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2011年 10月 06日

東京滞在記(前編)

先週から今週にかけて、東京に滞在しておりました。

10月2日(日)に「日本文化人類学会関東地区研究懇談会」で「性に関する社会問題と文化人類学~HIV/AIDS、性的マイノリティの活動を続けて~」という発表を、10月3日にICU(国際基督教大学)で、「セクシュアル・マイノリティをめぐるエスノグラフィ」、「セクシュアリティ再考」という二つの講義をおこなう機会をいただきました。

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写真は、懇談会があった立教大学のキャンパス。


▼自由奔放な人類学者(笑)

「懇談会」は、「協働するフィールド:文化人類学の何をどう活かすのか?」というシリーズの第二回目。今回は、大学の外での活動おこなっている人類学者を招くということで、猪瀬浩平さん(明治学院大学教養教育センター准教授)と僕にお声がかかった。

猪瀬さんは大学院の後輩。院時代は全然やりとりはなかったけれど、ボランティア学会でお会いしてから、明治学院大学の授業に僕を呼んでくれたり、僕が二丁目を案内したりというおつきあいが始まった。

彼は、「見沼田んぼ福祉農園(さいたま市)を拠点に活動する、ボランティア・グループ『見沼・風の学校』の実践」をおこないつつ、その実践を人類学者として論文にもしている(その一つ→ …こうして、ちゃんと論文にするところが僕と違う…我が身を振り返ると凹む)

彼は一見、ごく真面目で堅い優等生的な研究者なのだけれど(優秀な研究者であることは間違いない)、大学教育でやっていることは、かなり自由奔放。学校側から注意されることも時々あるようだ(ま、研究室でご飯炊いて学生と食べたとか、参加型建築〜インクルーシブ・アーキテクチャー〜の実践でつくったものを学校内の教会にかけて…という程度のものだけれど)。

活動と教育、研究の領域を越え、いろんな人とつながり、学生たちに様々な経験をさせることを重視している。改めて、不思議な、面白い人類学者だなぁ、と改めて思った。


▼逡巡する人類学者(笑2)

彼に比べると、僕は、自分がおこなってきた活動をちゃんと論文にもしていないので、活動と人類学を十分に結びつけられていない。

論文にしてこれなかったのは、僕の怠惰さが一番の原因だけれど、懇談会で意見交換する中で、自分のテーマが「ゲイ・コミュニティ」や「性的マイノリティの活動」という、人類学で一層周縁的なテーマであるがゆえに、より正統的なスタイルで提示しなくてはいけないという気持ちがあるのではないか、と思った。

また、終わってから、その会に参加してくれたパートナーと少し話したが、彼が指摘した、僕が常に「コミュニティ」の代表性を付与されてしまうポジショニングの問題もあるかもしれない。

しかし、ためらいを見せずに(本当はいろいろな葛藤や逡巡もあるのだろうけれど)、自信を持って自分のかかわっていることを省察して論文にしている彼の姿を見て、僕も、できる限り文章にしていこうと思った。


▼「在野」の研究者として

と言いつつも、僕は恐らく大学での常勤職には就かないだろう。「就けない」という面があることも否定しないが、正直、そんなに大学の常勤職に魅力を感じてもいない。忙殺されている友人たちをみると、一層そう感じる(就くことを完全に放棄しているわけでもないけど)。

けれど、研究は続けていきたい。そうなると、いわゆる「在野」の研究者になる。最近その覚悟をしつつも、僕は「でも、なんだかなぁ…」と思っていた。何かそれでは足りないものがあるような気がしていて。

その「何か」を今回の懇談会でわかった気がした。問題は、「在野」であるかどうかよりも、研究者仲間との意見交換が議論があるかないか、なのだ。それがなければ、視野が狭くなりがちで、自分の気づかないところを放置したままにしてしまうことになる。

僕は、基本的に研究会や学会が好きじゃないのだけれど、こういう意味があるんだな、と今さらながら痛感した(しかし、学会は深い意見交換があまりできないので、やはり微妙だったりするけど)。ま、そういう場じゃなくても、意見を交換したり議論をする機会をつくっていくということが重要なのかもしれない。


▼研究者としての自信

正直これまで僕は研究者としての自分にあまり自信がなかった。研究よりも活動にエネルギーを投入せざるを得なかったし、やはり、文化人類学の世界では周縁的なポジションにいるし…

けれど、この懇談会と4日の講義に向けて準備し、発表する中で、自分のやってきたこと(活動をするということも含め)は、日本の文化人類学界にも大きな意味があったんじゃないか、と思えるようになったきた。

僕が大学院に入った頃は、日本の文化人類学の世界では、セクシュアリティの定義は「性器結合」を中心したもので、男女しか念頭にないものだった。しかし、最近はだいぶ変化していて、性的マイノリティの存在が前提となっている。

傲慢に聞こえるかもしれないが、僕は自分が、ゲイ当事者として「ゲイコミュニティ」のことを研究し、それを発表して来たことが、その変化の一因をつくったと考えている(もちろん、そんな僕を理解し、支援し、発表する場をくださった先輩研究者たちの存在があったから可能になったことは言っておかねば!)。

この懇談会に参加されていた方が、「自分は、文化人類学は周縁的な世界から中心世界を相対化するものだと思う」と語られていた。素晴らしい位置づけ方だと思った。そう考えると、僕もこれまで以上に自信を持って「文化人類学者です」と言える(でも、もっと勉強せねば…)。

何より、今回、こうして懇談会に呼んでもらえ、いい反応をたくさんもらえたことが何よりうれしかった。この企画をたてて声をかけてくれた院の後輩に心から感謝したい。

僕は、院生時代には、ほとんど仲間たちとの交流がなかった人間だった。それは、心のどこかに「どうせ、自分は異端者としてしか見られていないし、誰も関心を持ってないのだろう」という思いがあったからだ。けれど、実は、僕のことを見ていてくれた人たちがいた…そのことに気づき、今、心動かされている。
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by hideki_sunagawa | 2011-10-06 08:14 | Anthropology


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