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2013年 01月 13日

同性愛と「好み」(2)

前回、「同性愛と『好み』」を書いた翌日、琉球大学の授業でゲストスピーカーとして話す機会があったので、この話題についても触れた。

ここに書いたことと同じようなことを、いろいろな例を挙げながら話をして、ほとんどの学生は理解してくれたのだが、終わってから、「『熟女好き』とかと並べられることの問題がわからない…」と質問に来た学生もいた(わからないままにせずに質問に来てくれたことに感謝!)。


そのとき、同じような説明を繰り返したのだけれど、後で、その学生がひっかかってるのは違うポイントだったかも、と思った。それは、例えば悩んでいる人がいたとしたら、その理由が同性愛だろうと、「熟女好き」だろうと、その悩みに順位をつけることはできず、同じようにサポートされるべきではないか、と思っているがゆえの「わからなさ」だったのではないかと。

理由に関係なく「悩み」というのはその人にとっては重大なことで、サポートを必要とする、ということには、僕ももちろん異論はない。どんな悩みに対してもサポートできるシステムは必要だし、そのために様々な電話相談、相談機関があるの。しかし…この問題はそういう話ではないのだ。


まず、件の教員の発言は、実際にそのような、様々な性を持つ人たちへの支援が必要と思っているわけではなく、むしろ揶揄しつつ、それと同性愛を並べることで、全てを揶揄している(と受け取られておかしくない)内容だ。実際にそういうことで悩んでいる人たちの悩める声を紹介しているわけでもないわけで。

そして何より根本的な問題は、そのような言い方で、社会構造的な問題を完全に相対化してしまうことだ。

この授業でも強調したのだが、ゲイやレズビアンの当事者の間では、「別にそのことは悩んでいないし、抑圧されていると感じない」という人は多い。しかし、臨床の現場にいる人や他のソーシャルワークにかかわる人からは、そうではない現実が見えてくるし、ネット上の調査でも、やはり精神的にダメージを受ける人の割合は多いと推測せざるを得ない。その矛盾は何を語っているか。

往々にして、社会的な構造の中で抑圧を受ける人たちは、その抑圧に慣れているため(その状態が当たり前と感じているため)、そのことを意識しない。しかし、気づかないうちに、少しずつそのことが負担になったり、小さな傷をたくさん受けていることがあるということだ。僕は、それを金属疲労に喩えている。

金属疲労は次のように説明される。「強度よりかなり小さい応力でも繰返し加えると破壊することがある。このような強度より小さい繰返し応力による破壊を疲労という」(引用元)。

それでも、仲間を見つけられたり、他のこと(家族関係、仕事のこと、経済的な問題等)が順調なら、そのことが下支えになって問題は起きないかもしれない。けれど、多くの人の人生はそんなにすべてが順調ではないわけで、他の問題が起きたときに、もともと気づかないうちに疲労していた心がポキっと折れることはあるだろう。そのとき、折れた直接的な原因は、他の問題なわけだが、マイノリティであるということが見えない理由として存在していたりする。


話は戻るが、確かに、色んな人がいろんな理由で悩み、場合によっては、その根本的な原因は大きな社会構造の問題にあると考えることもあると思う。そうならば(そして、もし余力があるなら)、そのことを社会に伝えたり、まわりに伝えて一緒に問題化していくことをする方法をとることが重要になってくる。そうやって、多くの人が様々な問題に取り組んでいるわけだ。

個々人の気持ちの問題は重要だが、それとともに、社会について、社会の問題について考え、それをふまえて自分がどのように社会にコミットしていくか思考し実践していく、という姿勢がもっとひろがっていくといいな…と今回のことから強く感じた。そして、今自分がやっていること/やりたいことは、そういう姿勢を広げていくことなんだなと改めて思った。
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by hideki_sunagawa | 2013-01-13 14:40 | LGBT/gender


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