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2011年 09月 27日

オープンリーゲイなんですけど…

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この写真は、昨年、僕が代表として開催した「第7回東京プライドパレード」のもの。最後にボランティアスタッフが次々と壇上に上がっているところだ。真ん中で手を上げているのが僕(苦笑)。撮影は、僕のパートナー、くま絵師「悠」。


▼同窓生からの便り

最近、中高時代の友人/知人とのやりとりがちらほらある。そういう人で僕に連絡をくれる人は、このブログでアドレスを知ってメールをくれたりするのだが、不思議なほど、僕がゲイであることに触れることがない(明らかに読んでもいるのに)。

中学の同窓会に行きたくない理由の根底に自分がゲイであるということがあるということを書き(→)、それを読んだ上で同窓会に更に誘ってくれた人のメールでも、僕がゲイであるということについて(というか、それに関連することについて)一言も触れられていなかったりする。あくまで、「独身」であるということの問題に回収されてしまう。


▼オープンリーゲイのアクティビストです

そのように僕がゲイであることを知りつつ、それにからんでくる話題に触れない人たちは、たいてい「いい人」だし、「善意」で、「気を遣ってくれている」のはわかる。なので、感謝する気持ちもあるのだが、「なんだかなぁ…」という思いが生じるのも正直なところだ。

もちろん、性的マイノリティであることを知られたくない、と思っている人には、「そのことについて触れない」のは、ありがたい対応だろう。でも、僕は、オープンリーゲイのアクティビスト(活動家)として、その問題を重要なこととして掲げ、自分のあり方をアピールしているのだ。

「知られたくない」と思っている人には…と書いたが、そこには矛盾が生じる。なぜなら、その場合、基本的には、まわりの人は知らないわけで、そうなると、逆に、その人の前では「ホモネタ」という形で、そのことが話題にのぼったりすることもしばしば起こるのだ。

そして「ゲイです」ということをオープンにすると、逆に誰も何も触れなくなる。これって何なんだろう?


▼笑いネタか沈黙の二つに一つ?

もちろん、そんな僕の前で「ホモネタ」のような笑い話が出るのは最悪だが、世の中には、性的マイノリティについては、失礼な笑い話か、触れないか、のどちらかしかないのだろうか?…いや、あえて極端な言い方するならば、そのどちらかしないのかもしれない。

性的マイノリティについて、対等に語る言葉を、多くの人は持たない。せめて、そのことに気づいて、そこに潜む差別性/抑圧性に気づいて欲しいものだが…。

講義や講演で、「知らないので、失礼なことを言うかもしれないと思って」という声は良く聞く。でも、「失礼なこと言ったら、教えてね」ということをあらかじめ伝え、そして誠意をもって対応すれば、相手を傷つけることはほとんどないだろう。

いや、その前に、マイノリティ性を持った人が自分のその存在を伝えていることを知ったならば、「知らない」ままじゃなく、少しは学ぶ姿勢が欲しいと思う(このブログ見てくれたなら、LGBTカテゴリーの日記をいくつか読むだけで、だいぶ違うと思うのだが)。


▼「知らない」=無垢、ではない

「なんで、そこまでしなくちゃ?」と思うマジョリティもいるだろうが、常に、どのマイノリティ問題も、マジョリティの問題でもあるのだ(人によっては、マイノリティの問題はマイノリティ側の問題じゃなくマジョリティ側の問題だ!と言い切る人もいる)。

「知らない」ままでいれば、関係ないと思うのは間違いだ。構造的な力関係には常に巻き込まれているのだから(もちろん、僕もセクシュアリティやジェンダー以外の問題でも常に巻き込まれているし、それらの問題の中でマジョリティの立場に立っていることも多い)。

構造的に明らかな力関係がなければ、冗談も、沈黙もまったく違う意味になるのだけれど…。


だいたい、僕がこれまで長らくやってきた、僕にとって重要な活動や仕事は、自分がゲイであるということとは切り離せない(冒頭の写真は、そのアピール)。なのに、それに触れない交流っていったい!
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by Hideki_Sunagawa | 2011-09-27 12:12 | LGBT/gender


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