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2011年 09月 07日

みゃーくふつ(宮古島のことば)2

珍しく、つづきもの。宮古島の言葉に関心を持ち始め、母親との没コミュニケーション解消のためにも、母親に習おうと思ったのだが…


▼母親とのやりとり

というわけで、母親に宮古島の言葉を習ってみることに。しかし、人に何かを「教える」ということからほど遠い生活をしてきた母親なので、いきなり「教えて」と言っても困るだろうと思った。それに、以前、「最近は全然宮古の言葉を話さないので、親戚と話をしていても、とっさに出なくなっている…」と言っていたし。

そこで、みゃーくふつで様々な曲をつくっている宮古島出身の歌手、下地勇さんの歌の話題から入ることに。僕は、彼の言語表現、音楽表現は、本当に素晴らしい。みゃーくふつを使って、今の私たちの心性に合った歌をつくり、様々なメロディーに載せて曲をつくっている。それは、これまで誰もなしえなかった、現代の表現方法とみゃーこふつの接合だ。

参考:
「おばぁ」(YouTube) …宮古島で農業を営んできた人たちの生活がありありと思い浮かぶ。
「民衆の躍動」(YouTube) …PVもむちゃくちゃかっこいい(字幕ないので意味は把握できないけど…)


▼発音への挑戦

前々から、この下地勇さんの歌っている歌を少し歌えるようになりたいと思っていて、CDを買って、歌詞カードを見ながら覚えようとするのだが、どうしても、発音がわからない表記が出て来る。それは、「す」や「き」などに半濁音を表す印(ぱの右上についているマルね)がついているものだ。

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いろいろ調べると、宮古島出身の人は、「ちなみに「す゜」の場合は、『す』と『つ』を同時に言うような発音になります…」(引用元)と書いていたりする。ほか、音声学的に、「中舌母音」や「無声破裂音」云々の説明が見られるけれど、どうもピンとこない(学部生の頃、音声学を履修していて、成績良かったんだけどなー)。

ということで、とりあえず、上の表記をみせて母親に同発音するか聞いてみた。しかし…


▼説明できないもの

母親は、その表記をみて、「これなんね?」と言う。よく考えたらそりゃそうだ。宮古島の言葉が文字化されたものなんて見た事ないのだから。なので、「魚(いす゜)」と書かれているのを指差して、「魚って、なんて言うの?」と尋ね直した。

すると「い、さぁ」と言う。「うーん…」と思う僕、僕は、「でも、普通の『』とは違うんだよね?」と確かめる。すると、「ず、さぁ。これ(書かれたもの)が間違ってるんじゃないの」と。

そんなやりとりが何度か繰り返され、僕はあきらめ、「咲き゜」は?と字を見せながら聞いた。すると、やはり(?)、「咲」と言う。むむむ。

もちろん、宮古島の言葉といっても、地域によって発音が違ったりするので、それも関係してるかもしれない。しかし、根本問題は、おそらくそれではない。

母親は言った。「訊かれるとわからんくなるさ」。


▼無意識に身に付いているもの

そうだった。まさに、文化人類学でも入門的なところでよく出て来る話。言葉に限らず、振る舞いなど、無意識に「自然に」身に付けられたものは、多くの場合、その使い手が分析的に意識化するという行為を経ない限り、説明することは非常に難しいのだ。

例えば、誰かの指導を受けることなく早く泳げる人は、おそらく早く泳げるコツを言葉で人に伝えることはできない。英語のネイティブスピーカーでも、ある程度の言語学的な知識(あるいは教える方法の知識)がなくては、英語を知らない人に英語のつくりや、相手が知らない発音を説明的に教えることはできない。母親にとって、宮古のことばも同じなのだ。

おそらく、その言語を使っている生活の中に入っていって、その生活の中で、ものを指して「これは、なんて言うの?」と聞いて、その発音をまねたり、相手が言ったことの意味を確認したりしながら修得していくなら、相手が言葉を教えることに慣れていなくても、伝達できるのだろう。

しかし、そういう文脈から離れて、言語として分析的に振り返って教えることは、簡単にできることではない。


▼隔たり

それに、明らかに母親は、『なんで、急に興味を持ち出したのか?』と感じているような表情をしていた。普段使いもしない言葉をわざわざ「学ぶ」ということの意味が理解できないようにも見えた。

昨日今日と書いたようなことをわかりやすくでも説明できればいいのだが、いかんせん、いろんな意味で、僕は母親と「言葉が通じない」ということを痛感していて(それは、みゃーくふつ/共通語、という問題よりも、抽象的な思考とか、世界観/価値観とかの問題として)、説明するできる自信がない(なんて言っていてはいけないのだろうけど…)。

内心、宮古島の言葉に興味を持ち始めたことを示すことでうれしく感じてくれるかも…と思っていたところもあったので、その怪訝そうな、理解できないというような表情が、ちょっと胸に刺さった。そういえば、沖縄を離れるまでずっと、色んな面での「理解されない」感に胸を痛めていたな、とふと思い出した。

と、ちょっと暗い(?)結果になってしまったが、宮古島の言葉への関心は失っていない。とはいえ、やはり、日常生活で使っていない言語を「学ぶ」というのは難しいなぁ…とも、改めて思うのだった…。
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by hideki_sunagawa | 2011-09-07 15:46 | Okinawa


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