2012年 03月 02日

「下地勇」考

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下地勇さん10周年記念アルバムを購入。2枚組29曲が収録されている。以前から、このブログでも何度も取り上げているが、彼は、みゃーくふつ(宮古島の言葉)で歌を作り歌っている(共通語の歌もあるけど)。

僕の両親は宮古島出身で、父親が生きているときは、二人でみゃーくふつで会話をしていることが多かったし、親戚もそうだったので、僕自身は話せなくとも(子どもには基本的に共通語で話しかけるので)、その音には懐かしいものを感じる。

彼の歌を聴いていると、聞き覚えのある言い回しがちらほら出て来て、「ああ、あれは、みゃーくふつの世界ではよく言われる言葉だったんだなぁ…」と確認できたりする。

彼の歌は、もちろん、よく知られていて結構売れてもいるけれど、僕は、彼の歌、業績は、もっともっと高く評価されるべきだと思っている。歌詞も曲も素敵で、曲調の幅の広さもすごいのだが、それに加え、これまで誰もしたことのない、みゃーくふつを現代的楽曲にのせるということをやってのけたということは、いくら評価してもしきれないほど大きな功績だ。

そして、下地さんのすごいところは、単にみゃーくふつの生活世界を描いただけでなく、おそらく、むしろその言葉の中、生活空間の中だけで生活していると、逆になしえない、叙情化をおこなったことだと思う。

一見、彼のみゃーくふつの歌は、ずっと使われて来た(今は急速に無くなりつつある)言葉を使って、昔からある様子を表現した、という印象を残すが、実は、非常に現代的な感性と生活をとらえなおし、現代に生きる言葉にヴァージョンアップしているのだと思う。

まさに、ある一定の年齢の人は懐かしさを喚起させつつ、より広い人たちに共感させられる情景と心境を歌っているのである。また、宮古島の生活世界を知っている人には、「あるある」と感じさせながら、知らない人には、なんだか面白いと思わせる表現でもある。

僕が不思議に思うのは、沖縄の言語を復興させようとしている人たちの語りの中から、彼がなしえた(なしえている)すごさへの評価が聞こえてこないことだ。それは、やはり復興のイメージが古典と結びついているからか、それとも、本島南部を中心化しているからか。まぁ、言葉を残さねばと思ってつくっているわけではない(なくなっていくことは心配しているけど…)、と語る彼なので、そういう流れには巻き込まれたくないだろうけれど。


一昨日の父親の13回忌で、宮古島から来ていた親戚が、今もみゃーくふつで話しているのを聞き懐かしく思った。そして、6割くらいながら、ある程度聞き取れている自分にも驚いた。後で考えたのだが、それは、幼い頃に聞き馴染んでいたということもあるが、下地さんの歌を頻繁に聞いていたおかげもあるのではないかと思った。

宮古島の親戚のところへ行って滞在するのが、一番その言葉を修得するのにいいのだが、そういう生活はゲイにはつらい部分もあるので、とりあえず、しばらくは、下地さんの歌で独学をしてみようと思う(笑)<実は、僕の両親の住んでた地域と少し言葉が違うらしいけれど…。
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by hideki_sunagawa | 2012-03-02 05:20 | Okinawa


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