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2011年 09月 03日

国を越えた連帯

昨日紹介したWear it Purpleという活動は、米国で起きたティーンの自殺がきっかけだ。言うまでもなく、米国では、ゲイやレズビアンの権利を求める運動が活発で、同性婚を含め、同性間パートナーシップを保護する州も増えている。しかし、その一方で差別も激しいことでも有名だ。

そういう背景から、こういう活動を紹介すると、「米国で意味のあることで、日本でやる必要はない」という声をよく耳にする。パレードに対しても、そういう言葉で批判する人は少なくない(しかし、そういう意見はだいぶ減っている気もする)。

もちろん、それぞれの土地で広く受け入れられる表現方法というのはあるだろう。例えば、僕は、今の段階では沖縄でLGBTのパレードをやろうとは思わない。もっと参加が集まりやすい方法を考えたほうが、運動として大きな意味を持つだろうと考えているからだ。

集団行動は、時にそういう「読み」が重要になる(しかし、日本で最初のレズビアン&ゲイ・パレードが、アクティビストにも反対の声が多かった中おこなわれたことを考えると、時に「無謀」と言われることが実行されることも必要だろう)。


しかし、Wear it Purpleのような個々人が意思を表明する方法は、それに共感した人、賛同した人がそれぞれにやればいいことなのだから、誰かに「やる必要」について言われる筋合いのものではない。

私たちは簡単に「国や社会の背景が違う」と言ってしまいがちだが、「同じ国/社会」と意識される中でも、ごく当たり前のことながら、誰もが同じ経験をするわけでもなく、内面化する価値観も情報も、親近感を覚えるものも違う。

日本に育ったゲイでも、同じ社会にいて「日本ではゲイに対する差別はない」と言い張る人より、米国で自殺したティーンに自分を重ね合わせる人もいるだろう。自ら命を絶ったかれらが、自分であり得た、自分の友人であり得たと思う人はいるはずだ。

そういう想像力において、国境は絶対的な意味を持つものではない(社会的に絶大な意味が付与されているがゆえに、「意味がない」とは言わないが)。


僕は、パレードにかかわるうちに、「これは、国際的な連帯の表明でもあるんだな」と思うようになった。パレードが国から認められず、しかし決行して、逮捕される人たちがいる。パレードの最中に右翼団体から暴力を受ける人たちがいる。怒号の中決死の覚悟で歩く人たちがいる。そういう中でも参加する人たち。

パレードは、そういう人たちと(もちろん、楽しくパレードできる場所の人たちとも)連帯する一つの表現方法だと僕は思っている。もちろん、それは他の表現方法でもいい。そういう視点をもてば、一つ一つの運動の見え方もだいぶ違って来る。

そのように国を越えて連帯する思想は、国の枠にこだわり、その境目で人々の尊厳に違いがあるかのように考える人々や、その枠内にはそこに出自がある人しか存在してはいけないように考える人々への抵抗のためにも重要だ。

そうやって活動を世界に向けて開いたものとして考えると、沖縄という場は、東京に比べて狭いわけでも、運動が発展する可能性が小さいわけでもないな、と思う。
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by hideki_sunagawa | 2011-09-03 15:28 | LGBT/gender


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