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2016年 12月 28日

2016年振り返り

今年は、全然このブログを書かなかったー。来年は、新しく本格的なブログを立ち上げたいなぁ、と思っていますが、どうなることやら。

一年間何も書けなかったこともあり、一層、今年の振り返りを記しておきたいと思い立ちざっと書いてみることに。別に10大ニュースとか、順位付けとか関係なく。


▼2回の引越し

2011年4月に、故郷の那覇に越して以来、約5年住んでいましたが、今年の3月に川崎市へ引越ししました。もう25年くらい付き合いのある高田良実さんのお宅で間借り生活がスタート。彼女の多大なるサポートで、この引越しは実現しました。心より感謝しています。

そして、8月末にまた新宿へ引越し。こちらも知人宅での間借り生活です。住環境は厳しいけれど、でも、新宿に住みたいという思いも強くなっていたこともあり(新宿2丁目の研究者だったこともあり、新宿には思い入れと関心がある)、良い引越しでした。新宿は面白い街です。


▼ピンクドット2016の開催

2013年に始めたピンクドット沖縄も今年で4回目。沖縄を離れたものの、今年も僕と宮城由香が共同代表に。さすがに東京からあれこれ動くのは大変でした。でも、今年は、JAL JTAがスポンサーについてくださるなど、一層大きくなり、またこれまでで一番大きく賑やかなピンクドットとなりました。

米国、カナダ、オーストラリアなどからも友人、知人が来てくれて嬉しかった! クラウドファンディングをおこない、その資金で、那覇市の同性パートナーシップ登録第1号のゲイカップルの結婚式も挙げることができました。ピンクドット沖縄をご支援くださったスポンサーの皆さま、クラウドファンディングにご協力くださった皆さま、ボランティアの皆さんへ、この場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました。


▼新しい大学での非常勤講師

今年度、前期は、多摩大学グローバルスタディーズ学部で「身体論」、後期は岡山大学で「ジェンダーとセクシュアリティの人類学」(集中講義)、年間を通しては、東京未来大学(通信)で「ジェンダー論」を非常勤講師として教えました。

多摩大学は、3時間/回の講義で、岡山大学は1時間×30コマを五日間でやるという集中講義。多くの授業は、1時間半/回/週を15回というつくりなので、これらの形に正直「どうなるかな?」と思いましたが、なんとかやり遂げました(そりゃあ、やり遂げなくてはいけないのだけど)。


▼初めて英語で講演

上記の「どうなるかな?」以上に「どうなるかな」と思いつつ(正直、「できるかな?」と思いつつ)臨んだのが、早稲田大学での英語の講演でした。生まれて初めて英語で講演。ほとんど事前に書いた原稿を読む感じでしたが、こちらもなんとか。

海外で一度も教育を受けたことがない身の私が、英語で講演なんて無謀すぎる機会だったのですが、がんばりました(自分的花マル)。


▼ブリタニカに執筆

ブリタニカが出版している年鑑に同性パートナーシップをめぐって文章を書く機会をいただきました。ブリタニカ、といえば、私たちの年代にとっては、権威ある百科事典。小中高の頃、図書室で目立つところにあり、よく広げて見ていたものでした。その憧れのブリタニカに執筆できる機会をいただけてとてもうれしかった!


▼様々なインタビュー

東京第2期(と、3月からの新生活を呼んでいるわたし<本当は最初は川崎市居住だったけどw)の最初の仕事は、太田出版が出している『at』のインタビューでした。自分の活動や研究について丁寧に聞きだしてくださいました。

また、ライフネット生命のLifenet Journal onlineLGBTER にも登場させていただきました。

ーーー
ほかにもいろいろ報告すべきことはある気もするのだけれど、とりあえずこの辺で。

こうやってやってきたことを書くと、順調にも見えますが、もちろん、たくさんの大変なことやつらいこともありましたし、大変なことはなかなか解決せずに引きずっています。レトリックではなく、正直生き続けることを迷うことも時々あります。でも、今年も多くの人に支えられて生き延びられました。僕が今こうして生きていられるのは、周りの人の支えがあってものことです。そのことに深く深く感謝。

みなさん、どうぞ良いお年を。
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# by hideki_sunagawa | 2016-12-28 12:45 | Diary
2016年 03月 11日

「あの時、手をつなげたら」

3年前に沖縄タイムスに連載していたエッセイに書いた文章。あのときのパートナーとは、1年余り前に別れてしまったけれど、あのときやその後に感じた思いは変わらない。あのときに戻って、彼の手を握ってあげたらいいのにな…

ーーーーー
最近、講演で同性愛について話をするときに、必ず見せる絵がある。熊の姿に描かれた二人の男性が手をつないでいるもの。それには、こう書き添えられている。

「あの日、一緒に歩いて帰りながら、不安なのに互いに遠慮して手をつないで歩けなかった僕らのために。誰もが誰かと一緒に歩くことがこれからもできるように、祈りを込めて。」

実はそれは、僕のパートナーが描いたもので、そこに登場しているのは、二〇一一年三月十一日の僕と彼だ。

言うまでもなく、それは東日本大震災が襲った日。僕らは、一緒の仕事で都心にいた。震源地付近や、津波の被害を受けたところに比べれば大したことはなかったとはいえ、震度5強を記録した東京も激しく揺れ、大混乱だった。僕らは、夜九時頃になりようやく家に向かって歩き始めた。

たくさんの人がぞろぞろと歩いている不思議な光景。静かな緊張感と大きな不安、非日常的な状況へのハイテンションが交じった奇妙な雰囲気の中、僕らは3時間以上歩いた。その夜は、かなり寒かった。そのとき、異性カップルなら、普段手をつながない人でも、きっと手をつないだだろう。寒さと不安を和らげるために。でも、僕らはそうしなかった。そうしようか?と口にもしなかった。

僕は、手をつなぐことのリスクをと考えていた。普段は笑われるくらいのことでも、社会的な緊張感が高まっているときには、何が起こるかわからない、と。

後になり、二人とも同じように手をつなぎたいと思っていたと知ったとき、お互いをいたわり合えなかったことに僕らは胸を痛めた。そして彼は、そのときの僕らのためにその絵を描いてくれた。

僕らは願っている。同性カップルが、手をつなぎたいと思ったとき、恐れや不安や気負いなく手をつなげる社会を。だから、僕らは、声をあげ、行動し続けていく。
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# by hideki_sunagawa | 2016-03-11 16:55 | Diary
2015年 12月 30日

2015年振り返り(3) 出会いあれこれ

後で確認してみたら、昨日の(2)は、ピンクドット終了後に書いた内容とほぼ同じだった…がーん。記憶力の低下がすさまじい。

さて、2015年最後の振り返りは、いろいろな人との出会いをめぐって。今年は、県外へ講演でうかがうことが何度かあり、人との結びつきを感じる年でした。


7月の筑波大学での講演や11月の広島大学での講演では、LGBTQのサークルの学生と話す機会があったことが嬉しかった。最初は、「僕はだいぶ歳も離れているし、つながり感は持てないだろなぁ」と思っていたのだけれど、実際に学生と話してみると、言葉にするのは難しいけれど、なにかが通じ合ったような、温かい交流ができた感触が残りました。

(筑波大での講演のときのポスター。学生がつくってくれたらしい。)
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とりあえず、ゲイであることをオープンにして活動や研究をしながらも、この歳まで生きてこられた人間がいることは励みになるのかもしれない(「活動家人生」は勧めないけど)。その後、やりとりが続いているわけではないけれど、僕にとっては、出会った学生たちのことは胸に残っている。また会いたいな。


神戸での講演「LGBT活動から学ぶ社会の動かし方」を企画してくれた、「生きがいしごとサポートセンター神戸西 NEXT」の小嶋新さんと大川妙子さんとの出会いからも大きな刺激を受けました。全然違う分野で活動している人とつながることの大事さを痛感した講演でした。

(左:小嶋さん&右:大川さん)
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12月には、「熊本LGBT文化祭」を訪問。実行委員の方々ともお会いしました。実行委員長のこうぞうさんとはその後も沖縄で再会。これからもつながり続けたい仲間です。

(こうぞうさんと)
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…と、心に残った出会いをあれこれ書こうと思ったけれど、ここにきて際限ないことに気づいてしまった(笑)。振り返り(2)で書いた、青年会議所の方々との出会いも印象的だったし、(1)で触れた出版記念トークに来てくれた学生さんたちとも良い交流ができました。

また、新たに活動を支えてくれる人との出会いも。

実は、これらの出会いに刺激を受けて、今後、もっとあちこちに出向いたり、いろいろな人と出会ったり、つながったりしていきたいなぁ、と強く思うようになりました。そして、あるきっかけがあり、来年度からその方向性で動くことになりそうな気配です。

とても大きな生活の変化となりますが、この報告は、年が明けてあらためて。

ということで、今年も大変お世話になりました。来年もよろしくお願いします。どうぞ良い年をお迎えください!
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# by hideki_sunagawa | 2015-12-30 23:05 | Diary
2015年 12月 29日

2015年振り返り(2) ピンクドット沖縄2015

今年で3回目となったピンクドット沖縄では、大きな出来事がありました。それは、

レインボーなは宣言!

城間幹子那覇市長が自ら宣言文を読み上げて、最後の記念撮影にも参加してくださいました。

(宣言文を読み上げる市長)

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ときどき激しい雨に見舞われましたが、忍耐強く残ってくださった皆様で、最後の記念撮影。2014年に宗教団体の強い反対で中止になった、ピンクドットペナンのためのバナーも掲げつつ。

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このときのピンクドット沖縄は、宣言が出たということで、NHKおきなわを除く各テレビ局のニュース番組で紹介されました。もちろん、新聞でも大きく。


(翌日の琉球新報の一面)

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(後日の沖縄タイムスの特集記事)

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今回は、企業からの支援も増えました。また、一回目から支援くださっているホテルパームロイヤルNAHA様は、会場に隣接した同ホテルに長ーいレインボーフラッグを掲げてくださいました。美しかった!

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その後、同ホテル代表取締役総支配人の高倉直久様と那覇青年会議所でお話する機会をいただきました。

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沖縄では、様々な領域でLGBTへの関心が高まっていますが、この動きをつくったのは、ピンクドット沖縄だと自負しています!那覇市は、その後、同性間のパートナーシップに関する証明書の発行の検討を発表。また一つ進みそうです(年明けにもなんらかの発表があるかも?)。


しかし、こんなに沖縄の社会に大きな影響を与えているピンクドットですが、毎年経済状況は非常に厳しく(ちなみに公的機関からの経済的支援は一切ないです)、やるかやらないか悩むところ。来年はどうなる(どうする)かなぁ…
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# by hideki_sunagawa | 2015-12-29 20:48 | Diary
2015年 12月 29日

2015年振り返り(1) 『新宿二丁目の文化人類学』出版

ツイッター(@H_Sunagawa)やフェイスブックにはちょくちょくポストしているけれど、そのぶんブログはすっかりさぼるように。

しかも、新しいサイトへ移行しようと構築しながら、なかなか進まず…。新しいサイトオープンは、来年の課題にするとして、ここで自分にとって2015年がどういう年だったかの振り返りを、三回にわけて。



まず、今回は、今年一番僕にとって大きかったこれ ↓



『新宿二丁目の文化人類学』出版

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2008年に提出した博士論文を『新宿二丁目の文化人類学』として出版することができました。これは、クラウドファンディングが成立したことで実現したものです。あらためて、ご協力くださった皆様に感謝です。そして、出版後、多くのマスメディアに書評を掲載いただきました。


星野智幸さん(朝日新聞)

繊細で血のかよった画期的な民族誌を実現できたのは、今を作り上げてきた無名のパイオニアたちを記録に残しておきたいという情熱だろう。都市論としても優れた本書の魅力は尽きない。」 → 全文


北原みのりさん(共同通信配信)

「読み進めるうちに気がつく。「二丁目」の物語は、誰にとても異文化ではない。普遍的な闘いの歴史、個人の切実な性と生のありようなのだと。」


若松英輔さん(讀賣新聞)

「現代は人間関係がどこまでも広がろうとする時代だ。だが筆者はこの本で、深まりの重要性を示唆している。」


難波功士さん(日本経済新聞)

コミュニティの内部に深く入り込み、すくいとられた人々の声。細やかな観察と豊富なデータは、フィールドワーカーとしてだけではなく、客およびスタッフとして二丁目で多くの時間を過ごし、東京レズビアン&ゲイパレードの実行委員長を務めるなど、深くこの地にコミットし続けてきた著者ならではのものと言える。」


印南敦史さん(Newsweek 日本版)

ゲイ・コミュニティに縁のない人にもわかりやすく、しかも歴史や社会状況などを交えて"文化人類学的な観点から"解説されているため、読者はゲイに対する偏見を打ち消しながら、陽の当たりにくい世界の実情を垣間見ることができるだろう。」 →
全文


福博充さん(週刊読書人)

「こうした生きたことばを冷静な文体を以ってアカデミックな文脈に落とし込みつつも、そのことばの持つ強さを殺すことなく織り込むには、よほどの技量とセンスが要求されると思うが、著者はそれを適切に配置し、その強さを自らの論述に援用している。」



こうして、多くの方々の書評のおかげもあり、一時期、Amazonの「文化人類学」の分類で1位になったりもしました。そして、2ヶ月あまりで増刷となりました! まだまだ多くの人に読んでいただきたい本です。まだな方は、ぜひ手にとってください。


<1位になったとき!>
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ウェブマガジンの「シノドス」には、この本について自分で書いた文章も掲載いただいています → 「異性愛中心社会とゲイ・コミュニティ―東京レインボー祭りが照らし出すもの」 。また、TBSラジオ「荻上チキのSession-22」に出たときの様子がこちらにあります → YouTube

そして、この出版を記念して、東京でイベントを開催しました。

<シューレ大学でのパーティ:上はシューレ大学スタッフの朝倉景樹さんと、下はアーティストの張由紀夫=メロディアスさんと>

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↑お腹の肉付きがひどい…(汗) そしてなぜか、手振りが大きい。


<新宿二丁目のバー「九州男」でのトーク:上は、NPO法人東京レインボープライド共同代表の杉山文野さんと、下は造形作家の大塚隆史さんと)

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また、沖縄でも出版記念&活動家歴25周年パーティーを。様々な分野の皆さんが来てくださり、とても暖かい雰囲気の良い会となりました。

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また、この出版をきっかけにいくつか文章を書く機会をいただきました。現代思想には、「多様な支配、多様な抵抗」を。同文は、なんと韓国語に翻訳され韓国語の雑誌でも紹介されました!うれしい。

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朝日新聞の書評欄「ニュースの本棚」にも文章を寄せる機会をいただきました。ありがたや。→ 「同性婚


この出版をきっかけに、最近活動にばかりエネルギーを注いで、サボり気味だった研究者としての自分に磨きをかけたいなぁ、と思いました。来年は、研究を深めながら、新しい本の執筆にもとりかかりたいと思っています!
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# by hideki_sunagawa | 2015-12-29 00:23 | Diary
2015年 08月 24日

イベント in 東京

9月に開催するイベントとセミナーのお知らせです。おそらく日本で初めてとなるLGBTスピーカー養成セミナーもあります(LGBTスピーカーというのはこのテーマで話をする人という意味で、LGBTでない人ももちろん参加できます)。

もちろん、「スピーカー」を目指さない人でも参加できます。ぜひまわりの皆様にもお知らせください。なお、申し込み、お問い合わせはそれぞれのメールアドレスへお願いします(*を@に変えてくださいね)。

*また、9/15(火)〜9/28(月)は、東京に滞在しています。講演等のご用命がございましたら、どうぞご連絡ください。

1. 『新宿二丁目の文化人類学』 出版関連イベント

(1)出版記念パーティー in 東京

<東京>

日時: 9月20日(日)14:00〜16:30(開場13:30)
場所: シューレ大学(新宿区若松町28-27)
http://bit.ly/1MFT0CF
参加費: 2,000円(軽食つき)
定員: 50名
申し込み:gradi*me.com <*をアットマークに変えてメールください。

パフォーマンス&トーク
   メロディアス=張由紀夫さん(アーティスト)


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アーティストであると同時に、HIV/AIDSアクティビストとして活動し、近年は、脱原発・反ヘイト活動にも積極的に参加している張由紀夫さん、彼の活動の経験とコミュニティ観について話をうかがい、またメロディアスとしてドラァグパフォーマンスを演じてもらいます。


(2)出版記念トーク

日時: 9月21日(月:祝日)17:30〜19:30(開場17:00)
場所: 九州男(新宿2丁目17−1−3F) https://goo.gl/maps/1GkWE
入場料: 1,500円(ワンドリンク付き)
問い合わせ:gradi*me.com(申し込み不要)

トークゲスト
   ・ 大塚隆史さん(造形作家/バー「タックスノット」店主)
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   ・ 杉山文野さん(株式会社ニューキャンバス代表/NPO法人東京レインボープライド共同代表)
     (聞き手:砂川秀樹)
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いち早くゲイ解放運動(ゲイリブ)に関心を持ち関わった大塚さんとは、大塚さんが見てきた二丁目、ゲイバー、そしてゲイリブについて、もともと新宿出身の杉山さんとは、都市における関係性やコミュニティ、そして、現在関わっている運動についておうかがいする予定です。


2. LGBTセミナー 〜スピーカー養成講座〜

講師: 砂川秀樹…文化人類学者・博士(学術)
日時: 9月22日(火:祝日)10:30〜17:30(開場10:00)
場所: ルノアール 新宿3丁目ビッグスビル店会議室7号室
(新宿2-19-1 ビッグスビル地下2階/03-5379-2766)
参加費: 1万5千円(コーヒー o r紅茶 2杯つき/冊子『LGBTとはなんですか』配布)
定員:14名
申し込み:gradi * me.com

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<セミナー趣旨>
LGBTイシューが日本でも注目を浴び、重要なテーマとなり、様々なところで、LGBT自身も以前よりもさらに顕在化してきました。そのため、教育現場でLGBTイシューをとりあげたり、LGBTなどの学生・生徒に対する対応を考えたりする必要性が高まっています。また、対人支援をおこなう場や企業でもこの問題への理解が求められています。

そのような中、多くのLGBT当事者もスピーカーとして活躍するようになっています。しかし、当事者の語りは理解を深める上でとても重要ものとはいえ、個人の経験の語りだけではLGBT全般に関する広範な知識を得ることは難しいことも多く、また時にセクシュアリティ研究にかかわってきた立場からは疑問に思う表現をされる方がいることも確かです。

この講座では、LGBT当事者か否かにかかわらずも一定の知識を提供できるようになること、セクシュアリティに関して、いくつかの見解がわかれることを踏まえた上でどういう立場をとるかを決め、その立場でLGBTに関わる問題に取り組んだり、まわりに伝えていけるようになることを目標にしています。ですから、「スピーカー」にならずとも、教育関係や対人支援に関係する仕事をされている方にはぜひご参加いただきたい内容です。

講師は、25年にわたりHIV/AIDSやLGBTに関する活動にかかわってきた活動家であると同時に、大学院でゲイ・コミュニティやセクシュアリティについて研究し、博士号を取得した研究者でもある砂川が務めます。大学での講義も含め、さまざまな人たちを対象に20年以上講演を続けてきた経験も持っています。また、16年続けてきた那覇市での講演が、今年、那覇市が出した「性の多様性を尊重する都市 なは宣言」の土台を形成したとも言われます。

少人数でじっくりと向き合いながら、基本的な事柄の説明の方法、なぜ性別や性的指向が大きなテーマとなるのかという根本的な問題、社会と性の関係への視点をお伝えしたいと思います。


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博論を書籍にした『新宿二丁目の文化人類学:ゲイ・コミュニティから都市をまなざす』(太郎次郎社エディタス)出版されました!
新宿二丁目に関する初めてのアカデミックな本です! ぜひぜひお買い求めくださいませー。

新宿二丁目のルミエールさん、上野のBIGGYMさんでも扱っていただいています。お寄りの際はぜひ、そちらもご利用ください。

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# by hideki_sunagawa | 2015-08-24 20:27 | notice
2015年 08月 11日

ピンクドットが変えた沖縄

7月19日に開催されたピンクドット沖縄2015で、那覇市が「性の多様性を尊重する都市 なは宣言」(通称:レインボーなは宣言)を宣言した。城間幹子市長自ら読み上げた。

翌日の琉球新報、沖縄タイムスともに、ピンクドット開催とレインボーなは宣言をとりあげた。琉球新報はトップ記事だ。

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この日、両紙とも一面以外にも記事を掲載していたが、後日掲載された沖縄タイムスの記事はすごかった。

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両紙ともピンクドットの初回から何度も大きくとりあげて来てくれた。若年層では、沖縄でも新聞を読まない人が多くなっているが、影響力はまだまだ大きい。この両紙が掲載し続けてくれたことは、沖縄のLGBTに関する関心を高めたことは間違いない。

また、今年は、テレビでも琉球放送、琉球朝日放送、テレビ沖縄がニュース内でこの宣言とピンクドットをとりあげ、沖縄県内にある放送局ではNHKおきなわ以外はとりあげたことになる。しかも前者2社は昨年に引き続き、小特集扱いだった。


今年のピンクドットは、企業からの支援も広がった(実行委員の営業のがんばりの成果でもある)。今回初めて特別協賛枠に「居酒屋 わらゆい」さんが名乗りを上げてくださった。

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ピンクドットの会場のてんぶす前広場に面するわらゆいさんの窓には、ピンクドットの前後に「ピンクドット沖縄を応援しています」という文字を掲げてくださり、その後もレインボーマークとLGBTフレンドリーの文字が目立つ位置に貼られている。

また、沖縄で初めてLGBTウェディングを打ち出した「カフーリゾートフチャク コンド・ホテル」さんも、今年初めてスポンサーとなってくださった。このような大きなホテルがLGBTをターゲットにした企画を大々的に宣伝することの影響は計り知れない。

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そして、沖縄のビジネス界で最大のアライ(支援者/連帯者)企業と言えるのが、初回からスポンサーとなってくださっている「ホテルパームロイヤルNAHA」さん。LGBTフレンドリーを明言していて、いつも、玄関脇のポールにレインボーフラッグが掲げられ、ロビーにも小さなレインボーフラッグが置かれている。

そのパームロイヤルさんが、ピンクドット開催の前日に掲げたフラッグがこれ。とても美しく、心揺さぶられた。

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このようなLGBTを意識したマーケティングを始めたのは、代表取締役総支配人の高倉直久さん。30代半ばの若き経営者であり、これから沖縄を代表する経済人の一人になるであろう、彼がLGBTアライであることは心強い。すでに彼のおかげで、沖縄の経営者の間でのLGBTへの関心が高まっている。

今年のピンクドットでJALグループの「JAL JTA セールス」さんが当日の抽選商品として旅行商品券を提供してくださったのも、高倉さんとが、同グループさんへLGBTとビジネスについて講演した結果だった。

そして、やはり高倉さんのつながりで、若い経営者の団体である那覇青年会議所でも、「LGBTとビジネス」をテーマにした講演会が開催され、高倉さんと僕とで話をする機会もいただいたりもした。

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行政では、今回のレインボー宣言を出した那覇市が一番進んでいる。このような宣言は、淀川区に次いで全国で二番目だが、長のリーダーシップに基づいてつくられた淀川区と異なる点は、行政の職員からの発案で進められた点だ。まだ具体的な施策はおこなわれていないが、関心を持つ行政職員が増えている証拠だろう。それを反映するかのように、今月出された、各戸に配布される那覇市の広報誌の一面全面にこの宣言とピンクドットについての記事が掲載された。

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今回の宣言に先立ち、那覇市議会では、所属の異なる三人の議員がピンクドット沖縄の名前を出して、LGBTに関する施策の必要性について質問を出してくれていた。様々なポジションの人がこの問題に関心を持ち動き始めていることを感じる。

実は、他の市の首長や、議員から「我が市でも、LGBTに関する施策をおこないたい」「パートナーシップ条例をつくりたい」という声が寄せられている。近々、その首長と懇談することになっており、また、那覇市のある議連の勉強会で話をする予定も。

これだけ各方面にLGBTに関する関心、知識、理解が広がっている地方は、沖縄以外にないのではないかと思う。このきっかけとなったのが、ピンクドット沖縄であることは間違いない。もちろん、そのピンクドット沖縄とは、それに関わり支えてくれている行政の人(特に、なは女性センターの人たち)や、スポンサーの皆さん、実行委員、ボランティア、参加者、様々な人々の集合体のことだ。もちろん、それを始めた僕自身への自負もある(笑)


けれど、最後に触れておきたいのは、共同代表の宮城さんの存在だ。彼女は、これまでフツーに目立つこともなく穏やかに暮らしてきたのに、僕が、共同代表になってくれるように頼んだがゆえに、沖縄で初めて実名を出してメディアに出たオープンリーレズビアンとなることになった。

僕のような、何かと特別に(学歴や東京在住歴の長さなどの点で)見られる人とは違うタイプの人が共同代表になることの必要性をわかって、彼女は、この重い任務を引き受けてくれた。代表としてこのような活動の団体の顔になるということの大変さは、なったものでないとわからないだろう。それこそ、これまでいろいろな団体の代表を務めたことある僕でさえ、その大変さが平気になることはない。

彼女が過去三回、共同代表を務める間、どんなに大きなプレッシャーを受けてきただろう。しかも大変な慢性病も抱えながら。しかし、そんな中、彼女は、僕の愚痴や不満、苛立ちを聞き、時に笑わせながら励ます役割を果たしてくれた。そのことだけが理由ではないが、彼女と彼女のパートナーのまゆみさんがいなければ、僕はとっくに沖縄を離れただろう。

いつも僕の陰に隠れる形になるけれど、彼女がいなければピンクドットは三回も開催できなかった。実は、沖縄を変えたピンクドットには、そんな彼女の存在もある。彼女は沖縄のLGBTの状況を変えた重要な一人であることはいうまでもない。

さてさて、この3年間、僕と宮城さんが顔となってきたが、若い人たちも随分と育ってきた。ピンンクドットも新しい段階に入る頃だろうか。どんな形になるとしても、沖縄はまだまだ変わり、さらにLGBTに関する先進県になることだろう。


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<砂川からの宣伝>

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# by hideki_sunagawa | 2015-08-11 20:51 | LGBT/gender
2015年 03月 19日

振り返りエッセイ(2)

僕がパートナーの前で声をあげて大泣きしたのは、あれが最初で最後だった気がする。

僕が沖縄に越してから半月ほど経った頃、彼が沖縄を訪れ、僕が一人暮らしをするアパートに1週間ほど滞在してくれた。一緒に料理をしたり、家からあまり遠く無い範囲を散策したり、沖縄の友人を家に招いてホームパーティーをしたりして、ともに時間を過ごした。

のんびりと過ごせたのは良かったけれど、僕が沖縄に帰ってからもペーパードライバーのままで、車を運転できるようになっていなかったため、どこにも連れて行ってあげられないことを心苦しく思ったことを今も、チクチクとした痛みをもって思い出す。

彼が帰る前夜か前々夜だったろうか。もう眠ろう、と布団を並べて寝始めたのだが、ほとんどずっと一緒の状態で1週間を過ごして別れるつらさや、全く先のことが決まっていないことへの大きな不安に押しつぶされそうになった気持ちが込み上げてきた。

そして、実は21年間住んだ東京の方がふるさとよりも身体感覚として馴染んでいたということに気づいてしまっていたことへの戸惑いなど、様々なよくわからない思いがこみ上げてきて、僕の目からポロポロと涙が流れ始めて、そのうち堪えきれずに声をあげて泣き始めたのだった。

その日から、もう4年になろうとしている。引っ越してきた頃の沖縄での人間関係と今の人間関係はだいぶ変わり、広がりもした。沖縄でもLGBTに関する活動を大きく展開し、ともに活動するすばらしい仲間もでき、沖縄でのLGBTに関する社会問題への関心を高めることずいぶんと寄与できたと思う。でも、あのときのつらさ、不安、戸惑いといった気持ちを完全に乗り越えられたかと問われると、正直自信がない。むしろ根深くなってしまったものもあるかもしれない。

いろいろ変わったようで、変わっていないようで、でもどんな風に過ごしても時間は流れていく。東京での21年間を、止まってしまった失われた時にするのではなく、沖縄に帰ってきてからの4年間を接ぎながら新しい花をつけ実をつけていこう。
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# by hideki_sunagawa | 2015-03-19 20:49 | Diary
2015年 02月 15日

ドラマ「未来からの挑戦」とファシズム

「未来からの挑戦」

NHKアーカイブズで、少年ドラマシリーズ「未来からの挑戦」(1977年)を取り上げられていた。僕が小学生時代に最も夢中になったドラマだ。今でもその主題歌を歌うことができる。

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少年ドラマシリーズ自体、人気を博したようだが、特にこのドラマは今なお強い思いを持っている人が多いらしい。NHKには、VTRは一部しか残っていなかったものの、視聴者が保存していたVTRをもとに復刻され、復刻記念の上映会もおこなわれたとか。

このドラマは、「眉村卓の『ねらわれた学園』『地獄の才能』を原作にしたSF作品で、受験名門中学校を舞台に、学校を支配し、人類社会を改革しようとする未来人と、その企みを阻止しようとする中学生の姿を描いた」もの(NHKサイトより)。


「ファッショ」

アーカイブズでまるまる放送されていた回は、支配が進んで行くところだった。

未来人が背後で糸を引く中、学校支配が始まる。超能力を持つ生徒会長の下、校則違反やいたずらを摘発するための校内パトロールがおこなわれ、違反者は処罰されるようになる。「それは行き過ぎ」という教師も、超能力の力により屈せられる。それに抵抗する主人公は、家でその話を父親にするのだが、父親は、自分たちが経験した「気づいたら身動きがとれなくなる」と、「ファッショ」について語る。

「ファッショ」という言葉がその中使われていたことを全く覚えていなかったが、そのようなシーンを見ながら、当時このドラマに夢中になっていた感覚を思い出していた。


二つの志向

私がこのドラマが好きだったのは、当時、超能力にとても関心があったことが大きいと思う(超能力や超常現象が人気が高い時代背景もあり)。しかし、今振り返ると、超越的な力を持つ者やエリートによる支配と、それに疑問を持つ主人公の戦い、という物語構造に惹かれていたのだなと気づく。

そして、その感覚を思い出す時、はっとするのは、僕は、抵抗する主人公に強く共感していたものの、エリートによる支配とそれによる秩序形成にも魅了されていたということだ。僕の中には、明らかに矛盾した二つの志向があった。この時の自分について考えることは、今のファシズム志向を考えるうえで重要な気がする。


ファシズムに魅了される人々

ファシズムに魅了される人は、当然ながら、自分を支配する側としてイメージし、自分の価値観で支配できると妄想する。しかし、誰しも程度の差こそあれ、どこかに支配的価値観にそぐわない部分を持つ。あるいは、全般的には支配的価値観に合致してても、自分の変化により、逸脱する時があったり、支配者側でなくなる時が来たりする。そうでなくとも、常に支配的な価値観の中で生きなければならないという状況は、息苦しくなるものだ。

今、ファシズム志向の人が、そこに向けて動くことに生き生きしていることができるとするならば、それはそうではない世界がまだ広がっていて、その中でやっているからであって、本当にファシズムが強大になったときには、多くの人は自分も息苦しいことに気づくだろう。

ただ、一つ厄介なのは、ファシズムの表象は、人々を熱狂させる力を持つということだ。このドラマでは、SFらしく超能力がその役割を果たしているが、学校を支配する生徒会長(女生徒)が教師に向けても発するきっぱりとした物言いや態度、その背後にいるという設定の未来人である男生徒のクールで陰のあるキャラクターが、見ている人を惹きつける(男生徒の方は、結局、主人公側に立ち支配体制を壊す役割を果たすのだが)。


自分にも残る志向

そして、自分を振り返るとき、今は意識的に持つことはないけれど、子どもの頃に感じていたエリート支配と秩序形成への志向は、自分の奥底に潜んでいるということを、38年ぶりにこのドラマを観て気づいた。そのことを警戒感を持って覚えておきたい。

その上で、今後考えていきたいのは、両方に惹かれる自分があったとして、どちらに傾くかというのはどこで分かれるのだろうか、ということ。僕の場合、ゲイであることを意識し始めたことが大きい気がするが、ゲイの中でもファシズム志向の人が少なくないことを考えると、それだけじゃないだろう。

分かれていく理由は複雑だろうけれど、自分もそちらに行く可能性があった/あるということを考えながら、社会がファシズムへ流れていく中、自分がやるべきことは何かを考え、実践していきたいと改めて思う。
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# by hideki_sunagawa | 2015-02-15 16:36 | Diary
2015年 02月 11日

振り返りエッセイ(1)

「寂しそうにしてますぞ」という言葉に、胸を突かれた気がした。

お世話になっていた、東京・二子玉にある小さなお茶屋さんの店主の言葉。20年余り住んだ東京を離れて故郷である沖縄に帰ると決め、その時が近づく中で言われたものだ。

僕には、付き合いはじめて4年(当時の段階で)になっていたパートナーがいた。その彼とは、僕が沖縄に帰ることをめぐって、きちんと話し合うことはなく、そのまま遠距離の付き合いになることが暗黙の了解となっていた。彼は、そのお茶屋さんのロゴやメニュー等のデザインを手伝っており、その店主は僕と彼の共通の友人でもあることから、先の言葉をかけてくれたのだった

パートナーは、沖縄に帰りたいという思いを持つ僕に気を遣い、直接「寂しい」とか「帰って欲しくない」と口にすることはなかった。それをいいことに、僕は、彼の気持ちを見ないようにしていたと思う。そんな中、言われたのがその言葉だった。その言葉は今も心に残っていて、思い出す度に、胸が締め付けられる。

心のどこかで、沖縄で彼と一緒に暮らせたらと思っていたけれど、東京に生まれ育ち、まだまだやりたいことがある20代後半の彼に、強くそれを求めるのは無理な話だった。それとなく、沖縄での求人を紹介してみたけれど、彼がそれに関心を示すことはなかった。それは、当時もいたしかたないことと思えたし、ましてや、今から振り返って考えると、とても賢明なことだったと思う。

共に沖縄に越すという選択は難しく、しかし、引き止めることは僕の望みに反すると思い我慢した彼の気持ちはどんなに切なかっただろう。自分の気持ちに言葉を与えてはっきりさせたり、表現することが必ずしも上手いわけでもない彼は、イラストでそれを形にする。そんなイラストのあちこちに、寂しさが出ていた。けれど、前向きで、僕のやりたいことをいつも応援してくれていた彼らしく、それを抑えて、僕を見送った。

あの時、僕は東京での生活に疲れ果てていたし、ちょうど任期付きの仕事が終わりとなり、74歳になっていた老いた母親も心配だったことなどから、沖縄に帰ることした。もし、それを選択しなかったら、どうだったろうかと度々考える。彼との関係も、生活も。

とはいえ、選ばなかった未来を想像しても、あまり意味のないこと。とりあえず、選択してからの自分を少し振り返りながら、「振り返りエッセイ」として記録してみようかと思い立った。まぁ、最近はすっかり更新が少なくなったブログなので、いつ、どれくらいの頻度で書くかはわからないけれど。気が向いたときに。
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# by hideki_sunagawa | 2015-02-11 23:12 | Diary
2015年 01月 21日

LGBTであることを隠さなくていい場

▼グラディ主催の上映会

先週の土曜日(1月17日)、ドキュメンタリーフィルム「大阪のエイサー 〜思いの交わる場所〜」の上映会をおこなった。これは、寺田吉孝さん(国立民族学博物館 先端人類科学研究部 教授)がつくられたもので、映像人類学という、研究対象を映像で記録する方法を用いた研究実践ともなっている。

主催は、「多文化創発net. 〜グラディ〜」。これまで、GRADiというスペースを拠点にしておこなってきた活動を、スペースを閉めたことをきっかけに名前を変え、活動ネットワークとして再スタート。その第一弾の会となった。

また、人間文化研究機構連携研究「映像による芸能の民族誌の人間文化資源的活用」プロジェクトが共催に。もともと、アカデミックなものと活動をつなげていきながら、多様性が肯定されていく社会づくりを目指して始まったグラディらしい会となった。


▼LGBTであることを隠さなくていい場

グラディが主催といっても、グラディに関わるメンバーは、レインボーアライアンス沖縄&ピンクドット沖縄のメンバーと重なる(ピンクドットの実行委員会はレインボーアライアンス沖縄の中につくられている形<ややこしくてすみません)。

よって、今回の上映会もピンクドット沖縄の関係者が大部分。ピンクドット沖縄は、ゲイやレズビアン、トランスジェンダーのメンバーもいるが、アライズ(LGBTではないがLGBTが生きやすい社会づくりのために連帯する人)も多い。この関係性の中では、自分がLGBTであることを隠さなくていいという感覚でいられる。

このように書くと、この上映会の「大阪のエイサー」とLGBTやアライズであることは関係ないんじゃない?と思う人も多いだろう。しかし、実際には、そういう場で、他のテーマのものを観たり、話し合ったりしても、やはりLGBTであることを隠さなくていいという場とそうではない場とでは大きく異なることを感じる。


▼コメントへの影響

その違いは、言語化しづらいところが多いのだが、わかりやすいことを一つあげると、コメントをするときに自分の経験に引きつけて語ることができるということだ。特に、今回上映したフィルムは、沖縄から大阪に移り住んだ人たちやその子どもたちが、エイサーを踊ることをテーマにしていたので、自ずとマイノリティ性の問題や、そのことをめぐる意識の変化について語られていたので、それについてコメントしようとすると、LGBTやともに活動する人たちは、そのことと引きつけて考えざるを得ない。

しかし、もしLGBTであることが語りづらい場だと、そのことから離れた内容で語りがちだ。また、そこで自分がLGBTであると言わなくても、そうであることを知っている仲間たちは、その人の背景に思いを馳せながら聞くことができる。その共有があるかないかでは、同じコメントも違う意味を持つことだろう。

もちろん、マイノリティ性がテーマではない集まりでも同じだ。老後について話をするとき、パートナーが同性であることは異性であるときと大きく異なる(結婚制度がなく、社会的な認知も低いがゆえに)。医療においては、トランスジェンダーであることが重い意味を持つことも多いだろう。恋愛関係だけでなく、家族関係、友人関係、学生生活、職場の問題。LGBTである人とそうではない人は違う経験をしているのだ(LGBT自身それを意識化しない人が多いが)。


▼ワークショップで

以前、非暴力コミュニケーションワークショップでも、LGBTであることを隠さなくていいと感じられる場ならではのやりとりがあった。そのワークショップでは、ひとりひとり、自分が苛立ちを感じる場面をあげて、その理由をさぐっていくということをしたのだが、あるゲイ男性は、「『仲間』と思われる男性」のマナーをめぐる話をした。

その苛立ちの理由をあれこれ探っていくと、彼の、ゲイとしてのコミュニティ意識、仲間意識が大きな意味を持っていることが出てきた。もし、彼がゲイとしての自分について語らず、一般的なマナーの話として語っていたら、その重要なところに話は至らなかっただろう。

ハンナ・アーレントは、「世界からあなたが退くことは世界を見る見方が失われること」と言った。おそらく自分の経験にとって非常に重要な意味をもつ、性別をめぐること、誰をすきになるか、誰と最も親密に生きているか/きたか、ということを隠ことは、その経験にともなう世界の見方を封印することなのだろう。

それは(そうしなくてはいけない環境は)、その人が生きるグループ、コミュニティ、社会、グループににとっても、その人自身にとっても、残念なことのような気がする。そのまわりの環境も自分もより豊かにする機会が失われているということなのだから。
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# by hideki_sunagawa | 2015-01-21 14:06 | Diary
2014年 12月 26日

チャレンジすること、成長すること

宮城さんのエッセイ

半年続いたエッセイの最終回が来週12/31に掲載される…と言っても、自分のエッセイのことではなく、レインボーアライアンス沖縄(&ピンクドット沖縄)共同代表の宮城由香さんのエッセイ。私が最初の執筆者となった沖縄タイムスの「性のはなしをしよう」の4人目の執筆者として、彼女が半年間担当していたのだった。

こうした公的なところに文章を連載するのは初めてということで、彼女の原稿を読んで、僕が、言葉づかいの調整や構成のアドバイス等をさせてもらっていたのだった(内容はもちろん彼女自身が考えていて、アドバイスは文意が変わらない範囲でおこなった)。それを続けて半年。

最初は、当然ながら、この手の文章を書きなれていない人が書いてしまいがちな、主語と述語部分のずれや、口語ならオッケーでも文章にすると曖昧さが際立ってしまう表現等、気になるところがあったのだけれど、そのことを毎回指摘することを繰り返していくうちに、みるみる文章がうまくなり、最後にはほとんど私が口出しをする必要がないくらいにまとまった、わかりやすい文章を書くようになっていた。

どんな人でも自分の文章に口を挟まれるのは嫌なもの。自分なりのこだわりもあるものだし。当然、彼女も、「えー?」と思うことも度々あったのではないかと思う。でも、一応、文章を書くことに関しては、年数的にも量的にも先輩であるということで、ついてきてくれたのだと思う。

文章表現は、もちろん、それぞれの方法と癖があっていいのだけれど、まずは、自分の言いたいことを丹念に、わかりやすく伝える方法を練習するほうがいいと僕は考えている。彼女の文章についてコメントを重ねることで、僕自身、どういうところに着目して伝えていくといいのか、とても勉強になった。


成長するということ

このエッセイを書き続ける中で文章がうまくなっていく彼女を見つつ、人っていくつになっても、新しいことにチャレンジできるし、そのことで成長していけるものということ学んだ。「上から目線」的でいやらしい表現になってしまうけれど、彼女が2013年にピンクドット沖縄の共同代表を引き受けてくれてからの、代表として人前に立つ事に関して見せた成長にも感動してきた。

初めて開催したピンクドット沖縄の説明会で、緊張のあまりほとんど言葉が出てこなかった彼女は、今年には、当日の会場で多くの人たちを前に自分の言葉を伝えられるようになっていたし、トークイベントでも自分の考えや経験をしっかりと話せるようになっていた。

今年の2月、レインボーバレンタイン・キャンペーンの一環として、僕が聞き手になりつつ彼女に話をしてもらう形でトーク(@ジュンク堂書店那覇店)を開催したのだが、それを聞いていたフリージャーナリスト山城紀子さんは、彼女の話がとても心に残ったと言っていた。

宮城さんは、沖縄で生まれ育ち、基本的に沖縄で暮らしてきた人なのだが、自分が共同代表を務めることの意味を考え、重責ながら引き受けたのだった。その意味とは、沖縄出身とはいえ沖縄を長く離れていた僕がやる活動に対して向けられがちな、「(東京に長くいた)砂川さんだからできる活動なんでしょ」といった視線を緩和するような役割だ。

また、同性のパートナーと長いパートナーシップを続けつつも、これまではその言葉であまり意識してこなかった「レズビアン」というアイデンティティーをあえて引き受けて、沖縄の新聞にも登場するようになった(沖縄で実名と顔を出してレズビアンとして、マスメディアに出たのは彼女が初めて&日本全国でも少ない)。この勇気は本当にすごいと思う。そして、その彼女を支え続けている、パートナーのまゆみさんも。


今後…

実は、来年中に、宮城さんと関係することで実現したい大きな目標がひとつ。画家でもある彼女の絵をスカーフにして商品化したいといこと(それによって、彼女の絵の魅力を多くの人に知ってもらいたい&売り上げの一部を活動資金の足しにしたいのです)。

彼女の絵は、とてもオリジナリティ溢れる存在感のあるもので、沖縄の自然をモチーフにした曼陀羅のような絵だ。僕は、その絵に、多様性といのちを愛でる彼女の思いを感じている。来年は前半で、僕の博論の書籍化があるから、その後になるかなぁ…。でもぜひぜひ実現したい。予約を受けて、ある一定数に達したら商品化へ、にするか、またクラウドファンディングを使うかわからないけれど。

ということで、来年の展開もお楽しみにー。

<宮城さんの絵>
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# by hideki_sunagawa | 2014-12-26 22:56 | Diary
2014年 12月 22日

2014年を振り返る

今年したこと、起きたことなど、ほぼ時系列に並べてみました。


▼東京でピンクドット沖縄の報告会

1月に早稲田大学での講演で東京に行くことになったので、2013年のピンクドット沖縄の報告会を開催しました。突然の思いつきで急なお知らせだったにもかかわらず、多くの友人、知人が集まってくれました。東京を離れて以来初めて会う人もいて、あらためて関係性を結び直すことができたような、そんな気がしました。


▼那覇市地域福祉補助金の事業の実施

対人支援をおこなっている機関への出前講座(10カ所)、入門講座、LGBT入門冊子製作など。出前講座では、初めて病院へも赴きました。

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(出前講座の様子)

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(入門冊子)


▼レインボーバレンタインキャンペーン

オリジナルのチョコを街頭で配布、ジュンク堂書店那覇店さんでトークもおこないました。

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(街頭配布後の記念撮影)

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(石鹸やフレングランス商品を製造販売されている「ラ クッチーナ」さんもレインボーバレンタインに協力くださいました)


▼初の救急搬送

吐き気と激しいめまいで動けなくなり、生れて初めての救急搬送。特に異常はなく、半日で退院。


▼歌手の米倉利紀さんにピンクドット応援ショットに協力いただく

初めてライブにも行きました。とてもかっこよくて、そしてパフォーマンスがすばらしく、惚れ惚れとしてしまいました。

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▼Brentさん、カナダから手伝いに!

カナダからBrent Lueさんがピンクドット沖縄やGRADiを手伝いに来てくれました。約5ヶ月の滞在中、大活躍でした。

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▼初挑戦のクラウドファンディング、成立!

READYFOR?で挑戦したクラウドファンディングのプロジェクト「同性カップルの『里帰り結婚式』をピンクドット沖縄で実現したい」、多くの方々のご協力を得て、目標額を達成しました。ありがとうございました。

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(クラウドファンディング、スタート時の記事)


▼ピンクドット沖縄応援集会 in 沖縄

ピンクドット沖縄の応援集会をシューレ大学を会場に開催。沖縄で一番私を支えてくれている宮城さん(ピンクドット沖縄共同代表)&まゆみさん(同実行委員)の二人も参加。このお二人と一緒の時間を東京で過ごせたのもとても良い思い出に。

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▼ジョージ・タケイさんとランチ!

在沖米国領事館主催の講演会で沖縄にいらしていた、ハリウッドスター、ジョージ・タケイさんとピンクドット沖縄のメンバーで会食。

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なんと、ピンクドット沖縄に向けて応援メッセージもいただきました>YouTube上動画



桜坂劇場とのコラボイベントで、EPOさんとトーク

ゲイカップルが障がいを持つ子を養子に迎えるために闘う映画、「チョコレート・ドーナツ」と関連して、桜坂劇場さんとピンクドット沖縄のコラボトークが実現。歌手のEPOさんとトークする機会をいただきました。

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▼念願の講演会の実現

ピンクドット沖縄と関連して、沖縄に来た時から実現したかった、上川あやさん(世田谷区議会議員)、星野智幸さん(作家)、楠原彰さん(國學院大學名誉教授)の講演会を実現できました。また、田中かず子さん(元国際基督教大学教授)の二度目の講演も。また、料理教室めざめの坂本ゆいさんの料理教室も二度目を実現できました。それぞれ、ご本人のご協力、多くの方々のご協力で可能に。心から感謝。

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(上川あやさん)

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(星野智幸さん)

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(楠原彰さん)

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(坂本さんの料理教室の後で)


▼電話相談&基礎講座実施

LUSH補助金を得て、電話相談を実施、また臨床心理士などの専門家向けLGBT講座等を実施しました。

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▼ピンクドット沖縄大成功!

ピンクドット沖縄でいろんなことがありました。上記の講演会の実現のほかに…
・RBCラジオさんが、1時間の特集番組をつくってくださいました。
・桜坂劇場が「レインボーシネマウィーク」開催してくださいました。
Marriage Equality USAのリーダーのお二人 John Lewis さん& Stuart Gaffney さん が、ピンクドット沖縄にご参加くださいました(彼らは、カルフォルニア州で同性間の結婚をめぐって裁判を起こした原告であり、同州での同性婚を実現させたカップルの一組)。
・沖縄で初めてとなる、LGBTの家族の会を開催しました。
・金城一樹さん&ハロルド・チャペットさんの里帰り結婚式を挙げることができました!

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(ハロルドさん&一樹さん、Stuartさん&Johnさん)


▼GRADi閉鎖

2年半近くがんばった、コミュニティスペースGRADiですが、経済的に苦しくなる一方だったことから閉鎖しました。それと同時に住居も引越し。


▼金城芳子基金による助成決定

沖縄でのジェンダー関連の活動に与えられる活動金城芳子基金の助成を、レインボーアライアンス沖縄でいただくことに。対象となったプロジェクトは、沖縄の県および各市町村議員へのアンケート調査です。

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▼READYFOR of the Yearでプレゼン、ソーシャルニーズ部門賞受賞

READYFOR of the Yearの授賞式で、プレゼンの機会を与えられた5つのうちの一つになりました。また、ソーシャルニーズ部門賞をいただきました。授賞もさることながら、プレゼンの機会を得たこと、それにより、他の、様々な活動をされている方とお会いできて刺激を受けたことに大きな刺激を受けました。(授賞式とそこでの出会いについての日記

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▼シューレ大学15周年で講演

私にとってとても大事な場所となっているシューレ大学、その15周年で講演する機会をいただきました。


▼パートナーとの関係解消(涙)

諸般の事情により、遠距離で3年間、トータルで8年間続いたパートナーとの関係を解消することになってしまいました…。


▼二度目のクラウドファンディング成立!

二度目のクラウドファンディングの挑戦となるプロジェクト『新宿二丁目の「ゲイコミュニティ」を研究した博論を出版したい』、また多くの方々の協力のおかげで開始1週間で成立し、来年、出版することが決まりました。わーい。ちなみに、プロジェクトへの支援申し込みは2月16日までですので、まだまだ参加できます(笑)

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と、あらためて今年のことをまとめてみると、「頑張った!」感ひしひし。しかし、頑張り方がきっとおかしな方にいっているせいで、年末の今は、生活は困窮状態。ということで、これから、アルバイトをさがして(ドンキのレジ打ちかなー)、来年は生活最優先を志します。

今年は、二度のクラウドファンディングの成立に象徴されるように、一層多くの人に支えられた一年でした。ほんとうにありがとうございました。と言いつつ、年内にある誕生日あたりにもう一度、書くかくも…


今年の振り返り最後は、ピンクドット沖縄アフターパーティでの僕の大笑い顏。

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# by hideki_sunagawa | 2014-12-22 01:09 | Diary
2014年 12月 10日

沖縄国際大学での講演

今日は、沖縄国際大学のある先生に招いていただいて、LGBTについて基本的な話を。声をかけてくださった先生と、別の先生のゼミの合同授業となった。

講演は、「もっとうまく話せたらよかったなぁ…」と思う出来だったけれど、若い人たちに伝える機会をいただけて良かった。学生からは、僕が一通り話した内容に情報を付け加えるのにちょうどいい質問もちほら(「皆にこの話を伝えて欲しい」という意図をもった質問かな?と思われるものもあった)。


講演前、1時間以上前に大学に到着して、ランチ。今日は天気が良く、暖かくてとても気持ちがよかったので、中庭的なところで、持参した稲荷ずしをパクリ。外で心地良く食事ができるだけで幸せな気分。

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# by hideki_sunagawa | 2014-12-10 00:20 | Diary
2014年 12月 05日

LGBTと図書館

ひょんなことからLGBTの図書館へのアクセスのしやすさについて、ちらっと調べることになった。最初は、「そんなテーマで研究とかあるのー?」と思ったら、やはりちゃんとあった。

論文的にまとまっているのは英語でしか見つからなかったが、日本語でも、「セクシュアル・マイノリティの問題と図書館への期待 」(小澤かおる 2010 )とか、米国での論文を紹介している「同性愛関係コレクションは是か否か:公共図書館サービスと選書方針 」(岸美雪 1994)とかを、「図書館情報に関するポータル」というサイトで発見。

小澤さんの文章では、LGBT関係の本が図書館にあっても手にとらないという話だが、やはりいくらインターネットが発達しても図書館に置かれてるのは重要だよなー、と思う。特に学校図書館。僕が思春期の頃は、LGBTについて書かれた日本語の本などなく、性に関する本の中でも触れられていないか、ネガティブに書かれていたものだ。

そう考えるとなんだかんだ言いつつ(?)随分と変わったなぁ。

ふと図書館の話から、そういえば、以前、美しい図書館の写真を紹介したサイトをみたなぁ、と探してみたらいろいろあった。下の写真は、「最も美しいアメリカの大学図書館」の紹介から。うーん、ほれぼれする美しさ。

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BBC TRAVEL america's most beautiful college libraries
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# by hideki_sunagawa | 2014-12-05 23:25 | LGBT/gender
2014年 12月 04日

那覇市議会議場を訪問

とってもきれいな那覇市議会の議場!

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(左:前泊さん。ちょうど僕の頭が市旗にかぶっている…失礼をば)

那覇市議会議員2期目の、前泊美紀さんが案内してくださいました。約2年前に新設されたばかりだけあって、きれいだし、設備もよくできてる(那覇市庁舎4階にあります)。

傍聴席は、議員と同じフロアにも二階にもあり、なんと、親子連れ用の傍聴席(子どもの声が漏れない部屋になっている)も。すばらしい。

前泊さんが紹介くださって、副議長の糸数昌弘さんにもお会いしました。とても気さくで話やすく、LGBTに関する話をアピールしてきました。

案内してくださった前泊さん、話を聞いてくださった糸数さんに感謝。
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# by hideki_sunagawa | 2014-12-04 16:02 | Diary
2014年 12月 03日

目標額達成!

わわわ、ありがとうございます! こんなに早く達成するなんて!

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先日紹介したばかりの、僕のクラウドファンディングのプロジェクト「新宿二丁目の『ゲイコミュニティ』について研究をした博士論文を書籍化したい」が、今日の朝、ちょうど1週間で目標額に達成したのです! なんとありがたいことでしょう! 

「期限の後半で成立したとして、1月の終わり頃から出版に向けての手直しかな」と思っていたけれど、すぐに取り掛かり始めなくちゃ!…とうれしい焦りを感じているところです。

応援してくれている仲間達も自分のことのように喜んでくれているのが、またうれしいことです。

これから出版するこの本は、今回のクラウドファンディングで支援してくださっている方々だけでなく、これまで僕を支えてきてくださった皆さんの本でもあります。だからこそ、一層うれしいのです。

長い時間をともに過ごしてきた人、知り合って間も無い人、たまにしか会えないけれどつながりを感じられる人、まだ会えていないけれど僕のことを気にかけてくれている人、疎遠になってしまった人、そして…もう二度と会えなくなってしまった人。そんな、あの人、この人、たくさんの人が一緒に喜んでくれますように。
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# by hideki_sunagawa | 2014-12-03 23:03 | Diary
2014年 12月 02日

オープンリーゲイの文化人類学者への道(笑)

博論出版のためのクラウドファンディングに取り組む中で思い出したことなど…


▼院試でのカミングアウト

僕は、自分の研究との関係もあり、大学院入試(院試)の面接試験の時に、自分がゲイであることをカミングアウトした。それまでも、知り合いが教えている大学の授業に招かれて、ゲイとしての経験を話したことがあったが、院試の時の方が、はるかにパブリック感の伴うカミングアウトだった。

面接試験は、そのコースの大学教員がずらりとコの字型で取り囲むように座っている中、事前に提出した論文と院に入ってからの研究計画についての質問に答える形。提出していた論文は、HIV啓発活動と関係したものだったが、研究計画について説明する中で「ゲイとして『ゲイ・コミュニティ』の調査をするつもりです』と伝えた。

ここでゲイであることを伝えたのは、フィールドワークでは、どういうポジションでどういう関わり方で調査をするかということがとても重要なことだからだ。

その話をする時に、「(文化人類学という学問分野的には)奇異な研究と思われるかもしれませんが…」と前置きをしたことを覚えている。そして、研究計画について一通り説明したあと、間髪入れず「私は奇異な研究だと思いません」と言ってくださったのが、のちに指導教官として長い間励まし続けてくださった先生だった。

そして、その先生のコメントに続いて「私も奇異な研究と思いません」と発言してくださったのが、やはり、その後、ことあるたびに励ましてくださり、私が歴史学にも興味を持つきっかけになった、フランス史を専門とする先生だった。

こう書くと、そういう場でのカミングアウトが何の問題もなかったかのように思われるかもしれない。僕も正直、当時は、「あれ、全然大丈夫みたい…?」と思ったものだった。その後も、基本的には予想していたほどの大変さはなかったのだが、全くないもないわけではなかった。


▼「ああいう学生を入れていいんですか…?」

とは言っても、直接的に攻撃を受けたわけではない。しかし、授業の中で、あからさまに僕への苛立ちを感じていて、それをぶつけてきているとしか思えない先生がいた。その先生は、しばらくは、廊下などで会ったときに僕が挨拶しても、いつも無視していた(しつこく挨拶し、ちゃんと?年賀状も書いたりしているうちに変わったけれど)。

また、当時人気のあった先生だが、ある海外の有名研究者の悪口を冗談まじりに言う中で、「それにホモだし」とおもわず口走って、それにつられて皆が笑うということがあった。その直後に、「あっ!」と気づいて、僕の顔をみてバツの悪そうな顔をした。さすがにその先生には、後で抗議をしたが、「日本の大学でゲイであることをオープンにしている学生と初めて会ったので、逆にそれが無意識にそのような冗談につながったのかもしれない」という返事だった。

僕の研究をどうしても文化人類学のものと認めたくないのだろうという態度で接し続けた先生もいたし、修士論文の中間発表で、明らかに性的指向について誤解した上での、研究の本質は関係のない批判めいた質問を受けたこともった。

また、実は、院試のあと、退官間近だった教授が、ゲイであることをカミングアウトした僕のことについて、「ああいう学生を入れていいのか…?」と発言していたと知ったのは、博士課程に入ってからのことだった。


▼変化したセクシュアリティの定義

今から考えると、「結構、嫌な思いもしたなぁ…」と思うが、当時は研究で精一杯だったし、院生仲間との関係では嫌な思いをしたことはなかったおかげで、そのようなことで折れることはなかった。

それこそ、当時は、どの大学でも院でゲイであることをオープンにするような学生は極めて稀なことで、その頃、日本の文化人類学の学問分野でオープンにしていたのは僕一人だったし(今も?)、「ま、しょうがない…」という気分だったかもしれない。

僕が入った頃、日本の文化人類学で書かれていた論文でのセクシュアリティの定義は、「男女の間」に限られてたもので、僕は、それに対して、「なんじゃこりゃ!」と憤っていた。しかし、僕がオープンにして論文を書いたり、研究会などで発表するうちに、それはあっと言う間に変わっていった。

そんな風に直接的、間接的なやりとりの中で、修正していく先生方の様子を見て、僕は、率直に(全く嫌味ではなく)「すごいなぁ、優秀な研究者は修正能力が高いなぁ…」思った。そして、自分がゲイであることをオープンしてセクシュアリティ研究をしてきた意味があったかもしれないと思った。


▼交差点としての「私」

嫌な経験をあれこれ書いてしまったけれど、応援し支えてくれる先生方もいたし、そのことの方が僕の、学徒時代(?)の思い出の多くを占めている。もちろん、面接時に援護射撃的なコメントしてくださった先生方もそうだし(間髪入れずにそのような発言をしてくださったのは、否定的な反応があり得ることを見越してのことだったと思う)、その後、特にジェンダーを意識して研究している女性の先生方にとても支えられた。今も、変わらずに、応援してくださっている先生もいる。

博論を提出し審査が終わった後、博論完成お礼パーティーを開いたとき、ずっと励まし続けてくださった指導教官の先生が、僕がこの研究で博論を書き、口頭試問でも高い評価を得たことについて、「(まわりに対して)ざまぁみろという気分」と表現してくださったのが印象的だった。実は、僕以上に、この研究に対する冷たい視線を先生は感じていたのかもしれない。


今回のクラウドファンディングでも、大学院にいる間に知り合った人たちからも支援いただいている。あの頃、直接的なやりとりは少なくても、同じところで、それぞれの研究に四苦八苦したり、授業の準備に大変な思いをしたりしていたことが、つながりをつくってくれた。

こうして、博論が出来上がってきた自分の過程を振り返ると、あらためて、自分は、関係性の交差点のような存在だな実感する。そして、まさに、僕にとって、博論は、その交差点の表象だなー、と。さらにそこに、クラウドファンディングを通じて、新たな交通ができて、新しい交差点として、自分が更新されていく。この貴重な経験もまたなんらかの方法で現していけたらいいなぁ、と思いながら、まずは、今の交通を楽しみつつ。
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# by hideki_sunagawa | 2014-12-02 00:19 | Diary
2014年 11月 29日

クラウドファンディングをめぐる思い

▼新しくクラウドファンディング始めました

クラウドファンディング「READYFOR?」で二つ目となるプロジェクトを始めました。それは、「新宿二丁目の『ゲイコミュニティ』について研究をした博士論文を書籍化したい」というものです。

今回は、私が2008年に東京大学大学院に提出した博士論文(=博論)を書籍化するために始めました。その博論は、新宿二丁目のゲイバーを調査したもので、その街を「ゲイコミュニティ」と呼ぶ意識がどのように生まれてきたのかを、様々な観点から分析したものです。

なぜこのプロジェクトを始めたのか、その思いはプロジェクトページにたっぷりと(笑)織り込んでいます。このページを読んでいただけるだけでも意味があると思っています。どうぞよろしくお願いします。

(クラウドファンディングとは、インターネットのサイトを通し、自分の実現したいプロジェクトへの資金提供を募るもの。賛同する人は、クレジットカードで予約をする。「READYFOR?」 は、期限内に目標額に達成しなかった場合、プロジェクトにはお金は払われず、予約した人にも課金されない仕組み。)


▼緊張の初日

さて、クラウドファンディングに挑戦するのは二回目とは言っても、前回と違い、今回は私自身に関わること…もちろん、この博論が世に出されることは社会的な意味があると考えてのことですが、そうはいっても、「結局自分のためじゃん」と言われかねないもの。きっと口の悪い世界ではあれこれ言われているだろうという想像も頭をかすめる。

そのため、前回とは異なった緊張感とプレッシャーが…。「このプロジェクトに協力してくれる人はどれくらいいるのだろうか…社会的な意味も理解してもらえるだろうか…」。

そして、27日(木)正午少し前に公開スタート。出足は遅く、ヒヤヒヤしながら待っていたら、いつも私を支えてくれている仲間が一番乗り。そして、それからポツポツと申し込みが入り始め、気がつけば、1日で50%越え。READYFOR?側から、3日間で20%は到達させるようにということを強く言わていたので、かなり良い数字だ。

しかし、その数字以上に僕の心を揺さぶったものが、ひとりひとりのお名前と応援コメントだった。


▼泣き濡れた1日

名前の中には、大学院時代、そんなに接点があったわけでもない後輩もいた。疎遠になっていた大学院同期の仲間も。そして、『こういう方法で博論を出版しようとすることに眉をひそめるかも…』と思ってヒヤヒヤしながら報告した指導教官からも。日頃一緒に活動している仲間からの支援もあれば、だいぶ前に少し仕事での接点があっただけの人もいる。そして、ネットだけのつながりの人からも、面識のない人たちからも。また、これまでたくさんたくさん負担をかけた元パートナーも。

その皆の名前が次々に応援コメント欄にあがっていくたびに、涙がこぼれた。

僕は、これまでも、ほんとうに感謝しきれないくらいたくさんの人に支えられえ、愛されてきたことを実感しているけれど、その一方で、心のどこかに「全然ダメな自分」という劣等感や、「多くの人に嫌われてもいる自分」という思い込みを抱えてもいる。それは、大きくはないものの、強い存在感を放ちながら潜んでいる。そして、時にそれが発する力に振り回される。

その感情は、現在のように経済的に切羽詰まり困窮すればするほど、他のネガティブな感情も呼び寄せて、重みも増していく。正直、博論を出さなくちゃという思いのどこかには、いつまで自分ががんばれるかわからないから、出しておかなければという考えもあった(もちろん、人生なんて、いずれにせよいつまでかあるかわからないという意味も含めて)。

そんな僕だから、一つ一つの支援(システム上は「引換券購入」)の予約とメッセージが入るたびに、背中にそっと手を置いてもらったかのような暖かさと励ましを感じ、涙が溢れてきたのだった


▼「申し訳ない」という気持ち

だから、僕は感謝の気持ちでいっぱいになった。でも正直、実は、わずかだけれど、どこかに「申し訳ない」という思いもあった。もしも、自分がもっともっと経済的にしっかりしていたら、皆の力を借りずに出せたはず、あるいは、もし人気研究者のような力があったら…という考えがぬぐいされなかったからだ。

応援してくださった人たちの中には、決して余裕のある生活を送っているわけではない人たちがたくさんいることを僕は知っている。ギリギリの中から出してくれている人もいる。だから、自分自身の力があれば、その人たちに負担をかけなくて済んだのではないかと。

でも、お礼のメールを書き、返事をもらう中で、疎遠になっていた人と久しぶりにやりとりができたり、それぞれの人が今置かれている状況を知ったりする中で、この方法でよかったと思えるようになってきた。「支援の機会をくださってありがとう」と言ってくださった方もいる。僕がおこなってきた活動にお礼を言ってくれる人。伝えたいと思っていた思いを改めて伝えてくれた人。

その中には、深刻な問題を抱えて闘っている人がいることも知った。その中から暖かい言葉をかけてくれた。


▼成功へむけて

実は、来年は僕がHIV/AIDSやLGBTの活動を始めて丸25年になる。今回のプロジェクトは、この25年間を振り返りながら、いろんな人たちとの関係を思い出し、紡ぎ直す機会となっている。

正直、プロジェクトの成功にむけて、これからはこれまでのようなテンポでは進まないだろう(知人、友人の多くにはすでに情報が行き渡っているので)。ここまでで、すでに大きなものを得て、嬉しく幸せだけれど、支援を表明してくれた人たちの気持ちに応えるためにも、できるだけ多くの人に理解してもらって、成功につなげよう、と改めて意気込んでいる。

皆の応援で出版される、新宿二丁目について研究した博士論文…改めて考えてみると、意義だけでなく、単純にとても素敵なプロジェクトのような気がしてきた。がんばろう。


「新宿二丁目の『ゲイコミュニティ』について研究をした博士論文を書籍化したい」
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# by hideki_sunagawa | 2014-11-29 23:55 | Diary
2014年 10月 16日

READYFOR OF THE YEAR 2014

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10月14日、東京大学伊藤謝恩ホールで、READYFOR OF THE YEAR 2014が開催された。

これは、日本最大のクラウドファンディングサイト「READYFOR?」で成立したプロジェクトを対象に、社会的インパクトや意義を基準に賞が与えられるというもの。クラウドファンディングとは、サイトを通して資金を集めるシステム。

今回、僕が出したプロジェクト「同性カップルの『里帰り結婚式』をピンクドット沖縄で実現したい」が、当日会場でのプレゼンテーションの機会をいただいたことから、東京に赴くことに。

成立したプロジェクト480のうち25に賞が与えられ、僕のプロジェクトはソーシャルニーズ部門賞をいただいた。「成立するのだろうか」という不安を抱えながら、必死に取り組んだプロジェクトだったので受賞は本当に嬉しい。

そして、それにもまして、当日、プレゼンテーションをする5つのうちの1つとして選んでいただけたことには、久しぶりに晴れがましい気持ちを感じた。また、様々な活動をしている人たちにLGBT活動のことを伝えられたのは意義深いことだったと思う。READYFOR? を立ち上げた米良はるかさんも、このプロジェクトにとても関心を持っていたというコメントをくださった。

しかし、今回、僕が得た最大のものは、他の人たちのプレゼンテーションに触れたことによってインスパイアされたことであり、その方々と知り合えたことかもしれない。

「気仙沼の高校生が考案!地元食材を活かした新商品『なまり節ラー油』を全国に届けたい」の小川悠さんは、「運動部でも、文化部でもない、地元にちらばる"いいね!"にに気づく、形にする、伝える、新しいクラブ活動 i club」 をされている。将来を嘱望される若者、という表現はこういう人のためにある言葉だなぁ、と思った。

「医療の現場で空間アート『霧はれて光きたる春』を開催したい!」のハナムラチカヒロさん。大阪府立大学の教員でありながら、役者もされているとか。彼のプレゼンテーションからからは、哲学とアートと活動の融合を感じた。こんなに多彩な人がいるんだなぁ、と圧倒された。


「若年無業者白書-その実態と社会経済構造分析-」の工藤啓さんは、「若者と社会をつなぐ支援NPO/認定NPO法人育て上げネット」の理事長を務められていて、『無業社会 働くことができない若者たちの未来 』の共著者。淡々とした雰囲気の中に深く積み重ねられた経験と思想を感じさせる人だった。

「70年の時を越えて、幻の国産車『くろがね四起』復元計画始動!」の小林雅彦さんは、最縁遠い感じの方だが、とにもかくにもREADYFOR?で過去最高の1300万余りを集めた力はすごいなぁ、と思った。

今回、皆のプレゼンテーションを観て、正直落ち込んだ。これまで、プレゼンテーションもスライドづくりもそれなりにできているつもりだったけれど、皆のプレゼンテーションの上手さに圧倒されたのだ。小林さんの話の構成の巧みさ、ハナムラさんのパフォーマンス、工藤さんの飄々とながらも人を惹きつける話し振り、etc.

しかし、その一方で、いろんなところで面白い活動をしている素晴らしい人たちがいるなぁ、と感動し力づけられもした。実は、もともととても人見知りなのだけれど、これからはもっと積極的に、様々な人たちと会っていきたいなぁ。

今回、このような貴重な機会をくださったREADYFOR?の皆さんに心より感謝したい。

(当日の様子が MAKE2020にアップされています→ みんなでかなえる1億円プロジェクトも発表「READYFOR OF THE YEAR2014」
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# by hideki_sunagawa | 2014-10-16 20:56 | Diary
2014年 09月 23日

An article on Pink Dot Okinawa

greenz.jp, a web magazin, have an article on Pink Dot Okinawa.
(written by Miyuki Muryama)

ウェブマガジンのgreenz.jpにピンクドット沖縄についての記事が掲載されました(記事を書いてくださったのは、村山幸さん)。日本語は、greenz.jp上の記事を直接ご覧ください(良かったら、下のボタンからツイッター等でのシェアよろしくお願いします)。


English version (translated by Brent Lue)

Right Next To You:
An Event Report on Pink Dot Okinawa
and living together with LGBT minorities



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Just thinking of a world where you can't live true to yourself,
or you're forced to hide the real "you" is a pretty uncomfortable
thought. The idea of always feeling that discomfort for me, frankly,
takes my breath away. But the truth is that many LGBT people live
with this stress every day.

On July 21st, an event called Pink Dot Okinawa was held in Naha,
Okinawa. There, LGBT people and their supporters gathered in public
to create a warm, friendly, and inviting environment for people
to just be themselves.

Pink Dot was created in the spirit of creating an LGBT-friendly society.
To this end, supporters around the world dress themselves in pink,
gather in one spot, and make their appeal to society at large.
Just last year, Pink Dot Okinawa was the first of its kind in Japan,
and it drew a considerable amount of attention.

This year's Pink Dot Okinawa drew approximately 1,000 participants,
topping last year's record. It's our hope that by understanding
how things were on the ground, you'll get a good feel for the latest in
LGBT activism in Japan.


Pink Dot Okinawa Round 2:
A Diverse Set of Smiles


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(↑A very Okinawan bingata art workshop. There were also a variety of
food and drink stalls in addition to HIV information panels. )


When I first talked to Nijimai, an Okinawan LGBT youth group based
in Southern Okinawa, I learned that social groups like theirs were
a rarity, and that in fact Nijimai was only formed in May of 2013.
Last year’s Pink Dot Okinawa was a major reason why the group
decided to form, and as a result I got a sense of just how important
this event was.

As of now, it seems that LGBT youth groups like Nijimai are growing
in a variety of places, especially at college campuses.
As these sorts of social frameworks spread, many hope to prevent
LGBT people from feeling completely alone and disconnected.

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(↑Members from Nijimai. An LGBT group based in southern Okinawa,
they meet once a month and sold social events where they talk
about love, romance, a variety of issues. )

At a booth where “partnership certificates” were presented,
one same-sex couple stood out. Married ten years ago in Canada,
a lesbian couple of two ladies--one American, and one Japanese
—were raising their 2-year-old son in Okinawa.

However, it seems that they’ve been thinking of leaving Japan
in the future for the sake of their child. With that, I realized
the necessity of firm legal protections for same-sex couples
in Japan, too.


The Talk of the Town: A Homecoming Wedding

As the event came to a close, guests were treated to a full-blown
homecoming wedding ceremony between Kazuki Kinjo and
Harold Chaput, who were married officially in Canada 10 years ago.
However, they had never celebrated before in Kazuki’s native Okinawa,
nor in public.

Funds for this event were gathered via crowdfunding, and it was only
through the efforts of 117 donors that this dream was made possible.

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(↑Harold glances assuringly at Kazuki as he goes through a moment of
nerves. The two looked so happy that day.)

The two appeared on stage all decked in custom-made white dress
shirts and shorts. Hundreds of participants nestled up to the stage to
give the happy couple their blessings.
There was so much to be moved by: countless people were brought
to tears either by the signing of the marriage declaration, the trading
of the traditional Okinawan sugarcane-dyed scarves, the messages
delivered from Kazuki’s younger brother, or the tossing of the
bouquet (two same-sex couples caught them).

Looking at this happy scene, I have no doubt that a great number of
same-sex couples wished that they, too, could have had this same sort
of joyous celebration of their own partnerships. Events like these only
serve to embolden and encourage LGBT people to believe that they,
too, can be happy in the future.

Nothing was yelled out loud or screamed for the world to hear,
but just the sight of Harold and Kazuki’s happiness was
the strongest message out there.

Following the ceremony, Kazuki also commented in his own words:
“I was so happy to be able to come home to Okinawa and celebrate
my tenth year of marriage with a wedding ceremony in front of
so many members of Okinawa’s LGBT community. Marriage isn’t
the only way to happiness, nor is “happiness” marriage’s only,
ultimate goal. But I’d like for same-sex marriage to be an option
in the lives of LGBT people. Being unable to marry and choosing
not to marry (despite being able to) are completely different, you see."

With high spirits abound, the event concluded with Pink Dot’s
participants gathering in a final commemorative photo,
which you can see above.


Success! But much remains to be done…

As an event, Pink Dot Okinawa as a huge success, but to realize
the dream of making a truly LGBT-friendly society will take
a great deal of work. In that vein, I asked Pink Dot's co-representative
Ms. Miyagi what she felt was necessary, and what average people
could do to contribute.
 
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(↑Co-representative Yuka Miyagi, with the event's mascot, Pinkmaaru.)

It was only until last year that Ms. Miyagi was active in the LGBT-rights
scene in Japan. Though she had interest in participating, it was only
until she became Pink Dot’s co-representative that she became
fully aware of what was at stake.

MIYAGI: "This year, we've been doing a lot of in-person talks and
lectures. I've realized that we really have to start with the basics:
things that are really obvious to me and other LGBT people are not
quite so to others. The truth is that I often feel like a lot of straight-
people in Japan are completely oblivious to the existence of LGBT
people.”

But with Pink Dot, things are completely different because the people
who show up generally have a good understanding of the community
and what it faces. You almost jump back in shock. But it's precisely
because of this large berth that there's this great need to educate
the public.

It's not just simply a matter of bringing about awareness, either.
As Ms. Miyagi pointed out, her greatest fear involves the future.
As she gets older with her partner, the likelihood of medical trouble will
only get bigger.

MIYAGI: “When I made a public coming out as a lesbian through
a newspaper article last year, I was soon hospitalized and underwent
surgery. I had to present my partner and say, "Please entrust her with
full authority. If something happens, make sure to contact her."

Many same-sex couples face the same problem if one partner gets sick.
Typically, their partners are not able to hear what's wrong from doctors,
or are barred from making treatment decisions. In cases where
partners and family members don’t get along, loved ones can even be
denied visitation rights.

No matter how long a couple has lived together and shared a life,
the truth is that there are no protections at all in Japan.
As Ms. Miyagi explains, "hospitals and other healthcare provides
absolutely need to be aware of LGBT issues. Most places, I think,
have absolutely no coordinated way of handling LGBT partners. It's
definitely an issue that needs to be addressed.

As someone with chronic illness who spends considerable time in
hospitals, such an issue plays a huge role in Ms. Miyagi's life. I'm
sure, however, there are a great number of other LGBT people
who face the same set of circumstances.


How to Make an LGBT-Friendly Society

"When you start getting involved, you realize that there's so much
to be done"--speaking further with Ms. Miyagi, I asked what we could
do in order to help make the dream of an LGBT-friendly society a
reality.

MIYAGI: “I don't know if the word 'always' here is appropriate
or not, but I’d like more people to always be aware that LGBT
people are out there", she said, "But how to do this in a more practical
sense?", I asked.

MIYAGI: "There are a lot of negative words that are still used towards
or concerning LGBT people these days. I think it's incredibly important
to make sure to avoid offensive stereotypes and language.
But the problem here is that they often come out on television,
so people end up thinking it's totally okay to use them."

Indeed caution is necessary when using words that typically come out
on Japanese television (like onee, homo, or rezu), because they have
strongly offensive and discriminatory nuances. (In general, it's often
better to use the words that LGBT people actually use, like gay
instead of homo, or lesbian or bian instead of rezu).

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(↑The people here all have different sexualities. The same can be said
of people everyday!)

MIYAGI: "In a lot of our public talks and lectures, I also hear some
people who say, 'I'm normal, but I have LGBT friends.' And I have
to think, what the heck do you mean by 'normal'? The opposite
of 'normal' is 'abnormal'.

As a word that people tend to use every day without much of a thought,
"normal" has the potential to hurt not just LGBT people, but any
member of a minority.

That said, it’s not just a matter of being careful with our words.
As Ms. Miyagi continues, it’s also important to realize that an LGBT
person may be right next to you.

If we just imagine an LGBT person is within our social networks,
she suggests, we might all be a little bit more inclined to be careful
of what we say.

Though she feels some unease at the reality of LGBT life today in Japan,
Ms. Miyagi is extremely happy with the success of Pink Dot Okinawa's
2nd Year. 

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(↑Ms. Miyagi announcing the start of festivities. The "Dot" that was born
last year became a circle, she said.)

MIYAGI: Pink Dot’s success is apparent in the wide variety of people
who attend: this time, we didn’t just have LGBT people themselves,
but last year’s participants, and people who came all the way
from the mainland and overseas just for Pink Dot. Ideally, I'd love for
this circle of activity to spread far beyond just Okinawa.

As I write, the environment that LGBT people face is rapidly changing
the world over. While problems remain, the reality is that there are
significantly more places in the media where LGBT issues get coverage.

Aside from Pink Dot itself, Tokyo’s Rainbow Pride Parade 2014 was held
this year during Golden Week. Prime Minister Abe's wife even
participated, rawing the attention of both the Japanese media and myriad
foreign observers.

However, with regards to the daily lives of LGBT people—at school,
at work, or at home—the reality is that many people lack a basic
understanding that an LGBT person may be right in front of them
or right next door. As a result, working towards making LGBT
awareness a part of daily life still seems to be the greatest
challenge ahead in Japan.

Thinking back at all the people at Pink Dot Okinawa smiling,
having fun, and being at ease, I hope from the bottom of
my heart that this sort of joy can spread the world over.
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# by hideki_sunagawa | 2014-09-23 15:03 | LGBT/gender
2014年 06月 26日

すごいんです!ピンクドット沖縄!

誰も言ってくれないので代表自ら言いますw ピンクドット沖縄、プレイベントから本番の集会、アフターの充実ぶりは、すごいのです!


▼ジョージ・タケイさん講演会!

なんと、6月2日には、ハリウッドで最も成功した日系人俳優と言われる、ジョージ・タケイさんの講演会がおこなわれました! 彼は、最近はオープンリーゲイの活動家としても非常に有名で、ここ数年、ますます活躍の幅を広げています。この講演会は主催は、在沖米国総領事館で、ピンクドット沖縄は後援をし、当日の会場スタッフもつとめました。

タケイさんからピンクドット沖縄に動画のメッセージもいただきました!→YouTube上の動画

そして、ピンクドット沖縄のメンバーとの会食も実現。とっても素敵な会となりました。

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▼上川あやさん講演会!

上川あやさん(世田谷区議会議員)の講演会が6/20、交流会が6/21にありました(講演会は、琉球大学法務研究科主催、ピンクドット沖縄共催)。彼女が話してくれた、具体的に行政や司法に働きかけていく方法はこれから役に立つものだと思ったし、また、自分が動くということをめぐる心理的な葛藤とそれを乗り越えて行く過程の話には、心動かされて何度も涙が…。

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上川あやさんの交流会では、東京から来てくれた「料理教室めざめ」の坂本ゆいさんが料理を担当。また、翌日にはdEfさんのDJつきで、坂本さんの料理教室&パーティー。こんな贅沢な会はなかなかないなぁ、と幸福感でいっぱいでした。


▼メイン集会「ピンクドット沖縄ギャザリング」

ピンクドット沖縄のメインは、7月21日(月:海の日)のテンブス館前広場での集まり。舞台上では、那覇太鼓さん(エイサー)、ロビンソワさん(ドラァグクィーン)、Dugong Dugonさん(アカペラグループ)、響子-hibikiko-さん(歌手:ギター弾き語り)、比屋定篤子さん(歌手)の演奏がありますが、今年の新しい試みは、なんといっても、ゲイカップルの「里帰り挙式」です。

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クラウドファンディングで可能になったこの企画、協力くださった皆様の応援コメントを読むだけでも、力づけられます。本当に、みなさまご協力ありがとうございました。必ずや、すばらしい式にいたします。

そして、なんと、この挙式に関心を持ってくださった、Marriage Equality USA という米国でも最も古くから結婚の平等化(同性間の結婚の承認)を求めて活動してきたグループのリーダーである、ゲイカップル John Lewis さん& Stuart Gaffney さん が、ピンクドット沖縄を訪れ、挨拶をしてくれます。彼らは、カルフォルニア州で同性間の結婚をめぐって裁判を起こした原告でもあります。会えるのが楽しみです。

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広場では参加型のワークショップも用意しています。同性カップル証明書も昨年に引き続き、発行する予定です。ぜひ記念に!


▼桜坂劇場レインボー・シネマ・ウィーク

協力イベントもすばらしく充実しています。既に、5月に桜坂劇場&ピンクドット沖縄コラボとして、映画「チョコレートドーナツ」をめぐるトークがありました。歌手のEPOさんと私がトークさせていただきました。

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そして、さらに、7/19(土)-8/1(金)にレインボー・シネマ・ウィークと題して、5つの作品を上映してくれます。これは、もうちょっとした映画祭ですよね。7/20には、僕が「人生はビギナーズ」の後にトークをさせていただきます。

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▼ピンクドット沖縄セミナー

今年は、セミナーと称している講演会も豪華です。「変える、ひらく」シリーズと位置づけて、それぞれに「変える、ひらく」と題しています。

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7/6(日)は、山城紀子さん(ジャーナリスト)&琉球新報/沖縄タイムス現役記者[ジュンク堂書店那覇店にて]、7/18(金)は 田中かず子さん(元国際基督教大教授)なは女性センターにて]、7/19 (土)は星野智幸さん(作家)GRADiにて]、7/20(日)は楠原彰さん(國學院大名誉教授)[GRADiにて]。

大好きで尊敬している皆さんに参加いただけることになって、とてもうれしいです。特に、以前から沖縄での講演会を実現したいと思っていて、まだ実現していなかった星野さんや楠原さんの講演会(と言ってもGRADiという小さいスペースでのものなので、申し訳ないのですが)ができることになって感無量です。

セミナーは、無料のものと有料のものがありますので、詳細はサイトでご確認ください。


▼ナイトイベント

もちろん、ナイトイベントも充実! 前夜祭として、ゲイ向けには昨年に引き続き「ガチムチディスコ」さんが来てくださいます。今年は、あえて狭いスペースで開催。ギューギューを楽しみましょう。

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Women's onlyのイベント「80s Music Party "Hot Dog de DISCO"」も、協力いただいているミックスのイベント「LEGEND loves PARTY」もあります!

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▼若者のミーティング、LGBTの家族のためのミーティング

そして、「Over the Rainbow」が企画運営してくれている、ピンクドット沖縄が共催の「LGBTユースミーティング」が7月19日(土)13:30-16:30「なは女性センター」であります(無料、予約不要)。

さらに、沖縄で初となる、「LGBTの家族ミーティング」(LGBTの親やきょうだいのミーティング)が7月20日(日)10:00-12:00、ピンクドット沖縄ギャザリング会場近くで開催します(詳細はお問い合わせください)。参加費は無料です。

gradi★me.com(★を@に)/098-866-1370


▼アフターもふたつあるよw

7月21日、アフターパーティ(1) は、食事したい人向けで、17:30-19:30「沖縄料理居酒屋 わらゆい」(テンブス館向かい)/参加費:2,500円。

アフターパーティー(2) ドリンクのみでいいという人向け。18:00-21:00「REHAB」でおこないます。ワンドリンク以上オーダーしてください!DJつきです(DJ:dEf)

★★★そして!★★★
6月28日(土)13:30〜16:00(なは女性センター)ボランティアミーティングがあります!当日の開催をボランティアとして手伝ってくださる方、大大大募集! 関心ありつつ迷っている方もどうぞ!


もろもろ、詳細は、http://pinkdotok.jp/ を確認してねー。

寄付もよろしくお願いします!http://pinkdotok.jp の右側にpaypal経由でカードで寄付ができるカートがあります。
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# by hideki_sunagawa | 2014-06-26 13:23 | LGBT/gender
2014年 05月 28日

「宿題」に生かされる

READYFOR?というクラウドファンディングを使って資金集めをしていたプロジェクト「同性カップルの『里帰り結婚式』をピンクドット沖縄で実現したい」は、おかげさまで、目標達成額を越えました。皆様のご支援に心から感謝申し上げます。ありがとうございます(まだ支援募集中です)。

先日、「里帰り結婚式」の主役であるゲイカップルのお一人、沖縄出身の金城一樹さんのお母さん、弟さんにピンクドット沖縄共同代表の宮城、実行委員の小渡と一緒にお会いしてきました。今回は、そのときのお話を…

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▼里帰り挙式の意味

弟さんとは何度かFacebookを経由してやりとりがあったもののお愛するのは初めてで、お母さんとはまったくやりとりをしたことがなかったので、お会いするまでとても緊張していました。

しかし、率直にご自身の気持ちを語られ質問してくださったお母さんと会話をする中で、緊張を忘れるような熱い気持ちに。

まず僕から、お母さんに、今回のプロジェクトの始まった経緯やその意義等についてご説明。

挙式を挙げる一樹さんと私とは直接お会いしたことはないけれど、同じ沖縄で思春期を過ごしたものとして(時代は違えど)、そこに住む同性を愛する人、同性のパートナー/恋人がいる人たちに希望を与えたいという思いを共有していると。

一樹さんが、沖縄に住んでいる頃にラジオを通じて知った、同性パートナーと米国で(結婚して?)住んでいらっしゃる沖縄出身のゲイの方の存在に励まされたとおっしゃっていたこと、今度は自分がその番になることを考えていらっしゃるのだろうということについても伝えました。

そのラジオの方は、仮名での出演で、スタジオでもできるだけ顔を合わせないように工夫されたものだったとか。今度は、一樹さんが実名で登場し、パートナーと皆の前で挙式をあげる…その意味をお母さんは理解してくださったように感じました。


▼お母さんのお気持ち

お母さんは、自分が一樹さんのこと、ハロルドさんとの関係を受け入れられるまでに時間がかかったことも話されていました。今も時折、「世間」のことを考えて揺れることも率直に語ってくださいました。

それに対して、私は、「ゲイやレズビアンなどの当事者も自分のことを受け入れられるのに十何年、あるいは二十何年も(あるいはそれ以上)かかります。伝えられた側も同じだと思います。また、同性愛を笑い、嫌悪する言葉をたくさん見聞きしてきた以上、『当事者』でも、心のどこかに同性愛を否定する気持ちが取り込まれているんです。揺れて当然です。」と答えました。

お母さんの揺れる気持ちを聞いていた宮城は、「自分の母親もいろんな気持ちがあったんだろうなと思うと…」と込み上げるものを押さえ切れずに、声を詰まらさせて涙を拭っていました。彼女も、昨年、ピンクドット沖縄後に新聞にレズビアンとして登場し、それをきっかけにお母さんにカミングアウトしていたので、そのことと重なったのでしょう。


▼弟さんの言葉

そんなやりとりをじっと真剣な、しかし温かいまなざしで見ていらした弟さんでしたが、お母さんから「何か聞いておきたい事ある?」と聞かれて、ある思いを語ってくださいました。それは、「質問というより、お願いがあります」という言葉で始まりました。そしてこう続けられました。


「母のような人は、マイノリティの中のマイノリティだと思うんです。LGBTは、仲間と出会うこともできますし、これから10年先にはにだいぶ状況も良くなるでしょう。

でも、親は同じ立場の人に出会い、つながることは難しいです。母も一人で抱えて大変だったと思います。相談できる人もいなくて。

だから、今回のことも含めて、自分たちの経験を、周りの人たちが受け止めいく経験をなんらかの形で他の同じような人たちに伝えていく方法を考えて欲しいんです。自分たちの経験を活かしてください。」


かみしめるように、真摯に心の底から出て来るようなその言葉に、それまでこらえていた涙がが僕の頬を伝いました。以前から、お兄さんを支えようとする弟さんのお気持ちに感動していたのだけれど、弟さんが、お兄さんやお母さんと同じような立場の人たちのことまで考えていらっしゃったこと、そのために自分たちの経験を約に立てたいという思いに心が揺さぶられました。


▼宿題として

僕は、「自分たちの経験を、他の同じような人たちに伝えていく方法を考えて欲しい」というその言葉に宿題をもらったという気がしました。

どのように今回のことも含め、金城さんのご家族の経験を活かし伝えて行くことができるのか…。以前から、LGBTの家族のことが気になっていただけに、そろそろそのことをめぐって本格的に動く必要があるかもな、と思いました。

そして、その宿題を与えていただいたおかげで、「まだ生きなければ」という思いも。

実は、僕は常に「死」への意識が頭にある者です。それは、これまでまわりで若くして亡くなる人が少なくなかったことから、「人はいつ死ぬかわからない」という意味でもあるけれど、ベースに自殺念慮(というより生きる事を放棄したくなる思い)があるという意味ででも。

僕を愛し支えてくれる僕にはもったいないくらいのすばらしいパートナーがいて、一緒に活動をする信頼する仲間たちや様々な場面で支えてきてくれたありがたい友人たちもたくさんいて、自分の理解してくれる家族がいるにも関わらず、なぜかそうなのです。その理由はわからないけれど。

経済的な問題のせいかもしれないし、幼い頃からの様々な体験(ゲイであることに由来することも含め)のせいかもしれないし、あるいは、大切な友人を失った経験からかもしれません。おそらくそれらの混合か…。

時期によってもだいぶ違うのだけれど、最近は、また、いくつかの問題からまたヤケになる気持ちが高まり、そのような思いが強まることが少なくない時期だったりもします。そんな中、弟さんがくださった宿題に、生き続けるようにと言われたような気がしました。


▼宿題に生かされる

僕は、その言葉を通して、「お願いがあります……生きてください」と言われたかのようにすら感じました(そう感じたということは、生きることを放棄したい気持ちとともに、当たり前だけれど、常に「生きたい」という思いもあるということと思っています)。

思い返してみると、いつも「宿題」に生かされてきたようなところがあります。「このイベントを成功させるまでは」「このことを成し遂げるまでは」「いろんな人たちからの支援に応えるまでは」…等々。

それでもなお、いつか「もうダメ」と立ち止まり人生から降りたくなるときが来るのではないかという不安もあるけれど、でも今は、そのいただいた宿題をこなすことを目指して「今日一日、明日一日」と言い聞かせて歩んでいこうと思っています。

その一日一日を支えてくれている皆に感謝しつつ。そして、その先まで生きるための宿題をもらえたことにも感謝しつつ。


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# by hideki_sunagawa | 2014-05-28 11:02 | Diary
2014年 05月 25日

「人生は旅行」

今日、5月25日は、新宿二丁目振興会・初代会長だった川口昭美さん(享年50歳)の命日だ。2002年に亡くなったので、丸12年、13回忌となる。

川口さんは、僕が2000年に東京レズビアン&ゲイパレード(後の東京プライドパレード)を始めたときに、それを機に二丁目でも何か…という僕の提案を大きく展開してくださって、東京レインボー祭りを始めた方だ。また、二丁目を早い時間から楽しめる街にしたいと始めたのがカフェレストラン「CoCoLo cafe」を開店されたりした。

当時、僕は、レインボー祭りの実行委員会にも参加させていただき、一緒に警察への交渉にも赴いた。そのような付き合いの中で様々な話をし、いつも励まされていた。

それ以前の東京のパレードは二丁目との関係が薄かった。僕はそれを近づけたいと思って昭美さんや、ゲイビジネスを展開されていた方々に相談し、昭美さんがそのお一人として大きな力を発揮してくださった(ほかにも、バディさんやGメンさんといったゲイ雑誌の大きな後押しもあり、またお店として協力してくださった方々などたくさんの方がご協力くださったおかげで、パレード&レインボー祭りは大成功となった)。

そのときに、そのような結びつきが生まれなかったら、パレードはかなり違ったものになっただろうし、レインボー祭りのようなものが生まれるのもだいぶ後になったことだろう。今でこそあって当たり前のような祭りも、それを始めるのにはどんな苦労があったろうか。

明るく豪快に笑い、感情を率直に表現する昭美さんに魅了された人は多い。昭美さんが、所轄の警察で言われたひどい言葉に対して「そんな言い方ないんじゃないですか!」と怒っていたのを思い出す。ミーティングでも率直に自分の意見を言い、他のメンバーと激しく議論をすることもあった。でも、やはり、最終的にはその豪胆さで、人々を引っ張った。


…あ、今年の僕は、昭美さんがレインボー祭りをおこなった歳と同じ歳だ。でも、いつまでも昭美さんは、僕にとっての大先輩。とても親しく付き合わせていだだけるようになってから別れまで数年しかなかったけれど、出会えたことは本当に幸せなことだったと思う。

彼は、『パレード 〜東京レズビアン&ゲイパレード2000の記録〜』の座談会の中で、伏見憲明さんの語った「レインボー祭りもそうだと思うけれど、パレードもどう楽しむのかっていうのがベース」という言葉を受けて、このように語っている。「やっぱり思い出づくりよ。人生は旅行だと思うの、本当に。旅よ、ウン。」

昭美さん、僕は旅の途中にあなたと出会え、一緒に思い出をつくることができたことに感謝しています。そして、今もその思い出の中のあなたの笑顔と言葉に励まされています。ありがとうございます。

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(『パレード 〜東京レズビアン&ゲイパレード2000の記録〜』ポット出版、より)

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# by hideki_sunagawa | 2014-05-25 11:05 | LGBT/gender
2014年 05月 01日

母親の言葉

沖縄タイムスで30年間記者を務められた後、フリーのジャーナリスト/ライターとして活躍されている山城紀子さんが、『季刊セクシュアリティ』という雑誌で、ピンクドット沖縄や私をめぐる話を書いてくださった。

主な話は今年の2月14日にジュンク堂書店那覇店で開いた「誰もが誰かと一緒に歩けるように」というトークセッション(僕と僕のパートナーやピンクドット沖縄共同代表の宮城のトーク)についてだが、終わりの方で、僕の母親へのインタビューが掲載されている。

僕がゲイであることを受け入れるのにずいぶんとかかったけれど、僕がパートナーを紹介し、何度か一緒に食事をしたり、また、僕が東京で大きな手術をしたときにそばに彼がいてくれたことを知る中で気持ちが変わったという話が書かれてあった。

自分がゲイであることについてどう思っているか改めて母親に聞いたことはなかったこともあり、読んでいて色んな思いが去来し、胸が熱くなった。

しかし、僕が込み上げるものがこらえきれなかったのは、僕がゲイであることと直接的には関係のない、次の部分だった。

ーーー
その日砂川さんの母・博子さん(78)はあるエピソードを紹介してくれた。「忘れもしない、秀樹が小学校3年生ぐらいの時、集金の人が来たのだけれどお金の準備がなかったものだから息子に『お母さんはいないと言ってくれ』と頼んだんです」。そう言って苦笑した。秀樹さんの表情は明らかに困惑し、返事はなく、しばらくして「なぜ、うそをつくの?」と嫌がった。「とっても正直な子なんですよ。子供の頃から」。
ーーー

なぜこのエピソードに涙がこぼれたのか正直わからない。僕自身はすっかり忘れているそんな小さな頃のことを覚えてくれていることにだろうか。母親が自分のことを「正直な子」と思っていたと初めて知ったからだろうか。そのことと、自分がゲイであることをカミングアウトし、オープンにし生きていることを結びつけて理解してくれていたと知ったからだろうか。

あるいは、お金がなくてとても苦労していた親のウソを責めるような態度をとったことへ心の痛みだろうか。

この掲載誌を届けてくれた山城さんに「こんなエピソードを語ってたんですね、僕は全然覚えてない…」と言ったら、「博子さんは、そんな正直な秀樹さんにウソをつかせたりしたことに今も胸を痛めてるって言ってましたよ」と。

母親と僕は、あまりにも世界観が異なるゆえに(ある意味で持っている「言語」も全く違うがゆえに)、つながり得ない面の大きさばかりを感じて来たけれど、ようやく母親と何かが結びついた気がした。きっと、そんな母親の思いは、山城さんがインタビューしてくださらなかったら知る事はなかっただろう。

山城さんのこの連載のタイトルは「沈黙の声を聴く」。そのタイトルは、これまでマイノリティが語ることができなかったことを主に指しているのだと思うが、僕にとって、今回の記事は、まさに母親の沈黙の声を聴くものとなった。

そんな機会をつくってくださった山城さんに心から感謝したい。そして、もちろん、これまで他人の問いに答えて自分の気持ちや考えを語るという経験がなかったにも関わらず、このインタビューを引き受けてくれた母親にも。




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# by hideki_sunagawa | 2014-05-01 21:26 | Diary
2014年 04月 23日

祝福を

調査と実感の間にあるギャップ

最近、LGBTに関する講演で話をするとき、LGBTに関する社会調査の結果と、当事者の実感のギャップについて話すことが多い。

そのギャップとは、LGBTが自殺傾向が高かったり、メンタル的な問題を抱えがちという研究や臨床の現場の実感がある一方で、多くの当事者は「日本では差別はない。自分は悩んでないし、このままでいい」と口にするというものだ。その実感は「ウソ」ではないと思う。

では、そのギャップの間に何があるのだろうか。僕は、大き分けて、次の三つをあげる。

まず最初に、より恵まれている条件(心身のタフさや、経済状況、人間関係の良好さ等)を持っている人は、社会的な抑圧があっても大きな問題が起きにくく、それを感じにくいこと。二つめは、抑圧状況に慣れていて、それが当たり前だと思っているということ。そして、三つめに、心理的否認が働いていること、だ。

だが、感じていないからといって、社会的な抑圧による問題が生じないということではないのだと思う。継続して負荷がかかり続けたり、小さな傷(小さ過ぎて気づかない程度のものでも)が日々つき続けると、何かの問題(失業や、大きな失恋や、大事な人の死、仕事上の大きな問題、病気など)が起きたときに、金属疲労のようにポキッと折れてしまうのだと思う。

そして、それらの直接的原因は、LGBTとしての問題ではないことが多いがゆえに、その問題とは関係ないかのように見えることだろう。しかし、その土台には、属性と関連した負荷がかかり続けたこと、傷を負い続けたことがあるがゆえに、調査すると属性と関連した形で、先のような調査結果がでるのではないだろうか。


思い出す仲間たち…

僕は、悲しいことに、これまで多くのゲイの友人たちが様々な問題に苦しんでいるのを目の当たりにしてきた(もちろん、自分も色んな問題に煩悶することも多い)。彼らは、基本的に、それぞれの時点ではゲイであることを「悩んで」いたわけではない。

しかし、何かの話の中で時折出て来るのは、幼少期に女っぽくて揶揄されたこと、いじめられたこと、家族の中で疎外感を感じて来たことといったことだったりする。あるいは、本人は、自分がゲイであることと結びつけて考えていないが、外から見ると、どうしてもゲイであることと、その人が抱えてる問題がリンクしていると思わざるを得ないこともたくさんあった。

「LGBTがより生きやすい社会だったら、あの人は、あんな亡くなり方をしなかったのではなかっただろうか…」と思う人は一人や二人ではない。また、後に残されたパートナーが、社会的に正式に認知されていないがゆえに、辛い経験をしているのも何度も見てきた。


希望を

「このままでいい」と自分のことに関して思う人でも、「愛する人や大切な人にはできるだけつらい思いをさせたくない」とか、「これからの若い人たちにはできるだけ夢や希望を持って生きていって欲しい」と思う人も少なくないはず、と僕は信じている。

僕が、クラウドファンディング「READYFOR?」で、「沖縄で同性カップルの里帰り結婚式をあげ、日本でもっとLGBTや同性カップルが認められるようにしたい!」というプロジェクトを出したことも、そのような思いとつながっている。

[クラウドファンディングとは、ネット上で寄付を募るもの。「READYFOR?」は、設定金額に達するとその寄付金が受け取れ、到達しないと受け取れないという仕組み(支援者はクレジットカードで支払い手続きをし、設定金額に達した場合には課金され、達しない場合には、課金されない)]

もちろん、一樹さんとハロルドさんという素敵なカップルを祝いたい!というシンプルな願いも強い。

けれど、土台には、「彼らの結婚式を皆の前で挙げられたら、どんなに多くの人に希望を与えるだろう?」という思いがある。

もちろん、幸せの形は、パートナーがいることだけではない。しかし、同性カップルを応援するために全国の(そして海外からも)多くの人が資金を出し合い、皆の前で祝福されることは、とても大きな象徴的な意味があると思う。

ある意味、そのときに祝福されるのは、彼らだけではないと思う。そこで祝福されるのは、同性に恋をした経験がある者であり、同性に性的な思いを抱く者であり、同性の恋人/パートナーを持つ者であり、同性のパートナー/相方と共に生きている人、生きた人、そして、そういうことがこれからあるかもしれない人なのだ(つまり、私自身も含まれる)。そして、性的指向や性自認をめぐりマイノリティである者たち皆、さらには、そのような人たちのそばにいる仲間たちも。

この挙式が実現するときに、私は、先に書いた、苦しんだゲイの友人たちのことも思い出し、彼らが生まれ生きたこと/生きていることへ、感謝の思いを込めた祝福の言葉をかけるだろう。ありがとう、一緒に生きてくれて、と。


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# by hideki_sunagawa | 2014-04-23 21:45 | LGBT/gender
2014年 04月 11日

お守りを届けたい

ふと、ブログに移行する前の、自分でhtmlで書いていた頃の過去の日記の4月を読み返してみた。

12年前(2002年)の4月は、新宿2丁目のフィールドワークをしながら、なんとなく後ろめたいものを感じて、調査そのもののあり方に迷っていた。

10年前(2004年)には、イラクで起きた日本人人質事件をめぐって、世の中の「自己責任論」に怒っていた。そして、500人を越える登録者のあった大学の授業の対処におわれていた。

そして、8年前(2006年)の4月6日の日記には、HIV/AIDSの問題にかかわる人たちが入っているメーリングリストJ-AIDSで、男性同性間のHIV感染をめぐるやりとりに関する話を書き記していた。

それは、僕も参加しつつ男性同性間のHIV感染についての議論を重ねる中で、自尊感情や孤独感とリスキーな行為の関連に話が至り、その流れである人が以下のように書き綴ってくれたということについて。

ーーー
ぷれいす東京の「SAFER SEX GUIDE BOOK」のことで砂川さんを存じ上げている、と書きました。 当時(十数年前でしょうか)、私は地方で家族と同居していて、全く偶然にそれを偶然知り、郵送をお願いしたのです。 中にワープロの案内文が入っていて、丸っこい字で「砂川秀樹」とサインがありました。

ゲイのための雑誌を買うにも、バスで一時間もかかるような田舎に住んでいた私には、どれだけ心強いものだったことか。 初めてゲイコミュニティからのシグナルと接触した証が、それだったんです。「お守り」でした。

知りたかったのはHIV/AIDSのことだけではなく、自分が一人ではないこと、この世の中には叡智のようなものがちゃんと息づいていること、だったんだと思います。あなた方が発信していたのがそういうものなら、ちゃんと受け取ってましたよ。

未だにその封筒ごと、大事に持っています。当時の、田舎のガキに過ぎなかった自分が抱いていた切望まで鮮明に思い出すので、捨てられない。ある時期を確実に支えてくれた、冊子でした。
ーーー

ぷれいす東京が始まって間もなく、イギリスの基金に申請していただいたお金で、ゲイ/バイセクシュアル男性を対象とした、セーファーセックスの冊子を作った。男性同士の性行為を表現した写真を大胆に使ったものだった(おそらくそれ以降もそのよれに匹敵する明確な性表現の写真を使ったHIV啓発冊子はなかったように思う)。その冊子について彼が語ってくれた言葉だ。

それをそんな風に受け取ってくれて大事にしてくれてたんだなぁ、と、当時、その文章を読んだ僕は胸を熱くし励まされたのだった。


今ではネットなどを通じて肯定的な情報を得やすくはなっているだろう、同性を好きな仲間や恋人との出会いも簡単になっている。それでもなお、自分が同性が好きだと気づいた時、悩む子は多いと思う。そういう子たちに(「子」じゃなくてもいいのだけれど)、何か、お守りになるようなものを届けていきたい、と、この日記を読んで改めて思った。

それは、ネットを経由した言葉や情報という形かもしれない。しかし、やはり何か手元に形として残るモノをつくっていきたい気もする。昨年、ピンクドットに参加してくれた人に渡したリボンのような、簡単なものでもいいかもしれない。

いずれにせよ、性的指向や性自認にまつわることで悩んでいる人たちへ、お守りを配り届けるような気持ちで活動していくというイメージは、私たち(ピンクドット沖縄で一緒に活動している仲間たち)にはとてもしっくりくるような気がする。


[追記…実は、2006年4月は今のパートナーと出会った月。なので、その月の日記には、そんな話もちらりと登場しているという(笑)]

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# by hideki_sunagawa | 2014-04-11 01:29 | Diary
2014年 04月 10日

寄り添う言葉

前回に引き続き、言葉をめぐって。

今日、琉球新報で新しく始まる「私の鑑(かがみ) ぬくもり便」というコーナーのためのインタビューを受けた。「人生の転機となった場面で受けた温かい助言や指導を振り返ってもらう」というものらしい。

事前に電話で取材依頼を受けたときに「人生を変えた、とか、大きな影響のあった言葉ってありますか?」というようなことを聞かれ、「考えればあると思います」と言って受けた。しかし、取材の前日に改めて考えをめぐらしてみると、記事化するのにふさわしいものがあまり思い浮かばないことに気づき、焦った。

一つ思い出したのは、中学生のときに親友に初めてカムアウトしたときのこと。自分が男性が好きであるということを伝えたとき、彼は「いいんじゃないかなー」と言った。その言葉は淡々としていたけれど、いつも淡々としている人だったので、同じ調子で言われたことにほっとした記憶がある。

それがもし否定的な言葉だったらどうだっただろうか?と思う。最初のカムアウトにつらい言葉を返されていたとしたら、僕の自己受容はもっと時間がかかったかもしれない。

しかし、この言葉はちょっと紙面化しづらいこともあり、記事には、大学院に入る面接試験のときに、後に指導教官になる先生から言われたときのことが掲載されることになった(これは、掲載されてからまた報告を)。


そして、この取材のために自分のこれまでを振り返って、自分がつらいとき、悲しいとき、苦しいときの時のことを思い出してみた。一人で煩悶し泣き叫んだこともたくさんあったし、夜に、大きな国道にかかる歩道橋から行き交う車をしばらく見つめていたときもあった。

しかし、それ以上に、つらいときに誰かがいてくれたことをたくさん思い出した。実際にそばにいて、手を握ってくれた人もいたし、ただそこにいてくれた人もいるし、電話ごしに話を聞いてくれた人もいる。そのときの言葉は、「そうか…」「そうなんだ…」「それはつらいね…」というシンプルなものだったりする。

意外と人生を大きく支えてくれたり、変えてくれたりするものはそういう言葉が多いのかもしれない。そのような言葉は、そばにいるということを伝えるもののような気がする。感情的に一致することはできないけれど、その気持ちに寄り添っているということを伝える言葉。

だから、逆に、音声として口に出さなくてもそばにいるだけで支えられるときがあるのだろう。寄り添ってくれていると感じられるあり方で側にいてくれたら、それは十分に寄り添いの「言葉」だ。ここで「言葉」という表現を使うのは、やはり、ただそこにいるのではなく、寄り添っていると伝えようとすることに大きな意味があると思うから。


そうやって、いろんな場面でいろんな形で寄り添いを伝えてくれた人が自分の人生の様々な場面にいたことを思い出す。だから、こうしてこの年まで生きて来られた。ほんとうに自分の生には、いろんな人が溶け込んでいるんだなぁ、と改めて思う。
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# by hideki_sunagawa | 2014-04-10 18:15 | Diary
2014年 04月 05日

ある/ない、ではなく、つくる

▼恩師の言葉

大学院に入ってすぐ、僕の指導教官でもあった先生が授業でおっしゃった言葉がずっと頭に残っている。「意見をたずねられて、『ありません』と言う人がいるけれど、意見は、あるかないかではなく、つくるもんなんです」。

そのときの僕には思いも寄らぬ表現だったけれど、とても納得するものでもあった。だから、自分も大学等で教えるときには、「大学院の時に言われた言葉だけど…」と必ずこの言葉を伝えている。

僕は、幼い頃から、自分の意見を言うことが多いタイプの子ではあった。意識することなく意見が言語化されることが多かったので、そこに「あった」ように感じてきた。しかし、それでもやはりそれらの意見は、つくられたものだ。

つくる/つくられた、というのは、もちろん捏造という意味ではない。自分の中にある埋もれているものを見つけ出したり、曖昧なものに形を与えたりするということだ。あるいは、対象(モノや事象)と自分を結びつける作業と言えるかもしれない。


▼意見を求められること

面白いもので、意見を言うようになると、人々は意見を求めるようになる。だから、いっそうそういう人は意見をつくる機会が増える。それを繰り返しているうちに、「意見がある」人のようになっていくのだろう。

僕は、もともと意見を言うタイプだったと書いたけれど、振り返り、「あの頃に意見をつくるレベルが高められたなぁ」と思う時期がいくつかある。大学院時代はその一つだが、その時よりも鍛えられたと感じているのが、大学院に入る前にあった。

20代の中頃、HIV/AIDSの活動を一緒する中で親しくなった大学院生が何人かいた。彼女たちは(そのほとんどは女性だった)、会う度に、何かに関連して自分の意見を述べた上で「秀樹はどう思う?」と尋ねてくれた。それは、僕にとって自分の意見をつくるいい訓練となった。


▼ほかのことも…

そして、最近、ほかにも、「ある/ない」で表現されやすいけれど、実はつくるものってあるんじゃないか、と思うようになってきた。例えば、動機とか、希望や願望とか、将来像とか。

つくるためにはエネルギーが必要なので、体調やら心調(?)やらに左右されることは前提ではある(そして、生育過程において方向付けられた態度や心性も大きく影響することも否めない)。しかし、ある/ない、という問題ではないのではないかと…。

動機は往々にして衝動と混同されがちだけだが、衝動と違い、理由づけられるもの、何かに関連づけられるものだと思う。僕は、時に辛い経験しながらもLGBTの活動を続けて来た動機を尋ねられることがしばしばあるし、自ら自分自身に問うこともある(後者の方が多いかもしれない)。

そのときに、誰かの存在や、何らかの社会的状況、自分の経験に結びつけていく。そうやって、動機をつくり続けてきたのだと思う。


▼希望をつくる…

希望も、私たちは「ある/ない」と語りがちだ。特に自分自身に関することは。もちろん、先に書いたように心身の調子の悪いときには、希望をつくり切れず、その状態を「希望がない」と表現するとすることはあるだろう。その言葉でしか表せない気持ちがあることは、自分自身のことを考えてもわかる。

しかし、希望がある/ない、という言葉だけで考えることと、それは希望をつくり切れない状態だと意識することの間には大きな開きがあるような気がする。回復の程度に応じて希望をつくろうと意識していると、少しでも調子が回復したとき、小さな希望をつくりだすことがしやすくなるかもしれない。

そして、希望と将来像はとても近い関係にある。実は、僕が今回、この「つくる」について書こうと思ったのは、このことについて書きたかったからだ。


▼同性愛者としての将来像

日本では、長らく同性を主に好きな人も異性と結婚をすることが主流だったために、同性愛者として歳を重ねて来た人の姿が見えづらい。本当は、長い間パートナーシップを続けてきたり、独り身でも仲間たちと楽しく過ごして高齢期を迎えて来た(いる)人たちがいるはずだが、なかなかその生き方が見えてこなかった。

それもあって、現在、異性との結婚という選択をしない同性愛者たちで、ある程度の年齢(中年期以降?)に差し掛かっている者たちの中に、漠然とした将来への不安を抱いている人たちが増えている。自分もそれが全くないと言ったら嘘になる。

そのとき、僕らは、将来像がない(あるいは、思い浮かばない)と言いがちだ。しかし、もともと将来像もつくるものではないか? たとえ、それが今の段階ではリアリティーを感じないものだったとしても(リアリティーもつくりあげていくものだと思う)。


▼同性婚やコミュニティ…

その将来像とは、同性婚を含む同性間のパートナーシップかもしれないし、困難を抱えたときに支えあうコミュニティかもしれない。単身者としての生き方かもしれない。

まさに、「私はこう生きたい」という希望は、ある/ないものではなく、つくるものだろう。…と、このフレーズを書いて、「こう生きたい」は、意見でもあるということに気づく。意見と希望と将来像はつながっている。

そして、「私はこう生きたい」という、希望でもあり意見でもある将来像のためには、社会に働きかけて実現していくべきことも出て来るだろう。そう、社会も、ある状態に「ある/ない」というより、常に、ある状態をつくっていくものだ。

当然、希望通りにならないこともある(希望通りにならないことの方が圧倒的に多いかもしれない)。自分の希望や意見、将来像も調整しなくてはいけないことがたくさん出て来る。しかしその調整も含めての「つくる」なんだと思う。

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# by hideki_sunagawa | 2014-04-05 09:21 | Diary
2014年 03月 18日

いい日

▼那覇市保健所のHIV関連の会議へ出席

今日は、HIV関連の会議で那覇市保健所へ足を運んだ。

実はこの会議、開催の約1週間前に連絡があり、この日に大事な用事を入れていた僕は、その時、出席しようかどうかだいぶ迷ったのだった。しかし、「会議」ながら、僕に30分ほどLGBTについて話して欲しいという依頼つき…むむむ。いろいろ悩んだが、「少しでも多くの人にLGBTについて伝える機会は大事」と思い、先の用事を調整し出席するという返事を。正直者(?)の僕は、気が進まない感をアピールしつつ(苦笑)。

けれど、出席してとても良かった。学校の養護教諭の役員や那覇市の教育庁の人にLGBTについての話ができたこともあるが、それ以上に、那覇市保健所のHIV検査の担当者たちの本気が伝わってきたからだ。

こういう場ではおざなりな情報共有で終わることも多い。特に、行政の異なるセクション間では、強く何かを提案することはしづらかったりもするもの。しかし、保健所のHIV担当の人は、教育委員会の方に、かなり強く「性の多様性について教育の中に入れていっては」と進言していた。そして、担当者たちのLGBTに関する問題意識には真摯さを感じて、それは感動を覚えるほどだった。

なので、もし「HIV検査を受けたいけど、どういう対応されるかわからないのが不安…」という人には、この保健所は自信を持って勧められると思った。というわけで、帰ってすぐに以下のツイートを。

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那覇市保健所のHIV会議に出席。実は、那覇市のHIV検査体制の充実ぶりはすごいです。即日(その日に結果が出る)検査が週3回、通常検査も入れると月~金毎日。夜間即日も月一回有。そして担当スタッフたちがとてもいい! http://bit.ly/1on9j8w
ーーーー

この検査体制はスタッフの質も含め、那覇市が誇れるものだと思う。


▼偶然に…

会議終了後、「しぶってたけど、行って良かったなぁ…」と思いつつ、帰路へ。なんとなく「遠回りだけれどこっち方向に歩こう」と思い向かった先で、偶然、昨年、公民館の講座でお世話になった職員とばったり会った。彼女は、その講座以降、時々GRADiやピンクドット関連のものに顔を出してくれている。

「今まで近くで公民館の会議があったんですよー」と言う彼女。そして、「ちょうど砂川さんの話をしてました!ピンクドット7月20日にあるので、みんな来てね!って言ってきました!」と。行こう、ではなく、来てねという表現がうれしいなと思った。こちら側に一緒にいて呼びかけてくれているんだなぁ、と。


▼教え子からのメール

彼女とはそんな会話をしながら一緒に横断歩道を渡っただけで、すぐに別れた。「普段は通らない道なのに、不思議なもんだー」と思いながら、ふと見た携帯のメール。「砂川秀樹先生へ」というタイトル。最近講演に行った先の誰かかな?と思ったら、非常勤講師として行っていた東京にある大学の卒業生であることが冒頭に記されていた。

正直、とても驚いた。なぜなら、その大学の非常勤講師は、沖縄に来るときに辞めたわけで、メールをくれたその人も3-4年も前に僕の授業をとっていた学生だったからだ。長いメールはとても丁寧で、しっかりとした文章だった。

そこには、僕が授業で皆に語った言葉に励まされ、努力して、自分が思い焦がれていた先に就職できたと。そして、その言葉や授業への感謝の思いが書かれていた。

読みながら、あまりの嬉しさに泣けてきた。非常勤講師は、学生とのやりとりは基本的に授業だけのことが多い。そのぶん、何が伝わっているのか伝わっていないのか、何を考えているのかもわかりづらく、時に徒労感に苛まれることもある(特に僕がその大学で持っていた授業は100人を超えることの多いものだったので)。

また、僕はジェンダー論を教えていたこともあり、自分の価値観や考え、自分自身のあり方をオープンにしながら進める形になり消耗する事も多かった。しかし、その中で伝えてきた言葉が一人の学生の中に残って、それがその学生を励ましたなら、これほど教師冥利につきることはない。

そして、今は、彼女の言葉に励まされている自分がいる。ほんとうにありがとう、と、こちらが言う番だ。


▼姉からのメール

気持ちがいっぱい…と思いながら、「そういえば、姉からもメール届いてたなぁ」と、開いてみた。そして、そこに「山城さん帰ったよー」と書かれているそのメールを見て思い出した。『そうだ…今日はフリージャーナリストの山城紀子さんが、僕のカミングアウトについて、母親にインタビューをしに行ってたんだ…』。

母は、78歳。もうすっかり耳も遠くなり、脚の骨を折って以来、家に籠ることがほとんど。また、もともと難しい話ができる人でもない。なので、「どういうやりとりになるんだろう?」と正直、心配していた。

実は、姉経由でそのインタビューの打診を母親にした時に、オッケーが出たことすら意外な気がしていた。そして、今日、姉に同席してもらって、インタビューに答えてもらったのだった。

「今日どうだった?」とドキドキしながら送ったメールへの返事は意外だった。そこにはこういうことが書かれてあった。

「とてもスムーズに進行した。お母ちゃんって、こんなに話すんだ~って、びっくりした」

そして、こうも書かれていた。

「インタビューと言う事もあって、山城さんがお母ちゃんに聞く、お母ちゃんが答える。当たり前な事だけど、私はそんな会話をしてなかった。家族や周りに対しても、ついつい、自分の思う事だけを言ってた気がする。お母ちゃんの気持ちを聞いてなかったと、気が付いた・・ほんとに今日は『聞く』と言う事が大切だと、思った。」

母親がたくさん話をしたというのも感動したけれど(どういう内容だったはわからないけれど)、姉がそれを見ながら、こんな風に自分を振り返ったということにも心動かされた。


▼コミュニケーション

もしも、今日の一連のことに通じるものがあるとするなら(そういうものを発見する必要もないのだけれど…)、やはりコミュニケーションをめぐることかな…と思う。最初の会議には、「こうして欲しい」ということを、別の行政担当者に伝える保健所の人の姿勢への感動が僕にはあった。しかも、それには、LGBTの若者/生徒がどうすれば支えられるか、ということを考えての思いが込められいると僕は感じた。

そして、「ピンクドットに来てね」と会議で語ってくれたという公民館の方の言葉。そう呼びかけてくれたことへの喜びがあった。

元学生のメール。自分の言葉が何年もその人の胸に残っていたこと。その言葉に意味を見いだしていてくれたこと。さらには、そのことを報告してくれたこと。その報告とお礼にまた私が力づけられたこと。

姉のメールには、「聞く/聴く」ことの大事さが書かれていた。僕自身、様々な場面で「聞く/聴く」ことの意味や重要性を語って来たけれど、果たして身内にそれができていただろうかとも考えた。

伝えること、聞く/聴くこと…まさにコミュニケーションの基本。おそれず真摯に語り耳を傾ける。そのことが生み出す力を強く実感した一日だった。しかし、こんなことが立て続けに起きるなんて…そんな不思議な日もあるんだなぁ。
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# by hideki_sunagawa | 2014-03-18 22:33 | Diary