One Voice

hidekiss.exblog.jp
ブログトップ
2011年 12月 02日

HIV教育

昨日のNHK沖縄の夕方のニュースで、那覇高校(僕の母校!)で、HIVに関する講演会がおこなわれたと紹介されていた。

ほんの一部しか流れていなかったが、放送されたシーンは、性的ネットワークの図を示して、この中の一人でも感染していれば、みな感染する可能性がある、とか、不特定多数の人と性行為をしている友人がいたら、助言してあげてください、という話だった。

そして、講師は、「男性は自分の欲望を優先しないで、相手の女性を思いやってください。女性のことを考えるのが男女交際の原則です」と語っていた。


「誰にでも感染の可能性はある」ということを伝えたかったのだろう。しかし、90年代にそのようなメッセージばかりが流される中で、どんどん男性同性間での感染拡大が進んだことを考えると、今、このように異性愛的関係を強調する説明は、あまりいい方法に思えない。

放送の映像の中には入らなかった部分で、男性同性間での性行為についても触れられていたと信じたい。現在、日本のHIV感染の6割以上は男性同性間で起きているのだから。


しかし、男性同性間について触れられていたとしても、また、誰にでも感染の可能性があることを強調することを目的にしても、「交際の原則」についての説明は、男女の性別役割で語るのではなく、「お互い相手をいたわる、思いやる」という言い方の方がいいではないだろうか。

確かに既存の支配的な枠組みに乗った方が、メッセージは届きやすい。しかし、ジェンダーの役割イメージを強化する効率の良さを選んでしまうと、男女関係における根本的な問題を置き去りにしてしまう。それは、女性が主体的に行動を選択できないがゆえに、自分が予防したいと思ったときに、それを言えない、男性任せになるという問題である。

おそらく、先の「交際の原則」も、男女関係には力関係が生じることが多いことを意識してのことなrのだろう。ならば、その力関係を使って、男性にベターなリーダーシップを求めるより、その力関係を問題にし、お互いコミュニケーションをとり、女性自身も意思を表明できるお互いが満足する性行為を、と言うべきではなかったか。


また、今なお「不特定多数」を強調していることにも、疑問を感じずにはいられない。世界的にみれば、女性の多くは「特定」の相手から感染しているし、日本でも(異性間、同性間にともに)「特定」の相手から感染する人は少なくない。

「不特定多数」を強調することは、誰でも感染しうる、と言いながら、結局は、「遊んでいる」人が感染するものというイメージを広めているような気がしてならない。
[PR]

by hideki_sunagawa | 2011-12-02 05:49 | HIV/AIDS


<< 知られざる歴史〜沖縄戦の「朝鮮...      HIV啓発活動の歴史(のほんの一部) >>