2011年 09月 26日

聖地の観光化

▼観光地化する斎場御嶽

沖縄本島南部にある斎場御嶽(せーふぁーうたき)は、2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして、ユネスコの世界遺産リストに登録され、一気に沖縄で最も有名な観光地の一つとなった。

世界遺産になる前にも後に何度か行ったことがあるが、明らかに、訪れる人の数は増え、また層も幅広くなっている。本島随一の聖地とも言われるだけに、この地に様々な人が訪れることに複雑な思いを抱いている人は少なくない。

もちろん自分も、その「様々な人」の一人であることは言うまでもない。もともと男性が入ることも禁じられていた場所であった。

そんな自分を棚に上げて…という話なのだが、僕も、「観光地に来てみました!」という雰囲気を漂わせている人を見ると、「これでいいのかな…」と思ってしまう。もちろん、他の御嶽などもそうだ。


▼もし観光地化されなかったら…

ここで、もしも御嶽が観光資源として位置づけられなかったら…と考えてみる。理想的な(?)イメージでは、地元の信心深い人だけがウガン(拝み)のために訪れ、その人たちにより守り続けられる…というものかもしれない。

しかし、おそらくそうはならない。いったい、どれだけの人が実際にウガンに来ているかを考えれば明らかだ。その地域の人口のごくごく一部の人だけだ(その地への思いは多くの人が共有しているとしても)。

しかも、だんだんとそういう人は減っている。今、パワースポットブームの中で若い人も訪れるようになっているが、それはおそらく一過性の流行の可能性は高いし、そうじゃないにしても、その地に根ざした人でないがゆえに、守る担い手とはなりにくい。

拝所(うがんじゅ)について書かれている本を読むと、実際に、小さな拝所で廃れている場所は少なくないようだ。


▼開発の波

また、街の開発の中で、小さな祠として維持されるのが精一杯というところもたくさんある。そのような新しくコンクリートでつくられた祠は、時代が過ぎるにつれ、次第に存在感と意味を失っていき、消失する可能性もある。

皮肉にも、拝所の一部は、観光資源として意識されていることで整備されている。さらに言うならば、地元の若い人たちが拝所を重要な場所として意識するようになったのは、もちろん、昔からそこで拝むオバーたちを見てきたということが大きいだろうが、観光の中で再発見した面も否定できない。

観光という営為の中で、地元の人が、「オリジナルな文化」というものを再発見し、強化し、自分たちのアイデンティティの拠り所とする…という仕組みは、観光人類学の中で繰り返し指摘されてきた。


▼観光客を育てる

となると、聖地の観光地化をめぐる「いい解決法」は限られて来る。僕は、一つは、観光客を育てることだと思っている。聖地を訪れるときの心構え、振る舞いのルールを徹底させること。よっぽど厳しいものでなければ、観光客もそのルールを楽しむことだろう。

もう一つは、本当に重要な土地であり、多くの観光客が来たら荒れてしまう可能性がある場所は、なんらかの制限を設けることである。時期を限る、人数を決める等。それはありがたみを増させることになり、これも観光戦略とは矛盾しない。

そうやって「観光客を育てる」という姿勢は、観光がもたらす、ゲスト(観光客)とホスト(迎える側)の微妙な力関係をも変えて行くのではないか、と思う。
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by hideki_sunagawa | 2011-09-26 20:21 | Okinawa


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