2011年 09月 19日

活動のエネルギーは…

ぼちぼちと沖縄でのLGBT関係の活動を準備している。その活動にも参加してくれそうなレズビアンの友達から、以前、「また復活して頑張ろうって思うモティベーション(動機)がどこからくるの?」と尋ねられたことがある。僕自身よくわからないところも多いので、「考えてみるねー」と返事したままに。

僕が2000年にパレードを復活させたときに、その動機を聞かれることがよくあった。自分でもはっきりしないその心情を無理矢理言葉にして、「『コミュニティ』への恩返し」と語っていた。自分がそれまで支えられて来た色々な関係性への「恩返し」…


今も、基本的には、自分が意識できるモティベーションの土台には、誰かから受けたサポートを返していくという思いがあるような気がする。そして、「恩返し」のつもりで始めた活動は、また他の人の協力や支えを招き、一層「恩」ができていく。そうやって、僕は、パレードの10年、HIV/AIDSの21年の活動を続けてきた。

しかし、「恩」という言葉は、「返す」義務感と一体となり、重い。時には、自分が受けて来たものを、その言葉でとらえて、その重みを実感するのも悪くないかもしれない。けれど、ずっとそれを背負い続けるのは、つらいことでもある。

その「恩」を「愛」という言葉でとらえなおしたら、随分と印象が変わった…という話を、以前もこのブログで書いた→2011年1月21日の日記


「愛」って日本語ではとても照れくさい言葉だけれど、時々自分の受けて来た/受けている「愛」を思い出すのは大事だなぁ…と思う。

先日書いた友人の助けもそうだし、もちろん、親きょうだいから長らく受けて来たものもそうだし。僕が、沖縄で再スタートができたのも、地元の友人の支えがあってのことだ(何を隠そう、友人の一人が家を借りるときの保証人になってくれたりもした)。東京で生きられたのも、何人もの人に、物心ともに支えられたおかげだ。それらは、全て愛なんだ、って思ったら、とても幸せな気分になる。


もちろん、そのサポートへの感謝の気持ちを常に持ちつつ、いつか自分ができる形でお礼をしていきたいと思っているけれど、それを「恩返し」と言っている間は、なんだか義務っぽくて、他人行儀な感じで、ある意味で狭い価値観のような気がする。

「恩」は「返す」ものだけど、「愛」へのお礼はどう表現するべきだろうか?「愛」を「返す」のはどう考えても変な表現だ。

きっと、受けた「愛」は「広げていく」ものなのだろう。あるいは、意識しなくても、自分が「愛」を受けていることを実感すれば、「広がっていく」ものなのかもしれない。


それが僕が活動に疲れ果てても、また始めようと思えるエネルギーとなっているのだろう。…なんて言うとなんだかキレイな話すぎる感じもするけれど、こういう前向きな気持ちについて語って行くことも重要だと思うので、あえて。


最後に、なんとなく、昨日届いた「くま絵師・悠」の作品を。雲の上にいるのは、僕の最愛の親友がんすけ(2007年逝去)と、そのパートナーだった相坂さん(2011年逝去)。僕は、そんな人たちからのバトンも受け継いでいる。

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by Hideki_Sunagawa | 2011-09-19 16:33 | Diary


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