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2013年 01月 02日

同性愛と笑い

昨年も多くの人に支えられて、こうして無事に年を越すことができました。今年もどうぞよろしくお願いします。今年は、本格的に沖縄でも大きなイベントを開催したいなぁ、と思っています。

さてさて、元旦にツイートしたものが大反響があったので、言葉を足して説明したほうがいいかな、と思い、このブログを書いています。

発端は、「芸能人 格付けチェック」という朝日放送系列で放送された番組。様々な、「一級品」「一流品」と呼ばれるものとそうではないものを見分けられるかを芸能人を対象にクイズ形式でおこなうもの。「お笑い」番組であり、いろんな意味で「馬鹿馬鹿しさ」を楽しむ番組だろう。

普段は観ない番組だが、ふとつけたらやっていたので、しばらくみていた。すると、ミニドラマをプロが演出したものと、芸人が演出したものを見分けるというものが始まった。内容は、男性芸人二人と男性役者一人が、同性愛の三角関係を演じている内容だった。

多少コミカルなストーリであるとしても、ある意味で、内容は「フツー」の三角関係。もし、異性愛を前提にした物語ならば、ステレオタイプ化した部分にクスっと笑うことがあっても、大して面白おかしいくないストーリーであった。

その二つの演出を見比べているシーンが映されたのは、最初にトライした4人と司会の3人だけだったが、その大部分の反応は、男性同士のラブシーンを気持ち悪がり、おかしがるものだった。しかし、小池徹平さんは、もし男女ものだったら大方の人はこういう反応をするだろうというニュートラルな、演出を見極めようとする姿勢を見せる態度だった。

僕は、他の人の笑う姿を攻撃つもりはなかったので(間接的に批判していことにはなるのだが)、次のようにツイートした。

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「格付け」なるTV番組で、演出を見分けるかという題材に、同性愛を扱ったミニドラマ。プロと素人の演出が見分けられるかというものだが、多くの芸能人が男同士のラブシーンに笑う。小池徹平さんは真剣な顔。仮に「一流か否か」という判断をするなら、こういう姿勢をとれるか否かだろう。
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こういうことを書くと、よくある反応の一つに、コミカルなものとしてお笑い芸人も出ているのだから、笑うものだし、そうしないと、ある意味で芸人には失礼ではないか、というものだ。

よく、お笑い芸人が、家族にその道に進むことを「人に笑われる仕事なんて!」と言われたという苦労話があるが、それへの反論して耳にするのは「人に笑われる仕事ではなく、笑わせる仕事」というものだ。確かに。

では、先のドラマはどうだろか。実際に、「笑わせた」のは出演した人だろう、しかし、そこに「笑われた」ものも存在している。それは同性愛(者)であり、同性間のラブシーンだ。

同性愛者であること、同性間のラブシーンが、<それだけで>笑われるものになるという、よくあるパターンだ。<それだけで>が重要だ。ストーリーによっては、同性愛者/関係が登場しても、そのことそのものが笑いにならないものが考えられうるだろう。

もちろん、このことと、自分をゲイと意識している人が笑って楽しむということは別の問題だ(よく、この当事者性を議論の根拠にする人がいるけれど、「当事者」にいろいろな人がいるのは当たり前のことで、僕はその個々人の態度や捉え方と、社会の中での位置づけの問題を区別している)。


こういうことを言うとき、もう一つよく言われることがある。それは、こういうものを笑いにする方が、マイノリティの社会的受容にもいいのではないか、というものだ。そして、その例として、身体に「障がい」がある(とされる)人が、自分のその「障がい」を笑いに変えるというものが挙げられる。これ自体も当事者間でも議論があるし、僕も好むものではないけれど、それを肯定する論理もわかる(実践している人がそのような論理を意識しているかどうかさておき)。

なぜなら、「障がい」のある人は、おうおうにして「不幸」「かわいそう」「かなしい」というイメージがつけられることが圧倒的に多いからだ、それに抵抗する形の一つが笑いになる。そして、それをやっているのが、「当事者」であるということにも意味がある。


しかし、先のミニドラマは、演じているのはお笑いの芸人(と、バラエティにもよく出る役者)であり、とりあえず「当事者」として意識されている人ではない。そして、同性愛をめぐる社会の支配的な位置づけは、もともと「笑い」「嘲笑」である。その中で、「笑い」の対象として再生産することとと、「障がい」を笑いの中に折り込んでいくこととは、全く構造も意味も違う。


また、これを女性のお笑い芸人がやることでもコミカルにすることもできただろう。だいたいそういう場合も、女性の見た目を基準にしたものなので、僕は好まないし、それもジェンダーの社会構造的に考えることができるが、女性のお笑い芸人が演じてコミカルにすることと、先のドラマには決定的な違いがある。

それは、女性の芸人が演じた場合には、異性愛関係における一つのあり方、あるいはその人そのもののキャラが笑いにされるのに対して、このミニドラマでは(そして、テレビではよくあることだが)「同性愛」「同性のラブシーン」そのものが笑われていたということだ。


それと似た意味で、「オネェキャラ」と呼ばれる人たちが、基本的にお笑いの文脈で登場してくることと、先のドラマの意味も違う。その人たちは、そういうカテゴリーで見られながらも、基本的にはそれぞれのキャラクターで登場しているのだから。僕は、そのようなタイプの人しかゲイが顕在化しないマスメディア自体には批判的だけれど(あと、時にその「使い方」にも)、その一人一人に対してはそうではないし、応援したいと思っている人も少なからずいる。


最後に、先のツイートでは、「そんなふうにお笑いにして」とか「気持ち悪がって笑ってたいた芸人、最悪」のような言い方をしていないことは強調したい。もちろん、そういう風に言う人がいてもいいと思うし、僕も我慢ならないと思ったときはそのような言い方をするだろう。

けれど、できるだけ、自分が、こういうあり方、態度、人いいな、ということを広めることを優先していきたいと思っている。今回は、あまりにも反響が大きかったので、その言葉の意味について説明を足した。
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by hideki_sunagawa | 2013-01-02 13:28 | LGBT/gender


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