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2014年 04月 10日

寄り添う言葉

前回に引き続き、言葉をめぐって。

今日、琉球新報で新しく始まる「私の鑑(かがみ) ぬくもり便」というコーナーのためのインタビューを受けた。「人生の転機となった場面で受けた温かい助言や指導を振り返ってもらう」というものらしい。

事前に電話で取材依頼を受けたときに「人生を変えた、とか、大きな影響のあった言葉ってありますか?」というようなことを聞かれ、「考えればあると思います」と言って受けた。しかし、取材の前日に改めて考えをめぐらしてみると、記事化するのにふさわしいものがあまり思い浮かばないことに気づき、焦った。

一つ思い出したのは、中学生のときに親友に初めてカムアウトしたときのこと。自分が男性が好きであるということを伝えたとき、彼は「いいんじゃないかなー」と言った。その言葉は淡々としていたけれど、いつも淡々としている人だったので、同じ調子で言われたことにほっとした記憶がある。

それがもし否定的な言葉だったらどうだっただろうか?と思う。最初のカムアウトにつらい言葉を返されていたとしたら、僕の自己受容はもっと時間がかかったかもしれない。

しかし、この言葉はちょっと紙面化しづらいこともあり、記事には、大学院に入る面接試験のときに、後に指導教官になる先生から言われたときのことが掲載されることになった(これは、掲載されてからまた報告を)。


そして、この取材のために自分のこれまでを振り返って、自分がつらいとき、悲しいとき、苦しいときの時のことを思い出してみた。一人で煩悶し泣き叫んだこともたくさんあったし、夜に、大きな国道にかかる歩道橋から行き交う車をしばらく見つめていたときもあった。

しかし、それ以上に、つらいときに誰かがいてくれたことをたくさん思い出した。実際にそばにいて、手を握ってくれた人もいたし、ただそこにいてくれた人もいるし、電話ごしに話を聞いてくれた人もいる。そのときの言葉は、「そうか…」「そうなんだ…」「それはつらいね…」というシンプルなものだったりする。

意外と人生を大きく支えてくれたり、変えてくれたりするものはそういう言葉が多いのかもしれない。そのような言葉は、そばにいるということを伝えるもののような気がする。感情的に一致することはできないけれど、その気持ちに寄り添っているということを伝える言葉。

だから、逆に、音声として口に出さなくてもそばにいるだけで支えられるときがあるのだろう。寄り添ってくれていると感じられるあり方で側にいてくれたら、それは十分に寄り添いの「言葉」だ。ここで「言葉」という表現を使うのは、やはり、ただそこにいるのではなく、寄り添っていると伝えようとすることに大きな意味があると思うから。


そうやって、いろんな場面でいろんな形で寄り添いを伝えてくれた人が自分の人生の様々な場面にいたことを思い出す。だから、こうしてこの年まで生きて来られた。ほんとうに自分の生には、いろんな人が溶け込んでいるんだなぁ、と改めて思う。
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by hideki_sunagawa | 2014-04-10 18:15 | Diary


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