2013年 10月 13日
10月11日(金)、薬物依存症回復施設「沖縄ダルク」の、「19th感謝フォーラム〜終わりなき旅〜」に足を運んだ。準備していた椅子では全然足りなくなるほど、多くの人が集まっていた。各地方からも駆けつけていたようだ。会場へ向かうエレベーターでたまたま一緒になった人は、「三重のダルクから来ました」と言っていた。 沖縄ダルクの代表の森廣樹さんには、今年の2月にGRADiで開催した「コミュニティリーダーに話を聞く」(主催:レインボーアライアンス沖縄)に来ていただいて話をうかがった。また、ピンクドット沖縄でも、沖縄ダルクの方々にエイサーを演舞してもらったりした。 メンバーのうちの7人が10分ずつ自分について話をするのを聞きながら、森さんが2月に来られたときに、「人はいつからでもやり直せる」という言葉を思い出したりした。とても良い会だった(最初の方しかいられなかったけど…)。 そして、タイトルに関係する話… 会の最初の方で、登壇した二人のメンバーが、次々と映し出される沖縄ダルクの仲間一人一人のスライドを見ながら、その人それぞれについて語るコーナーがあった。仲間のつながりを感じさせる温かいものだった。 その中で、説明していた人が、若い「ハンサム」なメンバーの写真が出たときに、「一番のイケメンです。自分が女やったら惚れたと思います(苦笑)……あ、自分はゲイではないです」と、軽く冗談めかして言った。そんなにホモフォビック(同性愛嫌悪的)な印象を受ける言葉ではなかったが、「ゲイである/なし」が冗談化されていたのは確か(さらに深く突っ込むならば、男に惚れるのに、別に女である必要はないという指摘もできる)。 僕は、これを聞いて「あーあ…」と思った。しかし、僕が今回ブログに書こうと思ったのは、この言葉そのものに対してのあれこれではない。この冗談めかした言葉に対する会場の雰囲気についてだ。 実は、この冗談に対して、満員の会場からは、クスっとした小さい笑いすら聞こえなかった。その前と雰囲気も全く変わらなかった。これまでの経験上、このような冗談には、程度の差こそあれ必ず笑いが起きる。LGBT関連の集まりか、それに近い集まりでない限り。たとえ、別の社会問題をテーマにしたような集まりでも。 この時のこの無反応が、ある意味、彼の「微妙な冗談」に、差別的なニュアンスを帯びさせずにすんだ。もちろん、聞いている僕もほっとした。ここで笑いが起きていたら、とても傷ついただろう(いくつになっても、オープンリーゲイとして生きていても、そういう時には傷つく)。そして、彼の発言に怒りをもったかもしれない。 ここで笑いが起きなかったのは、全国各地のダルクにはLGBTが結構いて、顕在化していることも関係しているかもしれない。いずれにせよ、僕は、この場面に、「時代が変わってきた」ということを実感した。また、こういう冗談も、ウケなければ、その意味が変わるということもはっきりとわかった。 正直、社会全体では、このような冗談は笑いのネタとして機能することが圧倒的に多い。どんなにLGBTの存在が「当たり前」になっとしても、そういう冗談を言う人はいて、笑う人もいるだろう。しかし、これから、それに笑わない人(「笑えない」と思える人)が増えていけばいいのだ。その先に、さらに大きな変化が待っている。 ***ちなみに、僕はゲイや他のマイノリティに関する冗談がすべて問題とは思っていない。詳細には論じないが、そうである/ない、ということそのものを冗談として使うこと(「お前、〜じゃないか? ははは」「おれ、〜じゃないから。ははは」といったもの)や、その社会の中で差別や抑圧の土台となっているステレオタイプを強化するようなものなどは問題を含み持っていると思う。もちろん、その意味は、「誰が、どこで、誰に向けて発しているか」という文脈にも大きく依存することは言うまでもない。
by hideki_sunagawa
| 2013-10-13 19:47
| LGBT/gender
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