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2012年 02月 09日

メディアの責任

『オキナワグラフ』というローカルな写真月刊誌がある。昭和33年に第三種郵便物の認可を受けているようなので、約55年の歴史があるということになる雑誌である。しかし、歴史がある=優れたメディアということではないようだ。

その今月の特集は「沖縄のおネエたち」。基本的には、地元のいわゆる「ニューハーフ・ショーパブ」の紹介と、そこで働いている人たちのインタビューとなっている。それに加え、沖縄の性同一性障害の人たちを多く診ている医師のインタビュー、そして観光バーを営んでいるゲイのインタビューが掲載されている。

地方に住んでいるトランスジェンダーの彼女たちが顔を出してインタビューに答えている心意気には心動かされるものがある。

しかし、医師のセクシュアリティ観は時代錯誤的(あるいはとてもオリジナルな奇異なもの)だし、ゲイのインタビューの中で、記者の文章として出てくる「世の中には、息子の性癖を…」という言葉には唖然とする。ゲイであることを性癖と表現しているのだ。

ゲイの方のインタビューは、全体として、親には子のあり方を理解して欲しい、という内容でいいものだ。しかし、「性癖」と位置づけられているものをどれだけの親が受け入れられると言うのだろうか。「癖」なら治せ、という話になりかねない。

僕は、<基本的には>細かい表現にこだわって抗議するのは賛成しない。しかし、この「性癖」という表現は看過できない。なぜならば、それはセクシュアルマイノリティの問題の根幹だからだ。同性を好きになること、体と異なる性自認を持つことは、そういう「性癖」などといったものではないということを理解させるために多くの人たちは闘って来たのだ。

それでも、ちょっとした文章なら見逃したかもしれない。しかし、これは、医師のインタビューも登場する特集記事なのである。


僕は、この特集を組んだ人たちは、この言葉の問題を指摘すれば理解するかもしれない、と思い、メールを送った。気になる部分がいくつかあります、と書いて。電話番号も書いておいたら、編集者の一人から電話がかかって来た。声の感じからすると、そんなに年齢はいっていない女性という印象だ。

僕はなるべく落ち着き目に話をし始めたのだが、最初から、防衛的な印象の強い応答であった。そして、ある言葉のやりとりで怒りのスイッチが入った。それは、僕が「現在、ゲイであることは性的指向として表現されるようになっていますが、それはどうしてだと理解されているのですか?」と聞いたときに、「どのようにお答えしても、お怒りは変わらないでしょうから」という返答が帰って来たときだ。

コミュニケーションを遮断する言葉。そして、自分の勉強不足、知識不足は全く認めないというスタンス。

いろんなやりとりがあったが、全体として、彼女が、僕の発言を活動家(=特別な立場の人)の一面的な意見、としてしか見ておらず、それよりは、彼女がインタビューしたバーの人の方がリアリティがあると判断しているということを感じ、愕然とした。

僕が、「セクシュアルマイノリティの自殺率が高いと言われていることをご存知ですか?(それを頭において記事を書いていますか?)」と尋ねたことに対して、「それって、どうなんですか? Pさん(そのバーの人)に聞いたら、自分のまわりでは知らないと言っていました」と。

唖然。統計として現れているもの、専門家とのやりとり、いろいろな活動を通じて、僕が得て来た知識を否定し、自分がたまたま知り合ったバーの方の一人の経験だけを根拠とするなんて、いったいどういうことか。


「性癖」という言葉も、「インタビューに答えた人が使ったので」ということを言い訳にしていた。しかし、インタビュー内容は「」内で表現されているが、その言葉には「」はついていない。彼女ら編集者がそう思っていたという証拠だ。また、ちゃんと勉強していれば、インタビュイーが使った言葉でも、この言葉を使うのにためらい、どう使うかを考えただろう。

もちろん、その観光バーの方のリアリティは、その方のリアリティである。その言葉を自分のことを語る言葉として持っているのかもしれない。しかし、その一人の人の発言をより広い文脈の中でどう位置づけるか、そのまま使っていいのか、他の言葉に置き換えてはダメか、ダメならどうフォローを入れておくべきか、を考えるのが、メディア制作者の役割ではないのか。


当然、そのためには、ある程度の知識が必要になる。僕は、「どういう書籍を参考にされたのですか?」と聞いた。彼女の答えは、「今後、ご教示ください」というものだった。一冊の本も読んでいないようだ。なんたること。

彼女は、その勉強不足について、「月刊の雑誌なので一年もかけて勉強することもできませんし」と言う。また「誰もが100%満足できるものはつくれませんから」といった極端な例を持って来て言い訳する。誰も、そんなものは求めていないというのに。

2−3冊の本を読むこと(あるいは見比べた上で1冊の本を読むこと)すらせずに、よくこんなセンシティブな面のある問題を扱ったもんだと思う。しかし、彼女は、そのようなセンシティブなものとして扱う態度を、何度も「ナーバスな」と呼び、そして、「こうして噛み付くのは逆効果じゃないですか」とも言った。

「はるな愛さんのように、楽しく、自虐的なところもありますけど、そうしていったほうが理解が広がるのではないか」ということも。

何度も「こうしてとりあげたことに意味がある。となりにいるんですよ、と伝えたかった」ということを言っていた。繰り返しになるが、僕は、インタビューに答えた人たちのことは尊敬している。だが、この企画自体には、そんな意味はない。なぜなら、既にメディアで提示されているイメージをなぞっただけのものだからだ。何のオリジナリティもない。沖縄でも既に「オネエキャラ」としてテレビに出ている人もいるのだ。


とにもかくにも、その電話で話をした彼女が、丁寧な言葉づかいながらも、全く間違いを認めもせず、こちらの意見を「噛み付いている」ものであり、過剰なものであり、ナーバスなものであるという位置づけしかしない応対に、怒りが込み上げた。

そして、怒りがおさまると、とても悲しい気持ちになった。今は、そのやりとりで、自分がとても傷ついたんだということを実感している。彼女は、僕のことについて、新聞記事などから先に知っていたようだ。その新聞記事から勝手なイメージをつくりあげていたのだろう。

「砂川さんはオネェカルチャーなどにも違和感を感じられるでしょうが」という、よく分からない事も言われた。僕は、メディアの「オネェ」の括り方、扱いかたにはとても疑問を感じているが、「オネェカルチャー」に違和感を感じたことなどない。

そんな風に勝手に決めつけられ対応されたことを含め、バカにされたという印象が残った(「砂川さんに監修をしてもらえば、良かったのでしょうが…」という言い方もされた)。

もちろん、彼女は「そんなつもりはない」と言うだろう。この特集も、理解を広める「つもり」でやったと主張で正当化するのだから。まぁ、僕の「バカにされた」という印象はさておき、メディアはどんな「つもり」でやったかではなく、どういう言葉を書き、どういうイメージをつくったかで責任が問われるべきであることは言うまでもない。

そして、自分の制作したものへ意見が寄せられたときに、応答し、制作したものを振り返る姿勢がない者は、メディアをつくるプロとは言えない。
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by hideki_sunagawa | 2012-02-09 05:20 | LGBT/gender


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