One Voice

hidekiss.exblog.jp
ブログトップ
2011年 11月 08日

がんすけのこと

日曜日にも触れたが、昨日は、僕の東京での生活を支えてくれた親友、がんすけ(春日亮二)の命日だった。

彼は、インターネットが普及する前のパソコン通信の時代に、ゲイ向けパソコン通信を始め、その後も、今で言うSNS(ソーシャルネットワークサービス)が普及する前に、その仕組みをつくった天才的なエンジニアだった。

二十歳で起業し、ゲイビジネスを成功させた優れた企業家でもあったし、2000年前後頃から作詞作曲を始め、ゲイミュージックシーンを立ち上げた一人だった。僕が2000年にパレードを始めたときに、支えになってくれ、その後、僕がバーンアウトして投げ出そうとしていたパレードを引き継ぐ人を見つけるために奔走しもした。彼がいなければ、2000年の後、当分パレードは開催されなかっただろう。

彼は、極めて強い個性と激しい気質を持っていたため、多くの仲間と多くの敵のいる人だった。僕も、彼の行動に「それはどうだろう?」と思うこともしばしばあったし、大喧嘩もした。でも、なぜか、僕の価値観に全く合わない面を持っていても、親友であるという気持ちはゆるがなかった。おそらく、彼は、僕の知らないダークな面も持っていたと思う。でも、たぶん、どんな話を聞いても、僕の彼への思いは変わらない。


最初に会ったのは1994年か95年だったと思う。そのときの、彼の鋭い眼光が脳裏に焼き付いている。その頃は、彼は、まだゲイアクティビズムにかかわっておらず、シビアなビジネス観を持った若き「起業家」だった。自分の利益を求めずに動く僕を、「自分と正反対」で、だから惹かれると、彼から聞いたことがあったが、彼もビジネスを通して、ゲイの社会的地位を上げようという志を持っている人だった。

僕と彼は最初の数年間は、そんなに親密な関係だったわけではない。けれど、最初に会ったときから、僕は、「自分が本当につらくて、苦しくてしょうがないとき、彼に相談してみよう」と思っていた。そして、だんだんと、彼がいる間は大丈夫…と思えるような、そんな大きな支えになっていた。


亡くなるまでの数年間、彼は鬱病で苦しんでいた。その間、僕は、彼を十分にサポートできなかった。そんな自分なのに、彼の親友だったことを自称するのはおこがましいかもしれない…。でも、そんな僕でも親友と思ってくれていたと、僕は確信している。

彼自身が調子を悪くて入院していたときに、「僕に何かあったときの一番の連絡先として、がんすけの名前を書いてあるからね!(だから、回復してね!)」と言ったときに、しばらく考えつつ、「そうだよね…」といつになく神妙な顔をして答えてくれた彼だった。

彼がもう少し元気だった頃、お互い、先に亡くなった方の棺を担ぐ先頭に立とう、という話をしたことがある。彼が亡くなったとき、様々な事情からその約束が果たせなかったことが今も悔しい。

たぶん、過去にも書いたことのある話だし、また書く話…。でも、僕は、彼のことをこうして抱き続けていくだろう。
[PR]

by hideki_sunagawa | 2011-11-08 06:13 | Diary


<< 伝える、伝わる      LGBTニュース紹介 11/07 >>