2011年 11月 01日

統制化される社会

▼ハッテン場のがさ入れ?

東京で、ハッテン場として経営されている商業施設に「がさ入れ」があったという噂が、昨日からゲイの間で話題になっている。ハッテン場というのは、男性が男性との性行為を主な目的として集まる場所のこと。今回の「がさ入れ」が騒ぎになっているのは、その理由が、薬物関係ではなく公然わいせつ容疑らしい、と言われているからだ。

<追記:この日記をアップした後に、新聞でもこのニュースがとりあげられていた。本当だったようだ→「同性愛者の公然わいせつほう助=場所提供容疑、店経営者ら逮捕-警視庁」

もしそれが理由になるなら、「ハッテン場」はすべからくダメということになる。今のところこの「がさ入れ」の話は、ネット上で流れているだけなので、嘘という説もあるが、仮に嘘だったとしても、ハッテン場が摘発の対象となるのは時間の問題だろうと僕は考えている。

というのも、昨年あたりから、ホテルの一室や個人所有の別荘などで、自発的に集まった男女の(異性愛者の)「乱交パーティー」が、やはり公然わいせつを理由に摘発され、逮捕者が出ているからだ。こういう話を書くと、そのような性のあり方が嫌いな人は、「そりゃあ、厳しく扱われても仕方ない」と思うことだろう。

しかし、これは、あらゆる領域で広がりつつある、社会統制の一つの具体例であって、この流れはどんどん広範囲にわたり、かつ厳罰化しているし、それがますます大きくなる可能性もある。そして、「ハッテン場」や「乱交パーティー」のような、その自分に価値観に合わないものは「しかたない」と思う気持ちが、その流れを大きなものにしていく。


▼クラブやバーも摘発対象に

最近、クラブ(踊る方の)も各地で摘発されている。というのも、客が踊るような場所は、風営法によると、風俗店としての認可が必要なのだが、その認可を得ると夜0時以降は営業ができなくなる。そのため、基本的に、踊るためのクラブは風俗店としての許可を得ていない。

よって、現在クラブとして営業しているところは、いつでも警察が摘発できる状況にある。これまで、このことはほとんど黙認されてきたが、最近は摘発される事例が増えているのだ。このことに危機感を抱いている人たちが、風営法の改正を訴えている。

また、「接待」を伴いつつ、客に飲食物を提供する店も風俗店としての許可が必要になる。だが、この「接待」の定義は非常に曖昧で(風営法では「歓楽的雰囲気を醸し出す方法により客をもてなすこと」)、現在の「ゲイバー」のようなバー/スナックは<基本的には>、接待を伴う場所としては位置づけられていない(よって、風俗店の許可もとっていない)。

しかし、店のスタッフが面白おかしく場所を盛り上げたりすることは接待になるため、「接待」をおこなっていると判断される店舗も少なくないだろう。そのような店は、無許可営業をおこなっていたとして摘発、逮捕することが可能である。実際に、「ニューハーフ・バー」などと呼ばれる店が、ここ数年内に摘発を受け、経営者が逮捕されている。


▼野宿者排除ともつながる問題

この統制強化の流れが、「健全化」を求め、それからはみ出すものをコントロールしようとする流れであることは言うまでもない。そういう意味で、これは、野宿者が街の公共空間からどんどん追い出されていること、街のあちこちに監視カメラが設置されること、といったこととつながっている。

そして、重要なのは、その流れは、多くの人の欲望を土台にしていることだ。自分の価値観(道徳)に合わないことをする人、自分が理解できない「他者」は厳しく取り締まってもらいたい、という欲望。

社会統制というものを、権力をもつ当局が一方的に市民を抑圧し管理するものと思っている人がいるが、多くの人が指摘してきたように、そんなわかりやすいものではない。統制する欲望を市民が内面化するということによって成立するのだ。また、権力を執行する人間も、もともとは一人の市民であるということも理解せねばならないだろう。

そして、まずは、犯罪の厳罰化、解放的な「性」の統制、「オーバーステイ外国人」の暴力的排斥、野宿者の追放(あるいは管理下への移行)といった、多くの人が賛同しやすい領域から、その統制強化は始まることも忘れてはならない。どんどん強まるこの統制化の流れをどうすればいいのか、残念ながら、今の私には答えはない。

けれど、すべてはつながっている!あなたが不寛容になる先には、誰もが不寛容の中でがんじがらめになる社会が!と訴えて行くことは無駄ではないはず(と信じたい)。

ちなみに、最初のハッテン場に関して言えば、すぐに摘発が続出するということにはならないだろう。また、全ての性的に奔放な(?)集まりが統制されるなんてこともあり得ない。

しかし、いくつかを摘発する中で、そういうことがあることを世間にさらし、罰せられるものだと見せることは、人々の不寛容な心を拡大させ、深化させる。そして、おそらく、それこそが狙いである。すべてを直接統制するよりも、それを内面化させた人々に自主的に統制させる方がはるかに効率的だからだ。

そのような統制化、厳罰化が内面化された人々が知らず知らずのうちに増えて行く社会はおそろしい。そして、自分も知らない影響を受けて行く。自分自身を振り返り続けることも重要だ。
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by hideki_sunagawa | 2011-11-01 06:15 | Diary


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