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2011年 10月 27日

仲間は誰ですか?

▼ゲイが病気になるとき

それなりに「仲間」のネットワークを持っているゲイが重篤な病気になったり、亡くなったりすると、必ずと言っていい程、それを聞きつけた一部の人が、その原因はHIV感染によるものであるとささやく。しかも、時に、それを言うことで、その人を貶めることができるかのように。

なんてバカバカしいことだろう。誰かが病気で苦しんでいるときに、本人から語られている以外の原因を詮索することに何の意味があるというのか。そして、仮にHIV感染だったとしても、それがどうしたというのだろう? その頭の中身は、1980年代のままか?(もちろん、AIDSが報告された間もない当時だって批判されるべき行為だったけど)。

それに、その言葉を耳にした相手こそが、HIVに感染していて、そのことに色んな思いを抱えているかもしれないのに。


▼「仲間なのに…」という思い

何人ものゲイの友人、知人を亡くして来た僕は、そんなくだらないことを言う人がいることに慣れてしまったので(悲しいことに)、そんな噂を言う人がいた…という話を聞いても、ため息をつき、「バカバカしい」とつぶやくだけで終わる。

しかし、そういう言葉に接して、「仲間なのに、なぜ…」と、虚しい思いを抱く人もいるようだ。亡くなった人だけでなく、ネガティブな噂を口にする人も近しい人の場合には、なおさらそうだろう。こういう場合に限らず、「仲間」と思ってきた人に、仲間らしからぬことをされると傷は深いものだ。


▼共通項ゆえに

けれど、ゲイの場合(おそらく多くのマイノリティがそうなりがちな構造の中にいるのだが)、「ゲイである」という共通項だけで「仲間」と思えてしまうということが、少し事情をややこしくしている。

その共通項で「仲間」と思える関係性に安住して(?)、より深い絆をつくらないままにつながっているということが多いのではないか。それゆえ、何かあると、一層「仲間なのに…」と思わざるを得ない結果を生むのではないか…

別に、ここでは、そのような関係性を悪いこととして批判しようとしているのではない。

比較的容易に「仲間」と思えるおかげで、様々な背景を持つ人と知り合い、コミュニケーションをとる機会が増える。また、往々にして、いきなり近い人間関係に入ることもできる…そして、ある程度近いけれど深い絆ではない、その関係性が楽な人がたくさんいる。特に、人が孤立しがちが都市においては、そのような関係性の存在は重要だし、それに救われている人も多いことだろう。

けれど、ゲイであるという共通項だけで、実際の関係以上に、深くお互いを理解し合えている仲間だと思ってしまうと、「仲間とは思えない」ということがあったときに落胆し、厭世的な気持ちになることも少なからず起きてしまう。場合によっては、ゲイの関係性全てを否定したい気持ちになる。


▼ある方の逝去から

しかしもちろん、深い絆をゲイネットワークの中でつくり、お互いを支え合うこともある。最近亡くなったある方の逝去をめぐる話からは、その絆を感じさせる思いも伝わってきたし、やはり共通項だけで「仲間」となっていたのかもしれない、心ない人の振る舞いについての落胆も耳にした。

ある人の話から、その人が病気と闘っているときに「みんなに優しくしてもらって幸せ」と語っていたと知った。彼も、ネガティブな噂を語る人たちがいることは想像ついたかもしれない。でも、それ以上に、彼の本当の仲間が彼の気持ちを包み込んでいたのだと思う。

僕は、彼とは、数回顔を合わせて二言三言会話したことがある程度の関係だったが、彼の親しい友人たちのその後のつらそうな様子を見聞きして、単にゲイという共通項だけでつながっていたのではなく、多くの仲間との関係を深めていたんだなぁ、と思った。


▼「コミュニティ」を考える

僕は、以前から、誰かの死をいかに扱うか/扱えるか、で、その「コミュニティ」の強度がわかると考えて来た。その人と関係のあった人が、その死を共有し、悼む気持ちを語り合えるかどうか。その人に極めて近しかった人が、その関係性が認められた上で、葬儀に参加できるかどうか…等々。

何年も前になるが、オープンリーゲイとして活躍していたある人が亡くなったとき、最期までパートナーだった人が、友人席で葬儀に参列している様子を見たとき、胸が押しつぶされそうになった。出棺のときに「親族の方どうぞ前へ」と言われたときに、パートナーでありつつも「親族」ではない彼が、近づけないままどうしていいかわかない表情を浮かべていたことを、僕は、今も忘れられない。

僕は、そんな状況は嫌だと思うし、その状況が少しでもなくなるように、社会を変えていきたい。「葬儀は親族のものだから、しょうがないよ」と言う人が、「仲間」の中にたくさんいたとしても。

そのためには、社会に向けて訴えていくだけでなく、お互い支い合い、メンバーの病気や死を包み込める絆の深い仲間関係があちこちに存在しているようなコミュニティをつくっていく必要があるのだろう。

あちこちに…というのは重要だ。みんながまとまって一つに、という意味ではなく、それぞれにそういう関係をつくりあげるという意味だからだ。それは、時に傷つく経験を伴うだろうが、トライし続ける価値があるもののような気がする。



この画像は、くま絵師・悠の作品。ちょっと季節は合わないけど、内容的に近いのでアップ。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-27 06:02 | LGBT/gender


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