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2013年 11月 07日

親友の命日に

11月7日は、東京にいたときの親友、がんすけ(春日亮二)の命日だった。今年(2013年)で丸6年、7回忌。もうそんなに経ったの?と何度も数え直した。

今も時々、「そういえば、もういないんだよね」と亡くなったことを確認しては、どこかに信じられない気持ちが残っていることに気づく。これだけ経っても、「何かの間違いであって欲しい」と思う。

何度も同じ話を書く。彼は、僕が2000年にパレードをやったときに精神的に最も支えてくれた人。というより、彼がいなかったら僕は死んでいたかもしれない。だから、僕は彼を命の恩人と思っている。2000年のパレードでバーンアウトした僕の代わりに、翌年、翌々年のパレードの目処をつけたのも彼だ。

その前に、彼はスタジオスタッグという会社の経営者で、ゲイ向けの、今で言うSNSをつくりあげた天才的エンジニアでもあった。彼がゲイでなかったら(いや、ゲイであることを大切にしてゲイ向けのビジネスをするのではなく、広く「一般向け」の事業に重きをおいていたら)、おそらく日本のIT業界で指折りの成功者になっただろう。

彼は、30歳になった頃から独学で曲づくりを勉強し、ゲイとしての思いを込めた曲をつくり、また、LGBTのインディーズミュージックシーンを盛り上げた。

そんな「功績」を書くと、彼のダークな部分を指摘して揶揄する人もいる。実際に色んな面があっただろうと想像するけれど、でも、それは僕にとってはどうでもいいこと。いや、すべてをひっくるめて彼は僕には大切な人だった。


僕が彼と出会ったのは1990年代半ば。HIV/AIDSに関するゲイ/バイセクシュアル男性向けの啓発活動や調査の協力の話がきっかけだった。最初に会ったときの眼光の鋭さ、忘れられない。しかし、すぐに「この人は信用できる」と思った。そして、不思議なことに、会った帰り道には、「何かあったら、あの人がいれば安心できる」と思っていた。

彼とはその後急速に仲良くなった。お互い性的に活発な時だったし、お互い色恋の対象になる相手でもあったけれど、なぜか(?)そういう関係にはならなかった。

僕はいつまでも「頼りになる人」というイメージばかりで、亡くなる前の数年間の大変な時期を十分に支えてあげることができなかった。病室で、「もうすっかり弱い人間になっちゃったよ」と言っていた言葉を忘れることができない。

先に亡くなった方の棺を残った方が先頭となって担ごうと言っていたのに、そんな葬儀も実現せず、僕が会ったときにはもう骨壺の中に入っていた。いまだに僕は、彼が火葬される場に立ち会えなかったこと、骨を拾えなかったことを悔しく思っている。いろんな複雑な背景があるのは確かだけれど、彼がゲイでなかったら、きっとそうはならなかったと思う。


命日になる度に、そして、くじけそうになるときに、彼が作詞作曲した「Everything for You」をいつも繰り返し聴く。「君がいつか 辛過ぎて その場にうずくまるような時に 思い出してごらん 僕に語ったあの大切な夢を」。2000年のパレードを終えて疲れ切って沖縄に帰った僕にもとに、「砂川のためにつくった歌だよ」というメールが彼から届いた。そのメールを読んだときのことを、まわりの情景も含めて、今もありありと思い出すことができる。

いつも何かを為す度に彼のことを思い出す。博論を完成させたときも、『カミングアウトレターズ』を出したときも、沖縄でピンクドットを開催したときも。彼とその経験をシェアしたかったと思う。

でも、彼が僕のことを見守ってくれていると僕は信じている。

そんなこと言う僕に、「もう、いつまでも頼ってばっかりなんだから!」という彼の声が聞こえるようだけれど(苦笑)


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写真は、『パレード 東京レズビアン&ゲイパレード2000の記録』
(砂川秀樹編著、2001、ポット出版)より
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by hideki_sunagawa | 2013-11-07 23:59 | Diary


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