したきのこ。
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だいぶ前に整備されたと思われる階段。苔むしていて趣がある。
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以前は「地味の割によく植えられているなぁ」という感じで全然興味がなかったのに、最近、なぜか気になっているクロトンという種類の木。このクロトン、葉がとてもきれいだったので撮ったが、いまいちその色合いを表現できず…残念。
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岩と樹木が一体化。思わず手を合わせたくなる迫力。
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奥の方には水辺も。
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途中、あまり街中では見ないトンボを発見。ねばって撮影したら、ちゃんと撮れた。
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山頂近く、道なき道をのぼって行ったら、古いお墓に通じる道らしきものが。だいぶ手前に設置されていた説明には、「宜野湾御殿(ウドゥン)の墓および墓域」とあった。あまり入っちゃいけないのかなぁ…と思い、ここまでに。
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ちなみに、市立病院駅から写したこの画像の、奥のこんもりとした森が末吉公園の一部。さらに右手に広がっています。
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本当は、山頂付近にあるはずの「末吉宮跡」に行きたかったのだが、案内もなかったので、見つけられなかった。かなり高低差のある公園なので、いつか、着替えも持って本格的に散策してみよう…。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-12 06:25 | Okinawa
2011年 10月 10日

那覇大綱引き祭り

この連休は、「那覇大綱挽まつり」。もともとは、「那覇まつり」という名称だったが、今年から、メインイベントである大綱挽の名前を使うようになったようだ…ちなみに、普段使っている字の意味を考えると「大綱引き」っぽいのだが、どうやら「大綱挽」らしい。

結局、大綱挽には行けなかったが、母親の病院の見舞いに行く途中、かろうじて「旗頭」を見ることができた。「旗頭」は、綱挽の前に各地域の旗を掲げる演舞。すごい重さと高さがあるため、とても難しいものだらしい。

自分が見ることができたのは、面白いことに、自分が育った辻町と、義理の兄が深くかかわっていた久米西門の旗頭だった。a0137527_105862.jpg


写真は、76年ぶりに復活させたという久米西門の一番旗「サーフンユーチ」。昔の絵を参考につくっらしい。実は、義兄が設計図を描いたとか…(すごいなー)。

制作は現役の旗頭たちが自分たちでつくるものと聞いた。竜の頭がモチーフだが、ぽってりしているのがかわいい(本題とは関係ないけど、写真にローソンの看板が写り込んでいるのはご愛嬌として許して…)。


母のお見舞いに行って、その後、友人と食事して帰って来たら、郵便受けに綱が…。

「えっ?何これ?なんかのまじない?」と一瞬思ったこの綱は、大綱挽に参加して来た友人からのおすそわけだった。この綱にはご利益があると言われている。ちょうど母親の入院もあったので、一層心配して分けてくれたのだろう。ありがたい(感涙)

ちなみに、綱挽の綱は全長200mもあり、非常に太いものだが、その綱からたくさん出ている細い綱を皆で引く。その綱を切り取って持ち帰るのだ。

とりあえず、今日、母親のお見舞いに持って行くことに。そのままだと、なんだか変な感じなので、友達のアドバイスを受けて、丸めてみた。この感じだと一層ご利益があるっぽく見える(笑)。
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この祭りと今週ある「世界のうちなーんちゅ大会」のせいで、那覇は「インターナショナル」な雰囲気が漂っていた。こういう雰囲気が維持されると、また違う魅力が那覇に出て来るんじゃないかなーと思った。そんな話は、またいつか改めて。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-10 10:53 | Okinawa
2011年 09月 26日

聖地の観光化

▼観光地化する斎場御嶽

沖縄本島南部にある斎場御嶽(せーふぁーうたき)は、2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして、ユネスコの世界遺産リストに登録され、一気に沖縄で最も有名な観光地の一つとなった。

世界遺産になる前にも後に何度か行ったことがあるが、明らかに、訪れる人の数は増え、また層も幅広くなっている。本島随一の聖地とも言われるだけに、この地に様々な人が訪れることに複雑な思いを抱いている人は少なくない。

もちろん自分も、その「様々な人」の一人であることは言うまでもない。もともと男性が入ることも禁じられていた場所であった。

そんな自分を棚に上げて…という話なのだが、僕も、「観光地に来てみました!」という雰囲気を漂わせている人を見ると、「これでいいのかな…」と思ってしまう。もちろん、他の御嶽などもそうだ。


▼もし観光地化されなかったら…

ここで、もしも御嶽が観光資源として位置づけられなかったら…と考えてみる。理想的な(?)イメージでは、地元の信心深い人だけがウガン(拝み)のために訪れ、その人たちにより守り続けられる…というものかもしれない。

しかし、おそらくそうはならない。いったい、どれだけの人が実際にウガンに来ているかを考えれば明らかだ。その地域の人口のごくごく一部の人だけだ(その地への思いは多くの人が共有しているとしても)。

しかも、だんだんとそういう人は減っている。今、パワースポットブームの中で若い人も訪れるようになっているが、それはおそらく一過性の流行の可能性は高いし、そうじゃないにしても、その地に根ざした人でないがゆえに、守る担い手とはなりにくい。

拝所(うがんじゅ)について書かれている本を読むと、実際に、小さな拝所で廃れている場所は少なくないようだ。


▼開発の波

また、街の開発の中で、小さな祠として維持されるのが精一杯というところもたくさんある。そのような新しくコンクリートでつくられた祠は、時代が過ぎるにつれ、次第に存在感と意味を失っていき、消失する可能性もある。

皮肉にも、拝所の一部は、観光資源として意識されていることで整備されている。さらに言うならば、地元の若い人たちが拝所を重要な場所として意識するようになったのは、もちろん、昔からそこで拝むオバーたちを見てきたということが大きいだろうが、観光の中で再発見した面も否定できない。

観光という営為の中で、地元の人が、「オリジナルな文化」というものを再発見し、強化し、自分たちのアイデンティティの拠り所とする…という仕組みは、観光人類学の中で繰り返し指摘されてきた。


▼観光客を育てる

となると、聖地の観光地化をめぐる「いい解決法」は限られて来る。僕は、一つは、観光客を育てることだと思っている。聖地を訪れるときの心構え、振る舞いのルールを徹底させること。よっぽど厳しいものでなければ、観光客もそのルールを楽しむことだろう。

もう一つは、本当に重要な土地であり、多くの観光客が来たら荒れてしまう可能性がある場所は、なんらかの制限を設けることである。時期を限る、人数を決める等。それはありがたみを増させることになり、これも観光戦略とは矛盾しない。

そうやって「観光客を育てる」という姿勢は、観光がもたらす、ゲスト(観光客)とホスト(迎える側)の微妙な力関係をも変えて行くのではないか、と思う。
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by hideki_sunagawa | 2011-09-26 20:21 | Okinawa
2011年 09月 26日

今も残る戦争の傷

先日の「なは女性センター」の懇親会で聞いた話を書こう思って忘れていた。最近おこなわれているらしい、沖縄戦によるトラウマの研究からの話。

6月頃から、沖縄では精神的に不安定になる人が増えるという。よく「季節の変わり目に調子を崩す人が多い」と言われているから、それも関係しているかもしれない。

しかし、明確に戦争の記憶と結びついている人も少なくないという。沖縄戦が終わりに近づくにつれ、戦闘が一層激しさを増し、蒸し暑い空気の中で目の当たりにした腐敗していく死体の記憶、それを踏んでしまった感触、激しい死臭…そのようなものを思い出す人たちがいる、と。

そして、幼い頃に経験しつつ忘れていたことが、70歳を過ぎてから思い出される、ということも少なくないらしい。自分の身代わりになるように亡くなった母親のこと、など。

戦後長らく、精神的に病む人たちの数が、本土に比較してはるかに多かったという話を以前テレビでやっていたことも思い出す。戦後に生まれた人の中にも、その様子を身近に見つつ、傷を抱えた人もいるだろう。

米兵による残忍な犯罪が起きた村(狭い共同体)では、そのことによる傷を、被害者だけでなくまわりの人も抱え、精神的な抑圧を生むという話を、以前、ある女性活動家から聴いたことがある。

そうだ。僕は、沖縄に帰るからには、そういう話も身に刻むように聴かねばと思っていたのだった。少しずつ、そうしていこう。


画像は、新都心のもの。激しい戦闘が続き、多くの米兵が亡くなり、またその苛烈さに精神的に病んだ者も多かったという。「シュガーローフの戦い」という名がついている。それゆえ、長らく「良くない土地」と言われていたが、最近はそういう語りも減っているようだ。
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by hideki_sunagawa | 2011-09-26 00:53 | Okinawa
2011年 09月 24日

金城町の石畳

どこの土地でも、そこに住んでいる人はその地の観光地に行かないもんだと言うけれど…。

今日初めて、首里金城町の石畳に行ってきた。実は、関心を持った物件(事業用の)が、その近くにあったので、ついでに…という感じだったのだが、思った以上に趣があって、良かった。
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これまで、「ちょっとしかない通りだよ」「意外とがっかりする」と聞いていたので、期待のハードルが低かったせいもあるかもしれない。けれど、僕にとっては、古に想像を馳せるに十分な場所だった。

今回のこの物件チェックとプチ観光の旅には、ある拝所(うがんじゅ)との偶然の出会いがあったのだけれど、それは胸にしまっておこう…

このために車を出してくれて、つきあってくれたお二人に心から感謝。二人と一緒だったから、その拝所にたどり着いたような気がします。

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今月、ほぼ毎日、この日記を更新してきたけれど、実は毎日更新すると、読む方も大変みたい…という事に気づいたので(苦笑)、週に3−4回にしようかな、と思ったりしています。月水金とかにしようかなー。って、別に定期にしなくてもいいんだろうけどね。

とりあえず、この土日はお休みしまーす。
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by hideki_sunagawa | 2011-09-24 00:02 | Okinawa