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カテゴリ:LGBT/gender( 116 )


2013年 01月 10日

同性愛と「好み」

ある大学で心理学を教えている教員が、神奈川県が同性愛者向けのサポート活動を民間団体と一緒にやっていることに対して、「次はロリコンか熟女マニアをサポートしなくちゃな」とツイートし、批判を受けて謝罪するということが起きた。

この議論の中で、謝罪した本人も批判した一部の人も、「指向と嗜好を混同」という表現だけで語ってしまったために、逆に「指向と嗜好は分けられるのか?」という疑問を経由して、やはり同性愛を「好み」全般とをごっちゃにした話に落ちつくということが起きているようだ。

この論の展開は、正直言って、あまりにもくだらない。

もともと、同性愛と「ロリコン」と「熟女マニア」が同じカテゴリーとして並列的に成立しないことがどうして理解できないのだろうか。同性愛は異性愛と並ぶカテゴリーだ。「ロリコン」「熟女マニア」(男性が対象となる場合は「中年男性orおやじマニア」?)は、ある意味では、その下にあるサブカテゴリーになる。

逆に言うと、同性愛/異性愛は、もっと大きなカテゴリーの話だ。そして、異性愛が制度化されていて、中心化され、圧倒的な規範として成立している構造を問題化するようになったのが、同性愛者のアクティビズムである(そのような問題化がおこなわれるようになったのは、もちろん社会の変化によるものであり「普遍的」なものではない、しかし、だからと言ってその動きを否定する理由にはならない)。

もし「熟女マニア」(中年男性マニア?)を認めよ、という運動が、<同性愛者のアクティビズムと同じレベルで>起こるとするなら、若者との恋愛や結婚しか世の中にはないかのように制度化され、中心となり、規範となっているような社会が想定されなければならない。

しかし、「熟女」「中年男性」でも異性であれば(そしてお互い独身であるか等の条件を満たせば)結婚はできる。しかし、どのような条件でも同性同士へ結婚できない。

ちなみに、「ロリコン」は性行為をめぐる同意という、さらに別の問題が生じるため、ここでは詳細には議論しない。しかし、異性の組み合わせでも同性の組み合わせでもあるのだから、やはりサブカテゴリーだ。


そして、現在私たちが生活している社会の中で、まず性別が極めて重要な属性となっている(その現実の善し悪しは別として)ということも重要だ。生まれるとすぐに性別が分類され登録される。その後、ずっと性別で区分され続ける。よって、どの性別を好きになるかが最も基本的な重要な問題になる。

それは幼いときから起こりがちだ。幼稚園生に「好きな子いるの?」と聞いたとき、同性の名前を挙げたとしたら、どういう反応が起こるだろうか。きっと、そのような発言に対し、「それっておかしい」と言う友達もいるだろう(実際にそういうことが起きたという話をよく聞く)。同性愛を肯定できない親は「この子大丈夫かしら…」と思うかもしれない。少なくとも、ドキッとする人は多いはずだ。

では、その子が、とても「熟女」「中年男性」と言えるような年齢の人の名前を挙げたとして、同性の子の名前があげられたときと同じくらいに、まわりの人はドキっとしたり、不安になったりするだろうか。ちょと変ね、と思うくらいだろう。そのことからわかるのは、「好き」という感情において、性別の組み合わせが第一の規範基準になっているということだ。


「同性愛と年齢軸の好みを区別するのは、同性愛者の運動による差異化」という主張で、いろんな「好み」をごっちゃにする結論に至る人の思考枠組みは、結局は、[まともな好み]対[変な好み(=同性愛・「ロリコン」・「熟女好き」etc...)]というものだ。

しかし、「まともな好み」というものは定義できず、それに対する[変な好み]も限定できない(正確に言うと、「変な好み」を名指しすることでしか「まともな好み」は成立しないが、その名指し対象は網羅されることはありえなく、また個々人によって大きく異なるため、このような対立軸は成立しない)。よって、この図式はおかしいのだが、そのことに気づかずに、その図式に基づいた議論(?)に悦に入ってる人が奇妙に見えてならない。

ーーーー
ちなみに、私は、<もともとは>「指向」というのは、どういう対象に恋愛や性行為の対象が向くかということと考えているが、その中で性別のみを「指向」と表現するのは、ここで書いたように、性別をめぐる問題が社会的に圧倒的な力を持っており、その状況が折り込まれているから、と解釈して肯定している。しかし、「指向だから」という説明だけで同性愛者への理解を求めることは素朴すぎる主張とも感じている。



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by hideki_sunagawa | 2013-01-10 01:21 | LGBT/gender
2013年 01月 02日

同性愛と笑い

昨年も多くの人に支えられて、こうして無事に年を越すことができました。今年もどうぞよろしくお願いします。今年は、本格的に沖縄でも大きなイベントを開催したいなぁ、と思っています。

さてさて、元旦にツイートしたものが大反響があったので、言葉を足して説明したほうがいいかな、と思い、このブログを書いています。

発端は、「芸能人 格付けチェック」という朝日放送系列で放送された番組。様々な、「一級品」「一流品」と呼ばれるものとそうではないものを見分けられるかを芸能人を対象にクイズ形式でおこなうもの。「お笑い」番組であり、いろんな意味で「馬鹿馬鹿しさ」を楽しむ番組だろう。

普段は観ない番組だが、ふとつけたらやっていたので、しばらくみていた。すると、ミニドラマをプロが演出したものと、芸人が演出したものを見分けるというものが始まった。内容は、男性芸人二人と男性役者一人が、同性愛の三角関係を演じている内容だった。

多少コミカルなストーリであるとしても、ある意味で、内容は「フツー」の三角関係。もし、異性愛を前提にした物語ならば、ステレオタイプ化した部分にクスっと笑うことがあっても、大して面白おかしいくないストーリーであった。

その二つの演出を見比べているシーンが映されたのは、最初にトライした4人と司会の3人だけだったが、その大部分の反応は、男性同士のラブシーンを気持ち悪がり、おかしがるものだった。しかし、小池徹平さんは、もし男女ものだったら大方の人はこういう反応をするだろうというニュートラルな、演出を見極めようとする姿勢を見せる態度だった。

僕は、他の人の笑う姿を攻撃つもりはなかったので(間接的に批判していことにはなるのだが)、次のようにツイートした。

ーーー
「格付け」なるTV番組で、演出を見分けるかという題材に、同性愛を扱ったミニドラマ。プロと素人の演出が見分けられるかというものだが、多くの芸能人が男同士のラブシーンに笑う。小池徹平さんは真剣な顔。仮に「一流か否か」という判断をするなら、こういう姿勢をとれるか否かだろう。
ーーー

こういうことを書くと、よくある反応の一つに、コミカルなものとしてお笑い芸人も出ているのだから、笑うものだし、そうしないと、ある意味で芸人には失礼ではないか、というものだ。

よく、お笑い芸人が、家族にその道に進むことを「人に笑われる仕事なんて!」と言われたという苦労話があるが、それへの反論して耳にするのは「人に笑われる仕事ではなく、笑わせる仕事」というものだ。確かに。

では、先のドラマはどうだろか。実際に、「笑わせた」のは出演した人だろう、しかし、そこに「笑われた」ものも存在している。それは同性愛(者)であり、同性間のラブシーンだ。

同性愛者であること、同性間のラブシーンが、<それだけで>笑われるものになるという、よくあるパターンだ。<それだけで>が重要だ。ストーリーによっては、同性愛者/関係が登場しても、そのことそのものが笑いにならないものが考えられうるだろう。

もちろん、このことと、自分をゲイと意識している人が笑って楽しむということは別の問題だ(よく、この当事者性を議論の根拠にする人がいるけれど、「当事者」にいろいろな人がいるのは当たり前のことで、僕はその個々人の態度や捉え方と、社会の中での位置づけの問題を区別している)。


こういうことを言うとき、もう一つよく言われることがある。それは、こういうものを笑いにする方が、マイノリティの社会的受容にもいいのではないか、というものだ。そして、その例として、身体に「障がい」がある(とされる)人が、自分のその「障がい」を笑いに変えるというものが挙げられる。これ自体も当事者間でも議論があるし、僕も好むものではないけれど、それを肯定する論理もわかる(実践している人がそのような論理を意識しているかどうかさておき)。

なぜなら、「障がい」のある人は、おうおうにして「不幸」「かわいそう」「かなしい」というイメージがつけられることが圧倒的に多いからだ、それに抵抗する形の一つが笑いになる。そして、それをやっているのが、「当事者」であるということにも意味がある。


しかし、先のミニドラマは、演じているのはお笑いの芸人(と、バラエティにもよく出る役者)であり、とりあえず「当事者」として意識されている人ではない。そして、同性愛をめぐる社会の支配的な位置づけは、もともと「笑い」「嘲笑」である。その中で、「笑い」の対象として再生産することとと、「障がい」を笑いの中に折り込んでいくこととは、全く構造も意味も違う。


また、これを女性のお笑い芸人がやることでもコミカルにすることもできただろう。だいたいそういう場合も、女性の見た目を基準にしたものなので、僕は好まないし、それもジェンダーの社会構造的に考えることができるが、女性のお笑い芸人が演じてコミカルにすることと、先のドラマには決定的な違いがある。

それは、女性の芸人が演じた場合には、異性愛関係における一つのあり方、あるいはその人そのもののキャラが笑いにされるのに対して、このミニドラマでは(そして、テレビではよくあることだが)「同性愛」「同性のラブシーン」そのものが笑われていたということだ。


それと似た意味で、「オネェキャラ」と呼ばれる人たちが、基本的にお笑いの文脈で登場してくることと、先のドラマの意味も違う。その人たちは、そういうカテゴリーで見られながらも、基本的にはそれぞれのキャラクターで登場しているのだから。僕は、そのようなタイプの人しかゲイが顕在化しないマスメディア自体には批判的だけれど(あと、時にその「使い方」にも)、その一人一人に対してはそうではないし、応援したいと思っている人も少なからずいる。


最後に、先のツイートでは、「そんなふうにお笑いにして」とか「気持ち悪がって笑ってたいた芸人、最悪」のような言い方をしていないことは強調したい。もちろん、そういう風に言う人がいてもいいと思うし、僕も我慢ならないと思ったときはそのような言い方をするだろう。

けれど、できるだけ、自分が、こういうあり方、態度、人いいな、ということを広めることを優先していきたいと思っている。今回は、あまりにも反響が大きかったので、その言葉の意味について説明を足した。
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by hideki_sunagawa | 2013-01-02 13:28 | LGBT/gender
2012年 09月 29日

(お知らせ)なは女性センターで講演

10月5日(金)なは女性センターで講演します。なは女性センターは、2000年から毎年僕を講師として招いてくれている。ほんとうにありがたい。

先日は、自殺対策の庁内研修(相談員等向け)でも、性的マイノリティをテーマにした回を設けてくれ、呼んでくれた。なは女性センターは、すばらしいスタッフがそろった、雰囲気もとてもいい素敵な部署。

女性対象ですが、電話相談/面談相談も受けています → 相談の案内

なは女性センターのスタッフとの出会いは、僕が「沖縄に帰ろうかなぁ…」と思うようになったきっかけの一つとなっている。以下、講演内容です。「行こうかな?」と思ってくださった方、場所、間違えないように〜(よく、「てぃるる」と間違う人がいる)。

ーーー

「LGBTをめぐる世界の変化と地域の課題」について考える講座

2012年10月5日(金)午後7時〜8時半

対象者:関心のある方
定員:30人(先着順)
会場:なは女性センター 第2学習室
沖縄県那覇市銘苅2丁目3番1号(新都心銘苅庁舎1F)
電話番号:0989513203
FAX:0989513204

*LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字をつなげた略語です。

*一時保育(2歳児以上)・手話通訳をご希望の方は、10月1日(月)午後5時までに
  申し出ください。
ーーー

「参加します」と、なは女性センターに電話かファックスを入れていただけるとスタッフは安心しますが、予約無しでも大丈夫です。
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by hideki_sunagawa | 2012-09-29 12:27 | LGBT/gender
2012年 09月 15日

講座延期のお知らせ

☆重要なお知らせ

台風直撃の恐れがあるため、明日(9月16日)に開催予定だった「コミュニティ心理学に学ぶ 第2回」は延期となりました。

第2回の内容「ストレス。メンタルヘルスとコミュニティによる支援。」は、翌週9月23日(日)に、第3回の内容「エンパワメント。弱者救済から市民参加という考え方へ。」は、9月30日(日)に開催します。時間は同じく、午後3時〜午後5時です。お申し込みお待ちしております。


☆第一回目の様子

第一回目の「コミュニティ心理学とは。その成り立ちと考え方。」は、とてもわかりやすいコミュニティ心理学について説明でした。

地域おこしに関わっている人や、NPO活動に関わっている人、行政で男女共同参画問題にかかわっている人、逆にそのような関わりがこれまでなかった人など、様々な立場の人が参加していることが、内容を一層充実させてくれたと感じました。

個人の抱えている葛藤や悩みを、個人の問題として位置づけたり解決を図るのではなく、コミュニティや社会の問題そのものを変えて行くという視点、個人が下支えされるコミュニティの仕組みづくりの必要性、といった考え方がコミュニティ心理学にはあります。

大嶺さんの使われる喩えは、水槽の中で苦しそうにしている金魚、あるいは病気になった金魚がいるとして、その金魚を別の水槽に入れて治療しても、もとの水槽の環境をそのままにして戻せば同じことになる、というものでした。

これは、様々な社会問題に取り組む人に必要な視点だと思いました。もちろん、ジェンダーやセクシュアリティに関係する問題に関しても。

なお、第2回目の冒頭では、1回目の内容を簡単にレビューする予定です。ので、ぜひ第2回目からでもご参加ください。


ーーー
なお、前回も紹介しましたが、講師を務めてくださる大嶺和歌子さんにうかがったところ、コミュニティ心理学に関して、以下のような入門書ことを教えてくれました。




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by hideki_sunagawa | 2012-09-15 13:21 | LGBT/gender
2012年 09月 05日

(再掲)講座、ぜひご参加ください!

「男女共同参画」を意識したコミュニティ活性化連続講座
   ~「コミュニティ心理学」から学ぶ~(全3回)

「那覇市協働のまちづくり事業補助金」を受けて、「レインボーアライアンス沖縄」が開催する連続講座です。

 最初のテーマは、私たちの生活で起きる問題をコミュニティや社会という視点からとらえていく「コミュニティ心理学」です。「コミュニティ心理学」とは、社会的な文脈に人間の存在を置き、環境との適合、誰もがもともと持っている強さやコンピテンス(能力)を重視します。そして、問題の予防、人々を力づけていくという視点から、問題解決への選択肢を拡げます。

 講師は、琉球大学などで非常勤講師として心理学を教えている大嶺和歌子さん(臨床心理士)です。一回だけの参加でも(二回目、三回目だけの参加でも)大丈夫です。

第1回「コミュニティ心理学とは。その成り立ちと考え方。」
日 時:9月9日(日)午後3時~5時

第2回「ストレス。メンタルヘルスとコミュニティによる支援。」
日 時:9月16日(日)午後3時~5時

第3回「エンパワメント。弱者救済から市民参加という考え方へ。」
日 時:9月23日(日)午後3時~5時

主 催:レインボーアライアンス沖縄
参加費:無料
定 員:15人
申込み・問い合わせ:gradi☆me.com (☆を@に変えてください)

GRADiの場所は、サイトでご確認ください。→ http://gradi.jp/
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by hideki_sunagawa | 2012-09-05 23:15 | LGBT/gender
2012年 08月 23日

『答えのない問い』

GRADi文庫(今適当に名前をつけただけですが…)に、ある写真集を加えました。『Questions without Answers』。352ページもある分厚い写真集です。

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この写真集を買うきっかけとなったのは、Stephanie Sinclairさんという女性の写真家が、インタビューに答えている映像でした。彼女は、「child bride(子どもの花嫁)」をテーマに写真を撮っていて、そのことについてのインタビューでした。

10歳にも満たない少女たちが、親の取り決めた結婚相手の元へ嫁がなくてはいけなかったりする地域がたくさんあり、そのような地域の結婚や、結婚した後も暴力に苛まれる女性たちの様子を、彼女は写真に収めています。

そのテーマの写真は、「NATIONAL GEOGRAPHIC」に掲載されています。

実は僕は、彼女の写真集と勘違いしてこの写真集を購入したのでした。実際には、この写真集は、たくさんの写真家が、主に戦場や苛酷な状況にある人々を写した写真が集められたものでした(そうでないものも少なからずあります)。

正直、あまりにもつらすぎる写真がたくさんありますが、世界のあちこちで実際に起きていることである以上、ただ目を背けているわけにも…とも思います。

この写真集が届き、そんな風に思っているときに、ジャーナリスとの山本美香さんの訃報が報道されました。悲惨な内戦状態が続きながら、日本ではほとんど報道されないシリア。山本さんは、まさに「目を背けているわけにはいかない」という思いに突き動かされていた人なんだろうな、と思います。

彼女は、僕が通っていた都留文科大学英文科の一学年上だったようです。同じ時期を同じ大学で過ごしていた人だったんだなぁ…と思うと、言葉にできない複雑な思いが去来します。

彼女が安らかに眠られることを祈るとともに、世界のあちこちで起きていることを伝えようとしている人たちに感謝し、そして、その無事を心から祈りたいと思います。

ーーーーー

『Questions without Answers』




「幼き花嫁たち」のテーマが収められている『NATIONAL GEOGRAPHIC』日本版 2011年 06月号


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by hideki_sunagawa | 2012-08-23 13:08 | LGBT/gender
2012年 08月 21日

「ゲイ・ホロコースト」

ナチス・ドイツ下で、同性愛者も強制収容所に送られたという話は、あまり知られていない。そして、その前には、同性愛者はかなり社会の中で顕在化していて、権利運動も発達しつつあったことも。以下は、Wipe Out Hmophobia .comというサイトの、「ゲイ・ホロコースト」という記事の翻訳です。

ーーーーーー

ゲイ・ホロコースト

1928年には、同性愛を明らかにしながらドイツに住んでいる男性は、120万人いたという。アドルフ・ヒトラーが台頭し力を得た結果、同性愛者の団体は禁止され、同性愛に関する学術書は燃やされた。

ヒトラーの人種イデオロギーは、同性愛を「寄生者」や倒錯者としてだけでなく、国家の敵として烙印を押した。1935年、ナチ政府は、同性愛の犯罪としての位置づけを拡大し、これが重要な意味を持つことになった。

SS(ナチ親衛隊)のトップの支持のもと、警察は「ピンクリスト」をつくり、同性愛の男性と女性に対して、不道徳なものとしての取締を開始した。多くが精神病院に送られ、裁判所の命令により去勢された者もいた。これらの男性のうち10万人が強制収容所へと送り込まれた。

ピンク・トライアングルが(今は、ゲイプライドのシンボルになっているが)、同性愛者であることを示すために、収容所に送られた彼らの胸に着けられた。5万5千人が処刑されたと推計されている。

Heinz Dormer氏は、約10年を刑務所と強制収容所で過ごした。彼は、「歌う森」から聞こえる「忘れ得ない苦悶の叫び」について語った。「歌う森」とは、有罪が宣告された人たちが絞首刑にされた高いポールの列のことだ。

「死刑を宣告された誰もが、そのフックに吊し上げられた。そのうめき声、叫び声は人間のものとは思えなかった。人間の理解を超えたものだった。」


続く迫害

キャンプが解放され、ユダヤ人犠牲者の窮状が世界に知られた後も、同性愛者の迫害は、戦後ドイツを通して続いた。多くの生存者(サバイバー)が、当初、強制収容所退去者向け施設で生活を再建し、家族との関係性を取り戻そうとした。

しかし同性愛者は、更なる迫害と社会からの排除に直面した。実際、多くのピンクトライアングル・サバイバーが、同性愛者であることで再度投獄された。戦後社会においても、同性愛者は逸脱者のままであった。


沈黙と恥と(Silent shame)

解放された(すなわち、更なる服役のなかった)ゲイ・サバイバーは、しばしば社会からの追放を経験することになった。戦後、家に戻ることが望まれなかった者もいた。それは、彼らが家族の名声にもたらした「恥」ゆえだった。

戻った者は、そのおぞましい出来事のセンシティブな性質が家族にさらなる苦悩をもたらすことを恐れ、その経験を自分の中にだけに留めておいた。その苦難を全く口にすることがない者もいた。


正義はどこに(No Justice)

1945年、解放に引き続きおこわれたニュンベルクの戦争犯罪裁判では、同性愛者に対する犯罪については言及されなかった。ピンク・トライアングルをつけられた収容者に対する特定の残虐行為について裁判にかけられたSSはいなかった。

SSの医師として知られていた多くの者は、同性愛者に手術をおこなったのだが、その行為について説明することは決してなかった。SS医師の中で最も悪名高かったのは、Carl Peter Vaernetである。

彼は、ブーフェンバルトやノイエンガンメの強制収容所でピンク・トライアングルを着けた被収容者に対して膨大な数の実験をおこなった。しかし彼は、その罪によって裁かれることはなく、南アフリカに逃げ、1965年に自由の身のまま亡くなった。

これらのことへの認識は少しずつ広がった。しかし、法により犯罪として扱われたまま残りの生涯を終えた多くのゲイの犠牲者やサバイバーにとっては、遅かった。

メモリアル(記念館/碑)が、ホロコーストの他の多くの犠牲者の記憶を留める一方で、一つのメモリアルがゲイの犠牲者を含めるのに、54年もかかった。1999年、ドイツはついに、同性愛者の犠牲者のための公式な追悼会をザクセンハウゼン強制収容所前で開催した。


謝罪

しかしながら、実際の謝罪がおこなわれたのは、2000年12月になってのことだった。ドイツ政府は、1949年以降の(訳者注1)ドイツにおける同性愛の迫害についての謝罪を発表し、同性愛者を第三帝国の犠牲者として認めることに同意した。

サバイバーは、ようやく、前に進む力を得て、ホロコーストの間の彼らの処遇に対する保障を訴えた(保障のための訴えの登録は2001年いっぱいでとなっていたが)。

ジュネーブに拠点を持つ支援組織、「移民のための国際組織」がこの訴えの扱いについての責任を担っている。

2002年5月17日、このプロセスは、数千人の同性愛者が(彼らは第三帝国の下で苦しんだのだが)、ドイツ政府から正式に謝罪を受けたことで完遂された。約5万人のゲイ男性が含まれた。ドイツの司法省大臣、Hertha Daeubler-Gmelinは国会で述べた。

「私たちは、皆知っています。私たちの今日の決断が50年以上遅かったことを。しかし、それにでも、このことは必要です。私たちは、過ちに満ちたナチの司法の犠牲者たちへの義務として、このことを負っています。」

2008年5月、ベルリンのティールアガルテン公園にある、ユダヤ人犠牲者のためのメインのホロコースト記念館の真向かいで、ナチの強制収容所で亡くなった同性愛者のための記念碑の除幕がおこなわれた。

私たちは、決して、決して、忘れてはならない。


(訳者注1)原文には、このように書かれているが、他の記事では、このときの謝罪は「議会は、ナチズムの被害者となった同性愛者たちの名誉が回復されるべきであることを確信し、1969年に至るまで同性愛者の市民に対する危害について謝罪する」というものであったという(参考サイト)。

「1949年以降の」という表現が、「1969年に至るまで」の誤りか、同盟国の管理が終了し新生ドイツとしてスタートした1949年以降の責任を認めたものか、この文章からでは明らかではない。1969年まで、というのは、その年まで同性愛が違法とされていたことによる。


ーーーーーー

このナチスドイツ下でのゲイの強制収容所送りに関して書かれた本の日本語訳『ピンクトライアングルの男たち ー ナチ強制収容所を生き残ったあるゲイの記録1939-1945』も出ています。日本語でこのことについて読める貴重な一冊です。


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by hideki_sunagawa | 2012-08-21 14:35 | LGBT/gender
2012年 06月 21日

補助金交付決定&交流会のお知らせ

レインボーアライアンス沖縄で申請していた、那覇市の「恊働のまちづくり事業補助金」交付が決定しました。小額ではありますが…。

内容は、LGBT関係というよりもジェンダー関係のものです(もちろん、LGBTのことも含みますが)。これから先、講座、講演会等を展開していきます!お楽しみに。

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さて、昨日より、シカゴの大学で勤めている友人が沖縄に来ています。彼女は、米国で同性のパートナーと子育てをしています。その経験を聞いたりしつつ、交流する会を24日(日)18時〜21日に開催します。

LGBTフレンドリー/サポーティブな方ならどなたでも参加できます。ドリンク&軽食付きで1500円(差し入れ歓迎!)。場所は、国際通りからすぐのGRADiにて。ご希望の方は、23日の正午頃までにご連絡ください。

hideki_sunagawa☆hotmail.comです(☆をアットマークに変えてください)。
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by hideki_sunagawa | 2012-06-21 23:49 | LGBT/gender
2012年 05月 23日

「世界のLGBT事情を考えるパネル展」の報告

同性愛差別に反対する国際デー(IDAHO:International Day Against Homophobia)にあわせておこなった「世界のLGBT事情を考えるパネル展」、46名の来場者がありました。ご来場くださった皆さん、どうもありがとうございました。


▼再会

一日目は、身近な知り合いが何人か顔を出してくれました。姉も来てくれ、「見てよかった。大人がかわらなくちゃダメだね」と後でメールをくれました。

二日目は、その日に、「琉球新報」「沖縄タイムス」に小さいながらも紹介が載ったことで、それを見て来てくださった方がたくさんいました。

パネルを見始めるなり涙を流された女性は、僕のスライドを使った説明を聞き終えた後すぐに、どなたか(おそらく自分にとって大切な人)に電話をし「見て欲しかったー」と話していました。

スライドの後も、何か話したげに残っていた男性は、実は、小学生の頃から思春期にかけての顔見知りで昔のご近所さんでした。少し迷いつつも、自分もゲイであることと、僕とのつながりを語ってくれ、驚きながらもうれしい再会となりました。


▼それぞれの生きづらさ

その日の夜、年配の男性が来場。彼が、スライド説明の後、「人は皆バイセクシュアル」と言いながらも、ホモフォビックな主張を声高にしたため、僕は強く反発し、激しいやりとりに。そのやりとりを聞いていた女性(non-LGBT)が、自分が経験してきた生きづらさを語ってくれ、LGBTの生きづらさと結びつけて話してくれました。

その年配の人が帰った後、その議論の前からいた男性が、自身もゲイであることと自分が抱えている問題についても率直に語ってくれました。

実は、その日は、早い時間からゲイライツアクティビストの大先輩が来てくださっていました。先の年配との男性との応酬をあえて黙って見つめていた彼は、僕の対応について「それでよかった、他の人が安心して話せる空間をつくったのだから」と、後のスタッフ慰労会で言ってくれました。どんな対応しても「これでよかったのか」という思いが残る中、その言葉にどれだけ救われたことか。


▼アライズ(allies)と当事者の出会いから

三日目、60代とおぼしきご夫婦が、雨の中、道に迷いながらも来てくださいました。パネルに書いた文章を、本当にじっくりと時間をかけながら熱心に読んでくださっている姿に、その文章を書いたものとして涙が出ました。

スライドの説明を聞いた後、夫が「親にカミングアウトできないというのはどういう気持ちなんでしょうね…。親なら受け止めるでしょう?」と語った言葉が印象的でした。その言葉に、妻は「そうでもないよー、私知ってる人がいるけど…」と。温かい雰囲気を漂わせた素敵なご夫婦でした。またお会いしたいものです。

その日、一人で訪れた男子大学生と、60近いというnon-LGBTの女性が、たまたま一緒にスライドを見る機会がありました。女性が、「差別する人の気持ちの方がわからない」と語り、自分の身近なレズビアンの方の話をするのを聞いた後に、男子大学生が同性に恋をしたときの難しさについて語ってくれました。

その後、その大学生と活動に興味を持ってくれているレズビアンの女性と僕と三人、年代が違いながらも、いろんな話を共有し、楽しく語らいました。彼女が、後でくれたメールに、「こういう場をつくってくれたことに、感謝します」と繰り返し書いてくれた言葉に力づけられました。


▼希望を感じる出会いの数々

最終日。
いつも応援してくれている大学教員の異性愛カップルが、忙しい中、時間をつくって来てくれました。この日、二人の温かいサポーティブな雰囲気にエネルギーをもらってのスタートに。

レズビアンの方がたくさん来てくれ、彼女たちが、強い問題意識を持って、展示のことを受け止めてくれた方が多かったのが、印象深く、そんな彼女たちからたくさんのエネルギーをもらいました。そんな様子を見つつ、沖縄のLGBTの活動を活発にするのはレズビアンかもな…思ったりも。

終わり時間近くに来てくれたのは、若者三人でした。実は、僕の非常勤講師先の講義を受講した女子大学生が、一緒にエイサーをやっているという二人(男性)を連れてきたのでした。

三人とも真摯な態度でパネルを読み、スライドを使った説明も聞き入ってくれました。その様子に、僕も語りつつ、声を詰まらせることもありました。スライドが終わった後も、そのエイサー団体の代表らしい若者が話を深める質問をしてくれ、その様子を見て、一緒にスライドを見ていたゲイカップルの友人が、自分の話をしてくれました。

若者三人の、明るく、まじめな姿には、将来の希望を感じました。


▼感謝の思いをもって

ここにはすべてを書ききれなかったけれど、他の来場たち者の様子や言葉もすべて心に残っています。決して多くはない来場者の数だったけれど、それだからこそ実現した密なやりとりが多く、多くの人に向けて伝えるだけでなく、個々人と対面しながら語り合っていくことの意義を痛感しました。

そして、このような場所があることの意味も(維持するのは、経済的にはかなり困難だけど…)。

今回のこの展示も、ともに活動している仲間や、友人たちに支えられておこなうことができました。いつも支えてくれている活動仲間の二人、電話番をしながらずっとこの空間に共にいてくれた友人、さりげなく差し入れを持ってきてくれたり顔を出してくれたりした友人。遠くから応援してくれているパートナーや友人たち。

そんな支えと、来場者の皆さん、そして、宣伝してくださった方々のおかげで、とても意義深い展示となりました。あらためてお礼を。どうもありがとうございました。
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by hideki_sunagawa | 2012-05-23 12:09 | LGBT/gender
2012年 05月 15日

「同性愛差別に反対する国際デー」に

5月17日は、IDAHO(アイダホ)と略される、International Day Against Homophobiaです。

沖縄レインボーアライアンスでは、この日にちなみ、5月17日〜20日まで「世界のLGBT事情を考えるパネル展」をGRADiで開催します。


なお、これまで、「国際反ホモフォビアデー」と日本語訳されていました(もちろん、僕もその訳を使ってきました)が、今回、「同性愛差別に反対する国際デー」と訳し直してみました。

というのも、「ホモフォビア」という言葉が多くの人にピンとこないことや、字面的に「反ホモ」という部分が先に目について、一瞬むしろ同性愛に反対するという意味に見えたりもすること、等々が以前から気になっていたのです。

ホモフォビアは、訳すとしたら確かに「同性愛嫌悪」なのですが、文脈によっては、どうもフォビアと「嫌悪」という言葉の間のニュアンスの差が大きい気がして…。今回の日の呼びかけの趣旨を考えると、「差別」という言葉の方が近いかなという気がします。


パネル展と言っても、とても簡単なものですが、ぜひ、GRADiの様子を見がてらお越しください。


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by hideki_sunagawa | 2012-05-15 21:55 | LGBT/gender