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カテゴリ:Diary( 160 )


2014年 12月 22日

2014年を振り返る

今年したこと、起きたことなど、ほぼ時系列に並べてみました。


▼東京でピンクドット沖縄の報告会

1月に早稲田大学での講演で東京に行くことになったので、2013年のピンクドット沖縄の報告会を開催しました。突然の思いつきで急なお知らせだったにもかかわらず、多くの友人、知人が集まってくれました。東京を離れて以来初めて会う人もいて、あらためて関係性を結び直すことができたような、そんな気がしました。


▼那覇市地域福祉補助金の事業の実施

対人支援をおこなっている機関への出前講座(10カ所)、入門講座、LGBT入門冊子製作など。出前講座では、初めて病院へも赴きました。

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(出前講座の様子)

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(入門冊子)


▼レインボーバレンタインキャンペーン

オリジナルのチョコを街頭で配布、ジュンク堂書店那覇店さんでトークもおこないました。

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(街頭配布後の記念撮影)

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(石鹸やフレングランス商品を製造販売されている「ラ クッチーナ」さんもレインボーバレンタインに協力くださいました)


▼初の救急搬送

吐き気と激しいめまいで動けなくなり、生れて初めての救急搬送。特に異常はなく、半日で退院。


▼歌手の米倉利紀さんにピンクドット応援ショットに協力いただく

初めてライブにも行きました。とてもかっこよくて、そしてパフォーマンスがすばらしく、惚れ惚れとしてしまいました。

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▼Brentさん、カナダから手伝いに!

カナダからBrent Lueさんがピンクドット沖縄やGRADiを手伝いに来てくれました。約5ヶ月の滞在中、大活躍でした。

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▼初挑戦のクラウドファンディング、成立!

READYFOR?で挑戦したクラウドファンディングのプロジェクト「同性カップルの『里帰り結婚式』をピンクドット沖縄で実現したい」、多くの方々のご協力を得て、目標額を達成しました。ありがとうございました。

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(クラウドファンディング、スタート時の記事)


▼ピンクドット沖縄応援集会 in 沖縄

ピンクドット沖縄の応援集会をシューレ大学を会場に開催。沖縄で一番私を支えてくれている宮城さん(ピンクドット沖縄共同代表)&まゆみさん(同実行委員)の二人も参加。このお二人と一緒の時間を東京で過ごせたのもとても良い思い出に。

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▼ジョージ・タケイさんとランチ!

在沖米国領事館主催の講演会で沖縄にいらしていた、ハリウッドスター、ジョージ・タケイさんとピンクドット沖縄のメンバーで会食。

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なんと、ピンクドット沖縄に向けて応援メッセージもいただきました>YouTube上動画



桜坂劇場とのコラボイベントで、EPOさんとトーク

ゲイカップルが障がいを持つ子を養子に迎えるために闘う映画、「チョコレート・ドーナツ」と関連して、桜坂劇場さんとピンクドット沖縄のコラボトークが実現。歌手のEPOさんとトークする機会をいただきました。

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▼念願の講演会の実現

ピンクドット沖縄と関連して、沖縄に来た時から実現したかった、上川あやさん(世田谷区議会議員)、星野智幸さん(作家)、楠原彰さん(國學院大學名誉教授)の講演会を実現できました。また、田中かず子さん(元国際基督教大学教授)の二度目の講演も。また、料理教室めざめの坂本ゆいさんの料理教室も二度目を実現できました。それぞれ、ご本人のご協力、多くの方々のご協力で可能に。心から感謝。

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(上川あやさん)

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(星野智幸さん)

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(楠原彰さん)

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(坂本さんの料理教室の後で)


▼電話相談&基礎講座実施

LUSH補助金を得て、電話相談を実施、また臨床心理士などの専門家向けLGBT講座等を実施しました。

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▼ピンクドット沖縄大成功!

ピンクドット沖縄でいろんなことがありました。上記の講演会の実現のほかに…
・RBCラジオさんが、1時間の特集番組をつくってくださいました。
・桜坂劇場が「レインボーシネマウィーク」開催してくださいました。
Marriage Equality USAのリーダーのお二人 John Lewis さん& Stuart Gaffney さん が、ピンクドット沖縄にご参加くださいました(彼らは、カルフォルニア州で同性間の結婚をめぐって裁判を起こした原告であり、同州での同性婚を実現させたカップルの一組)。
・沖縄で初めてとなる、LGBTの家族の会を開催しました。
・金城一樹さん&ハロルド・チャペットさんの里帰り結婚式を挙げることができました!

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(ハロルドさん&一樹さん、Stuartさん&Johnさん)


▼GRADi閉鎖

2年半近くがんばった、コミュニティスペースGRADiですが、経済的に苦しくなる一方だったことから閉鎖しました。それと同時に住居も引越し。


▼金城芳子基金による助成決定

沖縄でのジェンダー関連の活動に与えられる活動金城芳子基金の助成を、レインボーアライアンス沖縄でいただくことに。対象となったプロジェクトは、沖縄の県および各市町村議員へのアンケート調査です。

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▼READYFOR of the Yearでプレゼン、ソーシャルニーズ部門賞受賞

READYFOR of the Yearの授賞式で、プレゼンの機会を与えられた5つのうちの一つになりました。また、ソーシャルニーズ部門賞をいただきました。授賞もさることながら、プレゼンの機会を得たこと、それにより、他の、様々な活動をされている方とお会いできて刺激を受けたことに大きな刺激を受けました。(授賞式とそこでの出会いについての日記

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▼シューレ大学15周年で講演

私にとってとても大事な場所となっているシューレ大学、その15周年で講演する機会をいただきました。


▼パートナーとの関係解消(涙)

諸般の事情により、遠距離で3年間、トータルで8年間続いたパートナーとの関係を解消することになってしまいました…。


▼二度目のクラウドファンディング成立!

二度目のクラウドファンディングの挑戦となるプロジェクト『新宿二丁目の「ゲイコミュニティ」を研究した博論を出版したい』、また多くの方々の協力のおかげで開始1週間で成立し、来年、出版することが決まりました。わーい。ちなみに、プロジェクトへの支援申し込みは2月16日までですので、まだまだ参加できます(笑)

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と、あらためて今年のことをまとめてみると、「頑張った!」感ひしひし。しかし、頑張り方がきっとおかしな方にいっているせいで、年末の今は、生活は困窮状態。ということで、これから、アルバイトをさがして(ドンキのレジ打ちかなー)、来年は生活最優先を志します。

今年は、二度のクラウドファンディングの成立に象徴されるように、一層多くの人に支えられた一年でした。ほんとうにありがとうございました。と言いつつ、年内にある誕生日あたりにもう一度、書くかくも…


今年の振り返り最後は、ピンクドット沖縄アフターパーティでの僕の大笑い顏。

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by hideki_sunagawa | 2014-12-22 01:09 | Diary
2014年 12月 10日

沖縄国際大学での講演

今日は、沖縄国際大学のある先生に招いていただいて、LGBTについて基本的な話を。声をかけてくださった先生と、別の先生のゼミの合同授業となった。

講演は、「もっとうまく話せたらよかったなぁ…」と思う出来だったけれど、若い人たちに伝える機会をいただけて良かった。学生からは、僕が一通り話した内容に情報を付け加えるのにちょうどいい質問もちほら(「皆にこの話を伝えて欲しい」という意図をもった質問かな?と思われるものもあった)。


講演前、1時間以上前に大学に到着して、ランチ。今日は天気が良く、暖かくてとても気持ちがよかったので、中庭的なところで、持参した稲荷ずしをパクリ。外で心地良く食事ができるだけで幸せな気分。

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by hideki_sunagawa | 2014-12-10 00:20 | Diary
2014年 12月 04日

那覇市議会議場を訪問

とってもきれいな那覇市議会の議場!

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(左:前泊さん。ちょうど僕の頭が市旗にかぶっている…失礼をば)

那覇市議会議員2期目の、前泊美紀さんが案内してくださいました。約2年前に新設されたばかりだけあって、きれいだし、設備もよくできてる(那覇市庁舎4階にあります)。

傍聴席は、議員と同じフロアにも二階にもあり、なんと、親子連れ用の傍聴席(子どもの声が漏れない部屋になっている)も。すばらしい。

前泊さんが紹介くださって、副議長の糸数昌弘さんにもお会いしました。とても気さくで話やすく、LGBTに関する話をアピールしてきました。

案内してくださった前泊さん、話を聞いてくださった糸数さんに感謝。
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by hideki_sunagawa | 2014-12-04 16:02 | Diary
2014年 12月 03日

目標額達成!

わわわ、ありがとうございます! こんなに早く達成するなんて!

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先日紹介したばかりの、僕のクラウドファンディングのプロジェクト「新宿二丁目の『ゲイコミュニティ』について研究をした博士論文を書籍化したい」が、今日の朝、ちょうど1週間で目標額に達成したのです! なんとありがたいことでしょう! 

「期限の後半で成立したとして、1月の終わり頃から出版に向けての手直しかな」と思っていたけれど、すぐに取り掛かり始めなくちゃ!…とうれしい焦りを感じているところです。

応援してくれている仲間達も自分のことのように喜んでくれているのが、またうれしいことです。

これから出版するこの本は、今回のクラウドファンディングで支援してくださっている方々だけでなく、これまで僕を支えてきてくださった皆さんの本でもあります。だからこそ、一層うれしいのです。

長い時間をともに過ごしてきた人、知り合って間も無い人、たまにしか会えないけれどつながりを感じられる人、まだ会えていないけれど僕のことを気にかけてくれている人、疎遠になってしまった人、そして…もう二度と会えなくなってしまった人。そんな、あの人、この人、たくさんの人が一緒に喜んでくれますように。
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by hideki_sunagawa | 2014-12-03 23:03 | Diary
2014年 12月 02日

オープンリーゲイの文化人類学者への道(笑)

博論出版のためのクラウドファンディングに取り組む中で思い出したことなど…


▼院試でのカミングアウト

僕は、自分の研究との関係もあり、大学院入試(院試)の面接試験の時に、自分がゲイであることをカミングアウトした。それまでも、知り合いが教えている大学の授業に招かれて、ゲイとしての経験を話したことがあったが、院試の時の方が、はるかにパブリック感の伴うカミングアウトだった。

面接試験は、そのコースの大学教員がずらりとコの字型で取り囲むように座っている中、事前に提出した論文と院に入ってからの研究計画についての質問に答える形。提出していた論文は、HIV啓発活動と関係したものだったが、研究計画について説明する中で「ゲイとして『ゲイ・コミュニティ』の調査をするつもりです』と伝えた。

ここでゲイであることを伝えたのは、フィールドワークでは、どういうポジションでどういう関わり方で調査をするかということがとても重要なことだからだ。

その話をする時に、「(文化人類学という学問分野的には)奇異な研究と思われるかもしれませんが…」と前置きをしたことを覚えている。そして、研究計画について一通り説明したあと、間髪入れず「私は奇異な研究だと思いません」と言ってくださったのが、のちに指導教官として長い間励まし続けてくださった先生だった。

そして、その先生のコメントに続いて「私も奇異な研究と思いません」と発言してくださったのが、やはり、その後、ことあるたびに励ましてくださり、私が歴史学にも興味を持つきっかけになった、フランス史を専門とする先生だった。

こう書くと、そういう場でのカミングアウトが何の問題もなかったかのように思われるかもしれない。僕も正直、当時は、「あれ、全然大丈夫みたい…?」と思ったものだった。その後も、基本的には予想していたほどの大変さはなかったのだが、全くないもないわけではなかった。


▼「ああいう学生を入れていいんですか…?」

とは言っても、直接的に攻撃を受けたわけではない。しかし、授業の中で、あからさまに僕への苛立ちを感じていて、それをぶつけてきているとしか思えない先生がいた。その先生は、しばらくは、廊下などで会ったときに僕が挨拶しても、いつも無視していた(しつこく挨拶し、ちゃんと?年賀状も書いたりしているうちに変わったけれど)。

また、当時人気のあった先生だが、ある海外の有名研究者の悪口を冗談まじりに言う中で、「それにホモだし」とおもわず口走って、それにつられて皆が笑うということがあった。その直後に、「あっ!」と気づいて、僕の顔をみてバツの悪そうな顔をした。さすがにその先生には、後で抗議をしたが、「日本の大学でゲイであることをオープンにしている学生と初めて会ったので、逆にそれが無意識にそのような冗談につながったのかもしれない」という返事だった。

僕の研究をどうしても文化人類学のものと認めたくないのだろうという態度で接し続けた先生もいたし、修士論文の中間発表で、明らかに性的指向について誤解した上での、研究の本質は関係のない批判めいた質問を受けたこともった。

また、実は、院試のあと、退官間近だった教授が、ゲイであることをカミングアウトした僕のことについて、「ああいう学生を入れていいのか…?」と発言していたと知ったのは、博士課程に入ってからのことだった。


▼変化したセクシュアリティの定義

今から考えると、「結構、嫌な思いもしたなぁ…」と思うが、当時は研究で精一杯だったし、院生仲間との関係では嫌な思いをしたことはなかったおかげで、そのようなことで折れることはなかった。

それこそ、当時は、どの大学でも院でゲイであることをオープンにするような学生は極めて稀なことで、その頃、日本の文化人類学の学問分野でオープンにしていたのは僕一人だったし(今も?)、「ま、しょうがない…」という気分だったかもしれない。

僕が入った頃、日本の文化人類学で書かれていた論文でのセクシュアリティの定義は、「男女の間」に限られてたもので、僕は、それに対して、「なんじゃこりゃ!」と憤っていた。しかし、僕がオープンにして論文を書いたり、研究会などで発表するうちに、それはあっと言う間に変わっていった。

そんな風に直接的、間接的なやりとりの中で、修正していく先生方の様子を見て、僕は、率直に(全く嫌味ではなく)「すごいなぁ、優秀な研究者は修正能力が高いなぁ…」思った。そして、自分がゲイであることをオープンしてセクシュアリティ研究をしてきた意味があったかもしれないと思った。


▼交差点としての「私」

嫌な経験をあれこれ書いてしまったけれど、応援し支えてくれる先生方もいたし、そのことの方が僕の、学徒時代(?)の思い出の多くを占めている。もちろん、面接時に援護射撃的なコメントしてくださった先生方もそうだし(間髪入れずにそのような発言をしてくださったのは、否定的な反応があり得ることを見越してのことだったと思う)、その後、特にジェンダーを意識して研究している女性の先生方にとても支えられた。今も、変わらずに、応援してくださっている先生もいる。

博論を提出し審査が終わった後、博論完成お礼パーティーを開いたとき、ずっと励まし続けてくださった指導教官の先生が、僕がこの研究で博論を書き、口頭試問でも高い評価を得たことについて、「(まわりに対して)ざまぁみろという気分」と表現してくださったのが印象的だった。実は、僕以上に、この研究に対する冷たい視線を先生は感じていたのかもしれない。


今回のクラウドファンディングでも、大学院にいる間に知り合った人たちからも支援いただいている。あの頃、直接的なやりとりは少なくても、同じところで、それぞれの研究に四苦八苦したり、授業の準備に大変な思いをしたりしていたことが、つながりをつくってくれた。

こうして、博論が出来上がってきた自分の過程を振り返ると、あらためて、自分は、関係性の交差点のような存在だな実感する。そして、まさに、僕にとって、博論は、その交差点の表象だなー、と。さらにそこに、クラウドファンディングを通じて、新たな交通ができて、新しい交差点として、自分が更新されていく。この貴重な経験もまたなんらかの方法で現していけたらいいなぁ、と思いながら、まずは、今の交通を楽しみつつ。
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by hideki_sunagawa | 2014-12-02 00:19 | Diary
2014年 11月 29日

クラウドファンディングをめぐる思い

▼新しくクラウドファンディング始めました

クラウドファンディング「READYFOR?」で二つ目となるプロジェクトを始めました。それは、「新宿二丁目の『ゲイコミュニティ』について研究をした博士論文を書籍化したい」というものです。

今回は、私が2008年に東京大学大学院に提出した博士論文(=博論)を書籍化するために始めました。その博論は、新宿二丁目のゲイバーを調査したもので、その街を「ゲイコミュニティ」と呼ぶ意識がどのように生まれてきたのかを、様々な観点から分析したものです。

なぜこのプロジェクトを始めたのか、その思いはプロジェクトページにたっぷりと(笑)織り込んでいます。このページを読んでいただけるだけでも意味があると思っています。どうぞよろしくお願いします。

(クラウドファンディングとは、インターネットのサイトを通し、自分の実現したいプロジェクトへの資金提供を募るもの。賛同する人は、クレジットカードで予約をする。「READYFOR?」 は、期限内に目標額に達成しなかった場合、プロジェクトにはお金は払われず、予約した人にも課金されない仕組み。)


▼緊張の初日

さて、クラウドファンディングに挑戦するのは二回目とは言っても、前回と違い、今回は私自身に関わること…もちろん、この博論が世に出されることは社会的な意味があると考えてのことですが、そうはいっても、「結局自分のためじゃん」と言われかねないもの。きっと口の悪い世界ではあれこれ言われているだろうという想像も頭をかすめる。

そのため、前回とは異なった緊張感とプレッシャーが…。「このプロジェクトに協力してくれる人はどれくらいいるのだろうか…社会的な意味も理解してもらえるだろうか…」。

そして、27日(木)正午少し前に公開スタート。出足は遅く、ヒヤヒヤしながら待っていたら、いつも私を支えてくれている仲間が一番乗り。そして、それからポツポツと申し込みが入り始め、気がつけば、1日で50%越え。READYFOR?側から、3日間で20%は到達させるようにということを強く言わていたので、かなり良い数字だ。

しかし、その数字以上に僕の心を揺さぶったものが、ひとりひとりのお名前と応援コメントだった。


▼泣き濡れた1日

名前の中には、大学院時代、そんなに接点があったわけでもない後輩もいた。疎遠になっていた大学院同期の仲間も。そして、『こういう方法で博論を出版しようとすることに眉をひそめるかも…』と思ってヒヤヒヤしながら報告した指導教官からも。日頃一緒に活動している仲間からの支援もあれば、だいぶ前に少し仕事での接点があっただけの人もいる。そして、ネットだけのつながりの人からも、面識のない人たちからも。また、これまでたくさんたくさん負担をかけた元パートナーも。

その皆の名前が次々に応援コメント欄にあがっていくたびに、涙がこぼれた。

僕は、これまでも、ほんとうに感謝しきれないくらいたくさんの人に支えられえ、愛されてきたことを実感しているけれど、その一方で、心のどこかに「全然ダメな自分」という劣等感や、「多くの人に嫌われてもいる自分」という思い込みを抱えてもいる。それは、大きくはないものの、強い存在感を放ちながら潜んでいる。そして、時にそれが発する力に振り回される。

その感情は、現在のように経済的に切羽詰まり困窮すればするほど、他のネガティブな感情も呼び寄せて、重みも増していく。正直、博論を出さなくちゃという思いのどこかには、いつまで自分ががんばれるかわからないから、出しておかなければという考えもあった(もちろん、人生なんて、いずれにせよいつまでかあるかわからないという意味も含めて)。

そんな僕だから、一つ一つの支援(システム上は「引換券購入」)の予約とメッセージが入るたびに、背中にそっと手を置いてもらったかのような暖かさと励ましを感じ、涙が溢れてきたのだった


▼「申し訳ない」という気持ち

だから、僕は感謝の気持ちでいっぱいになった。でも正直、実は、わずかだけれど、どこかに「申し訳ない」という思いもあった。もしも、自分がもっともっと経済的にしっかりしていたら、皆の力を借りずに出せたはず、あるいは、もし人気研究者のような力があったら…という考えがぬぐいされなかったからだ。

応援してくださった人たちの中には、決して余裕のある生活を送っているわけではない人たちがたくさんいることを僕は知っている。ギリギリの中から出してくれている人もいる。だから、自分自身の力があれば、その人たちに負担をかけなくて済んだのではないかと。

でも、お礼のメールを書き、返事をもらう中で、疎遠になっていた人と久しぶりにやりとりができたり、それぞれの人が今置かれている状況を知ったりする中で、この方法でよかったと思えるようになってきた。「支援の機会をくださってありがとう」と言ってくださった方もいる。僕がおこなってきた活動にお礼を言ってくれる人。伝えたいと思っていた思いを改めて伝えてくれた人。

その中には、深刻な問題を抱えて闘っている人がいることも知った。その中から暖かい言葉をかけてくれた。


▼成功へむけて

実は、来年は僕がHIV/AIDSやLGBTの活動を始めて丸25年になる。今回のプロジェクトは、この25年間を振り返りながら、いろんな人たちとの関係を思い出し、紡ぎ直す機会となっている。

正直、プロジェクトの成功にむけて、これからはこれまでのようなテンポでは進まないだろう(知人、友人の多くにはすでに情報が行き渡っているので)。ここまでで、すでに大きなものを得て、嬉しく幸せだけれど、支援を表明してくれた人たちの気持ちに応えるためにも、できるだけ多くの人に理解してもらって、成功につなげよう、と改めて意気込んでいる。

皆の応援で出版される、新宿二丁目について研究した博士論文…改めて考えてみると、意義だけでなく、単純にとても素敵なプロジェクトのような気がしてきた。がんばろう。


「新宿二丁目の『ゲイコミュニティ』について研究をした博士論文を書籍化したい」
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by hideki_sunagawa | 2014-11-29 23:55 | Diary
2014年 10月 16日

READYFOR OF THE YEAR 2014

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10月14日、東京大学伊藤謝恩ホールで、READYFOR OF THE YEAR 2014が開催された。

これは、日本最大のクラウドファンディングサイト「READYFOR?」で成立したプロジェクトを対象に、社会的インパクトや意義を基準に賞が与えられるというもの。クラウドファンディングとは、サイトを通して資金を集めるシステム。

今回、僕が出したプロジェクト「同性カップルの『里帰り結婚式』をピンクドット沖縄で実現したい」が、当日会場でのプレゼンテーションの機会をいただいたことから、東京に赴くことに。

成立したプロジェクト480のうち25に賞が与えられ、僕のプロジェクトはソーシャルニーズ部門賞をいただいた。「成立するのだろうか」という不安を抱えながら、必死に取り組んだプロジェクトだったので受賞は本当に嬉しい。

そして、それにもまして、当日、プレゼンテーションをする5つのうちの1つとして選んでいただけたことには、久しぶりに晴れがましい気持ちを感じた。また、様々な活動をしている人たちにLGBT活動のことを伝えられたのは意義深いことだったと思う。READYFOR? を立ち上げた米良はるかさんも、このプロジェクトにとても関心を持っていたというコメントをくださった。

しかし、今回、僕が得た最大のものは、他の人たちのプレゼンテーションに触れたことによってインスパイアされたことであり、その方々と知り合えたことかもしれない。

「気仙沼の高校生が考案!地元食材を活かした新商品『なまり節ラー油』を全国に届けたい」の小川悠さんは、「運動部でも、文化部でもない、地元にちらばる"いいね!"にに気づく、形にする、伝える、新しいクラブ活動 i club」 をされている。将来を嘱望される若者、という表現はこういう人のためにある言葉だなぁ、と思った。

「医療の現場で空間アート『霧はれて光きたる春』を開催したい!」のハナムラチカヒロさん。大阪府立大学の教員でありながら、役者もされているとか。彼のプレゼンテーションからからは、哲学とアートと活動の融合を感じた。こんなに多彩な人がいるんだなぁ、と圧倒された。


「若年無業者白書-その実態と社会経済構造分析-」の工藤啓さんは、「若者と社会をつなぐ支援NPO/認定NPO法人育て上げネット」の理事長を務められていて、『無業社会 働くことができない若者たちの未来 』の共著者。淡々とした雰囲気の中に深く積み重ねられた経験と思想を感じさせる人だった。

「70年の時を越えて、幻の国産車『くろがね四起』復元計画始動!」の小林雅彦さんは、最縁遠い感じの方だが、とにもかくにもREADYFOR?で過去最高の1300万余りを集めた力はすごいなぁ、と思った。

今回、皆のプレゼンテーションを観て、正直落ち込んだ。これまで、プレゼンテーションもスライドづくりもそれなりにできているつもりだったけれど、皆のプレゼンテーションの上手さに圧倒されたのだ。小林さんの話の構成の巧みさ、ハナムラさんのパフォーマンス、工藤さんの飄々とながらも人を惹きつける話し振り、etc.

しかし、その一方で、いろんなところで面白い活動をしている素晴らしい人たちがいるなぁ、と感動し力づけられもした。実は、もともととても人見知りなのだけれど、これからはもっと積極的に、様々な人たちと会っていきたいなぁ。

今回、このような貴重な機会をくださったREADYFOR?の皆さんに心より感謝したい。

(当日の様子が MAKE2020にアップされています→ みんなでかなえる1億円プロジェクトも発表「READYFOR OF THE YEAR2014」
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by hideki_sunagawa | 2014-10-16 20:56 | Diary
2014年 05月 28日

「宿題」に生かされる

READYFOR?というクラウドファンディングを使って資金集めをしていたプロジェクト「同性カップルの『里帰り結婚式』をピンクドット沖縄で実現したい」は、おかげさまで、目標達成額を越えました。皆様のご支援に心から感謝申し上げます。ありがとうございます(まだ支援募集中です)。

先日、「里帰り結婚式」の主役であるゲイカップルのお一人、沖縄出身の金城一樹さんのお母さん、弟さんにピンクドット沖縄共同代表の宮城、実行委員の小渡と一緒にお会いしてきました。今回は、そのときのお話を…

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▼里帰り挙式の意味

弟さんとは何度かFacebookを経由してやりとりがあったもののお愛するのは初めてで、お母さんとはまったくやりとりをしたことがなかったので、お会いするまでとても緊張していました。

しかし、率直にご自身の気持ちを語られ質問してくださったお母さんと会話をする中で、緊張を忘れるような熱い気持ちに。

まず僕から、お母さんに、今回のプロジェクトの始まった経緯やその意義等についてご説明。

挙式を挙げる一樹さんと私とは直接お会いしたことはないけれど、同じ沖縄で思春期を過ごしたものとして(時代は違えど)、そこに住む同性を愛する人、同性のパートナー/恋人がいる人たちに希望を与えたいという思いを共有していると。

一樹さんが、沖縄に住んでいる頃にラジオを通じて知った、同性パートナーと米国で(結婚して?)住んでいらっしゃる沖縄出身のゲイの方の存在に励まされたとおっしゃっていたこと、今度は自分がその番になることを考えていらっしゃるのだろうということについても伝えました。

そのラジオの方は、仮名での出演で、スタジオでもできるだけ顔を合わせないように工夫されたものだったとか。今度は、一樹さんが実名で登場し、パートナーと皆の前で挙式をあげる…その意味をお母さんは理解してくださったように感じました。


▼お母さんのお気持ち

お母さんは、自分が一樹さんのこと、ハロルドさんとの関係を受け入れられるまでに時間がかかったことも話されていました。今も時折、「世間」のことを考えて揺れることも率直に語ってくださいました。

それに対して、私は、「ゲイやレズビアンなどの当事者も自分のことを受け入れられるのに十何年、あるいは二十何年も(あるいはそれ以上)かかります。伝えられた側も同じだと思います。また、同性愛を笑い、嫌悪する言葉をたくさん見聞きしてきた以上、『当事者』でも、心のどこかに同性愛を否定する気持ちが取り込まれているんです。揺れて当然です。」と答えました。

お母さんの揺れる気持ちを聞いていた宮城は、「自分の母親もいろんな気持ちがあったんだろうなと思うと…」と込み上げるものを押さえ切れずに、声を詰まらさせて涙を拭っていました。彼女も、昨年、ピンクドット沖縄後に新聞にレズビアンとして登場し、それをきっかけにお母さんにカミングアウトしていたので、そのことと重なったのでしょう。


▼弟さんの言葉

そんなやりとりをじっと真剣な、しかし温かいまなざしで見ていらした弟さんでしたが、お母さんから「何か聞いておきたい事ある?」と聞かれて、ある思いを語ってくださいました。それは、「質問というより、お願いがあります」という言葉で始まりました。そしてこう続けられました。


「母のような人は、マイノリティの中のマイノリティだと思うんです。LGBTは、仲間と出会うこともできますし、これから10年先にはにだいぶ状況も良くなるでしょう。

でも、親は同じ立場の人に出会い、つながることは難しいです。母も一人で抱えて大変だったと思います。相談できる人もいなくて。

だから、今回のことも含めて、自分たちの経験を、周りの人たちが受け止めいく経験をなんらかの形で他の同じような人たちに伝えていく方法を考えて欲しいんです。自分たちの経験を活かしてください。」


かみしめるように、真摯に心の底から出て来るようなその言葉に、それまでこらえていた涙がが僕の頬を伝いました。以前から、お兄さんを支えようとする弟さんのお気持ちに感動していたのだけれど、弟さんが、お兄さんやお母さんと同じような立場の人たちのことまで考えていらっしゃったこと、そのために自分たちの経験を約に立てたいという思いに心が揺さぶられました。


▼宿題として

僕は、「自分たちの経験を、他の同じような人たちに伝えていく方法を考えて欲しい」というその言葉に宿題をもらったという気がしました。

どのように今回のことも含め、金城さんのご家族の経験を活かし伝えて行くことができるのか…。以前から、LGBTの家族のことが気になっていただけに、そろそろそのことをめぐって本格的に動く必要があるかもな、と思いました。

そして、その宿題を与えていただいたおかげで、「まだ生きなければ」という思いも。

実は、僕は常に「死」への意識が頭にある者です。それは、これまでまわりで若くして亡くなる人が少なくなかったことから、「人はいつ死ぬかわからない」という意味でもあるけれど、ベースに自殺念慮(というより生きる事を放棄したくなる思い)があるという意味ででも。

僕を愛し支えてくれる僕にはもったいないくらいのすばらしいパートナーがいて、一緒に活動をする信頼する仲間たちや様々な場面で支えてきてくれたありがたい友人たちもたくさんいて、自分の理解してくれる家族がいるにも関わらず、なぜかそうなのです。その理由はわからないけれど。

経済的な問題のせいかもしれないし、幼い頃からの様々な体験(ゲイであることに由来することも含め)のせいかもしれないし、あるいは、大切な友人を失った経験からかもしれません。おそらくそれらの混合か…。

時期によってもだいぶ違うのだけれど、最近は、また、いくつかの問題からまたヤケになる気持ちが高まり、そのような思いが強まることが少なくない時期だったりもします。そんな中、弟さんがくださった宿題に、生き続けるようにと言われたような気がしました。


▼宿題に生かされる

僕は、その言葉を通して、「お願いがあります……生きてください」と言われたかのようにすら感じました(そう感じたということは、生きることを放棄したい気持ちとともに、当たり前だけれど、常に「生きたい」という思いもあるということと思っています)。

思い返してみると、いつも「宿題」に生かされてきたようなところがあります。「このイベントを成功させるまでは」「このことを成し遂げるまでは」「いろんな人たちからの支援に応えるまでは」…等々。

それでもなお、いつか「もうダメ」と立ち止まり人生から降りたくなるときが来るのではないかという不安もあるけれど、でも今は、そのいただいた宿題をこなすことを目指して「今日一日、明日一日」と言い聞かせて歩んでいこうと思っています。

その一日一日を支えてくれている皆に感謝しつつ。そして、その先まで生きるための宿題をもらえたことにも感謝しつつ。


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by hideki_sunagawa | 2014-05-28 11:02 | Diary
2014年 05月 01日

母親の言葉

沖縄タイムスで30年間記者を務められた後、フリーのジャーナリスト/ライターとして活躍されている山城紀子さんが、『季刊セクシュアリティ』という雑誌で、ピンクドット沖縄や私をめぐる話を書いてくださった。

主な話は今年の2月14日にジュンク堂書店那覇店で開いた「誰もが誰かと一緒に歩けるように」というトークセッション(僕と僕のパートナーやピンクドット沖縄共同代表の宮城のトーク)についてだが、終わりの方で、僕の母親へのインタビューが掲載されている。

僕がゲイであることを受け入れるのにずいぶんとかかったけれど、僕がパートナーを紹介し、何度か一緒に食事をしたり、また、僕が東京で大きな手術をしたときにそばに彼がいてくれたことを知る中で気持ちが変わったという話が書かれてあった。

自分がゲイであることについてどう思っているか改めて母親に聞いたことはなかったこともあり、読んでいて色んな思いが去来し、胸が熱くなった。

しかし、僕が込み上げるものがこらえきれなかったのは、僕がゲイであることと直接的には関係のない、次の部分だった。

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その日砂川さんの母・博子さん(78)はあるエピソードを紹介してくれた。「忘れもしない、秀樹が小学校3年生ぐらいの時、集金の人が来たのだけれどお金の準備がなかったものだから息子に『お母さんはいないと言ってくれ』と頼んだんです」。そう言って苦笑した。秀樹さんの表情は明らかに困惑し、返事はなく、しばらくして「なぜ、うそをつくの?」と嫌がった。「とっても正直な子なんですよ。子供の頃から」。
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なぜこのエピソードに涙がこぼれたのか正直わからない。僕自身はすっかり忘れているそんな小さな頃のことを覚えてくれていることにだろうか。母親が自分のことを「正直な子」と思っていたと初めて知ったからだろうか。そのことと、自分がゲイであることをカミングアウトし、オープンにし生きていることを結びつけて理解してくれていたと知ったからだろうか。

あるいは、お金がなくてとても苦労していた親のウソを責めるような態度をとったことへ心の痛みだろうか。

この掲載誌を届けてくれた山城さんに「こんなエピソードを語ってたんですね、僕は全然覚えてない…」と言ったら、「博子さんは、そんな正直な秀樹さんにウソをつかせたりしたことに今も胸を痛めてるって言ってましたよ」と。

母親と僕は、あまりにも世界観が異なるゆえに(ある意味で持っている「言語」も全く違うがゆえに)、つながり得ない面の大きさばかりを感じて来たけれど、ようやく母親と何かが結びついた気がした。きっと、そんな母親の思いは、山城さんがインタビューしてくださらなかったら知る事はなかっただろう。

山城さんのこの連載のタイトルは「沈黙の声を聴く」。そのタイトルは、これまでマイノリティが語ることができなかったことを主に指しているのだと思うが、僕にとって、今回の記事は、まさに母親の沈黙の声を聴くものとなった。

そんな機会をつくってくださった山城さんに心から感謝したい。そして、もちろん、これまで他人の問いに答えて自分の気持ちや考えを語るという経験がなかったにも関わらず、このインタビューを引き受けてくれた母親にも。




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by hideki_sunagawa | 2014-05-01 21:26 | Diary
2014年 04月 11日

お守りを届けたい

ふと、ブログに移行する前の、自分でhtmlで書いていた頃の過去の日記の4月を読み返してみた。

12年前(2002年)の4月は、新宿2丁目のフィールドワークをしながら、なんとなく後ろめたいものを感じて、調査そのもののあり方に迷っていた。

10年前(2004年)には、イラクで起きた日本人人質事件をめぐって、世の中の「自己責任論」に怒っていた。そして、500人を越える登録者のあった大学の授業の対処におわれていた。

そして、8年前(2006年)の4月6日の日記には、HIV/AIDSの問題にかかわる人たちが入っているメーリングリストJ-AIDSで、男性同性間のHIV感染をめぐるやりとりに関する話を書き記していた。

それは、僕も参加しつつ男性同性間のHIV感染についての議論を重ねる中で、自尊感情や孤独感とリスキーな行為の関連に話が至り、その流れである人が以下のように書き綴ってくれたということについて。

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ぷれいす東京の「SAFER SEX GUIDE BOOK」のことで砂川さんを存じ上げている、と書きました。 当時(十数年前でしょうか)、私は地方で家族と同居していて、全く偶然にそれを偶然知り、郵送をお願いしたのです。 中にワープロの案内文が入っていて、丸っこい字で「砂川秀樹」とサインがありました。

ゲイのための雑誌を買うにも、バスで一時間もかかるような田舎に住んでいた私には、どれだけ心強いものだったことか。 初めてゲイコミュニティからのシグナルと接触した証が、それだったんです。「お守り」でした。

知りたかったのはHIV/AIDSのことだけではなく、自分が一人ではないこと、この世の中には叡智のようなものがちゃんと息づいていること、だったんだと思います。あなた方が発信していたのがそういうものなら、ちゃんと受け取ってましたよ。

未だにその封筒ごと、大事に持っています。当時の、田舎のガキに過ぎなかった自分が抱いていた切望まで鮮明に思い出すので、捨てられない。ある時期を確実に支えてくれた、冊子でした。
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ぷれいす東京が始まって間もなく、イギリスの基金に申請していただいたお金で、ゲイ/バイセクシュアル男性を対象とした、セーファーセックスの冊子を作った。男性同士の性行為を表現した写真を大胆に使ったものだった(おそらくそれ以降もそのよれに匹敵する明確な性表現の写真を使ったHIV啓発冊子はなかったように思う)。その冊子について彼が語ってくれた言葉だ。

それをそんな風に受け取ってくれて大事にしてくれてたんだなぁ、と、当時、その文章を読んだ僕は胸を熱くし励まされたのだった。


今ではネットなどを通じて肯定的な情報を得やすくはなっているだろう、同性を好きな仲間や恋人との出会いも簡単になっている。それでもなお、自分が同性が好きだと気づいた時、悩む子は多いと思う。そういう子たちに(「子」じゃなくてもいいのだけれど)、何か、お守りになるようなものを届けていきたい、と、この日記を読んで改めて思った。

それは、ネットを経由した言葉や情報という形かもしれない。しかし、やはり何か手元に形として残るモノをつくっていきたい気もする。昨年、ピンクドットに参加してくれた人に渡したリボンのような、簡単なものでもいいかもしれない。

いずれにせよ、性的指向や性自認にまつわることで悩んでいる人たちへ、お守りを配り届けるような気持ちで活動していくというイメージは、私たち(ピンクドット沖縄で一緒に活動している仲間たち)にはとてもしっくりくるような気がする。


[追記…実は、2006年4月は今のパートナーと出会った月。なので、その月の日記には、そんな話もちらりと登場しているという(笑)]

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by hideki_sunagawa | 2014-04-11 01:29 | Diary