2014年 05月 01日

母親の言葉

沖縄タイムスで30年間記者を務められた後、フリーのジャーナリスト/ライターとして活躍されている山城紀子さんが、『季刊セクシュアリティ』という雑誌で、ピンクドット沖縄や私をめぐる話を書いてくださった。

主な話は今年の2月14日にジュンク堂書店那覇店で開いた「誰もが誰かと一緒に歩けるように」というトークセッション(僕と僕のパートナーやピンクドット沖縄共同代表の宮城のトーク)についてだが、終わりの方で、僕の母親へのインタビューが掲載されている。

僕がゲイであることを受け入れるのにずいぶんとかかったけれど、僕がパートナーを紹介し、何度か一緒に食事をしたり、また、僕が東京で大きな手術をしたときにそばに彼がいてくれたことを知る中で気持ちが変わったという話が書かれてあった。

自分がゲイであることについてどう思っているか改めて母親に聞いたことはなかったこともあり、読んでいて色んな思いが去来し、胸が熱くなった。

しかし、僕が込み上げるものがこらえきれなかったのは、僕がゲイであることと直接的には関係のない、次の部分だった。

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その日砂川さんの母・博子さん(78)はあるエピソードを紹介してくれた。「忘れもしない、秀樹が小学校3年生ぐらいの時、集金の人が来たのだけれどお金の準備がなかったものだから息子に『お母さんはいないと言ってくれ』と頼んだんです」。そう言って苦笑した。秀樹さんの表情は明らかに困惑し、返事はなく、しばらくして「なぜ、うそをつくの?」と嫌がった。「とっても正直な子なんですよ。子供の頃から」。
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なぜこのエピソードに涙がこぼれたのか正直わからない。僕自身はすっかり忘れているそんな小さな頃のことを覚えてくれていることにだろうか。母親が自分のことを「正直な子」と思っていたと初めて知ったからだろうか。そのことと、自分がゲイであることをカミングアウトし、オープンにし生きていることを結びつけて理解してくれていたと知ったからだろうか。

あるいは、お金がなくてとても苦労していた親のウソを責めるような態度をとったことへ心の痛みだろうか。

この掲載誌を届けてくれた山城さんに「こんなエピソードを語ってたんですね、僕は全然覚えてない…」と言ったら、「博子さんは、そんな正直な秀樹さんにウソをつかせたりしたことに今も胸を痛めてるって言ってましたよ」と。

母親と僕は、あまりにも世界観が異なるゆえに(ある意味で持っている「言語」も全く違うがゆえに)、つながり得ない面の大きさばかりを感じて来たけれど、ようやく母親と何かが結びついた気がした。きっと、そんな母親の思いは、山城さんがインタビューしてくださらなかったら知る事はなかっただろう。

山城さんのこの連載のタイトルは「沈黙の声を聴く」。そのタイトルは、これまでマイノリティが語ることができなかったことを主に指しているのだと思うが、僕にとって、今回の記事は、まさに母親の沈黙の声を聴くものとなった。

そんな機会をつくってくださった山城さんに心から感謝したい。そして、もちろん、これまで他人の問いに答えて自分の気持ちや考えを語るという経験がなかったにも関わらず、このインタビューを引き受けてくれた母親にも。




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by hideki_sunagawa | 2014-05-01 21:26 | Diary


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