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カテゴリ:Okinawa( 56 )


2012年 04月 17日

一周年

4月15日、沖縄に帰って来てまる一年となった。あっという間だったなぁ。この一年間、なんとか無事に過ごせたことに感謝。東京での日々と同じように、いろいろな人に支えられつつ…の一年でした。

でも、無事に過ごせた、とはいえ、これまでの一年間はほんとど休養していたようなもので、これからの一年間が勝負。この先を考えると、プレッシャーに押しつぶされそうだけど、「2000年にパレードをやったときの苦労に比べれば…」と感じたりもする(振り返ると、本当にあのときは命を削ってたんだなぁ、と)。


沖縄に帰って来てからの変化と言えば、一つに、「アイデンティティ」や「文化」をめぐっての考えがある。でもそれは、それまでと考え方が変わったというのではなく、以前から考えてきたことを実感し、深めることができたという感じ。

その土台には、僕が文化人類学という学問分野の中で学んできたことがある。おそらく、その時のアカデミックなトレーニングがなければ、今感じている「もやもや」を整理できなかっただろう(まぁ、いまだに研究者にしては言語化が下手なんだけど)。


そう考えると、東京で経験したこと、学んだことが、ちゃんと今につながっていることがはっきりわかる。でも、それは先々のことまで見通して計画して進んできたのではなく、むしろ、僕の中に色々なものが入り込んできて、それらが次の何かを取り込んで、だんだんと僕の中で生成していくような感じ。もちろん、折々に、何かの決断を「自分」がするわけだけれど。


一年後も、これまでやってきたことを発展させられたなぁ、と思えるといいな。とりあえず、これからしばらくはがんばり期。やれるだけやってみよう。
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by hideki_sunagawa | 2012-04-17 14:45 | Okinawa
2012年 03月 02日

「下地勇」考

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下地勇さん10周年記念アルバムを購入。2枚組29曲が収録されている。以前から、このブログでも何度も取り上げているが、彼は、みゃーくふつ(宮古島の言葉)で歌を作り歌っている(共通語の歌もあるけど)。

僕の両親は宮古島出身で、父親が生きているときは、二人でみゃーくふつで会話をしていることが多かったし、親戚もそうだったので、僕自身は話せなくとも(子どもには基本的に共通語で話しかけるので)、その音には懐かしいものを感じる。

彼の歌を聴いていると、聞き覚えのある言い回しがちらほら出て来て、「ああ、あれは、みゃーくふつの世界ではよく言われる言葉だったんだなぁ…」と確認できたりする。

彼の歌は、もちろん、よく知られていて結構売れてもいるけれど、僕は、彼の歌、業績は、もっともっと高く評価されるべきだと思っている。歌詞も曲も素敵で、曲調の幅の広さもすごいのだが、それに加え、これまで誰もしたことのない、みゃーくふつを現代的楽曲にのせるということをやってのけたということは、いくら評価してもしきれないほど大きな功績だ。

そして、下地さんのすごいところは、単にみゃーくふつの生活世界を描いただけでなく、おそらく、むしろその言葉の中、生活空間の中だけで生活していると、逆になしえない、叙情化をおこなったことだと思う。

一見、彼のみゃーくふつの歌は、ずっと使われて来た(今は急速に無くなりつつある)言葉を使って、昔からある様子を表現した、という印象を残すが、実は、非常に現代的な感性と生活をとらえなおし、現代に生きる言葉にヴァージョンアップしているのだと思う。

まさに、ある一定の年齢の人は懐かしさを喚起させつつ、より広い人たちに共感させられる情景と心境を歌っているのである。また、宮古島の生活世界を知っている人には、「あるある」と感じさせながら、知らない人には、なんだか面白いと思わせる表現でもある。

僕が不思議に思うのは、沖縄の言語を復興させようとしている人たちの語りの中から、彼がなしえた(なしえている)すごさへの評価が聞こえてこないことだ。それは、やはり復興のイメージが古典と結びついているからか、それとも、本島南部を中心化しているからか。まぁ、言葉を残さねばと思ってつくっているわけではない(なくなっていくことは心配しているけど…)、と語る彼なので、そういう流れには巻き込まれたくないだろうけれど。


一昨日の父親の13回忌で、宮古島から来ていた親戚が、今もみゃーくふつで話しているのを聞き懐かしく思った。そして、6割くらいながら、ある程度聞き取れている自分にも驚いた。後で考えたのだが、それは、幼い頃に聞き馴染んでいたということもあるが、下地さんの歌を頻繁に聞いていたおかげもあるのではないかと思った。

宮古島の親戚のところへ行って滞在するのが、一番その言葉を修得するのにいいのだが、そういう生活はゲイにはつらい部分もあるので、とりあえず、しばらくは、下地さんの歌で独学をしてみようと思う(笑)<実は、僕の両親の住んでた地域と少し言葉が違うらしいけれど…。
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by hideki_sunagawa | 2012-03-02 05:20 | Okinawa
2011年 12月 08日

木にぶら下がる時は…

▼懐かしのみゃーくふつ

このブログでも何度も紹介している、みゃーくふつ(宮古島の言葉)で歌をつくり自ら歌っている下地勇さんが、みゃーくふつで語っている動画をYouTubeで発見(リンクは一番下に)。

僕も、昔は、宮古島出身の僕の両親や親戚がこのような言葉で会話をしているのを耳にしていたので、とても懐かしい(とはいえ、字幕がないと20%ほどしか理解できないけど…&母親に言わせれば、彼の出身集落の言葉と、僕の両親の出身集落の言葉はちょっと異なるらしい)。


▼「島くとぅば」を学校で教えることについて

この中で、彼は、「島くとぅば」(島の言葉)がなくなっていくことへの危機感についても語っているが、最近の「うちなーぐち復興運動」と少し違う見方を提示している。学校で教えることは大事だけれど、教育の中に組み込まれて行くと、結局は、覚えることに義務感とか負担感を背負わされるのではないか、それはどうなんだろう?と疑問を呈しているのだ。

そして、自分は「島くとぅば」を残そうとして歌っているわけではなく、その言葉でしか表現できない世界を歌っているのだ、とも言う。彼自身が、みゃーくふつという島くとぅばの世界で生きてきたからこそ、そして、それを今も生活の一部としているからこそ出て来る語りだと思った。


▼「木にぶら下がる時は…」ということわざ

全体としてとても興味深いが、特に、いったん収録が終わってから録画を再開したと思われる、6分頃からの黄金言葉(言い伝えられていることわざ)をめぐる話が心に残った。

そこで紹介されている言葉は、「木ぃんかいささがす゜ばーんかい、かたてぃしささがりよ」(木にぶら下がる時は、片手でぶら下がりなさい)というもの。

それは、こういう意味だそうだ。

両手を離すと地面に落ちて痛い思いをするわけだけれど、それは、自分が何かから逃げるか、何かを放棄するかして自ら痛みを被るということを表現したもの。かと言って、両手でぶら下がっていると、その場所から動くことが出来ないし、上へ上へと登って行くこともできない。また、誰かを助けようと思っても、手を差し伸べることもできない。一番いいのは、片手で自分の大切なものをしっかりと掴むといこと。それは、とても力が必要でしんどいけれど、そうすれば、離している手を人のために差し伸べることができる。

面白い表現! まさに、その地域で生きている言葉の世界という感じがする。そして、ここで言われていることは、僕がこれまで活動をやってきた中で痛感していることとも合致しているし、これからも活動を続けて行く上で、肝に銘じなければと思う人生訓だ。


▼動画案内

というわけで、この動画は、みゃーくふつの言葉の世界を垣間見せてくれていて、一見の価値あり。
ただし、外国語の字幕と同じで、分かりやすいように言葉が足されたり、逆に削られたりする部分がどうしてもあり、そのため、語られてる内容と字幕のタイミングも少しずれている部分があるので、そのことは念頭におきつつ、観ていただけたら。「木に…」の話は、六分頃〜。

(YouTube)Shimoji Isamu: MIyako Language

僕にとっては、なじみ深いから当然と言えば当然なのだが、僕は、「うちなーぐち」(本島の言葉)よりも、「みゃーくふつ」の方が好きだなぁ、と改めて思った。
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by hideki_sunagawa | 2011-12-08 10:55 | Okinawa
2011年 12月 03日

知られざる歴史〜沖縄戦の「朝鮮人軍夫」〜

先日、NHK沖縄放送局の夕方のニュース番組で、読谷にある「特攻艇秘匿壕群」という戦跡を紹介していた。特攻艇というのは、言うなれば特攻隊の船版で、爆弾を積んで敵の大きな戦艦にぶつかっていくというもの。実際には、ほとんど「成果」はなかったらしい。

その秘匿壕を堀ったのが、「朝鮮人軍夫」だったという。沖縄でも知っている人は少ないが(僕も、恥ずかしながら、このことを知るようになったのは実は比較的最近のこと)、沖縄へも万単位の人数の「朝鮮人軍夫」が連れて来られたと言われている。もちろん、それに加え、「日本軍慰安婦」にされた女性たちも(宮古島では地元の人が中心となって、「慰安婦」の人のための碑ができている)。


この番組では、この秘匿壕で強制労働させられていた「軍夫」たちについて、その20人くらいが滞在していたという民家の息子が証言していた。現在75歳になる彼は、「軍夫」たちの苦しみに思いを馳せ、彼らの苦しみを伝えたいと口を開いてくれたようだ。

彼は、その作業場である壕から彼の家は20-30メートル離れたところにあるが、兵士に激しく暴力を受け泣き叫ぶ声が聞こえてきたと語っていた。そして、「人間という扱いじゃなかった」と。


そのような扱いを受けていた「軍夫」の一人が、ある時、近くにあった木をつかって、彼の母親に印鑑を掘ってくれたという。彼の母親が、印鑑を持っていなかったのを知って。その印鑑を、彼は母親から譲り受け今も大切にしまっている。そして、「きっと、母に、自分の故郷にいる家族を重ね合わせていたのでしょうね」と語った。

この取材映像の後のアナウンサーの「印鑑を堀ったのは、自分が存在の証を残したいという思いもあったのかもしれませんね…」というコメントが印象に残った。


読谷村だけで、数百人の「朝鮮人軍夫」が連れて来られたが、その多くは戦闘に巻き込まれ亡くなったという。また、慶良間諸島の一つ、阿嘉島では、空腹のあまり畑から稲や芋を盗んだ「朝鮮人軍夫」が処刑されるということも起こっている

実は、このような沖縄戦の「朝鮮人軍夫」に関して、NHKのアーカイブにアップされていて、誰でも観られるようになっている(このアーカイブはすごいと思う)。もっと、平和教育の中で、このような事実を伝えて行きたいものだ。

そして、その後、沖縄でそのことを語らずに生活していた元「朝鮮人軍夫」もいるであろう(いたであろう)ことも考えたい。

[証言記録 市民たちの戦争]“朝鮮人軍夫”の沖縄戦
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by hideki_sunagawa | 2011-12-03 06:14 | Okinawa
2011年 11月 30日

青いパパイヤ

僕のイメージの中では、沖縄的&東南アジア的なイメージのある野菜の一つ、青パパイヤ。タイ料理の「ソムタム」というサラダで食べたことがある人も多いだろう。でも、沖縄では、基本的にチャンプルーにして食べる。ツナ缶と一緒に炒めることが多いような…。

青パパイヤ、スーパーでみると一個300円〜500円という値段。好きなのだけれど、その値段に、「結構、その辺の庭でなっていることを考えると高く感じるなぁ…」と思い、なかなか買えずにいた。そんなときに、友人から「パパイヤ好き?」のメール。

a0137527_22151155.jpg「大好き!」と言ったら、三個も持って来てくれた。

なんと、妹さんの庭に勝手に育ったパパイヤの木から取れたものらしい。

庭でパパイヤ等ができる生活って憧れるなぁ…。

取り立てなこともあって、緑色がとても美しくて、見惚れるくらい。庭で取れたというこんなに美しいパパイヤをお裾分けでいただくなんて、なんか幸せ。

ちなみに…黄色い状態で果物として食べるパパイヤと違う種類なのではなく(もしかしたら、果物に適した品種があるかもしれないけど)、黄色くなる前にもいだパパイヤを青パパイヤという。というか、もともと沖縄ではパパイヤといえば、この青パパイヤだった(今も基本的にそうだけど)。

果物として食べるという習慣は、比較的最近までなかったと思う。最近は、果物としての黄色いパパイヤも出回るようになったので、もともとのパパイヤが青パパイヤと呼ばれるようになったという感じ。

パパイヤは、ウルシ科の植物で、実からも出る白い樹液が手につくととてもかゆくなるので、手袋して扱わねば。そういえば、随分前に、母親から、「昔は、お祝いのときに、パパイヤの木を切り倒して、それを食べた」って話を聞いたことあるけど、他の人からは聞いたことないなぁ。一体どこをどうやって食べるんだろう?

そうだ。一個、実家に持って行って、聞いてみよう。
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by hideki_sunagawa | 2011-11-30 06:04 | Okinawa
2011年 11月 22日

「うないフェスティバル」の展示

以前からお知らせしていましたが、「うないフェスティバル」、日曜日に開幕しました。
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「レインボーアライアンス沖縄(RAO)」と「くま絵師 悠」の展示は、モノレール牧志駅そばのサイオンスクエアの3Fにある、ほしぞら公民館で。エスカレーターでのぼった左手に隣り合っています。26日午後3時までの開催で、閲覧時間は、午前9時半〜午後8時まで(但し、最終日は午後3時終了)。23日は休みです。

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「レインボーアライアンス沖縄(RAO)」は、『カミングアウトレターズ』の抜粋と、基礎知識「知っていますか? 性自認と性的指向」、「誤解していませんか? 同性愛と性同一性障がい」、「考えてみませんか? 性自認と性的指向はプライベートなものですか?」(当然、性自認と性的指向を言うか言わないかはそれぞれの選択であるべきだけれど、日常生活でそれらはプライベートなものとなっていないという話)の説明と、同性婚についての世界の状況、東京でのパレードの様子を展示しました。

「くま絵師 悠」の無料配布ポストカードは、置いてから数時間後にはなくなっていました。

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by hideki_sunagawa | 2011-11-22 06:26 | Okinawa
2011年 11月 16日

「ゴーヤー」が「正しいウチナーグチ」か?

▼「ゴーヤあらん」?

この前、テレビを観ていたら、沖縄県内でしか流れてないCMのような番組で、「ゴーヤあらん。ゴーヤーくとぅ、棒線つきてぃぬばすんかいうちなーぐちどー」みたいなことを言っている人がいた。

ま、この引用は、記憶を頼りにかなり適当に書いたので間違っているかと思うが(「うちなーぐち」としても)、つまり「(にがうりを)ゴーヤ、ではなく、ゴーヤーと、伸ばして発音するのがうちなーぐちです」ということを言っていたのだ。

最近、沖縄では、「うちなーぐち復興」の気運が高まっていて、色々と考えるところがあるのだが、とりあえず一つ言うならば、このように細かい発音を取り上げて、正しいとか正しくないとか主張されることには、強い抵抗感を感じる。


▼県内言語のバリエーション

「うちなーぐち」を、現在、沖縄県としてくくられている地域の言語として解釈するならば、その中に大きな差異がある言語がたくさんあることは言うまでもない。八重山、宮古と本島の言語がまったく通じないことは有名だ。また、本島内でも北部と南部とでは異なる。さらに、それぞれ、基本的には同じ言語の範囲でも、語彙や発音等の細かいバリエーションをあげると切りがない。

ちなみに、この「ゴーヤー」に関してだが、八重山毎日新聞のコラムにこう書かれてある。

ーーー
「『ゴーヤー』(ニガウリ)は、石垣島の方言では『ゴーヤ』と言う」と石老連が訴えた。定例の品評会の名称で「ゴーヤーと伸ばさないで」と注文をつける。本島方言が、「島言葉」として伝えられていくことに危機感を示したものだ。確かに、若い世代はサトウキビを「ウージ」と呼び、八重山方言の「スッツア」という人は少数になっている。(後略)
ーーー

まぁ、最初に引用した説明をした人は、「ここで言う『うちなーぐち』とは、本島の言葉のことです」という立場なのかもしれないが、それでも、「この発音が正しいのです!」みたいに言われるとなぁ…と僕は感じる。

先日、この話を友人としたときに、友人も「個々の場面で、その発音に出会ったときに、『いや、(自分たちは)ゴーヤーっていう言い方をするんだよー』という程度のコメントをするならいいけど」と言っていたけど、僕も同じように思う。また、「ゴーヤって言ってもいいんじゃない?」とも。


▼「正しい」/「正しくない」

だいたい、「正しい発音」という話になったら、「共通語」の語彙で、沖縄で広く使われている発音やイントネーションが「正しくない」ものもあるだろうよ…。言葉ってそういうものだ。様々な発音、イントネーション、使用方法等が混じり合っているもので、そのバリエーションが言語を活き活きとさせているのではないだろうか?

まぁ、それでも、「共通語」のような基準を、うちなーぐちにもつくるというのもありなのかもしれないが、今のところ、とりあえずそんな基準はないわけで…僕としては、そういうものは作って欲しくないが、遠くないうちに、うちなーぐちの共通語(というよりこの場合まさしく標準語)を作ろうということを主張する人が出て来るだろう。

そうやって、日本語の共通語の完成によって、地方の差異、あるいは個人の差異が「正しくない日本語」に位置づけられていったように、うちなーぐちもバリエーションを「正しくないうちなーぐち」としていくのだろうか。
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by hideki_sunagawa | 2011-11-16 06:17 | Okinawa
2011年 10月 26日

アメリカ風イタリアンレストラン in 北中城村

a0137527_2155173.jpg先日、友人カップルが、北中城村(きたなかぐすくそん)屋宜原(やぎばる)にあるイタリアンレストラン「The Rose Garden」に連れて行ってくれた。

米軍基地が近いこともあって、客には米国人らしき人も多い。

しかし、結構高齢の女性たちの集団や、スーツ&ネクタイを着用している(沖縄では珍しい!)会社員もいたりして、とても雑多な雰囲気に満ちている。それがまた魅力の一つとなっているようだ。

食事のメニューもバラエティに富んでいる。イタリアンということで、ラザニア等もあったりするが(ラザニア大好き!<しかも友人によると美味しいらしい)、ステーキやハンバーグなどもあって、いわばアメリカ風イタリアンレストランという感じ。


a0137527_2155219.jpg僕は、ラザニアにも惹かれつつ、色々食べてみたかったので、ハンバーグと海老フライの乗ったプレートを注文した。

海老フライは、大きく立派なエビではないが、開かれたエビがカリッと仕上がっていて美味しい。尻尾も香ばしくあがっていた。

ハンバーグもきっちり作っている印象。高級な味とか、とても特色のある味とかではないのだけれど、僕の口にすごく馴染む好きなハンバーグだった。

このボリュームなので(最初にトマトスープも出て来たし)、食べ終わったら結構お腹いっぱいになって、「若い頃に比べると食べる量は格段に減ったよねぇ…」と友人と語り合ったりしていたのだが、友人が注文した別メニューについてきたデザート「ブレッドプディング」を味見させてもらったらおいしいもので、ついつい単品で追加注文してしまった。

a0137527_21554143.jpg食事についてきた「ブレッドプディング」は冷やされたものだったけれど、店員が「食事について来るものとは、ちょっと違うんですよ」と言いながら出した単品注文のものは、温かかった。

どちらも美味。見た時、「生クリームはよけいじゃない?」と思ったけれど、甘すぎず重すぎずいい感じ。マグカップに入ったコーヒーは、食事についてきたもので、おかわり自由。「アメリカン」な薄めを、たっぷり飲むという感じ。


店内の雰囲気も素敵だった。そして、フロアーで働いている女性たちに年配(年長の人は50代後半くらい?)の人がいるのが、僕は気に入った。沖縄で古くからあるレストランにはそういう店が多い(食堂は言わずもがな)。

チェーン店のファミリーレストランなどでは、男性スタッフもいるにしても、全体的に「若い女の子がいいでしょ」という異性愛男性中心の価値観が垣間見えて、「気持ち悪いななぁ…」(その価値観が)と思っているので、そういう色んな年代の様々な雰囲気の人が働いている感じにほっとする。



こういう地元のレストランや食堂などの場の持つ雰囲気は体に染み込み、感覚の一部となっていく。「沖縄文化を守ろう」という話が声高に言われるとき、この雰囲気や場のあり方は、その「文化」と呼ばれるものの中に含まれることは基本的にないけれど(つまり、集団の中で象徴的に意識化される「文化」ではないけれど)、ある意味、それこそ文化なんだよね、と思ったりする。

ま、結局、どちらも変化は免れ得ないけれど、僕は、やはり後者に愛着を持つタイプなので、なんとか長く続いて欲しいなぁ、と思うのであった。早くペーパードライバー脱出して、自分でも時々行けるようにしなくちゃ(と、またペーパードライバーネタで、了)。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-26 06:08 | Okinawa
2011年 10月 25日

知られざる歴史〜「みなと村」

日曜日に、「沖縄の産業まつり」の会場、奥武山公園に行った時に、「みなと村役場跡」の説明があるのを見つけた。

それには次のように書かれてあった。

ーーー
a0137527_19492111.jpg沖縄戦の後、特別に設置された行政区みなと村の役場跡。

1945年の沖縄戦の後、米軍専用となった那覇港での米軍需物資や民間の食料品等の荷役作業は、当初日本軍捕虜によって行われていたが、捕虜の解放、本土への引揚げにより、沖縄県民約2千人の那覇港湾作業隊が組織された。

この作業隊及びその家族を含めて約1万人の生活・労務管理等を円滑に行うため、1947年5月1日、当時の沖縄民政府によりみなと村が設置された。初代村長には港湾作業隊の指揮を執っていた国場幸太郎氏が就任。役場庁舎には奥武山の世持神社の建物が使用された。(略)

1950年、港湾作業が民間の業者による請負制になったため、村存続の意義がなくなり、同年8月1日那覇市に合併し、みなと村は解消した。
ーーー

国場幸太郎氏(1900-1988)と言えば、沖縄では、ある一定の年齢以上の人ならほとんどの人が知っていると言っても過言ではない実業家だ(この村長が同姓同名の別人でなければ…)。彼が、創設した國場組は、沖縄で最も有名な土建・土木会社の一つ。その彼が、「みなと村」という村の村長をしていたとは、知らなかった。

最初、「これをきっかけに國場組ができたのかな?」と思ったが、ネットで調べてみたら、國場組は1931年の創業。戦前に既にかなりの成功をおさめていたようだが、沖縄戦が始まって一旦解散したようなので、やはり戦後の基盤は、この「みなと村」をきっかけに築かれたのかもしれない。

それにしても、三年しか存在しなかったこの村はどういうものだったのだろうか?国場幸太郎氏のその後の沖縄での影響力を考えると、彼がこの村の村長を務めていたという歴史は軽視できないかも…と想像を膨らませたつつ思ったりする(意外とそんなに決定的な影響はなかったのかもしれない可能性もあるけれど…)。

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by hideki_sunagawa | 2011-10-25 06:15 | Okinawa
2011年 10月 24日

沖縄の産業まつり

昨日、一人でぶらりと「第35回 沖縄の産業まつり」に行ってきた。年に一回の開催のはずなので、僕が10歳頃からやっていることになる。最初の頃とは、比較にならないほど規模は大きくなっている様子。

a0137527_14274859.jpg様々な飲食物のブースが出ているし、陶器や、工芸品、新しい技術を使った製品等などが出品され、とても充実していた。

植木が売られているコーナーで15万円のブーゲンビリアを発見。とても太い幹なので、樹齢はかなりなのだろう。

しかし、高さは175センチくらいで、広がって育つブーゲンビリアなのに、あまり枝葉は広げられていない。

こういう風に育てるのが難しい&年月がかかる=高価、と予想。

他にも、45万円もするソテツとかも。ソテツは、どうやら幹からたくさん子株が出ているのが高いようだ(たぶん、その形のバランスとかもあるのだけれど)。


沖縄の在来柑橘類「カーブチー」(見た目は、少しシークワサーに似ている)の100%ジュースもあった。カーブチーは、ライムのような風味があって、僕は好き。小さいのに種が結構あったりするせいか、あまり商品化されていない。でも、やはりジュースにして売っている会社もあるんだなぁ…。


a0137527_14301860.jpgその後、伊江島のラム酒を売っているブースで、やはり伊江島で栽培されたミントを使った「モヒート」を。

ラム酒だけど、気のせいか、少し泡盛のような風味がするような…。あと、ラム酒と言っても甘いわけではないんだ?と思ったり(アルコールに詳しくない)。

でも、青空の下でモヒートを飲むのはいい気分。


そして、持ち帰り用に、生姜ジャムと、田いもチーズケーキ、城(ぐすく)まんじゅうを購入(なんだか甘いものばかり)。

a0137527_14285810.jpgチーズケーキとまんじゅうは、帰りに母親のところに寄って食べたけれど、どちらもとてもおいしかった。

田いもチーズケーキは、以前友達と行ったことのある「田いも工房 きん田」(那覇新都心)のもの。そのときは、田いもパイを買って帰ったのだが、チーズケーキの方もおいしかった。でも、僕は、田芋の味が一層感じられるパイの方が好きかな。

城まんじゅうは、それをつくっている会社の名前も「城まんじゅう」と言うようだ。北中城のお店。ブースでも売っていながら買わなかったおいなりさんも気になる…。いつか食べてみよう。

ちなみに、まだ開けていないが、生姜ジャムは、「SU-SU-SOON」というごはん屋さんのオリジナル商品のようだ。こちらも楽しみ。


沖縄は(たぶん、ある程度の大きさまでの地方は)、こうして地元でつくっているものが身近な感じがするのがいい感じ。来年は、もっと時間をとって行くことにしよう。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-24 06:08 | Okinawa