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2011年 10月 15日

沖縄出身の彼女のことを思う

数日前、長野県の別荘で死後だいぶ経った遺体が見つかったというニュースが流れた。その遺体は、解剖学的には「男性」だが「豊胸手術」をした跡があること、亡くなったときに女性用と思われる衣服を身につけていたことから、メディアでは、興味本位な書き方が目立ち、「嫌だなぁ…」と思っていた。

男性から女性へのトランスジェンダーの人だと思われる、と言えばいいだけの話なのに、まるでそれらが「謎」であるかのように書き、下世話な関心を惹くようなひどい報道だ。

そして実は、その彼女が沖縄出身であることが明らかになった(その人の生前の性自認はわからないが、上記のことを考えると女性だった可能性が極めて高いだろう、だから僕は、その人を彼女と呼ぶ)。

沖縄を離れ東京で働いていたらしい。お父さんが米国人でお母さんが日本人だったという。37歳というから僕より7−8歳下か。半周り下だが、同時代を生きた人とも言えるだろう。


彼女が沖縄出身のトランスジェンダーでだったことで、この死が一気に自分に近いものとなり、いろんなことを考えた。あえて、極めて大雑把にくくれば、彼女と僕は「沖縄を離れ東京で暮らしていた性的マイノリティ」という点で同じだ。

もちろん、彼女がトランスジェンダーで、僕はゲイだったというのは非常に大きな違いだ、彼女の父親が米国人という点も全く違う。でも、共通することがある。きっと沖縄ではとても生きづらかっただったろう、だから沖縄を離れたのだろう、ということだ。

地元の新聞には、彼女の家族は、ずっと連絡がとれてなかったと語っている、と記されていた。


もしも、彼女が沖縄で自分のありのままで受け入れられていて、そのままで色々な仕事に就ける可能性があったら…と思う。僕のように、多くの仲間に恵まれ支えられていたら…、沖縄に帰っても大丈夫と思えられるようになっていたら…とも。

いや、長らく経った遺体で見つかったからといって(また、死体遺棄事件として調査されているのだが)、必ずしも亡くなるまでに至る日々が大変なものだったりしたとは限らない。幸せな日々を送っていたかもしれない…

けれど、このマスコミの取り上げ方がひどいことは確かだ。彼女を「男性」としてしかみない。そして、その人生を下品な興味の目で暴き立てようとしている。


だから、僕は、彼女を彼女と呼び、もしかしたら、いつかどこかで会えた「仲間」なのだと思いたい。勝手な思い込みであることを知りつつも。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-15 06:17 | LGBT/gender


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