2011年 09月 13日

続・幸せって…?

連続更新の最初に書いた「幸せって…?」(8月29日)は、その後、幸せ観の話に続けるつもりだったのに、LGBTの話題へと流れてしまった。ということで、今更ながら、その話の続き的に。


▼幸せである/ない?

もともとの話の発端は、「幸せになりたい」と思っている20代前半の若いゲイの子とのやりとり。彼らは、今「幸せではない」と思っているから「幸せになりたい」と思っているわけだ(でも、別に「不幸せ」とも思っていないようだ)

しかし、彼らにも伝えたのだが、幸せは0か1かではないはずだ。今「幸せ」とは思わなくても、「楽しい」こと「うれしいこと」、わくわくドキドキすることはあるだろう(もちろん、そういうこともないという人もいるかもしれないけれど…)。

幸せとは、そういう一つ一つのことがたくさんあるか少ないか(あるいは全然ないか)のグラデーションであって、そんな出来事や感じることを一つずつ増やしてくことと僕は思っている。複雑で、実に様々なことがひしめきあっている生活を単純に幸せか否かと位置づけてしまうのは残念なことだ。


▼「幸せは気持ちが決める」か?

という話を書くと、よく啓発本にあるような、「幸せかどうかは自分の気持ちの問題であって、気の持ちようなのだ」という話のようにも聞こえるかもしれない。a0137527_17145175.jpg

確かに、「幸せ」とは自分が「感じる」ことなのだから、それが非常に重要なファクターであることは否定しない。

けれど、経済的に困窮すると生きる気持ちすら失うことを何度も経験している僕は、そういう完全な主観主義には立たない。

まさに外的要因が、幸せかどうかを「決める」気持ち、心持ちを決めてしまう時があるのだから…(ゆえに、極めて困窮していたり、解決に向けて行動を起こすのが難しい困難な状況に置かれている人に、「気持ちの持ち方で変わる」といったことは言いたくない)。

また、社会や文化を扱う学問分野にいる者としては、認識の枠組みも社会によって構成されていると考えるため、「気持ち次第」という、人の意識が自分の中だけで成立しているかのような考え方はしないのだ。


▼分かれ目

正直、社会を深いレベルで考えようとすればするほど、「気持ち」に決定的な重きを置いて考えるのは難しい面がある。しかし、実際に日々の生活を生きている実感から語るとするならば、やはり、どういう態度で生活世界に向き合うかということは、「幸せ」において重要なことの一つだ。

おいしい食べ物に出会ったこと。つくった料理がおいしくできたこと。魅力的な人と出会えたこと。友だちと楽しく話せたこと。美しい夕陽をみたこと。心が揺さぶられるような芸術に触れたこと。そんな一つ一つに喜びを見いだせられるかどうか、そこに大きな分かれ目がある。


▼かけあわせの中で

もちろん、そんな心の動き自体が生じづらくなってしまった鬱などの状態は、別の問題として考えなければならない。これはいくら強調しても強調し過ぎることはないだろう。

けれど、極めて困窮した状態にいるわけでもなく、専門家のサポートがなければ回復が難しいわけでもないけれど、日々の幸せを見過ごしがちな人も多い気がする(それは、自分への戒めの言葉でもあるけど)。

幸せ感は、あえて単純化して言ってしまうと、状況と気持ちの掛け合わせ。どちらかがゼロだとゼロになってしまう。

このかけ算的考え方も、きっちり考えると、状況判断には気持ちがかかわってくるし、気持ちにはやはり状況が影響するので、そんな単純ではない。

だがとりあえず、まず始められることの一つに、自分の気持ちに働きかけることがあることは間違いない。それは、抽象的に「幸せと思おう」ということではなく、一つずつ楽しいことを増やすこと、実は楽しいと感じているかもしれないことを改めて発見することだ。

…なーんて前向きなことを書きつつ、僕も何かをきっかけにすぐにめげて、「ああ、もうダメ…」と思うタイプ。だからこそ、こうしてあえて前向きに書いてみる。今度、落ち込んだときに読むためにも。
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by hideki_sunagawa | 2011-09-13 16:56 | Diary


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