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2016年 12月 28日

2016年振り返り

今年は、全然このブログを書かなかったー。来年は、新しく本格的なブログを立ち上げたいなぁ、と思っていますが、どうなることやら。

一年間何も書けなかったこともあり、一層、今年の振り返りを記しておきたいと思い立ちざっと書いてみることに。別に10大ニュースとか、順位付けとか関係なく。


▼2回の引越し

2011年4月に、故郷の那覇に越して以来、約5年住んでいましたが、今年の3月に川崎市へ引越ししました。もう25年くらい付き合いのある高田良実さんのお宅で間借り生活がスタート。彼女の多大なるサポートで、この引越しは実現しました。心より感謝しています。

そして、8月末にまた新宿へ引越し。こちらも知人宅での間借り生活です。住環境は厳しいけれど、でも、新宿に住みたいという思いも強くなっていたこともあり(新宿2丁目の研究者だったこともあり、新宿には思い入れと関心がある)、良い引越しでした。新宿は面白い街です。


▼ピンクドット2016の開催

2013年に始めたピンクドット沖縄も今年で4回目。沖縄を離れたものの、今年も僕と宮城由香が共同代表に。さすがに東京からあれこれ動くのは大変でした。でも、今年は、JAL JTAがスポンサーについてくださるなど、一層大きくなり、またこれまでで一番大きく賑やかなピンクドットとなりました。

米国、カナダ、オーストラリアなどからも友人、知人が来てくれて嬉しかった! クラウドファンディングをおこない、その資金で、那覇市の同性パートナーシップ登録第1号のゲイカップルの結婚式も挙げることができました。ピンクドット沖縄をご支援くださったスポンサーの皆さま、クラウドファンディングにご協力くださった皆さま、ボランティアの皆さんへ、この場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました。


▼新しい大学での非常勤講師

今年度、前期は、多摩大学グローバルスタディーズ学部で「身体論」、後期は岡山大学で「ジェンダーとセクシュアリティの人類学」(集中講義)、年間を通しては、東京未来大学(通信)で「ジェンダー論」を非常勤講師として教えました。

多摩大学は、3時間/回の講義で、岡山大学は1時間×30コマを五日間でやるという集中講義。多くの授業は、1時間半/回/週を15回というつくりなので、これらの形に正直「どうなるかな?」と思いましたが、なんとかやり遂げました(そりゃあ、やり遂げなくてはいけないのだけど)。


▼初めて英語で講演

上記の「どうなるかな?」以上に「どうなるかな」と思いつつ(正直、「できるかな?」と思いつつ)臨んだのが、早稲田大学での英語の講演でした。生まれて初めて英語で講演。ほとんど事前に書いた原稿を読む感じでしたが、こちらもなんとか。

海外で一度も教育を受けたことがない身の私が、英語で講演なんて無謀すぎる機会だったのですが、がんばりました(自分的花マル)。


▼ブリタニカに執筆

ブリタニカが出版している年鑑に同性パートナーシップをめぐって文章を書く機会をいただきました。ブリタニカ、といえば、私たちの年代にとっては、権威ある百科事典。小中高の頃、図書室で目立つところにあり、よく広げて見ていたものでした。その憧れのブリタニカに執筆できる機会をいただけてとてもうれしかった!


▼様々なインタビュー

東京第2期(と、3月からの新生活を呼んでいるわたし<本当は最初は川崎市居住だったけどw)の最初の仕事は、太田出版が出している『at』のインタビューでした。自分の活動や研究について丁寧に聞きだしてくださいました。

また、ライフネット生命のLifenet Journal onlineLGBTER にも登場させていただきました。

ーーー
ほかにもいろいろ報告すべきことはある気もするのだけれど、とりあえずこの辺で。

こうやってやってきたことを書くと、順調にも見えますが、もちろん、たくさんの大変なことやつらいこともありましたし、大変なことはなかなか解決せずに引きずっています。レトリックではなく、正直生き続けることを迷うことも時々あります。でも、今年も多くの人に支えられて生き延びられました。僕が今こうして生きていられるのは、周りの人の支えがあってものことです。そのことに深く深く感謝。

みなさん、どうぞ良いお年を。
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by hideki_sunagawa | 2016-12-28 12:45 | Diary
2016年 03月 11日

「あの時、手をつなげたら」

3年前に沖縄タイムスに連載していたエッセイに書いた文章。あのときのパートナーとは、1年余り前に別れてしまったけれど、あのときやその後に感じた思いは変わらない。あのときに戻って、彼の手を握ってあげたらいいのにな…

ーーーーー
最近、講演で同性愛について話をするときに、必ず見せる絵がある。熊の姿に描かれた二人の男性が手をつないでいるもの。それには、こう書き添えられている。

「あの日、一緒に歩いて帰りながら、不安なのに互いに遠慮して手をつないで歩けなかった僕らのために。誰もが誰かと一緒に歩くことがこれからもできるように、祈りを込めて。」

実はそれは、僕のパートナーが描いたもので、そこに登場しているのは、二〇一一年三月十一日の僕と彼だ。

言うまでもなく、それは東日本大震災が襲った日。僕らは、一緒の仕事で都心にいた。震源地付近や、津波の被害を受けたところに比べれば大したことはなかったとはいえ、震度5強を記録した東京も激しく揺れ、大混乱だった。僕らは、夜九時頃になりようやく家に向かって歩き始めた。

たくさんの人がぞろぞろと歩いている不思議な光景。静かな緊張感と大きな不安、非日常的な状況へのハイテンションが交じった奇妙な雰囲気の中、僕らは3時間以上歩いた。その夜は、かなり寒かった。そのとき、異性カップルなら、普段手をつながない人でも、きっと手をつないだだろう。寒さと不安を和らげるために。でも、僕らはそうしなかった。そうしようか?と口にもしなかった。

僕は、手をつなぐことのリスクをと考えていた。普段は笑われるくらいのことでも、社会的な緊張感が高まっているときには、何が起こるかわからない、と。

後になり、二人とも同じように手をつなぎたいと思っていたと知ったとき、お互いをいたわり合えなかったことに僕らは胸を痛めた。そして彼は、そのときの僕らのためにその絵を描いてくれた。

僕らは願っている。同性カップルが、手をつなぎたいと思ったとき、恐れや不安や気負いなく手をつなげる社会を。だから、僕らは、声をあげ、行動し続けていく。
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by hideki_sunagawa | 2016-03-11 16:55 | Diary
2015年 12月 30日

2015年振り返り(3) 出会いあれこれ

後で確認してみたら、昨日の(2)は、ピンクドット終了後に書いた内容とほぼ同じだった…がーん。記憶力の低下がすさまじい。

さて、2015年最後の振り返りは、いろいろな人との出会いをめぐって。今年は、県外へ講演でうかがうことが何度かあり、人との結びつきを感じる年でした。


7月の筑波大学での講演や11月の広島大学での講演では、LGBTQのサークルの学生と話す機会があったことが嬉しかった。最初は、「僕はだいぶ歳も離れているし、つながり感は持てないだろなぁ」と思っていたのだけれど、実際に学生と話してみると、言葉にするのは難しいけれど、なにかが通じ合ったような、温かい交流ができた感触が残りました。

(筑波大での講演のときのポスター。学生がつくってくれたらしい。)
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とりあえず、ゲイであることをオープンにして活動や研究をしながらも、この歳まで生きてこられた人間がいることは励みになるのかもしれない(「活動家人生」は勧めないけど)。その後、やりとりが続いているわけではないけれど、僕にとっては、出会った学生たちのことは胸に残っている。また会いたいな。


神戸での講演「LGBT活動から学ぶ社会の動かし方」を企画してくれた、「生きがいしごとサポートセンター神戸西 NEXT」の小嶋新さんと大川妙子さんとの出会いからも大きな刺激を受けました。全然違う分野で活動している人とつながることの大事さを痛感した講演でした。

(左:小嶋さん&右:大川さん)
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12月には、「熊本LGBT文化祭」を訪問。実行委員の方々ともお会いしました。実行委員長のこうぞうさんとはその後も沖縄で再会。これからもつながり続けたい仲間です。

(こうぞうさんと)
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…と、心に残った出会いをあれこれ書こうと思ったけれど、ここにきて際限ないことに気づいてしまった(笑)。振り返り(2)で書いた、青年会議所の方々との出会いも印象的だったし、(1)で触れた出版記念トークに来てくれた学生さんたちとも良い交流ができました。

また、新たに活動を支えてくれる人との出会いも。

実は、これらの出会いに刺激を受けて、今後、もっとあちこちに出向いたり、いろいろな人と出会ったり、つながったりしていきたいなぁ、と強く思うようになりました。そして、あるきっかけがあり、来年度からその方向性で動くことになりそうな気配です。

とても大きな生活の変化となりますが、この報告は、年が明けてあらためて。

ということで、今年も大変お世話になりました。来年もよろしくお願いします。どうぞ良い年をお迎えください!
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by hideki_sunagawa | 2015-12-30 23:05 | Diary
2015年 12月 29日

2015年振り返り(2) ピンクドット沖縄2015

今年で3回目となったピンクドット沖縄では、大きな出来事がありました。それは、

レインボーなは宣言!

城間幹子那覇市長が自ら宣言文を読み上げて、最後の記念撮影にも参加してくださいました。

(宣言文を読み上げる市長)

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ときどき激しい雨に見舞われましたが、忍耐強く残ってくださった皆様で、最後の記念撮影。2014年に宗教団体の強い反対で中止になった、ピンクドットペナンのためのバナーも掲げつつ。

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このときのピンクドット沖縄は、宣言が出たということで、NHKおきなわを除く各テレビ局のニュース番組で紹介されました。もちろん、新聞でも大きく。


(翌日の琉球新報の一面)

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(後日の沖縄タイムスの特集記事)

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今回は、企業からの支援も増えました。また、一回目から支援くださっているホテルパームロイヤルNAHA様は、会場に隣接した同ホテルに長ーいレインボーフラッグを掲げてくださいました。美しかった!

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その後、同ホテル代表取締役総支配人の高倉直久様と那覇青年会議所でお話する機会をいただきました。

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沖縄では、様々な領域でLGBTへの関心が高まっていますが、この動きをつくったのは、ピンクドット沖縄だと自負しています!那覇市は、その後、同性間のパートナーシップに関する証明書の発行の検討を発表。また一つ進みそうです(年明けにもなんらかの発表があるかも?)。


しかし、こんなに沖縄の社会に大きな影響を与えているピンクドットですが、毎年経済状況は非常に厳しく(ちなみに公的機関からの経済的支援は一切ないです)、やるかやらないか悩むところ。来年はどうなる(どうする)かなぁ…
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by hideki_sunagawa | 2015-12-29 20:48 | Diary
2015年 12月 29日

2015年振り返り(1) 『新宿二丁目の文化人類学』出版

ツイッター(@H_Sunagawa)やフェイスブックにはちょくちょくポストしているけれど、そのぶんブログはすっかりさぼるように。

しかも、新しいサイトへ移行しようと構築しながら、なかなか進まず…。新しいサイトオープンは、来年の課題にするとして、ここで自分にとって2015年がどういう年だったかの振り返りを、三回にわけて。



まず、今回は、今年一番僕にとって大きかったこれ ↓



『新宿二丁目の文化人類学』出版

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2008年に提出した博士論文を『新宿二丁目の文化人類学』として出版することができました。これは、クラウドファンディングが成立したことで実現したものです。あらためて、ご協力くださった皆様に感謝です。そして、出版後、多くのマスメディアに書評を掲載いただきました。


星野智幸さん(朝日新聞)

繊細で血のかよった画期的な民族誌を実現できたのは、今を作り上げてきた無名のパイオニアたちを記録に残しておきたいという情熱だろう。都市論としても優れた本書の魅力は尽きない。」 → 全文


北原みのりさん(共同通信配信)

「読み進めるうちに気がつく。「二丁目」の物語は、誰にとても異文化ではない。普遍的な闘いの歴史、個人の切実な性と生のありようなのだと。」


若松英輔さん(讀賣新聞)

「現代は人間関係がどこまでも広がろうとする時代だ。だが筆者はこの本で、深まりの重要性を示唆している。」


難波功士さん(日本経済新聞)

コミュニティの内部に深く入り込み、すくいとられた人々の声。細やかな観察と豊富なデータは、フィールドワーカーとしてだけではなく、客およびスタッフとして二丁目で多くの時間を過ごし、東京レズビアン&ゲイパレードの実行委員長を務めるなど、深くこの地にコミットし続けてきた著者ならではのものと言える。」


印南敦史さん(Newsweek 日本版)

ゲイ・コミュニティに縁のない人にもわかりやすく、しかも歴史や社会状況などを交えて"文化人類学的な観点から"解説されているため、読者はゲイに対する偏見を打ち消しながら、陽の当たりにくい世界の実情を垣間見ることができるだろう。」 →
全文


福博充さん(週刊読書人)

「こうした生きたことばを冷静な文体を以ってアカデミックな文脈に落とし込みつつも、そのことばの持つ強さを殺すことなく織り込むには、よほどの技量とセンスが要求されると思うが、著者はそれを適切に配置し、その強さを自らの論述に援用している。」



こうして、多くの方々の書評のおかげもあり、一時期、Amazonの「文化人類学」の分類で1位になったりもしました。そして、2ヶ月あまりで増刷となりました! まだまだ多くの人に読んでいただきたい本です。まだな方は、ぜひ手にとってください。


<1位になったとき!>
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ウェブマガジンの「シノドス」には、この本について自分で書いた文章も掲載いただいています → 「異性愛中心社会とゲイ・コミュニティ―東京レインボー祭りが照らし出すもの」 。また、TBSラジオ「荻上チキのSession-22」に出たときの様子がこちらにあります → YouTube

そして、この出版を記念して、東京でイベントを開催しました。

<シューレ大学でのパーティ:上はシューレ大学スタッフの朝倉景樹さんと、下はアーティストの張由紀夫=メロディアスさんと>

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↑お腹の肉付きがひどい…(汗) そしてなぜか、手振りが大きい。


<新宿二丁目のバー「九州男」でのトーク:上は、NPO法人東京レインボープライド共同代表の杉山文野さんと、下は造形作家の大塚隆史さんと)

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また、沖縄でも出版記念&活動家歴25周年パーティーを。様々な分野の皆さんが来てくださり、とても暖かい雰囲気の良い会となりました。

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また、この出版をきっかけにいくつか文章を書く機会をいただきました。現代思想には、「多様な支配、多様な抵抗」を。同文は、なんと韓国語に翻訳され韓国語の雑誌でも紹介されました!うれしい。

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朝日新聞の書評欄「ニュースの本棚」にも文章を寄せる機会をいただきました。ありがたや。→ 「同性婚


この出版をきっかけに、最近活動にばかりエネルギーを注いで、サボり気味だった研究者としての自分に磨きをかけたいなぁ、と思いました。来年は、研究を深めながら、新しい本の執筆にもとりかかりたいと思っています!
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by hideki_sunagawa | 2015-12-29 00:23 | Diary
2015年 03月 19日

振り返りエッセイ(2)

僕がパートナーの前で声をあげて大泣きしたのは、あれが最初で最後だった気がする。

僕が沖縄に越してから半月ほど経った頃、彼が沖縄を訪れ、僕が一人暮らしをするアパートに1週間ほど滞在してくれた。一緒に料理をしたり、家からあまり遠く無い範囲を散策したり、沖縄の友人を家に招いてホームパーティーをしたりして、ともに時間を過ごした。

のんびりと過ごせたのは良かったけれど、僕が沖縄に帰ってからもペーパードライバーのままで、車を運転できるようになっていなかったため、どこにも連れて行ってあげられないことを心苦しく思ったことを今も、チクチクとした痛みをもって思い出す。

彼が帰る前夜か前々夜だったろうか。もう眠ろう、と布団を並べて寝始めたのだが、ほとんどずっと一緒の状態で1週間を過ごして別れるつらさや、全く先のことが決まっていないことへの大きな不安に押しつぶされそうになった気持ちが込み上げてきた。

そして、実は21年間住んだ東京の方がふるさとよりも身体感覚として馴染んでいたということに気づいてしまっていたことへの戸惑いなど、様々なよくわからない思いがこみ上げてきて、僕の目からポロポロと涙が流れ始めて、そのうち堪えきれずに声をあげて泣き始めたのだった。

その日から、もう4年になろうとしている。引っ越してきた頃の沖縄での人間関係と今の人間関係はだいぶ変わり、広がりもした。沖縄でもLGBTに関する活動を大きく展開し、ともに活動するすばらしい仲間もでき、沖縄でのLGBTに関する社会問題への関心を高めることずいぶんと寄与できたと思う。でも、あのときのつらさ、不安、戸惑いといった気持ちを完全に乗り越えられたかと問われると、正直自信がない。むしろ根深くなってしまったものもあるかもしれない。

いろいろ変わったようで、変わっていないようで、でもどんな風に過ごしても時間は流れていく。東京での21年間を、止まってしまった失われた時にするのではなく、沖縄に帰ってきてからの4年間を接ぎながら新しい花をつけ実をつけていこう。
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by hideki_sunagawa | 2015-03-19 20:49 | Diary
2015年 02月 15日

ドラマ「未来からの挑戦」とファシズム

「未来からの挑戦」

NHKアーカイブズで、少年ドラマシリーズ「未来からの挑戦」(1977年)を取り上げられていた。僕が小学生時代に最も夢中になったドラマだ。今でもその主題歌を歌うことができる。

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少年ドラマシリーズ自体、人気を博したようだが、特にこのドラマは今なお強い思いを持っている人が多いらしい。NHKには、VTRは一部しか残っていなかったものの、視聴者が保存していたVTRをもとに復刻され、復刻記念の上映会もおこなわれたとか。

このドラマは、「眉村卓の『ねらわれた学園』『地獄の才能』を原作にしたSF作品で、受験名門中学校を舞台に、学校を支配し、人類社会を改革しようとする未来人と、その企みを阻止しようとする中学生の姿を描いた」もの(NHKサイトより)。


「ファッショ」

アーカイブズでまるまる放送されていた回は、支配が進んで行くところだった。

未来人が背後で糸を引く中、学校支配が始まる。超能力を持つ生徒会長の下、校則違反やいたずらを摘発するための校内パトロールがおこなわれ、違反者は処罰されるようになる。「それは行き過ぎ」という教師も、超能力の力により屈せられる。それに抵抗する主人公は、家でその話を父親にするのだが、父親は、自分たちが経験した「気づいたら身動きがとれなくなる」と、「ファッショ」について語る。

「ファッショ」という言葉がその中使われていたことを全く覚えていなかったが、そのようなシーンを見ながら、当時このドラマに夢中になっていた感覚を思い出していた。


二つの志向

私がこのドラマが好きだったのは、当時、超能力にとても関心があったことが大きいと思う(超能力や超常現象が人気が高い時代背景もあり)。しかし、今振り返ると、超越的な力を持つ者やエリートによる支配と、それに疑問を持つ主人公の戦い、という物語構造に惹かれていたのだなと気づく。

そして、その感覚を思い出す時、はっとするのは、僕は、抵抗する主人公に強く共感していたものの、エリートによる支配とそれによる秩序形成にも魅了されていたということだ。僕の中には、明らかに矛盾した二つの志向があった。この時の自分について考えることは、今のファシズム志向を考えるうえで重要な気がする。


ファシズムに魅了される人々

ファシズムに魅了される人は、当然ながら、自分を支配する側としてイメージし、自分の価値観で支配できると妄想する。しかし、誰しも程度の差こそあれ、どこかに支配的価値観にそぐわない部分を持つ。あるいは、全般的には支配的価値観に合致してても、自分の変化により、逸脱する時があったり、支配者側でなくなる時が来たりする。そうでなくとも、常に支配的な価値観の中で生きなければならないという状況は、息苦しくなるものだ。

今、ファシズム志向の人が、そこに向けて動くことに生き生きしていることができるとするならば、それはそうではない世界がまだ広がっていて、その中でやっているからであって、本当にファシズムが強大になったときには、多くの人は自分も息苦しいことに気づくだろう。

ただ、一つ厄介なのは、ファシズムの表象は、人々を熱狂させる力を持つということだ。このドラマでは、SFらしく超能力がその役割を果たしているが、学校を支配する生徒会長(女生徒)が教師に向けても発するきっぱりとした物言いや態度、その背後にいるという設定の未来人である男生徒のクールで陰のあるキャラクターが、見ている人を惹きつける(男生徒の方は、結局、主人公側に立ち支配体制を壊す役割を果たすのだが)。


自分にも残る志向

そして、自分を振り返るとき、今は意識的に持つことはないけれど、子どもの頃に感じていたエリート支配と秩序形成への志向は、自分の奥底に潜んでいるということを、38年ぶりにこのドラマを観て気づいた。そのことを警戒感を持って覚えておきたい。

その上で、今後考えていきたいのは、両方に惹かれる自分があったとして、どちらに傾くかというのはどこで分かれるのだろうか、ということ。僕の場合、ゲイであることを意識し始めたことが大きい気がするが、ゲイの中でもファシズム志向の人が少なくないことを考えると、それだけじゃないだろう。

分かれていく理由は複雑だろうけれど、自分もそちらに行く可能性があった/あるということを考えながら、社会がファシズムへ流れていく中、自分がやるべきことは何かを考え、実践していきたいと改めて思う。
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by hideki_sunagawa | 2015-02-15 16:36 | Diary
2015年 02月 11日

振り返りエッセイ(1)

「寂しそうにしてますぞ」という言葉に、胸を突かれた気がした。

お世話になっていた、東京・二子玉にある小さなお茶屋さんの店主の言葉。20年余り住んだ東京を離れて故郷である沖縄に帰ると決め、その時が近づく中で言われたものだ。

僕には、付き合いはじめて4年(当時の段階で)になっていたパートナーがいた。その彼とは、僕が沖縄に帰ることをめぐって、きちんと話し合うことはなく、そのまま遠距離の付き合いになることが暗黙の了解となっていた。彼は、そのお茶屋さんのロゴやメニュー等のデザインを手伝っており、その店主は僕と彼の共通の友人でもあることから、先の言葉をかけてくれたのだった

パートナーは、沖縄に帰りたいという思いを持つ僕に気を遣い、直接「寂しい」とか「帰って欲しくない」と口にすることはなかった。それをいいことに、僕は、彼の気持ちを見ないようにしていたと思う。そんな中、言われたのがその言葉だった。その言葉は今も心に残っていて、思い出す度に、胸が締め付けられる。

心のどこかで、沖縄で彼と一緒に暮らせたらと思っていたけれど、東京に生まれ育ち、まだまだやりたいことがある20代後半の彼に、強くそれを求めるのは無理な話だった。それとなく、沖縄での求人を紹介してみたけれど、彼がそれに関心を示すことはなかった。それは、当時もいたしかたないことと思えたし、ましてや、今から振り返って考えると、とても賢明なことだったと思う。

共に沖縄に越すという選択は難しく、しかし、引き止めることは僕の望みに反すると思い我慢した彼の気持ちはどんなに切なかっただろう。自分の気持ちに言葉を与えてはっきりさせたり、表現することが必ずしも上手いわけでもない彼は、イラストでそれを形にする。そんなイラストのあちこちに、寂しさが出ていた。けれど、前向きで、僕のやりたいことをいつも応援してくれていた彼らしく、それを抑えて、僕を見送った。

あの時、僕は東京での生活に疲れ果てていたし、ちょうど任期付きの仕事が終わりとなり、74歳になっていた老いた母親も心配だったことなどから、沖縄に帰ることした。もし、それを選択しなかったら、どうだったろうかと度々考える。彼との関係も、生活も。

とはいえ、選ばなかった未来を想像しても、あまり意味のないこと。とりあえず、選択してからの自分を少し振り返りながら、「振り返りエッセイ」として記録してみようかと思い立った。まぁ、最近はすっかり更新が少なくなったブログなので、いつ、どれくらいの頻度で書くかはわからないけれど。気が向いたときに。
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by hideki_sunagawa | 2015-02-11 23:12 | Diary
2015年 01月 21日

LGBTであることを隠さなくていい場

▼グラディ主催の上映会

先週の土曜日(1月17日)、ドキュメンタリーフィルム「大阪のエイサー 〜思いの交わる場所〜」の上映会をおこなった。これは、寺田吉孝さん(国立民族学博物館 先端人類科学研究部 教授)がつくられたもので、映像人類学という、研究対象を映像で記録する方法を用いた研究実践ともなっている。

主催は、「多文化創発net. 〜グラディ〜」。これまで、GRADiというスペースを拠点にしておこなってきた活動を、スペースを閉めたことをきっかけに名前を変え、活動ネットワークとして再スタート。その第一弾の会となった。

また、人間文化研究機構連携研究「映像による芸能の民族誌の人間文化資源的活用」プロジェクトが共催に。もともと、アカデミックなものと活動をつなげていきながら、多様性が肯定されていく社会づくりを目指して始まったグラディらしい会となった。


▼LGBTであることを隠さなくていい場

グラディが主催といっても、グラディに関わるメンバーは、レインボーアライアンス沖縄&ピンクドット沖縄のメンバーと重なる(ピンクドットの実行委員会はレインボーアライアンス沖縄の中につくられている形<ややこしくてすみません)。

よって、今回の上映会もピンクドット沖縄の関係者が大部分。ピンクドット沖縄は、ゲイやレズビアン、トランスジェンダーのメンバーもいるが、アライズ(LGBTではないがLGBTが生きやすい社会づくりのために連帯する人)も多い。この関係性の中では、自分がLGBTであることを隠さなくていいという感覚でいられる。

このように書くと、この上映会の「大阪のエイサー」とLGBTやアライズであることは関係ないんじゃない?と思う人も多いだろう。しかし、実際には、そういう場で、他のテーマのものを観たり、話し合ったりしても、やはりLGBTであることを隠さなくていいという場とそうではない場とでは大きく異なることを感じる。


▼コメントへの影響

その違いは、言語化しづらいところが多いのだが、わかりやすいことを一つあげると、コメントをするときに自分の経験に引きつけて語ることができるということだ。特に、今回上映したフィルムは、沖縄から大阪に移り住んだ人たちやその子どもたちが、エイサーを踊ることをテーマにしていたので、自ずとマイノリティ性の問題や、そのことをめぐる意識の変化について語られていたので、それについてコメントしようとすると、LGBTやともに活動する人たちは、そのことと引きつけて考えざるを得ない。

しかし、もしLGBTであることが語りづらい場だと、そのことから離れた内容で語りがちだ。また、そこで自分がLGBTであると言わなくても、そうであることを知っている仲間たちは、その人の背景に思いを馳せながら聞くことができる。その共有があるかないかでは、同じコメントも違う意味を持つことだろう。

もちろん、マイノリティ性がテーマではない集まりでも同じだ。老後について話をするとき、パートナーが同性であることは異性であるときと大きく異なる(結婚制度がなく、社会的な認知も低いがゆえに)。医療においては、トランスジェンダーであることが重い意味を持つことも多いだろう。恋愛関係だけでなく、家族関係、友人関係、学生生活、職場の問題。LGBTである人とそうではない人は違う経験をしているのだ(LGBT自身それを意識化しない人が多いが)。


▼ワークショップで

以前、非暴力コミュニケーションワークショップでも、LGBTであることを隠さなくていいと感じられる場ならではのやりとりがあった。そのワークショップでは、ひとりひとり、自分が苛立ちを感じる場面をあげて、その理由をさぐっていくということをしたのだが、あるゲイ男性は、「『仲間』と思われる男性」のマナーをめぐる話をした。

その苛立ちの理由をあれこれ探っていくと、彼の、ゲイとしてのコミュニティ意識、仲間意識が大きな意味を持っていることが出てきた。もし、彼がゲイとしての自分について語らず、一般的なマナーの話として語っていたら、その重要なところに話は至らなかっただろう。

ハンナ・アーレントは、「世界からあなたが退くことは世界を見る見方が失われること」と言った。おそらく自分の経験にとって非常に重要な意味をもつ、性別をめぐること、誰をすきになるか、誰と最も親密に生きているか/きたか、ということを隠ことは、その経験にともなう世界の見方を封印することなのだろう。

それは(そうしなくてはいけない環境は)、その人が生きるグループ、コミュニティ、社会、グループににとっても、その人自身にとっても、残念なことのような気がする。そのまわりの環境も自分もより豊かにする機会が失われているということなのだから。
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by hideki_sunagawa | 2015-01-21 14:06 | Diary
2014年 12月 26日

チャレンジすること、成長すること

宮城さんのエッセイ

半年続いたエッセイの最終回が来週12/31に掲載される…と言っても、自分のエッセイのことではなく、レインボーアライアンス沖縄(&ピンクドット沖縄)共同代表の宮城由香さんのエッセイ。私が最初の執筆者となった沖縄タイムスの「性のはなしをしよう」の4人目の執筆者として、彼女が半年間担当していたのだった。

こうした公的なところに文章を連載するのは初めてということで、彼女の原稿を読んで、僕が、言葉づかいの調整や構成のアドバイス等をさせてもらっていたのだった(内容はもちろん彼女自身が考えていて、アドバイスは文意が変わらない範囲でおこなった)。それを続けて半年。

最初は、当然ながら、この手の文章を書きなれていない人が書いてしまいがちな、主語と述語部分のずれや、口語ならオッケーでも文章にすると曖昧さが際立ってしまう表現等、気になるところがあったのだけれど、そのことを毎回指摘することを繰り返していくうちに、みるみる文章がうまくなり、最後にはほとんど私が口出しをする必要がないくらいにまとまった、わかりやすい文章を書くようになっていた。

どんな人でも自分の文章に口を挟まれるのは嫌なもの。自分なりのこだわりもあるものだし。当然、彼女も、「えー?」と思うことも度々あったのではないかと思う。でも、一応、文章を書くことに関しては、年数的にも量的にも先輩であるということで、ついてきてくれたのだと思う。

文章表現は、もちろん、それぞれの方法と癖があっていいのだけれど、まずは、自分の言いたいことを丹念に、わかりやすく伝える方法を練習するほうがいいと僕は考えている。彼女の文章についてコメントを重ねることで、僕自身、どういうところに着目して伝えていくといいのか、とても勉強になった。


成長するということ

このエッセイを書き続ける中で文章がうまくなっていく彼女を見つつ、人っていくつになっても、新しいことにチャレンジできるし、そのことで成長していけるものということ学んだ。「上から目線」的でいやらしい表現になってしまうけれど、彼女が2013年にピンクドット沖縄の共同代表を引き受けてくれてからの、代表として人前に立つ事に関して見せた成長にも感動してきた。

初めて開催したピンクドット沖縄の説明会で、緊張のあまりほとんど言葉が出てこなかった彼女は、今年には、当日の会場で多くの人たちを前に自分の言葉を伝えられるようになっていたし、トークイベントでも自分の考えや経験をしっかりと話せるようになっていた。

今年の2月、レインボーバレンタイン・キャンペーンの一環として、僕が聞き手になりつつ彼女に話をしてもらう形でトーク(@ジュンク堂書店那覇店)を開催したのだが、それを聞いていたフリージャーナリスト山城紀子さんは、彼女の話がとても心に残ったと言っていた。

宮城さんは、沖縄で生まれ育ち、基本的に沖縄で暮らしてきた人なのだが、自分が共同代表を務めることの意味を考え、重責ながら引き受けたのだった。その意味とは、沖縄出身とはいえ沖縄を長く離れていた僕がやる活動に対して向けられがちな、「(東京に長くいた)砂川さんだからできる活動なんでしょ」といった視線を緩和するような役割だ。

また、同性のパートナーと長いパートナーシップを続けつつも、これまではその言葉であまり意識してこなかった「レズビアン」というアイデンティティーをあえて引き受けて、沖縄の新聞にも登場するようになった(沖縄で実名と顔を出してレズビアンとして、マスメディアに出たのは彼女が初めて&日本全国でも少ない)。この勇気は本当にすごいと思う。そして、その彼女を支え続けている、パートナーのまゆみさんも。


今後…

実は、来年中に、宮城さんと関係することで実現したい大きな目標がひとつ。画家でもある彼女の絵をスカーフにして商品化したいといこと(それによって、彼女の絵の魅力を多くの人に知ってもらいたい&売り上げの一部を活動資金の足しにしたいのです)。

彼女の絵は、とてもオリジナリティ溢れる存在感のあるもので、沖縄の自然をモチーフにした曼陀羅のような絵だ。僕は、その絵に、多様性といのちを愛でる彼女の思いを感じている。来年は前半で、僕の博論の書籍化があるから、その後になるかなぁ…。でもぜひぜひ実現したい。予約を受けて、ある一定数に達したら商品化へ、にするか、またクラウドファンディングを使うかわからないけれど。

ということで、来年の展開もお楽しみにー。

<宮城さんの絵>
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by hideki_sunagawa | 2014-12-26 22:56 | Diary