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2011年 09月 22日

沖縄の「うない」たちに力をもらった日

▼久しぶりに講座へ

21日(水)は、なは女性センターの講座「立ち上がった“うない”たち 〜沖縄・政治とジェンダー〜」(講師:宮城晴美さん)に足を運んだ。帰って来てすぐに感想を書こうと思っていたけど、帰りに懇親会に声をかけてもらったので、ほいほいと着いて行って、帰って来たのは0時過ぎ。

宮城晴美さんは、沖縄女性史家。那覇市役所職員のときに、那覇女性史『女のあしあと』(琉球王国時代から現代まで。全3冊)を編集・刊行された方。

沖縄のジェンダー問題の大きな課題の一つ、トートーメー(長男が引き継ぐべきとされている代々継いで行く位牌)についても研究されていて、その習慣が、もともと士族のものであり、庶民は長らくそのような価値観は持っていなかったことを指摘されている。


▼日本本土より早くおこなわれた女性の政治参加

今日の話もおもしろかった! 恥ずかしながら、知らなかったことがいっぱいあった。

終戦直後、沖縄本島各地の収容所に12の「市」がつくられ、「市会議員」と「市長」が選挙で選ばれることになったこと。そして、1945年9月20日に投票がおこなわれ、そのときに女性も投票権があったということ(落選したけれど、議員への立候補者も二名いたとか)。

それは、米軍にいち早く占領されたということの結果ではあるけれど、日本で女性の投票が始まった1946年4月10日よりも半年以上も早い出来事だった(身元の証明ができなかったり、字の書けない人が多い中での選挙だったらしいけれど…)。


▼伊佐浜の土地闘争

その後の戦後の女性たちの闘いの歴史に鼓舞される思いがした。政治へ挑んだり、社会制度の改革に取り組む女性たちのこともさることながら、僕の印象に残ったのは、1955年の「伊佐浜の土地闘争」。

これは、1954年に、米軍が伊佐浜の住民に立ち退くことを要求。もともと稲の良く実る水田が広がる土地だったそうだが、最終的に地元の男性たちは最終的にとして同意することに(地代にからむ妥協があって?)。しかし、女性たちが猛烈に反発し、反対運動を展開したという。

だが、1955年3月11日、武力とブルドーザーをもって約3万坪は強制収用されてしまった…。


▼「うない」たちとの語らい
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懇親会も、基地問題や労働問題などの社会問題について(当然、ジェンダーの視点から)語り合いながらも楽しい時間だった。

以前も日記にも書いたけれど、こういう女性たちと出会ったことが、沖縄に帰っても大丈夫かも…という思いにさせてくれたのだった。

「こういう」というのには、もちろん、友人たちも含まれている。

ちなみに、「うない」というのは沖縄本島の(本島南部の?)方言で、「姉妹」という意味。

女性運動の中では、英語のsisterhoodに近い感覚で使われている印象だ。

そんな言葉がぴったりな彼女たちを見ていると、エンパワーされると同時に、いかにその運動に学び、つながりながら、性的マイノリティのことをやっていくかということを考えさせられる(前向きな気持ちで)。


その講座が始まる前、なは女性センターに入ろうと思って空を仰いだら、虹が出ていた。なんだか僕が、これから沖縄で活動や研究をしていく上で、大切にするべきものを指し示されたような、そんな気がした。
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by Hideki_Sunagawa | 2011-09-22 01:07 | Diary


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